第14話 ブルークリスタル

 雨は昼には上がった。だが、てっぺんまで上がった太陽は、午後になって急に異変を生じた。誰も予想しなかった日食が始まったのだった。生徒たちは窓に乗り出し、その景色を見ていた。先生も授業を中止して観察している。

「暦では、今日は皆既日食なんかないはずなんだけど。変ね」

 那月はミカに言った。

 太陽は、三日月のような形に変化し、どんどん辺りは暗くなっていく。皆既日食が起ころうとしている。月は太陽を覆い尽くし、上空で真っ黒なダイヤモンドが、その輪郭のみ白く輝いているような光景が現れた。

 だが、皆既日食は二十分経っても三十分経っても続いていた。

「やっぱり変だよ。昨日、月のエネルギーを増幅したのが原因なんじゃないの」

 ミカはまだ体調が戻らないまま、胸を押さえて言った。

「う~ん」

 那月はうなったまま、皆既日食を直視してにらんでいる。

 あり得ないことだが、その日一日中、ずっと皆既日食が続いた。しかも日食の黒い太陽がそのまま空に浮かんだまま、日が暮れていく。

 三人は伊東アイに気づかれないように天文台に集合する。

「もしかするとこの皆既日食は、巨蟹市だけに起きているのかもしれない」

 亮の不安は現実味を帯びていた。

 那月は必死になってヱル・アメジストを操作し、答えを見つけようとしている。こんな時なのに、大学の研究員たちはまるで姿を見せないのである。それもまるで仕組まれたことのように、ミカには思われた。

 とりあえずこれまでの月面写真を並べていくと、ダークシップの艦影が増えているのが分かる。ミカは二人の話を聞きながら、写真を見ようとしない。

「あれ? おかしい、皆既日食移動してるのかな」

 ヱル・アメジストのライフ・フィールド・システムを自動運転させながら、三人は外に飛び出した。

「あっちにも太陽がある!」

 ミカが皆既日食と反対方向に夕日を見つけて指さした。亮がもう一つ、別の方向に太陽を見つけた。太陽はさらにもう一つ、計三つ浮かんでおり、それに皆既日食を加えて東西南北に存在した。やがて、白い光輪に縁どられた黒いダイヤモンドのような皆既日食が、さらに新しい日食を起こすように三日月状に削られながら、明るい満月へと変化していった。三人はその光景を無言で見ている他にない。他の三つの夕日も、同時に満月へと変化すると、日が完全に暮れて夜になる。

「これが続くと一体どうなるの? 狼に変身しちゃうとか?」

 ミカが空から目を離さずに言った。

「本物の月は、あの中のどれか一つのはず。他の三つは月の闇から出てきたディモン兵器なのかもしれないね。ヱル・アメジストが乗っ取られて、操作されている! 天文台に戻ろう」

 天文台から立ち上る暗いダークフィールドを見て、那月は慌てて引き返そうとした。

「何あれ?! 月が」

 ミカが叫んだ。ミカは指さした満月が、ドロッとまるでバターが溶けるように形が変化し、しずくが地上に向かって垂れている。那月は金縛りにあったように立ち止り、他の満月を見まわした。四つの満月すべてが、地上に向かってしずくを垂れ流していた。

 満月が泣いている。「水だ」と亮が短く叫んだ。四つの満月から涙が流れ、それが地上に達した。満月は水を滝のように流し続け、四方から何かが押し寄せる轟音が彼らの立っている巨蟹学園大学に響き渡る。

 周囲の大学ビルを遥かに上回る巨大な津波が、四方から迫ってくる。そして各方角の満月は、水を流し続けている。

「アメジストが変な平行宇宙を召還しちゃったのかな?! このままじゃ、世界が滅亡する」

 那月は動けないまま、叫んだ。

「とりあえず一番近い高いビルの上に逃げよう!」

 ミカは二人を促した。三人は走る。ミカは自分が空を飛べるという可能性について、すっかり忘れている。ムー、アトランティス、伝説の大陸も、かようにして滅んだに違いないという大津波。

 津波が間近に迫った。ミカは那月が追い付いてこないことに気づいて、振り返った。那月は立ち止まり、天文台の方を見ていた。

「那月、早く!」

 だが、暗闇の中で那月は微動だにしない。那月は、ヱル・アメジストを乗っ取られたことにかなり頭に来ている。「那月!」というミカの呼び声に返事をせず、那月は両目をつぶり、新しい現実を想像していた。そう、理想の自分を。

 那月は強烈な白色光に包まれている。真夜中の学園に朝日が昇った瞬間だった。光が学園全体を包み込むと、那月は地面に右手を置いた。そこから、青白い輝きの三角形のエネルギーが発生するのをミカと亮は見た。三角形のエネルギーは急激に拡大し、ピラミッドとなって学園を覆い、四方から迫る津波を阻止するのだった。那月は自分の水を操る力を使って津波を防いでいる。那月は全身を白く輝かせた。那月が「やー!」と叫ぶと、津波は押し戻されていった。まるで紅海を二つに割ったモーゼのようだった。滝を流している四つの月に、水が逆流していく。水は月に戻っていった。わずか五分間のうちに、学園は元通りの静けさを取り戻していた。水を支配する那月の力、ヒーリングパワーの覚醒。

