第19話 I Need YOU

 鮎川那月は昼間、今まで以上に元気なく、勉強もまるでやる気を失って授業中完全に寝ている。那月はあの異様なオーラを失った。明らかに伊東アイと対決し、アイとのテレパシー戦に敗退して以来だった。もっとも、教師も注意しない。教師も生徒も、巨蟹学園高校全体がやる気を失ってしまったように、外見上の静けさを取り戻した。まだ元気なのは、那月の攻撃を受けていない教師たちとアイの生徒会、アイ派の中核的なシンパ達だけだ。あの時以来、那月の親衛隊の校内での権勢は失せた。というのも、那月の親衛隊のメンバーたちが全く学校に来なくなってしまったことも理由にある。それにしても、ミカは、あまりに那月が日中学校で元気がないので不審に思い始めた。

(那月は、もしかして未だに、一晩中起きてるんじゃないかしら)

 夜、ミカは久々に天文台の撮影に参加した。UFOの撮影は一時間ほどで終了となり、解散になった後、天文台を出ていく那月の後をミカは着けた。那月は天文台から、高校へ逆戻りしていき、体育館に入っていった。体育館には灯が着いている。中を覗くと那月の親衛隊が五百人くらい、ぎっしりと集結していた。時間はもうすぐ午前二時になろうとしている。

(毎晩こんなところに集まってたのね。一体真夜中に何をしてんだろ?)

 ミカが見ていると、男達は那月を取り囲んで騒いでいる。


 那月! 那月! 那月! 那月! 那月!


 親衛隊たちは右手を振り上げ、那月コールを繰り返す。縁台に立った那月は例のナツキナイトを右手に持って掲げている。

「私、うかつだった! 昼間、太陽のせいで私の力が弱まってるのをいい事に、伊東アイが私を狙っていたことに気が着かなかった。まんまと罠にハマってしまった私は全く愚かだった。昼の学校はもう完全に伊東アイに支配されている。敵の力は強力で恐ろしく、私はもう昼間、伊東アイに立ち向かう事ができない。あなたたちも、戦えば必ずやられてしまう。もう昼間の学園に私たちの自由は存在しない。もはや、私たちは夜に追われ、ここに集結するしかなくなってしまった。でも、月の下にこそ自由はある。私たちは今日まで、いつもここに集まってきた。昼間の学校を追われても、これまで通り私たちには夜がある! 夜の学園に最後の自由がある。月のパワーをもとに、私は、夜の生徒会長になると宣言する。今宵……ここを、『夜の生徒会』と呼ぶことにする!」

 ドラムスがバックでリズムを取る中、演説している那月の視線は宙を舞い、芝居が掛かっていてミカにはちょっとおかしい。

「今夜の月は最高ぉ――!」

 と叫ぶと、バンドの音楽が本格的に始まって、那月は奇妙なダンスを始めた。彼女の長い手足を振り回し、驚くほどのびのびと踊っている。かなりやり込んでいなければここまで踊れない。

 今晩だけではなく、最近の那月は毎晩ずっとここで何かしていたに違いない。那月は、昼の伊東アイ会長に代わって、夜の学校で女王になろうとでもいうのだろう。ミカは、この那月の夜の生徒会の連中を観察し、今夜こそエネルギーの正体を見極めてやろうと思った。体調は万全には程遠いが、自分を護るために身体にガードを張り巡らす。が、さらにその後始まったランチキ騒ぎのお陰で、ミカは絶不調になった。

「もっと月のパワーを貯えなくちゃ、伊東アイに勝てない。皆のパワーをわたしに分けて!」

 那月が叫ぶと、親衛隊たちのバンドと共に踊っていた那月は唄い出し、彼らは一斉に拳を振り上げ、踊り出す。夜の生徒会のイベント「那月ナイト」が始まった、らしい。那月が縁台で唄い、ファナティックに踊る姿を親衛隊が下から見上げ、熱狂的にオタ芸を踊っていた。普段ゾンビのような親衛隊たちだが、コンサートになると異様にテンションが高い。夜の体育館に爆音が鳴り響く。那月は、ナツキナイトを右手に掲げ続けて踊っている。そして彼らの掛けあいの声は完ぺきにユニゾンしている。この統率力、見事だ。異様な熱気に包まれた体育館の中で、ミカが見ていると、男達から黒いエネルギーが立ち上り、那月の手に持っているナツキナイトに集まっていく。石はどんどん青色に輝く。石から、今度は那月の眉間に向かって、青いエネルギーが吸い込まれていった。すると那月の全身から巨大なオーラが立ち上るのだ。

