第5話 おーがん。ぶれいざー。かんさん。(2)

「じゃあ、これに名前を書いてね」


 カウンターの上の紙――「メンバー登録申請書」を指差して署名を促してくるおねいさん。


 俺は木製のスツールに座ったままで、「はい」と返事をしてペンを取る。ちなみにペンはボールペンね。


 名前と言われてようやく気づいたが、今の今までおねいさんの名前を聞いていない。メンバー登録が終わってから聞いてみようか。


 申請書には小難しい文章がだらだらと書き連ねられており、ざっと目を通してみると、それは登録に際しての同意を求めるものだと推測できた。

 中央辺りの行にはこう書かれている。


『乙(俺のことだな)が甲(ギルドのことだ)の業務においてなんらかの損害(死亡を含む)を被ったとしても、甲は乙のそれに対して何ら関わりを持ちません』


 ふむふむ。つまりこちらがどんな損を被っても、「俺関係ないからね! 関係ないんだからね!」と言っているわけだ。もっと口語的に訳せば「俺知らね」となる。


 それを読んで、「まあ、そんなことだろうと思いましたよ」と呆れた俺だが、今のところ生きていく術として頼りにできるのがギルドしかないので、申請書にサインをした。


「書けました」


 だからなぜ敬語に戻る俺。さっきからどっち付かずで男らしくないぞ。おねいさんの社会的地位が意外にも高いと実感したからって、敬語に戻す必要はないはずだろ俺。


「はーい」


 と言って申請書を手に取ったおねいさんは、俺の書いた名前を「ふむふむ」と頷きながら確認する。


 どうやら問題はないようだ。名前を書くだけなのだから問題など起きようはずもないが。


 しかしおねいさんは顔をおもむろに上げて、テヘヘ、といった様子で、


「ごめん。これなんて読むの? 漢字の名前って読み方がいっぱいあるからわかんないんだよね。あはは……」


 問題ありありじゃねえか。わからないならわかったような顔で「ふむふむ」とか言うなよ、紛らわしい。


 しかし……。


 しかしだ……。


 かわいいから許す。かわいいは正義。コレ絶対之ゼッタイノコトワリナリ


「ごめんごめん。ふりがな振っとけばよかったな。西海はサイカイで、最はマコトって読むんだ。名前の方は普通はサイって読むんだけどな。当て字ってやつだよ」


 読み方を教えると、もう一度紙に視線を戻し、


「ふむふむ。サイカイ、マコトと……。うーん。マコトって呼びにくいから、サイ君って呼んでいいかな? 良ければだけど」


 すっと顔を上げてニックネームでの呼称を提案してくる。


 ……サイ君。サイ君……。やべえな。一気に距離が縮まった感じがするぞ。これもうヴァージンロードまであと一歩なんじゃね? とか勘違いしそう。男の勘違いなめすぎじゃないですかね? おねいさん。


 俺はキメ顔で言った。


「いいぜ? どんどん呼んでくれ」


 キリリッ。


 されどおねいさんは俺のキメ顔などどこ吹く風で、


「じゃあサイ君て呼ぶね!」


 と元気に返事をし、


「それはさておきサイ君。サイ君は私に聞きたいことがあるんじゃないかな? かな?」


 首を傾げて無邪気な顔を向けてくる。


 ……それあかん。それあかんて。かな? かな? って繰り返すんはフラグやで。雨の日に窓の外見たらずぶ濡れで「ごめんなさい」を繰り返すフラグやで。それあかんやつや。


 ニックネームの件をさておかれたことも一方ならず気にはなるが。俺がおねいさんに聞きたいこと……なんだろう。なにか重要な疑問があったような……。


 あ。


 あったわ。俺がおねいさんに聞きたいこと。さっきから気になって気になって仕方のなかったことが。


 それは。


「スリーサおぶぶぶぶぶぶぶ!」


「スリー……なに?」


 きょとんとして小首を傾げるおねいさん。あっぶねえ……。ついつい本能のまま口が動いちゃったよ。そんなこととてもすごくめっちゃなまら聞きたいけど、聞けるわけないじゃん。そんなこと口にしたらせっかく縮まった距離が一瞬で空いて、最悪口も聞いてもらえない目も合わせてくれない避けられるの三拍子が揃い踏みで押し寄せてくるわ。そんなの耐えられねえ。心が砕け散る。


 ……聞きたいこと……聞きたいこと。そうかあれか! 


