第2話「王都脱出」


 十年前の夢を見た。


 ラルガス帝国より最後の降伏勧告が届いたその日の夢だ。夜、父である魔剣王カージスは難しい顔をして城壁の上から敵陣を睨んでいた。既に王都のすぐ傍の平原までの侵攻を許し、主要な将軍たちを失っている。これ以上の戦いは無意味だ。父も前線で敵の皇帝と戦い続けたせいか顔色はあまり良くない。返り血を浴びたままの装備は血に汚れ、酷い匂いを発していた。僕はその隣に立ったまま、父との最後の夜を過ごしていた。


「ここまでだな」


「父上……」


「そんな情けない顔をするなカリス。皇帝はなんとか俺が止める」


「でも、相手は本物の神剣を持ってるんでしょ!」


「どういうわけか、な」


 苦笑する父は、野営地へと視線を戻す。


「実在する神様なんてのは聞いたことがないんだが……或いはあの話は本当だったのかもしれんな」


「あの話?」


「遠い遠い昔の話だ。俺たちアーカイバのご祖先様がな、今は無き大陸で神剣使いと戦ったそうだ」


「てことはさ、勝ったんだよね?」


「いや、相討ちだったんだと。最終的に大陸ごとブラッドソードで神剣使いを吹き飛ばしたらしい。その際、神剣は行方不明になったそうだ」


「えっ……」


「西の、魔族の国に呼ばれたときに遠縁の爺さんにそんな話を聞いたことがあった。今更あの話を思い出すなんてな。もしかしたら、アレはその時の神剣なのかもしれん。不死皇帝とやらの神剣は、今にも壊れそうな程にボロボロだった。アレがそうなんだとしたら、神剣の噂が出た時点で使いを出しておくべきだった」


 呟いてすぐ硬く閉ざされた口元は、自嘲気味に笑っている。ただ軍が強いだけか、強力なブラッドソードでも手に入れた程度の認識だったのだろう。僕だって、神剣なんて直接目で見なければ一笑に付したに違い無い。


「なんで、あんなものがあるんだろうな」


「なんでって……僕に聞かれてもわかんないよ」


「エンチャントされた魔剣でもう十分だろうとは思わないか? それ以上は強すぎる」


「強すぎちゃいけないの?」


「駄目だ、とは言わない。しかしそれでは神を味方につけた者が勝つことになる。優れているからでもなければ、正義があるからでもない。ただ、神の同情を引いたというだけで蹂躙が許されるのだとしたら、それはちょっと格好悪いだろう。子供の喧嘩に親が出てくるようなもんだ」


 世界は創造神によって作られたとされている。創造神は世界を作った後己をいくかの神に分離し、それぞれ司る魔法を信仰者に与えた。古い教会では不思議とそのくだりだけは同じで、それ以後は信仰する神が変わる。慈悲の女神が居れば正義の神が居たりして、この世界を見守っているんだ、とか。というわけで生まれてきた者たちは皆等しく神の子供だそうだ。だから子供同士喧嘩することだってあるだろう。けれど、確かにそう考えると神剣の力を振りかざして悦に浸るのはなんだかとても格好悪く思えてくるから不思議だ。 


 親の力で他の子供を威圧して威張り散らしているだけなんだと考えれば、なるほど喧嘩を売られた相手としては呆れてしまう。そんなことをする奴は、子供の輪から外されるだけだというのに。


「ああ、でもこんなもんか。誰かの手にある限り」


「父さんが持っていたら、喧嘩に使った?」


「面倒だから飾っておくさ。多分今と対して変わらないだろう、でもきっと周りはそうはさせなかったかもな。在るだけで意味を持っちまう程の代物だ。相手は恐れ、躊躇する。ブラッドソードも似たようなもんだ。そのおかげで領土は小さくても攻められなかった」


「そっか。だから、神剣は僕たちの敵になったのかな」


「さて、な。ブラッドソードは命の力だ。それは、命と引き換えの強さだったんだ。代償が在る強さと、偶然手に入れただけの強さを混同したくはないな」


 結局は力の有無かもしれない。でも、だからこそ父は言ったのだ。それが負け犬の遠吠えや僻みではなくて、そこにはただ純粋な怒りと腹立たしさがあったから。

大事なものを踏み躙られたような不快さ、だろうか。なんとなく言葉に出来ないそれが、僕の胸にも去来する。


 滅ぼされた国の王たちも、こんな気持ちだったのだろうか? どこかすっきりとしない違和感と、笑ってしまうような荒唐無稽さを感じてしまう。英雄の読み物は好きだったけれど、まさか自分たちがその標的にされるとは思っても見なかった。


「そろそろ戻るか」


「うん」


「カリス、俺が死んだ後は好きにしろ」


「え?」


「国の再興なんて考えなくていい。民はもう、城の財宝や金目のモノを与えて東に逃がした。ここに残っている奴らは、死んで上等の馬鹿ばっかりだ。お前は開戦の前にラシール共に行け。あいつなら国が消えてもお前を守ってくれるだろう。シルウィンも渡したしな」


 腰に吊るしたブラッドード『ミリス』を鞘から抜き放ち、父は僕に突き刺した。途端、魔剣は僕の胸の中に沈み込んで消えてしまう。


「父上! せめて母上は共に!」


「馬鹿を言うな。俺も後でそこに行く。もし、俺が勝っていれば戻って来い。その時は皆で戦勝会だ。金が無いから貧相なパーティーになっちまうかもしれんがな」


 力強く笑って、父は僕の背を押した。その日、僕は父と最後の時間を共にして翌日に城を去った。その後、逃げる最中王都があった方角から天にも昇るほどの青白い光が立ち上った。そしてすぐに、光の向こうから飛んできた一本の魔剣が僕に突き刺さったことで理解した。


 父もまた、かつて神剣使いと戦った先祖とやらと同じように戦って、逝ってしまったのだということを。





「――リス、起きなさいカリス」


「うわっ!」


「どうしたのよ。嫌にうなされていたみたいだったけど」


「あ、うん。久し振りにアーカイバの夢を見て、ね」


 言葉を濁しながら答え、寝ぼけていた頭を覚醒させる。


 ここは、そう宿屋だ。昨日の帰りに取った二人部屋だ。

 簡素なベッドと小さな浴室がある程度の狭い部屋。それでも、それなりに清潔に保たれていたせいで不快さはない。外れの宿屋は安すぎるだけあって酷いものがあるが、ここは当たりだった。夕食も美味しかったし、言うことは無い。次に王都に来るようなことがあればここに来よう。できればゆっくりとしたスケジュールを組んでから。


「どんな夢だったの」


「王都が消える前日の夢さ。面白いことを思い出したよ。嘘か真かアーカイバのご先祖様は神剣使いと戦って、大陸一つ吹っ飛ばしたって言う与太話さ。ははは」


「何それ、誰が言ってたのよ」


「夢の中の親父がさ」


「カージス様が?」


「うん。帝国の皇帝とぶつかるまではすっかりその話を忘れてたんだってさ」


「ふーん。まぁ、胡散臭いしねぇ」


「ダークエルフの方でそんな話は伝わってない……よね?」


「聞いたことないなぁ。引きこもり〈森のエルフ〉と違って私たちは森の外へ出たエルフだからね。あまり昔話って残ってないのよ。長老クラスなら知ってるかもだけど結構分散してるしね」


「そっか」


 それにしても、相変わらずエルフを引きこもり扱いか。


 エルフとダークエルフの差を森に引きこもったか、引きこもらなかったかで区分しているのはラシールだけだと思うんだけど……いや、シルウィンさんもそうだったっけ?


