二、共犯者たち

 第七階層は静寂せいじゃくに閉ざされていた。


 悪魔たちがまどろむ地獄、というのも、微笑ましく牧歌的だな、などとアインズは思う。

 通常の人間の感性ならば、かえって不気味で背筋が凍りそうな気もするし、足音を殺して気配を消して必死に抜き足差し足するところなはずだが、アインズはいちいち眠るシモベの顔を覗き込み、その満ち足りた寝顔に微笑をもらしそうになり、慌てて表情を引き締めたつもりになってみたりする。


 といって、骸骨の顔に表情を気取られる不安はないのだが。

 そもそも表情なんてものが浮かぶためには、表情筋が必要だし皮も肉もついていなくちゃまずいので、これはまったく無意味なことである。


「紅蓮が眠ってくれているのは助かりますね」


 さらりとたっちが口にする。

 彼は単純に戦闘力から推して、デミウルゴスが覚醒しており紅蓮が睡眠に陥っているこの状況をより望ましいと判断しているようだった。


(まあ……デミウルゴスの凄さは、ゲーム時代のAIからじゃ予測出来ないもんな)


 思いながら、アインズは警告しない。

 油断するならとことん油断しておいてほしいと思う。

 しかし一方で、たとえ相手がレベル1のメイドやペンギンだとしても一切油断なく叩き潰すのがこの聖騎士だと分かってもいる。


 先を歩むたっちの背には、確かな信頼がある。

 彼は信じて疑わない。アインズがギルメンを殺してナザリックを守るだろうと。

 一抹いちまつの疑念さえ、そこにはないのだ。

 そのことがひどく、憎らしかった。


 殺意と紙一重の憎悪。

 その重さに、しかしアインズは気付かない。

 ただ少し苛立っていて、少し気に入らなくて、少しねていて、少し淋しいだけだと、そんな風に思っている。

 そんな具合に、過小評価している。

 己のうちに潜む闇を。


「なんだかこうして歩いていると、思い出しませんか。モモンガさん」

「え?」

「初めてこの第七階層を歩いたときのことですよ。ほら、ウルベルトさん、完成するまでグラ担当とプログラミングの人くらいしか、入れなかったじゃないですか」

「ああ、そうでしたよね。『俺の理想とする世界が誕生するまで踏み入ることはまかりならん』とかなんとか」

「ようやく落成式ということで、我々で第七階層をずうっと歩いてですね」

「神殿ではたっちさん、眉ひそめてましたよね。趣味悪いって」

「だってそうでしょう、なにも信仰の象徴を破壊しつくした跡みたいな場所にしなくても」

「神殿の奥には、ウルベルトさんがいたんですよね」

「偉そうに玉座に座ってね」

「デミウルゴスは傍に跪いてたんでしたっけ」

「そうそう。あの玉座、もともとデミウルゴスのためのものでしょうに」

「まあ、最初ですから」

「ですね」


 アインズの声が和やかになる。

 話題のせいだけではない。

 たっちが、ほんの少し――たぶん彼自身も気付かない程度に、足取りを緩めていたから。


 懐かしいあの頃の話を、少しでも長く交わしていたいと、

 彼が心のうちで望んでいることが、無自覚に表出したがゆえだと分かったから。


 ……けれども。


 歩いていれば、どうしても。

 目的地には、辿り着いてしまう。


 神殿の前。

 待ち構えていたのは、四人。


 武人建御雷は、楽しげに笑って軽く片手を挙げ、

 コキュートスは、緊張したように身を強張らせながらも、小さく頭を下げる。


 前衛ふたりの後方。


 デミウルゴスは感情をうかがわせない無表情で立つ。

 初期形態とも言うべき、人間に近い姿のままだ。


 そのことに疑問を持つ者は、敵味方双方に一人もいなかったことを付記しておかねばならない。そもそも誰一人として――

 否。

 今はまだ、その話をすべきときではない。


 最後の一人に、目を向けよう。

 デミウルゴスより半歩前に、悠然ゆうぜんと立つ者に。


「よく来たな、二人とも。待っていたぞ」

「どうも、ウルベルトさん。どうでもいいですが、腕組みしてのその台詞は悪役にしか見えません」

「悪役だからな。悪を演じ悪にじゅんじ、悪を貫いてこそ役者が立つというものだ。ああ、お約束として聞いておくが、俺の部下にならないか?」

「反語ですよね。あ、反語って分かります? 否定が返ることが前提の疑問文ですよ」

「黙れ。死ね」

「最初から部下にする気ゼロのくせにそういう質問するのよくないですよ。まあ私もモモンガさんも部下になんてなりませんけどね。せっかくですからもう一つ、豆知識です。正義は必ず勝つんですよ」

