第10話 太陽を直視する女

 ミカは亮にUFOの事を伝えなくちゃと思いながら、翌日も全然話す事ができなかった。その日は曇りだったので、那月はUFOの撮影を中止して先に帰り、ミカは放課後、人影がなくなった学園の駐輪場で、大学の方を何となく見ながら、昨日那月からもらったカバンの中の写真を取り出す。見てはいけないと思いつつ、敵の正体を見極めようとしていた。

 ドス黒い圧迫感に襲われる。鮮明に映ったUFOは、立体的になって迫って来る感覚に陥る。あたかも3D映画のように。再び意識が吸い込まれ、写真の中の黒いUFOが月面を動き回った。頭がふらふらするうちに、白い光が爆発した。ミカは鼻血が出る感触を感じ、右手についた自分の真っ赤な血を見ながら気絶した。

 亮は、自転車置き場に通りかかった倒れているミカを発見した。ミカは眼を覚ますと、自分の顔の真正面に亮の顔があって、パッと離れた。

 鉢合わせしたまま、つい昨日、初対面でキスをした事を思い出すと、物凄く恥ずかしくて何も云えず、ギクシャクして自然に振る舞えない。

「血が出てる、どうしたんだ? 早く保健室に行かないと!」

 亮の手がまだミカの肩に置かれている。

「う、うん。大丈夫。ちょっとね。あたし、て、低血圧なのよね。立ちくらみ、したのかな」

 あわてて立ち上がったミカは服についた埃を払う。うつむいて、真っ赤になった顔を隠しながら、手で鼻血を拭き取る。

「低血圧だって? でも、どっか打ったかもしれないし--------」

「------そういえば久しぶりだよね、話すの----」

 ミカは亮を上目遣いで見る。

「あぁ。新しい世界に来てから一度も話してなかったな」

 やっぱり亮には一昨日の記憶があった。

「あの時以来だね、なんか、タイミングがね……」

 唐突にヴァージン・ヱンゲージのエネルギーの記憶がよみがえってくる。ミカにとって一晩の出来事は、ある意味で通過儀礼だった。ミカは急速に真っ赤になって、亮が何か言いかけた瞬間に、目をそらしてうつむいた。とても、顔を見ることなんかできないし、話が続かない。心臓のドキドキが止まらなかった。

「俺はもしかして、避けられてるのかと思ってた」

「そ、そんな事ない!」

 必死に否定しながら、まだ顔を上げていない。ミカは亮と話しているだけで嬉しかった。自分が女の子だった事を気づかされる。二人で居ると、まだかすかにアストラル波の交流が起こっているような感じがする。

「そうか」

「…………」

 会話に変な間が空いてしまう。

「本当に大丈夫? まだ顔色悪いよ」

「-----そうじゃなくて。実はね、亮。聞いてほしいの。凄く大変なことが起こって。……見て欲しいものがあるんだけど」

 ミカはゆっくりと顔を上げながら、カバンからUFOの写真を取り出した。自分はできるだけ見ないようにしながら、亮に渡す。ミカはUFOの写真が単なる写真ではなく、自分に不可解な作用をもたらす危険なものであると分かっていた。写真を見ていると、体調に異変が起こる。いや、意識を操作されるような恐ろしい感覚に陥るのだ。

「実は、この写真を見てたら、気絶しちゃったの」

 亮はそれを受け取ると、そこに映っている黒い飛行物体を見て、一気に険しい表情をする。

「---------これは、ヤツらの船じゃないか! なぜ? 一体どうして君はこんなものを持っているんだ」

 ミカも異東京で体験した、世界に終末をもたらした敵。

「昨日、那月と一緒にね、うちのクラスの鮎川那月が天文部なんだけどさ。大学の天文台で撮影したの。その前の日にも彼女はUFOを撮っていて。ちょうど、一昨日のあたし達が出会った赤い月の晩よ。その時は、時空が入り交じっていたから、那月は写真を撮れたのかもしれない。赤い月は、二つの世界が交叉している証だから。でも、一昨日に続いて昨日も撮れたの。これっておかしなことだと思わない? だってこの世界、ディモンとか、帝国とか関係ない世界の筈でしょ?」

