九、儚い雪の無惨な骸

 アインズは驚愕きょうがくに声を失う。

 たっちが発動したスキル『次元断切ワールドブレイク』に、

 かつての威力そのままの、圧倒的な力の波に――


(あり得ない……! どうして、このタイミングで……っ)


 何事につけ慎重なアインズは、「ワールドチャンピオン特有のスキルを使えない」というたっちの言を鵜呑みにしたわけではない。


 たっちがアインズに幾分の疑いを抱いている場合、またたとえ完全に信用していたとしても、戦術的見地から敵味方双方に対して己の切り札を隠している場合など、あえて嘘を吐くという可能性も考慮していた。


 だが。


 これまでの戦いで、『次元断切ワールドブレイク』を使うべき局面はいくらでもあった。

 ウルベルトもそうした局面を想定し、策を練っていたことだろう。

 アインズのにらんだところでは、おそらく補助に徹していたデミウルゴスにもいくつか指示を出していたはずだ。


 にもかかわらず、たっちは使わなかった。

 どんなに慎重に判断しても、やはりこれは「使えない」と認めなければならない――そう認められてなお、念のためにアインズは試験的なことを行いもした。あえてウルベルト側の体勢を崩させるような攻撃をし、ウルベルトもまたそれに乗った。そう、念には念を入れて。


 それでもなお、たっちは『次元断切ワールドブレイク』を放たなかった。


 使わなかったのではなく、

 使えなかった――


 使えないと、思い込まされていた。







 種明かしを始めよう。

 それはまがい物のタブラが見抜いた可能性。

 るし★ふぁーの悪戯いたずらがこのゲームに敷いた、理不尽な隠しルール――


 『本人が使えるはずの魔法やスキル等が、使えないものと思い込んでしまう』という、ルール。


 『ナイトメア・カーニバル』開始にあたり、まがい物たちは己の弱体化についての情報を『配信』された。

 そこにあらかじめ、誤情報が仕掛けられていたのだ。本人は決して気付けない、強力な暗示となる誤情報が。


 誤情報には二種類のパターンがある。


 一つは「そもそもそういうスキル・魔法を使用出来たという認識を消去されている」パターン。こちらの場合、防衛側であるアインズやNPCたちもまた、『ナイトメア・カーニバル』終了まで誤情報を無意識に刷り込まれることになる。


 もう一つはたっちのように、「弱体化によって制限され使用不可になったと認識している」パターンだ。


 誤情報を刷り込まれたかどうかを確かめる方法は、ある。

 他のまがい物の至高と、情報をすり合わせればよかったのだ。


 誤情報は、当人だけでなく他のものたちにも『配信』される。

 しかしまがい物の至高のうちの少なくとも一人は、真実の情報を持っている。元来そのスキルや魔法が使用可能であり、『ナイトメア・カーニバル』中であっても使用制限はされていない、という情報を。


