233話 酔いが回ったらスキンシップも増える

「そなたの言いたいことは概ね分かった」


 麻婆豆腐を完食し、ドニスがゆっくりと頷く。


「温故知新……だったか。いいものを見させてもらった」

「味も悪くないだろう?」

「うむ。この歳になってなお、新しい物に出会えるというのは、幸せなことだな」


 その新しい物には、少しの懐かしさと、ずっと夢を見続けていまだ手に出来ていない思いが混ざっている。


「今すぐに結婚というわけにはいかないだろうが、しばらくは見守ってやってもいいんじゃないかと、俺は思うぞ」


 ドニスの言う通り、リベカもフィルマンもまだ若い。リベカは幼いくらいだ。

 しばらくは、大人たちの見守る世界で自由に生きさせてやればいいと思う。


「それならば、反対する理由もないだろう?」


 探せばあるのかもしれない。

 だが、ドニスはそれをしない。

 なぜなら、ドニス自身がそうなることを願っているからだ。


 だが、手放しで認めるわけにはいかなかった。

 だから試した。フィルマンの本気を。

 そして、フィルマンは堂々と自分の言葉でドニスに思いをぶつけた。……最後はちょっとヘタレちまったが。


 あのスピーチは、俺ですら大したもんだと思ったほどだ。

 身内であるドニスには、嬉しいものだったんじゃないだろうか。


「……仮承認、だな」


 思いは伝わった。

 だが、実力はまだまだ。そんな判断なのだろう。


「ヤシぴっぴの言う通り、当面は様子見だ。おのれの口で言ったのだ。二人とも、見事に証明してみせよ。自身の仕事を全う出来ると。二人でいることがプラスになるということを」

「「はいっ」なのじゃ」


 思わず、なのかもしれないが、フィルマンとリベカは揃って潔い返事をした。

 ここからが、ようやくスタートか。

 納得させるのに、一体どれだけの時間がかかるんだろうな。


 ドニスが手強いのは、ここからかもしれないぞ。

 気張れよ、フィルマン。


 と、なんとなく場が丸く収まりそうな雰囲気になったころ――


「一つ、よろしいでしょうか」


 バーサが静かな声で言う。

 真っ直ぐ前方を見つめるその瞳には決意のようなものが見て取れる。覚悟、と言うべきか。


「バーサか。どうしたのだ」


 ドニスはバーサと面識がある。

 麹工場と領主のやりとりはこの二人で行っていたのだ。


「領主様、私のようなものが直接ご意見する無礼、お許しください」

「よい。此度のことはそなたらにとっても重大なこと。なんでも言ってくれ」


 そんな会話に、なんとなく予感めいたものを感じていた。

 バーサが何を言おうとしているのか……


 一度深く頭を下げ、バーサは神妙な顔で口を開く。



「亜人についてのお考えを伺いとうございます」



 空気がピンと張り詰めた。

 ドニスはそのことに関して、何も言及していない。

 このまま有耶無耶にしてしまえば、とりあえず今日のところは平和に幕引きが出来たかもしれない。

 だが、リベカとフィルマンが結婚ということになれば、有耶無耶なままでは済まされない。

 バーサのヤツ、相当思い切ったことをしたな。

 リベカの将来を脅かす不安を完全に取り去ろうとしている。それで、自分が糾弾されることになろうとも……最悪の場合、破談の原因を自ら作り出すことになろうとも。

 そして、その責任を全部背負うつもりで、今バーサは口を開いている。


 ホント。母親代わりなんだな、こいつは。あの姉妹の。


「先程、領主様も口にされたアゲハチョウ人族の悲劇……貴族様と亜人の婚姻には不幸がつきまといます。世間の目もございましょう。二十四区領主であり、『BU』の重鎮でもあられるドニス・ドナーティ様が、身内に亜人を置くということ――その意味は決して軽いものではないはずです」


