第6話 ほうい。がろう。きかん。うそだ。(1)
街の名前が書かれた木の門をくぐり、石畳の道から土の道を歩き始め、一時間ほど歩いたところに分かれ道があり、右側の道の前の「危険! 入るな!」という立て看板を見てそちらの方角へ進み始めた。
しばらく歩いていると林の中に入り、道が徐々に獣道に変わって歩きづらくなった。
それから何時間歩いただろうか。二時間……いや三時間か。
ただ歩く。ただ足を前へ出す。それの繰り返し。
林の中に入った当初は、いつ敵が出てくるかと緊張していた。いつ襲われても反応できるようにと気を張っていた。
だがつい先程まで引きこもりのニートだった俺には、長時間の緊張に耐えられる精神などあるはずがなかった。
時間が立つごとに足が重くなり、前に進むことが気怠くなって、今に至ってはただ歩くことが辛くなってしまっている。
……そんな状態ではいけない。頭ではそう思いつつも、体と心の限界に理性が打ち勝てないのだ。
息を荒げ、首を上げて前を見ることすら苦しく感じている。
そんな折だった。前を歩く仲間の一人が、声を発したのは。
「ふむ。おそらくこの辺りのはずだが……」
関羽さんだ。歩くのをやめ、周りをうかがっている。
「そうだな。情報ではこの辺りが狼達の縄張りのはずだ」
そう返すのはミルドだ。関羽さんと同じく、周囲に気を配っている。
俺は全く顔色の変わっていない二人を見て、ブレイザーと今の自分ではこうも違うのかと
でも……よくよく考えて見ればそれも当たり前だ。俺はさっきまでヒキニートだったんだ。そんな俺が百戦錬磨の先輩たちに付いて行くなんて考えるまでもなく不可能なこと。気合とか根性でなんとかなるようなもんじゃないだろう。
……ふふ、俺には不可能。俺には不能。俺は不能。俺は無能。……はは、不能なんて言ったら別に意味に聞こえるな。はははははは……。
ほとんど鬱になっていると、関羽さんが「まずい!」と、感情を高ぶらせて声を発した。
「我らはすでに囲まれている! ……数は十……いや、二十はいるぞ!」
偃月刀を構える関羽さん。それを見て俺は辺りに目を凝らした。
すると鈍い光をいくつも捉え。
……目。赤い目だ。充血した眼。一対のそれらがこちらを睨んでいる。木の影から。あるいは茂みの中から。
外敵を貪り食うために。
いくつもの唸り声が重なって、不協和音を形成している。
その音が不快なのは、喉を鳴らす獣たちの負の感情が伝わってくるからだろうか。
それともそれが、死につながる音だと直感的に感じ取って恐怖しているからだろうか。
判断はつかない。
けれども予測はできる。
脳が警報を鳴らしているのだ。
――今すぐここから逃げろ! と。
「外を向いて背中合わせの陣を取れ! そうすれば向こうも警戒してすぐには襲いかかってこないはずだ!」
ミルドが叫ぶ。関羽さんがすぐにそれに応じたので、俺ももたつきながらそれに
「サイ! いきなりこの数の狼と戦えと言われても無理な話だろう。君は自分の身を守ることだけを考えろ。防御に徹するだけでいい。攻撃は俺達二人に任せていればいいからな」
右後ろにいるミルドから戦力外通告を受けた。だが言われなくてもわかっている。俺が完全に足手まといだということは。
「わかった!」
素直に応じる。今の俺では自分の身を守ることすら危うい。それでもそれくらいはと自身を奮い立たせる。
「サイカイ。奴らの武器は牙と強靭な
左後ろの関羽さんが狼との戦い方を教示してくれる。それは同じ敵と何度も戦うことで培ってきた経験を伝授する行為だ。しかし、実践を一度も経験していない俺が十全にそれを活かせるかというと……。その答えはあまりにも心もとない。
「わかりました!」
けれどこう言う他ない。他に選択肢はないから。唯一俺が取れそうな選択は逃げる、というものだが、周りを
「来るぞ、構えろ」
ミルドがそう言うと、茂みや木の影、草葉に身を隠していた狼がぞろぞろと姿を現した。
狼達は牙を剥き出しにして唸りつつ、唾液を垂らしながら近づいてくる。
確かにほぼ三百六十度――全方位にわたって狼は散開している。これでは否が応でも戦わざるをえない。つまり狼達は俺たちを逃がす気が全く無く、皆殺しにする気でかかって来ているということだ。
そう考え、狼達の姿を見ていると、勝手に脚が震えだした。ガクガクと痙攣したように揺れ、立っていることも危なげになってくる。
く、くそ……やべえ。……こわい。怖すぎる。もし狼に動脈を噛まれたら……出血多量で間違いなく死ぬよな……。くそっ、死にたくない死にたくない死にたくない。……これなら魂の消滅の方がまだましだったか。
