第13話 月光のハーモナイズ

 深夜になっても、暑さは全然去る気配がない。

 三人は、生徒会に隠れて撮影する為、深夜十二時に大学に入る事になった。一度帰宅して夕飯を食べてから、私服に着替え、大学にこっそり集合する段取りだ。

 ミカは熱帯夜に冷房ガンガン掛けて仮眠を取っていたせいで集合時間に十五分遅れた。ピンクのシャツと白いパンツ姿というこの世界誕生以来してきた格好で自転車を飛ばす。

 薔薇園の青い薔薇が、前見た時よりまた増えているような気がする。今夜は、およそ全体の二割くらいが青くなっている。集合場所にミカが行くと、見慣れないかわいい女の子が立っていて、亮と話している。薄暗いキャンパスの街灯の中、ミカは、亮が話している大学生は一体誰だろうと思って近づいた。大学生の女は、ミカを見てすぐ笑顔になって声をかけた。

「ミカちゃん。遅かったね」

 よく見るとそれは那月だった。微笑んだ鮎川那月は、昼間とは別人に変わっていた。まず那月は、眼鏡を掛けていなかった。ミカをすぐ見つけた事から、コンタクトを着けているようだ。髪型は昼間学校に居た時と違い、二つに束ねていない。それにカールしていて何となく退色した印象だ。眉は以前から綺麗だったが、さらに切りそろえられ、磨きが掛かっている。今迄化粧もほとんどしなかったのに、薄化粧をしている。いや、那月は顔立ちがはっきりしているので、非常に化粧映えがする。以前から那月が美少女、というより「美女」である事をミカは知っていた。だが、今生まれ変わった親友を目の前にするとミカにも信じ難い程、那月は美しく、輝いていた。

 那月はノースリーブの水色のキャミソールに白いサブリナパンツだった。ミカは、那月がキャミソールなど着ているところを始めて見た。この所、十一月にしては暑いとはいえ、ずいぶん薄手だ。那月はもう、自分の九十九センチあるIカップのバストを全然隠していない、という証拠だ。以前は自分の胸が恥ずかしくて、男にジロジロ見られる事が嫌で劣等感の固まりだったというのに。姿勢までもが今迄の猫背から、まっすぐ立っている。そして那月はカバン以外に、篭を持っていた。

「那月、かわイーじゃん! 見違えちゃったよ」

「うん! 大学生に見られた方がいいでしょっ! あたしが考え付いた作戦。少しでも、大学生に見えるかな、と思って。これならもし、大学に万が一、アイさんがやってきて、見つかってもごまかして逃げ切れるかもしれないし。敵を欺きつつ、計画を遂行するの。地球を救う為に、いろいろと考えないといけないわ。ね、ね、あたし女子大生に見えるかな?」

 確かに、全く高校二年生には見えない。昼間は眠そうにしていたが、深夜になって那月は快活になっていた。

「見えるよ。驚いた! すっごい似合ってるよ」

「それとね、今日はとっておきの凄い話があるんだ」

「えっ何?」

「後で教えてあげる! わたし、ほんとにミカちゃんと原田クンに感謝してる。この間話を聞いてから、何か生まれ変わったような気がしててさ。あたし達、生徒会がどうのこうの、アイさんがどうのってなんて関係なく、頑張ってやっていこう? だって、地球の運命が掛かっているんだものね、学校に反対されたからって止めるような問題じゃ、ないよね。ぜんぜん。あいつの支配からこの世界を取り戻す、革命を起こそうね、三人で地球を守ろぉ!」

 那月の声と表情は、晴れ晴れとしている。那月はアイがディモン・スターの一柱だと聞いて、逆にアイへの恐れがなくなってしまった事は不思議だった。那月は世界の滅亡より、侵略者のアイの事より、亮が来て自分と話してくれる事の方が大切らしいとも感じる。その幸せに比べたら、世界の運命などものの数ではないのだろう。