「ああ、でもこれは確かに敵の船だ。これは、確かに。これが月面に現れたって事は-------」

「亮は見てても何とも思わないの? あたし、物凄くダーメなんだよね」

「いや、いい気分はしない。ダークフィールドってやつを感じるよ。帝国が持っている特有の振動波だ、間違いなく。君は見ない方がいい」

「どうしてヤツらがこの世界に現れたの?」

「分からない。二つの平行宇宙が一つになったのがこの世界という話だけど、妙な事はいろいろある。時輪ひとみも、前の世界で俺と同じ2年A組だったんだ。でもひとみはこの世界の教室に居ない」

「そういえばひとみって子、うちのクラスに居ないね」

「ひとみは、この世界に元々居ないんじゃないかと思うんだ」

「何故?」

「分からない。ただ何となくそう感じる。それだけじゃない。俺の母さんも居ないんだ」

「え、居ないの? じゃ、亮はお母さんに会えてないのね。お父さんは?」

「父さんとも会ってない。話してなかったけど、父親は前の世界でも居ないも同然だった。俺の両親は、両方とも政府関係で、父親は、母親よりずっと前に政府組織に入ったきり、家族とは会う事が許されなかった。何をしていたのかは母親以上に不明だ。だから小さい頃の記憶しかない。ほとんど、ずっと母子家庭だった。俺は、新しい世界でただ母さんと父さんが居る、元の生活に戻りたかった。だが、二人とも居なかった。せめて母さんだけでもと思っていたんだがな」

 亮は空を仰いでいる。

「じゃあ、どこでどうしてるの」

「前から住んでいたマンションで一人暮らししてる。もっとも市名が天秤市っていうのが前と違う」

「それじゃ、生活費はどうやって?」

「母親の銀行の預金はそのままなんだ。しかも、おそらく政府関係からだと思うが、奇妙な事に振り込まれ続けているらしい。だから、この世界、母さん自身だけが居ないんだ」

 この世界は、ミカが会いたかった那月が居て、亮が会いたかった時輪ひとみと、原田カグヤが居ない。

「て事は、亮、この世界でたった一人きりって事?」

「ああ。そうかもしれないな」

「ごめんね。もっと早く話せばよかった」

「俺も君ともっと早く話したかった。まだ顔色悪いみたいだけど、大丈夫?」

「うん。亮と話してたら少し、元気になった」

 ほっとしていた。

「二つの世界が一つになったって言うけど、一体どんな風に一つになったんだろ。ひとみさんも、亮のお母さんもいないなんて。実はあたしの知ってる高校と違ってて、あまり詳しくは言いたくないけど」

「それは俺も同じだよ。俺は昨日の夕方六時ころだったかな、急に思い出したんだ。それまで、なぜかずっとそのことを忘れていた」

「亮も? あたしも、ちょうどその頃だよ。写真見て思い出した。この世界、前とまるっきり違うところがあるのよね。それと今、巨蟹駅前で大規模な再開発してるでしょ、私、以前の世界でそんな工事しているのを見た覚えがないんだよね。亮の世界にはあった?」

「あの工事は、俺も全く記憶がない。というよりこの世界自体、見慣れないものが多い」

「亮もソーなの? じゃあ、あの工事は一体何なんだろ。この時空には私たちが全然知らない事があるみたい。それだけじゃなくて、あたし達、平和な世界になるように願って作ったはずだよね。でも、ここって本当に平和な世の中なのかな? それとも二つの世界がまざりあった結果、破滅へとまた向かうとか? あたし達以外、誰も本当は世界が滅んだ事を知らないけど、あたし達も、まるで分かってない。亮、時空研と連絡は取ってる?」

「むろん取ってない。俺は連絡先知らないんだ。君は電話番号知ってる?」

「あたしも知らない」

「あの基地、確か近いはずだから、これから時空研に行ってみないか。今から自転車で行けば日が暮れる前に着くはずだ」

 二人は自転車を飛ばした。


 日が沈む前、二人は元基地跡に到着した。前と違うのは、市名が白羊市になり、白羊基地という名称になっていることだ。肌寒かった。予想に反して雑草に覆われた、荒れた基地跡が広がっていた。二人はしばらくその場に立ち尽くした。白羊基地はミカが以前に知っていた廃墟のままだった。黄金ドームを中央に持つ白い壮大な建物などどこにもなく、破棄された米軍基地跡だった。