 さすがに十年以上前のことだ。そんなことを言っていたような気もするし、言っていなかったような気もする。なんとなくもやもやとしそうになる僕に、ラシールはタオルを投げつけてくる。


「さっさと顔を洗ってきなさい。そろそろいい時間よ」


「あ、うん」


 備え付けの薄いライトプレート――カード状の鉄の板に光のエンチャントを施された物――に魔力を通し、光源とする。


 エンチャント技術はこの世界に革命をもたらせたほどの発明だ。魔剣鍛造に利用されるのが普通だったが、古への発明家とやらが生活を楽にするために使用し、その後爆発的に普及した。おかげで井戸の水組みから開放されたり、夜の明かりや料理の火に困ることも無くなった。エンチャントスミスが食うに困らない職になった要因の一つがこれだ。


 生きている者には魔力が宿る。最も魔力が少ないとされる獣人でさえも生活するに困らない程度の魔力を持っているのだから、もはや人々はエンチャント無しには生きてはいけない。


 顔を洗って戻り、防具を纏い外套を羽織る。続けて荷物袋と夕方に最低限のエンチャントを施したバックラーを背負い、武器を確かめれば準備は終わりだ。後は夜の闇に紛れて王都と抜け出せばひとまずはそれでいい。


 ケニス王子は諦めたとは思うが、それ以外の者が手を回している可能性もあるし帝国のスパイも既に動いているはずだ。馬鹿正直に昼間に出歩いて捕捉されるてやる必要はない。


「それじゃ、行こうか」


「ええ」


 部屋を出て一階のカウンターへ向かう。夢うつつで番をしていた若い男がこちらに気づき、声をかけてきた。


「チェックアウトですか」


「これから早朝の仕事があってね。傭兵は大変だよ」


「そうですか。若いのに大変ですね。またどうぞ」


 朝日も昇らぬ家から宿を引き払う僕たちを訝しんだその男だったが、余計な詮索をすることなく僕たちを送り出してくれた。どこにでもありふれた宿の光景。どの国でも厄介ごとは御免なのだ。変わらないそれに苦笑しながら、僕たちは外に出た。


「風が強いね」


「そうね、冬じゃなくて良かったわ」


 夜風にしてはやや肌寒い。もう冬は終わり春も半ばだというのに、太陽が無ければこんなものか。閑散と眠る夜のストリートの人気の無さも相まってか、なんとなく空気がやけに冷たいように思えてくる。それは、昼の賑やかさを知っているからこその感慨だったのか。


 ふと、隣を歩くラシールがフードを目深に被った。僕もそれに合わせて目深に被り、静寂な夜に別れを告げる覚悟を決める。どうやら王都は僕たちを平穏無事に逃がしてくれる気は無いらしい。


「何人?」


「それなりね」


 つまり、少なくは無いということか。


「どちらかな」


「んんー、動き方からすると帝国っぽいかな」


「早いね」


「城に裏切り者でもいるんでしょ」


 つまらなさそうに言い捨てる彼女は眠たげに欠伸をする。相手が僕だからか、そこに恥じらいが無いのが残念だ。僕も釣られて大口を空けたところで前方からライトプレートを光らせる巡回兵を見つけた。こちらを見るや否や怪訝そうな顔をしてくるが、そのままスタスタと歩き去る。その瞬間、僕は振り返り背後を見る。と、兵に見つからないように視線から隠れていた追跡者が薄暗がりの中で顔をのぞかせているのが見えた。その数は七人。


 昼間アレだけやられたというのに、すぐさまこれだけの数を用意してくるとは。本当に帝国様には頭が下がる。どうせならその旺盛な行動力を世界平和のためにでも使えばいいのに。


「七人だ」


「オッケー、走るわよ」


 大通りをそのまま東に抜けるよう駆け出す。と、その瞬間気づかれたことを察した追っ手が隠れることを止めて一斉に飛び出してくる。その手に握るのは月光を反射する長剣だ。


 静止の声も何も無い。ただただ無言で進軍してくるその集団はただ僕たちを追ってくる。不気味なほどのその統一感は、危機感よりも滑稽な感慨をもたらした。しかし、それも彼らが一斉に剣を振り上げた段階で逆転した。


「こっちよ!」


 ラシールが左手で僕の腕を取り、路地裏へと引っ張り込む。その背後では、七つの影が振るった魔剣の切っ先から飛び出した炎の球が通り過ぎた。数秒後、爆音と共に炎の赤が夜に咲く。その隠密にあるまじき行為には、さすがに僕も首を捻りたくなった。


「あいつら、本当に何なんだ?」


「変な薬でもやってラリってんでしょ」


 隠密行動の基本さえ守れないその連中は、僕たちを追って路地裏へと殺到してくる。横幅三メートルも無いその路地裏で、今度もまた行儀よく並んで突っ込んでくる。


「なんて気持ち悪い奴ら。早いけど上がるわ」


 背後から迫る追っ手が、二発目を放つより早くブラッドソード『シルウィン』を抜いたラシールと共に跳躍する。瞬間、凄まじい程風が路地裏に吹き込み、上昇気流のように僕たちの身体を空高くへと舞い上げる。


 一瞬の浮遊感。重力を無視したありえない動きで飛翔した僕たちは、民家の屋根へと着地し、そのまま歩みを止めずに風に乗って夜を飛ぶ。


 民家から民家へ。飛び移って移動する僕たちの下では、先ほどの爆音を聞きつけただろう巡回の兵たちがワラワラと駆け出している。と、余所見をした僕の手が強く引かれ、人通りの無い通路に導かれた。と、そんな僕たちの頭上を炎の球が通り過ぎる。

追撃だ。間違いなく連中も屋根の上を越えてきたのだ。


「嘘だろ、ドットレイじゃないんだぜ」


「今までの奴らとはちょっと違うみたいね」


 再び地面の上を走りながら、僕は背後を振り返る。そこには、いつの間にか追いついてきた影がある。


 連中は皆、黒い外套で身を包み、頭にサークレットをつけている。薄暗い闇の中、そのサークレットがぼんやりとエンチャントの光を放っているのが酷く不気味だ。まるで生気がないような無機質な動き。ゴーレムが魔術師にでも遠隔操作されているような光景だ。


