三、開演のベルは鳴る
隣では放心していたかと思えばぶつぶつ呟いたり、わっと泣き出したりする情緒不安定この上もないシャルティアがへたり込んでいる。
(ここに必要なのは看護師であって、あたしじゃないっていうか……ペストーニャがいてくれたらなあ)
適任なんだけど、と思いながら。
それでもアウラは、己に出来るだけのことをする。
「シャルティア」
名前を呼び、背中を撫でたり、肩を叩いたり。
「大丈夫だよ、シャルティア」
何が大丈夫なのかなんて、問われても分からない。
でも、それがたぶん一番しっくりくる励ましだった。
かといって、デミウルゴスみたいに機転を利かせて気の利いた台詞をぽんぽん出せるわけもない。
だから、愚直に。
ただ、繰り返す。
「大丈夫だよ、シャルティア」
大丈夫じゃないのは――あたしの方だ。
胸の奥で、らしくもなく弱気な声が
振り払うというよりも、見ないふり聞こえないふりで、今度はマーレに向き直ってゆさゆさと揺さぶる。
いまごろ、マーレは夢の中でぶくぶく茶釜様に会ってるのかな。
だとしたら――ずるい。
ずるいよ、マーレ。
あんた一人だけ、行っちゃって。
あたしは、会えないのに。
どんなにお会いしたくても、会えないのに。
唇を噛みしめる。
ほら、ぜんぜん似合わない。
こんなうじうじしていたら、ぶくぶく茶釜様に失望される。
どこかで、見てくださっているのかな。
あたし、ちゃんとぶくぶく茶釜様がかく在れと望まれたとおりに、振る舞えているかな。
腕時計を撫でる。
ぶくぶく茶釜様の御声で時を知らせてくれるアイテム。
アインズ様からいただいた、大事な大事な宝物。
「……アウラ」
シャルティアが、ぼんやりした顔でアウラを見る。
アウラは慌てて励ます笑顔をつくって、だけど気付いていないのだ。
自分が泣いているということには。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
押し殺した感情は、
押し殺しきれなかった想いは、
音のない涙となって、
意識されることもなく静かに
一筋、流れ落ちる。
光をなくしていたシャルティアの目が、見開かれる。
深紅の瞳が真っ直ぐに親友を映し出した。
「なによ、どうしたの?」
アウラはあくまで気丈に、ばんっと威勢良くシャルティアの肩を叩く。
「ちょっとは気を取り直した? ほら、しっかりしなって。あと一息!」
「……ちびのくせに」
「はあ? こっちはアインズ様のご命令で仕方なくあんたの面倒みてやってるっていうのに、ひどい言いぐさ――」
シャルティアは無言で、奪い取った。
アウラが肩に斜め掛けしていた
そして素早く跳び退って、間合いを広げる。
アウラはぽかんと口を半開きにして、シャルティアの手に握られた『山河社稷図』を見つめ、左手を右肩に回してそこにあったものを虚しく指で探し求める。
その顔は憤怒に赤く染まり、「シャルティアぁぁっ!」と叫んで飛びかかるも、守護者最強たる吸血鬼は楽々避け、同時にアウラから『強欲と無欲』を強引に奪って、さらに距離を広げる。
「返しなさい、それっ!」
「マーレみたいにすぐ眠ればいいでありんすのに」
「早く!」
追いかけっこは凄まじい速度と勢いをもって行われる。
アウラは勝手知ったる第六階層、回り込む手練手管を駆使するも、
しかし追いつける気配はなく。
手を差し出し、切羽詰まった顔で叫ぶアウラに、
シャルティアはかぶりを振って。
「お会いしてきなんし」
「……え?」
「ペロロンチーノ様が、私にくださるお言葉をお持ちだったように。ぶくぶく茶釜様も、アウラに何かお伝えしたいお言葉をお持ちかもしれんせん」
そう言って、シャルティアは微笑んだ。
その深紅の目には迷いも憂いもなく、
澄んで確かな覚悟が宿っていたから。
(シャルティアはもう、大丈夫)
アインズ様のご命令は果たせたと、そう思えた。
(もう……眠っても、いいのかな)
取り戻す意志の放棄。
それが急速にアウラに眠気を引き寄せる。