「時空研が……消えちゃった……」

「そんなバカな」

「もしかして時空研って、ここじゃなかったっけ?」

「いや確かにここだったはずだ。間違いない」

 二人はヱルゴールドに接続され、眠りながら消耗したエネルギーを注入してもらったのだ。目を覚ますと、二人は晶の運転するジープで送ってもらい、帰された。

「じゃあ時空研は、この世界に存在しないって事? そんなバカな」

 亮は携帯を取り出し、ネットで東京時空研究所を調べた。国防省内にそのような組織はなかった。

「やっぱり無理だとは思ってたけど、国防省にもそれ以外にも、東京時空研究所とか、それらしき組織の情報は何もない。もともと極秘組織のはずだから、表に出ないのは当然なのかもしれないけど。それにしても、あんな大規模な組織の痕跡を、ここまで綺麗に社会から消せるものか?」

 何度も見直しても、夕日に染まる原っぱしかない。

「ってことは本当にこの世界に、存在しない……かも」

 少なくとも二人は時空研に連絡が取れない。時空研は、二人が居る世界から、跡形もなく消えてしまったのである。

「わたしたちが再生させた世界に、時空研が存在しないっていうの?」

「そうかもしれない。じゃあこの世界は一体。やっぱりヱンゲージが失敗だったんだろうか。それで、時空研のある世界からズレてしまって、それでまた黒い船が現れたのか----」

「そんな------。じゃああたし達だけで、一体どうすればいい」

「俺にも分からない。でもこの世界に前の世界と何一つ連続性がないなら、俺達に前の宇宙の記憶があるのはどういうことだろう。何かが俺達に、ヴァージン・ヱンゲージの時に間違っていたのか?」

「そんな事言ったって……分かんないもん」

 ミカは顔を赤くする。

「そういえば確か、晶さんが、最後に『これでお別れね』って言ったのを思い出した。あたしその時、『えっ』って思ったの」

 この時空は、時空研が存在しない世界。そして人類の敵ディモンの侵略が始まっている。ミカと亮だけがこの時空に取り残されていた。あの計画は失敗だったのかもしれない。ミカは、途方に暮れ、絶望感を味わう。真っ暗な闇が、この世界と自分に向かって、ドロドロと押し寄せてくるような感覚。月面の写真から感じられたダークフィールドが再びこの世界を覆い尽くそうとしているのかもしれなかった。

 ミカは不安と共に、基地が存在しなかった事に拍子抜けし、宝生晶に対して急速に怒りを覚え始めた。ミカはいきなり写真を破り捨てた。

「考えてみたら、世界が一度滅んだのって、もともとあたし達のせいじゃないよね。あの時亮が言った通りだよ。あたしも亮も、勝手に世界の代表にされて、巻き込まれただけだし。もう私たちには関係ない。もし問題があるなら、あそこの人達が悩めばいい事なのよ。ソー思わない? これで、すっきりしたわ! もう時空研なんて、あんなヤツら、あんな事、二度と関わりたくない。どうして消えちゃったのか分からないけど、あたし達、もうあの人達と関わらなくていいんだから」

「来栖……」

「もう戻ってきたんだもの。この世界に。時空研で聞いた話なんて、もう忘れちゃった。二度と聞きたくないし。あたし、亮と同じ世界で、一緒に居られる。それだけでモー十分だ。これからも、ずっと一緒に居られるじゃん?」

「だけど、ディモンの事はどうする?」

 滅びゆく異東京で、レジスタンスに助けられながら命懸けでディモンと戦った亮には、ディモンに対する特別な感情がある。やはり、消える事ができない恐怖、憎しみがあった。

「知らない。亮、私、忘れたい。何もかも忘れたい。知った事じゃない。晶さん達が何とかするんでしょ。そうでなきゃおかしいよ。あの人、あたしが一度協力したら、もうそれ以上何も要求しないからって言ったもん。あたし達は、あんな事から解放されたの。もう悩まなくていいの。あたしたちは、この世界だけが新しいあたしたちの現実。あたしにとっては、亮が居る事だけが大事なの。亮が側に居てくれればあたし、それだけで何もかも……安心できる」

 亮はミカの顔をじっと見た。

「分かった……。来栖がそれでいいのなら、分かったよ」

 ミカの顔を見て、亮は言った。

 白羊の廃墟に、白い花が咲いて夕日を浴びてオレンジ色になっている。


 夜になった。二人は電車に乗って新宿へ向かう。世界の中心、西新宿摩天楼街へ!

