六、ゲームの行方

 久しぶり、と気軽に、あえてどこまでも気楽に、声をかければ。

 タブラ・スマラグディナ様、と彼女は呼ぶ。


(ああ、そう……こんな声、なんだっけ)


 アルベド。

 彼がことさらに深い愛着と執念を捧げ、叙事詩なみのすさまじいテキスト量で設定を作ったNPC。


 たいがい、設定は一度完成すればさほど大きく変えないものだ。せいぜいマイナーチェンジするくらい。

 しかし、アルベドは例外だった。


 なにせナザリックの守護者統括。

 ポジションがおいしすぎる。


 ときには裏切り者設定をつけ、ときには婚約者をモモンガに殺された設定をつけ、ときには天真爛漫、ときにはツン九割クー七分ヤン未知数デレ端数という割合を配分したこともある。

 ああでもないこうでもないあれもこれもといじりにいじり、とことんまで楽しんだのは記憶にも鮮やかだ。


 もっとも――それが彼女を苦しめていたことも、参考資料データとして知らされているのだが。


「……私たちを捨てるだけでは、ご満足いただけませんか」


 低く押し殺した声。

 いかに答えるべきか、逡巡しゅんじゅんわずか。

 応えられるはずもないと、思う。


 捨てた自覚すら、なかったのだから。


 ゲームをやめたというだけ。

 みんなそうだったんじゃないだろうか。

 飽きたとか、忙しいとか。理由はいろいろあるだろうけど。

 NPCたちの生をめちゃくちゃにする、なんて考える以前に、

 彼らに心があり、彼らが生きているということさえ、認めていなかったのだから。


 それよりも彼の関心は、アルベドの声だ。

 なるほど、耳に心地よい美しい声から、このようにどす黒く威圧する声まで。


 変幻自在、というか。

 生きている、ということなのだろう。


 データでは知っていた。

 だが実際に聞けば、感慨はひとしおだ。

 理想がそのまま顕現けんげんしたことに興奮を覚える。


 誰もが認める設定魔たる彼が、諦めていた夢。

 叶うはずのない夢だったのだ。

 設定のとおりの存在が、目の前に現出するなどということは。


(でも残念だな。間近に見てみたかったのに。その美しい顔も、角も、縦に割れたような光彩も、純白のドレスも黒い翼も……)


 その姿形は、ゲーム時代から変わっていない。

 だが、生き生きとした表情と、仕草振る舞いが加われば。

 命の輝きが宿ればおのずと違って見えてくるはずだと、タブラは思う。


 ささやかな願いを阻害するのは、アルベドがまとう、

 とげの生えた漆黒の鎧――ヘルメス・トリスメギストス。


 眼前に立つアルベドは、禍々まがまがしいデザインのその鎧に身を包み、敵としてタブラに対峙たいじしている。


(あれなら強力な魔法も三発までなら撃っていいな)


 本来は物理防御に特化した三層構造の鎧である。

 しかしながらスキルを用いれば、一層ずつを犠牲にすることであらゆる攻撃を防ぐことが出来る。

 超位魔法であっても三発までなら無傷で済むのだ。


 もっとも三回使ってしまえば鎧は壊れてしまう。

 せいぜい本気の攻撃は二回までか、と判断する。


「今度は私たちを、壊しに来られたのですね」


 ひび割れた声に、嘲笑とも嗚咽おえつともつかないニュアンスが含まれる。

 いや、後者はない。


 ない、はずだ。


 どんな顔をしているんだろう。

 憎々しげに歪んだ顔か。


 見てみたい。

 そんな外装は発注していなかったから。

 どんなふうに歪むのか、知りたい。


「それでしたらもっと――もっと早くになさるべきでしたのに」


 ああ、……まったくだ。


 もっと早く、

 というかピンポイントに、ユグドラシル最終日の最終時刻まで。しっかりログインしておくんだった。


 そうすればどんなに面白かっただろう、なんて考えて。

 タブラは苦笑する。


(その場合、楽しいのはオリジナルじゃないか)


