第18話 侵略

「一体何の騒ぎよ?」

 ミカは登校早々、低血圧を起こして午前中を保健室のベッドで休んでいた。昼ごろ、静寂を救急車のサイレンが破った。身体はだるかったが、人だかりが気になったので無理に外へ出ると、見物している亮を発見した。

「午前中、自習ばっかりでさ。先生方、授業どころじゃなかったみたいだ」

「えっ?」

 救急車は続々と到着し、単価に乗せられた先生方が担ぎこまれていく。不吉な予感しかない。

「例の、アユカワの親衛隊だ。生徒会長の伊東アイは留守だけど、親衛隊の暴走に、生徒会側が黙っている訳がなかったらしいな。朝から、廃部決定と天文台明け渡しをめぐって、校門で那月たちとアイ及び生徒会が押し問答した。それから授業が、ずっとなしだ」

 何か、早朝外がガヤガヤうるさかったのはそのせいか。それから二時間、学園は静けさを取り戻した。ところがこの状況は、結局朝の騒ぎが原因で、救急車を呼ぶまでの事態に発展したのかもしれない。

「あやうく、乱闘騒ぎになりかけたけど、そこまで発展しなかったのは、鮎川が指先一つで親衛隊を止めたからなんだが、鮎川は援軍を連れてきていて、生徒会を逆に取り囲むと、威圧して追い払った」

 まるで何十年か前の学園騒動みたいな話である。一歩間違えば警察沙汰ではないか。

「鮎川は、先生に呼ばれて会議室に連れて行かれた。俺たちは自習中、その話題で持ち切りだった。話を総合すると、鮎川達に手に負えなくなった生徒会は学校を動かしたんだ。会議室には生徒会メンバーに加え、今日出勤してる学校の主だった先生方がずらりと、二十名ほど並んでいた」

「で、その内容は?」

「ま、一種の魔女裁判みたいなものかな。先生達は、たった一人で立っている鮎川に対して『学校の治安を乱している』と口々に非難した」

 生徒間同士の問題を超えて、学校側が出て来たのは当然の帰結だった。遂にその時が来た、というだけの話である。

「結局、教師たちは、理事会にかけて鮎川那月の退学を申告すると結論したらしい」

 この学校で理事会の権限は絶対である。

「まじ?」

 鮎川那月の取り巻きである親衛隊は、露出の激しいメイドのコスプレなんかをしてすっかり学園アイドル歌手と化した彼女をオタ芸で盛り上げ、巨蟹学園内で、立て看板やビラを巻き、奇妙な熱狂で騒ぎ立て、さながら美少女を取り囲んだ変なカルト集団と化していた。鮎川那月の、彼らの育て方の成果がそこにはあった。那月はネットから逐次細かな指示を出し、親衛隊は学園でその通りにふるまった。親衛隊は、那月の指先一つの動きで完璧に統率されている。那月に不可能な事はなかった。勝手に開催している学園集会のコンサートでは、那月が唄って踊りながら、指揮者のように親衛隊を操った。そして親衛隊は生徒会長のリコールを達成する勢力に膨れ上がり、来るべき選挙に挑んでいた。

「ところが会議は中断した」

「……何が起こったの?」

「ついさっき聞いた話じゃ、先生方が次々体調を崩したらしい。連鎖反応で。一人、また一人と苦しみ始めて、みんなドミノ倒しのように目眩を起こして倒れていった。そんな中、鮎川だけは一人で立っていて、自分で救急車を呼ぶと、教室に戻って来たんだ」

 会議室が一気に異様な雰囲気に包まれる中、那月は目を見開いて次々と教師たちを睨みつけた。部屋に居る教師たち全員が、バタバタと倒れ、誰も席に座っていないという状況だった。彼らは、単に那月に睨まれただけだった。那月は踵を返して修羅場と化した部屋を出ていった。


 会議に参加した全員が巨蟹病院にかつぎこまれ、翌日から学校に来なくなった。噂では、彼らは虚脱症状だという。まるで身心のすべてのエネルギーを抜かれたように、口もきけず、食事もとれず、病室で点滴治療を受けているらしい。