 もう間違いない。那月はダークフィールドに取り付かれている。那月は毎晩、親衛隊たちのダークフィールドを浴びてパワーアップしているのだ。きっと、そうして朝まで体育館で過ごしているんだ。それが那月の超能力の源になっている。そーだこれは、サイキック吸血鬼! つい最近始まったことじゃない。それが近頃ミカが体調を崩していた原因だ。以前からやっていたことなんじゃないか! 親衛隊とは、那月の「食事」だ。食物となった彼らは操られ、熱狂的になる。そしてそれが、那月が短期間で学園内に、勢力を急速に拡大できた理由だ。

 那月は、伊東アイと力で対抗するために、手を組んではいけない相手と手を組んだ。それが月のディモン。もともと、この時空では偽の月である、あの月から光の成分をより分けるという難易度の高い作業を、もしかするとヱルセレンと原田カグヤはやったのかもしれないが、安易に那月が真似してできることではなかったのだ。那月はその領域に足を踏み入れて、案の定、月からのダークフィールドを増幅した。特にナツキナイトを手に入れてからは、もはや那月自身がダークフィールドの操り人形となって、抜け出せなくなってしまっている。伊東アイに対抗したいという彼女の意思は、ミカの予想をも超えていた。いや那月自身にも、だったかもしれない。その怒りと憎しみが、那月自身の足かせとなって、彼女の他人を思いやる気持ちや優しさよりも、自己顕示のための力となって、闇を招き寄せてしまったのだ。

 ミカは責任を感じている。那月を巻き込んだのはミカだった。ミカよりはるかに責任感の強い那月は、ミカから聞いた話を我がことのように一身に背負って、限界のある学生の身分ながらその優秀さを発揮した。誰が那月を責められるだろう。

 ミカは、一刻も早く那月を止めなくちゃと思いつつ、その場に足を踏み込むことすらできなかった。那月一人だけじゃなく、エネルギーはその場の五百人の集合想念で強大化している。身体に張ったガードだけでは防ぎ切れない。逆に、強力なダークフィールドから自分の身を守るために逃げ出すので精一杯だった。


 夜明け前、夜の生徒会が解散になって、那月は一人になると、朝日の方向にある薔薇園に向かった。那月は泣きながらダッシュしていた。青い薔薇が一層増えている迷宮を抜けると、砂浜に到達した。那月は、泣きながら、自分と原田亮が戯れる海岸を見続けている。

「もうどうすればいいのか分からない……」


 生徒会長選挙を翌日に控えた日、ミカは学校を休むより術がなかった。昨夜体育館で浴びたダークフィールドのお陰で身体が全く動かない。結局、ミカは夜になるまでベッドに寝ていた。無論テレビも見たくないので、一日中何もしなかった。孤独が耐えられない程辛い。那月の事を、亮に話さなければならなかったが、事が重大なので電話ではなくて、直接会って話さなくちゃと思い、今日は結局何もしていない。しかし夜になったら、それ以上寝ているわけにはいかない。大学へと向かわなければならなかった。那月を止めるために。

 ミカがベッドで寝ていると、那月から電話があった。

「ミカちゃん、学校休んでいるし、体調悪いんでしょう。いいよ、今日は天文台に来なくて。ずっと休んでて」

「でも……」

 あんたの事が心配なのよ。

「月の撮影、休みましょ。今日は私も天文台に行かないから。明日は大事な選挙の日だし」

「そう……。うん。分かった」

 確かに、UFOの写真をチラリとでも見れば倒れそうな感じだったし、那月と対決する力がない。那月の言う通り、寝ている他はなかった。

 しかしミカはベッドで寝ているうちに、那月と亮の事への心配が膨らんでいった。那月は休むと言っていたが、その実、亮と会うのではないかという気がする。もし二人きりにしてしまったら――。不安が過る。ミカは深夜になってようやくベッドから起き上がった。ミカは重い体を引きずって、よろよろ大学へと向かった。

 ミカは一時二十分過ぎに大学へ到着した。世界はまるでダークフィールドに包まれたように暗かった。大学の研究棟は、どこも不夜城のように明かりが点いているが、人気がなく、今日は中世の都市の廃墟の中を歩いている錯覚に陥る。ミカはドームを回って研究室の窓まで歩いた。部屋の灯が漏れている。中を覗き込むと、那月と亮が向かい合って座っていた。やっぱり那月はミカに内緒で亮と会っていたのだ。那月は、ミカを亮から引き離し、二人きりになっていた。耳をそばだてると、かすかに亮と那月の声が聞こえてくる。

