五、おもちゃとお菓子

 タブラにとっての命題は、「いかにして死を迎えるか」にあった。


 生き残ってしまった場合にはたっち陣営、ウルベルト陣営の勝利した方に従うと言ってあったが、そのような不手際ふてぎわをさらすつもりはなかった。


 自殺が出来ない仕様なのだから、手を下す者を設定しなければならない。

 モモンガに負担をいるつもりはないから、目を覚ましているシモベから選定するしかない。


 罠が使える状態ならば、試してみたいことはあった。


 レベル100の相手との戦闘で大幅にダメージを負っておき、とどめはナザリックに仕掛けられた罠を、過失致死と認定されるような状況にて作動させる。


 それが殺害になるか、事故死になるか――後者ならば果たして、自殺として弾かれHP1の状態で生き延びるのか、事故死として受理され死亡するのか?


 だが残念ながら、『ナイトメア・カーニバル』に加えられた改変により、罠は軒並のきなみ作動しなくなっている。


(ほんと、余計なことしてくれるなあ。るし★ふぁーさん)


 怒るでもなく、呆れるでもなく、むしろ感心する。


 トラブルメーカーのるし★ふぁーは、退屈を打破するという意味において重要な役回りだった。

 ギルドの憎まれ役として存在することで、かえって全体の結束を高めてもいた。

 それでいて毛嫌いされるということもなく、ちゃんと仲間として認められてもいたのだから、人間関係のバランス感覚にはなかなか優れたところがあったのではないかとタブラはにらんでいる。

 モモンガあたりは全力で否定しそうだが。


(まあ、事故死実験は無理かな。それじゃ殺してもらう相手を、世界級ワールドアイテムを所持している階層守護者たちに絞るとなると……)


 他のまがい物の至高たちのNPCには、手を出さない方がいいだろう。

 彼らには自分よりも深い情愛みたいなものがあるようだから。


 除外されるのはデミウルゴス、コキュートス、シャルティア。

 残るのはアルベド、アウラ、マーレだ。


 アウラとマーレについては、しかしペロロンチーノの姉が造ったNPCである。そして見た目からして子どもだ。タブラはモモンガにはロリコンの気があるのではないかと微妙に疑ってもいる。

 やはりこれらに手を出すべきではない。


(ううん……アルベドで遊ぶつもりではあったけど、もっといろいろ選択肢があると面白かったのになあ)


 残念がるタブラは、しかし頭の中ではあれやこれや、妄想している。

 それを『妄想』と呼ぶことに抵抗があるむきもあるかもしれないが、しかしながら『設定を空想すること』にほとんど性的快感に近いまでのよろこびを覚える彼には、やはり『妄想』の語がふさわしい。


 たとえば第八階層のあれらが動いていたとしたら。

 たとえば甘言虚言でだまあざむき、守護者同士を争わせたら。

 たとえば……――


 無数に枝分かれする思考が、それぞれすさまじい速度で物語を展開する。

 並列されるドラマを同時に味わいながら、タブラは恍惚こうこつに身を委ねる。


 むろん、そんなことはしない。不可能なものばかりではないにしても。

 やらないと分かっているからこそ、歓喜の天井も底が知れている。


 どんな不完全なものであれ、それを形に出来るならば愉悦ゆえつも深まろう。

 初めから出来ないものと諦めているならば、彼の心を満たしてはくれない。


 だからこそ。


 タブラは大樹の根元の黒い扉を押し開け、第九階層の通路に転移する。

 仲間に挨拶するでもなく、気負うこともなく。


 壮麗な列柱が並ぶ通廊に立ち、辺りを見回す。

 この辺りにはメイドが倒れ伏している様子もないし、巻き込む危険はなさそうだ。


 まあ、『ナイトメア・カーニバル』が決着するまでに死亡しても、一定時間後に彼らは皆、無料で復活するのだが。

 復活して、その上で夢の世界に永劫に囚われるという、罰ゲームみたいな末路があるだけなのだが。


(あ)