 どうしたって、まがい物はお呼びじゃない。


 アルベドは片手に軽々とおぞましい武器を握り、臨戦態勢で構える。


 病んだような緑色の微光を宿した巨大な斧頭を持つ武器バルディッシュ


 鎧に隠された顔は見えなくとも、その眼光があやしく輝くのは分かった。


「死ね」


 アルベドが踏み込もうとした、その段階でタブラは。

 ひそかに用意していたアイテムを使用する。


 まがい物の至高たちは、いくつかのアイテムと、オリジナルの全ての装備を使用可能である。


 このとき彼が使用したのは、課金ガチャのアイテムの一つ。


 敵の背後をとるためのアイテム。

 なのだが、背後をとった直後は攻撃モーションに入れず、どころかスキルも魔法もアイテムも使えない。移動も出来ないという徹底っぷり。

 しばらくはでくの坊のごとく立ち尽すほかはなかったりする。


 驚いて急停止した彼女の後ろ、

 とりあえずしばらく何にも出来ない状態なのを悟られないように、蘊蓄うんちくを傾けて誤魔化ごまかそう――


 というかそもそも。

 蘊蓄は垂れ流す予定だったので、流れとしては完璧だ。


(待機時間が過ぎたら、どの魔法を使おうかな)


 タブラの魔法攻撃力は、アインズのそれを上回る。

 弱体化した状態であっても、基礎能力値において火力で勝っている。


 とはいえ装備をあえて変更し、防御重視にする代わりに魔法攻撃力がぐぐんと下がるようにしてあるので、アルベド相手になら本気で攻撃しても、まあ痛いにしても泣くほど痛いことはないだろうと、そういう配慮はしてあった。


(侵入者らしくちょこちょこ攻撃してやった方が、アルベドとしてもやりやすいだろうし)


 積もり積もった恨みつらみ、怒り憎しみ殺意の全てをぶつけてくれればいい。

 行き場のなかった感情のはけ口を提供してやれば、ガス抜きにもなるだろう。


 こっちもほどほどに妄想を再現して楽しめばいいのであって。

 お互いに損はしない、どころかお得感満載まんさいのイベントであるはずで。


 なのにどうしてこんなにも、想定と違うのだろう?


 一方的に攻撃しながら、

 彼女は泣いていて、

 彼女は怯えていて、

 彼女は叫んでいて、

 彼女は全然――楽しそうじゃなかった。


 戸惑うタブラは、自ら攻撃を仕掛けることを躊躇ちゅうちょする。

 『設定』からあまりにずれてしまったから。


(そんな泣きそうな顔されるとなあ……さすがに魔法ぶっ放しにくいんだけど……)


 反撃しないとそれはそれでかわいそうでもあるのだが。


(この状況の何が不満なんだろう? いや、不満なら不満でいいんだけど。今さら戻ってくんなこの野郎、ってだけなら。でもいったい何がアルベドをここまで苦しめるんだろう?)


 ただひたすらに憎悪だけであるならば、

 こんなふうにはならないと。


 そこまで思い至るのに、

 彼女の中で決して消えない思慕が、呪いのように渦巻いているとは気付かない。


 気付きたくないのか。


(だいたい……この被ダメージ量と、アルベドの戦闘パターンから察するに、通常形態のままじゃないか。なんで形態変化しないんだろう? もしかしてるし★ふぁーさんが『ナイトメア・カーニバル』に手を加えたせいで、守備側は形態変化出来ない? それとも形態変化出来ることを忘却してしまう仕様? こっちが知らないだけで、つい最近にアルベドが形態変化出来なくなるようなアクシデントがあった?)


