七、さまよう『正義』

 たっち・みーはリアルの世界において、法と秩序の番人たる警察官であり、美しい妻子をもち資産をもっていた。ユグドラシルにおいてその実力は圧倒的上位にあり、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』最強の男だった。


 骨董品レベルに古い特撮ヒーローを愛し、「誰かが困っていたら助けるのは当たり前」と断言し、どんなときも『正義』を貫こうとする男。


 その似姿を与えられた、まがい物たる『彼』は独り、第九階層の廊下を歩く。


 いくつもの蝋燭ろうそくを明かりとするシャンデリアと、立ち並ぶ柱にとりつけられた燭台しょくだいが、荘厳な廊下を照らし出す。 

 純白の鎧に暗い影を落とし、その歩みに重苦しさを添える。


 扉の前で立ち止まり、しばしの逡巡。

 自嘲めいた笑いを短く漏らし、扉に手を伸ばす。







 扉が開く音に振り返ったセバスは、「ああ、ソリュシャン。どうかしましたか」と入ってきた戦闘メイドプレアデスに声をかける。


 ソリュシャン・イプシロン――金髪を縦ロールにした、いかにも貴族のお嬢様然とした髪型だが、お嬢様と呼ぶのをためらわせるほどに生気のない虚ろな、死んだ魚のごとき目をしている。

 メイド服と呼ぶにはやや攻撃的なボンテージめいた服を着て、網タイツの上から銀色に輝くブーツ風の金属靴を履いている。

 並々ならぬ危険な香りを漂わせる美女である。


「至高の御方々が食堂にて宴会を催されるとのこと、私たちにもお呼びがかかっております」

「なるほど。宴会の準備というわけですね。分かりました、今すぐに」

「いえ、セバス様。なんでも仕度はピッキーとペストーニャを中心としたメンバーがすでに取りかかっているそうです。私たちはいわば客として、一時間後に至高の御方々と共に宴会に参加するようにとのことです」


 セバスは驚愕に目を見開き、すぐさま落ち着きを取り戻すが、感に堪えないといった風情でかぶりを振り、


「なんとも慈悲深きお誘い。我々ごときが御方々の宴席に加えていただけるとは。しかし、客といっても我々にも出来ることは――」

「あくまで仕事は抜きで遊べ、とのご命令でございます」


 二人は目を見交わし、互いに無言で頷き合う。

 つまりこれは御方々が、セバスや戦闘メイドの面々をテストしようということなのだろう。


 ご奉仕することを悟られることがないほどにさりげなく、まるで自分たちが客としてただ飲み食らっているだけのように見せかけつつ、どこまで忠義を果たせるか。


 難題だ。

 とはいえ、字義通りに至高の御方々の宴会にただ参加させていただくというよりは、このように解釈した方が気が楽ではある。


「詳しい御方々のお席の配置や、食事の種類に量、順番といったことは分かっているのですか?」

「すでに計画表の写しを手に入れております。私たち全員分」

「それは素晴らしい。ですがくれぐれも、我々がそうした計画すべてに目を通していることは悟られないようにせねばなりません。至高の御方々はむろんその叡智ですべてを見通してしまわれるでしょうが、我々は我々に出来るベストを尽くし、あくまでただ招かれただけの客としておかしくない振る舞いをしなければならないのです」

「もちろんです、セバス様。あと十五分もすれば戦闘メイドプレアデス恒例お茶会の時間ですから、セバス様はこのときにさりげなく、ぶらりと立ち寄った風を装っておいでください」

「詳しいことはそこで。しかしいかにも打ち合わせらしい打ち合わせとは見えぬよう、気をつけねばなりません。またお茶会ということですが、じきに特別な宴会があることも踏まえ、飲食は最低限度に留めるように」

「おまかせください」


 ソリュシャンは計画表の写しを手渡し、一礼して、ふと思い立ったように辺りを見回し、


「ところでセバス様、たっち・みー様のお部屋で何を? 掃除はすでにエクレアが済ませたはずですが」

「……ええ。アインズ様より命じられていた休憩をとっていたところです」

「ああ、そうでしたか」


 ソリュシャンは微笑む。どこか痛ましげに。

 セバスは気付かぬふりで、計画表に目を通す。


「たっち・みー様は、まだ戻られないのですね」

「ええ。仕方のないことです。未知の世界を探索する以上、やはりどんな敵にも状況にも対応可能なあの御方が前に出ることになるのでしょう」

「このところ、お言葉を交わしておられないのでは」

「もとよりあの御方は、シモベと深く関わられることはなさいません」


 まだ何か、と言わんばかりの目を、セバスはソリュシャンに向ける。

 ソリュシャンは虚ろな目で受け止める。


「この世界に転移してから……私たちは、以前よりも多くのお言葉を至高の御方々からたわまるようになりました」

「ええ、そうですね」

「たっち・みー様も、一連のお仕事に目途がつかれましたら、きっと……」


 セバスはソリュシャンを強くにらみ、


「あの御方のなさりようをシモベのいいように判断するのは不敬ですよ、ソリュシャン」

「……申し訳ありません」

「行きなさい。私もそろそろ仕事に戻ります」


 ソリュシャンはうつむき、さっと背を向け、きびきびと扉に向かい、

 けれども一度だけ立ち止まり、やや早口に、


「宴会には、もしかしたらたっち・みー様もおいでになるかもしれないと、死獣天朱雀しじゅうてんすざく様がおっしゃっていました」


 セバスが硬直する。

 ソリュシャンは逃げるように出て行った。


 

 