初めて知る感覚に戸惑い、
ふっと意識が遠くなる。
ぎりぎりのところで踏み留まり、
ふらつきながらも最後に叫ぶ。
「ドジ踏むんじゃないよ、男胸!」
「おと……っ! い、言うに事欠いて何言いさらすんじゃあこのくそちびがあああぁぁぁっ!」
顔を真っ赤にしてわめくシャルティアに。
アウラはにやりと笑って、親指を立て。
そのまま横倒しになる。
地面に倒れ伏す前に、シャルティアは駆け寄って抱き留めた。
そっと木にもたせて座らせれば、もうすでにアウラはすやすやと健康的な寝息を立てている。
シャルティアはむっとした顔に、ほんの少しだけ微笑の影をしのばせる。
「ほんとに、小憎らしいちびでありんすこと」
その和やかな表情は、すぐに引き締まる。
行かなくては。
他の守護者たちが、アインズに反旗を翻す可能性があることは、己に照らしてよく分かっていた。
たっちとアインズの組み合わせは、前者が物理攻撃と盾を兼ねねばならず、後者は魔法攻撃と支援を兼ねねばならないため、やはりどうしてもバランスが悪い。攻撃に集中しすぎればやられるし、防御に徹すれば倒せない。
そこにシャルティアが加われば、戦術の幅は大きく広がる。彼女は近距離、中距離、遠距離、どの間合いからでも闘えるし、物理攻撃、魔法攻撃、また盾役としても活躍出来る。
「ご覧になっていてください、ペロロンチーノ様……!」
御方々がどこにいるのか、ということがまず問題なのだが。
守護者たちの立場を知るために、彼らの管轄たる階層に行ってみるか、とシャルティアは考える。
現在活動しているであろう守護者は、彼女を除いてアルベド、デミウルゴス、コキュートス。
前二者は本当はアインズを裏切っていても、あたかも裏切っていないようなふりをされてはシャルティアにはまず見抜けない。
シャルティアは決して頭が切れる方ではない。
というか、馬鹿なんじゃないかと自分で思っている。
そこから目をそらさないだけの度量はある。
(最初に確認すべきはコキュートス……腹芸は得意じゃないはずでありんすし、何より攻撃力という点で一番
同僚に対して冷酷――などと考えるシモベは、ナザリックにはいないだろう。
むしろ至高の御方々のためにシモベを排除する必要があるという時に、同情したり憐れんだりするような者がいたら、それこそ許しがたいだろう。
たとえ忠義の形を、方向を違えることになろうとも、
至高の御方々を愛し敬う気持ちは同じ。
そうと信じて疑わないからこそ、どこまでも冷徹に仲間を殺せる。
(では、とりあえず第四階層に行ってみんしょうか)
……まあ、思考の道筋として悪くはない。
悪くはないが、失敗である。
何を選ばせてもうまくいかない、それがシャルティア・ブラッドフォールンだ。
文句は
とはいえ。
たとえ彼女が第七階層に、アインズたちが闘っている地に
叶わなかったわけだけれども。
ふっと身体が軽くなった。
『ナイトメア・カーニバル』が始まったときに感じた、沈み込む感覚に似ていたから、とっさにシャルティアは全てが終わったのかと思った。
だがすぐさま、違う、と気付く。
ない。
アウラから取った
ほんの数瞬、思考に気を取られた間に。
何の気配も感じられないまま、何の予感も覚えないままに、
奪われていた。
ぞわりと嫌な予感が全身を襲った。
彼女には何が起こったのか分からなかった。
対象を丸ごとその空間に取り込むそれが、力を放っていたとは。
だが。
実際に起きたことは、期待された効果とは別の事柄。
使用者としてはシャルティアを異空間に閉じ込めたかったのだろうが、しかし。
巻物が生んだ空間へと取り込まれたのは、シャルティアではなく、彼女の近くで眠っていアウラ。
そしてシャルティアの懐に隠された
使用者も把握していなかったこれは、『ナイトメア・カーニバル』本来の特性と、るし★ふぁーのいたずらが混ざり合った結果の一つ。
『ナイトメア・カーニバル』は、ギルド拠点そのものを一種の異空間に、鏡映しの世界に閉じ込めて行われるものである。
