幕間
虚ろのナザリック『姉弟の関係』
肉感的なピンクの肉棒、もとい内臓、じゃなかったスライムだ。
てらてらてかてか、光沢あるその身をぷるんぷるん揺らすさまに欲情する変態はまずいないだろう。
むしろ股間を隠して裸足で逃げ出すこと請け合いだ。
その容姿で意外なほど俊敏に動く。
ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が誇る粘液盾――ぶくぶく茶釜である。
緑なすジャングルを、明らかに目立つその鮮やかな体躯が移動していく。
第六階層のシモベたちは遠目にもそれに気付くなりすぐさま跪き、歓喜を抱きながら忠誠を示す。
木々に囲まれ、ややひらけた地点。
そこで偽りの空を見上げる、一人のバードマンがいた。
ぶくぶく茶釜はやや手前で立ち止まり、茂みの陰にうずくまった。
別に痛みがあるとか苦しいとか、そういうわけではない。
ただ単に。声をかけるべきかどうかの判別くらいつく、というだけ。
ペロロンチーノは空に何を見ていたのか。
まがい物の空と、まがい物の自分。
決して叶わぬと知っていて抱いた夢を、見えない炎で燃やしていたのかもしれない。灰となった夢の代わり、透明な煙が空に舞い上がるのなら、彼はそれをただ追いかけていたのかもしれない。
やがてふっとペロロンチーノがうつむいたとき、ピンクの肉棒はぷるるんと身を震わせて起き上がる。ずりずり、とわざと草を折る音を立てて行く。
「おかえり、弟」
ペロロンチーノは緩慢な動きで振り返り、
「ああ、うん。もう来ちゃったよ、ぶくぶく姉ェ」
わずかな間。
それから。
「おい。私をその名で呼ぶとは、次に実家に帰ったときが楽しみだなぁ」
地獄の底から聞こえるような静かで重い声に、ペロロンチーノは気圧されるように硬直する。
「怒るぐらいならそんな名前付けんなよ!」
「あーん? 私がネタにするのはいいんだよ。それとアインズ・ウール・ゴウンのメンバーもな。でもお前は駄目だ、弟」
それはかつて、ナザリックで実際にあったやりとり。
まがい物の彼らは、与えられた記憶をなぞる。
『実家に帰る』なんてことは、絶対に無いと
分かっていたにもかかわらず。
互いにああだこうだ言い合っていると。
がさがさ、と音がして、姉弟はそちらを見やる。
「あ、あ、ああああの、あのあのっ!」
飛び出したマーレが、盛大にわたわたしながら、まったく意味をなさないあわあわ音を発しまくる。
ぽかんとするペロロンチーノが姉を見やれば、ぐにゃりとした粘体の上三分の一あたりをくびれさせて左右に振ってみせる。
そのジェスチャー分かんねえよ、と言わんばかりにペロロンチーノはにらむ。こちらは鳥頭に仮面という出で立ちにもかかわらず非常に分かりやすい。
マーレがなおも慌てながら言い募る。混乱しきった発言をどうにか繋ぎ合わせると、姉弟の喧嘩を止めようと必死なようだ。
ぶくぶく茶釜は手のように細くねじって持ち上げた身体の一部をひらひらと振り、
「なんでもないのよーじゃれてるだけだから」
「そうそう。マーレはアウラとこんなふうにしゃべんない?」
ペロロンチーノも調子を合わせる。
マーレはきょとんとし、口ごもり、それから上目遣いに二人の至高をうかがいながら、
「ボ、ボクは、その……お姉ちゃんと、そんなふうには……えっと……」
「あーそうだよね。マーレは気が弱いって、私が設定しちゃったし。かわいいかわいい男の娘だもんねー。その点、うちの馬鹿弟とは違う!」
「誰が馬鹿弟だよ、誰が」
「え? お前以外に弟いたっけ私? あ、候補があるんならトレードいいかもね。お前はクーリングオフで」
「俺もぜひとも姉ちゃんをクーリングオフしたいけど、保証期間外らしいよ」
「うわ、しくじった」
「こっちの台詞だ」
やいのやいのとやっていれば、たしかにそれが『じゃれ合い』のたぐいだとマーレも納得したらしく、笑顔を見せてくれた。
「ところで弟、この世界にエロゲはない。かわいそうなお前のために、この私が今まで出演したすべてのエロゲキャラで喘ぎ声の数々を聞かせてやろう」
「やめろ! 俺のライフはとっくにゼロだ!」
マーレはもうすっかり落ち着いて、眩しげに二人を見ていたが、ふと思い出したように辺りを見回す。
(あれ、お姉ちゃんはどこにいるんだろう?)
