四、NVN
弐式炎雷に化けたパンドラズ・アクターは、冷静に
まともに『不浄衝撃盾』とスポイトランスの一撃を受けたのは痛かった。もともと弐式炎雷は防御力が低い。パンドラズ・アクターの再現する弐式炎雷はそれよりもさらに弱いのだ。
パンドラズ・アクターの勝利条件は、必要なだけの時間を稼ぐこと。
彼女が眠りにつくまでの時間を。
逃走が可能ならばむろんそれが最も望ましい。
シャルティアは最初の動揺からまだ立ち直っていない。
おそらく相手がパンドラズ・アクターだとは考えず、まがい物の至高だと認識しているだろう。
彼はわざと気安げな口調で、
「効くなあ、やっぱり。こちとら防御は苦手なんだが……ああ、おとなしくしてろよ、シャルティア。俺はペロロンチーノさんに頼まれたとおりにしているだけなんだから」
「えっ?」
虚を突かれた顔のシャルティアに、弐式炎雷は――その姿を模したものは肩をすくめてみせる。「説明しなくてもそれくらい分かるだろ?」と言わんばかりに。
それはたぶん、彼女相手には有効なやり方だったはずだ。
彼女はもとより深く考える性質ではない。
「あれ?」と思ってもたいがい自分の考えが足りないせいだと謙虚に認めるだけの美点はもっている、特にそれが至高の御方々の意見に対するものなら。
そして彼女なりに、間違いなら間違いなりに、答えをひねり出そうとする。
すぐに教えてもらえないのなら、精一杯に応えようとする。
うまくすればそれなりに、時間を稼げるはずだった。
そうでなくともほんの少し、パンドラズ・アクターが次なる一手を、次なる演技で煙に巻くまでの繋ぎには、なるはずだったのだ。
だが。
シャルティアの深紅の瞳が怒りに色を濃くし、凄まじい速度で迫ったとき、パンドラズ・アクターは読みが外れたことを悟る。
シャルティアは彼の正体に気付いたわけではない。
ただ、己が創造主を偽りに利用されたことに気付いただけ。
ペロロンチーノが決してそんなことは言わないと、すぐさまシャルティアは直感し、確信した。ゆえにこそ、激怒した。
パンドラズ・アクターが見誤ったのは、シャルティアとペロロンチーノの絆。
創造主への絶対の信頼と、創造主に対してのみ発揮される繊細さ鋭敏さが、彼女をして攻撃を選ばせた。
そうした理由を、機微を、考察している余裕はパンドラズ・アクターにはない。
彼はその機動力で――装備で強化してはいるが、本来の弐式炎雷には及ばぬその速度で、余裕をもってかわせた。
余裕がありすぎた。
はっとしたときには、シャルティアの技が放たれている。
突進は囮であり、本来の狙いは彼の両手にある小太刀――太陽の
とっさに『天照』は腕をそらして守ったが、『月読』を持つ手はスポイトランスを横様に叩き付けられ、衝撃に小太刀を取り落とす。
まずい。
二つの小太刀は攻防の要。現状では最も望ましい装備だ。
シャルティアの赤い瞳が獲物を見据えて輝く。
繰り出される猛攻。
片方の小太刀のみでは受けるに
機動力で回避を試みるも、シャルティアの全力のスキル・魔法のコンボからは逃れきれない。
シャルティアのコンボの直後、次なる連撃へ向かう前の、ほんの僅かな間。
パンドラズ・アクターは、己の腰に下げていた小さな皮袋をひっつかんだ。
その皮袋は、替えの装備が入っているにしては小さく。
シャルティアの目に僅かに動揺が走る。
「
笑みを含んだ弐式炎雷の声で発して、
皮袋を空中高く投げ上げる。
シャルティアはすかさずそれを取ろうとする。
彼女には
だがもしもそれが
その皮袋を追おうとする一方で、
いくら単純な彼女でも、やはりどこかで「
だがその警戒も、
パンドラズ・アクターがシャルティアの背を蹴って跳躍し、投げ上げたばかりの皮袋に手を伸ばしたのを見て、なりふり構わず奪わねばという焦燥に取って代わられる。
相手が手放すと見せかけて、
やはり取り戻そうとするからには。
奪うだけの価値があるはずだと。
捨てたように見せかけたことこそがブラフで、
本当は決してシャルティアに取られては困るはずだと。
背を蹴られ、シャルティアは
すぐさま立て直し、スポイトランスを振るってパンドラズ・アクターを吹き飛ばし、皮袋をしっかりとつかみ、
瞬間、それは爆発する。
「くはっ!?」
ほとんどダメージはない。
