第3話

第3話:1

 岬の家に上がり込んで一週間が過ぎようとしていた。こんなおかしい生活を一週間も続けている……と考えると、自分でも何をやっているのかと突っ込まざるを得なかったが、朝起きて、岬に作ってもらった朝ご飯を食べて、ダラダラして、岬に作ってもらった昼ご飯を食べて、ダラダラして、風呂に入って、岬に作ってもらった夕ご飯を食べて、ダラダラして、寝て……タダ飯食ってダラダラしてを繰り返しているだけじゃないか……いや、言いたい事は一応色々あるのだが、とりあえずこれじゃあ駄目だ。何が駄目って人間として駄目な気がする。なのでその日の俺は、岬の黒い背中に向かってこう言った。


「岬、俺に料理を教えてくれないか?」


 朝食を作るために台所に行こうとしていた岬は、俺の方を振り返って少しだけ目を見開いた。嫌そうな風には見えなかったが、真意の見えない表情と瞳に少し緊張しながら口を開く。


「駄目か?」


「いや、駄目じゃないけれど……どうしたの、急に。あ、僕の味付けに飽きちゃった!? ごめんね、無能で無才の凡人ごときが作ったご飯しか食べさせなくて……」


「いや、そういう事じゃねえよ……お前の作るものは普通においしいし……」


 それに、コンビニのパンや出来合いの弁当やインスタント食品とかじゃなくて、簡単でも、手が込んでいなくても、素朴でも、『人の手で作った』と思える物を食べられるのは幸せだ。心の底からそう思う。


「たださ、ずっとお前に料理作ってもらうって言うのも……なんか、情けなくてさ……人に食べさせられるようなものが作れるとは思わないけど……ずっと何も出来ないままって言うのは……」


「そっか……」


 岬は、一瞬とても優しいような、それでいて何処か寂しそうな顔をしたように見えた。けれど、それは「気のせいか」と思える程一瞬の事で、次の瞬間にはいつものよく分からないテンションで口を開く。


「いいよ! 僕は君のためなら一肌でもパンツでも脱ぐよ!」


「脱がんでいい! 頼むから普通に料理を教えてくれ!」


 全くもう、どうしてこいつは……あれか。俺が一々反応するからいけないのか。でも反応しないで本当にパンツ脱がれたりしたら困るし……想像しかけてゾッとした。もちろん本当にそんな事するとは……思いたくないが……などと葛藤している間に岬が冷蔵庫を漁り始める。


「じゃあ、最初だし『おにぎらず』を作ろうか」


「お、オニギラズ? それは一体何処の料理だ。っていうか料理か、それは」


「れっきとした日本生まれの料理だよ。出典は某有名料理マンガだけど、今はおにぎらず専用の料理雑誌も出来たし専門店もあるそうだから著作権的には何の問題もないと思う。一応作品全体の模倣・転載・コピー・原作者の許可のない翻訳行為は著作権を侵害するものになるけれど、いつか誰かが思いついたと見なされるようなアイディアを一部借用する事は著作権侵害には当たらないっていうし……」


「ちょ、著作権?」


「まあまあ、こっちの話だよ」


 岬はにこりと目を細めると、色々なものを腕に抱えてちゃぶ台へと移動した。呼ばれたので行ってみると「座ってて」とそう言われ、座布団の上に座っていると目の前にラップ、何かが入っているタッパー、何かが入ったジップ式の袋、ふりかけ、と炊き立てのご飯が追加され……


「用意するものはラップ、海苔、お好みのふりかけ、ご飯、とろろ昆布、以上です」


「なんか……おにぎりの材料みたいだな……」


「そりゃそうだ。だってこれは『握らないおにぎり』なんだから」


「に、握らない……おにぎり……?」


「まあ正確には『握らないおむすび』って言った方が正しいと思うんだけど。今は『おにぎり』の方が定着して『おむすび』ってあんまり言わないけれど、本来は手で握るものが『お結び』で、機械などで握ったものが『お握り』って言うんだって。ほら、『おむすびころりん』って昔話があるだろう? 昔は『おむすび』って言ってたけど、おむすびを作る機械が出来たから区別するために『おにぎり』っていう言葉が出来た……まあ諸説ありってヤツだけどね。おむすびは三角形限定、おにぎりは丸や俵型や星型など色々な形のものを指すっていう説もあるし……あれ逆だったかなあ……確かそうだった気がするんだけど……」