なぜだか胸がざわざわとした。
「ボ、ボク、お姉ちゃんを探してきます!」
とっさに叫んでしまったのは何故だったのか。
その理由が分からないのは、
記憶に
しいられた結果か、彼自身が望んだことだったのか。
至高の御方々は常にナザリックと共に在る。
いまちょっと席を外しているからといって、大慌てで探し回らねばならないことでもない。
もちろんいつもいつでも創造主といっしょにはいたいけれど、忠義を尽くすためにはそうも言っていられない。
姉がこの場にいないなら、むろんなにか仕事があるからで、マーレがそれに関わりを持っていない以上、探したところで呼び出せるものでなく、ただアウラの邪魔をするだけかもしれないのに。
それなのに。
マーレはひどく、自己嫌悪を覚えたのだ。
至高の御方々の、創造主の傍に控えている自分に。
「いいって、マーレ。アウラも暇になったら来るだろうし」
ぶくぶく茶釜がさりげなく止める。
マーレは視線をさまよわせ、しかし思い切ったように、深々と勢いよく頭を下げて、
「じゃ、じゃあ、その……この辺りだけ、フェンたちに聞いて回るだけにします。す、すぐ戻ります!」
かわいらしい走り方で駆けていくマーレを見送り、ペロロンチーノは肩をすくめ、ぶくぶく茶釜は無言で空を見上げた。
静かだった。
シモベたちも、傍にはいない。
ぶくぶく茶釜は悟る。
今この時しか、ない。
弟に是非とも言っておきたかったこと。
このまがい物の世界が終わる前に。
「なあ、弟」
「なんだよ、姉ちゃん」
「生シャルティア、どうだった?」
一陣の風が吹いた。
ペロロンチーノはふっと笑い、
「最高にかわいかったよ。決まってるだろ?」
「そうか」
ぶくぶく茶釜な重々しく頷き、
「で、胸パッドはどうだった」
「……健気でかわいいんじゃないかな」
「なるほど。間違ったくるわ言葉は」
「頑張ってたよ。うん」
「そうだな。ところで弟よ、私はここでシャルティアのあれやこれやの変態的発言と行動について聞かされたのがその辺についての感想は」
「……聞こえない。俺には何も聞こえないぞ」
「その
「HAHAHA、姉ちゃん寝ぼけてんのかなー困ったなー寝言は聞きたくないから口チャックしてくれないかなー」
「あとリザードマンを制圧したときにはモモンガさんの椅子――」
「やめろおおおぉぉぉぉ!」
ペロロンチーノはその場に崩れ落ちた。
額を地面にこすりつけ、両膝を地面につけ、片手は前に力無く差しのばし、片手は力尽きたようになっている。
ぶくぶく茶釜はその周囲を器用にくるくる踊りながら、
「ねぇねぇ、今どんな気持ち?」
「うぅ……姉ちゃんには分かるもんか……む、娘が……娘が『ぼくのかんがえたさいきょうのエロゲキャラ』に扮して出演したAVを、尊敬する先輩の家で友人たちと何食わぬ顔で最後まで観るような気持ち……!」
がんがんがん、と地面を叩くペロロンチーノ。
血涙さえ流れ出さんばかりである。
「頑張れ弟、生きろ弟。とりあえずまあ、あっちにいる間は我慢してひたすら賛美してやってきたんだろ?」
「当たり前だろ……! じゃなきゃシャルティアがどんだけショック受けるか……!」
「だーかーら言ったろうに。ちゃんと節度を持ってしなさいってさ。いつも注意してやってんのに、
「鬼! 悪魔!」
「スライムだ、残念ながら」
ふふんと胸を、と言えるのか粘体には不明だが、ともかくぐいっと前面を張る。
うわあああ、といまだ呻きを発して突っ伏したままの弟を見下ろし、咳払いする。
「でも、ま……あんたがシャルティアに会ったことは、無駄じゃない。あっちで命がけでやり遂げたこと、きっとモモンガさんにもシモベたちにも伝わるよ」
ぴた、とペロロンチーノは呻きを止め、不思議そうに顔を上げて姉を見やる。
姉は慌てたようにそっぽを向いて、やや早口に、
「だ、だから、その……あんたの情けないところとか! 変態設定つぎ込んだのはこんな奴ですよーっていうのが伝わったってこと! まあ他にもあるかもしれないけど? 私の知ったことじゃない」
