七、笑う戦鬼と揺らぐ正義

 武人建御雷は、己のHPが危険水域にあることを知っている。

 弱体化していても、ユグドラシル全体にあって最強の一角と呼べるたっち・みーが相手とあらば、なおさら。


(やっぱり凄いよなあ、たっちさん)


 かつてオリジナルの建御雷がクラン『ナインズ・オウン・ゴール』に参加したのは、他でもない。

 あのたっち・みーの強さに惚れ込んだからだ。


 建御雷が究極の一振りを生み出すべく努めていたことをギルドメンバーたちは知っていたが、それは単に建御雷が武器作りを趣味としているからだと解していた。

 真の狙いは、たっちを倒せるだけの刀を生み出すこと。

 それこそが彼の望みであり、悲願であった。


 だから。


 たっちが引退したとき、建御雷は。

 ユグドラシルに居る意味を失った。


 追い求めてきた情熱の先が、

 すっとかき消えたとき、


 彼はユグドラシルを捨ててしまったのだ。


(……こんなことになるんなら、完成させておくべきだったな。究極の一振りを)


 そう、それさえこの手にあったなら――


 あったなら、どうだったと言うのだろう。


 ただ我欲のままに闘えたか?

 ウルベルトの願いにも、パンドラズ・アクターの決意にも背を向けて?


(どう、なんだろうなあ)


 ウルベルトに、自分の好きなようにやれと言ったのは。

 本当には自分の好きなように出来ない彼が、やろうにも準備が足りない彼が、せめても親友に代わりに、すっきり何かをやり遂げてほしかったからだろうか。


(さて。そろそろ頃合いか)


 気負いもなく、ぶらりと。


 前に出てみれば、たっちよりも味方コキュートスが慌てた。


「武人建御雷様! オ、オ下ガリクダサイ!」

「おいおい、俺を隠居老人扱いすんなよ。仲間はずれは御免だぜ」

「不敬ヲ承知デ申シ上ゲマス、御身ハコレ以上……!」


 お前だって満身創痍まんしんそういだろうが、と。

 無粋なことは胸の内に収めて。


 問答無用に斬りかかってくるたっちの、いい加減清々しいまでの空気の読まなさも含め。


 隣でおろおろしているわりには的確に適切に、きっちりとたっちに打ちかかっていくコキュートスの戦士としての本能に感心し。


 建御雷は我欲のままに刀を振るい、

 高らかに笑う。


 ああ、一対一なんて望むべくもない。

 今の己はあまりに弱く、今でも奴はあまりに強い。


 かなわない。

 叶わない。


 それなのに、まったく。

 度しがたいまでに――


「最っ高だな、コキュートス!」


 コキュートスは唖然あぜんとして、

 それでも創造主を守らんと果敢かかんに攻める。


 建御雷に後方に控えている気がないのならば、

 攻撃こそ最大の防御と開き直ったか。


「お? たっちさん、どうしたよ。剣筋が雑になってるぜ」

「……どうしてあなたはそんなにも、楽しそうにしていられるんです」


 たっちの声には強い苛立ちがにじむ。

 猛攻には、彼らしくもない激情のりきみがうかがえる。


「楽しいからさ。楽しくて愉しくて頭がおかしくなりそうだ。本当に――あんたとこうして斬り結べるだけで、俺は百万回死んだっていい気分なんだ」

「ふざけたことを……あなたも、コキュートスもデミウルゴスも……っ、ウルベルトさんも、モモンガさんだって……みんな、みんな勝手すぎるんですよ……!」

「ごちゃごちゃ考えすぎなんだよ。なあ、あんただって戦士だろ? よおく自分の胸に聞いてみろよ。わくわくしてんだろ? 血が沸騰ふっとうして、肉がき立つんだ。それだけでいいじゃないか。ただ闘うだけで、結果は後から考えりゃいい」

