第15話 サイレント・ストリーム

 放課後の夜、ミカは体調が戻らないまま、青い顔をしたまま足を引きずって天文台へ歩いていく。アメジストに輝く天文台のドームは、那月の言う通り二十四時間活動を続けている。夜の闇は予想以上に漆黒で、ミカは子供の頃の闇に対する恐怖を思い出す。なんでこんなにざわざわするんだろ。おそらく、ミカの体調が悪い事も関係している。

 ミカがこれ以上UFOの撮影に参加する事は危険だった。那月のライフ・フィールド・システムが、ミカにはあまり効果がない事はすでに体感している。また写真を見たら、おそらく確実に鼻血を出して気絶するだろう。それでも気になるので、ミカは身体のだるさと格闘しながら、待ち合わせ場所に行った。

 待ち合わせ場所の薔薇園に、まだ亮も那月も来ていない。ミカは、腕を組んで増えていく一方の青い薔薇をじっと見ている。後ろから膝カックンをやられた。ずっこけそうになったミカはくるっと振り返る。

 後ろに、那月が立っていた。パッツンパッツンの、身体に密着したノースリーブの、高い襟の着いた黒いシャツを着ている。胸元のチャックが下げられ、大きくバストが開き、身体にぴったりフィットした服。白いミニスカートから今迄出した事もないくらい足がのびて、白いヒールの高いショートブーツに達している。制服でもミニスカートにした事がない。結果一番目に着くのが、胸の谷間。今度は完全に九十九センチのIカップのバストを隠していないどころか、見せつけている、とか見えない。上半球が丸見え状態だった。遂にその確信犯めいた魔力に気づいてしまったように、逆に強調していた。だから、ミカは目のやり場に困った。まるで、巨乳のレースクイーン? 女王様? その迫力にはクラクラする程圧倒される。ミカは百六十二センチ、那月は百六十四センチ、おまけにヒールなので、那月はミカを見下ろしている。

 ミカは、呆れながらも黙っていた。ちょっとでも屈めば、ほとんど丸見えである。果してこれが同じ人物だろうかと、ミカは気後れしつつ、那月と向き合った。

「夜でも毎日暑いね! ミカちゃん」

「そりゃ暑いけどさ、あんた、その素頓狂な格好一体……どうかしちゃったの?」

「大学生に見える為に、もっと努力してみたんだけど、どう?」

 大学生に見えるかといえば、そもそもここまでギャル度の高い学生は理工系の巨蟹学園大学では見かけないので、逆に浮き上がって見えてしまう。この大学は地味な格好をした男女しか歩いていない。

「み、見えるけどさ、胸も見え過ぎでしょ!」

 バストが目について仕方ないチャックの下がったシャツは、Bカップのミカにはうらやましすぎる那月の魅力に、那月自身が自覚している証拠だった。

 ミカは薔薇園を見渡した。気づいたら、青い薔薇は全体の三割近くにも増えていた。

「どうして短い間に青い薔薇がこんなに……」

 ミカは不安げに薔薇園を見ている。鈴虫の鳴き声が静かに響いている。

「突然変異を起こしたんだよ。おそらく最初の一つがトリガーになって、連鎖反応を起こしてね。そして一定の数を超えると、臨界点を突破した。本当に素敵! 凄くきれいよね」

