第2話:4

 とても自然に目が覚めた。まだうとうとしていたいようで、でも眠れはしないような。時計を見ると針は六時を指していた。これが出勤日だったら完全に遅刻なのだけど……俺は目を閉じて、顔を毛布に擦り付けた。会社が休みの日だってこんなにのんびりしていなかった。いや、今まで生きてきて、ここまでのんびりと時間を過ごした事はいまだかつて一度もなかった。朝は六時より前に起きて、急いで準備をすませてしまって、トーストを焼いて食べて、歯を磨いて、学校に行って予習をして、帰ってから塾に行って帰ってまた宿題をやって……もっと頑張らなきゃいけないんだ。もっとやらなくちゃいけないんだ。もういいって、十分だって、十分頑張っているよって誰かに言ってもらえるまで。ここまで頑張ったんだから仕方がない。もう頑張らなくたっていい。そう言って許してもらえるまで。頑張って、頑張って、頑張って頑張って頑張って頑張って


「いいんだよ、そこまで頑張らなくても」


 急に、頭から声が降ってきて、俺は視線を上に向けた。するとそこには、真っ黒な髪を垂らして俺を覗き込む黒い瞳が浮かんでいた。


「うっ、うわあああああ!」


「酷いなあ、二回も悲鳴を上げなくていいじゃないか」


「だから! 近いんだって! 顔が!」


「別におでこや鼻をくっつけていたワケでもあるまいし。ご希望ならそうするけれど?」


 俺はぶんぶんと首を振った。無論、横に。岬は「早く降りてきなよ」と言い捨てて出ていった。


 な、なんか、ついこの前もこういう事がなかったか? 実は俺が気付いていないだけで、毎日こうやって部屋に入って俺の顔を覗いているのか? いやな事を考えそうになって、俺は首を横に振った。いや、いやいや、考えまい。でも次危険を感じたら鍵をつけさせてもらおうそうしよう。


 俺は起きようとして、そこではじめて、全身にびっしょりと嫌な汗をかいている事に気が付いた。気持ちが悪いので着替え……る前に戸がちゃんと閉まっている事を確認する。いや、男同士だけど、その……人が寝ている所に勝手に上がり込むあいつが全部悪いんだ。シャツを着替えて、ジャージを羽織り、脱いだシャツを持って一階まで降りて行く。洗濯カゴにシャツを放り込んだついでに用を足し、手を洗って戻ると、岬が台所に立って朝食の支度をしていた。


「えっと……おはよう。さっき言ってなかったし……」


「おはよう。今朝ご飯作っているから待ってて」


「うん……」


 俺は言われた通りおとなしく座布団に座ったが、……身の置き場所がない。そりゃそうだ。言ってはなんだが、俺はタダ飯食らいの居候だ。それで肩身の狭い思いをしないヤツは人間として何処かがおかしい。


「なあ、岬、何かやる事ってないか」


「やる事って……例えば?」


「人手が足りないとか……」


「いや、別に」


 即答だった。でもそうだろうなとも思っていた。だってこいつ、一人で何でも出来るっぽいし。少なくとも、部屋の掃除もままならず、カップ麺とコンビニおにぎりだけで生きていた俺よりはよっぽど何でも出来るのだろう。


「そ、そうだ、洗濯! 岬、洗濯機回してくるぞ!」


「うん、じゃあお願い」


 俺は今やれる事を発見し、洗濯機へと走っていった。洗濯カゴに入っている洗濯物を全部洗濯機に投入し、洗剤を入れ、スイッチを押す……って誰でも出来るだろうが! 自分に突っ込み、自分の役立たずさ加減に嫌気が差す。せめて俺も料理ぐらい出来たらなあ……


「透也、ご飯出来たよ……」


「うん……」


 半ば落ち込みつつ居間に戻ると、白米、味噌汁、オムレツ、おひたしがちゃぶ台に並んでいた。味噌汁の中身はわかめで、おひたしはほうれん草だろうか……


「お前……よく料理とか出来るよな……」


「必要に迫れば出来るようになるよ。でもまあ、子供の内に簡単な物ぐらい出来てもいいと思うけどね。子供の内にやれた方が、いざ必要となった時に面倒じゃなくて済むだろうし」