 亜人は貴族になれない。

 実力のあるギルド長であっても、それは変わらない。

 あのメドラでさえ貴族にはなれていない。このオールブルームへの貢献は他の追随を許さないほどに大きいだろうに。

 貢献度で言えば、ウーマロだって爵位を下賜されてもいいくらいだ。下水の有用性が王族にまで届けば、そうなってもおかしくはない。……だが、そうはならない。

 なぜなら、メドラやウーマロが獣人族だからだ。


 そんな『常識』が根付くこの街の、特に同調圧力の強い『BU』に属する二十四区。そこの古い世代の人間。ドニス・ドナーティという人物は、亜人を受け入れ難い存在であると、世間はそう思うだろう。


 だが……


「ワシの跡取りが惚れたのは、亜人などという者ではない。ただの、獣人族だ」


 マーゥルが、しっかりと仕事をしてくれていた。


「そなたは知らぬかもしれんが、貴族の中でも獣人族を気に入って傍に置く者がおるのだ。ワシはそれを素晴らしいと……いや、羨ましいと思った」

「羨ましい……ですか?」

「ワシのように、古くから街を見つめ続けておるとな、どうしても過去と現在を比較して物事を考えてしまうのだ。これはもはや呪縛だ……その呪縛から逃れられた者がいる。それは、羨むに足ることだ」


 ドニスの立場では、マーゥルのように興味の赴くままに行動することは難しいのだろう。

 そういう点で言えば、ルシアはかなり頑張っている方なのかもしれない。まぁ、あいつは元が変わり者だからな。

 それを羨ましいと思ってしまうのもまた、分かる気がする。


 マーゥルの手紙は、そんなドニスの背中をほんの少しだけ押したのだろう。

 やりたいと思ったことが、やるべきだと分かったのならば、今が足を踏み出す時だと。


「ワシも長らく、亜人などという呼び名をどうにかしたいと思っておった身でな……まぁ、なかなか難しい問題ではあったのだが……」


 ゆっくりと、ドニスの視線が俺へと向けられる。


「旧知の者に教えてもらったのだ、『面白い男が、この街に素敵な贈り物をくれた』と」


 それは、俺に向けられた言葉。

 打算のない、素直な称賛。


「たかが呼び名――だが、その『たかが』を生み出すことが、ワシらには出来なかった。何十年も。それを、その男はやってのけた」


 その贈り物というのは、『獣人族』という呼び名のことなのだろう。

 思いつきで適当に言い始めたことなのだが……


「私も、『獣人族』という呼び名を高く評価しております。魔獣除けの壁に次ぐ偉大な発明であると」


 バーサは微笑むこともなく、静かな佇まいでそんなことを言う。

 魔獣除けの壁って、外壁に使われてるヤツだよな? それのおかげでこの街は魔獣の襲撃から守られている。

 そんな大層なもんと肩を並べるようなことじゃないと思うんだけどな、呼び名くらい。


「確かに、貴族の中にはワシとは異なる考えの者もおるだろう。何かにつけて口を出してくる連中も、おるやもしれん」


『亜人を嫁に迎えた』と、関係のない連中がドニスを攻撃することがあるかもしれない。いや、きっとあるのだろう。直接間接を問わず。

 勢いのある四十二区の領主に不当な圧力を掛けてくるような連中だからな。


「だが、それだけのことだ」


 それは、ともすれば区を破綻させるほどの制裁を加えられかねないことであり、権力から突き落とされかねないことでもあり、攻撃出来る材料を与えればどこまでも食らいついてくる貪欲な連中にその隙を与えるということになる。

 だが、それでも、ドニスは泰然と構えている。

「それだけのことだ」と、言ってのける。


「ワシが何よりも望んでおるのは、この二十四区に住む者すべての幸せだ。そこには当然、我が跡取りも、その跡取りが惚れ込んだ一人の獣人族も、そして、そんな彼女を大切に思うそなたらも含まれておる」