 ここで、タブラの抱いた違和感を思い起こしてもらいたい。

 彼はアルベドが形態変化をしないことに対して不審を抱いていた。


 そして今――デミウルゴスは最初の形態、人間に似た姿を取っている。ウルベルトらが最終形態を取ることを命じず、またアインズもそのことに疑問を抱いていない。


 もうお分かりだろう。

 これは第一のパターンの誤情報。防衛側にさえ刷り込まれるタイプのものなのだ。


 アルベドには形態変化が可能である、という事実を、

 ナザリック内部で正しく認識していたのは、まがい物のタブラただ一人であり、


 デミウルゴスには形態変化が可能である、という事実を、

 ナザリック内部で正しく認識していたのは、まがい物のペロロンチーノだけ。


 そしてたっちのスキルについて、正しい情報を持っていたのは、

 他でもない、まがい物の武人建御雷である。


 だからこそ彼は、ウルベルトとの作戦会議において、たっちがそれらのスキルを使えなくなったなどというデータは配信されていないと言明したのだ。


 もっとも。


 それが「本当なら使えるはずだ」と判明したところで――

 誤情報のもつ強力な暗示は、それら魔法やスキル等の発動を阻んだろう。


 使用はほぼ不可能なはずだった。


 にもかかわらず。


 たっちは成し遂げた。

 強固な暗示を打ち破った。

 意志と信念でもって。

 己の『正義』によって。



 誰に予想出来たというのか。

 この場にいる誰も、誤情報の存在すら知らなかったのに。


 想定もしない要素を、障害を、さらに打ち破って行われた、まさしく破天荒な最期の悪足掻あがきは、アインズを混乱させ、ウルベルトの虚を突いた。


 迫り来る『大災厄グランドカタストロフ』を縦に割り、

 『次元断切ワールドブレイク』ははしる。


 しかし、『大災厄グランドカタストロフ』も死んではいない。

 その大技は空間を切り裂く斬撃に道を譲ることになったとはいえ、

 それが行き過ぎるよりすぐに、切り分けられていた暴威は左右から苛烈に注ぎかかった。


 暴虐の波は、すでにHPを消耗していたたっちを容赦なく死へと押し流し、

 後方に控えるアインズにもまた、激甚なダメージを与えた。


 痛みの感覚。

 これほどまでに激しいそれを、アインズは味わったことがなかった。


 いまだHPは残っているとはいえ。

 この苦痛、この目眩めまいにも似た感覚、全身がばらばらになるという錯覚さっかく

 パニックに陥ったなら、いっそ精神抑制が作動して楽になったかもしれない。


 しかしアインズは堪えた。

 今このとき、混乱に身をゆだねているわけにいかない。


 凄まじい威力と速度でウルベルトへと迫る『次元断切ワールドブレイク』を、食い止めなければ。


 あれはウルベルトを殺してしまう。

 そうなれば、『ナイトメア・カーニバル』で生じた至高の存在全てが滅びたこととなり、


 アインズは再び、失ってしまう。

 すぐそこにあったはずの、望んでいた未来を。

 仲間たちと一緒に、ずっと一緒に、このナザリックで。

 けつくほどに、ひりつくほどに、強い祈りと願いを、

 手を伸ばせば届く距離にあったはずの、その実現を、


 失ってしまう。


 魔法を。

 ウルベルトを守るために、

 つむがなければ。


(糞……っ、糞、糞、糞!)


 つむいでいる。

 紡ごうとしている。

 なのに発動しない。

 超位魔法並に時間がかかる――


 違う。

 それはアインズの研ぎ澄まされた知覚が、刹那をさらに切り分けて捉えるからで、

 魔法は一切の遅滞なく発動しようとしている。

 遅滞なく、しかして遅すぎる。









 デミウルゴスがすぐさま動けたならば、盾ともなり得たろう。

 しかし彼は、コキュートスの救助に向かい、振り払われ、

 本来ならば『大災害グランドカタストロフ』の効果範囲外にいたはずが、

 『次元断切ワールドブレイク』によってその範囲がやや外側に膨れた余波を受け、

 『大災厄グランドカタストロフ』の辺縁に触れただけでありながら、衝撃は凄まじく、

 デミウルゴスはどうにか防御しようとはしたものの、もんどり打って倒れ、両手両足を這いつくばるがごとくにブレーキをかけ、

 焦りのままに、創造主のもとへ跳躍せんとするも、

 すでにウルベルトとの距離は、開きすぎていて。


 スキルも、魔法も、

 己が身をていしてかばうことさえ、

 不可能だった。











 ウルベルトもまた、自らを守れない。

 彼は『大災厄グランドカタストロフ』を放った直後、

 すぐさま魔法を唱えようとも、

 ひたすら退避を試みようとも、

 その圧倒的な性能をもつ、チートじみた斬撃を、

 弾くことも、避けることも、弱めることすら、出来はしない。


 不可避の死を前にして、

 終焉しゅうえんを覚悟して、


 ……初めて彼は、目をそむけ続けた事実に、

 無意識の領域へとおさえつけられていた想いに、

 気付いてしまった。


 気付くことを、己に許してしまった。





 


 しかし――







 ウルベルトの眼前に、飛び出した者がいた。


 ちょうど彼は、いましも赤熱神殿内部にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで転移してきたばかりだった。


 原則として転移不能の『ナイトメア・カーニバル』。

 特例たる彼、パンドラズ・アクターは、どんな局面にもとっさに対応出来るよう、己の本来の姿に戻っていた。


 もしも、もっと早くに。

 アイテムのチェックに時間をかけず、すぐさま駆けつけていたなら。

 あるいは彼は、すでに防御や回避に優れた至高の存在に変身して装備も万端調ととのえていたかもしれない。


 そうすれば、この後――

 彼はアインズを説得出来ていたかもしれず、

 ウルベルトがもたらすであろう波紋を打ち消す役目を果たしたかもしれない。


 だが、もう全てが遅い。


 姿を変えている余裕はなかった。

 即座に行動し、ウルベルトの前に出るのでなければ。

 そして全力で防御に徹するのでなければ。


 『次元断切ワールドブレイク』はパンドラズ・アクターのHPを――シャルティアとの戦いのあと、回復アイテムの制限された使用によってどうにか半分程度まで回復させていただけの、そのHPの全てを、一気に削りきった。



