明日、晴れたら
叶冬姫
第1話
オレンジと黒でデコレーションされていた店内を一気に変える。
一日たりともそのイメージを残さない様に。
定番の緑と赤ではなく、今回は店のターゲットである二十代前半の女の子のイメージを優先。ピンクとゴールドであしらったクリスマスのデコレーションを、まだ十月三十一日の夜だというのに必死で仕上げていく。
「季節感も何もあったものじゃないわよね。」
十月末に入り、確かに急激に寒さは増したが、ハロウィンが終った当日に店内のデコレーションをもうクリスマスのものに変えないといけないなんて、と
「十一月はメインになるイベントないっすからねー。それに、今回は明日から三連休っすからねー。」
ウィンドウの高い位置にあるハロウィンのディスプレイを手際よく剥がしながら、身軽そうな少年が脚立の上から現実的なことを言ってくる。剥がしたその後に、これまた手際よくクリスマスのディスプレイを施していくのは、この店でアルバイト店員として雇われている
その翔太の言葉に愛美はため息をつく。文化の日だってあるし、紅葉も色づくいい季節なのに。
だが店のターゲット層を考えるとここはやっぱりクリスマスだし、経費節減にもなる。
「愛美さんが好きそうな文化系イベントとか、うちの店に来るような子は『紅葉狩り』なんて言葉すら思いつかない世代っすからねー。」
「何で私の考えてたこと判るのよ!」
「顏見たら判るっす。つーか、愛美さん趣味渋すぎるんっすよ。ターゲット世代と同じ癖に。」
翔太の言葉に愛美はむぅと唇をとがらせる。
「美人はどんな顔しても絵になるから、得っすよねー。」
「それは言わないでって言ってるでしょ。」
クリスマスと言えば緑と赤と思ったのは愛美。そんな中「ピンクとゴールドでいきませんか?」と言った翔太の意見に、店長兼オーナーの
センスの問題よね。
服飾専門学校に通っているという翔太は、本当に手際よく店内仕上げていく。愛美は高い所は翔太に任せ、低い場所の飾り付けや陳列に専念することにした。
「美人だって褒めてるのに、なんでそんなに嫌がるんっすかね。」
「あんたには関係ない。」
愛美は本当にその件になると、口をつぐみたくなる。確かに愛美は目がパッチリしていて、店の服を着てニコニコ立っていれば『お人形さんみたいっ。超かわいいっ』と同性の客に言われるほどの美人だ。でもそれで得をしたという思い出は少ない。今でこそ『お揃いコーデ欲しい~』とか言われて店の売り上げに貢献できるが、それだって仕事だから踏ん張ってるが、どこか人形扱いされている気分で不愉快だ。
学生時代なんて悲惨だった。男に媚び売ったのなんだの因縁をつけられて、頭にきて大ゲンカをしたこともある。最初に勤めていた仕事場でも同じように因縁をつけられ、腐っているときにこの取引先にいたこの店のオーナーの良子に言われたのだ。
「せっかくの美人がセンスがないわね。なんでわざわざ、性根まで不細工になりそうな環境にいるの?」
はっきり言って刺さった。愛美はそれまで、向こうが勝手に因縁をつけてくるんだから仕方がないじゃない、と開き直っていたのだが、それは甘えだと言われたのだ。つまり良子は、その環境に甘んじているのは愛美のほうである、と断じたのだ。確かに、『因縁を付けられる隙がある愛美も悪いんじゃない?』などという友人たちはいたが、そこまで強くは言ってこなかった。個人的な付き合いもない、仕事の取引相手くらいの良子に、何故そんなことを言われなければならないのかと思った。
その後、初めて個人的に良子の店に行ったときに、愛美は素直に「負けた」と思った。やっと手に入れた自分の店だというその良子の店は、自ら買い付けを行う服と雑貨の店で、二十代前半の女の子をターゲットにした商品を取り扱っている。愛美より年上の良子がその培ったセンスで見事に仕入れてくるのだ。
センスというのは「感じる」ということだ。自分の五感を以ってすべてを感じ、手に入れるものだ。良子曰く「性根まで不細工になりそう」な環境に平気でいる愛美を「センスがない」と一刀両断する権利が良子にはあると思った。