「半世紀も前にそんな勧善懲悪物語は滅びた」

「滅びてません。全然まったくこれっぽっちも滅びてません!」

「まあ少なくとも俺の中では死んだも同然だ」

「あなたの健全な精神が死んでいるだけです」


 緊張感があるのだかないのだか、と問われればないような気もするし、かといって和やかにはなり得そうもない空気の中で。


 挨拶代わりの馴れ合いは、不意打ちという名の横やりで終わる。


 武人建御雷の特攻――それは斜め後ろから。

 たっちに強力なスキルによる斬撃を浴びせ、タッチ&アウェイで跳躍、コキュートスの隣に――建御雷の姿をしたものを踏みつけ、着地。

 踏みつけられたそれは、ばしゃりと水になった。


「よぉ、たっちさん! まずは一発、どうよ?」

「……ええ、なかなか効きましたよ」

「はは、そいつぁよかった! 駆けつけ一杯がゲロ不味まずだった日にゃあ、宴会担当を返上しなきゃならない」

「そういえばオフ会で集まったときって、たいてい二次会以降を設定するの建御雷さんでしたよね」

「おおよ! またやりたいねえ」


 ちょっとした身代わりトリック。

 種も仕掛けもある罠。

 ありがちと言えばありがちな、この作戦をどうしてたっちは読み切れなかったか?


 たっちとて、何もしなかったわけではない。

 彼はアインズを守ることを優先したというだけ。


 コキュートスが肩を押さえる。

 地面に斬り伏せられているのは、ブーメラン状の武器。


 前衛が最初に狙う相手、最初だからこそ仕掛けていた罠でHPを削ろうとする相手は、まずアインズだろうと――たっちは想定していた。


 現状、ウルベルト陣営は数で大いに勝っている。

 劣化によって範囲攻撃スキルをほぼ封じられているたっちと違い、アインズにはその数の暴威を一様に薙ぎ払うだけの力がある。なにしろウルベルトたちが劣化しているのに対して、アインズはレベル100の力を保っているのだ。


 それに――


 もしもここでアインズに攻撃を仕掛けてこないようならば、ペロロンチーノとの闘いでアインズが切り札をすでに切ってしまっていることを相手は知っている、ということを、たっち陣営がはっきり知ることにもなる。


 ペロロンチーノ戦を知らなければ、真っ先にアインズを、即死魔法をどの相手にも効くようにするスキルを制限時間内には一度だけ使えるであろうアインズを、どうにか止めようとするだろう。戦闘開始早々にそれをやられたら痛いのは、どっちも分かっている。


 たとえあの問答無用の即死効果への対策を考えているにしても。

 その対策を実際に出すのは出来るだけ後回しにしたいだろう。

 対策があるのかないのか、こちらに分からないようにして――あのスキルを切り札として考え、使用するような態勢を取らせておきたいだろう。


 それなのに対戦開始早々にやられ、対策があることも判然としてしまっては、彼らとしても面白くあるまい。プレッシャーをかけることも、駆け引きを仕掛けることも、選択肢の幅がある程度まで狭まってしまうのだから。


 彼らとしては――最悪の場合でも、戦闘をとことん長引かせればいいのだから。


 そして想定どおり、ウルベルトの軽口にまぎれてひっそりとコキュートスは攻撃モーションに入ろうとしていた。


 もちろん、それはおとりだとは分かっていた。

 囮を弾いたあとに、なんらかの手段でアインズを狙ってくるだろうと。


 実際、デミウルゴスとウルベルトには動こうという気配があった。

 どちらがブラフで、どちらが本命かははっきりしないまま。


 しかしだからこそ、たっちの視線は眼前にいる建御雷に――というか実際には、建御雷の姿を模して簡単な動きを仕込んだだけの人形だったのだが――注目してしまった。


 動きらしい動きがなかったからこそ。

 こいつが本命で襲ってくるかもしれないと。


「大丈夫ですか、たっちさん」


 アインズが声をかけると、たっちは黙って頷いた。

 純白の鎧に傷はない。パラメータが低下しても、装備の質がそれを補っている。


「ええ、問題ありません。それより――大丈夫ですか、建御雷さん」


 なんでもないことのように、

 たっちは言う。


 コキュートスが驚いたように建御雷に目を向け、瞠目どうもくする。


 建御雷の腕には大きな傷が刻まれていた。


「はは、このくらいなら痛くもかゆくもないぜ。正直たっちさんに大技当てる以上は、最悪すぐさま首とられちまうんじゃないかとさえ思ってたからな。上出来上出来」

「まったく建御雷さんは――」


 続く言葉は、破裂音にかき消される。


 轟音ごうおんに次ぐ轟音、打ち上げ花火の乱舞のごとき、宙に散り交う光の爆裂。


 ウルベルトとアインズの魔法がぶつかり合い、相殺し――殺しきれなかった魔法が、アインズに襲いかかった。


「ぐっ……」


 低い呻きのうちに、アインズは思わぬ歓喜を押し殺す。


 ……念のために申し添えておくと、別にアインズが真性マゾを発動したとか、そういうわけではない。


 剣戟けんげきの音。

 硬く、重く、素早く、幾度も。

 激しいビートを刻むのは、三人の前衛。


 圧倒的な動きを見せ、ウルベルトに突き進もうとするたっちを、建御雷とコキュートスが阻む。

 雷光のごとき動きはさすがワールドチャンピオンである。

 デミウルゴスが二人を支援して、ようやく足止めになっている。


 その頭上で、再び魔法が交錯する。


(……やっぱりだ)