「選挙であいつに勝ったとしても、それでディモン・スターを倒せる訳じゃない」

 亮がたしなむような声が聞こえてくる。

「そんなの分かってる。選挙なんかじゃ、彼女を倒せないってわたしが一番自覚してる。だから私は、ずっとUFOの写真を撮り続けて、解決の糸口を探ってた。結局、頼りになるのは、この天文台のヱル・アメジストだけ。ここを邪魔されないためなのよ。そして私がUFOの写真撮り続けているのは、もう一つ理由があるんだよ。それはね、原田クンと一緒に居れるから-------。だからアイさんが、邪魔しに来ても私、楽しいの」

 那月は思い詰めた表情で亮に言うのだった。

「世界をもう一度生まれ変わらせる為には、この天文台のヱル・アメジストで、原田クンが力を持つ女の子とキスをしなければならない」

 那月はプログラムを作動した。巨大なショートケーキ様のコンピュータは、アメジスト色に輝いてゆく。

「ねぇ最近、ミカちゃん体調悪いけど、わたし、もうミカちゃん駄目じゃないかと思う。もしこのままミカちゃんギブアップしたら、原田クン、私じゃ、ミカちゃんの代わりになれないかな。私じゃ、役不足?」

 那月はじっと亮の目を見て言った。

「私、今、ミカちゃんよりずっとパワーが高まっているわ。パワーの高まった私が、原田クンとキスをすれば、私は、原田クンと共に世界を変える事ができると思う。私はずっとそうしたかった」

 那月は、ミカを亮から離して、亮と二人きりになると、コンピュータを稼動し、亮に迫ったのだ。一世一代の覚悟で! 誠心誠意だった。那月は、懸命だった。ミカは罠に嵌められたと気づいた。ミカは那月の真意を、何もかも、はっきり影で聞いてしまった。ミカは亮とヱンゲージした時のエクスタシーを思い出していた。それを実行に移そうとする那月に、嫉妬で頭と体がどうかなりそうだ。だが、それだけではなく、今やダークフィールドにすっかり侵食された鮎川那月が原田亮とヱンゲージすれば、二人とも危険なばかりか、何が起こるか分からない。何としても那月を止めなくてはいけない。しかし、ミカは天文台に飛び込みたい気持ちをグッと抑えて、話の続きを聞く。亮がなんと応えるかが気になったからだった。

「原田クンは、ミカちゃんの事本当はどう思ってるの。好きなの?」

 亮はじっと黙っている。

「私もう、自分の感情を押さえ切れなくて……」

 那月は突然泣き出した。

「前から、原田クンの事が好きだった」

 ミカはキッとなった。

「ずっと、ずっと前から好きだった」

 思い詰めた顔の那月がそこに居た。

 しかし亮は容易には答えない。

「ごめん。――こんな事を言うつもりじゃなかった。あたし、今までできる限りのことをやってきた。今、世界を救えるのは自分しかいないとおもったから。うまくいくはずだった。でも、もう限界で……。原田クンの事好きだったけど、ミカちゃんを傷つけたくなかったし喧嘩したくなかった。だから、研究して自分一人の力で原田クンのお母さんみたいな力をつけて、一人で宇宙を創造しようと思ったんだよ。でもわたしは力をつける途中に、どっかで手奥れなところに来てるって分かってた。それでもあたし、何とかしようと思った。九十九パーセントの平行宇宙を滅ぼした敵には勝てない。けど、月が闇の中に輝くのは、月の存在の本質を表している、そう思ったことない? 月から学んだことだけど、光と闇のせめぎ合いの中で、わたしは自分自身の光を勝たせようとした。わたしは、あの優雅な月みたいになりたかった。だけど、あたしは自分を過信してた。あたしは原田カグヤさんじゃなかった。あたしは闇を乗り越えるつもりだったけど、乗り越えられなかったの」

 ミカは驚いた。那月はダークフィールドにまみれているのを自覚していたのだ。それだけでなく、かすかに感じられる。未だ光の部分を保っていることが。

「生徒会長と対決した時、あたしは怒りの感情に翻弄されて、つい持っていた光の一点を手放してしまった。気がつけば、どんどん闇のエネルギーがあたしを侵食していった。あたしの手は闇にまみれている。だけど、だけどさ、今あたしが闇の極致に居るってことはね、三日月みたいに弓をぎゅーっと闇の方へ強く引いた状態なんだよ。それを手放した時には、今度は矢は物凄いスピードで、遥か遠くの正反対のベクトルへ、つまり光の方向へ向かって飛んでいくんだよ。あたしは手放す決心をした。バネになって飛びあがろうと。闇の中でどんなに苦しくても、辛くても、バネになろうと……」

