五、迎撃準備

 己の立つ床が変質した――というのが、とっさにアインズの感じたことだった。

 ぶよぶよぐにぐにとして、足を絡め取り引きずり込もうとするような。


 とっさに『飛行フライ』の魔法を唱え、真上ではなく斜め後方の空中へと退避する。


 アインズの鼻先をかすめてぼとぼとと降り注ぐのは、護衛についていたエイトエッジ・アサシンたちだ。

 天井や壁を這っていた彼らが、急に四肢に力をなくし、ぐったりと床に落ちたのだ。


 そして、それらに囲まれるようにしてうつ伏せに倒れたのは、

 アインズの身の回りの世話に張り切っていた、一般メイド。


 ……死。


 脳裏に閃いた推測がアインズの頭を沸騰させ、精神抑制が冷水を浴びせかける。

 敵影はなく、そもそもどんな攻撃があったのか判然としない。


「『生命感知ディテクト・ライフ』!」


 命あるものを探知するこの魔法、センサーに引っかかったのは眼前のメイドとエイトエッジ・アサシンたちと、やや離れたところで倒れているらしいメイドたち、男性使用人とエクレアである。

 一方でアンデッドを探知するパッシブスキル『不死の祝福』に引っかかるものは、やはりシモベの数体だけ。これは元来がアンデッドだったのであって、殺されたわけではない。


(馬鹿な……ナザリックの警戒網をすべてなんら働かせずに突破し、この第九階層まで影響を及ぼすだと?)


 敵は信じがたい隠密能力を持っているのか。それとも遠隔からの攻撃か。

 いずれにせよ、敵が使用したのは世界級ワールドアイテムか、それに匹敵する未知の手段ということになる。


 ひとまずアインズはメイドに近付く。

 『飛行フライ』を維持して、床や壁には接触しないよう気をつけながら。


 敵の攻撃を通す条件が、『床、壁、天井に身体の一部をつけている』というものである可能性は十分にある。

 なにしろ最初にあった違和感は、床がぐにゃりと変質したということだったのだから。


「おい、しっかりしろ……!」


 低めた声に焦燥がにじむ。


 生きていると分かったものの、それでもシモベたちが折り重なって倒れているさまはアインズの心に痛みを感じさせた。


 エイトエッジ・アサシンならば金貨を消費して召喚すればいい。

 もったいない損失ではあるが、まだ替えがく。


 しかし一般メイドは、NPC。

 かつての仲間たちが創り出した、かけがえのない存在なのだ。

 友人の子とも思い、慈しんできた者がこんな目に遭わされたことを、アインズは決して許すつもりはなかった。


 魔法で状態を確認する。そのくらいならば、カウンター魔法を準備しながらでも問題ない。


 一般メイドをまず確認し、つづいて周囲のエイトエッジ・アサシンの二、三体をチェックする。どれも『睡眠』のバッドステータスがついている。それ以外におかしなところはない。


 アインズは無限の背負い袋インフィニティ・ハヴァザックから、状態異常回復のアイテムを取り出し、迷った末にメイドではなくエイトエッジ・アサシンの一体に使用する。メイドはレベル1のか弱き存在であり、戦闘に巻き込みたくなかった。


 バッドステータスは消えない。


(やはりこれは、通常の状態異常じゃない……。世界級ワールドアイテムによるものなら、それぞれ世界級ワールドアイテムを所持する俺や階層守護者たちは無事のはず。だけどこれが、この世界特有のなんらかの手段によるものだった場合は危険だな。とにかく『飛行フライ』は維持……浮遊して動くタイプのシモベたちにもこの攻撃が効いているようなら無意味だが……そもそもこれはナザリック全体を攻撃範囲としているのか、それともその一部だけなのか? いずれにせよ、シモベの多数を無力化する一手を最初に取ってきたところを見ると、次は雪崩打って侵入者がやって来てもおかしくないな)


 可能性だけなら星の数ほどもあるだろう。

 そもそも分かっていることが少なすぎる。


(ゴーレムは起動すれば使えるのか、強引に『睡眠』と同等の状態にされてしまうのか……)


 最悪なのは高レベルのシモベで、世界級ワールドアイテムを所持していない奴らが精神支配されることだろうか。


(セバスと桜花聖域の領域守護者、第八階層のあれらやヴィクティム、ガルガンチュア、それにルベド……操られるとかなり厄介やっかいだな)


 もう少し情報がほしい。

 情報さえ集まったら対策が立てられる。

 宝物殿に貯蔵したアイテムを駆使すれば――


 嫌な予感が、アインズの内側を駆け抜ける。


(……まさか)


 最悪の場合が頭に浮かぶ。

 シモベのだれを操られるよりも、さらに悪い仮説が。


 あり得ない。

 指輪がなければ、あそこには行けない。


 だが、そもそもこの状況そのものが。

 第九階層にいながらにして、なんの予兆もなく襲撃を受けたというその事実が。


 どんな『あり得ない』ことも起こり得る危機なのだと、明白に示しているではないか?


「糞、糞があっ!」


 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを起動する。

 宝物殿へ――


 転移、出来なかった。


 時が凍り付く。


 アインズは刹那の迷いの果てに、たとえこの一瞬、カウンター魔法発動を遅らせる危機があろうとも、確認しなければならないと決意する。


 『伝言メッセージ』――パンドラズ・アクター。


 ……繋がらない。

 繋がらない。繋がらない。繋がらない。


 もしも。

 敵がすでに、宝物殿を押さえているとしたら?


 あそこにあるすべてのアイテムが――

 世界級ワールドアイテムもすべて、

 敵の手の内にあるとしたら?