 一瞬浮かんだその想像を頭の中から追い払い、ただただ全力で駆けていく。けれどいくつもの角を曲がり、路地裏を抜けても奴らの追撃は止まなかった。


「はぁはぁ、どういうことだろう。奴ら、どうして見失わない」


 走り続けたせいで呼吸が荒い。エンチャントによる身体能力の強化があるとはいえ、体力は有限だ。王都を抜けるまで走り続けるのはさすがにきつい。


「……指示してる奴がいるんだわ」


「一体どこからさ」


「そりゃやっぱり空の上からよ」


 指差したのは星空だ。その方角に目を凝らしても、僕にはさっぱり見えやしない。でも、弓を手に取った彼女にはらどうやらその敵が見えたようだ。


「……魔族?」


 ポツリと呟かれたその声には、確かな困惑の色がある。


「ねぇカリス。魔族に狙われる理由って在ったっけ?」


「ないと思うよ。そもそもアーカイバは戦争反対派のまったり王国だったじゃないか」


「それもそっか」


 魔力の矢を番え、弓を引く。狙いは一瞬。彼女の矢が星空に流星の如く煌いた。

 僕はその方角に目を凝らす。すると、確かにマジックアローの光に照らされた魔族が見えた。反撃に驚いたのか、僕にはまだ使えない背中の羽で羽ばたき矢を避ける。


「惜しい!」


 二射する余裕は無い。頭上の魔族が右手を上げる。瞬時にその腕が青く光る雷光を宿したのた見えた僕は、背中の荷物を降ろしてバックラーを取り出し、ラシールの前に躍り出る。


「ラシール、二射目をお願い!」


 魔術文字に魔力を通し、防御障壁を発動。そのすぐ後に、それは来た。

轟く雷鳴は一条の閃光となって夜を切裂き、障壁と衝突して更に輝く。接触の重みこそなかったが、バチバチと障壁の表面が嫌な音を発する。だが、それも数秒にも満たない。放電を終わったその間隙を付き、ラシールがお返しとばかりに矢を放つ。魔法の矢は再び空へと伸び、敵が避けようとして羽ばたく。と、その瞬間背後でラシールが笑った。


「甘い甘い」


 その瞬間、魔法の矢が大音響を奏でて破裂した。白い閃光が空を焼く。矢の直撃こそ避けた魔族だったが、至近距離での爆発に飲み込まれて付近の屋根に頭から墜落。派手な音を立てながら屋根を転がり、地面へと落ちていく。


「お見事――って、喜んでる場合じゃないか」


 追跡者が完全に追いついてきた。僕は魔力を通した剣を抜き、真一文字に薙ぎ払う。魔力の刃が軌跡に沿って飛翔し、黒尽くめの一人を切り刻む。そこへ、弓を構えたままのラシールが次々と矢を放つ。一人、二人と、その矢に倒れるも残りの四人の加速は止まらない。まるで恐怖という感情など無いといわんばかりに突っ込んでくる。もう一度剣を振る余裕は無い。  


「カリス、一人お願い!」


「うん!」


 弓と袋を投げ捨て身軽になったラシールが、魔剣シルウィンを抜いて加速する。途端、暴風が吹き荒れ、凄まじい速度で彼女が夜のストリートを駆け抜けた。

放たれた矢のようなその体躯は、止まることなく一人の身体を串刺しにし、その隣にいた二人を強引に風で吹き飛ばす。乱暴だが、これで隊列は崩れた。一人残った暗殺者は、すれ違ったラシールを無視して僕を目指す。闇の中、爛々と輝く瞳が不気味に細まり、更に速度を増して迫ってくる。


「シャッ――」


 低く鋭い呼気が聞こえた。ほぼ同時に振り下ろされてくるその凶刃を前にして、僕はバックラーを叩きつけるようにして受け止める。その衝撃が左手に走ったのも束の間。右手の長剣を突き出し無防備な身体を狙って反撃する。だが、その突きは空を惜しくも空を切った。


 ヒット&アゥェイ。攻撃後、躊躇なく右に軽く飛び、距離を取った刺客は一撃離脱で攻撃してくる。盾で防ぎ、攻撃後に剣を振るうがすぐに距離を取って逃げてしまう。

動きが速い。素直に感嘆しつつも、ならばと魔剣を煌かせて剣を振るう。


 刺客は魔剣から放たれるだろう攻撃範囲から逃れるべく、その場でしゃがみこみ横薙ぎを避ける。と、そこで僕は右足のエンチャントを起動しつつ右足を跳ね上げた。途端、グリープに包まれた右足の軌跡から放たれた魔力刃が、しゃがみ込んで剣を避けた刺客の首を切裂いた。気道ごと斬られたその刺客は、ヒュウヒュウと喉元を鳴らしながら喉を押さえながら後退。そこへ、放たなかった長剣から魔力刃を飛ばして止めを刺す。血を噴出しつつ倒れ付す刺客。その死を確かに確認し、僕はラシールへと視線を向ける。


 すると、既に戦闘は終わっていたらしく剣を鞘に収めて駆け寄ってくる彼女が居た。


「大丈夫みたいね」


「そりゃあね」


 お互いに負傷がないことを確認し、放り出した荷物を拾う。すぐに逃げなければ、騒ぎを聞きつけた兵がやってくるに違い無い。だが、僕はふと思い至って刺客の頭についていたサークレットを見た。星光があるとはいえ、エンチャントの文字はさすがに見えない。気になり、外して持ち出そうとするもそれはラシールに止められた。


「待ってカリス。そんな暇はないわ」


「げっ」


 見れば、遠目にライトプレートの明かりが近づいてくるのが見えた。それも一つ二つではない。明らかに小隊規模だ。このまま鉢合わせするのは不味い。渋々検分を諦め、闇に紛れて路地裏へと逃げ込みつつその場から遠ざかると、城下を囲む城壁をシルウィンの力で飛び越え王都を出た。幸い、城門の警備に兵が集中していたので飛び越えるのは簡単だった。







「それで姉上、彼女が昨夜出たという賊ですか?」


 城の地下にある独房の中、鉄格子の向こうで拘束されている魔族の少女を見てケニスは尋ねた。


「そうらしい。他にも七つの死体が見つかっており、頭に全員同じようなサークレットをつけていたそうだ。後でそちらも見てもらいたいが、お前の意見を聞きたくてな」


「構わないけど、随分と物々しい拘束だね」


 両手両足は頑丈な鉄の枷で拘束されており、魔力封じのエンチャントが施されている。どんな魔法使いも抜け出せない完全な拘束だった。身体能力が強い怪力の獣人でも自力で破るのは無理だろう。


 少女は眠っている。黒銀のロングヘアーで隠れて顔こそ見えないが、華奢だとよく言われるケニスよりも更に小さい。魔族の年齢もエルフたちと同じく見た目相応ではないが、それでもさすがに痛々しい感想ケニスは抱く。舌を噛まぬように施された猿轡も相まって、やたら仰々しく見えていたのだ。


 服は簡素な囚人の服に代えられており、その下に巻かれている包帯が肌の上に見える様が酷く痛々しい。全身が焼け爛れていたそうで、生きているのも不思議なほどだったとか。今はクリアの慈悲魔法で治療したおかげで死ぬ心配は無い。