「でも、なんだか気味が悪い」

「えっ、そんな事ないよ。何でそんな事を言うの? びっくりする。こんなに美しいものが世界に他にある?」

「だって、急にこんなに増えるなんて」

「きっと必然なんだよ。心配しなくてもいい事が起こる予兆だよ」

 那月は青い薔薇が増えることにうっとりとしている。

「ミカちゃんはおうちで休んでていいんだよ……。昼間も体調悪かったし」

 モシカシテ迷惑?、とでも言いたいのかとミカは疑心暗鬼になる。

「う、ううん全然平気」

 ミカは強情に参加すると言い張った。ミカには、那月と亮を二人っきりにさせたくないという気持ちが急激に沸き起こった。

「でも顔色凄く悪いよ? よかったら私と原田クンでやるよ。ミカちゃんはゆっくり家で寝てなよ」

 案の定、那月は休む事を強く勧めてくる。

 確かに、UFOの写真をチラリとでも見ればぶっ倒れそうな感じなのは事実だった。

「だからホントに大丈夫たってば……そんな事より、あんたの格好、何とかならないの? 幾ら大学生に見えるためだっていってもやりすぎだよ」

 女は魔性だというが、こんな那月を見るのは正直ミカにとってショックだ。今迄、ミカが那月に抱いていた「どうして自分の魅力に気が着かないんだろ」という苛立ちが、いざ変身した彼女を目の前にした時、ショックと焦りに変わっている。以前は確かに変わって欲しいと思っていたが、ここまで変わって欲しいとは思ってなかった。那月は大人びた雰囲気を漂わせている。ミカより二センチ背が高い事も、胸が大きい事も、冷静で適格な判断をする知性も、ミカのコンプレックスをますます募らせる。そして那月は今、亮と自分にもないような天使としての力を覚醒させて、世界救済の問題に取り組んでいる。鮎川那月は輝きを放ち、そのオーラが周囲を明るくしているような錯覚をミカに起こさせた。眩しい-----たいていの男なら一発でノックアウトされるような美女に変身した那月。

「おかしい? おかしくなんかないでしょうミカちゃん」

「おかしいわよ! だって今まであんたそんな格好した事なかったじゃん!」

 体調が悪くて、言葉に余裕がない。三人でUFOの写真を撮り始めてから、ミカは低調に、那月は逆に快活になっていくようだ。そして那月は夜の方が生き生きとしている。

「ミカちゃん、十七歳って女の子にとって、人生でとっても大切な時期だって言ったの覚えてるかな。あたし、今迄ずっとミカちゃんに憧れてた。美少女の天才って言われてたし、よくスカウトされるし、アイドルなんかにすぐなれるようなミカちゃんみたいに、かわいくなれたらいいなぁって思って、いつも気後れしてたんだ。……でも、最近気づいたの。あたしはあたしだって事に。今迄自分が抱えてた肉体的コンプレックス、性格のコンプレックスも、そんなの、全部間違いだったんだって。そんな悩みはゴミ箱に捨てちゃえばいいって。あたしは、自分自身の本当の姿に目覚めたんだ------。あたしの身体は、コンプレックスじゃない、逆に、自信持つ為に生まれてきたんだって。今では生まれついての自分の個性だから気に入ってる。今迄ずっと気が着かなくて、勘違いしてて-------自分をさげずんでたのかもしれない。でもそんなんじゃいけない。……そうよねミカちゃん。世界が生まれ変わったんだから、私も生まれ変わらなくちゃいけないんだよ」

「那月好きなの? 亮の事」

 聞きたくなかったが、ミカは思い切って聞いた。

「うん。そうかも。気付いてた?」

「だって分かりやすいし」

「ミカちゃんも原田クンの事好きなんでしょ」

「えっ? う、うん」

「わたしだって分かるよ。でもミカちゃん、いつまでも原田クンが好きで居てくれるとは限らないかもね」

「那月……何言って」

 ライバル宣言! 那月は恐ろしく自信に満ちた表情に見えた。那月には勝算があるというのか?! こんな展開全然予想していなかった。コトモアロウニ超奥手で温厚だった親友から、恋の挑戦状を叩き付けられるとは……残酷な話ではないか。

 那月はちらちらとミカの身体を見て言う。

「ミカちゃんももうちょっと頑張って育んだ方がいいよね。あ、そーだぁ! 納豆とか豆腐をいっぱい食べなよ。大豆のイソフラボンが女性ホルモンと似た働きをするんだよ。もっともあたしは、こないだ納豆三日連続で食べたら逆にブラがきつくてきつくて大変だったけど」