 しかし、那月がやったという証拠はどこにもなかった。結局、室内の暖房で一酸化炭素中毒が起こったのだろうと結論された。会議で出された鮎川那月の退学宣告もうやむやとなった。しかし、エアコンから一酸化炭素が出る仕組みなど存在しないし、十一月といっても巨蟹市は猛暑のような暑さで、暖房など使用していなかったのである。

 学内の誰もがうすうす感づいている。那月に、尋常ではない新しい能力が開花していることを。その噂は蔓延し、糾弾会議に参加しなかった教師たちも鮎川那月を恐れて、もはや、学園内で那月とその親衛隊の行動を阻止する術を持たなかった。その噂は一般の生徒達にも伝播した。こうしてアイに与する者、那月に逆らう者たちが、次第に学校に来なくなっていく。那月に目をつけられた者たちから先に、どんどんエネルギーを抜かれて、虚脱になっていくためだった。事件以降、反対に、那月を熱狂的に支持する崇拝者たちの勢いが増し、学校にのさばった。それでも依然として、伊東アイの中核的な支持者は数多く残されていた。だが、圧倒多数だったはずの伊東アイの支持者は今や、那月の親衛隊と学園を五分に別けるまでに数を減らした。もっとも、多くは右へ左へと簡単に流れる浮動票であるには違いなかったが、学園内はアイ派と那月派に二分し、予定通り行われる選挙の日に臨んでいる。

 那月は完全に勝つまで、その手を決して緩めようとしない。魅力の上でも、アイドルの伊東アイに、妖艶な魅力で対抗しようとしているかのように磨きをかけている。那月は男を操る自分の美貌と力に酔いしれ、夢中になっていた。外見も性格も以前とはまるっきり別人だった。アイに対する異常な程の攻撃性といい、もはや那月の中に相手に対する怯えは微塵もなく、ミカはこれが本当に那月なのだろうか、と見る度信じられない気分になる。


「今度は何を読んでるの?」

 ミカは、自分の席で本に目を落とす那月に声をかける。

「これ? 『時輪経』っていうチベット密教で最後に成立したお経だよ」

 那月は、口絵に掲載されたカラーの曼荼羅をミカに見せた。

「理想郷シャンバラの概念と、侵略者との最終戦争の予言がされている。シャンバラの転輪聖王は、戦争の結果、侵略してきた悪の王とその眷族たちを破壊して、秩序と平和を回復する。そして地球に永遠の世界が出現するの。私は今、伊東アイとの最終決戦の時を迎えて、今この本を読み返してるとこなんだよ。いい? これからが正念場だよ」

 アイとの戦いに熱中する那月に、ミカは弱々しくも休み時間に、友人に忠告することしかできなかった。

「アイと戦う事は正しいけど、那月のやり方はやりすぎだと思うよ」

「何故そんな事を言うの? 普通の人間ならそうだけど、相手は地球の侵略者なんだよ。こっちも普通のやり方じゃ対抗できない。ミカちゃん、相手を叩きのめすには、こちらも全力で立ち向かうべきなのよ。そんな事じゃ、地球を守る事はできないよ?」

 那月は本をぱたっと閉じ、不満げに眉間にしわを寄せる。

「だってさ、あいつらと同じ事やってどうすんの? 威圧してきた相手に対して、同レベルの力で対抗しようとして。あんた、悪魔と戦ってるうちに悪魔になっちゃったみたい。うちらがどんだけあんたの事で心配してるか分かってる?」

 ミカと亮は那月の行動に不安を抱いていた。

「情けないな! 一度は地球を救ったミカちゃんなのに、そんな弱気な事を言うなんて。私は違う。私は天文台でこの宇宙の全存在に懇願された時から、自分の使命を悟ったの。敵が恐ろしい存在だって事は分かってる。でも、私が戦わなくてはいけないって事。こんな程度では手緩い。私はもっと強くなって、あいつを倒すの。見てて、ミカちゃん。私は絶対あいつを倒してみせる」

 那月は睨むように微笑んだ。那月はどうしてこんなにオカシクなってしまったんだろう。那月の伊東アイに対する対抗心、攻撃性はほとんどビョーキである。那月を止めないといけない。だが、もう身体が言う事を聞かない。それどころか、これ以上那月に反論する気力もないのだが、言うしかあるまい――。

「那月、ちょっと黙ってあたしの話を聞いてよ。確かに那月の力は覚醒したよ。あの時、まるで天使みたいだった。だけど。あんたさ、気づいていないみたいだけど、あんたはもう……」