 彼女が賊だと判断されたのは、民家に墜落したことと地表に向けて魔法を行使したのを見た者が居たことと、連れの七人の破壊工作を見た者などから推測されたせいだ。また、唯一の生存者であることも大きかった。おかげで警備は厳重にされている。帝国との戦争が間近であるという現状、何か情報を聞き出せないかという打算も当然あった。


「確定では無いが、十中八九帝国の手の者だろう」


「それで、僕にどうしろっていうの」


 警戒するのは当然としても、城の警備や戦についてはクリアの方が遥かに詳しい。自分が担ぎ出される理由など、ケニスには思い浮かばなかった。


「頭に装着しているサークレットなのだが、外すと爆発するそうなのだ」


「それは穏やかじゃないね」


「検分していた兵士が死体から取って巻き込まれたらしい。どうにか無力化できないかと思ってな」


「うーん、魔法には詳しいつもりだけど……」


「一応、エンチャントの文字を紙に記させておいた。見てくれ」


 紙を受け取り、術式を見たケニスはその瞬間息を呑む。


「姉上、これは……」


「相当に難解で、しかも古い時代のものらしい。見た者が匙を投げるほどの、な」


「だろうね。こんなの普通の人は見ることさえないよ」


 剣の心得は最低限しかないケニスだったが、この分野は得意だった。じっくりと眺めつつ、護衛の騎士に羽ペンと紙を持ってこさせ解読を試みる。そうして二十分程した頃、ケニスは答えを導き出した。


「これ、多分爆破術式と隷属術式の二重エンチャントだ」


「『爆破』はともかく『隷属』は禁忌の術式ではないか!」


「装着させた人物に服従させるものだよ。でも、ちょっと術式が荒い。そのおかげで完全に意思まで隷属させるものじゃなさそうだ」


「解除できるか?」


「欠陥のおかげでできないことはないと思うけど……これ、術式を書き足す部分が残ってないと無理だよ」


 エンチャントは面積により限界が出る。一度サークレットを見てみないことにはケニスとしても判断ができない。


「しょうがない。ここでもまた聖剣に頼ろうかな」


「ん。一応私も行こう」


 最悪暴発しても聖剣ならその加護で耐えることができると睨み、ケニスは姉と共に鉄格子の中へと入る。念のため少女に睡眠の魔法を掛け、目を覚まさないようにしてからケニスは少女に近づき観察する。


「ん、いけそうだよ」


「本当か?」


「ちょっとまってて」


 少女の後ろに回り、魔術文字に付け加えてエンチャントの意味を変質させる。幸い、サークレットには状態を維持するためのエンチャントが施されていないためケニスでも無力化することができた。五分も経たない間に書き加え、意味を成さないものにするとケニスはソッとサークレットを頭から外す。


「ふぅ、なんとか成功だ」


「よくやった。さすが自慢の弟だ」


 ホッと安堵のため息をつきながら、クリアが弟の労を労う。


「後は眠りの魔法を解いて尋問かな」


「そちらは任せろ。得意分野だ」


 マリアードを返却して下がるケニスと入れ替わるようにしてクリアは魔法を詠唱。眠りの魔法を解除する。数秒後、覚醒した少女が薄っすらと目を開けた。真紅の瞳。背中の翼と共に魔族の証とされるルビーの如き紅が、二人を見る。その顔は、一瞬激しい怒りの相貌に変化し、すぐに沈静化した。


「……ここはどこじゃ?」


「リスティン王国の王城だ。それでお前は、ラルガス帝国の間者で間違いないか?」


「違う――」


 透き通るようなソプラノの声で、少女は言う。作り物めいたその愛らしい顔は、何が可笑しいのか薄い笑みになっていた。口調もそうだが雰囲気が見た目相応ではない。それを看破したクリアが次の質問をしようとして、しかし先に答えられた。


「――が、捕まってこき使われていたのは間違いないのう」


「原因はこれだな」


「うむ。なるほど、やはり外してくれたのか」


「自爆されると困るからな」


「そうかえ。ならば、お礼をせんといかんのう。体も直してくれたようじゃしな?」


「それはありがたい。では単刀直入に聞こうか。お前は帝国に何をさせられていた」


「カージス王の遺児の抹殺を」


 瞬間、クリアとケニスの顔が強張る。


「安心せい。とりあえずは失敗しておる。本気を出さないように抵抗していたとはいえ、ものの見事にしてやられたわ」


「そう……か」


「じゃが、このままじゃとこの国が危ないのは間違いなかろう。奴らはもう、アーカイバ領に大軍を派兵しておる。条件が整えばこの国を攻めるじゃろうて」


「その条件とはなんだ」


「知れたこと。カリス王子の逃亡、もしくは抹殺確認後じゃ」


「姉上!」


「ああ、かなり不味い」


 カリスの行方を王国はロストしている。監視させていれば良かったのだが、ブラッドソードの国内での捜索などの代替案等の指示で頭が一杯だったために遅れ、見失っていた。兵士にも探させていたが、この広い王都だ。多種族が混在し、また偽名を使う二人を探すのは容易ではなく、未だに発見できていなかった。


 そこでこの捕虜の話だ。事件は深夜に起こっていた。ならばもう、身柄は王都にあると思わない方がいいと二人は考える。夜の闇に紛れて去ったと考えるのが無難だったからだ。


「恐らく、二人はワシらの襲撃から逃れた後すぐに王都を出たはずじゃ。そのつもりで用意していたように見えたでの」


「だろうな」


 自分も間違いなくそうすると分かるだけに、クリアとケニスは二人して頭を抱える。せめて王都に居てくれれば引き止め、抑止力としてチラつかせ、時間を稼ぐこともできたが既に居ないのでは意味がない。


(各地の兵士たちに連絡して検問を……いや、駄目だ、そんなことをすれば帝国に彼らが東に逃げたことがバレてしまう)


 少なくとも逃亡先はエルフの森がある北、そして帝国の領土がある西ではないと考えられた。最後の会話で列島や南の大陸への移動も仄めかしていたからだ。移動するには船が必要で、当然海路を持つラレンツェル行きだと推測される。問題はどのルートを通るかだ。


 王都リスティーナからラレンツェルへと向かうにはいくつかのルートがある。その中でも無難なのは街道に沿って東にほぼ最短で向かうルート、そして南から船を使うルートがポピュラーだ。海運に力を入れているラレンツェルには海路という選択肢も考えられる。大規模に兵を動かせないのでいつものように単身で動くことをクリアは思案する。


 しかし、それでも東と南の二つだ。身体が一つしかない以上は片方を断念せざるを得ない。せめて城門から出ていてくれれば、兵士たちが覚えていたかもしれないが魔族とダークエルフの二人が夜に出たという証言は得られていない。少しばかり賭けになりそうだ。