 那月が微笑ましかった。那月はかわいくオシャレして、亮を意識している。那月はイキイキとし、目には力があった。

 ミカの以前居た世界に、亮はいなかった。亮の世界でのミカは、世間から離れたところに居るアイドルだった。けれどそれ以外のクラスメート達は、お互いの世界でそれぞれ存在していた。その二つの世界が一つになった今、目の前に居る那月は、二つの世界の那月が一致した存在である。だから、那月は以前から亮の事を知っている。那月が亮の事を好きだったとしても不思議ではない。しかし今迄、ミカは那月からクラスの男の子が好きという話は、一度も聞いたことがない。

 那月が亮が好きだって事に最初気づいた時、ミカはちょっと不安になった。けど、今は生まれ変わった那月が自分の事のように誇らしく感じられる。那月がようやく、自分の魅力、かわいさに気づいた事が、友達として何より嬉しかった。

 天文台の研究室に入ると、那月は篭のフタを開ける。そこにはサンドイッチがぎっしり30個くらい入っていて、ミカはびっくりした。

「三人で一緒に夜食を食べよう。腹が減っては戦はできないからね」

「作って来たの? 凄いじゃない」

 様々な食材が詰まったサンドイッチはどれもきれいで、プロレベルの腕前だった。那月はインドア派だけあって料理も上手だった。-----那月がこんなにやる気を見せ、積極的になるなんて。あれほど男の子と接するのが苦手だった那月が、こんなに一生懸命になっている。ホントにけなげな那月。ミカは嬉しくて仕方ない。

「そういえば気になってたんだけど、告白の時、二人でキスしたって言ったっけ?」

 やっぱりそうだ。那月の最大の関心事は、世界に起こった大異変の事ではなく、ミカと亮がキスをした事らしい。

「うん」

「……そうなんだ」

 一瞬、那月の眼に嫉妬の色が浮かんだのをミカは見逃さなかった。亮は那月の変化に気づいただろうか? ポーカーフェイスなのでよく分からない。ミカは不安になる。直感的に、那月との関係に亀裂が入ったらヤだなと思う。

「キスで……世界が変わってしまったのね。そんなことがあるなんて、本当に神秘的」

「単なるキスじゃないの。時空研のキンカク……ええとね、ヱルゴールドのナビゲートがないと世界を変えられなくて。あたしたちの力をヱルゴールドに取り込んで、コンピュータで増幅したの。つまりあたしたちだけの力じゃない。それに、あたしにとってヱルゴールドは特別な機械っていうか。つまり、ヱルゴールドがないと無理だった」

「大丈夫だってば! あたしのヱル・アメジストを信じてよ。あたし、ミカちゃんたちの話を聞いた後ね、ずっと考えてたんだ。今の話にも関係することなんだけど、宇宙を産むには、陰と陽のエネルギーが必要だよね? だけど、二人のエネルギーを、ヱルゴールドみたいにこれで増幅できるかどうかは分からない。それで私昨日、あれから帰らなかったの。何かヒントがないかと思って、徹夜でコンピュータを調べてたんだ」

「それで昼間眠そうにしてたのね」

「ところが、天文台のシステム以外ブロックがかかっちゃってて開かないようになってて。でも、なんかにおうのよね、この機械。絶対秘密がある。ま、前から思ってたことだけど。ミカちゃん、国防省のコンピュータ使ってたって言ったでしょ。それでさ、試しにヱルアメジストから、国防省のコンピュータに侵入してみたの」

 声をひそめ、身をかがめると胸の谷間が強調される。

「ハッキングしたの? まじで」

「やってみたら簡単にできた。むこうは、普通のコンピュータだったからかな。ヱルアメジストに匹敵するマシンじゃなかったって事よネ。で、結局ヱルゴールドみたいなものは向こうに存在してなくて、東京時空研究所とかいうのも、見当たらなかったよ」