だから愛美は、「給料が下がろうとも構わない。バイトでもいい」と良子に頼み込んでこの店に雇ってもらったのだ。そして、正社員として雇って貰ったにもかかわらず、人形扱いされるのは自分のせいだ。まだ自分は人形扱いされる程度の人間でしかないのだ。今日もデコレーションで、正社員である愛美の提案よりアルバイトの提案が取り上げられたことで不貞腐れてしまいそうになる自分を叱咤しているのだ。
「家族向けじゃないっすからねー。」
家族向けなら愛美の定番が受けるのだとフォローされればされるほどむかつく。
「だから何で考えてること判るのよ。」
高い所からコンプレックスまで見抜かれているようで、愛美は不愉快の頂点に近づきつつある。何とか頑張ろうとしてるのに、この平野翔太というバイトはやたら愛美のコンプレックスを突いてくるのだ。
「シャッター落とした後、反動でかすぎるんっすよ。マジ、顔に出まくり」
「ほっといてよ!客に見せてないならいいでしょ」
「悪いなんて言ってませんっすけど?」
「あんたこそ、その言葉づかいなんとかしなさいよね!」
「お客様にはしませんよ?当たりまえっしょ」
「だったら年上にもしなさいよ!」
「なら、年上らしくして欲しいっす」
「なんなのよあんたは!もうっ!」
更にむかつくことを言ってくる翔太に、愛美は反射的に手に持っていたの飾り付け用のモールを投げつけた。だが、もちろんそんなモールなんてひらひらしたものが、脚立の上にいる翔太に届くはずもない。ひらひらと舞い落ちた先には…まるで図ったように店のドアを開いた店長の良子の姿。
「夕飯をおごってあげようとわざわざ買ってきた心優しい上司にこの仕打ち?」
にっこりと笑いながら、二人によく見えるように良子が持ち上げたのは、この辺りでは有名なとんかつ店のお持ち帰り弁当が入った紙袋である。そして、その紙袋に愛美が投げつけたモールが絡まっている。
「ごめんなさい。」
「冗談よ。愛美もいちいち本気にしすぎ。どうせ、バイト君が面白がってからかってたんでしょ」
「からかってなんかいませんよ」
ひょいという感じで翔太は脚立から飛び降りる。若いなぁ…とその様子を愛美はしみじみと眺める。服飾系専門学生十九歳。若くて当たり前なのだが。
ちょうど翔太が手際よく終わらせたウィンドウのディスプレイ。提案した本人だけあってセンスに溢れている。スプレー缶だけで手書きにもかかわらず、である。翔太が来るまではステンシルでお仕着せだったウィンドウが一気に変わった。
「うん、イイネ。イイネ。やっぱりあんた雇って正解だわ。女二人じゃ高いところ厳しいとか、気が利くところもイイネー」
素直に翔太を褒めるあたりはさすが店長というところか。
「それより。と・ん・か・つ!」
さすがにストレートに褒められると、照れて話題ををそらそうとしている翔太を愛美は見つめる。
「愛美さん。その、人のこと『若いなぁ』『子供だなぁ』って視線で見るのやめてくれないっすか?」
「え?何で判ったの?」
「判るっすよ。」
「判るわよねー。」
翔太と良子に同時に言われて、愛美はそんなに顔に出やすいんだと改めて自己嫌悪に陥りそうになる。
「はーい。ストップストップ。愛美はそこがいいところ。そのでっかい眼で『目は口ほどにものを言う』のがいいところなの。」
「そうでしょうか。」
とてもそうとは思えない。
「というか、今から美味しいもの食べるって時に不景気な顔しない!OK?」
「はい。」
それはそうだ。
「じゃ、温かいうちに食べましょ。」
事務所兼休憩所に向かう良子の姿を翔太と愛美は追う。
きちんと整頓された事務所で良子は四つの弁当を取り出す。
「育ちざかりのバイト君は二つくらいいけるでしょ?」
「余裕です!ありがとうございます」
「バイト代じゃなくて弁当で悪いけどね」
「そんな十分です。ここには勉強させてもらいに来てると思ってるんで」