 来栖ミカは再び、夜の新宿の摩天楼街の真ん中に立っていた。ミカは戻ってきたのだ。ここが、現在の来栖ミカの生まれた、かけがえのない場所。そして今はミカにとって再建された世界、亮と二人で生み出した世界だった。新宿の通行人は世界が一度、滅んでいるなんて、誰も信じないだろう。そして世界が瓦礫の中から再生したなんて、それこそ誰も信じない。

 ミカは持参したオーディオシステムを使って、ストリートライブを始めた。前の世界では学校で、そしてコンサートホールで決められた歌を唄っていた。しかしこんな路上で、見知らぬ人の前で自分の歌いたい曲を唱うのは初めてだ。あの平行宇宙で見た、光り輝く自分を体験した今、できるだけその方向に向かって走っていきたい。それは、確かに存在する現実なのだから。だから絶対になれる。以前は自分のためではなく、沢木先生のために歌手になろうとしていた。今は違う。誰かの為ではない。自分のために歌手になりたいと本気で思う。そう思うと血が騒ぐ。

「あたし、亮の世界みたいに、スーパーアイドルになる」

 ミカは、父親が好きなピンクレディーのビデオを何回も観て、リズムが体に染みついている。ミカはピンクレディーの振付を完璧に模写しながら唄った。自分の喉はこの世界でも健在だった。はたしてマイクは必要か? というくらい声が出た。ソプラノの歌唱力は健在だった。そのお蔭で、一曲終わるころには、あっという間に百人以上の人垣がミカの周りに出来ていた。

 誰よりも、亮に見られている事が何より嬉しい。亮の綺麗な眼に見つめられている事が。

 亮は踊っているミカをじっと見つめている。亮は、一度ミカを抱きしめてみたい、と思う。でも到底態度や言葉に表せない。それでも亮は幸せだった。ミカを心底好きだと思う。

 ピンクレディー、モーニング娘。AKB48、といった歴代の国民的アイドルたちの有名曲を続けていく。アイドルたちについて幼いころ父親から教えられた。ミカは新世界で再び立ち上がる。伝説の歌姫になってやる! 歌姫の実力を備えた本物の国民的アイドルになりたい! 声楽科などなくても、いやだからこそ自由に、歌手を目指すんだ、そう決心する。もう前の時のように、学校という後ろ盾も、大人のコネもない。前はそれがあったが、しかれたレールがうっとうしかった。ここには何もないけど、歌うステージはどこにでもあるし、練習する場所なんてカラオケでいい。那月の記憶では一人カラオケしてたらしいし、毎日カラオケに入り浸ってやる。この世界では、自由に歌えるんだから!

 唱い続けても、疲れない。

 人も居なくなり、ミカと亮は摩天楼の渓谷を歩いていた。摩天楼群は静かに立ち並んでいる。自然に二人で手を繋いで街を歩けた。あの劇的な世界の終焉など何も起こらなかったように静寂が街を包んでいる。ミカは今、幸せだった。

 あの夜、二人は同時刻に都庁の前に居た。そして、都庁の地下にあるヱルセレンのクロスユニバースの影響下に入り、出会う事ができた。なぜあの夜、ミカは絶望的な気分で新宿の都庁に逃げ込むように向かったか。なぜあの夜、亮は母親とひとみに会う為に、戦地の東京をくぐり抜け、都庁へ向かったのか。二人は最初から、出会う運命にあったのだ。それこそが、仕組まれた運命のシンクロニシティ。

 夜明けが来た。新しい世界と来栖ミカの夜明けだった。私は今、本当の自分になろうとしている――。

「辛い事がいっぱいあった。でも、よかったな。生きてて。あの時は、今日みたいな日が来るなんて思わなかったよ」

 ミカは都庁の屋上から街を見下ろした数日前を思い出している。

「俺も。こうして今、君と手を繋いでこの場所を歩いているなんて、今までの事を考えると、信じられない。今この瞬間が、奇跡としか言い様がない。俺が見てきたのは戦争の世界だった。だからこの世界が、あまりに素晴らしくてまだ夢の続きを見ているみたいだ」

