第1話:3
ほとんど無言のまま岬の後をついていき、辿り着いたのはいわゆる大型スーパーマーケットだった。「これ」とデパートの一体何が違うのか、俺にはよく分からないが……まあ、そういう事はそういう仕事関係の人が知っていればいいと思う。
「じゃあ、まずは二階にパンツとパジャマを買いに行こうか」
「何でだよ! いや……っていうか、俺はこのままお前の世話になるつもりは……」
「え、透也何言ってんの? パンツもパジャマも僕用だよ。ちょうど新しいのが欲しかったんだよね」
「え?」
「あ、でもそう言えば透也の分も必要だったね。そうかそうか、じゃあついでに買っておこうか。別に僕の使用済みのパンツでもいいって言うなら貸してあげない事もないけれど……どうする?」
何か凄まじくおぞましい事を言われた気がする。もちろん、他人の……使用済みの……下着なんて、そんなものは使いたくはない。理屈抜きで絶対嫌だ。だが、ここで自分の物を買ってしまうというのも……ひどく流されているような気がする。ここで頷いてしまえば、俺はそのままズルズルと流されるだけじゃないだろうか。
「まあまあ、そう難しい顔で難しく考え込んだりしなくていいよ。たかがパンツごときで君の人生が決まってしまうわけでもないだろう。たかがパンツの話じゃないか。たかがパンツを買うか買わないかでそこまで深刻にならなくても」
「パンツパンツ連呼するなよ! ここを何処だと思ってるんだ!」
「君こそ、あんまり大声出さない方がいいと思うけど」
俺はハッとして周りを見た。時刻は午前、それも大型のスーパーに人はそんなに多くはない。けれど、スーパーの店員や、通りすがりの買い物客が全員俺を見ていたような気がして……今しでかしてしまった事を全部なかった事にしてしまいたい。
「まあまあ透也、たかがパンツの話ごときでそんな死にそうな顔をしなくていいから。失敗する事が悪なんじゃない、失敗を改めない事が悪なのだ。どうせ君がパンツパンツと連呼していた事なんてみんなすぐに忘れるよ。仮にパンツを連呼していた青年の事が人々の記憶に残ったからって、パンツを連呼していた青年の名前が篠宮透也なんてそんな事は残らないから」
「パンツを連呼してるのはお前だろうが!」
「はいはい、漫才はこれぐらいにしてそろそろ二階に上がろうか。歯ブラシを買って朝の歯磨きとシャワーも済ませなくてはならないわけだし」
誰のせいだよ、と思いつつ、俺は岬と共にエスカレーターに乗り二階へと昇って行った。エスカレーターから降り、歩いて下着コーナーに着いた所で、そこで俺はハッと気が付く。
「だから俺は、お前の部屋にこれ以上いる気は……」
「透也、君はトランクス派? ボクサーパンツ? 答えなければ3Lのブリーフを君用に買ってしまうけど」
「完全にダルダルコースじゃねえか! 買うなら自分で買う! 勝手な事をしないでくれ!」
「透也、クマさん柄のパジャマだ! 君のパジャマはこれにしよう!」
「なんで可愛らしいピンクをわざわざチョイスしてくるんだよ! Tシャツにジャージで十分だ!」
「透也、甚平があるよ! いいねえ、僕は出来る事なら甚平や作務衣を普段着にしたい派なんだよ。全く、どうして和装はこんなに肩身が狭くなってしまったのかな。日本人の扁平な顔には和装が最も似合うと言うのに」
「…………」
結局。
岬にズルズル流されるままに、寝間着と、下着と、歯ブラシと、それから日常生活に必要と思われる物を数点と食糧を、購入して岬の家兼貸本屋へと戻ってしまった。岬に流されているというのもあるが、けれどそれ以上に……俺自体に抗う気がまるでない感が否めない。
突っぱねようと思えば突っぱねる事は出来るはずだ。今だって、玄関の扉を開けて、出て行けばいいだけの話であって……どうしてそれが出来ないのか。どうして、そうする気が起きないのか。こんなのおかしいと思うのに、ここは俺の居場所じゃないと思うのに、何故だろう。買ってきた物を目の前に置いたまま、ここから動く事さえ出来ないのは。
「透也~、悪いけどちゃぶ台拭いてくれるかな」
「……ああ」
台所から声が聞こえ、俺は呼び主である岬の元へと歩いて行った。すでに絞られた布巾を手渡され、今朝朝食の置かれていたちゃぶ台の上を拭いていく。布巾を手に持って戻ると、岬がフライパンから焼きうどんを皿に移しており……立ち昇るダシと醤油の香りに、思わず喉がゴクリと鳴った。