(堕天使なんだから)

 ミカはその言葉を結局発しなかった。

「ミカちゃん、影があれば、光は際立つでしょ。光は際立つのよ」

 そう言うと那月は軽く微笑んで黙った。その笑顔は澄んでおり、異様さはない。

「今夜、天文台でもう一度、亮と三人できちんと話し合いましょ。ねぇ、那月……那月……」

 那月は寝ている。タヌキ寝入りではなく、話の途中に、本当に寝ていた。もしかすると今日までずっと寝ていなかったのかもしれない。ミカは起こさなかった。

 放課後、ミカは天文台に行くことを躊躇した。前の方に、那月の後姿が見えた。だが、那月は天文台ではなく、薔薇園の中に入っていった。どこへ行くつもりだろう。ミカは那月を追い、迷宮の中で見失った。ミカは天文台には行かず、帰宅することにした。昼間、はっきり言ってやれば、那月を救えるチャンスだったかもしれない。薄暗い、あたりの景色が青く沈んでいくプルキニエ現象の中、ミカはうずくまる。ミカは心の中で、亮から受けた愛の数を数えた。ミカは、空を見上げ、薄気味悪く月を見る。すると、月に輪が掛かっていて、心が和むのだった。

 ミカは家に帰って、料理の練習をした。今頃那月は、自作のサンドイッチを亮に食べさせているのだろう。料理の得意な那月に負けたくない。だけど、できた料理は失敗で、とても食えたもんではない。


 翌朝、那月と伊東アイが二分して支配する学園に登校するのは全く気が重い。ミカと亮は学内で孤立していた。那月の友人だが、親衛隊たちのように盲従しているわけではないので、妙に浮き上がってしまう。それでもう一方の勢力は伊東アイの生徒会派なのだから行き場がない。校内のいたるところで、目の下にクマのあるゾンビのような顔つきの親衛隊と、そこまで人間性を失っている訳ではないがアイに対する異様な忠誠心に凝り固まった憲兵のような生徒会と支持者たちが溢れている。

「ミカちゃんホント、つらそう。見ててかわいそう。でもあたし、どうやったらミカちゃんを助けられるの? やっぱりミカちゃんが自分で変わろうとしない限り、楽にならないよ。片意地張らないで、楽になっちゃいなよ。そうしないと、いつまでも辛いよ」

 ミカは汗をにじませ、那月から視線をそらせない。

「あのさ、大学に薔薇園があるでしょ。あの青い薔薇が増えているの知ってると思うけど、最近、なんだか赤い薔薇がムカつくのよね。ていうか、あってもいいんだけど、青い薔薇が増えるの邪魔しないでほしいのよね、……こんなこと言うあたしって、変?」

 シャツから下着が透けるくらいミカは汗が流れている。ミカはもう、何も言うことができない。ミカは身動きとれずにいると、顔をあげる間もなく鼻血が流れた。那月がハッとした顔でミカの顔を見ている。

 教室に親衛隊の一人がやってきて那月に耳打ちした。彼らは決まって顔色が悪く、目の下にクマがある。それに腕に腕章しているので親衛隊とすぐ分かる。

「何?」

 那月は親衛隊の男を一瞥した。那月の冷たい表情は、親衛隊を目下の者として、完全に見下している事を伺わせた。那月は話を聞くと、スッと立ち上がった。

「チッ。あいつが戻って来たようね。ミカちゃん、報告を楽しみにしていてね!」

 那月はうって変わって微笑んで、ガッと立ち上がった。きばって胸を張ったのでボタンが飛んだ。飛距離、五メートル。鼻血を抑え、汗をびっしょりかいて脱力しているミカを置いて教室を出ていく。伊東アイが学園に戻って来たらしい。那月は伊東アイと直接対決しようというのだ。学園内がにわかに色めき立った。

 廊下を歩きながら、鮎川那月は詩を口ずさむ――。


 時の輪は少年の剣

 次の輪は輪転聖王

 第三の輪は月を映し出す少女の鏡

 世界を救えるのは私だけ

 巨蟹学園ナンバー1

 世界を救う色は青色

 恋は水色

 赤い少年と青い自分は、いつか

 赤と青は出会って世界を救い

 二人を結ぶアストラル波の紫

 

