第2話 おはよう。こんにちは。いいこいいこ。


(……妙な浮遊感だ……)




(……俺は、死んだのか……?)




 目を開けると、体はなぜか浮いていて、足の下は底の見えない暗闇だった。


 首を上げて周りを見ると、全方位がよくわからない暗闇に包まれていることが確認できた。

 暗闇の中にはきらきらと光る何かが点在している。


(ここはどこだ……。死んだとしたら天国なのか……)


 今思い出しても信じられないが、俺はブラックホールに吸い込まれた。

 とすると、その後はやはり重力に押し潰されたのだと予想できるが……。


「目は覚めたようじゃな。不運な青年よ」


 突然声をかけられ、顔を向けると、光り輝く人間――らしき者がいた。

 その人は全身から光を放っており、光の強さは太陽のそれを思わせた。

 顔にはしわが幾つもあり、蓄えた白いあごひげは腰のあたりでなびいている。

 着ている服は白く、しかしそれも光を放っており、清潔感を超えて神々しさを感じてしまうほどだ。


 白光を放つ老人。それを見た俺はある直感を頼りに口を開いた。


「まさか……! あなたは……!」


 それを聞いた老人は得意そうにひげを触り、


「ほほ。勘付いたか。中々に鋭い青年じゃな」


 と感心されたので俺は口を開いた。


「年をとった関羽さんですか……?」


 それを聞いた老人はひっくり返った。


 俺はその動作を見て自分の発言が的外れだったと悟り、


「あれ……違った……?」


(……おかしいな。長いあごひげといえば関羽さんだと思ったんだが……)


「お主、あごひげだけでわしを判断したじゃろう? 言っておくがわしはそれほど脳筋ではないぞ」


 一回転してから少し不満そうな顔で言う。

 そう言われると確かに脳筋な顔ではない。穏やかで、柳のような、に見える。人であるかはまだ判然としないが。


「ふむ。わしを人かどうか疑っておるようじゃな。さっきの発言は別として、その思惟しいはある程度評価に値するぞ?」


(――思考が読まれている? やはりこの老人……)


「あなたはまさか……!」


「そうじゃ、わしは――」


「……ダーウィン?」


 老人は前方支持回転のような勢いで回った。ギュルルルルルルルルル。


(これも違うか……。だとすれば残る可能性は……)


 本気で考え始めると急ブレーキをかけたようにグリ○ポーズで止まり、頭の上で10点という光を輝かせながら目を開いた。


「はぁ。お主に期待したわしがバカミたいじゃ。こやつはもしかしたら、と思ったんじゃが……」


 片手にひじをつき、あごをさすりながら残念そうに漏らす。


 俺はおもむろに言った。


「じいさん、もしかして神なのか?」


 そう言うとじいさんはスカッシュの玉みたいに飛んで跳ね返り始めた。ほとんど目で追えないので跳弾のようだ。


 俺にかすることもなく跳弾し続けた爺さんは、ようやく元の位置に戻ってくると、ぜえぜえ言いながらこちらに顔を向けた。


「ま、まさか今のでわかるとは思わなんだぞ。はぁ、はぁ……。お主、ふざけておるのか……?」


(今の? 今のってなんだ……?)


「いや、直感で言っただけなんだけど……」


(どこかにサジェストでもあったか……?)


