もとはじまり
まだ午前11時だけど、後の予定を考えて昼食にしようかとも考えた。だけど昼過ぎから眠たくなるほど退屈な話を聞かなくてはならない。
食事は抜いておいたほうがよさそうだと判断した。
駅からアーケードの商店街を通って教会本部へ向かう。美宮も母の言いつけでなければこんな街には来たくなかった。でも大学受験に失敗した浪人生は家での立場が弱い。断る言葉が見つけられなかった。
穏やかだけど、馴れ馴れしすぎて居心地が悪い。ココには美宮の知ってる人間らしさがなかった。宗教都市なんてどこもこんな感じなのかもしれない。
ただ地方都市の商店街なのにシャッターが下りていないのは好感が持てた。少なくとも商店街の人は頑張っている。そんな活気を感じるのは嬉しかった。
商店街を5分ほど歩くとアーケードが終わり、サッカーコートほどの広さの広場があり、その一番奥には総檜造りの神殿が見える。いや一番奥というには語弊がある。この神殿は一番手前で、その奥に教祖殿や祖霊殿などの木造の立派な建物が立っている。
美宮は靴を脱いで下駄箱の係の人に預けた。綺麗に磨かれた広い木の階段を上がると、東西南北に百畳ほどの畳敷きの礼拝堂があった。神殿の中心には少し低い場所に建てられた八角形の木の柱。それでも柱頭は目の高さよりも上にある。
正座し八角形の柱に伏礼をした。美宮はこの仕草がとてもイヤだった。小さな時から母親に無理矢理やらされて来た。変な歌も憶えさせられた。
でも
嫌いな街のその中心。だけど美宮はとても落ち着いていた。大きな丸太の柱だけで風よけもないのに、空気が流れている感じがしない。澱んでいるのではない。とても静謐な気で満たされていた。
そして、美宮が体を起して柱を見あげると、柱の上に粗末な着物を来た40歳くらいの女性がコチラを見て笑っているのが見えた。
見えてしまった。
そして目があった。
美宮に一度笑いかけると、ジャンプするような仕草で柱の上からふいっと姿を消した。美宮が幻だと思っていると、横からいきなり「ようおいでたね」と声を掛けられた。
怖々と横を向くと柱の上にいた女性が美宮の隣にコンパクトにしゃがんでいた。
「えっ、あっ、ふ、普通のひとじゃないですよねぇ」
「そうやねぇ。出直してから120年ほどになりますわ」と言って笑った。
「ゆ、幽霊さんですか」
「なにゆうてんの。うちが誰だか、だいたいわかってるやろぅ」
「やっぱり
「固いな。〝おばちゃん〟でええわ」
「はぁ」
〝おばちゃん〟は、ずっと柱の上に座って話し相手を探してたらしいけど、ココ10年ほどは一人も見つからなくて退屈だったと言った。
「最近は陽気にくらしてる人も減ってきてるしなぁ」
「でっ、なんで私なんですか?」
「たまたまや。目がおうたしな。今からイロイロ回るんやろ。一緒についてったるわ」
なんて軽い神様なんだと美宮は思った。
「今日は『お話』聞きに来てくれたんやろ」
「おばちゃんには言いたくないけど、来たくて来たんじゃないんです」
「そやろな、あんな話9度も聞くやなんて、信じられへん。眠たいだけや」
おばちゃんは信じられない事を言い出した。あなたが言い出したんでしょう。と美宮はツッコミたかったが我慢した。なんにせよ相手は神様だ。
「今日は
「あぁ『私たちの神様は……』って奴やろ。あんなん誰が言い出したんやろな」
「あなたじゃないんですか?」今度はつっこんでしまった。
「違うよ。うちかて神社にお参りに行ってたもん」
「その話知ってます。預かった子どもの命助ける為に、自分の子どもの命削ったんですよね。それ美談なんですか?」
「まだわからんやろな。子どもが出来たらわかるかもしれへんよ」
そう言うと、おばちゃんは柔らかい笑顔で美宮を包み込んだ。美宮はあれだけ嫌いだったココの教えについて、少しだけ興味が湧いて来た。
初席の誓いをするまで時間があったので、おばちゃんと神殿を一回りしてみた。地上から高さ3mの所に作られた木の回廊。2車線くらいは取れそうなくらいに広い。