「違う……違う! 私は……!」 


 血反吐ちへどを吐き出すように、絞り出した声は。

 その先を続けることはないままに。









 たっちは、警察官として、法の番人として、

 何人もの犯罪者を逮捕してきた。


 その中に純然たる悪人など、どれだけいただろうか。


『どうして』


 突きつけられる、慟哭どうこくの数々。


 自分たちの罪をとがめる前に、腐った社会を正すことは出来なかったのかと。


 人間が傲然ごうぜんと選別され、

 命の価値を低くみなされた人々は貧困から抜け出せず、ひたすら消耗品とされ、


 持てる者と持たざる者の格差は広がるばかりで。


『俺じゃない』


 冤罪えんざいだと叫ぶ人々がいた。

 その中にはたっちにも、確かに冤罪ではないかと疑われるものがいくつか含まれていた。

 しかし、捜査することは叶わなかった。

 必ずどこかから、妨害が入る。

 存在しなかったはずの証拠がいつの間にか生まれている。

 その陰にはたいてい、富める者が、権力ある者がいる。


 汚れた世界。

 汚れた社会。

 正義を望んで警察官になったのに。

 守るべきものは弱き人々だったはずなのに。


 彼が番人となった法は、エリートを守り、それ以外を切り捨てるためのシステムへと堕していた。


 ……だから。


 だからせめて、ゲームの世界では。

 堂々と、信じる正義を。


『誰かが困っていたら助けるのは当たり前』


 そんな当たり前が、叶わない現実リアルだったからこそ。




 けれど。


 ここはもう、ゲームではない。



 すべきことは一つだと、

 ナザリックを救わねばならないと、

 そんなことは自明の理だと、



 そう決めつけたとき、たっちは。

 偽りの存在として生み落とされたものたち全てを、切り捨てることを選んだのではなかったか。


 それが偽りだというだけで、

 望んで偽ったわけではなく、

 そのように生まれてしまっただけだと、

 知っていたのに、



 まがい物として生まれたのなら、本物のために死ねと。



 ……その、論理は。

 彼が唾棄だきすべきものと憎み、打破したいと願った、現実リアルでの、

 堕落した法の論理そのものではなかったのか。









「武人建御雷様!」


 コキュートスが切羽詰せっぱつまった声で叫ぶのを、たっちはどこか遠くに聞いていた。


 心と身体を切り離し、鬼に徹すること。

 必要に応じて、たっちはそうすることが出来た。

 そうでなければ、警察官など務まらない世界リアルだった。


 揺らぐ半魔巨人ネフィリムに叩き込もうとした剣を、横合いから割り入る刀がはばむ。


 軌道をずらされると気付くやいなや、たっちは剣をさらりと引く。

 あまりにも無抵抗に。


 コキュートスの刀は、相手の脱力に均衡を崩し、

 大きく前に踏み出すことを余儀なくされる。

 誘い込まれるままに。


 たっちは低い位置から、ぎ払う。


 コキュートスが地に倒れる。

 すぐさま起き上がろうとした彼は、しかしそれが叶わぬことを知る。


 両脚が斬り飛ばされていた。


 すでに幾度も狙って、同じ箇所を攻撃されていることには気がついていた。

 ダメージが蓄積していることにも。


 コキュートスは歯噛みする。

 下顎がかちかちと鳴る。


 それでも蟲王は、腕に力を込め起き上がろうとする。


 たっちは無慈悲にも剣を振り下ろし、

 コキュートスの腕を二本、切断した。


 それでも。


 コキュートスは残る二本の腕に、力を込める。

 そのライトブルーの目に、闘志はなお消えず。


 揺らぐのはむしろ、

 たっちの目だ。


(何故、諦めない)


 もう、戦闘続行は不可能のはずだ。


 それなのに。


 たっちは剣の柄を握りしめる。

 そう、もうコキュートスはリタイアすべきなのだ。

 抵抗出来ないその身を、蹴り飛ばし遠くへ放るとしよう。


 この『ナイトメア・カーニバル』を終わらせ、ナザリックを救うためには。

 アインズと、階層守護者たちが生きている状態で、

 まがい物の至高全てが死なねばならない。


 コキュートスは生かしたままで戦闘不能にする――

 はじめから、そう決めていればこそ。

 足や腕を重点的に狙って攻撃してきたのだ。


 だから。

 これは完全に狙い通りで。


 なのに。



 ……たっちははっとして、とっさに防御する。

 スキルを伴う攻撃は重く、たっちのHPを確実に削った。



「なあにぼうっとしてんだよ、たっちさん!」



 建御雷だった。

 満身創痍まんしんそういの彼は、

 己がNPCをずたずたにされた彼は、

 それでも、笑っていた。

 どこまでも。

 どこまでも、楽しげに。



「あなたは……っ、自分のNPCを、何だと思っているんです!」


「決まってんだろ。戦友だ」


 さらりとした返答に、

 建御雷の主義は込められる。


 コキュートスが創造主を、創造主のまがい物を守るために、これほどまでに傷ついたのならば。

 その傷に、痛みに、建御雷が顔をしかめるわけにはいかない。

 コキュートスはきっと、それを己の弱さゆえとみなすだろう。

 己がもっと強ければ、建御雷の心を苦しめることもなかったろうと――



 そんな理屈さえ、超越している。



 彼はただ、闘うことの喜びを、

 全身で、今を生き、生きていることの充実を、

 このまがい物の儚き生を謳歌おうかすることを、

 コキュートスの前に示しているというだけ。



 保護するべき対象とはみなしていない。

 守ってやるべき子供だとか、そんな風には微塵みじんも考えていない。


 共に肩を並べ、対等な戦友と認めているからこそ。

 コキュートス自身が、己をその立ち位置と決して頷かなくとも。

 建御雷はあくまで、コキュートスをそう扱うからこそ。




 たっちには、そういう機微きびは分からない。

 分からない、けれども。




(……どうしてあなたが言うと、不思議と許せてしまうのか)




 昔から、そうだった。

 わりと堂々と無茶ぶりな発言をするくせに、それが妙に人の心を打つのだ。

 まあ無茶ぶりは無茶ぶりなので、モモンガがあれこれフォローすることも多かったわけなのだが。



 ……昔から。

 いや。


 それは所詮しょせん、植え付けられた記憶。




 だが、それでも。



 大切な友人ではあったのだ。

 まがい物の身で、滑稽こっけいかもしれないが。




 だから。




 それがとどめの一撃になると知っていて、刺し貫いたとき、

 コキュートスの悲鳴がとどろき、

 建御雷が賞賛するように低く笑い、


 たっちは小さな、ほとんど聞き取れないような声で、



「こんなときくらい、笑わないでくださいよ」



 こっちは泣きたい気分なんですから。

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