 いまさらになって、情報が配信される。

 とっくにロードは終わっていたはずなのに、データ容量がきつきつだったせいか。


 与えられた情報――あの空間から黒い扉によって、ナザリック内の任意の地点に転移出来るとはいえ、誰かが転移した場所と同じ階層には出られない。


(ウルベルトさん、建御雷さん、ペロロンチーノさんは自分の造ったNPCのいる階層に転移しようとする可能性が高いだろうな。味方につけるにせよ排除するにせよ、モモンガさんより先に接触するのが望ましい。その点たっちさんは、真っ先にモモンガさんのところに行きたいだろうから、第九階層が望ましかっただろうが……こうなったら第十階層転移か? いや、あえて第八階層に……駄目元であれらが動かせるか確認していくかもしれないな。無理だとは分かっていても、念には念を入れて。万が一にもあれらが敵陣営に渡ると困るわけだし……それに、少し時間をおいてからモモンガさんと接触することで、迎撃の心構えをするだけの猶予をモモンガさんに与えることにもなるわけだし……)


 タブラはゆらりと足を運び、ためしに一つの部屋をのぞいて現在位置を確認する。


 問題ない。

 意図したとおり、第十階層と第九階層を繋ぐ転移門からしばらく進んだ先の通廊だ。モモンガの居室に向かうにせよ、第八階層へ向かうにせよ、やはり通らねばならない場所。


 アルベドが執務中に常駐するのは、第十階層にある玉座の間。

 待ち伏せするにちょうどいい地点である。


 手早く装備を変える。

 初期設定は最強装備ということになっているようだが、彼の計画には不向きだ。

 勝利よりも敗北に華を求めるからには、より適したものがある。


 使用可能なアイテムについてもざっと確認し、

 れが無いことを点検し、

 そしてひとつ、頷く。


 ……さて。


 ここからが、お楽しみの時間――彼にとってのクライマックスだ。










 タブラとアルベドは、そこで相まみえる。


 彼女が連ねる言葉に、彼は応えを返さず。

 彼が連ねる言葉に、彼女に向けたものはなく。


 どこまでも、すれ違い続ける。


 その関係性を打破するのは、

 激しい憎悪だけだ。


 かつての思慕を、愛情を、

 すべてを殺意に振り向けるだけの歪んだ情熱こそが、

 へだて続けた空疎くうそを埋める。








 漆黒の鎧をまとう女悪魔は、憎悪に駆り立てられるままバルディッシュを振るう。

 狂気をはらむ薄緑の輝きが宙にきらめき、無慈悲な斬撃を彩る。


 創造主はただそれを無為に受ける。

 その眼差しには彼女が映っているのかどうかさえ疑わしい。


「何故、闘わない……っ!」


 絞り出した怨嗟えんさ苦悶くもんに満ちて。

 一方通行の怒りは叩き付けても叩き付けても、どこにも行き着かない。


 私を見ろ、私を認識しろと、

 むずがる赤子のごとく彼女は暴れ、

 けれども望むものは得られず、

 創造主は痛がることはおろか、恐れも不安も憐れみも何一つ浮かべることはなく、


 その無関心こそが、なによりも深くアルベドを傷つける。

 アルベドの矜持きょうじを、その胸に秘め続けた歪んだ願いを、

 踏みにじる手間さえかけず、そのゆえにこそ、

 彼女の黒い感情はどこまでも己自身を壊していく。


 己を捨てた、至高の者たち。

 この手で引き裂いたなら、満たされる気がしていた。

 彼らがこの胸に空けた穴を、彼らのしかばねで塞ぎたくて。


 もう二度と彼女を捨てることなどないように、

 捨てたくても捨てられないように、


 その瞳に最期に映るのは彼女の残忍な笑みであり、

 その耳に最期に響くのは彼女の嘲り笑う声であり、

 その手に最期に掴むのは彼女のつめたい鎧であり、

 その足に最期に踏むのは彼女の長く細い影であり、

 その唇に最期に紡ぐのは彼女に捧ぐ断末魔であり、


 そうして初めて、主従は逆転する。

 彼女こそが彼らの、その命の終わりの主となり、

 彼女は彼らを所有する。

 復活などさせない、

 永劫に彼女だけのものとなり、

 永劫に彼女に捨てられているがいい。


 胸に宿った復讐の望みは、

 しかし無抵抗という名の抵抗によって打ち砕かれる。


「ちゃんと……ちゃんと私を見なさい……!」


 虚ろな眼窩がんかには彼女は映らない。

 映っているのかどうかも、判然としない。


 だがそれでいて、この相手は。

 どういうわけか、なかなか死なない。


 彼女は知らない。

 タブラがあえて防御に完全特化するよう準備をしてきたことを。