沢山の人達が歌を口ずさみながら踞って木の廊下を磨いている。
これだ。こんな姿が美宮はずっとイヤだった。小さな時から尊さより、狂信的な恐さを感じていた。
こういう奉仕をする人達に悪意がない事はわかっている。だけどなにかしら大事な物が欠けているような気がしていた。
「みんなガンバって磨いてくれとるから綺麗やろ」
「はぁ、でも、ちょっと」
「こわいか?」
「はい。こわいです」
「そらそうやな。不満だらけで、他人を顧みず、自分の事ばかりの人がココにきてるんやもん」
「じゃあ、意味ない事なんですか?」
「そうでもないよ。ほとんどの人が磨いているうちに自分だけじゃない事に気づいていかはる。そして次に来る時はいい顔になってるんや」
「そんなもんですか?」
「そや。そんな修業やもん」
初席の誓いを済ませて、いよいよお話を聞く部屋に向かう。ココから1時間以上ノンストップで話を聞くのだが、美宮は起き続けている自信がなかった。
半分の幅の畳が引かれた3人掛けベンチが20台ほど並んでいた。程なくいっぱいになっていく。中には外国人もいた。日本語がわかるのか心配したけど、どうやら専用のヘッドホンを装着して参加するらしい。
仰々しい黒い服を着た〝先生〟が部屋に入ってきて、いよいよお話がはじまる。
最初は教祖のお話から。ちょこんと隣に座っているおばちゃんがにっこりと微笑んだ。先生が立派な事を言う度に「あんなんちゃうよ」とか「むちゃや。そんな立派な事あらへん」とか、おばちゃんは真剣に照れてる。
「神様なのに誉められ慣れてないんですか?」
「あんなん言われるのイヤや。この話うち苦手やねん」
おばちゃんの反応が可愛すぎて、美宮は退屈せずに話を聞く事ができた。
話はすすんで元始まりの話。いわゆる天地創造の物語なんだけど、この教義はちょっと変わっている。
「
美宮はこの話を何度聞いても全然意味がわからない。そこで隣に居る本人にさっそく聞いてみた。
「さぁ、なんやろな。うちにもようわからへん」
「なにそれ?」
「いや、神様がな、勝手に書いたり、喋ったりしはるし、よう憶えてないねん」
「そんなのノストラダムス並に謎ワードじゃないですか」
「うちもな、こんな話、ちゃんと話せる人は『賢いな』思てんねん」
「無責任な……」
「まっ、しゃあないやん。それが人の限界や」
「いや、あなた神様でしょ」
「そらそうなってしもうたけどなぁ。そやっ。今から見に行こか」
「出来るんですか?」
「多分、大丈夫や」
この神様。どこまで軽いんだと美宮は思った。
次の瞬間、美宮とおばちゃんは泥の海のまっただ中に立っていた。
「おひさしぶりでございます」おばちゃんが泥の海の一点に向かってお辞儀をするとどこからともなく声がした。
「ようきたな。なんやおもろい事あるんか?」
いやビックリ。コッチの神様も軽そうだ。
「いやな、このお嬢さんが〝元始まり〟見たい言うから連れて来ましたんや」
「えっ? そんな見たいなんて」
「見たないんか?」
「見たいです」思いの外、美宮は素直に返事をした。
「はっはは。ええよ。ゆっくりして行き」
「はぁ。ありがとうございます」
「じゃはじめようか」
神様の声がそう言うと〝うお〟と〝み〟がやって来た。美宮は魚と蛇だと思っていたけど、やって来たのは鯨ほどの大きな魚と大きな白蛇だった。神様は龍の姿になって「では貰い受ける」といいながら、〝うお〟と〝み〟を食べてしまった。
そのあとも神様は、鯱、亀、鰻、鰈、黒蛇、河豚を「貰い受ける」といいながら食べてしまった。
「えっ、本当に食べちゃった。天地創造どころか弱肉強食のお話じゃない」
「いやいや『食べてその心根を味わい』人の道具にしはったんやで」
「そうなんですか? 河豚とか、鯱とかも人の部品なんですか?」
「そやな河豚は縁切りの道具で、鯱は骨突っ張り、男一の道具やな」
「縁切りって道具なの? えっと男一の道具っていうのは……」
「そら男の象徴やな。子種のもとで……」
「もういい。わかりました」
