第17話 蓄光

 ますます暑さがお盛んなその夜、那月は当然のように伊東アイの忠告を無視して撮影を行った。研究室の中にキャンドルが持ち込まれ、部屋を薄暗くしてキャンドルを灯している。天文台は那月の私物と化した。那月は、すでに天文台の研究員も操り、自分の支持下にしたらしい。もっとも今は研究休みで、深夜には研究員は居なくなる。ミカは体調が優れない中、未だに参加し続けていた。青い薔薇は一層増え、ミカには不気味に感じられた。むろんUFOの写真を見る事はできないので、二人から少し離れた席に座って様子を見ている。目的はほとんど、那月が亮にちょっかいを出さないための監視である。

「あんたの支持者たちは、ここに来ないのね」

 ミカは皮肉交じりに言った。

「当然でしょ。何にも分かっちゃいない連中なんだから」

 那月はなんだか遊んでる感じに変わった。そして青汁よりも青い正体不明のジュースを飲み、シャドーボクシングをしている。

「ずいぶん冷たいじゃない。あんたをあれほど慕ってるのに」

「フン、何よ、あんなヤツら。ミカちゃんと原田クンは特別だよ」

 那月は親衛隊を軽蔑しているのは明らかだった。那月は、支持者の親衛隊達を、自分と同じ仲間だとは思っていないらしい。

「じゃあどうして呼び掛けたりするのよ」

「アイと戦うのに、力が必要だからだよ。騒々しいだけで、つまらない連中だけど、それも戦うために必要な事なの。つまり兵法よ」

 那月は親衛隊や支持者を一切天文台に近寄らせなかった。天文台は那月にとって、ミカと亮と自分の三人だけが入れる神聖な場所だった。つまり、天文台は地球を救う為の崇高な使命と能力を持った特別な者だけが入れる場所なのだ。那月に、明瞭な階級意識がある証拠だった。そのお陰で親衛隊達は、那月やミカ、亮の真の目的を知らない。

 那月の持っていた、ブルークリスタル、「月の石」は前見た時よりひと回り大きくなっている。それをことあるごとに二人に見せた。

「月の石は、望遠鏡で月の光のエネルギーを集めて育てる事ができるみたいなの。それだけじゃないわ。月の中でも、特定の場所に望遠鏡で焦点を合わせると、特にエネルギーが高いポイントがあって、それがこの石をもたらした古城だったって訳」

 那月は、この古城は四次元の物体ではないかと言った。ヱル・アメジストの画像解析能力によって、四次元の世界が浮かびあがったというのだ。巨蟹学園の天文台は、ディモン兵器だけが映るのではないらしい。当然、こんな物体は世界中のどの望遠鏡でも映らないはずだ。間違いなく、この巨蟹学園大学の天文台のコンピュータがヱルメタルだからこそ映った物体だ。那月はそこから膨大なエネルギーを感じるらしい。

「何故かな。なんでかな。私、この城を見ていると、なんだか懐かしい気がする」

 那月はじっと画像を眺めるとしんみりした顔で言った。那月は、結局、月の石を「ナツキナイト」と命名して落ち着いたらしい。それを、彼女の集会で那月は親衛隊たちに高々と掲げて見せるのだという。那月は、望遠鏡に設置されたナツキナイトを手に取った。ミカは、その瞬間那月の身体から強大なエネルギーが放射されるのを感じた。

「ナツキナイトのパワーが、私の中に入って来るのを感じる。そのお陰で、私は昨日よりも強い力を獲得したんだ。私、さらに新しい自分に生まれ変わろうとしている。とても嬉しい。だってこれでようやく、私も二人みたいになれたんだから。私の変化、分かるでしょ、ミカちゃんなら」

 一方のミカは、以前のようなパワーが今の自分にはない事を知っていた。反対に、那月はパワーアップし、今はミカよりも力があるかもしれない。ミカはどんどん自分が弱々しくなっていくのを感じる。問題は、那月の力がどちらに属するのかが分からない事だ。

那月は鏡を見ると、徐々に牙が伸びていることに気づいている。月の石・ナツキナイトをじっと見る。月の石で自らの力を活性化しているが、同時に月の石に囚われていくことでもあった。伊東アイの学校である巨蟹学園大学に天文台は最初から存在した。智恵の実は、最初からヱデンの園にあったのだ。月の石こそが、「智恵の実」である可能性について那月は気付いている。