 青いオーラを発光した那月は親衛隊の中核をゾロゾロ引き連れて、廊下で彼らを待たせると、ドアを開け、生徒会室に乗り込んだ。伊東アイはそこに待っていた。

 那月は、一人で座っている伊東アイに向かって先に口を開いた。

「どこに行っていたの? どうせ悪巧みでもしていたんでしょう。まぁ、どうでもいい事だけど。選挙の日が楽しみね。あなたと戦える事を光栄に思うわ!」

 那月は、相手がディモン・スターだと分かっていても、恐ろしい程自信に満ちあふれていた。那月はにらむように微笑むと、生徒会長をテレパシーで制圧することにした。そうしてこれまで数多くの反対グループの連中を制圧してきたのだ。二人のにらみ合いが続く。

「学校に来ない割に、アイドル伊東アイはメディアに出っぱなし。理事が校則を自分で違反している事について、直接説明を聞きたいわね」

「勤労の権利は憲法で保障されている。学生も例外ではない。ここで読みあげましょうか?」

「結構よ。だからこの学校の校則に書いてあるって言っているでしょ。あなたが理事の学校でよ。しかもここは私学。入学する時に生徒は校則を承知の上で入学しているのだから、守るのが当然のはずじゃない」

 那月は憲法の内容を熟知していたので、教えられなくてもアイが何を言いたいのか分かる。

「なら天文台の私的使用の禁止について、あなたも守るべきね」

「今はあなたの話をしているの! 理事で生徒会長のあなたが守らないなら、一体校則に何の意味があるっていうのよ? あたしも当然守らない」

「なら教えてあげましょう。自由意思で入学したからといって、何でもかんでも学校の裁量が許されている訳じゃない。人権は人権だから。当然、うちの学校も憲法を守った上で運営されている。私がアイドルをやる事について、理事会に許可をもらっている。ただし、条件を言われたわ。それは学業を怠らない事。私は完ぺきに学業をこなし、これからもそのレベルを落とすつもりもない。その上、生徒会長も続けている。今のところ、理事たちから問題視はされていない」

「くっ……」

 アイは模試では相変わらず全国一位だった。一方で那月はこのところ成績が振るわない。

「で、あなたは? 天文台で一体何をやっているか、当然理事会を通している訳ではないわね」

「何ですって、理事の特権? そんなの認められる訳が……」

「なら、あなたも理事会にかけ合ってみる? ま、私が理事である以上、不利だと思うけど」

「横暴ね……」

「人権といえば、この所のあなたのやり方はどうなのかしら。生徒会からは私に逐次報告が入っている。生徒達を扇動し、授業を妨害し、この間の救急車騒ぎでは、あなたに会った先生方が何人も倒れている。皆の生存権を脅かしているわね。生徒指導を統括する生徒会長として、決して看過できない事態だわ」

「私がやったっていう証拠があるとでも?」

「いいえ別に。ただ生徒会長として、これ以上学内を騒がせる事を、私は決して許さない」

 アイの両眼が煌めいた。那月は驚いた。アイは無言で立ち上がる。その両眼が黄金の光を放ったかと思うと、部屋中が太陽のように輝いた。

「ウウウ……」

 那月は両目を多い、自分に押し寄せてくる光を避けようとした。

「あああ!」

 猛烈な熱量と光の量が増していく。那月は、まるでアイという太陽に近づいて、墜落したイカロスのように身体が燃えて灰になる感覚に陥り、見えない恐怖にとらわれる。熱い……熱い……燃えてしまう。墜落しちゃう。那月は生徒会室を出た。よろよろと歩く那月は、親衛隊たちに「着いて来ないで!」と叫んだ。親衛隊たちはまるで言う通りに棒立ちして見送った。那月は校舎を出て、足をもつれさせながら、人の居ないところへ向かってドタバタ走った。心配して生徒会室前の廊下まで着いて来たミカは、那月の後を追った。

 那月は校庭で転んだ。

「那月! 大丈夫?」

 恐る恐る、ミカは駆け寄る。那月は、転んだ膝の傷を手で隠す。

「こ、こないで」

 那月はミカを決して近寄らせなかった。那月は、その自分だけが見ている傷口の青い血を、ミカに見せたくなかったのだ。

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