なによ。良子さんにはそんなに素直なんじゃないと思いつつ、愛美は事務所に置いてある冷蔵庫を開ける。
「良子さん。飲み物がありません。」
「あちゃー。ついでに買って来るつもりで忘れてた。」
「俺、買ってきます。烏龍茶でいいですか?」
「うん、頼むわ」
ぽいと良子が投げる小銭入れをキャッチして、勢いよく店を飛び出す翔太を見送る。
「うーん。若いよねー」
椅子に座りながら呟く良子の前に愛美も座る。
しばらく沈黙が流れる。
「ねぇ良子さん」
「ん?どうしたの?」
「私、平野くんに嫌われてるんでしょうか」
突然の愛美の言葉に思わず良子はテーブルに突っ伏す。
「なにそれ」
「だって良子さんにはあんなに素直なのに、私には突っかかって来てばかりで」
愛美の言葉に良子は突っ伏したまま肩を震わせている。
「何で笑うんですか!」
「いやごめんごめん。安心しなさい。嫌われてなんかいないよ。」
「そうですか?」
本当に。この子は美人の癖に…いや美人だからこそ、コンプレックスの塊なんだろう…と良子は思う。見るにみかねて灸を据えたら食いついてきたその根性は見逃さなかったが、こういった人間関係のこととなると、愛美は突然弱気になる。良子にしてみれば、翔太のほうの気持ちも解る。
「それより、あんた明日休みどうすんの?デート?」
こういう事である。
愛美が気になる。でも彼氏がいる。そのもどかしさが翔太のあの態度なのだ。
「断られました」
「ありゃ…せっかく土曜日に休みなんて珍しいのに残念だったわね」
「仕事があるそうで。」
はぁ…とため息をつく愛美。
「私、明日出ましょうか?せっかくの連休なんですから売上げなきゃ」
「大丈夫。ちゃんと休みはとって」
「でも、平野くんもこの連休は文化祭で来れないって言ってるし」
「あー、んとね。姪が手伝いがてら相談事があるみたいなんで、休んでくれた方が嬉しい。この連休にくるんでね」
「あ…わかりました」
はっきりと言ってもらえれば、月初めの土曜日に休みも取りやすいというものだ。
「ただいまー。」
「お帰り」
そこに翔太が返ってくる。
「よし。まだ冷めてない。食べて、ラストスパートいくよ!」
良子の言葉に、二人で同時に愛美と翔太は「はい!」と返事をした。
※※※
良子の言うとおりラストスパートをかけ、店内のデコレーションは終えた。お疲れ様とお互いに労っての帰り道、少しずつ雨が降り始めた。
バッグから傘を出す。その時できるものならと思って、目についたコンビニの軒先で愛美は「もしかしたら、明日、少しだけでも会えない?」なんて殊勝な電話をかけてみた。答えは「無理」の即答だった。「うん無理言ってごめんね」などと謝って電話を切ると、雨は本格的になる寸前に変わりつつあった。
無駄なことをしてしまったと思いつつ、愛美は傘を再び開いてアパートまでとぼとぼと歩きだす。
「無理って、もう無理ってことなんだよね」
愛美はもう解りはじめていた。明日会うのだけが無理というわけではないということが。忙しいのも本当だろうが、彼からのデートの誘いが徐々に減っていき、愛美の方から誘っても断り方がぞんざいになってきた。
気付いていた。そんなこと。
店に来た客だった。その時、可愛い女の子を連れてきていて。洋服のコーディネートをしてあげていて、「ああ、いい彼氏さんだなぁ」と思った。その人が一月足らずで、自分に交際を申し込んできたのは愛美も驚いた。しばらく悩んだが、けっこう強引に押し切られた感じで始まった付き合いは、そんなに悪くなかった…と思う。
愛美はそう思って、ここ数カ月のことを考えつつアパートまで帰り着いた。そして、もう一度スマートフォンを取り出しリダイヤルをかける。
「なんだよ。明日は無理って言ってんだろ」
いきなりこのご挨拶である。
「明日だけじゃなくて、此の先ずっと無理なんでしょ。はっきり言いなさいよ」
通話の向こうで息をのむ彼に愛美は、歯を食いしばる。
「前に連れてきてた後輩っていってた子でしょ?」
言ってはいけない、これを言ったら終わる。それはさすがの愛美も解っていた。解っていてももう止まらなかった。