「頭こんがらがるからどうでもいいわ! で、その『おにぎらず』ってヤツは一体どうやって作るんだよ」


「まず、ラップを平らな所に敷きます」


「うん」


「ラップの片側に海苔を一枚乗せます」


「乗せたぞ」


「海苔の上に好きなふりかけを好きな量だけふりかけます。かけ過ぎないよう気を付けてね」


「ああ」


「その上にご飯を乗せます」


「うん」


「中央にとろろ昆布を指で摘める程度乗せます」


「うん」


「その上にご飯、ふりかけ、海苔の順番に乗せていきます」


「乗せたぞ」


「何も乗せていない方のラップで、作ったものを挟んで両側から軽く押して固めます」


「こうか?」


「はい、これでおにぎらずの出来上がり」


「…………」


 岬と俺の手の上には、ラップで挟まれた『握っていないおにぎりのようなもの』が鎮座していた。


「いやいやいや、これは『料理』じゃないだろう!」


「え、なんで?」


「何でって……ただラップの上に具材乗せてっただけだろうが。包丁もまな板も鍋もフライパンも使ってないし、別に手が汚れるわけでもないし……」


「でも、簡単だろう?」


「確かに簡単だけど、あまりに簡単過ぎるっていうか……」


「いいじゃないか。簡単で。だってこれなら誰でも出来るし、料理に対して苦手意識を持たなくても済むだろうし」


「……苦手意識?」


「『料理が苦手』って言う人がいるだろう? 包丁の使い方が分からないとか、どう野菜を洗えばいいのか分からないとか、水や油の分量が分からないとか、焼く時間が分からないとか、味付けが上手く出来ないとか。でもそれは料理が苦手なんじゃない。『包丁やフライパンや鍋を使うのが苦手』なんだ。『水や油の分量や焼く時間が分からない』んだ。『何をどれぐらい入れたらどういう味になるのか予測がつかない』だけなんだ。しかも、そういう場合一気に大量に作ろうとしてしまう場合が多い。上手くいったらいいけれど、失敗した場合そこに掛けた時間も労力もお金も材料も全てフイにしてしまう事になる。それで料理が『トラウマ』になってしまうんだ。また、料理イコール難しいものというイメージを持っている人も多いから、やる前から心が折れてしまう人もいる。それでも、時間があるなら調理済みのものを買う金銭的負担を考えて料理にチャレンジしてみる人もいるかもしれないけれど、忙しいと料理をする時間そのものがないからね、ついついコンビニに売ってるものに走ってしまう。そして金銭面や自分の好みに偏って栄養バランスが崩れていってしまうんだね」


「……」


「でも、この『おにぎらず』は、『簡単』で、『時間がかからず』、『失敗する事がない』料理だ。万一失敗するとしたらふりかけを大量にかけてしまうぐらいのもので、でもそんなの、減らせばいいだけだろう? 一気に大量に作る事もないから材料を無駄にする事もない、経済的負担も少ない、僕は『誰にでも作れる』という点においてこれ以上の料理はないと思うんだけどな。しかもこれ、お弁当代わりにも持っていける代物だからね」


「た、確かに、そう言われれば……」


「まあでも、これだけじゃ朝ごはんとしては足りないから、卵の味噌汁でも作ろうか」


 岬は『おにぎらず』をちゃぶ台の上に置くと台所に行き小さな鍋を取り出した。水を入れ、ガスコンロに乗せて火をかけ、その間に冷蔵庫から卵を取り出しお椀の中に割って落とす。


「まずお湯を沸かします」


「ああ」


「その間に卵をお椀の中で溶いておきます。お椀の中で『二』の字を書くように箸をかき混ぜると白身と黄身が上手く混ざるよ」


「うん」


「お湯が湧いたら化学調味料と味噌を入れます。一度に大量に入れるとしょっぱくなってしまいがちだから、最初は二人分の水におたま四分の一の味噌と化学調味料さらさら程度がいいんじゃないかな? 一人分ならその半分だ。しょっぱかったらちょっと水を足す、薄かったら味噌をちょっと足す。最初に入れた水や味噌と同量以上に追加するとまず足し過ぎだと思うから、箸でこまめに摘まむ程度がいいだろう」