 涙があふれて、いったん言葉を区切る。

「あたしに残されたことは、たった一つしかない。原田クンにすがることだよ。原田クンとエンゲージし、新たな宇宙を切り開くこと。もうミカちゃんにかまっていられない。いつまでこうして、自分を保てるか分からないんだから。あたしには時間がない」

 那月の涙声の後、沈黙が続く。ミカも、声を殺して泣いていた。

「私みたいなタイプ、嫌いかな。私じゃダメかな-----私、原田クンの為に一生懸命綺麗になって、それで原田クンの役に立ってって-----、そう思って頑張った。原田クンが天文部に来た時、一生に一度のチャンスだと思った。恋人なんかずっといなかったけど、恋愛に興味がなかったからじゃない。私は他の人みたいに、誰でもいい訳じゃない。私は本当に好きな人を探してた。私、原田クンしか考えられない」

 大粒の涙をこぼした那月は椅子を倒して立ち上がった。

「ミカちゃんとキスして世界が生まれ変わったんでしょ? もしかしたら、原田クンの事好きになる女の子には、もともと力があるのかも。だったら-----私、------私もやってみたい!」

 那月が亮の両肩を掴んで立っている。しかし、決して自慢のテレパシー催眠を使おうとはしない。それは那月のプライドがゆえであった。

 那月は、ついに亮に迫った。ぐずぐずしていると、世界はアイの手に落ちて、滅んでしまう。亮にはミカを諦めて欲しかった。

「わたしとヱンゲージをして欲しい」

 那月があんな恐ろしいディモン・スターの女に対抗したのも、すべては亮のためだった。

「ヱンゲージってさ、つまり結婚でしょ。だから、原田クン、あの-------あたしと結婚してくれないかな! ヱル・アメジストの準備は今、整っている。今ここで結婚してよ。ミカちゃんとヱンゲージして、その結果、世界は失敗しちゃったんでしょ。だったらあたしと結婚しよう。ね? そうしよう……」

 亮は圧倒されたまま、黙っている。

「原田くん、あたしネ、ここで、この前この世界の全ての生命の声を聞いたんだよ。応援してた。みんな応援してくれたんだよ。ほ、本当だよ?! 全存在の存亡が今、あたしたちに掛かってるんだよ!」

 那月はとうとう亮に抱きつく。

「こうなりたかった。ずっと、こうしたかった----------」

 那月は弱っていくミカを見限り、ミカに代わって、亮とヱンゲージし、伊東アイだらけのこの世界を新しく生まれ変わらせようとしていた。すべては亮への愛のため。亮に全てを捧げる為に、那月は今までずっと行動していたのだ。

「ちょっと待ってくれ、俺は、君とはヱンゲージできない」

「ど、どうして?」

 亮は那月を引き離してゆっくりと立ち上がった。

「闇にまみれたままエンゲージしても、そうして生まれた宇宙には毒が廻って、すぐに崩壊してしまうに決まってる。その後、宇宙は混とんと破壊と……とにかく何が起こるか分からない。鮎川の言ってることは、あまりに危険だ」

「でもやってみないと――」

「俺は来栖じゃなきゃ駄目なんだ」

 那月はその言葉を聞いて、がっくりと落ち込む。

「俺という人間は、来栖と俺のエネルギーじゃないと、世界を変える事はできない。それは二つのヱルメタルで証明済みだ。誰もかれもじゃないんだ。そしてそれは、俺自身も確信している。はっきり言う。俺は君を選ばない」

 亮がそう言った途端、アメジスト色のコンピュータがパーッと明るく輝いた。部屋に宇宙が現れ、この時空の全ての存在が賞賛を送っているのが那月にも亮にも感じられる。それは、ミカと亮に対する祝福だった。決して那月に対してではなかった。それは外で聞いていたミカにも感じられた。那月にも嫌というのほどそれが分かり、たったひとり、自分だけが宇宙の中で取り残されたようにさえ感じた。時空の変容はすぐに元に戻った。それが、自分が信頼していたヱルアメジストの答え。