「今彼氏とかいぼぼぼぼぼぼぼ!」


「いまかれ……なに?」


 何やってんだ俺何やってんだ。確かにそれもごっつ聞きたいことやけど、それ聞いたらそういう目で見てるってもろバレだろうが! こういう時はアレだよ、名前だけ聞いて確実に距離を縮めるんだよ! ――って。


 って名前じゃん! 聞きたいこと名前じゃん! なんでそんな当たり前の疑問忘れてたし! おねいさんが気になるからってスリーサイズとフリーかどうかで頭が一杯になるなんてだめすぎだろ! 思春期真っ盛りの男子中学生かよ! 


 俺はごほん、としかつめらしく喉を鳴らし、


「えーっと……。名前はなんて言うの?」


 するとおねいさんは胸の前でパンッと両手を合わせて背筋を伸ばし、手をももに置いてから、


「私はギルド「オーガン」の受付嬢、アルト・レスネスですっ! みんなはアルティって呼ぶから、よかったらサイ君もそう呼んでね。これからよろしく」


 手を差し出してくるアルトおねいさん。俺はこっ恥ずかしさを覚えながらもその手を握った。……やわらかいです安○先生。


 ……アルティ。アルティか……。いい名前だ。ことあるごとに呼びたくなるな。やあアルティ! へいアルティ! さあアルティ! ねえアルティ! よおアルティ! にゃんにゃんアルティ! 


 手を離して、ニコニコしているアルティの整った顔を見て浮かれそうになりながら、


「えっと、じゃあアルティ」


「なに? なんでも聞いて。それが私の仕事だからね」


 にゃんにゃんポーズを取って「にゃんにゃん!」って言ってほしいな。という言葉が刹那せつな脳裏を過ぎったが、どうにかこうにかそれを払拭して、元の質問を思考の淵に手を伸ばして引っ張ってきた。


「メンバー登録はこれで終わり?」


「うん。終わりだよ」


「じゃあ、俺もこれで正式なギルドメンバー?」


「ううん。まだ仮登録だから正式なメンバーじゃないよ」


「……へ? そうなの?」


 さも当たり前のように仮メンバー(笑)と言われ、多分間抜け面で間抜けな声を出してしまった。


「うん。正式なメンバーになる前に、入会試験を受けてもらわなきゃならないの。ある程度依頼をこなす力がないと、ギルドではやっていけないからね」


 ふむ。平たく言うと役立たずと使えるものをふるいにかける行為か。よなげて米ぬかと米を分け、米ぬかは水に流す。力のないものは淘汰されるというわけだ。


「ちなみに、正式なメンバーになるとブレイザーっていう称号が与えられて、仕事をするときにちょっと融通が利くようになったりするんだよ」


「へえ。ブレイザーねえ……」


 なんかどっかで聞いたことある名前だなあ。俺が聞いたことあるやつも確かギルドが絡んでたような気が……。


「あと、ブレイザーは勇輝士ゆうきしとも言います」


 目をつむって人差し指を立てるアルティ。なぜか得意げだ。


「ほおほお、勇輝士かあ……」


 いやあ。既視感が半端ないですねえ。どうしてですかねえ。このしゃべり方にも既視感を感じますねえ。どこにと言うと黒幕的な要素にですねえ。ふふふふふふ。


「というわけで、今から試験だからね。付き添い及び試験官として正勇輝士の誰かに同行してもらうんだけど、うーん……誰がいいかなあ……?」


 考えだすアルティ。しかし俺の思考はひたと止まった。……え、今から……? 