「そーなんだ……」

 ミカと亮は顔を見合わせる。

「もっと探せばあるかもしれないけど。絶対何か隠してるって雰囲気がプンプン匂ってくるからね。昔から軍って、アメリカでも、第二次世界大戦の時、戦艦の電磁波による不可視化実験で偶然発見されたタイムワープの現象があって、それは今でもモントーク基地で極秘実験が引き継がれて行われている。日本も日米同盟してるわけだから、日本の国防省でも、時空に関する実験を極秘に行っている可能性は十分にある。あたし最近、国防省長官をテレビで見たんだけどさ、やっぱり伊東アイと一緒に歩いていた。他のニュースでも伊東アイってよく映てるけど、あの時は特別だった。都市計画について政治家たちと会議しているニュースだったよ。総理大臣とかも居たんだけど、あたかも、長官の方が地位が上みたいな態度でさ。それ見てて、もしかしてこの人、日本の真の支配者なんじゃないかって思ったの。首相よりずっと堂々として、背が高くて、頭リーゼントで外見はロックスターみたいなこの人が日本の独裁者なんじゃないかなって。つまり、国防省がアイと結託して、日本をコントロールしている」

 妄想全開だが、那月はこの手の陰謀話が好きである。

「他には何か分かったの?」

「うん。国防省のコンピュータを探ってたら、偶然だけど、これはヱルアメジストのプログラムを起動させるパスワードじゃないか、っていうのがあったんだ。それって不思議な事よね。なぜ国防省のマシンが、表向き大学のコンピュータってだけの機械の封印を解くのか。国防省に、時空研究所やヱルメタルに関する情報はなかったけど、ミカちゃんたちの話を裏付ける証拠が見つかったってことだよ」

「で、試してみた?」

「うん。やっぱりそうだった。ヱルアメジストに『ライフ・フィールド・システム』っていうプログラムを発見したんだ。何で天文台のコンピュータにこんなものが存在するのか不可解なシステムよ。生体エネルギーの解析ができるものなんだけど、重要なことは、これが時空実験に使えるかもしれないってこと」

「つまりそれは、ヱルセレンやヱルアメジストのヱンゲージと同じシステムの可能性があるってこと?」

 亮が身を乗り出す。

「そーかもしれない! それで私、このプログラムを一晩掛けてマスターしたんだ。これを使って、月のネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーに変換する事ができるんだよ。ミカちゃん、月のUFOの写真を見ると、ダークフィールドを浴びて体調を壊したでしょう? でももうこれで、その心配はなくなると思う」

 望遠鏡のためのコンピュータのはずだが、所長が開発したというライフフィールドを調査するプログラムがあるということだった。

「一晩でマスターしちゃうなんてさすが那月。でも、月のエネルギーなんて、本当に大丈夫なの?」

 ミカは、月面に映ったディモン兵器の事を考えただけでもぞっとする。亮を見ると半信半疑という顔である。おいそれとは那月の言葉を信用できない。

「うん、ライフ・フィールド・システムで月から来るエネルギーを分析すると、月のダークフィールドの中に、どうもそれだけじゃない成分が混ざっているらしいんだよね、月って敵の侵入経路だという話だけど。それって月が完全に闇の領域ってことでしょう? だけど、ダークフィールドだけじゃなく、月からのライトフィールドもあって、それが月から倍音(ハーモニクス)として重なって来るんだよね」

「ほんとに?」

「たとえば地震は月が引き起こすっていうけどさ、ヱル・アメジストによると、地球側から見た地震は、地球の体内に蓄積されたダークフィールドを宇宙に抜く作用でもあったのよ。分かりやすくいうと、これ」