「領主様……」

「外野がいかに騒ごうと、その者たちの幸せに比べれば、そんなものは些末なことだ」

「……お言葉、ありがたく…………」


 唇を噛みしめ、バーサが俯く。

 バーサ自身も獣人族であり、過去に様々な経験をしたのだろう。そんな思いをリベカやソフィーにはさせまいと、ずっと頑張ってきたのだろう。

 バーサの体が小さく震えている。

 その震えは、長きにわたる苦労が報われたことへの――世界が変わり始めたことへの喜びの表れ、なのかもしれない。


「領主……ドニス様………………渋いっ」


 ……あ、違うかも。

 なんか、すげぇ硬く拳握っちゃってるし。


「ぁはぁ…………大人な男性も……いいっ!」


 あぁ……なんか嫌な呟き聞こえちゃったなぁ……

 小指を口の端で咥えるのやめてくれるかなぁ。


「でも私にはヤシロ様が…………やめてっ、私のために争わないでっ!」


 ドニスと協力して、どこかに埋めに行こうかな。いや、マジで。

 幻覚が見え始めてるって、きっともう末期だから。


「…………私、二人までなら同時に愛することが出来るかもっ?」


 なんか最低なこと言い出したぞ!?


 おい、誰か止めろ――と、身内のリベカとソフィーを見ると……アイツら、揃って耳をクルクル丸めてやがった。

 あれ、完全に聞こえなくなるヤツだ。

 責任持てよ。お前らの身内だろ。


「……よかった、いざという時のために勝負パンツを穿いてきておいて……っ!」


 聞きたくなかったな、その情報!?


「ヤシロ様! お話が!」

「聞きたくない!」


 目が血走り始めたバーサを一喝して黙らせる。

 まったく、このババアは……


「勝負パンツは、ジネットのだけで十分だ!」

「ほにゃぁあ!? な、なにを、急に、い、言い出すんですか!?」

「あれ、今日は違うのか?」

「違っ、…………ぃ、ません……けどもっ! もう! 懺悔してください!」


 お玉をぎゅっと握りしめて、反対の手で俺をぽかぽか叩いてくる。

 こういう時お玉で攻撃してこないのがジネットだよなぁ。エステラなら、確実に手に持っている物を武器にしやがる。


「ナタリア。二本貸してくれない?」

「投げナイフにしますか、ツイスト・ダガーにしますか?」


 ヤツめ、手に持ってない武器を要求しやがった!?


「ツイスト・ダガーで」


 しかも殺傷能力の高い方を選びやがった!?


「ヤシロ。話があるんだ」

「お前にあるのは話じゃなくて殺意だろうが!」


 なぜ俺がそこまでの殺意を抱かれねばいけないのか……理解に苦しむ!


「四十二区の恥部を広めないでくれるかな?」

「エステラ、お前っ! ジネットの勝負パンツを恥部扱いするのか!?」

「恥部は君だよ、ヤシロ!」

「ジネットはそんなに恥ずかしいパンツを穿いていると、そう言いたいのか!」

「聞けぇ、ボクの話をっ!」

「ヤシロさん、懺悔してくださいっ!」


 わざわざお玉を置きに行って、両手でぽかぽか俺を叩くジネット。

 ジネットがこんなにもスキンシップを取ってくるなんて、やっぱり外出って開放的になるんだなぁ。


「ヤシロ……その『癒されるなぁ~』みたいな顔のまま棺に納めてあげようか?」

「落ち着けエステラ。そもそも悪いのは俺じゃない。バーサだ」

「あれは…………まぁ、乙女心と、いうことで…………なんとか消化したよ、ボクは」


 お前は外の人間に甘過ぎる!

 バーサはもっと糾弾されて然るべきなのにっ!


「こら、ヤシぴっぴよ」


 ドニスが険しい表情で俺を睨んでいる……が、『ヤシぴっぴ』のせいで威厳も迫力も八割減だ。


「戯れも大概にせんか」


 ゆっくりと立ち上がるドニス。

 一歩一歩、大地を踏みしめるように俺へと近付いてくる。


「ミズ・クレアモナというフィアンセがいながら、他の女に体を許すとは何事かっ!? 恥を知れ!」

「なんかいろいろ間違ってるぞ、お前!?」


 誰がフィアンセだ!?

 そして、体を許すってなんだ!? ただのスキンシップだっつうの!


「あふぅ……急に立ちくらみが……と、言いつつヤシロ様へ寄り添う私……」

「ナタリア、面白そうだからって引っかき回すな……」

「……急な立ちくらみ」

「あぁ……お兄ちゃん支えてです……」

「お前らも乗っかるな、マグダ、ロレッタ!」

「なぁヤシロ! 立ちくらみってどうやったらなれるんだ!?」

「たぶんお前には無縁のものだと思うぞ、デリア」

「私も立ちくらみした~い☆」

「いやマーシャ、お前立てないじゃん!?」


 あぁ、うるさい!