そんなことはパンドラズ・アクターにも分かっている。
彼は落下した小太刀『月読』を回収している。
近すぎず遠すぎない距離を保って、肩をすくめ、笑ってみせ。
まるで最初からすべて計算通りだというように、
HPのダメージ量があまり笑って済ませられる状態ではないことを悟られないように演じてみせる。
憤怒に燃える吸血鬼がこちらに向き直る。
弐式炎雷の機動力を活かして逃走に移りたいところ、ではあるのだが。
それはかえって危険だった。
シャルティアのスキル『清浄投擲槍』。
神聖属性を帯びた三メートルもの槍を生み出し、投げつけてくる。
使用回数に制限のあるスキルではあるが、なにより危険なのは――MPを消費することで、「絶対に命中する」ように出来ること。
間合いを広げれば、使ってくる。
逃がしては眠りにつくと分かっているから、使用可能なだけのすべてをつぎ込んでも。
パンドラズ・アクターの現在のパラメータでは、それをしのぎきれない。
彼女はいま、彼が弐式炎雷のまがい物だと思っている。
防御力がどの程度か、HPがどのくらいか、きちんと把握していない。
そして。
彼女を冷静にさせてはいけない。
冷静になれば彼女は、かつてのアインズの忠告を思い出すだろう。
相手のHPにも気を配っていろ、という、あの忠告を。
ここで『
パンドラズ・アクターがどれだけ追い詰められているかを、知られるわけにはいかない。
回復アイテムを使わないのも、HPの確認へ誘導することを恐れてのことだ。
アイテムの効果が変質している可能性を先ほど示されたばかりでは、どうしても慎重になる。焼け石に水程度の回復量だったなら、かえって自身を
別の至高の存在に化け直すことが出来るなら、状況の改善は可能。
だがそのためには、変身をし、装備を取り替えるだけの時間が必要になり、いくらかのダメージをみすみす許すことになるのは必定。
さらに、それが成功したとしても、彼がパンドラズ・アクターであるということを悟らせてしまうだろう。
彼が至高の存在だと思い込ませておくことが、必要だった。
相手がNPCでしかないと知れば、シャルティアが無意識に施している手加減が消えてしまう。
どれだけ挑発されても、
どれだけ憤怒に駆られても、
相手が至高の存在だと信じているかぎりにおいて、
全力による攻撃にブレーキがかかる――
例外はいるにしても、
少なくともシャルティア・ブラッドフォールンは、その例に
シャルティアが魔法で
彼女としても
そうなるように、そう仕向けるために、
(普通に考えれば、手の届かないところに仕舞うだろうと推測しそうですけどね)
頭に血を上らせることで、
しかしそれは同時に攻撃の
至高の存在という隠れ
機動力を活かした回避。
二双の小太刀を連携させた防御。
攻撃に移らぬことを、その余裕がないせいだと悟らせないための軽口。
そしてさりげなく、目的とした地点へと誘導する。
彼のHPが尽きるのが先か、
彼女の眠りが始まるのが先か。
互いに残された時間は少ない。
そしてついに、彼は望んだ地点に到達する。
パンドラズ・アクターは忍者服の懐から平べったく小さな木の棒を取り出す。
それはかつてアインズが、精神支配されたシャルティアと戦うときに使用した課金アイテム。
警戒したシャルティアの攻撃が緩んだ
木の棒を折る。
シャルティアは槍の間合いにいた。
接近してはいるが、あくまでそのリーチを活かした距離を空けていた。
そして今は、警戒のためにそれが半歩ほど、遠くなっていて。
彼女の目には、突如として壁が降って湧いたように映った。
ずしんと地響きを立てて中空より落下した、壁。
それは凄まじい振動で地を揺らし、土煙を巻き上げた。
とっさに斜め後方の上空へと避難した彼女の、眼前には三メートルに及ぶ壁――
否。
刀だ。
巨大な忍刀『
あまりに大きく強い力を秘めたその刀による弐式炎雷の一撃は、ダメージ量においてギルド最強を誇る。
当たれば、の話だ。
それを持ち上げ、振り下ろすのにもかなり時間がかかる。えっちらおっちらやっている状況ではない。
もとより、パンドラズ・アクターはそれを振るうつもりはなかった。
課金アイテムである木の棒によって瞬時に装備したそのアイテムを――すぐさま手放したのだ。
それは当たり前のように、地面に落下した。
ただそれだけ。