「あ! ちょうどよかった! カンさんとミルド君! 今から暇でしょ? サイ君の入会試験の試験官をお願いしたいんだけど、頼まれてくれない?」


 俺の後ろに意識を向けて大きな声をかける。その声からはある程度の親しみが込められているのを感じられる。


 ギギギア○、とでも言うような動きで首を動かし体をアルティの視線の先に向けた俺は、今しがた階段を降りてきた二人の男に注目した。


 先に降りてきた長身の男は、掲示板の前にいるオーバーオール男達よりさらに身の丈がある。

 帽子のようなものを被っており、服はくるぶし辺りまであるローブのようなもの。顔は熟したナツメの実のような赤ら顔で、胸のあたりまで蓄えたほほひげとあごひげがとくちょ……。


 ……え。あれってまさか……。


 ――間違いねえ! あの御仁はまさしくあのお方だ! 


 俺は目蓋をひんく勢いでその人を見た。


「……か、かか、かかかか関羽さんがいる……! あ、あああああの、美髯公びぜんこうが……!」


 驚きすぎてどもりすぎている。驚きどもり喫驚の木。驚きすぎてつまらないことしか言えねえ。


 ……うん、やっぱり間違いない。あの偃月刀エンゲツトウ。赤ら顔。ほほひげとあごひげ。どう見てもあれは関羽さんだ。それも、多分全盛期の頃の。


 神様クソジジイが言ってた「あらゆる世界が融合している」ってのはわかってたつもりだったけど、実際に目で見てようやく理解した。要するに、歴史上の人物がいるのなんて当たり前ってことだな。


「サイ? そのひよっこの名前か? 大丈夫なのか? そんな何の取り柄もなさそうな冴えない男に試験を受けさせて。死んでも俺は知らないぞ」


 関羽さんにびっくらこいていたら後ろの青年が罵倒してきた。青年は呆れと苛立ちの入り混じった顔で、端正なそれをほんの少し苦いものにしている。


 青年は俺と同じくらいの背丈で、黒のローブに同色のとんがり帽子という出で立ち。手にはサファイアか何かの宝石が施された杖を持っている。


 ……ああ。こいつは間違いなく後衛。魔術師か魔法使いだな。後衛臭が見た目からぷんぷんしてやがるし。まあ、こー○ー臭なら関羽さんもぷんぷんなんだが。


「じょぶじょぶ。かんさんとミルド君がいれば二百人力だし。万が一ならありえるかもだけど千が一にも危ない事態にはならないでしょ」


 俺の前までやってきた関羽さんとミルドに、通常の声量でしゃべるアルティ。二人を相当買っているように思える。


 すいませんアルティさん、万が一も千が一も俺にはあまり変わりがないように思えるんですがそこは突っ込んじゃいけないところですかそうですかわかりました突っ込みません。


 にしてもかんさんて……。日本人の一昔前のあだ名みたいな名前で関羽さんを呼ぶアルティさんぱねえス。


「拙者は試験官の件かまわぬが……お主、試験に臨む覚悟はできているのか?」


 な、なんということだ……。関羽さんが、美髯公が、軍神が、この俺を見て話しかけてくださっている……! しかも心配までしくてくださるという光栄の極み。俺は今日で人生の運を使い切ってしまったのではなかろうか。


「は、はい! 西海最、すでに戦場にて命を散らす覚悟はできております!」


 敬礼して背筋を伸ばし覇気のこもった声を上げる。一兵卒になった気分で。


 しかし関羽さんは怪訝な顔をして、


「何を馬鹿なことを。……サイカイとやら、たしかに我ら勇輝士は常在戦場の心構えで依頼に臨まねばならぬ。しかしだ、我らが命を落としたら誰が街を――この世界を守るのだ? 我らは剣でありながら盾でもあるのだ。その我らが死んだらどうなるか……。よいかサイカイ。勇輝士は依頼の完遂を第一に行動している。だがそれと同等の優先事項として生きて帰ることもやり遂げねばならぬことなのだ。これから試験に臨むなら、その心構えを忘れずに同道してほしい。理解わかったか?」


