六、偽りの再会
ワールドチャンピオンにのみ与えられる、純白の鎧。
兜は角に似た突起をもち、胸当てには青い宝石が埋め込まれている。右手には細身の剣、左手には盾を握り、赤いマフラー(たまにマントと言われるが当人が全力でマフラーと主張するのでマフラーと決められている)が左肩に巻き付いて背に流れている。
その男の最強装備は、本来ならば霊廟――宝物殿最奥に安置されていたはずである。そっくり同じ装備が突如として中空から生じたというのでもないかぎり。
いったい彼はいつ、そこに足を踏み入れたのか?
いったい彼はなぜ、アインズに断りもなくそんなことをしたのか?
いったい彼はどうやって、ナザリックに現れたのか?
考えるべきことならば無限にあった。
警戒すべきことならば無数にあった。
そしてアインズは、人一倍慎重な男だった。
石橋を叩いて割って破片を集めて調べて修復して割った痕跡を完全に隠蔽してなおかつ『
にもかかわらず、このとき。
アインズは驚きのあまり、『
不安も懸念もどこかに置き去りにして、
置いてきたことすら無自覚なままで、
「たっちさん!」
叫びには、喜色が溢れ。急ぐあまりに裾の長いローブを踏みつけ、バランスを崩しながらも、もどかしく前に進む。幼い迷い子が母親を見つけてすがるように、両手をいっぱいに伸ばして。
たっち・みーはこちらを見た。
そして彼は――そのポーズをとる。
あまりに見慣れたそれの、直後に。
たっち・みーの背後で爆発が起こる――
壁も、床も、何一つ壊れることはない。ただの無意味でど派手なだけの演出。
ぽかんとするあまりに、アインズの足は止まる。
素早く歩み寄ったたっち・みーは、アインズの両手を己の両手で包み込むようにぐっと握り、
「ご無事でしたか、モモンガさん」
力強く頷いて言った。
数秒の沈黙。
「……あの、たっちさん」
「いまナザリックではたいへんな事態が起きています。実は」
「さっきの爆発エフェクト、やる意味ありました?」
たっち・みーはきょとんとしたようにアインズを見つめ返す。
アインズはわなわなと身を震わせ、そして。
「台無しじゃないですかっ!」
「は、はい?」
「どう考えてもあそこは感動の再会シーンでしょう! お互い駆け寄って抱き合って肩をたたき合ったりするところなんですよ! 途中でわけ分かんない演出入れないでください! おかげでタイミング逃したじゃないですかっ!」
握られた両手を、柄にも無く乱暴に振り払い、地団駄を踏む。
悔しい。むかつく。苛立たしい。
何が一番気に入らないって、
ぜんぶを台無しにしたあのエフェクトさえ、懐かしくてうれしいと思ってしまうことだったりする。
たっち・みーは遠くを見るように目を細める――いや、細めた気がしただけだろうか。兜の隙間からしか見えやしないし、それに彼はなんといっても昆虫種なのだ。目つきから表情を読み取ろうとするのは、なかなか難しい。
「……第四シリーズ」
「は?」
「二十三話。死地に
たっち・みーの赤いマフラーが、風もないのに真横にはためく。
ぐっと拳を握り、顔の前あたりまで持ち上げた彼は、そのままずずいとモモンガの側に踏み出し、
「なかなかの再現度だと思いませんか!?」
「……そんな熱く詰め寄られても」
ぶっちゃけ微妙じゃないですか、とは言えない。
「ちなみにうしろに敵がいたわけじゃないですよね」
「いませんよ。いたらエフェクトじゃなくて攻撃しないと無意味じゃないですか」
何を馬鹿な、といったニュアンスが、アインズの心を萎えさせる。
「もういいです。それで、たっちさん。ナザリックで起きているというたいへんな事態について教えてください」
「ええ、実は私は本物のたっち・みーではありません」
「ホワット!?」
「私を含め五人のギルメンの偽物がナザリックに出現しました。制限時間内に彼らを倒すんです、モモンガさん。そうしなければ、ナザリックは眠りに閉ざされ」
「待って! 待ってください!」
「もちろんですよ、モモンガさん。私の説明のどこが分かりにくかったですか?」
「全部だよ!」
るし★ふぁーのいたずらと異世界への転移の影響下で、アイテム『ナイトメア・カーニバル』は変質を遂げた。
るし★ふぁーが意図した改変――
『ナイトメア・カーニバル』発動中、
ナザリック外部からの侵入をギルメンも含めて完全にブロックする。
ナザリック内部の転移については、原則として『ナイトメア・カーニバル』発動前から設置されているもののみ使用可能である。
ナザリック内外を問わず、『
罠が軒並み作動しなくなる。
アイテムによる回復や復活が出来ない。
(召喚されたまがい物のギルメンたちは魔法やスキルによる復活も出来ない、というのは改変前からの仕様である)
異世界への転移によってもたらされた変化――
侵入者として登場する五人、ギルメンの外装と能力を持つその五人は、ナザリックに染みついたそれらギルメンの記憶と想いをもとに構成された人格をもつ、NPCである。
そこにはやはり、ナザリックに染みついた記憶と想いから再構成されたギルメンたちがいる。侵入者役の五人は、倒され次第この夢に加わる。ただしこれらギルメンを模したNPCたちは、夢の中であっても『ナイトメア・カーニバル』のことを知っており、ナザリックの現状を正しく把握している。
制限時間である六時間以内に侵入者役のNPC五人を排除出来なかった場合、
そしてナザリックは、覚めない夢に囚われる。
至高の四十一人と、すべてのNPCと、この世界の住民でありながらここに連れて来られていた者たちすべてが、永劫の夢のなかで共に在る。
(ただ一人の例外を除いて。この例外のこと、原則が当てはまらない存在のことについては、あえてたっちはアインズに伏せておいた)