ついにはダガーを持つ手まで震え始め、ややもすると取り落としそうになる。
それを見ていたからだろうか。それとも俺に殺気がないと感じ取ってだろうか、俺の前方十メートル以内にいた一頭が、大きな唸りを上げ始めた。
「グルルルルルルルッ……。ガァアアアアアアアアアッ!」
そして出し抜けの叫びとともにこちらに突っ込んできた。
狼の
「わああああああああああああああああああ!」
俺は恐怖のあまり自棄になり、目をつむってダガーを振り回すという愚行を冒した。
「ガウゥッッ!」
狼が俺目掛けて飛び込んできたと思った瞬間――
「ぬぅん!」
俺の目前で一陣の風が吹き抜けた。その風圧が俺の顔に当たり、髪は上方へ向いてなびいた。
突然の
狼は一瞬で死に絶えてただの肉片になり、俺の前にドサッと落ちる。
何が起こったのかわからず、いきなり目の前で肉塊と化した狼を見て唖然としていると、
「大事ないか? サイカイ」
関羽さんが前を向いたまま話しかけてきた。その声には相当の余裕があり、俺の身を案じて気を配るほどの精神の安定が感じられた。
「は、はい……すいません、足手まといで」
俺は申し訳ない気持ちでいっぱいで、縮こまりながら声を細くして関羽さんの言に答えた。
「謝ることはない。誰しも最初は要領をつかむのに時間を要するものだ。……だがサイカイ、目をつむってはならぬ。目をつむるのは達人が気を集中するときか、周囲の気配を感じ取る時くらいだ。お主の先の行動はそのどれでもない、自分の命を投げ出す行為に他ならぬ。戦場では
また教えを授けられる。しかしそれを実践することは頭で考えているより遥かに難しい。それでもなんとか
「わ、わかりました」
命を拾ってもらってほっとしていた俺だが、狼達の方はそうはいかない。同胞を亡き者にされ、殺気に憤怒と報復という大きなボルテージを積み重ね、今にも襲いかかってきそうな様相で唸りを大きくしている。
「来るぞ。これからが本番だ」
ミルドが杖を構え直して言った。その顔には汗一つ流れていないが、張り詰めた気がこちらに伝播しそうなほど前方の敵を注視している。
「グルルルルルルルッ! グルァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
狼達はひときわ大きな唸りを上げたかと思うと、
十数頭の獣が、追い込んだ獲物にとどめを刺すように牙を向けて。
俺はまばたきをしないよう心がけ、一番最初に襲いかかってきた敵の攻撃を防御することだけに集中した。
「はぁあっ!」
視界の隅ではミルドが杖を振り、前方に形成された魔法陣からいくつもの氷の矢が現れた。
その矢は一つ一つが違うターゲットの方向を向いており、それが目標を見定めるかのように自身を
引き絞った
数頭は跳んで
……すげえ。魔術師ってあんな器用なこともできるんだ。俺も魔術が使えれば少しは役に立てたのに……。
と悔しがっていると左側では、
「おおおおおお!」
関羽さんが偃月刀を振って狼を三頭同時に真っ二つにした。しかもその斬撃はそれだけにとどまらず、空中を矢のように飛んで一頭の狼の首をギロチンのように
……斬撃が飛んだ。アニメやゲームでしか見たことなかったけど、まさか実際にこの目で見ることになるとは。さすが五虎将の筆頭になった関羽さん。人間業じゃない。
関羽さんとミルドは、俺に迫る狼もカバーして攻撃をしている。そのおかげで俺のところには狼が辿りつけず、襲われる事態には至っていない。情けないことだが、おそらくこれが最も安全な戦闘指針だろう。
ほとんど関羽さんとミルドに挟まれる形で、俺は守られている。
偃月刀という
右側のミルドも同じような感じだ。氷の矢や火の玉、電撃を無数に飛ばし、狼達が一定の範囲に入った瞬間に撃滅している。今まさに四頭同時に襲ってきた敵に対しては、杖を振り上げて前進する炎の壁を作り出し、燃やし尽くした。
炎の壁が前進し、俺の前方の敵も炎上するのを見守っていると……壁が消えた転瞬――
一匹の狼が俺目掛けて飛びかかってきた。まるでその時を見計らっていたかのように。
「サイ!」
ミルドが俺の名を叫び、危険を知らせてくる。
関羽さんは三頭を相手取っており、俺を助けることはできない。
狼の口が大きく開かれ、俺の喉元に近づいてくる。
急所を確実に捉え、死に追いやるために。
最も弱い外敵を、
獣はその牙を用いて、俺を
しかし俺はそれをまばたきせずに見つめていて――
後方に倒れながら牙を躱し、その腹に一撃を見舞った。
それを受けた狼は、俺の後ろに倒れこみ、悲鳴をあげて転がりまわる。
……やった! 関羽さんやミルドみたいに格好良くはないけど、俺でもなんとか相手ができた……!