ゆえに外部からの侵入者はなく、また『ナイトメア・カーニバル』中の損失はすべて、終了後には元に戻る。
『山河社稷図』でもって「ギルド拠点以外の空間」を出現させることは、
「異空間の中に異空間を出現させ二重に閉じ込める」ということであり、
いわばねじれた空間をさらにねじれさせる危険を伴う。
さらに、これは『ナイトメア・カーニバル』本来の趣旨――「ギルド拠点の設計が侵入者対策に十分であるかどうかを計る」という目的から逸脱している。
こうした空間におけるねじれ、目的における逸脱といった歪みを最小限にすべく、『ナイトメア・カーニバル』内で調整が行われた結果、
その
もたらされた結果は、示された通り。
『山河社稷図』の効果範囲内で、夢に囚われた者だけを飲み込み、まだ目覚めている者については「その者が所持している最もレア度の高いアイテムたち」、この場合は
……ところで。
しかしそれは、「
こういったことについて、本来がどうであったにせよ、この場にいる者たちは一人として、それを正しく認識しなかった――『ナイトメア・カーニバル』が始まる以前には知っていた者も、その認識を歪められるか覆われるかした、ということを、付記しておかなければならない。
それはタブラ・スマラグディナが抱いた違和感とも重なり、後にこの『ナイトメア・カーニバル』の決着を左右することになる秘密と繋がっているのだから。
いずれにせよ。
シャルティアには、何が起きたのか把握出来なかった。
ただ、奪われた、と思っただけだ。
守護者たちの命よりも貴重なナザリックの
彼女はスキルを発動させる。
彼女を中心として、赤黒い衝撃波が放たれた。
スキル『不浄衝撃盾』。
一日に二回まで使用可能な、攻防一体の技だ。
その波の、揺らぎ。
確かな手応えが、敵の位置を伝える。
瞬間、三重化した魔法による遠隔一斉射撃で敵の退路を一点に絞り込み、
爆発的な踏み込みからの突進、スポイトランスを繰り出す。
最適化された行動は、相手を視認するよりも早く。
太陽の
槍が敵の身を
攻撃した側であるシャルティアの赤い瞳が、動揺する。
「に、弐式炎雷様!」
大げさに苦しがっていた彼は、彼女がつい反射的に槍を引いてしまった隙に、距離を取る。
この弐式炎雷、むろん本物ではない。
まがい物、といえばまがい物だが、『ナイトメア・カーニバル』によって生まれたものではない。
そちらは現在、夢の世界で絶賛ナーベラルいじりの真っ最中である。
(まさか『山河社稷図』の効果がねじ曲げられているとは……)
苦い思いを噛み殺し、次なる策を練る彼の正体は、パンドラズ・アクターだ。
当初の予定ではウルベルトらと共に闘うつもりだったが、デミウルゴスの横やりもあって、予定変更と相成った。
前線に出ることがかえって味方を戸惑わせるというのなら、あえて裏方として活躍する。
アクターたる彼としてはあまり好ましくない選択ではあるが、それがアインズのためになると思えば、あえて日陰の役に徹する。
彼が選んだ裏方の役割――それはたっちに味方する勢力を増やさぬこと。
パンドラズ・アクターの見るところ、アインズは表向きたっち側につきつつ、実際はウルベルト側である。
現時点、たっちと、ウルベルト&建御雷、また
だが、アインズが望む側、アインズが本気で味方をする側に、勝利の
などと、やや創造主びいきの予測を、パンドラズ・アクターは立てていた。
危険な不確定要素は、シャルティアとアウラだ。
この二人がアインズの真意を見抜けないまま、たっちに味方するのが一番面倒な展開である。
シャルティアがショックから立ち直る前から、ずっとパンドラズ・アクターは様子をうかがっていた。
隙あらば、と狙ってはいたのだが、三つもの
一人がまとめて持っていてくれれば、まだやりようもあったのだが……しかし奪うだけで済むわけではない。彼女らが夢に囚われるまでの時間をやり過ごさねばならないのだ。奪い返されれば元も子もない。
順序として。まずどちらから奪うか?