「恐らく、東の街道沿いじゃな」


「なぜ断言できる」


「簡単な推理じゃよ。船は定期的に来ているとはいえ、到着してすぐ出発できるわけではなかろう? 一箇所に留まればお主らや帝国に見つかりやすくなる。ならば絶えず移動しつつ最短で国を出たいはずじゃ。それにもし港を帝国に見張られていたとしたらすぐに足が出る。東なら見張られていても街道から反れて山にでも入ってしまえば逃げやすい。何せ山狩りをしようにも帝国圏内ではないから連中も数を使えん。その隙に逃げることもできるし――」


「――ラシール殿がダークエルフだから、かな?」


「うむ。少なくとも森のあるところを通ろうとするはずじゃ」


 エルフ族は森や植物の声が聞こえる。これは森から出たダークエルフにも備わっている特性だ。逃亡の最中においてはとても有用なスキルとなる。帝国が基本的に人間を投入する戦術を取れば――ブラッドソード対策のために神剣使いを投入するという前提で考えれば捜索は難航することになる。ケニスの意見は間違ってはいないと思われた。


「帝国がサークレットを使ってエルフ族を無理やり投入することも考えられる。姉上、追うならすぐに出ないと厳しいよ」


「だな。魔物退治の旅ということですぐに出よう。急ぐから護衛はいらん」


「のう、エルフ殿。よければワシも連れて行ってくれんかのう。カリス王子に用があるんじゃ」


「それはできん。一応犠牲者とはいえ、昨日の事件の重要参考人だ」


「連れて行ってくれるなら、向こうで知った帝国のスパイの名前を教えるぞ。それでも足りんならブラッドソードを一本やってもいい」


「まさか、貴方はブラッドスミスなのですか!?」


 ブラッドソードの鍛冶師だというのであれば、カリスを追う必要はなくなる。目の色を変えたケニスに、しかし少女は首を横に振るう。


「近いが、違うのう。ワシはネクロスミス〈死霊鍛冶師〉じゃ」


「ネクロ? 聞いたことがないな。ケニスは知っているか?」


「僕も知りませんよ姉上」


「大陸の東側だとそうじゃろうな。ネクロブレイドというブラッドソードの亜種のような魔剣を作れる。ただし、これでは神剣使いには勝てんから力には成れん。で、どうじゃ」


「……分かりました。条件を飲みましょう」


「ほう、即決じゃのう」


「時間が惜しいですから」


「うむうむ。利巧な子は好きじゃ」


「しかし、条件を追加させて下さい」


「む? これ以上は暴利ではないか?」


「簡単なことです。貴方はどこの誰なんですか? それと、カリス王子に何の用があるかも教えてください」


「なんじゃ、そんなことか。ワシは西の魔族の国『マギルレイク』のネクロスミス。名はレイチェル・グレイブという」


「西の!」


 帝国が大陸の中央を席巻して以降、西と東はほぼ遮断されている。唯一ラレンツェルから船が出るが、遠すぎて時間がかかる。


「しかし、ならば何故帝国に捕まったのだ?」


「無理やり陸路を突破しようとしたんじゃよ。カリス・アーカイバが生きていると、世界を股に駆ける商人に聞いたのでな」


「なんて無茶なことを」


 それはさすがに行動力旺盛、などという言葉だけでは納得しきれないほどの衝撃をクリアにもたらす。だが、それはまだ序の口だった。


「くくっ。何せワシは彼のフィアンセじゃからのう。じゃから理由は当然、会いたいのは嫁に貰ってもらうためじゃ」


 そう言って楽しげに笑う少女に、二人は完全に言葉を失った。



 帝国領アーカイバ。かつて、魔剣王カージスが支配していたその土地は、帝国の大軍が集結していた。その数は十万を軽く超え、すぐにでも仕掛けられるほどの軍勢となって駐屯している。その中で、一際大きな天幕にやってきた大柄の男ドットレイは、片膝を着いた状態で皇帝に謁見していた。


 失ったグレートソードの刀身は既に交換され、武器としての能力を取り戻している。その身体はフルプレートの鎧で包まれ、巨大な鉄の塊にも見える。唯一武装していない頭部を見なければ、彼だと判別は難しかっただろう。


「よく戻ったなドットレイ。面を上げい」


 低く、そして若々しい声が大男の耳に届く。ドットレイはそれに答え、顔を上げる。天幕の中、男の視線は皇帝を見上げる。


 不死皇帝アグラール・ウルク・ラルガス。既に百四十を超える齢でありながら未だ三十台半ばほどの姿を持つ生粋の人間族。高名な魔法使いでさえ老いには勝てないというのに、魔法の才もないその男は絶えず神剣の加護を得ることで老いを克服していた。


 その目は鷹のように鋭く、無造作に伸ばされた金髪は後ろで縛られいる。顔つきは歳相応だったが、かつては美形だっただろうことが伺えるほど端整な顔つきをしていた。また、神剣を振り続けて国を広げてきたという事実を真実とするかのような屈強な身体からは、力強い躍動が感じられた。今は飾り気の無い全身鎧に身を包み、背中には長大な神剣を背負って簡素な椅子に座っているだけだというのに、その姿は正に武帝という言葉が相応しいほどに大きく見える。


 身体能力ではドットレイさえも子供同然にあしらう帝国最強の戦士である。その威圧感は凄まじく、謁見するたびに自らとの差にドットレイの心は震えを感じた。それは畏怖であり、そして当然のように羨望があった。その視線を一身に浴びながら、アグラールは満足げに頷いて切り出す。


「またカージスの息子を発見したそうだな。よくやったドットレイ。お前の情報のおかげで手を打つことができた」


「はっ」


「お前は運が良い。どの国に送り込んでも死なず、必ず余の元に戻ってくる。しかも行く先々で別件として奴らと遭遇し発見の報を持ってくる。ここ五年ばかりは、お前の報告が何よりも楽しみだった。お前、余の代わりに帝国を治めてみるか?」


「ご冗談を。俺は皇帝陛下の手駒に過ぎません」


「くくっ、そういう野心のないところも気に入っているぞ」


 野心、という感情そのものがドットレイには欠如している。その大望の先には、必ずや目の前の皇帝が立ちはだかるからだ。その事実を前にすれば、さすがの彼の生存本能も拒否をするのだ。神剣の加護の差。ただ強靭か脆弱か。強いか弱いか。シンプルなその物差しで計ってみれば、彼の中でそれは覆しようの無い力関係として顕現した。蹴落とすなどできはしない。


 それに皇帝には恩があった。ただの平民の戦士でしかなかった己を見出し、さらには帝国臣民が憧れる神剣の担い手として拾い上げてくれたという大恩が。


「身に余る立場など要りませぬ。神剣の授与だけで望外というもの」


「身に余る……か」


 その何気ないドットレイの言葉に、皇帝は目を細め天幕をしばし仰ぎ見る。数秒、沈黙が流れた。ドットレイはただ言葉を待ち、ただただアグラールの言葉を待った。


「ああ、やはり余はその言葉が嫌いだ」


「嫌い、でありますか」


「嫌悪していると言っても良い。ドットレイよ、『身に余る』などと一体どこの誰が決めたのだ?」


「それは己が、己自身でそう感じただけのことでありますが」


「だとしても、だ。何故卑屈になる必要がある。我はお前を認めている。戦士として、剣士として。確かに今のお前には政治などできまい。だが、お前には可能性がある。それを自ら狭めるようなことは言うな。その言葉は己に限界という枷を生み、能力の進化を阻害する。お前の好きな筋肉も成長しなくなるぞ」


