六、それゆえ彼は『悪』を掲げる

 アインズが慌てた声で、「すみません、たっちさん!」と叫ぶ。

 瞬間、たっちは防御に体勢を切り替えるも、黒き魔法がうねりながらその身に襲いかかる。


「威力を殺しきれませんでした! 大丈夫ですかっ?」

「ええ、問題ありません。モモンガさんが撃たれたのでなくてよかった」


 ウルベルトとアインズの魔法による応酬おうしゅう

 頭上で鮮烈せんれつにぶつかり合うそれが、時に押し勝ってどちらかの陣営を攻撃する。


 手数ではアインズが上だが、火力はウルベルトが圧倒的だ。


 本気の殺し合いとしか見えない、両者の魔法による攻防は。

 ある程度のダメージをコキュートスたちに与えながらも、しかしたっちに与えるダメージ量がよほど多い。


 たっちの動きに、なにかしら奇妙な――精彩せいさいを欠いたようにも見えるものがちらほらするようになっていた。まだHPには余裕があるにもかかわらず。

 コキュートスはその理由が分からない。


 分かりようもない。

 たっちがアインズの闘い方に疑問を抱き始めているなど。


 彼が眼前の敵たちだけではなく、

 味方であるはずのアインズまでを敵とカウントすべきかの見極めに入ろうとしているなど。


 創造主の前に立ち、全力をもって相対せんとするコキュートスに、

 たっちは冷厳な声で問う。


「階層守護者たる者が、モモンガさんに――ここにいる唯一本物の至高の存在に刃向かうのか」


 コキュートスの青い目に怯えたような陰りが走った。

 それはどうしようもないすきだったが、ウルベルトの魔法がたっちに向かったために、彼はそれを避けるのを優先せざるを得なかったようだ。


 コキュートスは、眼前で炸裂さくれつする雷を呆然と見つめる。

 神の怒りのごときそれを、落としたのはアインズではない。

 だが、そうと分かっていても。


 ちら、と創造主を肩越しに見る。

 ほとんど反射的な、畏れと不安に駆り立てられたやむにやまれぬ仕草であったが。


 建御雷はにやりと笑うだけで。


 自分で決めろ、と。

 その姿が言っている。


 やりたいように、

 刃が望む先を進め、と。


 コキュートスは迷いを抱いたまま、前を見据えるしかない。


 守りたい。

 だがそれだけでは、いけないのか。


 何かを守ることは必然、何かをはばむことでもある。


 たっちが迫る。

 剣がうなる。

 とっさに防御する。

 剣と剣がぶつかり合う甲高い音。


 考えるより先に、スキルを放っている。

 たっちは防いで、しかし防ぎきれない分はダメージとなって蓄積する。


「それが答えか、コキュートス」


 どこまでも冷ややかに。

 罪人に罪を告白させんとするような、その低い声音が。

 コキュートスの身を震わせる。


「ワ、私ハ……」


 思考は空転する。

 問いかけに応答するための、時間の余裕さえ与えられないまま。

 たっちが仕掛け、とっさに受ける。

 生まれながらの闘争本能だけが、かろうじて戦闘を続けさせる――


 かろうじて?