 フン、どうせ私は幼児体型よ。

 嫌な沈黙が流れる。こんなムカつく女じゃなかった。てゆーか、別人。

 遅れてきた亮が、背を丸めて体調の悪そうなミカを一目して、心配して言った。

「来栖。とても立ってられる状態じゃないじゃないか! 無理して参加しない方がいい、UFOの写真はしばらく見ない方がいい」

「いやよ! 私絶対やる。私だって、侵略者がどうなったのか知りたいんだから。--------地球がどうなるか分からないって時なのよ。敵だって出現して学校やそこいらをうろついてんだし」

 もし那月が亮の好みで、亮が巨乳好きだったりしたら、ミカには全く勝ち目がない。那月の方が大人びて見える。それを知るのが怖かった。何としても、那月と亮を二人きりにする訳にいかなかったのである。

 改造されたプログラムで月のダークフィールドを消去した写真を見て、亮は昨日よりずっとダークフィールドを感じなくなったと言った。だが、ミカはそれを見て相変わらず吐き気を覚える。しかし、那月に悪いと思ったし悟られたくないと思って、黙っていた。

 那月は、カバンの中から大切そうに青い半透明の結晶を取り出す。結晶から、スイカのような香りが漂ってきた。

「この結晶、昨日、二人が帰った後、月の古城を観察した時に突然出現したの。わたし、ブルークリスタルって呼んでる。きっと月から現れたエネルギーで生まれたんだと思う。昨日は、この石に月のエネルギーを蓄積してたのよ。これを使えば、もっと二人のエネルギーを増幅できるかもしれないよ! もちろんわたしのも」

 那月は熱弁を振るった。ミカが驚いていると那月は微笑んで、望遠鏡から出現したという青白く輝く結晶を掌の上に乗せて、色々な角度から眺めている。

「変な事言うみたいだけど、私はこれ月から来たものだと思ってるのよね。たぶん、月の石なのよ。月そのもののパワーが凝縮されたように感じる。この結晶をコンピュータで分析すると、物凄いエネルギーが検知されるんだよ」

 ミカは、その青白い結晶を長く眺める事ができなかった。確かに強烈なパワーを感じる。だがそれは、吸い込まれそうな一種のブラックホールのような力だった。この石の持つエネルギーがネガティブなものなのか、それともポジティブな方向性なのかはっきりしない。

 那月は望遠鏡に「月の石」を置き、月のエネルギーを集め始める。

「わたし、ヱル・アメジストを使って、月の石でもっと自分の能力を高められると思ってるの。敵の伊東アイと同じくらい高めてやるんだ。この石とヱル・アメジストが、わたしを根本的に生まれ変わらせてくれるような気がする。なんて素晴らしいのかな、世界って。ヱル・アメジストになら、それは可能なの。これは所長か、わたしでなければ使いこなせない。おそらく、伊東アイにも使いこなせない。わたし、このコンピュータの事絶対的に信頼してんのよね。そしてこれを使えば、きっと、アイにも勝てるんだ」

 やばくない? ミカには那月の言っている何もかもが不安だった。

「本当にそんな事して、大丈夫なの?」

 本当にこれが親友の那月なのか、とそれが心配だ。

「もちろん。------何心配しているの? ミカちゃん。大丈夫だよ。昨日の私の力を見たでしょ? 実は昨日ね、凄い事があったんだ。いろいろな時空の存在たちが、ヱル・アメジストを通してあたしに語りかけてきてくれて、期待していたんだよ! もう後には引き返せない。あたし、どこまでも前に進むしかない。このコンピュータも、きっとヱルゴールドと同じ事ができるに違いないし、あたしにとっては、こうなることは必然だったんだよ」

 ミカは宇宙を再生させる時に、十二個に分裂したアメジストがこの一個だという確信を持った。ひょっとしたら、那月にはやれるのかもしれない。そして、ヱルゴールドにおけるメインオペレータが不空怜であるように、那月はヱル・アメジストと特別な関係があるのかも……。それにしても、那月はヱルゴールドと特別の関係を持っているミカに対抗しているように、ミカには思える。