「夢なんかじゃない。夢じゃないよ。これが現実。本当の現実。現実は心が作り出すってあの時晶さんが言ってた。それは真実に違いない」

 この平和が壊れない事だけをミカは祈っている。帝国……ディモン軍……。ディモンの船の事など、さっぱり忘れたかった。

「亮ってさ、戦争の前、何してたの?」

「俺も多摩音大付属校で、バイオリンをやってた。君は多摩音大付属校にはいなかったけど。画面の向こう側の人だった。小さい頃からずっと家で、母親にバイオリンを教えられていた。母さんは元々、音楽教師だった。母さんがピアノを弾いて、俺がバイオリンを弾いた。俺の母親はセレン研究所に入る前まで、一対一で教えてくれた」

「えっ凄いじゃん。バイオリンが弾けるなんて知らなかったよ。今度あたしに弾いてよ」

 バカップルみたいな声を出すミカに、亮は黙って首を横に振る。

「……もう無理じゃないかな。戦争以来触ってないし、母さんや戦争の事を思い出す。戦争前のようには弾けない」

 亮はうっすらと笑った。


 朝、ほとんど眠らないままミカが登校すると巨蟹学園高校の校門付近で生徒会長の選挙運動が行われている。候補者の中でも、ミカと同じ二年生の伊東アイというO組の少女が目立っていた。費用を掛けた顔写真入りのポスターが何百枚も学校の壁を埋め尽くしていた。アイの後援会の宣伝部隊があちこちで大声を張り上げている。伊東アイ本人が演説する校門付近に、多くの生徒が立ち止まり、伊東アイコールが繰り返されている。後援会は彼女のクラスだけではないらしい。ミカがよく見ると、伊東アイは廊下ですれ違い様に挨拶してきたあのショートカットの少女だった。顔だちはもちろん自分と同じ高校生だが、大人びていて思慮深く、容易には何を考えているか分からない印象がある。それに比べると対立候補の三年生は、精彩を欠いていた。始めから負けムードだった。先生達まで、明らかに伊東アイを応援している。昨夜の西新宿での決心と眠気で、選挙にほとんど興味が持てなかったが、その日のうちに行われた選挙で、伊東アイは生徒会長に選ばれた。巨蟹学園の生徒達のほとんど全員が、アイに票を入れたと言ってもいい程の圧勝だったらしい。ミカは壇上で大人びた演説をするアイの顔を見ていて、次第に眠気が覚めてくる。神妙な顔つきで横の那月に言った。

「ねぇ那月、あんな子、うちの学校に居たっけ?」

 ミカは廊下で会釈された時、始めて伊東アイを見かけたような気がした。

「え? 居るでしょ。ミカちゃん、うちの学校についてうとすぎ」

「知ってるの? 那月」

「もちろん知ってるよ! ほらぁ、全国模試でいつも全国トップになる有名人じゃん。成績優秀だし可愛いし」

「えぇ? 伊東アイが?」

 ミカは全国模試でトップになるのは鮎川那月だと記憶していたが、伊東アイの名前に覚えはなかった。たぶん前の世界には彼女は居なかった。むろん音楽と体育以外の勉強はそっちのけで歌まっしぐらの放蕩娘の来栖ミカは模試のランキングなど軽く圏外だ。

「何言ってるの? でもそれだけじゃなくて、生徒会長にまで立候補しちゃうなんて呆れちゃう程凄いよね。出来過ぎっていうか」


 異変は早々に翌日から始まった。昼休みに教室を出ていった那月が、真っ青な顔をして戻ってきたのでミカは驚いた。

「那月、どこに行ってたのよ。-------一体どうしたの?」

「さっき、生徒会に呼ばれたの。生徒会長のアイさんが、天文部を廃止するって。もう使っちゃいけないって言ってた」

 那月は沈んでいた。力なく、すっかり落ち込んでいる。それっきり、那月は弁当を広げず、机に突っ伏している。

「どーしてよ?!」

 ミカは机をバンと叩いて立ち上がった。その拍子に椅子が倒れ、クラスメートが一斉に二人に注目する。

「アイさん、あたしがUFOの写真撮ってるの知ってたの。なんでかなぁ? 大学の天文台を使って変な写真を撮るなっていう事で、天文台使わせる訳にいかなくなったって言うのよ」