「細かく分量を計らなくていいのか?」


「そっちの方がいい人はそっちの方がいいだろうけど、細かい分量を計るのが面倒な人は目分量でいいと思う。料理を始めるにあたって最初に目指すべきは『おいしい料理を作る事』じゃない、『食べられる料理』を作る事だ。料理をする『癖』をつける前に苦手意識がついてしまったら何の意味もないだろう? マラソンをしようと思うなら軽いジョキングから始めるべきだ。エベレストに登ろうと思うならまずはなだらかな山から登るべきだ。『千里の道も一歩から』。『ローマは一日にしてならず』。『大器晩成』。おいしい料理を作りたいとか凝ったものを作りたいとか人を感動させたいだとか、そういう『最終目標』は最後に目指せばいいんだよ」


「……」


「化学調味料と味噌が溶けたら溶いた卵を菜箸で伝わらせるようにして味噌汁に流し込んでいきます。底に溜まらないようにおたまで少し煽りながら熱を加えて……はい出来上がり! 味見してみる?」


 お椀によそわれた味噌汁を差し出されたので、受け取って口をつけてみる。何杯でも飲みたくなるという程ではないが、普通においしいと思えるような味噌汁の味が広がった。


「いつもの味だな……」


「化学調味料は人工的に作って粉末や顆粒にした出汁だから毛嫌いする人もいるけれど、昆布や煮干しで出汁を取るのが面倒って人にはこっちの方がいいだろう? まあ煮干しはちょっと手間が掛かるけど、昆布出汁や干しシイタケ出汁は作るのはかなり簡単なんだけどね……水に入れておけばいいんだから。でも化学調味料は時間のない人にも使えるって点で便利だし、保存技術が発展していない発展途上国なんかにも利用出来るからそういうメリットの事ももっと世間に認知して欲しいと個人的には思うんだけどな……」


「へ、へえ……」


「ま、今日はこんな所かな。これにバナナやリンゴやミカンでもつけて、飲み物に牛乳か豆乳でも足せばもう立派な朝食だ。ま、『完璧』な朝食ではないけれど、菓子パンと牛乳よりはかなりグレードアップしたはずだ。どう? これなら誰でも『出来そう』だろう?」


「た、確かに……」


 もっとも、俺は人類代表ではないので太鼓判を押していいのかは定かではないが、包丁の使い方が分からなくても、野菜の洗い方が分からなくても、水や油の分量や焼き時間が分からなくても、確かにこれなら出来そうだ。「これしか出来ない」だったら料理が出来ないのと大差ないが、『失敗しない』『苦手意識を作らない』『時間や労力や材料を無駄にしない』という意味でなら適しているんじゃないかと思う。


「とは言っても、栄養素的にはかなり偏っていると思うけどね。まあ最初だから仕方ないよね」


「栄養素って……カロリーとか?」


「カロリーは熱量の単位であって、栄養素そのものの事ではないよ。元々の定義は『一グラムの水の温度を標準大気圧下で一度上げるのに必要な熱量』だ。まあカロリーの名付け親のニコラス・クラメントは『水一キログラムの温度を一度上げるのに必要な熱量』と言ってたらしいし、英国学術協会って所が後に『水一グラムの温度を一度上げるのに必要な熱量』って改定したらしいから、元々って言う表現を使っていいのかはちょっと怪しい所だけどね」


「???」


「ま、そこはどうでもいいんだ。とりあえず言いたいのは栄養素っていうのはカロリーだけじゃないって事だよ。糖質、たんぱく質、脂質、食物繊維、ビタミン、ミネラル、水分、もっと細かく言うならブドウ糖果糖ガラクトースショ糖麦芽糖乳糖オリゴ糖でんぷんグリコーゲンバリンロイシンイソロイシンリジンメチオニンフェニルアラニンスレオニントリプトファンヒスチジンアルギニンアスパラギン酸……」