不意を突くならシャルティアが狙い目だ。それは承知していた。
だが問題は、アウラが『山河社稷図』を持っていること。
それを使われたなら、パンドラズ・アクターは異なる空間に囚われてしまう――と彼は思い込んでいた。そのアイテムの本来の効果どおりに。
アウラとしては同時に『強欲と無欲』を確保しておけば、たとえ『山河社稷図』が使用後に消えたとしても、眠りに落ちずに済む。
シャルティアが眠ってしまったとなれば、もはやここに残る意味もなく、アウラはアインズたちに合流して手助けしようとする可能性が高い。
ならば、まずアウラの『山河社稷図』から奪うか?
だがその場合、友人の危機にシャルティアが腑抜け状態から抜け出すという危険性が十分にあった。
戦闘態勢に入った彼女と真正面からやり合うのはリスクが大きすぎる。『山河社稷図』を発動させて彼女を捕えられれば、という考えはあったし、それは十分成功率の高いものではあったのだが、しかし万一失敗したときのことが恐ろしい。
どうあっても、シャルティアをアインズたちの戦場に向かわせたくなかった。その戦闘力がたっち側につくのは脅威であり、アインズは心ならずも己の真意を明らかにせざるを得なくなるだろうと予想されたからだ。
板挟みで動けずに、じりじりと様子を見ていた。
己の存在に気付かれる確率をぎりぎりまで下げるため、またシャルティアを不意打ちする場合に都合良いようにするために、弐式炎雷の姿を取り、装備も宝物殿より、隠密と機動性をさらに高めることに特化したものを拝借してきた。
パンドラズ・アクターにとっての最善は、二人を眠らせてウルベルトたちの援護に向かうこと。前線には出られないにしても、補助に徹するにしても、やはり何かしら出来ることはあるかもしれない。
とはいえ、ハイリスク・ローリターンではある。
パンドラズ・アクターにとっての最悪は、シャルティアがたっちの援護に向かうこと。どちらか一人は最低でも眠らせられると確信するパンドラズ・アクターだが、しかし両方となると難しい現状、これは十分にあり得るパターンだ。
ゆえに、パンドラズ・アクターは見張り続けた。
絶好の好機があるならば最善を目指すにしても、
ローリターンでもローリスクな選択を。
シャルティアを刺激しないことを最優先に。
彼女がいつまでも
だがもしも。
もしも動くならば――
それははじめ、願ってもない展開を見せるように思われた。
なにしろシャルティアがアウラの
アウラが眠るのを確認し、シャルティアがこちらに毛ほども勘づいていないのを確かめて、
弐式炎雷の姿と装備、その八割程度まで再現した能力を駆使して、シャルティアから『山河社稷図』を奪い、発動させた。
だが、効果は予想外に変質していた。
いまや戦端は開かれた。
望むと望まざるに関わらず、舞台はすでに用意されたのだ。
ならば
(紳士淑女の皆様、お待たせいたしました)
存在しない観客に、心のうちで呼びかける。
(これより、開演でございます)
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