「ちなみに亀が、皮つなぎ、女一の道具やね」
「はぁ、おんなが亀なんですか? なんかのネタになりそうですね」
「そうかぁ。まぁ、こうして人の元を作らはってん」
神様は楽しそうに〝うお〟に鯱を仕込んで『いざなぎのみこと』を、〝み〟に亀を仕込んで『いざなみのみこと』にされた。
「うわっ、なんか工作してるみたい」
「神様も楽しんどったんやろな。みんな子づくりとか、工作とか好きやろ」
「それって同列ですか?」
「まぁ似たようなもんや」
ちなみに、鯱には『つきよみのみこと』、河豚には『たいしょく天のみこと』とそれぞれに神名が付けられていた。
「うわっ。ちょっと設定が厨二っぽいですね。あとで一覧もらえますか?」
「あんた、そんなん好きなんか?」
「はい。割と」
最後に神様は泥海の中の泥鰌を全部食べた。
「神様すご。まだ食べるの?」すっかりタメ口になっている美宮。
「あぁ、あれな子種になんねん。『いざなぎみのみこと』の中に入って行ったやろ」
「はぁ」
「ほれ、今度は『いざなみのみこと』の胎内に宿し込むんよ」
「あっ、そ、そうですね。いや、ちょっとアレですけど」
「はっははっ。恥ずかしいんか? まだ生娘やもんな」
「そんなのはいいです。ほっといてください
ほどなく、沢山の子どもが生まれはじめた。でもやたら小さい。というか人の形ではなかった。
「たくさん生まれて来ましたけど、生まれたのは虫みたいですね」
虫とは言ったが、美宮は気持ち悪いとは感じなかった。どちらかというと女として胎児を見守るような気持ちだった。
「そのうち、鳥や獣に
「いったい何年かかるの?」
「まぁ、ざっと十億年かな」
「十億年? 最初は日本神話みたいだったのに、途中から進化論みたいな話になってるし、やっぱり訳わかんない」
「そやろな。何度見ても、うちもようわからへんねん」
「おばちゃん。なにそれ?」
「たぶんな、そんなん生きていくのには関係ないからちゃうんか?」
「そうなの?」
「でもな……」そう言っておばちゃんは声を潜めて言った。
「やっぱ神様、食べ過ぎやで」
本当に神様が食べ過ぎかどうかは判断しかねるけど、人の型作ったり、陸を作ったりするのは想像以上に重労働なのかもしれない。人の身である美宮にはよくわからなかった。
そんな事を考えているうちにお話の時間は終了した。名前を呼ばれて先生に判子を押してもらう。判子が9つ並ぶと〝信者〟になれるらしい。
夏のラジオ体操じゃないだろう。と美宮は心の中で毒づいた。
「まぁまぁ、そんなに気にしんとき」
おばちゃんがすかさずフォローを入れる。
「でも、おばちゃんに会えて楽しかったわ。今度来たらまた会ってくれる?」
「どやろな。こういうのも出会いや。今日はあんたが〝匂いがけ〟で呼ばれたんや」
「匂いがけ?」
「いわゆる、お誘いやな。呼んだんはうちやないで。神様が呼んだんや」
「なんで私なんだろ」
「そんなん知らん」
その時2時のサイレンが鳴った。神楽の楽器みたいな不思議な音色が街中に響き渡った。歩いていた人までも立ち止まって合掌をしている。美宮はなにが起こっているのか飲み込めなくて、ちょっとたじろいだ。
「そろそろ、お別れやね」
「えっ?」
「また会いたいな。会えるとええなぁ」
そう言い残して、おばちゃんは美宮の前から姿を消した。
120年以上前の1月26日14時に、教祖さまが亡くなられた事を美宮は思い出した。
そして、来た時に感じていたよそよそしい空気も、少しはマシな気がした。
少しだけ感傷に浸っていると、今度は美宮のお腹のサイレンが鳴った。
『グ〜!』神楽ほど上品ではないけれど、生きている証のような音だった。
「さて、なんか思いっきり食べたい気分。まだどこかの店開いてるかな?」
美宮はアーケードのある商店街に向かって、早足で歩き出した。
神々のたそがれ よたか @yotaka
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