 むしろコキュートスの太刀筋は研ぎ澄まされていく。

 すさまじい速度で学習した成果を、一太刀ごとに込めて。

 頭ではなく身体が覚え込んだものが、雑念を離れて真っ直ぐに、

 愚直なまでに真っ直ぐに、そこに込められていく。


 守りたいという想いだけが、彼を突き動かす。

 創造主がすでに多大なダメージを受けているという事実が。

 思考の余裕をコキュートスから奪っている。

 それに救われている、とまでは思い至らないまま。


 たっちはしばし、無言で応酬おうしゅうする。

 コキュートスにもう少し余裕があったなら、気付けただろうか。

 兜の奥、たっちの複眼が賛嘆の光を帯びたことを。

 そして、そこに確かに含まれる哀しみと自責の念をも。


 それらを感傷と振り切って、

 たっちは意図して感情を拭い去った声で、再び問う。


「モモンガさんは私と共に闘っている。私に剣を向けることは、モモンガさんを裏切ることだ。それでいいのか、コキュートス」


 コキュートスは無我夢中で闘う。

 凍り付いた思考の片隅に、発せられた問いかけを押しやる。

 無心に、ただ無心に。

 さりとて追いやられた片隅で、うずくまる問いかけは熱をもち、コキュートスの脳をうずかせる。


 斬り結ぶ刃は、何のためか。

 己をも一振りの刀とみなすならば、

 その刀の主は、ただ一人の主は――


「やめてください、たっちさん!」


 悲痛な叫びは、アインズの口から。

 我慢ならないとばかりに、発せられる。


「NPCにとって創造主は特別なんです! 彼らが敵に回ったことを、私はとがめたくありません。それは許されるべき彼らの権利です!」


 コキュートスの剣が、束の間止まる。

 その湖面のごとき青い目に、消し去りがたい動揺を波紋と広げて。


(……権利?)


 沸騰ふっとうしそうな感情が青き蟲王の内側を駆け巡る。

 ののしられなじられた方が、よほどましだった。


(ドコマデ慈悲深イ御方ナノダ、アインズ様ハ……!)


 たっちは冷ややかな声を、今度はコキュートスにではなくアインズに向ける。


「モモンガさん、一つだけ教えてください」


 コキュートスは確かに視界に捉えていた。

 アインズがはっとしたように身じろぐのを。

 ささやかな身振りではあったけれど――それでも、確かに。


 コキュートスは剣を振るった。

 迷いなく。


 その問いかけを、発せさせてはならないと。

 それは紛れもなく、アインズを苦しめることになると。

 直感的に、悟ったから。


 けれども剣は弾かれ、

 それをおとりとして放ったさらなる囮も、本命の一撃も防がれ、

 なおかつきっちりカウンターまで入れられて、

 コキュートスはたまらずに一歩を後ずさらずを得ず、

 その一歩を何よりも深く恥じた。


 その一歩ゆえに。

 問いかけを発するに十分な時間を与えてしまったのだから。


「私はあなたに背中を預けていいんですね?」


 どこまでも淡々とした問いは、

 どんな懇願も期待も含まない冷厳さを纏っていた。


 コキュートスには、アインズが息を呑むのが感じられた気がした。

 これだけ距離があっては叶わないはずだが、しかし。


 わずかな、ほんの僅かな間。


 それは単に、単純に、思いもしない質問をされて驚いただけだと、そう言い逃れることがぎりぎり可能なだけの沈黙。


「もちろんですよ、たっちさん」


 声には「心外だ」とばかりの響きがこもり、

 自然な、あまりに自然な反応で、


 けれどたっちは、にこりともした風もなく、


「そうですか」


 と。

 あくまでどこまでも、淡々として。

 それはアインズの答えをそのまま信じたようにも、

 まったくこれっぽっちも信じていないようにも、

 どちらとも取れる響きで。


 けれど続く言葉は、刃のごとく鋭くアインズを刺した。


「だったら、呼びかけてください。階層守護者たちに命じてください。己が責務を思い出せと。侵入者を排除するのに手を貸せと」


 出来るはずでしょう、と彼は言う。


 あなたが本当に理解しているのなら。

 ここにいる敵は、かつての仲間の姿をしただけの偽物だと割り切っているならば。

 割り切れなくても、割り切ったように殺すだけの覚悟を固めているならば。

 シモベたちにも命じられるはずだと。


「……っ、たっちさん、ですが彼らは――」

「創造主を特別視している、ですか? ええ、そうかもしれません。あなたが呼びかけたところで無駄かもしれない。ですが、そうではないかもしれません。あなたがはっきりと彼らに、彼らのかたわらにいる者たちがまがい物でしかないことを断言し、まがい物に従うことがいかに本物の創造主に対して不遜ふそんで不敬であるかを言明するならば」