終わってもいいくらい、ここ数か月愛美はずっと辛かったのだ。帰り道にやっとそのことに気が付いた。
「自然消滅狙うぐらいなら、きちんと振ってよ」
「そんなんじゃねぇよ」
「じゃ、なんなのよ」
通話の向こうで無言になる彼に、愛美は泣きそうになるのをこらえる。
泣くもんか、こんな奴のために。二人で無言の時間がしばらく過ぎる。それを、再開させるもの愛美の方からなのだ。そんな狡い相手なのだ。
「二股じゃないよね。それぐらいは信じさせて。」
自分は甘いのかもしれないと愛美は思う。
「それだけ信じてくれたら、俺の言えた義理じゃないけど…」
「店にも二度と来ないで」
もうそれ以上聞くことなんてなかった。聞きたくなかった。
「ごめん」
聞きたくない。謝られても単に辛さが増すだけだ。
「謝るくらいなら最初から私を選ぶな!」
選ばれたら嬉しいのだ。誰かの特別になれるのは嬉しいのだ。その分辛さが増すのだ。
叫んで反射的に切った通話は、もうかかってくることはないだろう。
これでいいんだ。この数か月の辛さに比べたら、別れそのものなんてあっけないくらい楽だった。本当はもっと罵りたかったけれど。それさえも疲れ果ててしまうくらいにずっとずっと愛美は辛かったのだ。
でも。
よりによって、なんでこのタイミングであんなこと言っちゃったんだろう。
出来るものなら三十分前に戻りたい。ううん、絶対に戻りたくない。っていうか、いつからずれてたの?三ヶ月前なら?
違う。私のせいじゃない。さすがに、これは私のせいじゃない。
「きゃあああああああああああああああ」
愛美は悲鳴を上げる。
帰り道に降り始めた雨は、今最大の佳境だ。光と音を伴って、愛美のアパートの窓を叩き、傍若無人に愛美の脳内までかき回す雷。
何でこんな時に一人にするのよぉ。私が雷嫌いなの知ってるくせに。ひどいよぉ。
恨み言はただ一人に向けられる。
「きゃあああああああああああああ」
雷が容赦なく愛美を混乱させる。
彼の会社の近くに行くたびに、後輩の女の子が視界の隅に入るのが辛かった。その子がどんどん可愛くなっていくのも辛かった。
多分あの子からのアプローチ。視界の隅に入っていたのは牽制。店に来た時の彼女の声が愛美の脳内で蘇る。「先輩の彼女さん、チョー可愛い。」あの時から始まったバトルはどこで間違ったのか、愛美の負け。
いいわよ。正々堂々負けてあげるわよ。上手くいけばいいと思う。その方が、もうこんな思いする女の子が減るんだからと、愛美は自分に言い聞かせる。
嘘だけど。
どうせ前の彼女と一月足らずで私に来るような男だ。あの子も同じ思いをすればいい。
「いやぁ」
雷の音だけじゃなくて。こんな思いを私にさせるなんて。
ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!
頭から布団をかぶっても、雷の音や光からも、自分の心からも逃げられない。あの子の声からも逃げられない。
何で私なのよ!あの二人のところで落ちなさいよ!雷に打たれちゃえばいいんだあんな奴ら。
どうして、こんな日に大見得きってしまったのか。大見得をきった後に大嫌いな雷なんて。それほど私が悪いことをしたとでもいうのだろうか。
「わたしはわるくないっ。」
頑張った。私なりに頑張った。
「こわいよぉ」
一人は怖い。愛美が雷を嫌いなのを知っているのに、一人にさせるあいつが嫌い。
今この時に、怖いと言える相手がいないのが怖い。
そんな瞬間、スマートフォンからメッセージが届いたことを知らせる通知音が鳴る。
『愛美さん、雷、大丈夫っすか?』
なにゆえ、このタイミングで、こいつからこんなメッセージが届くのか。
震える手で愛美は返事をする。
『大丈夫』
『雷苦手っしょ?』
『大丈夫』
愛美は震える手で大丈夫と繰り返す。大丈夫、大丈夫と愛美は自分自身に繰り返す。
だからほっておいて。
それでもお構いなしに、翔太からは自分を和ませようとするかのようなメッセージが次々と届いてくる。