 語り始めてからすぐに真剣の表情を宿して諭してくる関羽さん。その言葉には仁の心が込められている。


 俺は関羽さんの仁の心に感化され、はっと思い直して気を付けをした。


「は、はい! 理解しました! 依頼の完遂とともに生還することを念頭に置いて行動します!」


 さすが劉備の義兄弟関羽さん。なんといういたわりの心だ。一生付いて行きたくなるぜ。


「俺達の足を引っ張るならその手を焼き払ってでも放置していくからな。一人でせいぜい頑張ることだ」


 さすが初対面の人を遠慮無く罵倒するミルドさん。なんという冷たい心だ。一生付いて行ってストーカー行為で頭を悩まさせたくなるぜ。


「じゃ、二人共オッケーってことで! 試験の内容を説明するね?」


 話を進めるアルティ。もはやちょっと待って、と言える雰囲気ではない。関羽さんにあれだけ言われてやっぱやめます、と言うのはあまりにも体裁が悪くておくびにも出せない。


「今回の試験も前と同じね。繁殖が止まらない狼の群れを一つ退治してくること」


 窓口の奥で立ち、腰に手を当てて片方の手の人差し指を上げるアルティ。体の重心は左足に偏っており、そのポーズにより依頼内容の説明というルーティンが平常心で行われていることを推察できる。と同時に、「狼の群れの退治」という依頼が一人前のブレイザーにとっては平易なもの、という推測もできた。


 ……まあ、一人前なら簡単なんだろうが、新米にとってはどうか。それは未知数だ。

 

「うむ。了解した」


 頼もしい声とともに首肯する関羽さん。深い声が頭に残りすぎて惚れてまうがな! と叫んでしまいそうだ。


「了解」


 素気すげない返事でうなずきもしないミルド。後ろを向いた瞬間に後頭部を思いっきり叩きたい衝動に駆られる。スパコーンッ! って。


「わかりました」


 この流れだと俺も返事をするのが順当だろう。関羽さんのように威厳はなくとも誠意を以って応えることはできる。どっかのツンツンとんがりコー○とは違って。


「よし。では行こうか、二人共」


「ああ」


「はい!」


 関羽さんの声に答えると、


「いってらっしゃい。二人はサイ君をよろしくね。サイ君は初めてだから気をつけて!」


 アルティが見送りをしてくれる。気配りのできるその言葉に俺と関羽さんはうなずき、ミルドは視線だけを送って。


 ギルド「オーガン」の扉を開いた。


 が。


「あの、すいません。俺、ジャージだけで防具も何もないんだけど、ギルドに借りたりとかできませんか? できれば武器も欲しいんですけど……」


 そう言うとミルドがつまづいた。


「そういうことは先に言え! これから行こうかという時に……調子が狂うだろう!」


 くるっと向き直って声を荒げる。……あれ、こいつ意外にノリいいな、とふと思ってしまった。


「ふむ。それなら新人に与えられるものを借り受ければよいだろう。アルティ殿、用意してもらえるか?」


 関羽さんが冷静に、しかし優しくそう言うと、


「はーい。ちょっと待ってて」


 アルティは手を上げて返事をしてからギルドの二階へ上がっていく。


 それから少し待っていると、


「はい。新人ブレイザーに贈られる装備だよ。安物だけど、その格好よりはましだと思う」


 アルティが二階から抱えて降りてきたその装備を受け取り、俺は装着した。


 すると、


「おいヒョロ助! 安心しろ! お前が狼に食われて死んだら骨だけは拾ってやるからよ! ……まあ、骨が残ってたらの話だけどな! げははははは!」


 というありがたい言葉が掲示板前から飛んできた。


 簡単に言うと、レザープレート・レザーヘルム・レザーブーツ・レザーガントレットのレザー尽くしにダガーという、まんま初期装備だった。しかし、せめてロングソードにしてくれよ……、とは口が裂けても言えない。


 ……よし。これで俺も少しは戦えるようになったな。上手く立ち回れば狼に噛みつかれ、首を噛みちぎられて今夜のおかずになれるだろう。ふふ。見ていてくれよじいちゃん。俺、今すぐそっちに行くからな! 


 よーし。とりあえず作戦は決まったな。二人の後ろ|(に隠れて)でサポート|(傍観)役だ。


「うむ。それでは参ろう」


 扉をくぐった関羽さんの頼りがいのありすぎる声に、


「いってらっしゃーい!」


 というアルティの呑気のんきそうな声が重なり。


 俺達は町の外の森に向かって歩き出した。

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