 那月は、バッグからミルトンの「失楽園」の文庫を取り出して、一節を読み上げる。


「彼らは、ふりかえり、ほんの今先まで

 自分たち二人の幸福な住処の地であった

 楽園の東にあたるあたりをじっと見つめた。

 彼らの目からはおのずから涙があふれ落ちた。

 しかし、すぐにそれを拭った。

 世界が……そうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、

 今や彼らの眼前に広々と横たわっていた。

 そして、摂理が彼らの導き手であった。

 二人は手に手をとって、漂泊の足どりも

 緩やかに、ヱデンを通って二人だけの寂しい路を辿っていった」


 たとえヱデンを追放されたとしても、彼と一緒ならどこでもパラダイスに違いない。あの薔薇の迷宮の向こうの海岸の世界は、那月にとってのヱデンの東。原田亮と一緒ならきっと宇宙の果ての荒野でも生きていける。もはや、ナツキナイトを手放すことはできない。伊東アイは巧妙に、学園の中に智恵の実をしかけていた。それを手に取ってしまった愚かなるイブとは自分の事かもしれない。ならばアダムである原田亮と一緒に身を食べ、楽園を追放されたとして、一体自分に失うものが何かあるだろうか。こんな世界のことなんて、もともとどうでもよかったのだ。


「もしわれわれの悪から善をもたらすのが、彼の摂理だというのであれば、われわれは鋭意、その目的をかく乱し、絶えず善から悪を導き出す手段を見いだすよう、努力しなければならない。もしわたしが見込み違いをしていなければ、われわれの努力はしばしば成功し、おそらく彼の心を悲しませ、その奥深く秘められた意図を乱して、所期の目的から逸脱させることができるかもしれない」


 那月は、月からの闇のエネルギーが倍音(ハーモニクス)となって、光のエネルギーが地球に届いていることを発見した。それを増幅することで、世界を救いたかった。だが、伊東アイ、ディモンスターは巧妙に那月の計画を逆手にとって、闇に落そうとしたのだろう。天文台は彼女の手中にあり、蛇である伊東アイは、智恵の実を食べろとは勧めなかった。食べるな、とだけ言った。天文台を使用するなと警告を発しながら、結局手を出さない。そこに大切な何かがあることを那月ににおわせつつ、自分は強制的に何も行動しない。蛇は、果実を巧妙に那月に食べさせたということだろう。

 まさに巨蟹学園で起こっている事態は、その「帝国」の平行侵略の計画通りに他ならない。月からのダークフィールドが、那月自身を乗っ取ろうとしていた! その事を、鮎川那月自身気付いている。時々闇に囚われたままに行動を起こし、言葉を吐いてしまうことも承知していた。だが、それが人類の現状そに他ならない。自分という存在は、人類のシンボルなのだ。だが、しかし……。いいや違う! 親友、来栖ミカのことだけはどうでもよくない。この世界でそれだけが気がかりだ。ミカのためにこの新しいヱデンを見捨てることはできない。

「悪から善をもたらすのが、『彼』の摂理……」

 那月はかすれた声でそこで区切った。彼とは『神』。光の勢力。光の領域。ライトフィールドだ。ミルトン「失楽園」の物語は語っている。天界の大戦も、ヱデンの園の人間の堕落と追放も、その後の人類の苦境も、すべては「創造主」の掌の中の出来事にすぎない。

 那月は、今一度「悪から善をもたらす摂理」という言葉を繰り返す。帝国に対抗するため、那月はそれを成し遂げなければならなかった。

 那月は、携帯を取り出し、月の写真を撮った過去のファイルを見る。月の光と影の部分が太極図の形になっていた。写真をじっと見ている。ダークシップは、月面の光の部分にのみ観測される。光波を超えた波長を捉えるヱル・アメジストは、月の影の部分の映像も捉える事ができた。だが、なぜか月の影の部分にダークシップは存在しなかった。ダークシップは、光の面から黒いしみのように出現するのだ。それなら、今の自分は月の影の部分だろう。ならば、今度は自分が影の部分から光を放ってやる。この太極図の月のように。那月はこの写真が撮れたことを啓示と受け止めているのだった。

「どんな闇の中にもそこには必ず光の点がある。完全な闇なんて存在しない。九十九パーセント負けても、その残りの一パーセントで逆転できる! ミカちゃん見てて。あたし、それを絶対証明してみせる」

 那月は最後のカケを信じる。どん詰まりからの逆転という、最後の希望に駆ける人類の道を。逆転の道はある。それこそが人類の底力であり、そして同時に最後の希望なのだ。最後の危険なカケ。だがその道は、確かに存在するはずだ。悪から善をもたらすのが、『摂理』なのである。この失敗の原因はもともと自分にあった。そのことを重々承知している。こうなってしまった以上、まさにそこからの逆説的飛翔を、鮎川那月は計画していたのだ――。


 参考:「失楽園」(岩波文庫)著・ジョン・ミルトン 訳・平井 正穂

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