 頭を捻っていると、じいさんは息を整えて疑わしげな顔をする。


「はあ。まあいいわい。とにかく正解じゃ。お主がわしの機転に気づいたかはともかくとしてな。……それで、どこまで理解しとる?」


「え? じゃあじいさん、ホントに神なの?」


 ほとんど当てずっぽうで言ったので繰り返し聞いてしまう。


「じゃからそうじゃと言っとろう。それで、どこまで理解しとるんじゃ? ――いや待て。その調子ではそれ以外何も理解してなさそうじゃのう。どうじゃ、当たりじゃろ?」


 面倒くさそうに言い始め、急に調子を変えて当たりをつけてくる。思考が読まれているのなら当たりも何もないだろうに。


「ああ、当たりだ。だから状況を説明してくれ」


 じいさんのクイズごっこに乗ってやることにした。


「よかろう。では説明してやるとしよう」


 そう言うと拳を口の前に持って行き喉を鳴らし、


「まず、お前さんは死んだ」


 初っ端からあまりにあまりな事実を突きつけてきた。


「俺、やっぱブラックホールの重力に押し潰されて死んだのか……」


「そうじゃ」


「質問なんだけど、なんでいきなりブラックホールが現れたんだ?」


 それが一番気になることだ。確かに現実にブラックホールは存在する。でも宇宙空間やそれに近い擬似空間でもない、普通の民家の二階に存在することはまずない。ていうかそんなとこに存在してもらったら困る、常識的に考えて。


「それを語るには他の世界のことを理解してもらわねばならぬのじゃが……お主、パラレルワールドという言葉は知っとるかの?」


 片目を閉じて、姿勢を斜めにして聞いてくる。その目の仕草はギャルゲーだけでお腹いっぱいだからやめてほしい。


「なんとなくは。言い換えると平行世界だろ?」


「ほほ。大体の要領はつかめとるようじゃの。なら話は簡単じゃ――」


「もしかして異世界のブラックホールが俺のところにやってきた、とかそういうオチか……?」


 平行世界という単語が出てくれば、そう考えるのが最も腑に落ちる。そう思いついて言うと、


「ほほ。お主やはり鋭いのう。……そう。そういうことじゃよ。お主の世界とは違う世界から何らかの接触があり、その際にできたつながり――言わば勝手口ような穴からあのブラックホールが送られてきた。そういうわけじゃ」


 あごをさすりながら褒めてくる。どうやら機嫌がいい時の癖らしい。

 しかし褒められてもこちらの機嫌が良くなることは一切ない。内容が内容なだけに。


 俺は二番目に気になることを聞いた。


「誰がやったんだ? 誰がブラックホールを送った?」


 そう、問題は誰の仕業かだ。そいつが誰で、何の目的があってこんなことをしてきたのか。それが重要だ。


 質問すると、じいさんは難しい顔を作り、


「それがじゃな……わからんのじゃ。高位の術者が行ったことと、その術者がどの世界にいるか、それだけはわかったのじゃが、それ以外はさっぱりなのじゃ」


 こんなことは初めてなのじゃがな、と続ける。


 術者。つまり他世界の魔法使いかそれに類する者だろう。ゲームや小説である程度の知識はある。世界が違うならそういう者がいても不思議じゃあない。


「じいさんは、多数の世界を管理する神……言うなればシステムそのもの、なんだよな?」


 確認のため聞いてみる。おそらくは間違いないだろうが。


「うむ、そうじゃ。現在わしが管理する世界は……えーと……」


「いや、それがわかればいい。どうせすげえ数なんだろ? 俺が想像すらできないほどの」


「ほほ。その通りじゃ。すげえ数じゃよ」


 得意気に破顔する。その手はまたひげに持っていかれている。


 俺は何気なく、感情を平坦に維持して話し始めた。


「そこで聞きたいんだけど、多数の世界を管理するっていうのは――じいさんの持ってる千里眼を優に超えるはずのそれは――、なんてことが本当にあるのか? もしあったとして、それに変わる、なんてものは、幾らでもあるんじゃないのか? そうじゃないと、無量大数――もしくはそれすらも超える数の世界を観察、管理なんてできないよな?」


 じいさんは無言で、体の前で手を組んで俺の話を聞いている。その顔に表情はなく、ただひたすらに視線を重ねてきて、俺は脳内を覗き込こまれているような気がした。


「なあ、俺の言っていること……間違ってるか?」


 そう聞くと、じいさんは悟りを得たような顔つきでゆっくりと二回首を振り、再度視線を合わせてきてから口を開いた。


「いや……何も間違っとらんよ。お主の言うとおりじゃ。わしが見落とすことなど万が一――いや、無量大数が一にもない。それ以上母数が増えれば相対的に確率は上がっていくじゃろうが、まず無量大数と定義するところから間違っておる。母数の定義が間違っておるのじゃ。わしが見ている世界は無量大数などという数には納まりきらん。お主の世界の数の概念では、まず定義することができんのじゃよ。それでも、わしが見落とすことはありはしないがな」