「だいたいなんであんたが私が雷嫌いなの知ってるのよ!」
そう思った瞬間、愛美は反射的に無料通話の部分をタッチして全く同じ文句を叫んでいた。
もう震えていた手が途中から怒りだったのか、怖さだったのかすら判らない。
「そんなの見ていればわかるじゃないですか。店でもいつでもびくびくしていたし」
今年は台風の当たり年で、しかも土日に当たることが多かった。それでも売上貢献のため、必死でお客様の前では雷が鳴っても笑顔でいた。客がいなくても、年下の翔太にまた馬鹿にされるのが嫌で必死で隠していたというのに。
「だからってなんでアンタがいってくるのよ!」
どうして言って欲しかった相手じゃなくて、翔太が言ってくるのか。それが愛美を苛立たせる。
「心配しちゃダメなんですか」
「アンタに心配される筋合いがないっ」
嫌だ。こんなのは嫌だ。
「だってあいつ、いま愛美さんの傍にいないんでしょ!傍にいるんだったら、俺だってこんな心配しませんよ!」
「そうよ!いないわよ!さっき別れたばかりだもん!」
別れていなくても、こんなに怖がる愛美をあいつはきっと一人にしていただろう。翔太の言う通りに。
「え?」
通話の向こうで翔太が絶句するのを聞いた途端、愛美の感情は更に嵐のように荒れ狂った。堰が切れたように涙が溢れ出す。
「さっき別れたわよ。だって仕方ないじゃん!だって、雷が鳴るなんて思わなかっただもん!まさか本当にあんなにあっさり認めるなんて。ごめんってなによ!ふざけんな!」
言葉をぶつける相手が違うってことぐらい、愛美だって解ってる。でも止まらない。
「すみません。まさか、そんなことになってるなんて知らなくて。無神経でした。すみません。」
謝らないでよ。こんなのただの八つ当たりなんだから。
「言い訳しないのがカッコイイとでもおもってんのか。ばかぁ」
「すみません。」
謝らないでよ。一番悪くないアンタが一番に謝らないでよ。泣き続ける愛美に、翔太がひたすら謝り続ける。
「どうして私が一人だなんてわかったのよ」
すみません、すみませんと謝り続ける翔太の声を聞いているうちに愛美は少しづつ落ち着いてきた。
「そりゃ、愛美さん見てたら判りましたから。」
いつも翔太はそればかりだ。愛美を見ていれば判るという。
「彼氏さんいることも、したら仕方ないかってことも、でも愛美さん最近ずっと様子おかしかったですし」
翔太の声と言葉を愛美は聞く。
「もしかしたら、今一人なんじゃないかって思ったら、俺、いてもたってもいられなくて。あいつが愛美さんを一人にしてるんじゃないかって思ったら」
今、気が付いた。
「いいえ、違います。あいつが傍にいても俺は愛美さんが心配だったんです!」
コイツ、私相手でもちゃんと普通に喋れるんじゃない。
「うぬぼれるわよ」
「ここまで言ってうぬぼれてもらえなかったら、俺が困ります!」
なんて事なんだろう。
いいのだろうか。ただ、辛いから。寂しいから。一人が怖いから。
そんな理由で甘えてもいいのだろうか。
「今すぐ付き合ってくれとか、そんな話じゃないです。ただ、怖い時くらい頼ってくださいよ」
愛美の心を見透かしたように翔太は告げる。翔太は尋ねれば言い続けるのだろう。愛美をずっと見てたから、だから判るのだと。
「じゃ、じゃぁ、雷が遠くにいくまで馬鹿話でもして、私の気を紛らわせてよ。」
頼ってくれって言ってくれる相手に、こんな日ぐらい甘えてもいいかもしれない。愛美は涙をゆっくりと拭った。
「任せてください」
任せたわよ。だって、雷の鳴る夜だから。一人が怖い夜だから。
こんな日に甘えてごめんなさい…と、言えない言葉を翔太の話に耳を傾けることで、愛美は代わりにすることにした。
「あ…」
「どうしたんですか?愛美さん。」
「もう朝…」
カーテンの向こうが明るいことに愛美は気が付いた。
「あ、本当ですね。」
翔太の方も窓を見て気が付いたのだろう。
愛美はベッドから降りて、窓に向かう。そしてカーテンを思い切りひいた。