緩慢なる破滅。怠惰なる崩壊。
食い止めるためには――ナザリックを救うためには、
偽りの「至高の存在」を、殺し尽くさねばならない。
「……とまあ、こんな感じです。無茶ぶりなようですが、活路は見出せるはずです。我々は
アインズとたっちは手近な一室に入っていた。彼らは向かい合って座っていた。たっちはアインズを真っ直ぐに見ていたが、アインズは両手の平を、というよりもその骨を、テーブルの上に出してじっと見下ろしていた。あくまでもそこから目を上げないまま、「いいえ」と答えた。
「困りましたね。より簡略化するならば、モモンガさんの勝利条件としては我々五人を殺し――」
「そこが納得出来ません」
感情を押し殺した低い声で、アインズは言う。
ゆっくりと顔を上げ、眼窩に宿る暗い赤の輝きをたっちに向ける。
「あなたはナザリックに染みついた、たっち・みーの記憶と想いから生まれた。そうですよね?」
「ええ」
「俺から見て、あなたはたっちさんそのものだ。たとえ弱体化しているとしても」
「ある程度は『ナイトメア・カーニバル』の影響があるかもしれませんよ。ほら、現実にはあきらかにおかしい事柄が、夢のなかではさも当然のように見えることがありますよね。それと同じように、夢が覚めれば我々のことを、
「夢から覚めたら、……つまり、あなたたちを殺したら、ということですね」
「ええ、制限時間内に」
「殺したあとで、よみがえらせることは出来ますか」
「いえ、不可能です」
「どうにかしてあなた方をナザリックの仲間に迎え入れたいんですが」
「いえ、不可能です」
「即答ですか」
「はっきりしていることですから」
「でもたっちさん、あなたはアイテム効果の定義からすでに逸脱しているんじゃありませんか。侵入者役というのなら、俺がすっかり油断しきってる間に問答無用でぶっ殺しに来るべきでした」
「私は意志を持つNPCなんですよ、モモンガさん。侵入者という役割は、いわば私に対して与えられた命令です。そして私自身の性格は、たっち・みーの記憶と想いによって決められています。そこにはなんら矛盾はありません」
「じゃあいまから俺に襲いかかってくるんですね」
「襲いかかりませんよ」
「なんでですか」
「……私はナザリックを守りたいと思っています。この身に負わされた宿命に反してでも。モモンガさん、あなたも同じ想いではないのですか? このまま手をこまねいていれば、ナザリックが眠りに閉ざされてしまうんですよ」
モモンガは笑った。
低く、ひきつれるような、不吉で暗い笑いだった。
「そうですよね、たっちさんは。リアル大事な人でしたもんね。そりゃそういう言い方しますよね」
「……モモンガさん?」
くつくつ、くつくつ。
歪んだ笑いは徐々に大きくなり、部屋を反響する。
哄笑には骨のかたかたいう音が伴った。
やがてぴたりと、音は止む。
「夢のなかで生きていたって、いいじゃないですか」
ぽつりと、アインズは言った。
「あなたたちは、ゲームを捨てて現実を取った。でも俺はそうじゃない。だからこそ俺はここにいるんだ」
「……モモンガさん」
「NPCたちだって、俺たち全員といっしょにいられる方がいいに決まってます。たとえそれがまやかしでも、夢のなかに囚われている限りは真実なんですよ」
「あなたは何を――」
「そうそう、
「聞いてください、モモンガさん。あなたがすべきことは――」
「うん? でも俺が命じるまでもないか。あなたたちがいるんですからね。俺はこれまでひとりで支配者ロールやってきたんですよ。たまにはあなたたちが代わりをしてくれたっていいでしょう。あとはお願いします。俺は一足先に、その幸福な夢にログインしてきますから」
アインズは無造作に手を伸ばし、骨の内側にはめ込んだ赤い玉に触れようとする。
たっち・みーはその手をぐいとつかんで引き留める。
「やめてください、モモンガさん!」
「どうしろっていうんですか、たっちさん」
「あなたにはナザリックを守る義務がある」
「俺にあなたたちを殺す義務があるっていうんですね」
「私たち五人は、まがい物なんです」
「覚めない夢の中でなら、本物と同じだ」
「違う」
「違わない!」
声が震えた。嗚咽交じりに。
たっちはしかし、強くアインズの手を握りしめて、かぶりを振る。それからゆっくりと手を離す。
アインズは力なくその腕をだらりと垂らした。
「また俺をひとりにするんですか」
すり切れた感情を絞り出すように、
「以前はあなたたちが勝手に俺を置いていった。今度は俺の手で、俺自身を孤独にしろと言うんだ。俺があなたたちにどれだけ会いたかったか、分かっているんですか? 分かっていて、俺にそんな残酷なことを
たっちは何も答えなかった。彼はいっそ何も聞いていないか、聞く耳をもっていないように見えた。そのことはアインズを失望させ、同時にホッとさせもした。たっちが本気で説得にかかってきた場合、アインズはたいがい負けてしまう。この人にはかなわないと思わせられてしまう。そこには彼の、初めて出会ったときからぬぐい去りがたく刷り込まれた感情が大きく作用しているようだ。
やがてたっちは淡々と告げる。
「……闘技場に行ってください、モモンガさん。そこであなたを待っているひとがいます」
「誰ですか」
「行けば分かりますよ」
素っ気ない言葉に、アインズはそれ以上の問いを発しなかった。
立ち上がり、歩み去るその背中に覇気はない。それでもまだ言われるままにするのは、相手がたっちだったからだろうか。
それとも、これ以上。
平行線を辿る言葉を交わすことに、堪えられなかっただけなのか。
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