「那月、アンタの力って、こんなに凄いの」

 ミカは那月をまじまじと見つめた。

「『水』なら任せてよ。あたし、自分が戦士だって、分かった気がする。天使は実在するのよ! 悪魔が存在するように。今、自分の中にそれが宿ったことを感じる。そして悪魔は、伊東アイ……」

 那月は、今そこに舞い降りた天使のように見えた。悪魔が存在するのなら、天使だって存在するに決まってる。それが覚醒した那月だった。

 水を司る戦士。雨が降っていても、那月が天文台に籠る時は、決まって空はからりと晴れた。だから那月がこの世界の中心というのも、あながち間違いではないかもしれない。

 まだあの禍々しい偽の月が四方に浮かんでいる。白く輝く那月は、両手から月の一つに向かって眩い光を放った。しかし月にはシールドが張られていて、那月の放った光の弾を跳ね返した。

「大丈夫、きっとヱル・アメジストが問題を解決するから。ミカちゃんが昨日ダークフィールドに利用されてこんなに結果になった。ヱル・アメジストを使って、あの偽の月を逆に反転すれば、破壊して、元の世界に戻すことができるんじゃないかと思う、天文台に戻りましょう」

 三人は無言で大学構内を歩く。

 天文台に戻ると、那月はその地下室に二人を連れていった。そこには、巨大クリスタルの石柱がいくつも並んでいる。こんな異様な装置がある巨蟹大学の天文台とは一体何なのか。

「驚くでしょ? あたしも最初ここに来た時、これが何なのか分からなかった。だけど、これは上にあるヱル・アメジストの増幅装置なのよ。クリスタルはエネルギーを貯蓄し、増幅する作用がある。これは魔法陣みたいに配置されている。すべてを起動して、ヱル・アメジストに溜まったダークフィールドを反転させれば、あの偽の月は破壊される。最初のトリガーは、わたしが引く」

 そういうと那月は、五芒星の魔法陣の中心に立った。目をつぶり、足を広げて仁王立ちすると、手足が長いので様になる。那月の白い輝きが、周囲の五つのクリスタルの石柱に伝ぱし、輝き始めた。

「ヱル・アメジストが応えた!」

 那月にはヱル・アメジストが正常化したことが分かったらしい。

 天文台のアメジスト・ドームから放電が起こり、紫色の稲妻が四つの月に到達した。再び三人は階段を駆け上り、外に出た。見ると、三つの満月に亀裂が入っていく最中だった。偽満月はやがてバラバラに砕け散る。アメジスト・ドームからの振動を加えられて破壊されたのだった。偽満月の破片が学園に達して降り注ぐと、それらはトパーズだと分かった。

 気が着くと、月は一つに戻っている。しかしそこでミカは晶の言葉を思い出していた。今ある、あの月も、偽の月なのだと。

「すごい、凄いよ那月! あんた今世界を救ったよ」

 ミカは那月の顔をまじまじと見た。那月はこぼれる笑顔で頷いた。亮は呆気に取られて見ている。那月の才能が世界を救ったことが、ミカには何よりうれしい。ミカと那月は手を取り合って喜んだ。天使がミカの身近に現れたのだ。闇を追い払ったかわいい天使。那月の中に、その力は眠っていた。美しくて聡明な力強い天使。

「わたし、ミカちゃんと原田クンの役に立てるなら、それで……」

 ミカは、那月と一緒に世界の秘密を分かち合って戦える事を何より嬉しく思っていた。これからもずっと、三人で力を合わせて戦えるなら、たとえ仲間がたった三人だけだったとしても、たとえ時空研から置き去りにされても、世界が伊東アイに支配されていても、やっていける。三人で戦うことができたら、希望はあるに違いない。

「今日は解散しよう。私、今夜も残って徹夜するよ。ダークフィールドが溢れた事で、ライフ・フィールド・システムに欠陥がある事が分かったから。でも、私の力も覚醒したし……まだまだヱル・アメジストには素晴らしい可能性が秘められてる! プログラムには改善の余地があると思う。今日の事件は、単にプログラムを使いこなせてないだけかもね。きっと今夜また新発見があるよ。楽しみにしてて。だから、朝まで頑張ってみる!」

「三日も連続して徹夜なんかしちゃって、ホントに大丈夫なの?」

「大丈夫。力が付いたら、何だか元気になっちゃって……全然眠くないの。エヘヘ」

 那月が両手でガッツポーズすると胸が揺れた。

「そうなんだ。じゃあ……」

 ミカはドッと疲れていた。UFOを見た影響もまだ強く身体に残っている。

「うん」

「明日、学校で会いましょ」

 ミカと那月は見つめあい、微笑んで別れた。ミカは、那月と別れるのが何だか名残惜しい。明日になれば、また学校で那月に会える。いつでも会える。でも、その時は那月の笑顔をいつまでも見ていたい気分だった。