「私たちが巨蟹学園から出られないっていう話だけど、そうすると、望遠鏡だけが、この世界の『外』を眺められるんだわ……。きっと、そうに違いない。学園は、アイが支配している。でも、彼女に弾圧を受けながらも、なぜ天文台の中だけ、自由な活動ができるのかなぁ? きっとアイはここに入れない。このコンピュータが、アイの侵入から守っている唯一の時空なんだ。それは、結界を張っていたっていう、時空研みたいに。だから、アイは外部から揺さぶりを掛けて来た。何とか私たちを天文台から離そうとして。そうするしかなかった。それは、天文台のヱル・アメジストの力を使って、彼女を倒す事ができるから。私たちがそのことに気が着く事を、アイは恐れているんだわ。あたし、こんな弾圧はね除けてやるよ! 地球を侵略者たちの攻撃から守る為には、絶対負ける訳にはいかないよね!」

 那月は異様なまでの正義感に凝り固まって、伊東アイを天敵のように憎んでいた。ミカは那月が当初、この途方もない世界の運命の問題をすんなり受け入れたのは、亮に対する想いがあったからだと思っていたが、それだけではない。那月のそれ以上に、伊東アイに対して敵愾心を燃やしている。以前はおどおどとして静かだった那月が、ここまで伊東アイに怒りをぶつけるとはミカは思ってもみなかった。

「那月、そんなに前屈みになったら胸が見えるってば」

 主張する那月は、向かい合う亮とミカに、顔を近付けて、前屈みになっている。見せつけるように。右の胸の上部に、小さなホクロがある。

「胸、大きいんだね……鮎川」

 亮が戸惑って反応したのでミカはキッとなる。

「前はこれが凄く嫌だったんだけど。服が選べないのよね。バストに合わせるとダボダボになって太って見えるし。かわいい服はみんな胸がきついし。肩は凝るし、男にジロジロ見られるし。すれ違う時、チラッと見る人、凝視する人、粘々した視線を這わせる人、びっくりした顔の人……。馬鹿だと思われるし。本なんか読む訳ないって思われたり。だから頑張って勉強したよ。でもそれがわたしなんだから、今は自分で認めるべきだと思った。Iカップあるの。愛情たっぷりの愛カップ。まあ……私がスーパーカップなら、ミカちゃんはコーヒーカップってところかな。アハハハ、ウケる」

 と、那月は調子に乗っている。

 コーヒーカップって……どぉなのよ?! 那月はIカップ、ミカはBカップしかないから、その差は歴然。どうしても、ナイスバディの那月より、自分の方が明らかに子供っぽいではないかッ。ミカは、那月の方が自分よりも大人っぽくて女らしいという現実にますます焦りを感じている。

「ミカちゃんかわいいでしょ、私の自慢なの。もうミカちゃん大好き、歌手目指してるんだよ」

 那月は何だかはしゃいでいた。

「あ、でも声優だったらすぐなれるかも、アハハハハ! アハハ……」

 と那月は笑ってミカのアニメ声をネタにする。それは前宇宙での、ミカのソプラノ歌手として高い評価につながっていたのだ。だがこの世界では……。那月、悪のりしすぎ……。ミカはもう身体がだるすぎて那月に張り合う気が起こらない。

 ミカは再び、自分の女の子らしい顔つきやアニメ声が、大人びた那月には勝てないと思ってしまう。そんな事をもやもや考えていると、何か声にして話すことさえもおっくうで、どんどん気持ちは沈みっぱなしで、一時間も経過すると、すっかり自信を失っていた。亮が、こんな子供みたいな自分じゃなくて、那月のような子が好きだったらもうお終いだ、というセリフのリフレインが頭の中で叫んでる。いや自分なんかよりきっと那月の方がいいのかもしれない。自分なんか……ドーセ……亮を振り向かせる魅力がないのかもしれない。全く西新宿摩天楼の屋上に佇んだあの日のネガティブ・ミカが復活している。