「……そうだな……」


 全くその通りだと思う。いや、それでもどんなに忙しくても、きちんと自炊するヤツはするのだろうが、俺みたいななんのこだわりもないいい加減なヤツはどうしてもお湯を入れればすぐ出来るような簡単なものに流れてしまう。いや別に、インスタントが悪いと言いたい訳じゃなくて、ちゃんと出来ない俺が悪い……


「透也、自分の事を省みるのは悪い事じゃないけれど、過剰なのは良くないな。『過剰は異常』『過ぎたるは猶及ばざるが如し』だよ。適度適度。芥川龍之介だって侏儒の言葉で大事なのは中庸、グッドセンスだって言ってたじゃないか。自分を責めるなとは言わないけれど、責め過ぎる必要はないんだよ」


 頭に、何か重みがのしかかった。顔を上げると、目の前の男が腕を伸ばして俺の頭に置いている。


「……って、何やってんだよ!」


「え、頭を撫でてるんだけど」


「なで……そん……なの、子供じゃあるまいし……」


「え、抱き締める方が良かった?」


 思わず立ち上がって岬の頭を叩いてしまった。だから、だから……! 本当になんだってこいつはこう……


「もういい。落ち込んでいるのが馬鹿らしくなった」


「それはいい事だね」

 

 岬は味噌汁を一口啜った。何か……何かこう……腹が立つ。腹が立つが……とりあえず朝から怒っているのも馬鹿らしいので座布団に腰を下ろす事にした。


「ところで、今言ったあく……?」


「芥川龍之介。有名所だと蜘蛛の糸、羅生門、地獄変、藪の中といった所かな。僕は侏儒の言葉が好きなんだけど」


「羅生門は聞いた事あるけれど、しゅ……なんとかっていうのは聞いた事ないぞ」


「侏儒の言葉は芥川龍之介作品でも晩年のものになるからね。でも、あれはいいよ。読む価値がある。残念ながら普通に売っているのを僕は見掛けた事はないんだけれど、タブレットに無料で読めるものを落としてあるから興味があるなら読んでみるといい」


「そ、そんなものがあるのか……でもそういうのって違法じゃないのか?」


「著作権ってヤツが切れているから大丈夫。まあ著作権問題も電子書籍問題もなかなか根が深いものがあるから一概にどうとは言えないけれど、あまり有名じゃない、出版しても採算の取れる保証のない作品が日の目を見る機会は少ないからね。そういう作品を読める機会を得られるという点に関しては、電子無料書籍の存在意義は十二分にあると思うよ。特に侏儒の言葉みたいな、明らかに教科書向きじゃないような作品はね」


「そ、そんな妙な事が書いているのか……」


 そう言うと、岬はにやりと笑った。いや、笑った気がしたと言った方がいいかもしれない。何故なら次の瞬間には岬の顔はいつもの、まるで笑っているかのようににこりと目を細めただけの表情になっていたのだから。けれど今、一瞬だけだが確かに、何か素晴らしく底意地の悪い顔で笑っていたような気がしたのだが。


「……まあ、でも、すごくおもしろいよ。なんていうか、綺麗事が一切なくて。僕はこういう、本当に面白い作品をこそ読む機会があるべきだと思うんだけどなあ。例えバックボーンにどんなものがあったっとしても」


 と、いう岬の言葉に従って、朝食を終えた後岬のやけにでかいタブレット(本当の初期に発売されたものらしい)を借りて侏儒の言葉を読んでみた。とりあえずの感想としては、……ひねくれている。教科書に名前が載り、芥川賞という賞の名前にまでなっている人に対して抱く感想ではないと心の底から思うのだが、侏儒の言葉を読んでみた一番の感想がそれだった。「道徳は便宜の異名である。『左側通行』と似たものである」とか、「良心は厳粛なる趣味である」とか、「一国民の九割強は一生良心を持たぬものである」とか……


「どう? おもしろくない?」


 洗い物を終えた岬が手元を覗き込んできた。おもしろいとかおもしろくないとか言うより……


「確かに……教科書には載せられないな……」


「そうだよねえ。特にここの『道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造った事はない』とか、絶対載せられないよねえ。それを載せちゃったら道徳の時間って一体何なの? 無駄なの? っていう感じになっちゃうもん。