「それは困ります!」


「ふははは、そうだろうとも」


 筋力は力を生む。野蛮な、ただの原始的な力を。だが、その原始的な力は個人が持ちえる武力の一つ。それに傾倒する一人として、ドットレイは顔を顰めた。


「それにな、その言葉を認めれば帝国は止まるぞ。身に余るモノを手に入れようとしているのだから」


「世界統一構想ですか」


「うむ。現状ではまだ大陸の中央だけの小王よ。しかしな、何れは世界を制する。ただの脆弱な人の王としてな」


 今は大陸の平定が目標でこそあるが、その先にはまだ三つも制圧しなければならない大陸がある。アグラールはそれらも含めて全てを傘下に治め、支配するという野望があった。今でさえも巨大な帝国を、更に大きくしようと言うのだ。身に余るなどと一々言っている暇は彼にはない。


「のうドットレイ。人間の力を信じろ。かつて古き時代には劣等人種として在ったが今はどうだ。我ら人間族は大陸最大の規模を持つにまで膨れ上がったのだぞ」


「……」


「遥か昔において人間は何も持っては居なかった。身体能力では獣人に負け、魔法技術では魔族負け、弓や森での生活ではエルフに負け、武器の製造能力はドワーフにも負け、ことごとく劣等だった。奪われ、蹂躙されるなど日常茶飯事。おまけに国を興しても維持するだけで精一杯。他国の顔色を伺い、卑屈に生きるしかなかった時代があったのだ。しかし、我らはそれら全て追い落とし、足りないものを取り込んでは勢力を拡大しここまで来た」


 万感の想いが込められたであろうその呟きは、百年以上も生きてきた年月の重みを男に感じさせる。経過した時間の中で見てきたもの。学が無いドットレイではあったが、それでも歴史に埋もれた渇望がその中に皇帝の大望を抱かせたモノがあるのだと感じ取る。


「人間は何も持っていない。持ってこないまま生まれてくる。だがな、だからこそ貪欲に全てを手に入れる可能性を持つまでに至ったのだと私は信じているのだ」


 覇気のある声で言い切り、皇帝は視線をドットレイに向ける。

 彼はただ、それに頷くことしかできない。見ている世界が違うのだ。皇帝と彼では。だが、その愚直なまでの姿勢には心惹かれるものがあった。故に彼は言ったのだ。自然と口から零れた言葉を。


「ならば陛下、会戦の折りには是非とも俺を共に!」


「良いだろう。最前線で供をせよ。精々余に置いていかれぬよう付いて来い」


「はっ!」


 喜色を浮かべて頭を下げる。騎士道などとは無縁の身で、しかし確かに忠誠心のような感情がドットレイの心を満たしていく。ならば、次の戦いは全身全霊で挑むだけ。来るべき覇道のための戦いは、すぐそこまで迫っていた。





 ケニスは書物を見てブラッドスミスの恐るべき特性を知っていた。しかし、それに類似する力をその目で見たとき、確かに微かな恐れを感じた。


「クククッ。そんなに怖いかい王子殿」


 青ざめた顔で、しかし正直に彼はレイチェルに頷いた。その彼の視線の先では、旅装束に着替えたローティーンの少女がいる。その身体からは不可思議なことに剣の柄が生えていた。それは、間違いなく約束のブラッドソードの柄だった。


 レイチェルは胸元から忽然と生えたそれを握り、見せ付けるようにしてゆっくりと引き抜く。少女の体積を完全に無視した形で現れたその魔剣は、一メートルほどの青い細身の刀身を露にする。ブラッドスミスの持つ血剣保有特性。ブラッドソードで切れないという逸話のその所以たる能力。自身の武器庫化だ。


 ネクロスミスにも備わっているというそれは、確かに見守っていた者たちの顔を驚愕に彩った。それを楽しげに一瞥すると彼女はケニスに柄を差し出す。


「ほれ、約束の品じゃ」


「重くないね」


 受け取った剣に、重みは無い。自重軽減のエンチャントが施された魔剣と比べても雲泥の差がある。その性質は彼の姉の持つマリアードとよく似ていた。


「カージス王から賜った三本の内の一本『アリマステラ』じゃ。ワシの宝じゃが、くれてやろう。大事にするんじゃぞ。加護は魔力増幅に身体能力の強化、それと氷の力を持っておる」


「魔法使い向きの加護だね。僕にぴったりだ」


「おっと、それと魔法の威力増幅効果もあったかのう」


「ありがとうレイチェル。ますます気に入ったよ」


 軽く振るい、感触を確かめたケニスが破顔する。


「じゃが、過信などするな。神剣使いと魔法使いは基本的に相性が最悪じゃでな」


「でも今は帝国に対抗するために少しでも多くの力が必要なんだ」


 表情を引き締め、ケニスは姉を見た。それに頷いたクリアが、二頭の馬の手綱を引いてくる。鞍には荷物がくくりつけられており、旅支度が整えられていた。その内の一頭の手綱をクリアはレイチェルに差し出す。


「急ごう。馬の足なら追いつけるかもしれん」


「うむ」


 馬に飛び乗り、レイチェルとクリアが城を出て行く。

時刻は昼過ぎ。実質半日以上遅れての出発だ。馬の足と人の足では違うが、ルートに間違いが無ければ普通なら追いつける。問題は説得して王都に滞在してもらえるかだったが、これはクリアの手腕を信じるしかない。


 二人を見送ったケニスは、護衛を引き連れて執務室に戻る。問題はカリスたちのそれだけではないのだ。


 各地に魔法通信で送り、ブラッドソードを買い取るかその所持者を発見するように伝令を出したのが昨日のこと。王都でも目下捜索中だったが、如何せんどこからも発見の報は届いていない。現在王国に存在するのはマリアードとアリマステラだけだ。これではさすがに勝負にならない。


 レイチェルの情報によれば、アーカイバ領に大軍が終結しているとのことだった。そこから行軍したとしても十日もあれば王都までたどり着ける。また、侵攻ルートがそれだけとは限らない。アーカイバから軍が来ると予測されるのはその経路には遮る山がないからだ。逆に、真西から攻めようとすると山を一つ越えなくては成らない。軍に負担を強いないようにするならばアーカイバから向かうと思われるが、仮にこの予測が外れて山越えを敢行されれば奇襲されることになる。大兵力は送れないだろうが、それでも王都を震撼させる程度のことはできる。そうなると、南西のアーカイバ領へ援軍を派遣する際に相当に揉めるだろう。


 国力に三倍以上の差があると予測されている中、更に神剣使いの馬鹿げた力を考えるとケニスは頭が痛かった。同盟国のエルフの国に増援を依頼したとして、王都までは三日は掛かる。仮に今日いきなり宣戦布告されたとして、途中の砦などを考慮にしても半月王都が持てば良いとさえ考えていた。押し切られればズルズルとやられる。