 滔々とうとうと、されど淡々と語るじいさん。しかし言葉の端々からは、システムとしての矜持が感じられる。システムではあるが、感情が除されていると考えるのは早計だ。なにより未知の存在なのだから。


「だったら……俺の言いたいことはわかってるだろ?」


 ――俺の思考が読めるんだから。あえて口に出さずにそれを伝え、じいさんの返答を待った。


 すると、じいさんは空中で膝を折って正座し、視線を一瞬合わせてきたかと思うと体を曲げ――


「――すまんかった!」


 上半身を下に向けたままで謝ってきた。つまり土下座でごめんである。


 俺は頭をかき、視線を幾度か逸らしながらも、


「顔上げろよじいさん。あんた神だろ。神がそんな簡単に頭下げてちゃ他の神に示しが付かないだろ」


 他がいるのかは知らないけど。そう思いながら言った。


 じいさんは顔を上げ、


「ゆ、許してくれるのか……?」


 何かにすがるような面持ちでおずおずと聞いてくる。


「ああ。だからこんなことになった経緯をちゃんと説明してくれ。このままじゃ俺、死んでも死にきれねえよ」


 わけもわからず即死とか……即死技持ってる敵に初見でいたぶられるよりたち悪いわ。リアルなだけにな。


 じいさんはおもむろに立ち上がると、また手を口の前にやって喉を鳴らした。しかし今回は口に出すのをはばるような、まるで恥さらしを拒否しているかのような悩ましい面様おもようでだ。


 これはなにか大事おおごとをやらかしたに違いない、と考え、俺は話し始めるのを待った。


 しばしたたずんでいると、体の前で手を組み、小さくなりながら、


「実は――」


 そう言うじいさんに、「待った」と声をかけて発言を制した。


「もしかして……。俺の世界のインターネットを見ていたら面白い動画を見つけてそのサイトにドハマりしちゃって、そのサイトを見ているうちに自分も動画を投稿したい、と考えるようになって動画を投稿し始めたら思いのほか反響が大きくて、ノリに乗って動画をアップし続けていたらある時ブラックホールを発生させる動画をあげようと思いついて、その動画をあげたら何の手違いかその世界とのつながりができちゃって、それを知らずにブラックホールを放置してたらブラックホールがモニターを引き寄せられ始めて、ブラックホールはちょうどモニターにできていたつながりに吸引力の勢いで入っちゃって、暇つぶしに動画を見ようとリンクをクリックした俺のPC――及びモニターがどんぶらこっこ流れてきたブラックホールをぺっと吐き出して、ブラックホールはその吸引力と超重力で俺もろとも周辺約5kmを食い尽くしてようやく気づいた神によって止められましたとさ、っとこんなところだと思うんだけどどうよ? そこのところ」


 どこが「そこのところ」なのか自分でもさっぱりだが、なんとなくそうなんじゃないかなあと想像して、推測してみた。

 そしてまくし立ててみた。どんな反応が返ってくるだろうと思って。


 俺の話を冷や汗を流しながら聞いていたじいさんは、初めは固まって耳を傾けているだけだったが、中盤辺りから手で顔を覆い、終盤になると顔を覆ったままもだえ身をよじり、最後には天に向かって慟哭どうこくするように嘆き無言の叫喚をあげていた。


 それらを終えると、がっくりと頭を垂らし、間を十ニ分に空けてから、


「……わし、泣いてもいいかの……?」


 と、涙目で聞いてきた。


 俺は、良心に訴えるかけるようなその目を見返して、海の如き母性を表情で発揮し、


「ああ。泣けよ、好きなだけ。肩は貸すぜ?」


 と、言動は最高の親友のそれに則り、


「わぁああああああああああああああああああああああああああああああん!」


 としがみついてくるおじいちゃんを両手を使ってひしと抱きしめた。

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