「でも、実を言うとさ、あたし、せっかく那月が解析し直してくれたUFOの画像、今夜も駄目で……」

 ミカは、元気がないことを心配した二人に打ち明ける。

「本当に……そんな筈ないんだけどな。じゃあ、やっぱりミカちゃんは休んでたら?」

 ミカは首を横に振った。かんばる、と言って力なくガッツポーズした。

 那月は少し黙っていたが、また口を開いた。

「聞きたかったんだけど、もう一度、ここでキスしたらどうなるのかな?」

「え?」

 顔を合わせるミカと亮。今までそんな事、考えてもいなかった。

「もう一度、世界を変える事ができるのかもしれないよ!」

 那月は嬉しそうに笑った。やっぱり、那月が二人の話でもっとも食い付いたのは、ミカと亮が、キスをした事である。そして、二人がキスをした事により、世界が変わってしまったという事。

「もしかして、もしかしてミカちゃんだけじゃなくて、原田君とキスした女の子は、何かできるのかな? ミカちゃんにできるのなら、もしかしてあたしにもできるのかもしれないね! ヱル・アメジストを使って……なんて、冗談だよ」

 それが那月の目的に違いない。ミカは今、黒いUFOの大軍の事よりも、那月が美しく変貌した事、そして亮に対する情熱へのショックしか頭になかった。ミカから見ても、那月は驚く程美しく妖艶に生まれ変わった。妖艶さなど、ミカには無縁なこと。ミカは、この感情を自分の中でどう処理すればよいのか分からない。唯一の親友と、亮を奪い合わねばならないのだろうか。そんなややこしい事、これまでだったら起こるはずがなかったのに-------。超奥手の那月に限って、そんな事ある訳がないはずなかったのに。世界の運命より、那月との関係が心配だった。

 一方の那月はいよいよ意気軒高だった。手製のゴージャス・サンドイッチをつまみ、青汁よりも青いジュースを飲み、コンピュータがデータ処理中の間、外へ行ってシャドーボクシングをしている。その夜、無数の黒い船が映し出された。ミカは無理して画像を見て、そこに混じるダークフィールドを直撃した。いくら変換してもミカには無駄な事。ミカは、目眩と共に、倒れ、そして鼻血が出た。まーっかーに流るるー、ボクのちーしーおー。

「だから言ったのに……ミカちゃん、無理するんだから」

 という那月の声を遠くなる意識の中で聞く。

しかし、那月は倒れたミカを医務室に連れていって看病した。

「後の事は心配しないでね。私、もうちょっと写真撮ってみるから」

 ミカは那月に返答もできないくらい青ざめている。那月と亮を二人きりにさせたくなかった。だが、撮影を続ける事など不可能なほど、気分が悪い。

 那月はなぜか、ミカの赤い鼻血の着いたティッシュをじっと見ている。

「何、どうかしたの?」

 ミカは那月が妙に自分の顔を見ているので聞いた。

「ううん……」

 那月はゆっくり顔を反らした。那月はそのまま再び目を瞑ったミカの隣で、ミカの赤い血をじっと見る。那月は舌舐めずりした。飲みたくなった。那月は眠るミカの血をこっそりと舐めた。とたんに気分が悪くなって、トイレに走った。那月はゲーゲー吐く。