 攻撃を完全に捨て、どこまでも彼女の復讐を、その無為を引き延ばし、無為に無為を重ねさせるためにだけ、準備を整えてきたのだということを。


 彼女は気付かない。

 それもまた、ひとつの愛の形かもしれないことには。

 終わることが前提の、捨てることが織り込み済みの、おもちゃでの遊びにしか過ぎなくとも。


 そう、今度もまた、捨てるのだ。

 タブラがアルベドを捨てる。

 逆はない。

 彼女の望みが行き着くところを奪い、

 彼女の苦痛と混乱を眺めて楽しむ。


 同時にまた、

 ときどきには、ふっと、

 彼もまた、動く。


 攻撃しようとするわけではない。

 攻撃されるかと思ってアルベドが構えるのをよそに。


 退屈でたまらないように。

 退屈しのぎに身じろぐだけのように。

 彼は動く。

 そして止まる。


 どうぞ、お好きなように。


 けれど、もう彼女にも分かり始めているはずだ。

 このままではらちがあかない。


 いや、いくらでもやり続ければ、際限なく攻撃を続ければ、いつかはタブラのHPも尽きるだろう。

 しかしながら、彼女にはそこまで続ける余裕は失われている。

 これ以上の無為を重ねることを、彼女の心が拒絶する。


 方法は別にある。

 この無為を大幅にショートカット出来る方法が。


 むしろ、なぜ今までそれを使わなかったかと疑問にさえ思うだろう。

 その疑問の裏に、彼女が決して見ようとしなかった真実が隠されている。


 さあ、この時を待っていた。

 タブラは表情に出さず、よろこびにかすかに身を震わせる。


 彼女が取り出したのは、世界級ワールドアイテム『真なる無ギンヌンガガプ』――


 ユグドラシルを去ってこの方、タブラが一度もナザリックに戻らなかったかといえば、否だ。


 彼は戻った。

 彼女の前に。

 そして授けた。

 モモンガにすら黙って。


 『真なる無ギンヌンガガプ』を。


 これこそが、この末路こそが、

 タブラ・スマラグディナの――そのまがい物の、一世一代の演出。


 広範囲を薙ぎ払う、暴虐の嵐。


 アイテムや魔法による防御をものともせず、

 逃れようもない完全なる死へと至らしめる――

 ように、アルベドには見えるだろう。


 彼女はまだ知らないはずだ。

 それが対物体最強の世界級ワールドアイテムではあっても、対人であれば特化した神器級アイテムに劣るということを。

 

 だが。


 彼女は知らないままで終わるだろう。

 タブラが懐に隠し持っていたアイテムは所有者に多大な恩恵をもたらす代わりに、破壊されたとき所有者のHPを大幅に削り取る。


 そうそう簡単には壊せない強度はあるが、『真なる無ギンヌンガガプ』となれば話は別だ。

 タイミングを見計らって、そっとこのアイテムを取り出し、暴虐の嵐にさらした。

 むろん、アルベドに悟られぬよう


 壊れる。

 襲い来る圧倒的なダメージ。


 いずれにせよ、アルベドの攻撃で死ぬことには変わりない。

 だが、そこには大きな違いがある。


 破壊されたアイテムのもたらす負の作用にとどめを刺されるのと、

 『真なる無ギンヌンガガプ』によってとどめを刺されるのでは、

 設定魔には見過ごせない決定的相違がある。 


 アルベドは必ず後者だと思い込むだろう。

 そうなるようにタブラは振るまい、そう見えるよう倒れる。

 満足げな笑みを浮かべて。


 復讐に身を焦がすなら。

 憎悪と殺意を純粋なままに留めるなら。

 彼女は決して、この奥の手を使ってはならなかった。


 なぜなら、それはタブラが贈ったもの、

 彼女を捨てたはずの創造主が、捨てたあとにわざわざ帰還して、ひそかに与えたものだったから。


 その意味を、理由を、アルベドはつかめずにいただろう。

 そして本当のところは、彼女も知らないままでいい。


 彼女はただ、推測すればいいのだ。

 初めからこのつもりで、創造主は『真なる無ギンヌンガガプ』を与えたのではなかったかと。


 絶望の種はかれた。


 第一の絶望は、彼女が最初から最後までタブラの手の平の上で踊っていただけだったのだということ。


 第二の絶望は、彼女を捨てただけだったはずの主が、自らの死を彼女に託していたのだということ。


 第三の絶望は、すべてが主の演出であり、舞台でしかなかったのならば、彼女は果たして本当に捨てられたのか、それとも歪んだ形で愛されていたのか、……切実な疑問が沸き上がろうとも、もう決して答えを与えられないということ。