 でも僕は芥川先生の考えには賛成だなあ。あくまでネット情報だけど道徳の授業で『この話の教訓は何でしょう』、みたいな設問があってさ、それに生徒が自分の考えを正直に答えたら『そんな事は聞いてない』って怒った先生がいたんだって。まあ一体どういう文章にどういう答え方をしてどういう模範解答が用意されていたのかは知らないし、芥川先生の仰りたい事とは大分ズレてると思うけど、一つの事例から得られる教訓がたった一つだけに限定される、なんて事はないだろう。


 例えば枕草子の『春は曙』の一説にしてもさ、『春は明け方が美しい』と単純に訳す人もいるだろうし、春の明け方の美しさを知っていた清少納言の観察眼を褒める人もいるだろう。逆に明け方一つだけに限定するなんて狭量だという人もいるだろうし、昔も今も明け方の空は綺麗だったんだなと考える人だっているだろう。百人いれば百通り、千人いれば千通り、人の数だけ解釈があって当然だと思うのに、解釈や教訓を一つだけに限定するのは子供の発想力を狭め自由な発言を委縮させる原因にもなりそうで、僕はいいとは思えないな」


「……」


「まあ道徳の教科書も国語の教科書も、読み物としてはおもしろいよ? 教科書に載っていたからその作品や作者を知って、図書館に探しに行って教科書に載っていなかった作品を読んだ事もあったしね。


 でもさ、教科書に載っている事や、模範解答だけに限定しようとするのはどうかと思うし、もっと色々な作品を目にする機会はあった方がいいと思うんだ。まあそれをやろうとして失敗したのがいわゆるゆとり教育らしいけど、そもそもゆとり教育って本当に失敗だったのか、という疑問もあるんだよね。一体何をもって失敗としているのかも分らないし、学力の低下だとか言ったってそんなの一面でしかない訳だし。足りない部分があったのなら付け足せばいいだけの話であって、大人の決めた基準にがんじがらめに縛らなくたっていいだろう。例え教科書に出なくったって侏儒の言葉は名作だ。例えテストに出なくったって手塚治虫は偉大な人だ。教科書や学校やテストが不要だなんて言わないけれど、教科書や学校やテストだけが全てってワケじゃあないだろう。……と、僕は思うんだけど、どうかな透也」


 岬は俺を見つめたまま、尋ねるように小首を傾げた。どうかな、なんて言われたって……


「悪い……俺にはよく分からないよ……何が正しくて何が間違いなのかなんて……」


「……うん」


 岬は、それだけを呟いて立ち上がった。言いたい事だけを言い尽くして。何のまとめもせずに尻切れトンボで。多分俺が、そうだな、とか、それは違う、とか、そんな風に言えれば良かったのかもしれないけれど、でも、本当に、俺にはよく分からなかった。何が正しくて何が間違いなのかなんて。正しいと言われれば正しいような気もするし、間違いと言われれば間違いのような気もするし……


 でも、がんじがらめにされる事が、間違いだとしたら……だとしたら一体、何が正しいっていうのかな。自由にやれって言われたって、何をすればいいのかちっとも分かりはしないじゃないか。俺は侏儒の言葉のページを手慰みに捲っていって……タブレットの中の電子書籍を、捲るという言い方をしていいかどうかは分からなかったが……こんな文章が目に入った。


『自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪える事は出来ない』


「……は」


 思わず少し笑ってしまった。確かにこれは教科書には載せられないなと思った。高校生の俺が見たら、きっとこの言葉にショックを受けていたに違いない。





 結局、侏儒の言葉は途中で読むのを諦めた。最初はひねくれていると思ったが、今はまた違う感想を抱いていた。これは俺には厳し過ぎる。読んでいると、何か文字の形をしたナイフを眺めているような気分になるのだ。それを岬に伝えると「言い得て妙だね」とそう言われた。


「それじゃあ、夏目漱石なんてどうかな。僕は夢十夜が好きなんだけど」


 と、次に夢十夜を勧められたので、そのまま読む事にした。「他に読みたいものがあったら読んでいいし、したい事があるなら遠慮なく言いなよ」と言われたが、読みたい本などないし、したい事もない。むしろこうして何でもいいから勧められるのはありがたかった。読んだ感想としては、本当に夢の中にいるみたいだな、そんな印象を持った。最初の章が第一夜で、「こんな夢を見た」から始まって、唐突な入り口、脈絡のない展開、薄ぼんやりとした終わり方……その道の研究者の人が聞いたらあまりの語彙力の無さに怒り出すかもしれないが、実際に見た意味不明な夢を文章にしたらこんな感じだろうか……そんな風に思った。