モニターに、ミカと亮が都庁地下で見たのと同じ太極図が映し出された。

「光の中に闇の一点があって、闇の中に光の一点がある。この図形、道教では存在の本質なのよ。月には光の面と闇の面があるでしょ、すべての存在には光と闇の両方があるの。そして月の光の面は生命の進化の力。地球の生物は、月から様々な影響を受けているよね、潮の満ち引きから、女性の月経の周期まで。月の光は命であり、地球の進化を促してきたはず。だから闇だけってことは絶対ありえない。いや、闇の部分からも光は流れ込み、光の部分からも闇が流れ込む――、まるで太極図のように」

 那月によると、月は、ダークフィールドのネガティブ勢力の領域であると同時に、進化の源であるという二面性を持っている、らしい。

「太極図か。でも、宇宙の創造は陰と陽のエネルギーで、それは消極性と積極性っていうか……、男と女というか、光と闇とは違うんじゃないかな」

 亮は画面を凝視して言った。

「ううん、太極図の意味は、陰陽だけじゃなく、いろいろな意味を含んでいるんだと思う。その一つが光と闇」

「で、でもさ――」

 ミカも戸惑って何か言うとするが、ヱル・アメジストについての情報は那月に聞くしかなく、なんとも言えない。ミカには正邪の判断はつかなかった。

「たとえばさ、満月の時には月の模様が見えるでしょう。色々な文化で、その模様がいろいろな形に見えたわけじゃない。日本では餅を突くうさぎだよね? 中国ではハサミを振りかざした蟹、ヨーロッパでは貴婦人の横顔なんかに。それって本当はクレーターや山脈の陰影だけど、同じ月でも、見る人間によって映し出されるものが違い、月そのものの存在の意味が違ってくるという事でもあるでしょう? 光であったり闇であったり。月は闇だけっていう風な、物事は一面だけってことじゃないんじゃない? 全て二面性を持っているのよ」

 ミカと亮は那月の話を黙って聞いている。

「信用して。あたしは昨日この機械に取り組んで、なぜかどのように使えばいいのかが分かったの。やっぱり、これ只のコンピュータじゃない。そしてあたし自身にとっても運命的な機械。この機械が、二人の言うヱルなら、世界を救うのも、不可能じゃないと思うよ。これでUFO写真のダークフィールドを解消して、プラスに転換すれば、安心して撮影できるでしょ」

 那月はライフ・フィールド・システムを走らせ、これまで撮ったUFOの画像を変換したものをプリントアウトした。亮が受け取る。

「確かに、UFOの画像からダークフィールドは確実に減少しているな……」

 亮はまじまじと見ている。ミカも覗き込む。だが、ミカは変わらずダークフィールドを感じ、クラッときた。二人よりも、遥かにダークフィールドを感じる力が敏感で、強いらしい。ミカはとりあえず黙っている。

「でもそれだけじゃない、これが意味することは月の光の側面のエネルギーによって闇の世界をオセロのようにひっくり返すこと。原田クンのお母さん、カグヤさんは一人で世界を救おうとしたでしょ、きっとその答えがこれなんだよ。カグヤさんの名前って、月の御姫様の名前じゃない? それって偶然じゃないってことでしょ。きっと月の力を使えば、力を得ることができて、世界を建てなおすことができるはずだよ」

「母さんと同じ力を?」

「そう。あたしたちに、カグヤさんのような潜在力があるかは分からない。けど、昨日の夜明け前、凄い研究の副産物があったんだ。このプログラムを使って、昨日、わたし自身を増幅してみた。そしたらね、私の力が活性化されたのよ。夜明け前が最も暗い。それで始めて気づいたわ。わたしにも、二人みたいな力があったっていう可能性を」