「……姉ちゃん、もしかしてまじめモードが照れくさくて俺のこといじってる?」
「うーるーさーい! ほ、ほら、しゃきっとしなさい、しゃきっと! もうすぐマーレも戻って来るから!」
「マーレといえば、姉ちゃんのせいでナザリック内に男の子は女の子の服、男の子は――」
「おう、弟。それ以上口にすると溶かすぞ?」
「やめろ! 俺を抱き締めて溶かしていいのはエロゲの天使たちだけだ! あ、でも現実に出てくんのやめてくださいまじほんとに。シャルティアだけでお腹いっぱいです!」
「ふん。土下座して謝るなら許してやらんでもない」
「ところで姉ちゃん、聞いてみたかったんだけど、ピンクの肉棒がリアルに自分の身体になった気分どう? 女として、それどう?」
「……よろしい、ならば戦争だ」
やいのやいの言いながらも、実際には手を出さない。
シモベたちのことさえ気にかけないなら、それこそ本気のPVP一直線の流れではあったのだが。
……のだが。
まあとりあえず、ペロロンチーノは地面に転がされることになった。
停戦っぽく話を進めておきながら土壇場で裏切る、それが姉の特権である。
ペロロンチーノは立ち上がり、ぱっぱっと羽毛についた草を払う。
恨みがましい目つきを向けられても、ぶくぶく茶釜はどこ吹く風といった様子だ。
弟はせめてもの仕返しとばかりに腕を組んで――
すぐに仕返しが思い付かなくてしばらくうんうんうなり、
姉の生温かい視線を意志力総動員で完全スルーし、
にやり、と笑ってみせた。ちょっと痛々しい。
「ま、ナザリックに業の深い男の娘を創っちゃった姉ちゃんだし、いろいろと処世訓とか? 話しておいた方がいいんじゃないの?」
「どっちのNPCがより黒歴史かを競おうってか?」
「い、いや、それはちょっと俺の胃が……ま、まじめな話! 姉ちゃんだってマーレにいろいろ話しておきたいことあるだろ。俺はもう頑張ったんだからさ、次は姉ちゃんが気張る番だって!」
「べ、別に私は……」
そこで口をつぐんだのは、足音が聞こえたからだ。
マーレがこちらに駆け戻って来る。
「たっ、ただいま、戻りました! お姉ちゃんは、その、いないみたいで……」
「おつかれ、マーレ」
ぶくぶく茶釜は愛情を込めて、自分が造ったNPCを見つめる。
隣で冷やかすように軽く口笛を吹くバードマンをにらみ、
「さあてマーレ。無粋な男は抜きにして二人でお茶でもいただきながらお話しよっか」
「あ、はい。お二人でお茶ですね。えっと、よければボクらの――」
「ちーがーう。無粋なのはペロロン。さ、行こうマーレ」
「え? で、でも、その……ぶ、無粋って……」
「男は抜き。これならオーケー?」
「ボ、ボクの性別は、その……」
「男の娘だから問題なし」
などとぶくぶく茶釜は言い、言ってしまったあとで自分の台詞に悶えた。
これが黒歴史か……!
ペロロンチーノが笑いを噛み殺しているのがむかついて仕方ない。
そんな創造主の全力で押し殺した
マーレはホッとしたような笑顔を浮かべていた。
創造主が自分の性別を『男の子』と認識してくれていると思って。
忘れられていたら、ちょっと、というかかなりショックだっただろう。
もちろん創造主が望むならば性転換も試みるにやぶさかではなく、方法をデミウルゴスに相談しなければならないところだった。
それから、笑ったことを恥じるように慌てて両手で顔を隠し、指の間から上目遣いにぶくぶく茶釜とペロロンチーノを見る。
バードマンは肩をすくめて、「どーぞどーぞ、親子水入らずでどーぞ」と言う。
親子、と表現されたことがむずがゆく、うれしく、もったいなくも、あまりに幸せで。マーレはほわほわと口元を緩ませる。
三人を包む陽だまりはとても温かい。
たとえそれが、偽りの日差しだとしても。
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