「ま、待て待て待て待て! なんだそのワケの分からない呪文の羅列は!」


「『栄養素』だよ。ま、とりあえず朝ご飯を食べようか。せっかく作ったのに冷めちゃったらもったいない」


 岬はお椀を二つ持ってちゃぶ台に行き腰を下ろした。俺もとりあえず岬の向かいに座り「いただきます」と両手を合わせる。


「食べながら話をするけれど、とりあえずさっき言ったのが『栄養素』だよ。とは言っても糖質の種類と必須アミノ酸しか言ってないからまだ半分も行ってないけどね」


「あれで半分も行ってないのかよ……」


「一応家庭科の授業でやったと思うんだけどなあ……まあ、栄養素の名前なんて大学受験にはまず出ないはずだから覚えていないのも仕方のない事だけど、『人体を構成する物質』なんだからこういう事こそ周知徹底するべきだと思うんだけどなあ……今は食育の授業もやっているらしいけど、学校を卒業してしまった人達の認識がどうなっているのか常々疑問である所だし」


「知ってないと……問題か……?」


「問題だと僕は思うんだけどね。今一番懸念しているのは糖質制限ダイエットだよ。数年前から流行り始めて『糖質を制限したら体重が減った!』みたいな触れ込みもいまだによく聞くけどさ、最近だと糖質制限ダイエットで体重が減るのは糖質を制限する事によって筋肉中の水分が流出しているだけだっていう説もあるらしいし、糖質を制限する事によって飢餓スイッチが入ってしまい太りやすい体になってしまうという話もある。


 何より心配なのは低血糖とその他の栄養不足とそれに伴う病気だな。人間は常に脳でブドウ糖を使っていて、血糖値が急激に下がると異常な空腹感、動悸、震え、さらに減ると意識を失って昏睡状態に陥る事もある。車を運転している最中とかだと低血糖で意識を失い交通事故……みたいな事もあり得るだろうね。あと人間は眠っている時脳でブドウ糖を、全身で脂肪をエネルギーとして使っているらしいんだ。まあたんぱく質をブドウ糖に変える事も出来るんだけど、たんぱく質をブドウ糖に変えると窒素が剥がれてアンモニアが発生するから肝臓により負担がかかる恐れがあるし、っていうか普通に糖質でまかなえばいいんじゃないのかなって思うし、寝ている最中にブドウ糖と脂肪が枯渇した時、人体がどうなるか分からないよね……まあ普通に餓死するんじゃないかと思うけど。


 あとはその他の栄養素。一時期野菜や果物にも糖質が含まれているから一切食べるなみたいなダイエットを見た事があるんだけれど、野菜や果物には食物繊維をはじめビタミンA、ビタミンK、葉酸、ビタミン様物質、カリウムなど様々な栄養素が入っているし、これらを食べないと風邪にかかりやすくなったり視力が低下したり血栓が出来やすくなったり血液が出来なくなったり筋肉に障害が出たりする危険性が考えられる。中にはサプリメントを摂ればいいとかいう人もいるけれど、食物にはまだ発見されていない栄養素が入っている可能性もあるし、吸収率の問題もあるし、災害か何かが起きてサプリメントが届かなくなったらどうするんだって思うんだよね。それに食べ物をきちんと咀嚼して食べる事によって顎の筋肉を鍛えたり腸を動かして排便を促したり脳の働きを活性化させたりする効果も見込めるし、食事を通して家族や仲間や地域との交流の場を作ったりする事も出来る訳だし。まあだからと言って仕事が終わってから食事や飲み会を強要するのはさすがにどうかと思うけど、全く食べなくていいなんてそれは過剰は異常だと……」

 

 と、言った所で岬が言葉を止め、一度俺を見、誤魔化すように味噌汁を一口啜った。きょ、今日はいつにも増して喋ったな……よくそんなに喋れるなという感心半分、やっぱりこいつよく分からないな……と少し引いてるの半分だ。

 

「……まあ、とりあえず、何が言いたいかというとだね、『食べる』っていう事はそれだけ大事だっていう事だ。食べる事は生きる事、なんて言った人がいたけれど、食べなければ体を動かすためのエネルギーも、身体を構成する栄養素も摂る事は出来ないからね。また、場合によっては命が危険に晒される事もある。ある特定の栄養素を摂り過ぎた場合はもちろん危険なんだけど、摂り過ぎない場合ももちろん危険だ。例えばさっき言った低血糖症状についてだけど、以前ネットで『糖質制限ダイエットを始めてしばらくして、久しぶりに糖質を摂ったらすさまじい眠気に襲われた。やっぱり糖質は人体に有害なものなんだ』、みたいな書き込みを見た事があったんだけどさ、多分これ低血糖症状を起こした事によるものだと思うんだよね」