 激しい恐怖と混乱はすぐさま沈静化される。

 即座に抑圧されるほどに、その感情は強かった。


 宝物殿にもトラップはある。暗号も用意してある。安全面には気を配っている。

 だがそれにあぐらをかいていられるような脳天気さは、アインズにはない。


 逃げたい、という弱気な欲求がふっと浮かび、

 憤怒がそれを押し潰す。


 ここは仲間たちと共につくりあげた聖域だ。

 仲間たちが残していった子どもたちNPCもいる。

 捨てて逃げられるはずがない。


 落ち着け。

 落ち着いて考えろ。

 こんなとき、

 あの人ならどうする?


『焦りは失敗の種であり、冷静な論理思考こそ常に必要なもの。心を静め、視野を広く。考えに囚われることなく、回転させるべきだよ、モモンガさん』


 アインズ・ウール・ゴウンの諸葛孔明、ぷにっと萌えの言葉が脳裏に浮かぶ。

 苦境に陥ったとき、いつも思い返してきた言葉だ。


 ……よし。


 考えろ。

 何故、転移出来ない?


 宝物殿を押さえたからといって、リングの効果が切れるはずがない。

 少なくともこの第九階層、場合によってはナザリック全体が、強制的に『転移無効』の状態になっている。


 考えながらも、警戒しながらも、アインズは浮遊して進む。


 円卓の間へ。

 がらんとした空間には、静謐せいひつさが漂う。


 壁に飾られたのは一本の杖。

 そこに絡み合う七匹の蛇が、それぞれに異なる色の宝石をくわえる。

 握りの部分が透き通るような材質で青白い光を放っている。


 ギルド武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』は無事だ。

 罠が仕掛けられた形跡もない。

 もっとも桜花聖域の状況によっては、このスタッフも……


 アインズはかぶりを振り、そのギルド武器を握りしめる。

 骨の指が絡みついた瞬間、杖はどす黒い赤のオーラを揺らめかせる。

 オーラが人の苦悶の表情をかたどり、崩れたと思うと、しばらくしてまた浮かぶ。


 エフェクトは問題なし。


 『転移門ゲート』の魔法を唱える。

 何も起こらない。


 ナザリック全体には転移阻害の魔法があるが、アインズはそれを無視して転移のための門を出現させられる。


 それが出来ない、ということは。


(どうあっても転移は出来ない。……だけどこの状況が意味するものはなんだ?)


 実に大がかりな仕掛けだ。

 だがそれほどのリソースを割いて得られる利益は少ない。


(リスクとリターンの帳尻が合わない)


 これは一種の副作用のようなものか?

 強い力をもつアイテムや能力には、なにかしらの欠点があるものだ。

 だとしたら、敵もまた自由な転移は出来ない可能性が高い。


 アインズは円卓の間を出て、廊下を浮遊して進む。

 同時に『伝言メッセージ』を何度か試した。

 ナザリック内にいるもの、外にいるはずのもの、すべてに。

 だがどれも通じなかった。


 シモベたちに起きていることとして考えられるのは、

 なんらかのバッドステータスにおかされているか、

 なんらかの危急の事態にあって対応出来ないか、

 『伝言メッセージ』そのものが無効となっているかだ。


 目的の地点、廊下の角に身を潜める。

 そこからは第八階層と第九階層を繋ぐ転移門が見える。

 目を細めて確認する。

 どうやらきちんと起動しているらしい。


 敵が自由に転移出来ず、まずバッドステータスの付与でナザリックの警備を麻痺させてから侵入することにしたのだとしたら、第九階層にはまだ到っていないはずだ。


 侵入者が第九階層に来る方法は、自由な転移があちらも使えないと仮定するならば二通り。


 この転移門を使用するか、なんらかの方法で第八階層の床から第九階層の天井までをぶち抜くかである。


 前者ならば待ち伏せして攻撃、後者ないしは仮定がそもそも間違っていた場合にはギルド武器の自動迎撃システムが頼りになる。

 まあ、宝物殿が無事かどうか分からないいま、ギルド武器の能力はぎりぎりまでさらしたくないところではあるのだが。


 一方、階層守護者たちは異変に気付けばアインズのもとに集まろうとする可能性がある。

 支配者を守ることを第一義として、侵入者を捜索・殲滅するか、情報の収集に努めるか、盾となるべく駆けつけるか、いずれを選ぶかは各人の状況判断にもよるだろう。


 しかし駆けつけるというならば、この転移門を使用するより他にない。

 シモベの一部に下賜しているリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンも、アインズ同様使えない可能性が高いのだから。


(……おいでなすったか)


 転移門が輝く。

 アインズは冷静に初手の魔法を紡ぐ。


 敵か、味方か。

 後者であればすぐに攻撃をキャンセルする。

 だが常に最悪を想定する以上、前者と仮定しておくべきだ。


 発動のタイミングを見極め、

 どこまでも冷酷に無慈悲に、

 最初の一撃を叩き込もうとしていた彼の、


 思考が一瞬にして停止し、紡いだはずの魔法が霧散する。


 敵の攻撃――ではない。

 アイテムの効果や、未知の手段――でもない。


 アインズの戦意を喪失せしめ、戸惑いと疑惑の淡い影をまといながらも歓喜と懐かしさを巻き起こし、無防備にふらふらと、隠れ場所から出ていくという愚を犯させたのは、


 ただその者の――その転移門を使って出現した者の、姿ゆえに。


 否、姿だけではなく。


 その佇まい。

 その凜とした風格。

 その全身から発する気配。


 姿を模しただけの偽物ではあり得ないと、

 理屈を超越したところで確信させる、

 あまりに圧倒的な存在感。


 ワールドチャンピオンに与えられた鎧を纏い、

 かつての最強装備に身を固めた、ギルド最強の戦士。


 純白の聖騎士が、そこにいた。

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