 収集した帝国の戦争時代の突破力は誇張が無ければそうなる。多くの者が神剣の存在を一笑したのは、占領後の統治のためにすぐに帝国が動かなかったからだ。これで、ただ強いだけだと誤認させ続けた戦略的情報封鎖能力にはケニスをして愕然とさせられた。帝国は神剣によるごり押しだけではないのだ。それ以外の戦略も絶えず鍛えている。そこに、強国にまでのし上がった要因が加わるとなると始末に終えない。


「せめて対等に戦えればやりようもあるんだけど……」


 青の目で地図を睨み、想定する最悪の状況が来ないことをケニスは祈る。

ブラッドソードを作ってもらうことをカリスに望んでいたが、レイチェルから聞いた話を信じるとするなら、魔剣王の剣を受けついたはずの彼に武器庫として力を借りたいと考える。それで神剣使いを押さえ込み、後は地の利と拠点の防衛力で戦力差を覆す。これなら篭城して同盟国からの援軍を待つという手も使える。絵空事のような戦略だったが、それができればなんとかなる。と、そこまで考えてケニスは頭を振るった。


(全ては姉さんたちが成功するか否かだ)


 ケニスにはもう一つ頭痛の種があった。レイチェルが名指ししたスパイの中に、裏切り者が居たことだ。王都で二人。そして国境の警備を任されている者で一人。三人は全て人間族の貴族であり、帝国にとっては組しやすい相手だ。何せ帝国は人間が多種族を支配するという構造の国である。逆に言えば人間以外を優遇しないのだ。スパイが人間だけだったせいで寧ろ信憑性は高い。


(豚供め、精々皮算用でもしていろ)


 とびっきりの笑顔を浮かべて対処法を決めると、ケニスは執務室を出た。向かうのは父親の居る部屋だ。今頃は帝国との開戦に向けて胃をキリキリと痛めているに違い無い。この時代に生まれたことを後悔したくなるような激務のせいで、夜な夜な王妃に甘えるその王は早く隠居したいと常々言っている。ケニスとしてはそれでも構わなかったが、せめて一番面倒くさい仕事を終えるまではがんばってもらわなければ困るのだ。心を鬼にしたケニスは、ただただ笑顔で父親の居る部屋をノックした。 








 日も高く上がった日中を、一台の荷馬車が尋常ではない速度で駆けていく。


「ああ、起きましたか若」


 二頭の馬の手綱を荷馬車から操って、糸目の商人がニッコリと僕に話しかけてきた。

 自称『世界を股にかける商人』のリック・ラックだ。糸目でぽっちゃりとした恰幅の良い魔族の商人だ。その丸顔は愛嬌があり、どこか憎めない中年親父。自称するだけあって、かつてアーカイバでは物珍しい品々を王宮で見せてくれたことはよく覚えている。


 国が健在だった頃には、魔剣を買って諸国に降ろしているとも聞いた。何度か旅の最中出会ったこともあり、昔のよしみで情報を提供してもらったりしていたのだ。


 出会ったのは偶然だった。


 王都を出て朝になった頃、東の街道で野営していた彼と出会ったのだ。おかげで朝食を供にすることができ、しかも途中まで乗せていってくれることになったのだ。


「もう街道から反れたの?」


「はい。実はこの道の方がラレンツェルへは早いんですよ。後で街道と合流しますけどね。商人がよく利用する近道という奴です」


「へぇぇ、そうなんだ」


 さすがに夜出歩いたせいで眠い。軽く欠伸をしながら、僕は周囲を睥睨する。

 街道から外れただけあって、かなり道は荒れていた。衝撃を軽減するエンチャントが無ければ、今頃は寝心地が最悪になった荷馬車のせいで僕は苦しんでいたに違い無い。


 隣では横になっているラシールが無防備な寝顔を晒している。とはいえ、その手はしっかりとシルウィンを抱いていた。何かあればいつでも反応することは間違いない。


「それにしても、速度が早いね」


「若の急いで欲しいという注文のせいですよ。普段はもっとのんびり行くんですが、サービスです。出世払いでお願いしますよ」


「あははは……」


 出世と言われても困るけど、タダででエンチャントするぐらいならできる。後で休憩時にでも請け負うとしよう。


「そろそろ帝国と王国が衝突するようですな」


「らしいね」


「おかげで少しばかり儲けさせていただきました。苦労して西の魔族の国に行っただけのことはありましたよ」


「へぇぇ、マギルレイクへ行ったんだ。やっぱり船で?」


「はい。そこで面白い娘に出会いました。何でも、若のフィアンセらしいですよ」


「はぁ?」


 当たり前だが、一途な僕にはフィアンセなど居ない。だってのに、リック・ラックは楽しげに言うのだ。


「若の生存を知らせると、旅に出ようとして家の者に取り押さえられておられましたよ。なんでも、カージス王が息子の嫁にしてやると約束していたそうで」


「何勝手に息子の嫁を決めてやがるんだ親父殿は!」


 憤慨する僕は、心の中で親父を殴る。当然親父はボコボコだ。


「西に親戚の方が居られたんですよね。知らなかったのですか?」


「親戚が居るらしいってことだけは知ってるんだけどね。そんな話は知らなかったよ。大方、驚かせてやろうとかつまらないことを考えてたんだきっと」


「随分と可愛らしい娘さんでしたよ。歳は確か六十を越えてましたかな」


「三倍以上も上じゃないか! そんなのを僕の嫁にするつもりだったのか!」


「まぁ、相手方も魔族ですしね。その程度なら大した話でもありませんよ。見た目は若よりも幼い感じでしたし、しかもグレイブ家のご令嬢ですよ」


「もしかしてネクロブレイドの?」


「その通りです。ブラッドソードが生者を材料とする魔剣なら、ネクロブレイドは死者を材料とする対極の魔剣。どちらも祖先は同じ方に行き着くのだとは聞いては居ますがね」


「うわぁ。でも、僕よりは材料が死人なだけマシなのかな」


 生者と死者。材料が生き物だってことを除けば死んでいる分まだマシだ。何せ命を奪うわけではない。その差は僕の中でかなり大きい。


「かもしません。ですが、能力に違いがあるそうですよ」


「聞いたことはあるよ。大陸の東側ではまず見ないだろうって親父は言ってたっけな」


 破壊力だけならブラッドソードには勝てないが、量産性に関してはネクロブレイドが上だという。特にその真価は戦争中にこそ発揮されるとも。ただ、普通に魔剣として使うだけなら能力にそれほど差は無いらしい。直接見たことは無いし、僕には刺さらないから気にする必要はないと思っていたんだけど……ラレンツェルから逃げる場合、いっそのこと通過して北の竜の国に行くべきかもしれないな。