 那月は鏡に映った自分の顔を見てぎょっとした。犬歯の上二本が伸びている。

 それだけではなく、再び身をかがめると那月はまるで急性のアレルギーが起こったように、ひっくりかえり、のたうちまわっている。

「那月?」

 ミカは那月が居ない事に気が着いて、よろよろと立ち上がり、トイレに向かった。

「大丈夫?」

「何でもない。だ、大丈夫だよ」

 とうてい大丈夫そうではなかったが、那月は鏡の前で振り返り、微笑んで返事した。ミカはそこで再び立ちくらみに襲われた。

「ミカちゃんは寝てなよ。じゃあ、戻るからね」

 那月は微笑んで天文台に戻っていった。

 たった一人で残されたミカは気持ちがどんどん沈んでいく。


 亮は研究室でUFOを見続けていた。そこへ那月が戻ってきた。

「来栖は?」

「大丈夫。今、ベッドで休んでるよ」

 那月は亮の隣に座った。

「大分月が欠けてきている」

「もうすぐ新月が近づいているからね。昨日の満月は、全部偽の像だったんだね。ちゃんと写真を撮れるのも、今日入れてあと三日くらい。その後しばらく、月がまた見えるようになるまで写真は撮れなくなってしまうわ。UFO、月面でないと多分撮れないと思うのよね。しばらくミカちゃんには休んでもらって、私たちだけで月が見えなくなる迄、UFOの監視続けましょ」

 那月は嬉しそうにイキイキとしていた。

「あぁ、分かった」

 亮に異論はない。


 ミカはベッドから無理して立ち上がった。天文台に戻ると、ヱル・アメジストが不調になっていて、二人はバタバタしていた。那月がバックアップを取り、再起動しようとしているところだった。

 突然、そこに部外者が入ってきた。大学の関係者かと思ったが、その顔を見て瞬時に三人とも凍りついた。

 生徒会長の伊東アイ。三人は驚いた。やっぱりアイはここへ入る事ができたのである。セキュリティカードを持っていたのだろうか。学園の理事なのだから、持っていてもおかしくはない。しかし、アイは右手に携帯を持っていて、それをかざして入ってきた。いや、そればかりではない。天文台のコンピュータがストップしたのも、彼女の携帯が原因のような気がした。持っているのは伊東アイがCMをやっている携帯IMAX-300。明らかにそれを操作してこの研究所を操っている!

「毎日暑いわねェ、来栖さん。夜になっても熱帯夜が続いている。このところ、異常気象なのかしら? 天文部、また部員が一人増えたのね。原田亮。廃部にしたんじゃなかったの。全員二年A組か。困ったモノね。さぁ、今迄撮った写真、全部私に渡してくれる?」

 ミカが言い返そうとする前に、那月がキッとなって立ち上がった。

「待って、何の権利があってそこまでするの……? あなた、単なる高校の生徒会長でしょ。ここは高校じゃなくて大学の敷地内なんだよ? 天文部は廃部にしたって言ったでしょ。私たち今、プライベートで来てるのよ。生徒会長の権限だけで、私と大学の個人的な繋がりにまで立ち入るなんて。写真をマスコミに送ったりネットに流したりもしないって言ってるんだから、学園に迷惑も掛けたりしてないわ。確かにUFOが撮れたかもしれないけど、狙っているのはただの月よ。何も間違った事なんかしてないわ。学校の他の人達の中には、私たちより遥かに不健全な事してる人たちがいるじゃない? 私たちは真面目な学究目的で活動してるのよ、生徒会長だったら、こんなところで私たちを監視するより、街へ行って夜遊びしてる人達でも注意したら!」

 那月がこんなに相手に向かって言い返すのを、ミカは初めて見た。

「鮎川さん。前と随分雰囲気が変わったのね。夜遊びしてる他の人の事を心配するより、あなた自身がそんな格好をして、高校生としてちゃんとしているかどうかを心配したら?」

「何言ってるのよ? そんな格好ってどんな格好なの。一体何を基準に-----。たしかにこの格好だけど、やってる事は夜遊びじゃなくて研究なのよ。伊東さんだってアイドルでしょ、テレビでいっぱい派手な格好して世間に見せてるじゃん。プライベートでは自由にやってるくせに、学校では生徒会長で、風紀の取り締まりですか?」

 以前はアイをあれほど恐れていたのに、那月は何を言われようとも黙っていない。ミカは那月にゾッとした。しかも、那月は天文部を全否定するアイ、しかもディモン・スターであるアイに対する怒りが大きく、生まれて始めてというくらいエキセントリックだった。ミカにとっても、始めてこんな那月を見ていた。相手が、恐ろしいディモン・スターだと分かっていても、まるで人が違ったようにアイと対峙し、天文部廃止を拒否する。宇宙中の存在から懇願されたという体験、そして自分にその力があるという確信、亮への想い、だが何故かそれ以上に、伊東アイを憎んでいる。