「どう? 夢十夜は気に入った?」


「侏儒の言葉よりは好きかな……なんか気張らずに読んでいけるし。夢十夜っていうタイトルだからか、夢だって最初に言ってくれているからか、どういう結末になっても『ああ、夢か』って感じがするよな……結構不気味な話もあるけど」


「最後の話とかは特にそうだよね。でも全体的に幻想的で、あとリズムがいいから僕は好きだ。それに夏目漱石先生がどういう気持ちでこの話を書いたのか想像するのも面白い」


「お前、結構本好きだよな」


「う、う~ん……そうでもないよ? 本も全く読まないでもないけれど、僕は好き嫌いがかなりはっきりしているからね。好きなのはよく読むけれど、好みに合わないのは全く読まない」


「そうか? 俺からすれば十分本好きだと思うけどな……」


 岬は難しい顔をした。納得がいかないというか、「違うんだよなあ」と言いたげというか……


「う~ん……まあ、いいや。そこら辺はおいおいね。ところでそろそろ買い物行かない? 食糧を買いに行かないと。僕一人で行ってもいいんだけれど今日は土曜日だからさ、二人で行けば卵が二パック手に入る……」


「岬さん!」


 店の戸口から声が聞こえ、俺と岬は視線を向けた。するとそこには


「彼方君、どうしたんだい?」


「遊びに来た! ゲームさせて!」


 彼方君の目は、キラキラと輝いていた。期待でいっぱいと言わんばかりに。俺はその瞳に危機感を覚えた。エサをもらえる事を期待している子犬のようなその瞳に。


「僕は別に構わないけど、時間は大丈夫? 用事はないの?」


「塾なんてどうでもいいよ! 行かなくたってどうせバレやしない……」


「彼方!」


 こちらに駆け寄ってきた彼方君の後ろから、女性の鋭い声が聞こえてきた。嫌な声だ。心の底から怒っていて、こちらがどんなに謝っても絶対に許してくれないような……


「か、母さん……なんでここに……」


「塾から連絡があったのよ! 二日も連続で来ていないって! もしやと思って後を尾けてみたらこんな所でサボってたのね!」


「か、母さん、ここは貸本屋なんだ……勉強のための本を借りに……」


「嘘おっしゃい! 今ゲームさせてって言ったじゃない!」


 ばっちり聞かれてしまっている……これはもう庇いようがない。彼方君を睨みつけていたお母さんは、俺達の方をキッと向いた。


「アンタ達ね! うちの子にゲームなんてやらせて! 学校の成績が下がったらどうするつもりよ!」


「か、母さん……この人達は関係ない……」


「アンタは黙ってなさい! どうせこの人達におかしな事を吹き込まれたんでしょう? まったく、いつからこうなったのかしら。昔はあんなに言う事聞いてくれる素直でいい子だったのに」


「その言い方はないんじゃないですか?」


 岬が口を開いた。黙っていた方がいいのにと思ったが、女性を見つめる岬の瞳は思いの外真剣だった。


「……何よ、アンタ」


「あなたの教育方針は知りません。けれど、親の言う事を何でも聞くのが『素直でいい子』ではないでしょう」


「あなた、子供は? いそうにないわよね。こんなボロい家で貸本屋だかってワケの分からない商売している人に子供なんて育てられるワケないものね。子供のいないあなたには分からないだろうけれど、子供を育てるって大変なのよ。あなたには分からないでしょうけど」


「それは大変でしょうね。子供っていう赤の他人を、自分の言う事を何でも聞く奴隷に仕立てあげようとするのは」


「……なんですって」


「お、おい、岬」


「奴隷だって言ったんですよ。それが『正しい』事なら別にいい。けれど『正しい』か『間違い』かではなく、『親の言う事だから』という基準で言う事を聞いているというのは、親という主人の命令に従わされている可哀想な奴隷ですよ。彼方君を生んだのも、育てたのもあなたかもしれない。けれど彼方君はあなたの所有物ではないし、あなた自身でもない。あなたの庇護を受けなくてはいけなくても、個人として尊重されるべきれっきとした一人の『人間』なんです。あなたの言う事を聞くかどうかで、彼方君がいい人間か悪い人間かなんてそんな判断はしないで下さい」