「俺は、何もできなかったことを後悔している。君たち二人を追い詰めた。そしてとくに鮎川、君を追い詰めたのはこの俺だ。許してくれ。俺はもう一度白羊市に行ってみるつもりだ。やはり、この状況、時空研じゃないと問題を解決できないと思う。時空研なら何か対抗策を知っているに違いない。地球が滅びる前に、一刻も早く時空研に知らせる必要がある」

「行ったって、米軍基地の廃墟があるだけなんでしょ、だったら-------」

 那月はわずかな可能性にすがりつく。

「あそこのどこかに、時空研と連絡を取る場所があるはずだ。きっと俺は最初に行った時、何かを見落としたに違いない。でも鮎川は動くな。闇にまみれたまま、行動すれば過ちが大きくなる。それに君は伊東アイに監視されている。俺も監視されているだろうが、別行動なら眩ませられるかもしれない。アイにこちらの動きを悟らせない為に。大丈夫。君の問題も必ず解決してみせる。君への解決策も、時空研の所長ならきっと知っているだろう。宝生晶は、そういう人だ。すぐ戻ってくる」

 亮は天文台を足早に立ち去った。ミカは隠れた。那月が悲しい表情で天文台からゆっくり出て来た。大輪の花のように凄まじいパワーとオーラを放っていた那月は、見るも哀れにしぼんでいた。出てきたところで那月とミカは鉢合わせした。那月は寂しそうに笑った。

「おめでとうミカちゃん、原田クンはミカちゃんを選んだよ。……私の事は追わないで。二度と会えなくなっても寂しがらないでね。もう忘れて。じゃあバイバイ。原田クンと二人で世界を救って。幸せになってね!」

 涙ぐんだ那月は青白い手でミカの両手を持って握手し、そして力なく離れると走っていった。那月はこの時空から逃げ出したかった。あの薔薇園の迷宮の向こう側、二人だけの海岸に。だけど真っ青な薔薇園の中を、いくら走ってもそこへたどり着けない。エル・アメジストがもう自分の言う事を聞かない。

 

 那月は足がもつれて前に進まない。倒れて隠れるようにうずくまり、泣いた。胸が張り裂けるほどの悲しみを押さえようともせず。那月は次第に苦しくなってきた。那月の中に、ダークフィールドが渦巻いていく。そして周囲に溢れ出す。その中で、自分を探すミカの気配を感じる。

「来ないで……ミカちゃん。今の私に近づかないでッ!」

 その声は、囁くようで、ミカには当然届かない。那月は一人で七転八倒しながら、ダークフィールドの渦に巻き込まれ、彼女の自我は闇の中に溺れていった。

 ミカは那月を探して薔薇園の中を走った。放っておく事など出来ない。最初、赤い薔薇の中にたった一つだけ咲いていた青い薔薇は、今や薔薇園の全てを覆い尽くしている。ミカは灯に照らされた青い薔薇園を呆然と見ていた。那月は一体どこに行ったのだろう?

 しかしミカはついに那月の後姿を見つけた。そこは薔薇園の中心の、噴水のある広場だ。

「来ないでよもぉ!」

 那月はもう、自分を侵食され自分でコントロールが効かない状態であると分かっていた。ミカに対する嫉妬、怒りが爆発した。

 振り向いた那月の形相は、すっかりさっきと様子が違う。

「那月……亮とヱンゲージしたかったんでしょ?」

「聞いてたのね。なら、分かったでしょう、わたしの気持ち。ミカちゃん。どちらか一方、生き残った方が原田クンと結ばれて、世界を救うのよ」

 那月が近づいてくる。那月の周囲に、青く、暗いオーラが立ち上がっていく。周囲の青い薔薇はそれに呼応するように舞い上がる。もういつもの那月ではない。完全に別人だ。恋に堕ちた女は、何をするか分からない。なぜここまでダークフィールドに侵されてしまったのか、なぜ、自分は親友を救えなかったのか。やっぱり今日自分が来たのは失敗だったか。亮を信頼して、那月のことを任せればよかったんじゃないか。だけどひょっとしてと思うと、信頼しきれなかった。ミカはここまで至った経緯を思い出しながら、自分の非力さが心底悲しかった。

「こんな事しなくない。こうなったのは、あたしのせいじゃない。でもあなたが居るから、原田クンはわたしに振り向いてくれない。あなたなんか、居なければよかった」

 那月の思念が、ミカの首を締め付ける。ミカは不意打ちを食らい、無防備のまま、ダークフィールドをストレートに受けた。機械に挟まれたような恐ろしい力がミカを絞め殺そうとする。那月の思念のエネルギーの暴風は、ミカを十メートル後ろに吹っ飛ばした。