 那月は小声で言った。

「えっ、あの事誰かに話したの?」

 ミカは声をひそめる。

「ううん、絶対話さなかったよ。あたしとミカちゃんの秘密だって言ったでしょ……。誰にも言わなかった、もちろん大学にも隠していたのに。やっぱり、大学が告げ口したのかなぁ? コンピュータにもデータは残してないはずだったったのに。でも、アイさん、大学から聞いたのかも」

「廃部にするだって?」

「天文部がずっと一人だったのも問題なんだって。前の生徒会長さんはそんな事、一度も言ってこなかったけど、新生徒会の方針なんだって。アイさんは一人しか居ない天文部が、こんな事に研究所を使っている事が問題だって言って。もともと、一人じゃ部として成り立っていないって。一人の為に、大学の施設は解放できないんだって。たった一人の人間の遊びに、大学の研究所を使わせる訳にいかない……たった一人の天文部は解散させるしかないって。そう言った」

 那月は涙ぐんだ。

「信じらんない! 先生は?」

「先生達もしょうがないって、アイさんの意見の方に傾いてて……誰も味方になってくれない」

 ミカは沈んだ表情で呟いた。

「そんなバカな。担当の先生だって、あんなに那月の事可愛がってたじゃん。大学でも、天文台の所長に気に入られてるんでしょ」

「そうだけど。……もういい」

 那月は机に伏して両腕で顔を隠す。

「何がいいのよ、全然よくないでしょ!」

 顧問や先生方もアイの意見に同調し、味方になってくれないらしい。

「だってあの人、うちの学校の理事だったんだよ。わたしもさっき知ったんだけど。伊東アイさんの家、巨蟹学園の経営者なんだよ。この学校は、もともと彼女のおウチのものなの。そんな人に勝てる訳ないじゃん。もちろん、生徒会長なんて最初からやる事が決まっていたに違いない」

 ミカには、伊東アイが何者だか訳が分からない。アイが理事のメンバーなら、生徒会だけでなく、学校の全てを掌握し、教師もコントロールしているのは容易に予想できた。だが、巨蟹学園自体がアイの家の所有物だとは。

「一人じゃないわよ! あたしも部員なのよ。忘れないでくれる。ま、確かに活動してなかったけど。あたしも、これから活動するからさ! 二人ならいいんでしょ?」

 もうディモンの船のことなど関わりたくなかったが、那月のためには仕方ない。

「もういいよミカちゃん。無理しなくて。あたし、これ以上アイさんに関わりたくない。あの人、なんか怖い……」

 何かあったのか分からないが、那月は伊東アイに異常に怯えている。だが、ここで引き下がる訳にはいかない。

「ちょっと、待ってよ! このまま那月の夢を諦めるというの? 大学に研究員として残って宇宙の研究するんでしょう。あの時、あたしに偉そうに説教したあんたはどこにいっちゃったのよ? あんな事があった夜だって、月の写真を撮りに大学に戻ったあんたじゃない。そんなあんたの夢を簡単に挫いてしまっていいの?」

「私、アイさんに怒られたくない。もうアイさんに呼び出されて、会うの嫌だ……」

 那月はアイにすっかり怯えている。何か那月をそうさせているのか。相手は自分たちと変わらない、小柄な少女だ。

「じゃあ、あたしも天文部員だって今から生徒会長に言って来るわよ! 抗議してくるから! 那月はここで待ってて!」


 生徒会室に行くと伊東アイは留守だった。役員の一人に聞けば校庭に居るという。ミカは校庭の角に一人で立っているアイを見つけて向かった。

 十一月だというのに、高気圧がはり出して、太陽がギラギラ照りつけ、真夏のように暑かった。

 近づいてみると、生徒会長の伊東アイの横顔が、只空をじっと見上げている。よく見ると、アイは太陽を直視している。少しも眩しそうではなく、顔をしかめることなく、大きな目で太陽を直視している。澄んだ表情だった。何をしているのか分からなかった。一向に眼を反らさないところが、普通じゃない。アイは眩しくないのだろうか? さらにアイは右手を上げて、にこっとして太陽に手を振った。驚きながら、ミカは奇妙な生徒会長に近づいた。