「鮎川、ありがとう」

 亮の挨拶に、那月は耳まで赤くして頷く。ミカは、那月がかわいいなと思った。


 二人が帰宅した後も、那月は深夜、サンドイッチを片手に、ライフ・フィールド・システムの研究に打ち込んでいだ。今や、地球の運命は自分の双肩に掛かっている――。最初は半信半疑だったがここまで来ればもう間違いがない。この宇宙では、おそらく来栖ミカや原田亮ではなく、「ザ・クリエイター」は自分・鮎川那月なのだ。だから自分が悲しければ雨が降る。自分がなんとかしなきゃいけない。研究への情熱は、自分がこのヱルメタルをマスターして、世界を救いたいと思う一心からだった。

 那月は、突然、遠くの星雲を見たくなった。いや、見なければならないという感覚に襲われたのである。月から座標をずらしていく。とたんに、那月の、キーボードを操作する手が止まった。ヱル・アメジストは宇宙望遠鏡も観測できない深宇宙を探ることができる。見た事もない星雲の形を見つけて、那月は驚きのまなこでじっと見ていた。それは人の顔の形をした星雲だった。二つの銀河が合わさった星雲。亮の横顔と、ミカの横顔がキスをしている星雲だった。この宇宙のビックバンの名残だ。那月はウッと言って泣いた。即座に、満月に座標を戻した。

 その後那月はまるで月の世界に取り憑かれたようだった。世界を救うために、もっとエネルギーを、力を得なくてはいけない。そのために月のエネルギーをもっと手に入れたい。前から気になっていた月面の古城のような構造物に座標を合わせると、ライフ・フィールド・システムで、エネルギー変換を図った。自分の身体を増幅器として使いながら。もっと力を! 私は何も眠くはない。

 午前三時、青白く輝く満月から、望遠鏡―ヱル・アメジストを中継してダークフィールドが洪水のように那月に押し寄せてきた。「しまった!」那月は月を観測しすぎたことに気づいたが遅かった。那月はエネルギーを反転させようと必死でもがく。

暗黒のマイナスエネルギーの突風が部屋中に渦巻く。那月は叫び声を上げたが誰も聞く者はいなかった。

 部屋の角に黒い、人の形をした影が伸び上がっている。長いストレートヘア、うりざね顔で丸いおでこの自分と同じくらいの少女の姿をした闇。那月はその瞬間、初めて闇に対して恐怖を感じた。それまでの情熱、闘争本能より恐怖が勝っていた。影は那月を乗っ取りにかかる。駄目だ、恐怖してはいけない。恐怖は、敵に力を与える。そんなことは分かっているはずだった。那月は叫び、後ろに吹っ飛んだ。デスク上に置かれたファイルの中の紙が舞い上がり、散乱する。部屋中、天文台全体をダークフィールドが包みこんだ。那月は侵食された。那月は壁に寄り掛かって座ったまま、意識を失った。

 望遠鏡のレンズから床に青白い光が差している。スポットライトのように照らされたその場所に、青白く輝く半透明の鉱石が置かれている。


 朝になっても来栖ミカは体調が戻らない。体が動かない。体調は日に日に悪化している。食事が喉を通らず、だるさと吐き気が延々と続く。それでも学校を休みたくなかった。那月があんなに頑張ってるのに、自分も、頑張らないと--------。

 その日ミカは那月を見て驚いた。那月が学校にサングラスをしてきたからだ。那月は教師にサングラスをとがめられると、目が太陽の光に耐えられないのだと訴えている。太陽を浴びると目眩がするらしい。以前は全くそんな事はなかったのに、太陽アレルギーだというのである。目が弱いと言われると、教師は那月のサングラスを認めた。那月の変化はそれだけではない。何だか昨日と雰囲気が違っている。に、しても、どうして巨蟹市はこんなに暑いのだ。

「あづい~」

 ミカは暑いので足を開いて座って下敷きをパタパタと扇いでいる。

「ミカちゃん、足閉じなよ」

「どう? プログラムの方はできた? ま、でもそんな無理しなくていいよ」

「うん。安心して。もう何もかも完璧だよ」

 那月はサングラスをずらして微笑んだ。ミカは那月の派手な化粧にギョッとした。那月は眼にアライグマみたいな黒いアイシャドーにマスカラを着けている。かわいらしかった昨日までのナチュラルメイクとは、まるで違う……。

 那月は日中やはり眠そうにしている。三日連続で徹夜したのだから無理もないだろうが、それでも学校に出てくるのだから驚きだ。眠そうではあるが寝てはいない。だが、深夜のパワーは感じられなかった。それでも、以前のような猫背ではなくて背筋を伸ばし、目には力がある。授業中、まるで電池が止まったように身動きせず、ときおり元気になると、亮にも積極的に話しかけ、そして、生徒会長の伊東アイに怯えている様子は全くなかった。

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