「これとなめこの味噌汁と……足りなかったらご飯もあるよ。かけるものは納豆とふりかけが五種類ぐらい……」
「え、いいよ、焼きうどんだけで……」
「そう? でも味噌汁ぐらいは飲んでくれると嬉しいな。二人分作ったんだけど、僕は一人分しか飲まないから」
岬は小さめの鍋からお椀になめこの浮いた味噌汁をよそうと、「はい持ってって」と言いながら銀色のシンクの上へと置いた。言われた通り味噌汁をちゃぶ台に持っていくとその後ろから岬が焼きうどんと箸を持ってちゃぶ台に到着し……そしてそのまま畳に敷かれた座布団の上に腰を下ろす。
「さ、食べようか。座って座って」
俺は……迷って、そのままそこに立っていた。朝食を食べたのは捨てるのが忍びなかったからだ。今もその気持ちは続いている。つまり、俺は……まだ食べるという選択が出来ていない。「生きる」という選択が出来ていない。岬に流されるままに、抗う努力もしないままに今この場に立っているが、これを食べたら「生きる」という選択をした事になってしまいそうで……それが、俺に、座る事を躊躇わせていた。
「透也、座りなよ。君が何を考えているのか正確な所は分からないけど、ここで焼きうどんを食べた程度でバチは当たりはしないって。たかが焼きうどんごときでそんなに深刻な顔をしなくていいよ。それでも悩むなら僕から頼もう。『食べてくれ』。捨てるのは勿体無いし、作った身としては食べられずに捨てられるのはさすがにちょっと悲しいからさ」
「…………」
俺は、岬の言葉に『流されるように』、岬の向かい側に腰を下ろした。岬は「いただきます」と手を合わせ、そして味噌汁を口に運ぶ。俺も「いただきます」と呟いて、同じように味噌汁を啜る。多分、何の変哲もない味噌汁だろうと思うのに、何故か分からない程に旨かった。
「……おいしい」
「そう、それは良かった」
「なんて言うか……家の味って感じだよな……インスタントとか外食とかで食べる味噌汁とは違うよな……」
「ま、使ってる味噌が違うからね。冷蔵庫にある味噌と化学調味料を使えば君にだって作れるって」
「お前……そんな身も蓋もない事を……」
「だって事実だもん。何? 『君への愛情をたっぷり込めて作りました』、とか言って欲しかった?」
「ば……」
俺は、今朝みたいに岬の頭を叩こうとして、しかし味噌汁を手にしていたのでやめた。わざわざお椀を置いてから頭を叩くのも馬鹿みたいだし。
「お前は……だからなんでそういう事を……」
「ま、言ってあげてもいいんだけどね。でも、僕ごときが何か思った程度で、料理の味が変わるなんてそんなおこがましい事は言いたくないし」
「え?」
「まあまあ、味噌汁だけじゃなくて焼きうどんも食べてよ。スーパーの野菜詰めと三食いくらのうどんを炒めて、化学調味料と醤油で味付けして鰹節掛けただけの代物だけどさ」
はい、と手のひらを向けられたので、おとなしく従いうどんを食べる。やはり、おいしい。「旨すぎて箸が止まらない」とかいう程おいしいという訳ではないし、金を払ってまで食べようとまでは思わない。でもだからこそ、「人に作ってもらった」という感のある、そんな素朴な料理だった。
「どう?」
「普通においしい……」
「最高の褒め言葉だね」
「焼きうどんなんて久々に食ったよ……」
「そうなの? でも焼きうどんなんて作るのすごく簡単だよ。あ、ごめん、もしかして凝った料理の方が好きなタイプ?」
「いや、俺料理なんて全然しないし……ここ数年コンビニのインスタントしか食った覚えな……」
言い掛けて、俺はハッとして口を噤んだ。しまった。こういう話をして「不幸自慢」と叱られてから、二度と言わないって誓ったのに。
「わ、悪い。インスタントで済ますとか、そんなの俺が怠慢なだけだよな。出来るヤツは時間作ってちゃんと自炊するものだよな。ちゃんとした食事が出来ないんじゃなくて、していない俺が悪いんであって……」
「え? いやいや、何言ってんの? それだけ忙しいって事でしょう? 仕事で疲れ果てて食事を作る気力もなくて、インスタント詰め込んで寝るだけで精一杯って事でしょう? 別に謝る必要はないよ。君は何も悪くない」
俺は、顔を上げて、目の前にいる男を見た。岬は無表情で、けれど苛立っているわけでもなく、「何言ってるの」と言わんばかりに俺の事を見つめている。