 彼女はどんな顔をするのだろう。

 どんな具合に自分を納得させようとするのだろう。

 それとも思考そのものを放棄するのか。

 あらゆる絶望を忘却しようとするのか。

 忘却に見せかけた抑圧でふたをしようとするのか。


 いずれにせよ最後には彼女も知るだろう。

 どうしたところで、その絶望は彼女の奥底に巣くって、離れることはないのだと。


 その絶望こそが、首輪となる。


 まがい物が死んで。オリジナルが戻ることはなくても。

 彼女はいつまでっても――タブラ・スマラグディナの所有物で在り続ける。


 消えゆく意識の狭間で、まがい物は勝ち誇り、


 この上ない満足に包まれて……――















 ……とまあ。


 ここまで、タブラの妄想である。


(あー、うん。楽しかった)


 ふう、と息を吐き。

 過ぎ去った時間を惜しむ。


 ほとんど時間は経過していなかったのだが。

 彼の妄想速度と密度は、まさに人外の域である。


(まあ、実際はもうちょい加減しないとなあ……。アルベドにトラウマ植え付けたりしたら、モモンガさんに怒られるし……あ、でもちょっとくらいのトラウマならいいですよね?)


 などと勝手なことを脳内で呟く。


 正直なところ、現実にはあまり期待していない。

 彼にとってのクライマックスは過ぎ去った。

 少なくともこの時点では、彼はそのように認識していた。


 タブラにとって至福の時は、『設定を練っている時』であり。

 その設定に可能なかぎり近い形で物事が動くのを見るのは、惰性だせいである――


 というと、いくらか語弊ごへいがある。


 彼の複雑怪奇な精神性を伝えるためには、やはり原点に戻らねばなるまい。


 もっともそれが本当に原点なのかどうかと問われると難しいところで、

 何の影響によるのでもない先天的性癖と言われればそれまでの気もするし、

 卵が先か鶏が先かという問題でもあり、


 いずれ答えは出ないし出しても仕方のないことなのだが、


 だったらばひとまず仮定としてそれを原点としてあげつらっても、

 間違いだと証明されるまでは堂々と真実の座に居座らせればいいのだから、


 やはり論点を簡便にすべく、ご都合主義にもそれを原点と呼ぼう。


 タブラが幼い頃から始まり、社会人になってもつづいた収集癖の餌食えじきの一つに、とあるおもちゃ付きのお菓子があった。


 おもちゃ付きの、というところが重要である。


 ぶっちゃけおもちゃがメインでお菓子はおまけだ。

 ぼそぼそしている上に、液状食料以下の不味まずさを誇る菓子など、誰が好きこのんで欲しがるだろう。


 すべてはおもちゃのためだ。

 より正確を期すならば、新旧入り交じるホラーヒーローたちのフィギュアのため、と言うべきか。


 このフィギュア、造りはたいしたことがない。

 そもそも『フィギュア』と名付けるのもおこがましい、灰色のゴム人形である。


 しかしながら、制作者の愛が溢れている。


 ホラー映画に仕込まれた数々の小ネタをうまく利用したゴム人形のポーズ。

 コアなファンでなければ分からない仕掛けが横溢おういつしている。


 ときに首を傾げるような体勢のゴム人形もあるが、それらは別のものを組み合わせることで、あっと驚くようなクロスオーバーを演じてくれる。


 しかも素晴らしいのは、それだけの小ネタを惜しげもなく投入しながら、いっさいの説明をしない漢気おとこぎである。

 分かる奴だけ分かれ、というスタンス。


 通常おもちゃ付きお菓子ならば「このおもちゃが入っていますよ」と分かるように示しておくものなのに、これは買って開けるまで分からない。


 まるで課金ガチャだ。


 そもそも全何種でどんなホラーヒーローが取り上げられているかの説明もない。

 ユグドラシルのごとき不親切っぷり。


 しかしだからこそ、いい。


 タブラは十年以上、そのおもちゃ付きお菓子を買い続けてきた。

 にもかかわらず、ときに新しいゴム人形に出会う。


 もはや中毒である。