「え? その人は糖分を摂ったんだろう? それで低血糖が起きるのか? 普通は高くなるものなんじゃないのか」


「人体は糖質を摂ると、すい臓っていう臓器からインスリンっていう物質を出して、このインスリンによって糖質をエネルギーに変えるんだ。この時糖質はエネルギーに変わる訳だから、血液中の糖質は減る……つまり『低血糖』になるんだよ。具体的な例を挙げると病院で大きな手術をした後の患者さんはその病気や手術内容によって数日間絶食の指示を出される事があるんだけどさ、絶食が解除された後もまずはおかゆ少しずつから始めなくちゃいけないんだ。その理由の一つが『低血糖』の危険性。まあ他にも縫合不全とか胃腸症状とか色々理由があるんだけれど、絶食から急に大量の食事をするとそういう危険が起こり得るからおかゆ少しずつから始めて様子を見る必要がある。その書き込みをした人はそういう医学知識にあまり明るくない人だったんじゃないかと思うんだけど、世の中そういう『無知による危険』みたいな事も十分起こり得るんだから、正しい医学知識はあった方がいいと思うんだ。テレビや新聞やネットや他人の話す情報が、本当に正しいのか正しくないのか判断するためにもね。最終的に自分を守ってくれるのは自分自身しかいない訳だし」


「お前……何処でそういう情報だの知識だの手に入れてくるんだよ……」


「…………本とテレビとネット」


 ……なんだ、今の間は。


「しかし、お前、何気にすごいよな」


「何が?」


「いや、以外に色々知ってるよなって思ってさ。知識とか情報とか入れるだけじゃなく色々考えているみたいだし。親御さんや学校からそういう教育受けたのか?」


「いや全く。って言い切っちゃうのは失礼だと思うけど、学校なんて教科書と授業内容丸暗記していれば解けるようなテスト問題しか受けた覚えないんじゃないかな。どっちかと言うと世の中が全く信用出来ないからって言った方が正しいよね。綺麗な肌とかスリムな体型とか外面的な事だけで物事を語ろうとして、認知機能や思考力や視覚や聴覚や嗅覚や味覚触覚冷温覚肺食道胃小腸大腸肝臓腎臓脾臓すい臓血液免疫様々な角度から物事を見て検証しようともせず耳障りのいい事ばかり並べ立てるこんな世の中じゃ全く仕方ないと思うけど」


「……」


 今……なんつった?


「ま、とりあえず、あれだ、他人の言う事なんて簡単に信じちゃいけないよね。不完全で不完璧で適当でいい加減で怠け者で外面を取り繕う事ばかりにやたら一生懸命で、金と地位と権力に固執し上っ面と数字だけでしか物事を判断しようとせず、基本的に自分の事しか考えていないような人間の言う事なんて」


「……」


「で、透也、今日は一体どうするの?」


「……え?」


「今日は一体どうするの?」


 二回言われてしまった。どうするのって、どうするもこうするも……やりたい事もやらなきゃいけない事も全くと言っていい程ない訳だし……


「か……買い物?」


「何か欲しいの?」


「い、いや、特に何か欲しいっていう訳じゃなくて……そ、そう、せっかく料理を教えてもらえるならさ、買い物行って食材選びから……と思って……」


「……」


 岬は、黒い瞳で俺の顔を見続けた。俺……何か変な事でも言ったかな? 特に変な事は言ってない……と思うけど……いたたまれなくて思わず目を逸らしてしまった。そもそもあまり見つめられるのは好きじゃないし……


「オッケー。了解りょうかーい。じゃあ今日は一日中スーパーに入り浸ろうか」


「誰も一日入り浸るとまで言ってないだろ! 普通にで十分だ!」


 ……全く、だから、なんだって、こいつはこう……しかし、何か嬉しそうだな……いつもと何も変わっていないように見えるのに、何故だかそんな事を思った。

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