 那月は確信めいた微笑みで掌の形をしたデバイスに自分の手の平を置いた。ただちに画面にグラフが表示され、那月のエネルギーの平均値と、現在の状態が現された。

「これが今のあたし、そして……これから高めていく」

グラフに表示された那月の数値が上昇した。那月は立ち上がった。

「着いてきてくれる。ちょっと外へ行きましょ」

 那月は二人を連れて噴水のところまで来た。真夜中でも照明に照らされて、水が吹きあがっている。

 那月は右手の人さし指をスッと上に上げる。すると吹きあがった水が落ちずに空中に漂い始めた。そのまま、三人の上空で巨大な渦巻きを構成した。水がまるで洗濯機の中のようにグルグルと渦巻いている。那月は両手を動かし、水を生き物のように操った。ミカと亮は唖然としてその光景を見ている。那月は両手を下げた。空中で乱舞した水は一気に落ちてきた。水しぶきを浴びながら、那月は微笑んでいる。物体を浮かび上がらせ、自由にコントロールする。それはミカも持っていた力だった。ミカは以前、崩れかかったビルの建築資材をくい止めた。それと同じことだ。

「今の、那月がやったの!?」

 ミカは那月をまじまじと見て聞いた。

「うん。ミカちゃんや原田クンほどじゃないかもしれないけど、私も昨日の夜、初めて自分の力の存在を知ったんだ……。それが、水を操ること。力がみなぎって、テンションあがったまま夜明けの大学をうろついてたら、できちゃった。こんなことができるなんて、生まれて始めての体験だった。月のパワーが私に漲るっていう感覚。月のエネルギーが、ポジティブに変換されると、人間の力を引き出して、活性化させる事ができるのよ。これが、原田君のお母さんの力。ダークフィールドがライトフィールドに変換される時、月のエネルギーはとっても強くて、素晴らしいものになるに違いない」

 それは始めてミカが亮と会った夜に、ミカに覚醒した力と同じだった。

「あんたにこんな力が眠っていたなんて---------」

 ミカは那月を抱きしめた。

「おめでと那月!」

「うん。わたし、ホントにうれしい。二人に、本当の自分を教えてもらったような気がする。このプログラムでわたしのライフフィールドを分析すると、私のエネルギーがどんどん高まっている事が分かるんだよ。ミカちゃんにとってヱルゴールドが特別なら、あたしにとってはヱル・アメジストが特別な存在に相当するかもしれないね。だから、二人だけじゃなくて、私も含めて、三人が力を合わせれば、カグヤさんみたいな力が出て、本当にこの星を救うのも、夢じゃない」

 笑顔に真顔が入り混じった那月の言葉を、ミカは笑って受け止め、亮は唖然として聞いている。

 ヱル・アメジストで月の負のエネルギーをプラスに転換する。それは倍音(ハーモニクス)として来る光のエネルギーを増幅することである。ミカにとってはダークフィールドしか感じられず、にわかには信じられないが、那月には、その転換したエネルギーが合っているという。それで、那月の力が増していっていると言った。しかし那月はそれをコンピュータの中で変換しているから大丈夫だ、というのだ。半信半疑ながら、那月の母性的なエネルギーが増大していることが感じられるし、能力は開花した事は現実だった。

 まるで、鮎川那月は、不空怜や原田カグヤのような、ヱル・アメジストのメタルマスターなのかもしれなかった。

 那月は天文台に戻り、UFOの写真撮影を再開した。月面のUFOはまた増加している。ライフ・フィールド・システムによって変換され、二人が平気で写真を見ているので、ミカも恐る恐る写真を見る。途端、UFOの画像にブラックホールのように吸い込まれる感覚に陥った。また鼻血が流れる感覚。鼻血真っ赤っか……気絶する。

 那月は驚いて作業を中止した。調べると、エネルギーの流れは、ミカへと集約され、ミカの中に吸い込まれていく。気絶したミカから、大量のダークフィールドが噴出していた。ミカを乗っ取って吹き出したダークフィールドは巨大化し、学園全体を包み込むフィールドにまで成長している。