「すっと待っていたんだよ。この時が来るのを。あなたなんかよりずっとずっと昔から……」

 那月が近づいてくる。ミカはうずくまり、咳き込む。

「そうだよ。昔からよ。何百年も、何千年も、いいえ、何万年も、何十万年年もだよ。遠い遠い、遥かな昔から。原田クンはあなたに渡さない」

 鮎川那月は何かに乗り移られたかのように言葉を吐き出し続ける。那月のミカを睨む怒りと憎しみの目は、ミカの初めて見るものだった。

「やめて……もうやめて那月……あたしこんな戦いしたくない!」

「嫌よ……消えてもらう。邪魔だからよ……地球のためなんだから!! そしてわたしと原田クンのためなのよ。あなたが居る限り、地球は救われない。わたしはあなたを倒して、原田クンと結ばれて、地球を救うわ! それしかないのよ……」

 那月の言葉は、ミカにショックを与えた。

「なんで、なんでなの。どうして……。敵は伊東アイでしょ。あたしたちが戦わなくちゃいけない理由なんてどこにもないはずだよ」

「あなたがだらしないからいけないのよ!」

 那月が叫ぶとともにいつしか空を覆っていた黒雲から土砂降りの雨が降ってくる。

 那月から真っ黒なダークフィールドが発せられていた。認めたくない、けど那月はもう以前の那月じゃない。那月は確かにもう取り返しの着かない所へ来てしまった。完全に暗い、ダークフィールドの渦の中へ堕ちてしまった。那月はディモン・スターとなり、ミカを殺そうとしていた。もう那月ではない。亮や晶から聞かされていたが、実際に見るのは初めてだった、悪魔って居るんだ。

 えーとそれが、そ……。

 それが、目の前の那月。

 仕方なくミカは戦闘モードに自分のスイッチを入れた。那月と戦いたくなかった。だが、それ以上に、互角で戦えるかどうか分からないくらい、相手のエネルギーが強く、自分の身を守れるのかどうか分からない。肉体と精神のバランスが崩れているミカが、那月のパワーを凌駕する事はない。ミカも、決して自分の中に芽生えた力が、弱々しいとは思ってない。それだったら、きっとヴァージン・ヱンゲージに耐えられなかっただろう。たとえそれが、こんな世界を生み出してしまい、不完全なものだったとしても-------。しかしミカは、もう力を正しく発揮できなくなっていた。いつの間にか、黒い船の力を変換したという那月のパワーは、ミカの能力を超えていた。ミカは何度も何度もフッ飛ばされながら、親友に殺される瞬間が近づいていると分かっていた。

「悪く思わないでね。ミカちゃん。死んで」

 ミカの戦闘モードを超える那月のダークフィールドの念力が襲い掛かってきた。ミカの防御は敗れ去った。那月に殺されたくない。那月は距離を保ったまま、ミカを空中に浮かび上がらせ、全力の念力で首をしめる。死にたくない。それも、那月に殺されるなんて。みじめみじめみじめ……どこまでもみじめ!!

 地味だったけど、優等生で誰からも好かれ、優しかった那月。ミカの脳裏に、那月と一緒にカラオケ店で唱った想い出が浮かぶ。那月と、一緒に夕日を見て感動した。夢を語った。それなのに殺しあわなきゃいけないなんて。こんなの嫌だ! ミカは意識が遠のいていく。ミカの顔はどんどん蒼白になっていく。

 那月は、ミカの命を奪う最後になって、一瞬ためらった。

 そこへ、二人に近づく者がいた。いつの間にか現れたのは金色の光を放った生徒会長の伊東アイだった。那月は驚き、その瞬間、ミカは那月の念力から解放された。

 伊東アイ。月のエネルギーを受けた那月に対して、黄金の太陽を背にした女。

 黒雲に真っ赤な稲妻が空を駆け巡る。嵐と共に、雲の中からあの黒い巨人が降りて来た。青い薔薇の花びらが舞い上がる。黒い巨人は右手に持った槍を、天文台に向けた。西新宿で都庁に向けたように。天文台は青白く光り輝いた。セント・エルモの炎の輝きで。

 金色に輝く伊東アイの金色の輝きの中に、那月は立ち向かう。那月は、アイの両目を見ないようにと、アイの眉間を見ていた。ところがアイの眉間から衝撃的なフラッシュライトのような白光が発せられた。那月は白い光に絶叫しながら吹っ飛ばされた。青い薔薇の花びらの嵐が巻き起こった。

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