「伊東さん。天文部の事で話があるんだけど」

 アイはミカに気づいて、太陽からクルッとミカに視線を移した。それは、黒曜石の目。心の、奥底まで見透かされるような透き通る瞳。

「あぁ、さっきの鮎川那月さんのコト? あなたは------」

 アイは美少女の外見を持ちながら、その瞳の奥には何千年も生きて来た賢者のような光を持っている。間近に見ると、ミカはこんな雰囲気を持つ人物に出会ったのは生まれて始めて、そんな感覚を持った。大げさに言うと、カルチャーショックを覚えるほど。なるほど、生徒会長に選ばれるカリスマ性を持っている。

「那月と同じ二年A組の来栖ミカよ。天文部のもう一人の部員。あなたは、天文部が一人しかいないから、廃部にするって言ったそうだけど、部員本当は二人なの。だから、廃部にしないでもらいたいのよね」

 ミカは怯まずアイを睨み付けるように用件を伝えた。

「一人でも二人でも、部活動は五人以上が基本よ。人数が足りない事には変わりがない。来栖さん。それだけじゃない。今回那月さんの行った行為は、生徒会として見過ごす事ができないものだった。大学の許可を得て望遠鏡を使用している以上、大学側にきちんとした目的で、望遠鏡を使用する許可を貰っている。でも、そうでない場合は許可を貰う事ができない。大学の天文台は、他のサークルが使用するものとは違う、特別な施設なのだからね。ただでさえ一人しか居ない天文部だったのに、UFOの写真撮影では、遊んでるとしか言い様がない。きちんとした目的とは言えないわね。サークルの活動内容を把握して、活動実績を審査するのも、私の仕事だから。学園生活を健全なものにするためにね。廃部は仕方がない事ね」

 伊東アイが話すと、インディゴのオーラが輝いているように感じる。

「那月はね、これまでたった一人の天文部だったけど、凄く真面目にやってたのよ。天文の研究者になる事が夢なのよ。たった一度の過ちが何だって言うの? せめて那月が卒業するまで、このままにさせてくれない?」

 気おくれしてなるもんか。

 ミカの申し出に、アイはゆっくり首を横に振った。

「できないわね。残念だけど」

「UFOなんて、たまたま一度映ったのよ。それが目的じゃなかったわ。那月はちゃんとした宇宙の写真だっていっぱい撮ってるわ!」

「一度面白い写真が撮れただけじゃなく、ずっとUFOの写真を撮ってたでしょう」

「UFOだって、もしかしたら学術的に意味があるかもしれないじゃん!」

「ずいぶん熱心なのね。もし、UFOの写真を、あなた達がマスコミに発表してしまったら、巨蟹学園全体の信用を落とす事にもなる。大学の天文台は、世界一の規模と性能の天体望遠鏡を持っている巨蟹市のシンボル。あなたもここの生徒なんだから、知ってるはずでしょ。それが、大学の学問的信ぴょう性まで疑われてしまう事になったら、取り返しがつかない事になる。これまで、天文台を高校で借りているだけでも大変な事だった」

「そんな事しないわよ!」

「あなたも、もし写真を持ってるのなら生徒会で預かるから、出してくれる?」

「持ってないわよ! そんなの――」

「なら、あなたはこれからどうするつもり」

「勝手にさせてもらうわよ」

「あなたはこれから何を選択するの?」

「廃部なんて認めない。これからも続けるわ。あんたの指図は受けないからね!」


 アイと別れてからも、ミカは無性に腹が立って仕方がなかった。

「何よあの女! 伊東アイ、あんなに嫌なヤツだなんて思わなかった! 優等生ぶっちゃってさ、自分はイカにも正しいんだっていう顔をして! あぁいうタイプ大っきらい! ああもう、すっごいムカつく!」

 那月は、ミカの剣幕に驚いている。

「ミカちゃんて強いんだね。わたし、あの人の眼を見る事もできなかった」

 確かに気圧されたことは確かだったが。

「UFOの観測を続けるのよ、那月。伊東アイなんかに構う事なんかないわ」

 那月のUFOに対する思いが本気だから、そう言ってあげた。ミカが歌手目指して努力しているように、那月の夢は天文にあった。那月はずいぶんミカに励まされたらしい。ぱっと明るくなって、続けるとミカに誓った。本当はミカは写真を見たくもなかったが。ディモンの船など、帝国の不吉な陰を感じたくないし、忘れたい。だが、那月を励ます為には仕方がない。

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