 アインズは確信する。

 先ほどの発見が間違いではなかったことを。


 魔法の選択。

 初手と、それにつづくコンボ。

 どの魔法を繰り出すか、どの魔法を続けるか、それがここに至るまでにもアインズを悩ませていた問題だった。


 本気で殺しにかかるつもりはない。


 だがやる気がないとあからさまになれば、たっちの心を傷つけるだろう。

 ひどく、致命的に傷つけ――二度と信頼を回復出来ないかもしれない。


 最後の手段としては、それもいたし方ないとは思っていた。

 だが叶うならば、気付かれずに済ませたい。


 最善を尽くすのではなく、次善を選び続けるか?


 ときに最善を織り交ぜることで、たっちの目をくらませる。

 本職の魔法職ではないだけに、魔法におけるぎりぎりの駆け引きとその判断は、たっちには正確にジャッジしづらいところはあるだろう。


 逆にウルベルトは、魔法に精通したワールドディザスターだ。

 うまくそうした微妙な判断を繰り返すことで、たっちに悟られることなく己の意図を伝えられるかもしれない。


 が、問題は伝えられるまでにウルベルトに相応のダメージを与えてしまいかねないことである。


 アインズが「勝つこと」を前提としている場合に取り得るいくつかの最善策――そのどれもを知っているであろうウルベルトだからこそ、かえって軟弱なんじゃくな魔法の選択は想定外で、最善を選ぶよりも不意打ち効果は高くなる危険性があり、最悪の場合には最善を選ぶよりもひどいダメージを与えかねない。


 ビギナーズラック的な、予測不能感が漂ってしまう。


 だからこそ慎重に慎重を期して、祈るように最初の魔法を詠唱した。

 アインズの予想では、早ければ三手でこちらの真意を伝えられる。

 だが疑念をかき立てる結果になれば……考えたくもなかった。


 しかし。


 ウルベルトが選んだ魔法は、アインズが想定していたあらゆるパターンから外れていた。


 驚き、困惑、ついでひらめき。


 ウルベルトもまた、アインズと同じく魔法の選択によってなんらかのメッセージを伝えようとしているのでは?


 浮かんだ答えに狂喜乱舞しかけるのを、精神抑制が勝手に鎮めてくれる。

 冷静な思考は、望む答えに限定するのに待ったをかける。

 もしかしたらまがい物のウルベルトは単に判断ミスをしたのかもしれない、と。

 あるいは別のメッセージの可能性もある。


 前衛が激しく火花を散らせるのを見つつ、ウルベルトにいかに探りを入れるかを素早く模索もさくした。

 同時に、もしもアインズが本気で勝ちにかかった場合、たっちにどういう支援を行うかもシミュレーションする。

 こと支援においては、たっちも幾度も受けてきた側だ。

 生温い援護はかえって疑惑を呼ぶ。


 とはいえ、今重要なのはウルベルトの強力な魔法攻撃を抑え込むことである。

 短期決戦における戦力でもっとも厄介なのが、火力に優れた魔法職なのだから。


(……と、たっちさんが自分に援護の手が回らないことを仕方ないと解釈してくれるような、それでいてさりげなくたっちさんにダメージが蓄積するような状況を、うまく作り出せればいいんだけど)


 アインズの希望的観測が正しいなら、ウルベルトも理解しているはずだ。


 もっとも希望的観測は、こと希望と名の付く事柄は、大体においてうまくいかないものと相場が決まっているのだが。


 しかし、続く魔法の攻防においてアインズは確信する。

 そして思い出す。


 ウルベルトは、良きにつけ悪しきにつけ、期待を裏切らない男だと。


 笑い出しそうなほどにたかぶったのは数秒のことで、すぐさま精神抑制がかかる。

 一手一手が重要なこの対戦にあって、精神抑制により強制的に冷静な思考に入れるのは嬉しいことだった。

 冷静な思考に入ってなお、やはり希望的観測が正しいものだと感じられるのは、実に心地よく心強い。


(ウルベルトさんは……俺が本当は勝つつもりなんてないことを、知っている)


 ひそやかな共犯関係。

 山羊頭の悪魔が、わずかに皮肉げな笑みを浮かべた気がした。

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