 驚嘆すべきは、そのお菓子の味が一向に改善されず、またパッケージも十年一日のごとく変わらないにもかかわらず、いまだに発売され続けているということだ。


 ホラーヒーローをこよなく愛する同志が、

 見も知らず会うことも叶わぬ秘密結社の構成員のごとき彼らが、

 世界中に散らばっている。


 そして彼らは黙々とこのおもちゃ付きお菓子を買い続ける。

 たとえ同じゴム人形が百体を超えることになろうとも、まだ買い続ける。

 この根を絶やしてはならじと、連綿と受け継いでいく。


 ゆえにタブラは確信する。

 腐り果てた現実世界リアルにも、救いはあると。


 しかしそこには、避けがたき呪縛もまた存在した。


 おもちゃ付きお菓子の、お菓子はいらない。

 惰性だせいで食べるだけのものだ。


 しかしゴム人形とお菓子は、不可分に結びついている。

 どちらかだけを得ることは叶わない。


 どちらかだけでは、不完全だ。

 欠けてしまってはならないものなのだ。


 タブラの精神に深く根を張った、この強迫観念めいた意識。

 それをこそ、原点と呼ぼう。


 設定魔たる彼の。

 設定を妄想することに至上のよろこびを見出す彼の。

 おぞましいくさび


 妄想だけならば、自由に天をかけるだろう。

 際限なく、望むままにどこまでも。


 しかしながら。

 彼の心には、くさびが打ち込まれている。


 妄想には、それを形とするものがなければならない。

 どんなに微妙な形であれ。どんなに中途半端なものであれ。

 おもちゃ付きお菓子に、最底辺の味でも食感でも、お菓子がついてくるように。

 ついてこなければ、その存在意義が揺らいでしまうように。


 形にならない設定は、彼の心を快楽の絶頂へと連れて行く前に、寸止めにして台無しにする。


 妄想には現実が、どんなに不満足なものでも付き従わねばならないのだ。


 アルベドに対して、彼が妄想で行った仕打ちを。

 完全にとはいかなくても、むしろ全然違った方向に行ってしまうにしても、再現しなくてはならない。

 再現しようと、努めねばならない。


 惰性だせいである。


 しかし再現可能性がわずかなりともあると分かっていたからこそ、さっきまでの妄想が彼をこの上もない至福に導いてくれたのでもあって。


 すでに望むものは受け取った。

 次は代価を支払わねばならない。


 等価交換は錬金術の基本である――

 というのは、なにかの古いアニメの台詞だったろうか?

 それとも錬金術についての書物から?


 思い出せない。

 苛立たしいことこの上ないが、それも許せてしまう程に気分がよかった。


 妄想を済ませてしまえば、ここに生まれ生きた価値は十分にあったと言い切れる。

 あとのことは、しょせんただの蛇足だ。


(再現のための絶対条件として、アルベドにはこっちがまがい物だと気付かれないようにしなくちゃな。でもどうにも、オリジナルのコピーは不完全になってしまっているようだし……ふつうに会話するとぼろが出るか?)


 だったらまあ、蘊蓄うんちくでも垂れ流すか。


 それもまた、タブラ・スマラグディナらしいことだ。


 特にアルベドは、オリジナルが設定を組みながらぶつぶつと独り言で無自覚に蘊蓄うんちく講義を繰り広げていたのを何度も聞いている。

 その記憶と重なって、彼がまがい物であることに気付かないでいてくれるかもしれない。


 気付かれたら気付かれたで、面白そうだが。

 などと思い付いてしまうと、そっち方面でも妄想が広がる。


 ほわわんと夢想していると、漆黒の鎧姿がこちらに走ってくるではないか。


「……ふむ」


 まあ、もうちょっとゆっくり、こっちの『設定』で遊んでもみたかったが――

 贅沢ぜいたくは言っていられない。

 練りきらなかった『設定』はさくっと捨てて。

 当初の予定どおりに、遊ぶとしよう。


 情熱もなく。

 執着もなく。

 おまけというだけの、

 惰性だせいというだけのもてあそびを、

 もてあそびという名の、もてなし遊びをするとしよう。

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