「ブラッドソードもそうなのですが、基本は武器庫に貯蔵され継承されていくものです。出回ること自体が稀なんですよって、若には当然の話でしたね」


「まぁね」


 鍛造元の一族の僕だからこそ当たり前だ。顔を見合わせて笑い、会話に花を咲かせていく。マギルレイクに僕は向かったことが無い。リック・ラックの話は僕にとってはありがたい情報源の一つだ。魔族の国とはいっても、魔法技術が凄いということぐらいしか知らなかったのだ。親父は僕を連れて西に行くことはなかったし、僕自身興味を抱いた記憶が無い。


 やっぱり、僕にとってはアーカイバの魔族であるということがアイデンティティだったのだ。親戚が居るとか言われても、会ったこともない以上は興味が湧かないのも無理はない。


「しかし若は何時会っても変わりませんね」


「変わる理由が無いからね」


「それでは危険ではないですか?」


「かもしれない。でもさリック・ラック。それでいいと思わないかい? 僕は今の僕が好きなんだよ。親父は最後に僕の好きにしろって言ったしね」


「そうなのですか。いやはや、あの方らしい言葉ですなぁ」


 無頓着というか、王家の在続に拘るような気質を持っていなかったことは確かだ。ただ、それでも親父は帝国との戦争では逃げなかった。民を逃がした後、一緒に逃げることをせずに戦って果てた。


 それは、きっと親父なりの王としての意地だったのかもしれない。そう思えば、親父は国に殉じたということになる。封印を解除せず、ただただ逃げ続けている僕と違って随分と立派じゃないか。


「若がご再興するつもりならこのリック・ラック、お抱え商人として腕をふるいますのに。いやはや残念ですまったく」


「柄じゃないよ。今じゃあエンチャントスミスの方が性に合ってるんだ」


「勿体無いですなぁ」


 しみじみ残念そうに呟く彼の目には、それほどの落胆はない。予想していただろうし僕がどういう人間かを知っているからだろう。


「そうだ。ラレンツェルにさ、エンチャントスミスとして商売するとしたらどうすればいいと思う?」


「んー、若の腕次第ではありますな。今の所戦争の機運のせいで魔剣の需要が高いですし、ムッカやリスティンでは飛ぶように売れています。露天でも仕事には事欠かないはずですからね。ただ、これも帝国が勝利するようなことになれば変わってきます。そうそう、ここだけの話ですがムッカの東側の勢力にラレンツェルは肩入れしているんですよ」


「西に帝国が付いたから?」


「ええ。海を挟んで代理戦争中です。おかげでリスティン方面への肩入れも大変でして」


「西の魔族と竜の国は動かさないの? あの二国が動いたら相当なプレッシャーになるだろうに」


「どちらも基本我関せずです。貿易こそしますが、かなり保守的。帝国もまだあの二国に手を出してはいませんから大義名分が無いのでしょう。ただ、神剣については調査しているようでした」


「リック・ラックは確定だって伝えなかったの?」


「伝えましたよ。ですがそれはカージス王が死んだ時点で予想していたようです。今は念のためブラッドソードの数を増やしているところですね。ただ、ご存知の通りブラッドソードは量産には向きませんし、単一人物が五本以上所持することをあの国では基本的には認められておりませんので数を揃えることが非情に心元ないご様子でした」


「うちはそれを嫌って国を出た家柄だったらしいから違うけど、やっぱり普通は制限するよね?」


「ええ。ですので、若が入国する際はお気をつけ下さい。特例の許可でも貰わないことには罪に問われますからね」


「ははっ、取り出せないからその心配は無意味だよ」


 武器庫の封印は僕が僕であり続ける限り解けやしない。まぁ、でもこれでマギルレイクには行き辛くなっちゃったな。内心で舌打ちしながら、僕は魔族の国への渡航は諦めた。


 どちらにせよ揉めそうだ。そうでなくても利用されるに違い無い。まったく、僕には平和な暮らしが許されないとでも言うのかよ。


「それでさぁ、リック・ラック。カリスのフィアンセってどんな娘?」


「可愛らしいお嬢さんでしたよ。些か若に夢を見ているご様子で、私によく若のお話をせがんでおりました。中々面白い娘さんでしたな」


「ふーん。良かったわねぇカリス♪」


「全然良くない!」


 いきなり起き出してきたかと思えば、なんだってそれに食いつくのさ!


「どうしてよ。その娘の所に逃げ込めば安全じゃない」


「そういう問題じゃないよ。大体、紹介されてさえもいないんだぞ! そういうのはがんばって自分で捕まえるのが男の甲斐性って奴だろ」


「甲斐性ねぇ」


 僕の目を覗き込み、ジッと見つめたかと思えばラシールは噴出した。


「ぷっ、くくく。ヘタレのカリスにそんなのがあるなんてお姉さんは知らなかったわ」


「ひどっ。いくらなんでもヘタレはないだろう! 確実に僕の心を言葉のナイフで抉ったぞ! 僕の純情に謝れ!」


「そういうのは彼女を作ってから言いなさいな。カリスの癖に生意気よ。ねぇリック・ラック。貴方もそう思うでしょ?」


「さて、私はそれについてはコメントを控えさせていただきます。馬に蹴られたくはありませんのでな」


「だってさカリス」


「ぐぬぬ」


 今に見ていろ。いつかきっとギャフンといわせてやる。僕の純情に賭けてな!


「ラシール殿、若には恐らく意中の相手でも居るのでしょう。男の純情とはそういうものですからな。ここはそっとしておいてあげましょう」


「へぇー、そうなの?」


「ま、まぁね。僕だって好きな人の一人ぐらいはいるさ」


 否定する理由はないから素直に白状する。しかし、ここでそれが誰かを言う度胸は僕にはない。だってのに、なんなのさその楽しそうな目は。またか。また僕をその視線で辱めたいのか。そうなんだなラシール!


「――で、それは誰なわけカリス君?」


「そ、それはその……」


 ズズィっと距離を詰め、ラシールが尋ねてくる。そのせいで甘い吐息が鼻腔をくすぐり、なんとなく顔が顔を背けてしまう。すると、彼女はぼそりと言ったのだ。


「ヘタレ」


 あまりに直球なその言葉に、僕は振り返って叫びそうになる。でも、喉元に出かけたその言葉は何時に無く熱の篭った彼女の表情を見て消えてしまった。憂いを帯びたような、どこか艶やかな顔で言葉を待つラシールのその顔に、僕は数秒言葉を失う。


 まるで熱病にうなされたようなそれは、碧眼に宿って僕のなけなしの勇気をかき集め、僕に告白させようと攻め立ててくる。そうか。これがタイミングという奴か。ここを外せば後は無いと、そんな直感にも似た衝動が僕の心臓を弾ませる。血流は熱いほどに脈打ち、乾いた喉が潤いを求める。そうだ、今ここで言わずして何時言うのだ。


「分かった、言うよラシール。僕が世界一好きなのはき――」


「ラシール殿、さすがに魅了の魔法〈チャーム〉で白状させるのはどうかと……」


「――え?」


「あ、魔法が解けちゃったじゃない。まだ誰か聞いてないのに!」


「ラシールゥゥゥ!!」


 僕はその日、自分が魅了状態にされないと本心を言えない生粋のヘタレだと知って凹んだ。

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