「すごい」
いつの間にか夜が終わっている。そして。
「晴れてる」
ものすごい朝焼け。
「愛美さんところからだと、綺麗な朝焼け見えるんじゃないですか?」と尋ねてくる翔太に、愛美は「うん」と答えた。
「ごめん。文化祭なんだよね?大丈夫?」
「ああ、もともと、天気さえ変わらなかったら徹夜で準備だったんで平気ですよ」
「でもごめんね。」
「大丈夫ですよ。一日徹夜くらい」
「若いわね。私なんか安心したら眠くなっちゃって」
愛美の言葉に翔太が通話の向こうで雰囲気が変わるのが何故か判る。あ、くるな。
「その『若いわね』ってのやめてもらえないっすかねー。実際、俺、若いっすけどー」
不貞腐れた言葉づかいに、愛美は吹き出す。
「笑うしー」
なるほど良子さん、解りました。こいつずっと不貞腐れていたんですね。私が嫌いなわけじゃなくて。
「ごめん」
「別にいいですけど…」
「それと、ありがとう」
ごめんなさいよりも、言いたいと思った言葉を愛美は告げる。
「話、面白かった。気、紛れた。ありがとう」
夜が怖いのも忘れるほどに。話の主な内容は今日からの文化祭の準備のごたごた話で。専門学校の文化祭って違うんだな…とか、男の子って違うんだな…と愛美に思わせるものばかりだった。
男の子なんていったら、もっと不貞腐れちゃうわよね、と愛美は思ってそこは黙るが。でも愛美にとっては、もう少しだけ不貞腐れた年下の男の子ままでいて欲しい。さすがに口には出せない言葉を愛美は胸にしまう。
「ならよかったです」
しまった言葉が、違う言葉にいつか変わるかもしれない可能性があるなら、なおのこと今はまだこのままでいさせてほしい。
ワガママでごめんなさい。大人はズルくてごめんなさい。傷つくのが怖くてごめんなさい。
伝えられないたくさんのごめんなさい。
「うーん。寝ようかなぁ。」
「あーじゃ、おやすみなさい。」
ゆっくり休んでくださいね、と続ける翔太に愛美は思う。こんな優しくて気の利く男の子に好かれるなんて私ってすごいじゃないと。
だから、愛美は翔太に向って笑いかけるつもりで、窓に向い、にこっと笑って見せた。
朝焼けはあっと言うまに終わり、空は青くなり始めている。雲の淵が小金色に輝いているのが朝焼けの名残。空気が澄んでいることが窓越しでも判る、11月の最初の冷えた朝だ。
「話聞いてたら興味出たから、文化祭午後から行くね!」
「え?」
「それぐらいの体力、まだ私にだってあります!」
愛美の言葉に翔太がツボにはまったのか、通話の向こうで笑い転げている。
「徹夜って駄目ね。笑いとかのハードル低くならない?」
「そうっすね」
愛美の言葉にまだ翔太は笑っている。
「でも愛美さんが笑ってくれてるなら、それだけで、俺嬉しいです」
ストレートすぎるぞ。胸に響くじゃないかと愛美は思う。
もしかしたら、翔太はどんどん愛美の胸を響かせることになるのかもしれない。しまった言葉はどんどん揺れるのかもしれない。
「んじゃ寝る!おやすみ!」
「はい。待ってます!」
でも眠るその前に。あのどうしようもない野郎に最後のメールを送ろう。
送信文を作る。「お店に来るなら私のいないときにして」と。これは、甘さからじゃない。
あの店は良子のお店で、こんな馬鹿な事で上得意を逃すわけにはいかないのだ。そのためだけ。返信はいらない。きても無視。
ねぇ、平野翔太。あんたのおかげ。
「ずっと愛美さんのこと見てたから判ります」
いつか私も「翔太を見ていたから判る」と言えるように頑張るから。もう、嫌われているんじゃないかなんて怯えなくても済むのだから。
頑張った結果がどう繋がるのか、まだ愛美にははっきり言えないけれど。
どんな形のものでも、翔太に伝える言葉を紡ぎだしたいと愛美は思う。
辛かった夜のお礼に。
一眠りしたら、差し入れでも持って翔太に会いに行こう。
明日、晴れたら 叶冬姫 @fuyuki_kanou
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