「ミカちゃん!」

 那月と亮はびっくりして立ち上がった。アメジストのコンピュータから、ダークフィールドが立ち上っていく。那月は、焦ってプログラムを停止させた。

 那月は、ミカを医務室に連れていき、ベッドに寝かせると、おもむろに手をかざした。那月の全身から白い輝きが溢れ出す。那月の両手に光は集中した。体力を憔悴しながら、那月は光を放ち、部屋に充満したダークフィールドを追い払った。

ミカは目を覚ました。ミカの苦しみは消し飛んでいた。那月から、眩い光が出ているのを見た。

「危なかったね」

 びっしょり汗をにじませた那月は微笑んだ。

「何が起こったの」

 体が重い。全く動かない。

「エル・アメジストで、変換できる以上のダークフィールドが押し寄せたみたい。ミカちゃんと月の間に回路が一瞬できて、エネルギーのループで、どんどんダークフィールドが増幅していったっていうか」

(それってダメってことじゃん……)

「やっぱさ、月のエネルギーを増幅するって危ないんじゃない。ダークフィールドの方が圧倒的な領域なんでしょ」

「いや、あたしの予想なんだけど、きっと、予想以上にミカちゃんがすごい力を持っていたからだと思う。前からそうじゃないかって思ってた。それでヱル・アメジストの処理能力を超えちゃって。安心して。私、もっと調べてみるから。今度は大丈夫なようにするからね」

 その日は解散になった。二人が帰った後も、那月は天文台に籠った。

 那月は、このヱル・アメジストが量子コンピュータだと天文台所長から聞いている。来栖ミカと原田亮が創った新宇宙、それは平行宇宙を生み出したということだった。宇宙創成、その意味とは一体何だろう。それは、つまりヱルメタルの量子コンピュータで観測が収束すると、世界が決定する、ということだろう。宇宙は、人の想念の反映であり、自分が発信したものを、宇宙は反映してくる。平行宇宙。このヱル・アメジストのある天文台も、天体観測の場であると同時に、世界観測所でもある。那月は、ヱル・アメジストが別の平行宇宙とアクセスすることができると考え始めている。おそらく、ミカと亮が関わった東京時空研究所は、別の平行宇宙にあるのだろう。

 那月が国防省にハッキングして一人で調べ続けて数時間後、またもヱル・アメジストの秘密を解き明かした。平行宇宙へのアクセス、その仕組みもヱル・アメジストには存在することが判明した。遂に那月はそのシステムを起動する。

 ヱル・アメジストから紫色のオーラが蒸気のように立ち上っている。紫の光彩が部屋中に広がった。那月はいつのまにか、宇宙空間に浮かんでいた。ヱル・アメジストのプラネタリウム機能が自動的に作動したのだった。

 無数の人間の意識や宇宙のありとあらゆる存在のイメージが、那月に流れ込んで来る。全宇宙の全生命の存在を那月は感じた。この天文台の中に、宇宙中の生命が集まっていると感じられた。過去、現在、未来のあらゆる生命が、叫んでいる。

「この時空の闇を光に!」

 あらゆる時空のあらゆる生命たちが、那月に懇願していた。

「闇から光への転化が、新たなる宇宙創造の原理! この時空を変えてくれ! このターニングポイントで変われば、全ての世界、全ての時代に光の波が伝ぱされる、そして時空が変わっていく! 鮎川那月よ、変えてくれ!」

 宇宙の全存在、全生命の、自分への期待が感じられた。那月がその衝撃的な感覚に驚いていると、全てがフッと消滅した。那月は宇宙空間ではなく、元の部屋に座っている。

(何だったんだろう今の)

 那月は髪をかき上げ、辺りを見回した。

(何か凄い生命の集団と遭遇したような感じ。生まれて始めての体験。宇宙中の存在に懇願された。これがザ・クリエイターの意味? 凄い、あたしに宇宙が期待してる。あたしに世界の運命が掛かっている! やっぱりこれは只のコンピュータなんかじゃなかった。二人の言うヱルメタルに間違いない。今、あたし、時空を超越したんだ。原田クンには力があった、そしてミカちゃんにも。そして私にも力があったんだ! それも、予想以上の力が)

