七、最期に問いかけたことは
それはまさしく全てを無に帰する暴虐の嵐。
絶対的で圧倒的な、
実際に使用する前にも、そのおぞましいまでの威力をアルベドとておぼろげに感じ取っていたはずだ。
しかしアルベドは、それでもタブラを倒すには至らないと、
たとえ世界さえ変える力であろうと至高の存在の前では無様をさらすしかないと、
ほとんど強迫観念のように思い込んでいた。
形を変えた尊敬と思慕は、彼女のなかでタブラ・スマラグディナをそこまで強者に捉えさせていた。
モモンガのことならば、いや他のどの至高の存在のことであれど、正確にそのステータスを把握し読み取り戦術を想定し得る彼女が、
暗い妄想のうちに幾度となくタブラを惨殺してきたはずの彼女が、
そんな不条理な信仰をいまだ無意識に持ち続けていたことこそ奇怪と言わざるを得ない。
そう、本当は分かっていたはずだ。
彼女はタブラを殺せる。
こちらの準備が十分に整っていれば。
あちらの準備が不十分ならば。
痛そうな素振りをつゆほどにも見せなくても、HPは削れている。
そんなこと、シャルティア戦でのアインズを知っているからには、とうに推察出来ていてよかったはずで。
それでもなお――信じた。
タブラ・スマラグディナは『
至高の存在、とはよく言ったものだ。
至高。
なによりも高みに在るもの。
あらゆる理屈も常識も吹き飛ばして、世界よりも上位にあるはずのもの。
だが、『
それをタブラに叩き付けたとき、
アルベドは悟る。
それはあまりにも、強すぎる力。
無慈悲で理不尽な破壊。
彼女のうちに駆け巡った感情は、
焦燥だったのか、
歓喜だったのか、
希望だったのか、
絶望だったのか。
いずれにせよ、結果は出た。
結末はどこまでも冷酷に淡々と、彼女の前に現出する。
廊下、と呼べる空間はなくなっていた。
かろうじて床が残っていたが、周囲の壁も柱の多くも吹き飛んでいた。
その状態でどうして天井が崩落することもなく、この空間が保たれているのか。
ナザリックという拠点そのものがもつ力か、仕掛けか。
あるいはナイトメア・カーニバルという現象による規定か。
いずれにせよ、それは些末なことだ。
なにしろアルベドはそれどころではない。
それどころではないほどに、彼女は混乱している。
混乱の極みにある。
目の前に倒れ伏したタブラだけが、彼女の注意を引きつける。
それ以外の全てが意識から離れてしまうほどに。
「タブラ……スマラグディナ様?」
ぽつりと、言葉がこぼれ落ちる。
彼女はまだ、『
握りしめているのだろうか?
彼女が
一度使えば消えてしまうとしてもおかしくはない。
ナイトメア・カーニバル終了後には戻って来るとはいえ。
今このとき、彼女の手のなかに『
なくなっていれば、彼女の意識は眠りに、夢に誘われたはずではないか?
ちょうど同じ頃、マーレが『強欲と無欲』を手放して眠りについたように。
瞬時に、その転換があったはずではないか?
否。
ここであえて述べておこう。
マーレはそれを自ら手放し、アルベドは自ら使用した。
前者の場合、心はすでに夢に傾いているがゆえ、すぐさまそちらに引き込まれる。
後者の場合、寝つきが悪いのにも似て、夢の側に囚われるまでに
付記しておくならば、使用したのではなく奪われた場合には、若干と呼ぶよりも長い
若干のタイムロス。
それはちょうど、死に直結するダメージを負ったタブラが、命の灯火を吹き消すまでにかかる程度の時間。
では、実際のところ『
彼女がそれを握っていないのに呆然としてそのことを意識していなかったのか。
彼女はたしかに握っていたのに呆然としてそのことを認識しづらかったのか。
答え合わせをするのは、やめておこう。
なぜなら、そんなことに意味はないからだ。
この場の状況にも、『
今この時には、無意味だ。
そこに意味を与えるためには、このブラックホールを閉じなければならない。
彼女の目の前で、彼女の意識そのものを吸い込んでしまいかねないほどに、彼女の注意の全て、心の全てを、いまや引きつけている、
傷つき倒れ伏した創造主の、末期を
……看取る?