 たっち・みーは自室に入った。

 主もいないのに、きれいに掃除され、整えられた部屋だ。


 セバスは棚に身を預けるようにして、眠っていた。

 立ったままで。


 たっちは苦笑し、歩み寄る。

 己が造ったNPCをやさしく抱え上げ、迷わず寝室に入る。大きなベッドはあるが、全体的に他のギルメンの部屋と比べれば殺風景だ。清潔なシーツの上にセバスを寝かせ、掛け布団をそっと上からかけてやる。


 謹厳実直な執事は、眠っているときにもわずかに眉根を寄せているようで、休息をとることに異議を申し立てている風情である。


 たっちは小さく笑う。

 それは先ほど部屋の前で漏らしたのとは異なり、穏やかでやさしいものだった。


 すぐさま出て行こうとして、ノブに手をかけたところで、たっちは肩越しに振り返る。

 微動だにしないまま眠り続ける、たっちによって創造されたNPCの、寝息が聞こえないかと耳を澄ませるように。


 やがてたっちはノブから手を離し、引き返してベッドの縁に腰掛け、セバスの寝顔を眺める。

 手を伸ばし、その顔に触れようとして、ためらい、力無く己の膝の上に下ろす。


「……お前には、苦労をかけるな」


 聞こえていないと分かっている。

 セバスは夢のなかにいる。

 その夢には、けれどたっちは不在なのだ。

 彼はここにいるから。


 尋ねたいことも、尋ねられない。

 伝えたいことも、伝えられない。


「このナイトメア・カーニバルが終わる前に、お前にまみえる機会があるかもしれない。そのとき言い訳がましくならないように……眠ったままで、聞こえないままで、私の独り言に付き合ってくれないか」


 否定さえ返しようのない提案だと、分かっている。

 同時に、たとえばたっちがセバスに「話を聞いてくれ」と頼んだなら、一も二もなく聞いてくれるだろうことも。


 いや、相手がたっちでなくても。

 見ず知らずの相手でも、いやそれどころか憎しみさえ抱いている相手だったとしても。

 話を聞いてくれと頼まれれば、聞くだけは聞こうとするのだろう。


 いつかその甘さが、セバスの首を絞めることになるのかもしれない。













 セバスは取り残され、大きく息を吐く。

 ソリュシャンから渡された計画表を見下ろし、かぶりを振り、そして天井を見上げる。


「……たっち・みー様」


 呟きはどこにも辿り着くこと無く、虚空に消える。


 セバスは扉に向かう。

 けれどもふと、何かに呼ばれたように立ち止まり、振り返る。


 その視線の先に、寝室がある。


 セバスは眉をひそめる。

 誰もいるはずがない。

 それなのに、何かが彼に焦りを植え付ける。

 すぐさまそこに向かわなくては、と。


 逡巡するより行動する方が早い。

 きびきびした歩みで奥へ向かい、扉を開ける。


 寝室には誰も居ない。

 分かりきった事実を確認しただけのはずなのに、セバスの視線はなぜかベッドへと吸い付けられる。


 彼はベッド脇にまで歩み寄る。

 立ち尽くし、じっと見つめる。


 彼は知らない。

 夢の外側で、いままさにそこに己の創造主が座していることを。

 決して届くことのない言葉を、紡ぎ続けていることを。


 それでも彼は、目を閉じてその場に佇んだ。

 必要もないのに。理由も分からないのに。

 なぜか、そうしなければならない気がして。


    





 夢の外側で、たっちは穏やかに語り続ける。

 夢の内側で、セバスは耳を澄ませている。


 









「セバス、私は――お前を誇りに思うよ」


 執事の手は、白い手袋に覆われている。

 たっちはその手を握った。柔らかく。


「お前が、お前の正義を見失わないことを……祈っている」


 なおも数秒、その手を握ったあと。

 そっと手を離し、立ち上がる。

 振り返ることなく、自室を出る。


 己の欺瞞ぎまんに、吐き気をもよおしながら。





 所詮しょせん、己はまがい物。

 創造主を名乗る資格もない。


 記憶がある。想いがある。

 そのすべて、借り物でしかない。


 歩を進め、転移門へと到る。

 モモンガと再会した――否、アインズと「初めて会った」場所。


 あのとき、モモンガは歓喜もあらわに駆けてきた。


 たっちは目を閉じる。

 暗闇の中に、あのときの彼の、喜んだり怒ったりむっとしたりびっくりしたり唖然としたりした様子が、浮かぶ。


『さっきの爆発エフェクト、やる意味ありました?』


 ありませんよ、別に。

 とっさに特撮ネタで返しましたが、ぶっちゃけ口から出任せですから。

 本物オリジナルが特撮好きだったのは確かですし、彼の好きないくつかの名場面も頭に入ってはいますが、さっき言ったようなのはありません。


 ……ほんとはね、別のエフェクトをやるつもりだったんですよ。

 ほら、背後に文字が浮かぶあれですよ。

 あなたに初めて会ったとき、私が――いえ、本物オリジナルのたっち・みーが見せたエフェクトですよ。


 あなたに会えて、懐かしかったんです。

 私もとてもうれしかった。

 だから、もう一度あのときのように、

 あなたの前で、あのエフェクトをやりたかったんです。

 私はここにいますよ、と。

 それを高らかに宣言する、いい演出じゃないですか?


 ですが、土壇場でやめました。

 その迷いを悟られまいと、あのエフェクトに切り替えたんですが。

 何もしない方がよかったですね。

 いまさらですけど。


 ええ、ほんとに。

 いまさらすぎますよ。


 いまの私はただのまがい物で、ナザリックの敵なんですから。



「……『正義降臨』なんて、やれるわけないでしょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る