仰向けに倒れた俺を見てミルドは安心したように、
「ふ。無様だが、なかなかいい反応だった」
とニヒルに笑って褒めてくれた。
俺は二人に少しでも近づけたような気がして嬉しくなり、立ち上がってミルドに向かい、いたずらな笑みを浮かべて言ってやった。
「ふん、どうだ! 俺もやる気になればこれくらいは――」
そう言った瞬間だった。
関羽さんの
俺の後ろから咆哮が上がったのは。
ミルドは俺の真後ろを見ることができなかったため、今になって俺の名前を叫んでいる。
――死ぬ。
そう思った。
背後から首に噛みつかれて致命傷を負うと。
それでも俺は前に倒れながら向き直って――
「わああああああああああああああああああああああああ」
ダガーの剣の部分を顎に挟み込み噛み砕きに耐えた。情けなく叫びながら。
狼は俺に噛み付こうと、唸りながら首を振ってダガーを避けようとする。
「ああああっ! あああああっ! 誰か! 誰かあああああ!」
狼が一度頭を上げ、ダガーの脇から俺の顔に牙を立てようとした時――
俺の上にまたがっていた狼は吹き飛んだ。
吹き飛んだ先に顔を向けると、狼の頭には氷の矢が刺さっており、首が切断されて胴と分かたれていた。
狼の死体とは反対方向へ首を回すと、関羽さんが偃月刀を振り下ろし、ミルドが杖を前方に突き出していた。
……た、助かった。ホントにギリギリだったけど、なんとか死ななくて済んだ……。
「間一髪だったな、サイカイ。拙者が叫んだ時はもう駄目かと思ったぞ」
「本当だ。しかも俺を二度もヒヤリとさせて。おかげで寿命が縮んだぞ」
関羽さんとミルドが近づいてくる。周りを見渡すと、四つ足の敵は
俺は仰向けのまま天を仰ぎ、木々の間から漏れてくる陽光を浴びながら大の字になった。
「良かった……俺、まだ生きてる……」
自然と出たその言の葉を聞いた関羽さんは、「ふふ、そうだな」と感慨深げに言い、ミルドは「何を当たり前のことを。倒れた拍子に頭をぶつけたのか?」とからかってきた。
そのあと、腰が抜けて立ち上がれない俺は二人に担がれて森の外まで移動し、そこからは回復して自分の足で帰途を歩いた。
夕焼けに染まる帰り道で俺とミルドは自身の活躍を自賛し合い、関羽さんがそれに相槌を打って俺たちを褒め称えた。
行きしなは緊張と疲れで無言だった俺も、帰りになると達成感と高揚感で饒舌になり、関羽さんの腕っ節と偃月刀の扱いを「すごいです!」と連呼して称賛し、ミルドに対しては「あの魔法どうやって覚えたんだ?」とか、「他にもすごい魔法あるなら見せてくれよ」などと調子づいたことを言っていた。
しかし、青二才の調子に乗った振る舞いも、街の門が見え始めた頃には暗い空と同様冷め切っていた。
関羽さんとミルドは、俺の感情の機微に気づいてだろう、黙って歩を進めていた。
……たとえ関羽さんとミルドが褒めてくれても。
……意外に活躍していた、と思いやりのある優しい誰かが言っても。
――事実、俺は二人の足手まといだった。
それは誰の目から見ても明らかなことだ。
俺には力がない。
一人で依頼を完遂する力が。
圧倒的にその力が足りていないのだ。
――それはひとえに俺の経験不足と鍛錬不足が原因。
――それは取りも直さず生きていく力が不足しているということ。
この世界で俺は生きていけない。そういうことだ。
それは端的に言うと命の危機。生命維持が不可能な状態ということである。
しかしこの世界には病院のように生命維持装置などなく……。
いつも人を頼って生きてはどうか? 常時人と一緒で、依頼をこなすのもパーティを組み、生活するのも複数人で。それなら力のない俺でも生きていけるのでは?
だめだ。
力のない者はこの世界ではどうなる。
淘汰される。
ギルド内でもそうだが、この世界ではそのルールが暗黙の了解として強く適用されている気がする。
力のないものは必要とされず、集団に属する権利を与えられない。それがおそらく今の俺に適用される
ではどうすればいい……?
……力を手に入れるしかない。
それができなければ、死あるのみだ。
そう思い、ミルドに聞いた。
「人の能力値を見る魔法はあるか?」と。
その問いにミルドは
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