「那月、言い過ぎだよ。もういいよ、今日は帰ろ」

 ミカは分が悪いと見て、諦めた。

「そうだな、来栖の体調もよくない」

 亮も撤退を促す。

 那月はまだ収まらないといった感じで、アイを睨み据えている。

「帰る前に、私に写真を渡しなさい」

 アイは容赦なく追求する。

「どうしてあなたに渡さなきゃいけないのよ!」

 その時のアイを睨む那月の目には、ミカが生まれて始めて見たほどの激しい憎悪と怒りが宿っていた。

 窓の外を稲妻が走り、雷が鳴った。雲が空を覆って地上の光で白く反射している。アイはちらっと外の様子を見ると、ふいに部屋を出ていった。

「見ていて、あんなやつ、わたしの力でぶっ飛ばしてやるんだから」

 那月はアイを追いかけようと出ていく。那月は思っていた。自分の怒りが、嵐を呼んでいるのだと。

「よせ、相手はディモン・スターだ! 勝てる相手じゃない」

 亮は制止するために那月の後を追った。ミカも重い身体を引きずりながら二人の追い掛ける。

 突然突風が吹き荒れ、天を赤い稲妻が走った。雲間から全身遂げに覆われた鋼鉄の巨人が現れた。あの世界を破壊させた百メートルの黒い巨人だった。ミカは立ち止まり、腰を抜かした。そして大学の構内に降りた巨人の前に、伊東アイが立っていた。アイの手には、やはり携帯が握られている。伊東アイは、携帯で黒い巨人を外に呼び寄せたらしいと思われた。この女が、ディモン兵器の巨人を操っている。これで確実になった。伊東アイは、ディモン・スターであるという事だ。

 ミカは恐怖にとらわれ、うずくまる。世界の終焉の時に出現し、ミカを襲った恐るべき存在。ミカはパニックになって頭を抱える。手が自動的に震え、ただただ涙が溢れ出す。殺されるという、あの時の恐怖が蘇った。ミカにとっては、想像以上のトラウマになっていたのだ。亮はミカの両肩に手を置いて巨人を見守る。那月が突風に耐え、踏み止まって対峙していた。那月は仁王立ちし、

「何よ、あんな奴ぜんっぜん怖くないわ!」

 といきりたった。ミカはどうにもできずにいた。黒い巨人にすっかりおびえるミカと対照的に、那月だけがアイと立ち向かおうとしている。

 ミカは意識が遠のいて、やがて昏倒した。アイが倒れたミカに近づいた。その行動に、那月はハッとする。

「ミカちゃんに何をするつもりなのよ!」

 カンカンになった那月は大股でズカズカとアイに近づいていった。アイはミカの腕に触ろうとする。

「やめて! ミカちゃんに変な事しないでェ」

 那月はアイからミカを奪った。アイはあっさりミカを諦める。那月はミカを抱き抱えて、アイを睨み付けた。

「私はこれから本国へ行く。すべてが手遅れにならない内に、すぐ戻ってくるけどね」

 そう言うと伊東アイは巨人の右手に立った。黒い巨人は反重力で大学を飛び上がると、雲の中に消えていった。

「やつの本国って? 月の経路の事か?」

 亮は巨人が消えた西空の方角を見ている。

 ミカはようやく気が着いたが、がたがたと震え、ものを言えず、立ち上がれなかった。

「わたし、今夜初めて知ったわ。二人の言う人類の敵の事を。伊東アイの正体を。あれがディモンスター。絶対に、絶対にあいつを許さない!」

 那月は燃えていた。戦う気満々なのは、那月一人だけだった。何故か、鮎川那月だけが二人以上に張り切っている。

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