「な……んだよ、分かったみたいな口利いて……」
「あれ? 違った? そうじゃないかと思ったんだけどなあ。うーん、ごめんね? 僕って人の考えている事を勝手に推測しちゃう所があってさあ。まあ、あんまり気にしないで」
岬はヒラヒラと手を振ると、自分も箸を持って焼きうどんを食べ始めた。俺は……「なんで分かったんだよ」と言いそうになって口を噤む。違う……そんなの言い訳だ。それは「事実」じゃなくて俺が考えたただの「言い訳」に過ぎないんだ。みんながみんな、インスタント食品で食事を済ませているわけじゃない。俺が無能だから……俺が「出来ない」ヤツだから……
「だから、そういう事考えなくていいって言ってるだろう? 君は何も悪くない。他人の言葉なんかで、他人と自分を比べた程度で、『自分が悪い』なんて無意味に責めなくたっていいんだよ」
「な、なんで……」
その時、岬がまた急に顔をしかめた。どちらかと言うと柔和と言っていい眉間に不愉快そうに皺を寄せ、箸を置いて立ち上がる。
「ごめん、用事が出来た」
「は?」
「いつになるか分からないから先に食べちゃってていいよ。皿洗いはしなくてもいい。暇だったら本でも読んでて」
「え、ちょっと、ま」
「もう一度言うけど、『君は悪くない』。変な事は考えるなよ、じゃあね」
そう言って、岬は背を向けて出て行った。朝のようにコートを引っ付かんで、慌ただしく、バタバタと。俺は……朝のように、食べかけの食事と共に残された。人一人いなくなっただけなのに、今までの事全部なかった事になったような……そんな、どうしようもなく無味乾燥とした空間に、一人ぽつんと取り残されたような気分になった。
俺は……本当に、一体何をやっているんだろう。知らないヤツの家に上がり込んで、飯を奢ってもらって、働きもせず、他人に迷惑を掛けるばかりで……無能で、役立たずで、どうしようもなくて、情けない。俺なんて、この世にいない方がいい。最初からいない方が、誰の迷惑にもならずに済んでいたはずなんだ。生きてる事が間違いなんだ。生きようと思う事が悪なんだ。それなのに、それなのに、そう思ったはずなのに、どうして俺は、こんな所で、のん気に焼きうどんなんて口にしているんだろう。
俺は……それでも、味気のないうどんを食べた。さっき食べたものとは違って、古くなったゴムに塩を少し振ったような、変な食感とぼけた味がしたけれど、せっかく作ってもらったものを食べずに捨ててしまうなんて……ただ、その一心だけだった。味噌汁も、ただしょっぱいだけで、柔らかい練り消しを噛んでいるようななんとも言えない食感がしたが、とにかく食器を空にしたかった。ただその一心だけだった。その後、食器を台所で洗って、岬の分にはラップを掛けて……そして、畳の上に座り込む。何も考えられなくて、ただ、膝を抱えて、そのまま。
「ただいま~」
一体、どれだけ時間が経ったのだろう。玄関から声が聞こえ、俺はハッと顔を上げた。岬が、コートを脱ぎながら入ってきて、笑顔のように両目を細める。
「ごめんごめん、ただいま帰ったよ。食事中に失礼したね。あ、ラップ掛けておいてくれたんだ、ありがとう」
「一体……何処に行ってたんだよ……」
「うーん……ちょっとした野暮用だよ。透也が気にする事じゃない」
「携帯かかってきたわけでもないだろう。なのに何で突然出て行ったんだ。朝もそうだけど、飯食ってる最中に突然『用事出来た』なんて言って出て行って……何でもないわけないだろう」
岬は、困ったように笑って……違う、笑ってなんかいなかった。やはりにこりと、笑顔のように、ただ目を細めているだけだった。俺はカッとして、立ち上がり、岬の黒い服を掴んだ。馬鹿みたいに黒一色でまとめ上げた服装の男は、少し目を見開いて俺の事を見つめている。
「何なんだよ……一体何なんだよお前は! いきなり俺の前に現れて、自殺しようっていうのを止めて、泊まらせて、下着や歯ブラシまで買わせて……一体何が目的なんだよ!」
「透也」
「自殺志願者の友達が欲しいだ? ふざけるな! 信じられるかよそんな事! しかも飯食ってる時に『用事が出来た』なんて出て行って……なんなんだよお前、ワケ分かんねえよ! 目的があるなら教えろよ!」
「ごめん」
「謝るぐらいなら……」
「ごめん、そうじゃなくて、ごめん。どうやら僕は、君を不安にさせてしまったみたいだね」
「…………」
不安?