 那月は部屋で一人テンション高く、興奮し続けている。

 だが、国防省を何度ハッキングしても、時空研への連絡はつかなかった。また時空研のある宇宙が存在するとして、那月にはそれがどこにあるのか、見当もつかなかったのだ。平行宇宙へのアクセスは、ライフ・フィールド・システムと同じように、人の想念を使う。考えるに、自分が想像しうるものを人は創造する。だとすると、那月が知らない、想像できないものを召還することは不可能だった。

 宇宙を産み出すために、ミカと亮は陰陽のエネルギーを使った。しかしそれは今回使えない。なぜなら、事はヱル・アメジストだけの問題ではないのだ。那月は亮に片思いしている。ミカと亮が再び結ばれる、それも自分の前で結ばれるなんていう展開は許せなかった。だが、亮の心はミカにあり、ミカもまた、亮を想っている。ミカと亮を奪い合って、親友の心を傷つけたくはない。

 だからこそ、鮎川那月は一人で宇宙を創造する方法として、おそらく原田カグヤが行おうとしたに違いないであろう、光と闇を併せ持つ月のエネルギーで自分の力を増幅することを目指しかない。では、新しい宇宙創成とは?

 那月は今、答えが分かりかけていながら、どの方向の平行宇宙を呼び込むか、考えあぐねていた。いやつまり、理想の自分を描けばいい。そうすれば、パワーアップした自分が世界を救う。理想……いつしか那月は、原田亮と自分がたわむれる光景を思い浮かべていた。

 朝が来た。少し、那月は眠ったような気がした。しかし、月のエネルギーを受けて、今朝も眠くはない。やっぱり、ミカと違って自分には月のエネルギーの毒気に当てられることもない。月のエネルギーが合っているらしい。

 まばゆい朝日の中、那月は天文台を後にした。薔薇園に引きつけられるように歩いていくと、青い薔薇の数がまた増えている。那月は薔薇園の中に入って行った。導かれるように、薔薇の迷路の中を進んでいく。

 その道順は、自分だけが知っている。そんな確信が湧いてきて、那月は足がどんどん早まっていった。ほとんど走るようにして迷路を駆け抜けると、那月は立ち止まり、呆然と立ち尽くす。

 迷路は終わり、景色が開けた。青白い輝きの朝日は目に眩しい。那月の目の前に、海岸が広がっていた。どこまでも続く遠浅の白い砂浜、およそ東京湾の砂浜ではない。水平線に朝日の輝く砂浜の手前は、白い砂が固まった崖になっていて、それが波にえぐられて、ところどころトンネル状になっている。砂浜には、マングローブの苗が生えている。その間をカニの潮招きが走っている。南国の白い浜、エメラルドグリーンの海。絵の中に入っていくようだった。大体、巨蟹学園大学は巨蟹市にあり、巨蟹市は海に面していない。しばらくして那月はそこが、ヱル・アメジストによって自分が召還した平行宇宙だということに気づいた。

 なぜなら、そこには二人の人間が居た。水着姿の若い男女、原田亮と、鮎川夏来――自分だった。那月は、信じられないという顔で、砂浜で遊ぶ二人を見ている。これが自分の理想の宇宙。那月と亮だけが居る宇宙。

 那月はその景色を眺めて涙していた。これは自分の胸の中だけに取っておこう。那月は崖を通って薔薇の迷路に戻り、元来た道を辿った。那月には分かっている。あそこへは自分しか行けない。あそこへ通じる迷路は自分しか辿れない。まだ、あの世界とは完全に繋がっていない。だから、今はその光景を心に刻むだけだ。

 那月は、天文台の道を戻りながら、嬉しくて泣いていた。いつの間にか大学にスコールのような雨が降っていた。那月は、雨女。

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