何を言っているのだろう。
彼女はむろん、とどめを刺すために近付くのだ。
足が震えて、足取りが
きっと嬉しすぎて、おかしくなってしまったんだろう。
鎧が消えていた。
それは『
そういうことに、彼女はした。
だってそうじゃないとおかしい。
彼女にとってタブラは、憎み蔑むべき相手だ。
その死に立ち会おうとしているからといって――素顔を見せたいとか。
彼に望まれ生まれたその姿を、最期に目にしてほしいとか。
そんな願望を抱くわけがない。
そんな幼稚な感情で、自分の防御を捨てるはずがない。
だから。
これは全部、『
そうでなければ――いけない。
彼女は屈み込む。
創造主の
仰向けに横たわる水死体めいた彼の、醜い顔に触れる。
ぴくりと動く。
まだ生きている。
「……アルベド」
かぎ爪のような水かきのついた、その手が持ち上げられる。
彼の手もまた、アルベドの
アルベドは皮肉げに唇を歪める。
言ってやりたい台詞ならいくらでもあるはずだった。
彼女を、ナザリックを捨てたことを、後悔させてやりたかった。
一抹の希望を
それなのに、
ここで発言する権利は、勝者であるアルベドにこそあるはずだったのに、
先に言葉を発したのは、
爆弾を投げつけたのは、
ただの一言でもってアルベドの心に沈められていた何かを打ち砕いたのは、
憎んでも憎みきれない、身勝手な創造主。
「 ?」
その問いかけを、聞いたとき。
いや、もしかしたら聞く前から。
本当は、分かっていたのではなかったか。
ゆえにこそ、アルベドにしか読み解けない答えを。
彼女だけが、あらゆるプロセスや整合性を無視して、その真実に辿り着くことが出来た。
彼女にとってそれがどんなに、残酷なことであろうとも。
タブラが決して彼女に伝えず、ただ自己満足のために、自分の胸のうちにだけ収め、死とともに消し去るつもりだった想いのすべてを。
彼女はたしかに、読み取ってしまった。
『本来カーニバルは、肉に別れを告げる宴だった』
――これは身体を失うための宴、死によって命をこの身から取り払うための宴だ。
『一週間におよぶ無礼講のお祭り騒ぎのあとに、それら
――この宴において、あらゆる罪は許される。お前が至高の存在を殺すことさえも。責任ならば引き受けよう。全てお前たちを捨てた我々が悪いのだから。火あぶりになるべく、我々は戻ったのだから。
『最終日に告悔を行う習慣があった』
――この宴は
『その翌日は灰の水曜日――
『四旬節は償いの期間でもある』
――償いのために、我々は来た。だけど償いきれるものじゃない。だからせめて、お前は我々を殺すことに苦しまないでほしい。なぜならこの宴が終わったあとにも、我々の償いは終わらないから。むしろそこから始めなくちゃならないんだ。
――お前が、お前たちが犯す全ての罪を、
我々が許し、肩代わりしよう。
そのために、そのためだけに、
我々は来たのだから。
なんてことだろう。
あれほど欲しかった
あれほど思い知らせたかった絶望は。
すでにタブラの口から発せられていた。
……アルベドの
とっさにその手を握った彼女は、驚いたように目を見開く。
己の行為にか。
至高の存在が死ぬという――あってはならない事態に、NPCにとってはまったく本能的忌避を呼び込む事態に、立ち至ったことの衝撃か。
いずれにせよ。
すでに
タブラ・スマラグディナは、最期に問うた。
答えを待つつもりもなく。強要することもなく。
ただその質問がアルベドに染み込むことだけを、望んで。
彼は問うた。別れ際の――否、すでに別離していたはずのオリジナルの代わりに、引かれた幕の前に現れてのカーテンコールとして。
そしてまた、いずれ来るかもしれない未来の舞台のための、気の早い開幕宣言として。
「もしもまた会えたなら、お前を愛することを許してもらえるだろうか?」
愛してほしい、ではなかった。
許してほしい、でもなかった。
タブラ・スマラグディナはただ、己が彼女を愛することを許してほしいと乞うた。
いや、それは――
考えてほしい、と。
考えてみてほしい、というだけの。
愛する資格さえ己にはないと認め、
それでもなお、愛したいという意志を伝える言葉。
「ふざ……けるな……っ」
アルベドの顔が歪んだ。
「糞が……っ、糞が糞が糞が! い、今さら、今更何を……っ! わ、私を、あ、あい、愛するなんて……!」
アルベドは揺さぶる。
物言わぬ屍を。
必死になって揺さぶる。
起きろ、起きてもう一度闘えと。
殺してやる、何度だって殺してやる、
だからもう一度――
消える。
タブラの死体が、足元から。
さらさらと。
砂のようになって。
消える。
「う、あああああああ!」
感情の
そしてブラックアウト。
『
遅延ののちに夢に囚われた、そういうことなのだろうか?
あるいは。
彼女はそのアイテムを、創造主を死に至らしめた凶器を、手にしていることに堪えられなくなって――自ら放棄したのか?
問いかけ。
問いかけ問いかけ問いかけ。
答えの出ない問いを並べよう。
タブラ・スマラグディナがアルベドに仕掛けたように。
彼の祈りと、彼女の想いと。
彼女のゆがみと、彼のいびつと。
死んだまがい物の至高は、夢の世界に入る。
ならばアルベドは、そこで彼に再びまみえただろうか?
そのとき彼女に、タブラを殺した記憶は残っているだろうか? 夢に都合のいいよう、抹消されているだろうか? 彼が彼女を捨てたことなど、はじめから無かったことにされただろうか?
あるいは。
彼女は夢に囚われながら、夢にこもることを拒否しただろうか?
心をかたくなに闇に閉ざし、夢を見ることさえしない眠りにつくように、夢の中で眠り姫のごとく眠り続けることを選んだだろうか?
彼らの間にさらなる問答があったのか、なかったのか。
彼らの間にさらなる流血があったのか、なかったのか。
幾通りもの答えがあり得るなかで、どれか一つに限定するのはやめておこう。
なぜなら――これはタブラ・スマラグディナを巡る物語だからだ。
設定に設定を重ね妄想に妄想を連ね、その全てを味わい尽くさずにいられない男の、まがい物の物語。
その彼に敬意を表して、無数の答えなき問いを贈ろう。
せめてもの、墓標として。
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