「だ……まって聞いてれば、何よアンタ! あたしに説教するつもり!?」


「自分が誰にも説教されないような、完全完璧に御大層な人間だとでも思っているのか」


「……!」


 女性は、彼方君のお母さんは、本棚に置いてあった本を掴むと、床の上に叩きつけた。岬の顔色が変わり、居間から降りて女性の元へと歩いていく。


「な、何よ、怒ったの? はん、金なら払うわよ。こんなボロ本どうせ何の価値もないだろうけど」


「帰れ」


「何よ、偉そうに」


「帰れ! この本はこの本の作者が時間と労力を呈して書き、編集者が世に出せるように確認し、印刷会社が印刷し、運送業が運送し、本屋の店員が並べてくれたからようやく手に入る品物なんだ! そんな人々の労力に対して感謝も抱けないようなヤツに、本屋にいる資格はない。今すぐお帰り願いたい!」

 

 すさまじい剣幕だった。今ここに立っているのは、一体誰だと思う位に。岬は、いや、すさまじい剣幕で目の前の人間を怒鳴り付けた男は、その険しい瞳のまま彼方君の方を向いた。


「君も帰りなさい。迷惑だ。もうここには来ないでくれ」


「え……」


「ちょ、岬……」


 岬は屈み込んで、彼方君の耳に素早く口を近付けた。そして立ち上がり、彼方君の背中を戸口の女性の方へと押す。


「ほら、帰って」


「な……何よ、言われなくても帰るわよ。こんなゴミに怒鳴ったりして馬鹿みたい! 彼方、帰るわよ、ここに近付いたらもう承知しないからね!」


 彼方君と彼方君の母親は入口から出ていった。岬は床に叩きつけられた本を拾い上げて埃を払い、再び本棚に適当に仕舞う。


「全く酷い事をするよね。確かに大分古くなったけど、これだって大事な本なのにさ」


「岬……お前……今のキャラなんだよ!」


「え?」


「言いたい事は色々あるけど! 今の! いつものお前のキャラじゃないだろう! いつものお前はもっと適当でいい加減でうさんくさくて!」


「え……透也……そんな風に思っていたの? う……傷付いた……結構ショックだ……」


「そうだよ、それだよ! お前のキャラってそういうヤツだろ! なんだ、あの敬語で詰め寄ったり怒鳴ったりなんかすっげえ怖い感じ!」


「え……ああ、う~ん……いやさ、ああいうタイプにはああいう接し方の方がいいのかな~、って思ってさ。僕って人によって接し方変える事があるんだよね、ほとんど無意識なんだけど」


「え……」


 つまり、演技……という事だけど……でも、それってつまり……


「まさか今のしゃべり方とかも……装っている訳じゃないよな……」


「……」


 岬は、沈黙した。沈黙したまま、本棚に近付き本の出し入れをし始める。


「い、いやいや、何か言えよ! いやお前のキャラなんてどうでもいいけど! どう反応すればいいのか分からないだろ!」


「いやいや冗談、冗談冗談じょうだんだって。今君の前にいる僕が正真正銘本物の曾根崎岬だよ。きゃるん☆」


 寒気がした。なんだよ……きゃるんって……意味分からねえし……一体何がどうなったらそういう発言が出てくんだよ……


「気持ち悪い……」


「透也って……結構言う事言うよね……僕結構傷付いてるよ……」


「じゃあやるなよ! 俺だって別に見たくはねえよ! ……じゃなかった、お前、いくらなんでも彼方君にあの言い方は……」


「だってああでも言わなかったらあのお母さん帰ってくれそうになかったじゃーん。心配しなくても、『今日は一旦帰って、月曜日の朝でもまたおいで』って言っておいたよ」


「あ、ああ……さっきのはそれで……でも、それって、また『嘘』だよな……」


「嘘だね。でも仕方がないよ。『嘘も方便』という事で。とりあえず卵でも買いに行こうか」


 岬はそう言って居間へと上がった。やっぱり適当だ……何事もなかったように歩いていく黒い背中にそう思った。

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