 胴体を真っ二つにされ、崩れ落ちるパンドラズ・アクターの後ろ、

 ウルベルトにもまた、たっちの恐るべき斬撃が襲いかかったとはいえ、

 盾となる者がいたことにより、どうにか。

 かなりのHPを削られながらも、ぎりぎり。

 生き延びることには、生き延びた――

 生き延びて、しまったのだ。






 ウルベルトは踏み留まる。

 その胸には大きな傷跡がえぐられ、苦悶くもんの表情で身を折ったとはいえ。


 初めて知る圧倒的な痛みの感覚に目眩めまいを覚えながら、

 しかし肉体に加えられる以上の痛みを、眼前に倒れ伏した者の、無惨に分けられた胴体に感じずにはいられない。


 コキュートスと建御雷の死は、すでに覚悟されたことだった。

 たっちを相手取って闘う以上、彼らの死は不可避であった。そのHPが徐々に削られていくのを目の当たりにするのは苦しいことではあったが、それでも心の準備をするには十分な時間があった。


 だが、パンドラズ・アクターは。

 本来、この場でこの瞬間に、死ぬはずではなかった。

 そんなことを誰も予測していなかったし、予想出来るはずもなかった。


 ウルベルトですら、そうだったのだ。

 まして、その創造主にとっては――



「……パンドラズ・アクター?」



 呆けたような、

 彼らしくもなく気の抜けた声。


 感情がどこかに置き去りにされて、

 目の前の現実が受け入れられなくて、

 ふと伸ばした手が震えていることにすら、

 自分では気付いていない。



「……アインズ様」


 応じるように絞り出された声はかすれ、

 ほとんど聞き取れないほどで。


 アインズが発動した無意味な魔法、本来ウルベルトを守るためのはずだったものが、対象を見出せず不発となって、ぱん、という音を立て、さらさらと白い粉をパンドラズ・アクターの背に降らせる。



 雪。

 白く、どこまでも無垢な色をした雪。

 そんな美しいものが、かつては確かに存在したのだと、

 まるで親しいものを語るように、懐かしげにブループラネットが話していたことを、昨日のことのように思い出した。



 アインズも、ウルベルトも。

 同時に、思い出していて。


 けれど後者ウルベルトにとって、それは皮肉でしかない。己はまがい物であり、不意にいた狂おしいまでに切ない懐かしささえ、偽物と呼ばねばならないから。


 そして前者アインズにとって、雪は儚さを象徴する。

 雪はあまりに儚く、消えてしまうと聞いていた。


 実際に消えるところを、見たことなど無かった。

 雪が降るということさえ、彼には程遠いことだったから。


 儚く、消える。

 倒れ伏した者の、背に降り積もって、

 その者ごとに、消えてしまうのではないかと。


 思ったときに、ようやく、

 アインズは現実を理解する。


「アイ、ンズ……様……」


 パンドラズ・アクターは、その腕を少しだけ、持ち上げて。

 届くはずのない創造主へと、伸ばす。


 それは。

 アインズが無意識に宙に伸ばしていた手と、

 遠く隔たりながら、その間の空気を繋ぐようで。


「どう、か……し、あ」


 どうか、幸せに。


 ほんのささやかな、祈りの言葉すら。

 最後まで口にすることは叶わなかった。


 ぱたりと、腕は落ちて。

 それきり、だった。


 彼は消えない。

 雪とは違うのだ。

 そこに、厳然として。

 その屍は、在り続ける。


(……っ、違う!)


 沸き上がった激しい動揺は沈静化され、

 焦燥にも似た感覚がちりちりとアインズの胸にわだかまる。

 振り切るようにかぶりを振り、無意味に伸ばそうとしていた手を引き戻して、杖を握りしめた。


(『ナイトメア・カーニバル』が終われば……っ、パンドラズ・アクターもまた復活する! コキュートスも、それに……それにギルメンみんなも……)


 己に言い聞かせながら、屍から目をそらした。

 そうしてようやくウルベルトが移動していることに気付く。


 攻撃、してくるわけでもない。

 ただ静かに、左へとずれただけ。


 視線をそちらに向け、アインズは気がつく。

 パンドラズ・アクターの亡骸なきがらがアインズの視界に入らないようにと、ウルベルトが配慮したことに。

 また、もしもアインズが攻撃を仕掛けるとしても、屍を傷つけることのないように、魔法の効果範囲を考えて。


 それを見て、ふっと冷静になる。

 ウルベルトらしい、と。そう思っただけで、不思議なくらいに。


 冷静になって、

 そうして初めて、頭に疑問が浮かぶ。


 どうして、パンドラズ・アクターは動いていたのか?


(あいつは宝物殿の領域守護者だ。『ナイトメア・カーニバル』が始まったとき、たまたま世界級ワールドアイテムを手にしていたのかもしれない)


 即座に浮かんだ仮説は、それがあまりに素早く頭に浮かんだので、かえって何かしら胡散臭うさんくさく言い訳めいた印象を、アインズ自身に覚えさせる。


 気付いていたはずなのに、

 気付かぬふりをしていたことが。


 抜き差しならない陥穽かんせいを、

 彼の足元に穿うがとうとしていた。

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