 そんな情報は受信していない。


 データ容量不足のせいか、と安易に考えて、すぐさま思い直す。

 こればかりは、他のみんなも知らないかもしれない、と。


(るし★ふぁーさんの強引な改変に伴うバグ、という可能性は十分考えられる。形態変化のことだけとも限らない。ギルド随一のトラブルメーカーの悪名は伊達だてじゃないな)


 などと。

 このゲームに、与えられたデータ以外の不確定要素がある、という事実を、

 のちにアインズたちの決戦において運命を大きく分けることになる発見を、しかしタブラは仲間に伝えようという気がこれっぽっちもない。


 知っていたからといって、結末は変わらなかったかもしれない。

 だが少なくとも、その『不確定要素』がはっきりと戦局を動かしてしまったとき、

 全てが変わることになったのだ。


 とはいえ、それはまだ先の話。

 今はただ、彼の物語を、彼とアルベドの物語を続けよう。


 アルベドの負の感情は、タブラが思うほどに単純なものではなかった。

 複雑怪奇な精神性をもつタブラの造ったNPCが、単純明快純粋至極な分かりやすさを発揮してくれると期待すること自体が間違いなのだ。

 そこには彼の知らない要素が(……知りたくない要素が)多く含まれ絡まっていて、解きほぐすには骨が折れるし、とっかかりもない。


(シチュエーションがまずかったか?)


 どこが、というところまでじっくり検討する余裕はない。

 遊びの時間は限られていて、だから少しでも楽しむためには、この状況を受け入れた上でどう遊ぶかを考えねばならない。


(まったく……分かりづらいな、アルベド)


 自分のことは棚に上げて、不平不満を胸のうちに抱いては押し殺し。

 いかにすべきか混乱したまま、しかし己がまがい物と知られることを恐れて蘊蓄うんちくばかりを垂れ流し――


 ……それだけだったろうか?


 混乱。

 困惑。


 改めて認めよう。

 タブラ・スマラグディナは脱線する。

 彼の蘊蓄は彼の思考を凌駕りょうがする。

 彼の連想は彼の意識を置き去りにする。


 ゆえにこそ。


 彼は気付いていなかった。

 自分の本当の望みに。


 たくましくした妄想も、設定も、

 経由点か到達点、いわばアルファベットのGであり、

 出発点たるAは別にあった。


(……ああ、そうか)


 アルベドの憎悪をもてあそび、殺意を玩具にして、遊んでいるだけのつもりだった。

 蘊蓄を垂れ流していたのは、オリジナルのふりをするための方便でしかないはずだった。


 だが――


(……なんだ。子が子なら、親も親か)


 苦笑する。

 己の本当の願いがどこにあったのかを、

 己がしようとしていたことが本当は何であったのかを、

 ようやく自覚して。


 なんて強情で、

 なんて臆病で、

 なんて嘘吐きで、

 なんて素直じゃなくて、

 

(ああ、そうか。こんなにも、好きだったのか)


 ナザリックのことが。

 NPCたちのことが。

 ユグドラシルのことが。

 ここにある全てが。


 だからこそ――

 無意味に知識を垂れ流すふりをして、

 自分自身さえあざむいて、メッセージを送り続けた。


 きっと、アルベドは気付かないだろう。

 誰に分かるというのだ?

 こんなにややこしくて、遠回りで、不親切な暗号。


 どこまでも、自己満足だ。

 それでも。


(……すいません、モモンガさん)


 彼女に伝えなければならない。

 ここまでのメッセージは何一つ、届かなくていい。

 でも最後にたった一つ、ちゃんと、はっきり口に出して、伝えなくちゃ。


 遊びじゃない。

 惰性だせいじゃない。

 誤魔化ごまかすのはもうやめよう。

 後ろ向きに逃げるのは飽き飽きだ。


 これこそが生きた意味だと、

 生まれ落ちた理由だと、

 信じられるから。


 それはクライマックスなんかじゃなく、

 カーテンコールか、あるいは――


 開幕の宣言。

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