不安って、なんだ? 不安? 違う、俺は、そんな事を思ったわけじゃなくて……
「僕がなんで君を引き留めているか分からない上に、僕がいなくなったから色々考えちゃったんだろう? ごめんごめん、そりゃそうだ。うん……そうだよね……だんまりってのはよくないよね……」
岬はポンポンと俺の肩を叩くと、まあ座りなよと俺を再び座布団の上に座らせた。それから、少し唸って、俺の隣に腰を降ろす。
「えーと……まあ、君をここに連れてきた理由はさ、ちょっと待っててくれないかな。不安にさせて申し訳ないけど、僕にも言えない事はあるんだよ」
「どんな事だよ。まさか政府の陰謀とかそう言うんじゃないだろうな」
「いやいや、言わないよ。全然そういう事じゃないよ。僕はその辺にいるだけの無能で無才の凡人だからね。強いて言うなら僕の罪滅ぼし……いや、ただの感傷だ」
「罪滅ぼし?」
「……ごめん、その話は今度でいいかな? 申し訳ないけど、本当にさ……」
目を逸らし気味に俯きながら言われてしまえば、俺は口を噤む事しか出来なかった。追求すれば答えてくれそうな気もしたし、納得したわけでもない。けれど……本当に、言いたくなさそうだったから、俺は聞かない事にした。
「分かったよ……今は聞かない。でも、『用事』の方は教えてくれよ。そっちも内緒とか言わないだろうな」
「う、うーん……出来れば内緒にしたいんだけど……教えなきゃダメ?」
「教えろ。そうじゃなければここにいろなんて言わないでくれ。お前がいないのに飯だけ置いていかれるの……しんどいんだよ……無理矢理詰め込まなくちゃいけないみたいで」
岬は……少し口を開けて、それからくしゃりと顔を歪めた。笑顔のようで笑顔でない作り物めいた表情とは違って、本物の、少し泣きそうな顔で、そんな顔をするとは思わなくて俺はひどく戸惑ってしまう。
「そうか……それは済まなかった……ごめんね本当。全く僕は気の利かないヤツだなあ……」
「い、いいよ、別に、謝ったりなんてしなくても……でもさ、だったら教えてくれよ。お前の『用事』ってなんなんだよ」
「実は僕ね……」
「……」
「『困っている人が分かる』んだ」
沈黙した。俺は何と言えばいいのか分からず沈黙する事しか出来なかった。それぐらい岬の言葉は意外過ぎるものだった。
「……は?」
「分かるんだよ。『困っている人』が。と言っても必ずっていうワケじゃないし、多少のタイムラグもあるんだけれど、困っている人の顔と居場所と内容がパッと頭に浮かぶんだ。あと僕自身も『困る』っていうか……うーんと、大体そんな感じ」
「そんな感じって……それがお前の……用事?」
「そう」
岬は頷いた。俺は頭を抱えた。困っている人が分かるって……え? どういう事だそれ。
「困っている人が分かるって……なんで……」
「何でって言われてもなあ~……分かるんだから仕方ないじゃないか~、としか言いようがないって言うか……」
「いい加減過ぎるだろうが! ……いやちょっと待て、それじゃあ俺がビルから飛び降りようって時に現れたのも……」
「君の顔と居場所と内容が僕には分かったから……というので納得してくれるかな?」
岬は事も無げにそう言ったが、俺にはとても信じられなかった。信じられるはずもなかった。マンガやアニメの設定だったらそういう事もあるのかもしれないが、ここは現実だ。現実にそんな事があるなんて言われて、「ああそうなのか」と信じられる方が絶対どうかしているはずだ。
「あ、ごめん、ちょっとお昼食べていいかな。途中で出て行ったからさすがにお腹空いちゃった」
「え? ああ、どうぞ……」
「ありがとう。あ、暇ならゲームでもやっててよ。僕は人がやっているのを見るのも結構好きなんだ」
「いや、俺はゲームとかやった事がないって……」
「あ、そうか。うーん、じゃあ、店の本でも見ていたら? 何か面白いものが見つかるかもしれないよ」
そう言うと、岬はちゃぶ台の上の皿を持ち上げ電子レンジへと歩いていった。ボタンを押して、焼きうどんが温まるのを待っている岬の背中をしばし眺め……俺は言われた通り、居間から降りてすぐの所にある店の方へと移動した。うどんを食べている岬の姿をただ見ているわけにもいかないし……