 アインズはたじろぎ、

 しかし次の瞬間にははっとしたようにウルベルトを見やり、

 大急ぎで――まるで渡りに船とばかり、溺れるものがわらつかむ必死さと取れるほどの焦りようで、魔法を紡ぐ。


 遅い。


 アインズは叩き付けられる魔力の暴威に片膝をつく。

 たっちも、コキュートスも、はっとしたように息を呑み、

 その無事を問う声を発するよりも前に。


「正論だな」


 ウルベルトの、あざけるような声が割り込む。


「まったく、いつもいつも正論だよ。たっち、お前が言うことはいちいち正しい。反吐へどが出るくらいに」

「正しいとご承知ならば、抵抗はやめていただきたい」

「ふん。その正しいだけの理想論を強引に押し通すことが貴様の『正義』ならば、俺が叩き潰してやる」


 巨大な魔方陣が、ウルベルトの周囲に展開する。

 黒き闇が地から噴き上がり、その発動のときを待つ。


 超位魔法。


 すぐさまアインズが、位階は低いながら速度と手数はある魔法を、魔法三重化トリプレットマジックにして放つ。


 だが、御雷が横合いから剣撃で強引に魔法たちの軌道をねじ曲げ、斬り伏せる。


 防ぎきれなかったものを、デミウルゴスが前に出てさばいた。無表情な第七階層守護者の、スーツに幾重の破れが生じ、頬に一筋の傷跡が刻まれただけで、どうにか受けきる。


 漆黒の魔方陣は、黒き粘体をしたたらせてくらい輝きを増していく。

 その中心で、ウルベルトはわらう。


「理性なき感情の暴走は愚かだ。だが理性にどれだけ照らそうと殺しきれない感情があるならば、たとえどれほどの矛盾をはらもうと捨て去れない想いがあるならば、理性を捨てても選び取ればいい。そこに貴様の正論に返せる言い訳も釈明も必要ないし、無理やりそんなものを当てはめれば嘘になるだけだ。後付けの建前が生まれるだけだ。感情と想いはときに理屈という囲いを打ち破る」


 たっちが駆ける。

 コキュートスはとっさに立ちふさがる。


 アインズに対する想いがどうであれ。

 つい先刻、アインズを苦しめたばかりの、

 苦しめるような質問をしたばかりのたっち相手には、遠慮はいらなかった。


 むしろ。


 怒り、が。

 その剣に、槍に、斧に、そして大太刀に、確かにこもっていた。


 たっちが弾く。

 四本の腕から繰り出される攻撃すべてをいなし、

 反動をいかした回し蹴り、と見せかけたフェイントからの前蹴り、後退したコキュートスの肩を踏み台にさらに前へ。


「正しいだけの貴様に、正しく在ることを否定してもつかみ取らねばならなかった想いは分かるまい」


 ウルベルトは落ち着き払って言い、

 隣に控えるデミウルゴスに目配せする。


 デミウルゴスは顔に戸惑いを浮かべ、しかしすぐに表情を引き締めると頷いて、後方へ下がる。


 建御雷とたっちが交錯する。

 刹那にきらめく白刃。

 肩を押さえて片膝をついたのは建御雷だ。

 コキュートスが悲痛な声で創造主の名を呼ぶ。


 たっちは剣を振りかざす。

 ウルベルトは魔法を発動する。


「あなたは間違っている!」

「そうとも。正しくないと知っていて、あえてそこに踏み出さずにいられないからこそ、『悪』を名乗るんだ!」


 黒の暴虐と、白き剣撃。

 剣はウルベルトの左肩をえぐるが、その時点でたっちは魔法の威力に堪えられず後方に吹っ飛ばされる。


 ウルベルトは溢れる己が血を見、小さく笑う。

 傷口を押さえていた手を離し、宙に振るえば、鮮血は花びらのごとく舞った。


「どんな正論も理想も、踏み破って引き裂いてけがし尽くしてもなお、手を伸ばさずにはいられない。そんなすべての『悪』を、俺はありのままに受け入れよう。ありとある『悪』と共に、俺は立とう。他人のためでもシモベのためでも友人のためでさえなく、どこまでも糞ったれな正論とやらをひねり潰し、『悪』が花開くさまを眺めるためだけに」


 たっちは足を床に突き立て、轟音ごうおんを響かせながらブレーキをかける。

 コキュートスが迫り、迷いなき剣を振るう。


「それが俺の『悪』だ」


 ウルベルトの宣言と、コキュートスとたっちの剣が交わる音が重なり合う。

 互いを打ち消すことなく、それらの音は混じり合って空気を振るわせた。

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