しかしそれだけでも、そのおぞましいまでの重量と、秘められた攻撃力とが。
辺り一面の土煙という、煙幕を生んだ。
パンドラズ・アクターは、壁と化したその刀と煙幕を利用し、シャルティアの視界に入らぬようにして、行動を開始する。
ほんの数秒もすれば、土煙の幕は晴れるだろう。
そうすれば舞台の上、アクターの姿はさらされるだろう。
しかしその数秒の余裕がないことに、シャルティアは気付いていた。
睡魔が彼女の意識を
せめて、ほんの一撃でも。
少しでも、ダメージを。
焦りながらもアインズの役に立つべく思考する彼女は、しかし気付いていない。
一撃、あとたった一撃。
スキルも魔法もなく、なんのひねりもないスポイトランスでの一撃を叩き込むだけで、パンドラズ・アクターのHPが尽きるということには。
シャルティアは
エインヘリヤルが
本体の命令した攻撃対象。
エインヘリヤルは、本体が眠りについたのを感知する。
しかしすでに分身は攻撃モーションに入っている。
命中の寸前、
パンドラズ・アクターはかき消える。
代わりに出現していたのは、
眠りについたマーレだ。
槍が止まる。
そして。
本体の昏倒からしばらくして、分身もまたかき消える。
「……どうにか、うまくいきましたね」
宝物殿から持ち出していたアイテム。
一対となるそのアイテムを持つ者同士は、アイテムを作動させることで入れ替わることが出来る。
距離をとることを避けながらも、パンドラズ・アクターは徐々に目的とする地点――眠るマーレにほど近い位置に近付き、頃合いと確信したからこそ、課金アイテムで『
それを即座に地に捨てて、シャルティアの視界を塞ぐ。生じたわずかな猶予に、マーレの手に交替のためのアイテムを握らせ、自らは弐式炎雷の高機動を活かして、土の煙幕から離れないようにしつつ、マーレから距離をとる。
その途中で、もう一つ仕掛けをしておいたのだが、そちらは使わずに済んだようだ。本当ならあと一つ、いや叶うならばさらにもう一つ、仕掛けておきたいことはあったのだが、そんな余裕はなかった。
「やれやれ、
座り込んで回復アイテムを取り出し、使用する。
きちんと期待された量だけのHPが回復したことを感じ取り、パンドラズ・アクターはホッと一息吐いた。
『ナイトメア・カーニバル』を発動させた彼だからこそ、『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』で自由に転移出来、宝物殿からどんなアイテムでも持ってこられる。いくつかは使用不可にはなっているようだが、それでも他の者たちに比べればずっと自由だった。
(しかし……回復アイテムの使用が例外的に認められているとはいえ、制限は加えられています。HPは半分程度残っているだけ、という状態で我慢するしかありませんね)
パンドラズ・アクターの強みは、アクターとしてのその
「アインズ様、必ずやあなたの望みを叶えましょう」
行かねばならない。
だが、どの姿で?
彼は考える。
そして考えることの愚かさを
あの御方はやり遂げるだろう。
パンドラズ・アクターはそれをただサポートするだけ。
どういう状況どういう形でそれを為すかは、戦場を目にするまではっきりしない。
勝利は確実だ。
ナザリックは夢に閉ざされるだろう。
問題は夢の世界で、アインズが他の至高の存在、とりわけたっちとの間にしこりを残さないようにすること。
アインズはあくまでたっちの側だったと思い込ませ、これは敗北だったのだとたっちに信じさせるための布石を打たねばならない。
それこそまさしく、アクターの役割だ。
ゆえに。
彼はその本来の姿に戻る。
必要ならば即座にどんな姿もとれるよう、
また急ぎ装備をととのえられるよう、例の木の棒の形をした課金アイテムも多く身につける。
いくつかのアイテムについては、効果を確認しておくことにした。
先ほどの
念には念を入れて。
慎重に準備をととのえる、その姿勢が。
結果的に、致命的なタイムロスとなることを、彼はまだ知らない。
もしもこの瞬間、すぐさま第七階層に向かっていたならば。
他にも選択肢があり、可能性があったはずだったのに。
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