「なあ、カーテン開けてもいいか。さすがに暗くて見えにくいっていうか……」
「ああ、いいよ、どうぞどうぞ」
店主の許可を得たので店の入口へと歩いていき、厚みのある色褪せたカーテンを右手で開ける。昼間の太陽の光がガラス戸からわずかに差し込み、やはり古い店の中をぼんやりと照らし出す。
「料理本に、時計の仕組みに、小説に、人体解剖生理学……なあ、これ、一体どういうジャンルで集めたんだ」
「適当。僕が『これいいなあ』と思った本を適当に並べているって感じかな」
「それ……需要あるのか」
「ぼちぼちとでも言っておこうかな。ちなみにぼちぼちって言葉は景気が良くても悪くても使う言葉だそうだけど」
「それ参考にならないって事だよな!」
何か……疲れた。俺は改めて店内を見回した。やはり俺の語彙力が少なくて大変申し訳ないのだが、店内はそれ程広くはない。いや、狭い。確実に、狭い。一応本棚が並べられてはいるが、本当に「一応」という感じで、こんな所に本を並べなくてもいいだろうに……という無理矢理感がすごくする。あちこちをしばらく見回って、その感覚は確信に変わった。もっとも、俺は理想的な本屋というものがどういうものかは知らないが、どう考えてもここは狭過ぎる。そのぐらいに、岬の言う『貸本屋』は狭かった。
「何か気に入った本は見つかった?」
そうこうしている内に、昼食と片付けを終えたらしく岬が店へと降りてきた。気に入った本と言われても……俺は改めて本棚を眺める。
「そもそも俺、本とかあんまり読んだ事ないから……」
「アウトドア派だったの?」
「え?」
「いや、ゲームもしない本も読まないという事は、外で元気いっぱい遊んでいるアウトドア派だったのかなって」
岬の言葉に、眉間が痛みを訴えてきた。俺の子供の頃……それは、あまり思い出したい事ではない。
「俺の事はいいよ……それより、お勧めの本とかないのか?」
「お勧めの本っていうか、ここにある本全部僕のお勧めだからな。あ、それじゃあ、これなんてどうかな」
岬は本棚から本を一冊取り出すと、俺の方へと差し出してきた。やけにでかい本だ。題名が英語で書かれているが……
「何だこれ」
「廃墟写真集」
「はい……何?」
「廃墟写真集だよ。これが海外のヤツで、こっちが日本国内のヤツ」
岬はそう言って、本棚からもう一冊厚めの本を取り出した。……いや、そんな、機嫌良さげに言われても……どう反応していいのかさえ全く検討もつかないのだが……
「えっと……廃墟が……好きなのか……?」
「うん! まあ廃墟が好きなのか廃墟の写真が好きなのかって聞かれたら一概に断言は出来ないけれど、例えばこの廃校の写真なんかさ、砂埃の積もり具合といい、机や床の散らかり具合といい、壁のひび割れ具合といい床の腐り具合といい天井のパイプの錆び具合といい最高だと思うんだよねえ。もちろん綺麗に整備された建物もそれはそれで趣深いものがあるんだけどさ、廃墟の色褪せ具合とか煤けた感じとか崩れ方とか壊れ方とか、虚無感って言うのかな、退廃的って言うのかな、そういう感じが何故だかすっごく好ましくて堪らないんだ。あーあ、世界中から生き物が全部消えて廃墟だけになったら最高だろうに」
何か凄まじく怖い事を言っている!
「お、……っと。そう言えば透也、昨日からお風呂入ってなかったね。どうせなら今入っちゃう? 後でいいならそうするけど」
「え……じゃあ、お願いする……」
「うん。じゃあこれでも読んで待っててよ」
岬は本を手渡すと、店から居間の方へと上がり廊下へと消えていった。俺は岬から渡された本に……国内の廃墟を集めたという写真集に視線を落とし、そして岬の消えた方向へと視線を向ける。
「変人過ぎるだろう……」
いや、廃墟好きで変人と認定するのは廃墟好きの方々に大変失礼だと思うのだが……いや、断じて、決して、廃墟好きだけで曾根崎岬という名の人間を変人だと断定した訳ではないのだが……会ってまだ一日も経っていない、そんな関係の中で曾根崎岬はすでに「変人」認定されていた。
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