 遊べそうな空気を感じたらここぞと出てきやがって!


「こういうのに乗っからないのはベルティーナとミリィだけだな」

「ぁう……みりぃは、その……はずかしい、から……」


 いいんだよ、ミリィはそのままで。

 で、さっきから妙に大人しいベルティーナはというと……机に突っ伏していた。


 って、おい!?


「ベルティーナ!?」

「シスター!?」


 酔ってないか、あいつ!?

 ノンアルコールだぞ!?


 突っ伏すベルティーナに駆け寄る俺とジネット。

 ジネットがそっとベルティーナに触れる。


「シスター、大丈夫ですか?」

「はぃ……らいじょうぶ……いぇ、大丈夫です」


 酔ってるな……でもなんで?


「すみません……あの、なんといいますか……宴の雰囲気で、少し……」

「あぁ……雰囲気で酔っちゃうヤツってのはたまにいるからなぁ」

「でも、気分は悪くないので、楽しい気分ですよ……うふふふ」


 さして面白くもないこのタイミングで漏れ出す笑い。

 完全に酔ってるな。


「シスター、少し中座して中で休ませていただきましょう」

「そうですね……その方がよさそうですね」


 ジネットに言われ、ふらつく足で立ち上がるベルティーナ。


「きゃっ」

「危ねぇ!」


 椅子の脚に躓き、大きく体勢を崩す。

 間一髪体を支えることが出来たが…………柔らかいなぁ。


「ヤシロさん……『めっ』ですよ」

「いや、これは、ほら……不可抗力だ」


 ベルティーナに軽く睨まれる。が、腕を伸ばした位置が悪かっただけだ。故意ではない。

 といっても、ベルティーナも怒っているわけではない様子で、体を起こすとにっこりと微笑んでくれた。


「ありがとうございます。助かりました」

「いや、こちらこそありがとう」

「そういうことを言うから『めっ』なんですよ」


 怒られた。

 けれど、頬を薄く染めるベルティーナは可憐さを纏っていて、この顔でなら何時間でも怒られていたいもんだ。


「あの、ヤシロさん……」


 心配するジネットをよそに、ベルティーナは俺に体を寄せてくる。

 な、なんだ? 本当に結構酔っ払ってて、甘えん坊モードが発動したのか?

 周りの連中も、ベルティーナのすることなので下手に口を挟めないでいる。


「……一つお願いがあります」

「え?」

「私も、ジネットのために…………」


 そう言って、耳打ちされた言葉に思わず驚いた。

 ベルティーナがそういうことを言うのは珍しいから。


「……出来るのか?」

「これでも、長く母親代わりをやっていますので」


 自信があるようだ。

 酔いさえ覚めればなんとかなるだろう。


 じゃあ。


「ナタリア。ベルティーナを頼む。あ、デリアとミリィも手伝ってやってくれ」

「え、あの、ヤシロさん。シスターのことならわたしが……」

「ジネットは、もうちょっとここで俺を手伝ってくれ」

「そ、そう……ですか?」


 弱ったベルティーナを放っておけないジネット。

 だが、ベルティーナたっての希望でもあるんだ。お前はここに残っておいてくれ。


「とりあえず、俺とジネットが『ふしだらな関係』でないことを証明しないといけないしな」

「ふ、ふしっ……!? あ、ぁああの、あのっ、そ、そのようなことは決して! わた、わたしは、あの……アルヴィ……スタ、スタ、スタン、タンタン……あのっ!」

「いや、落ち着け。そこまで疑惑の目は向いてないから」


 盛大に慌て始めるジネット。

 その隙に、『仕込み』の必要なメンバーが教会の中へと入っていく。


 しっかり頼むぜ、みんな。



 ここまでは、リベカとフィルマンの戦いだった。

 麹工場の未来をかけた戦い。

 自分たちの幸せをかけた戦い。

 ドニスは、まだ完全ではないかもしれないが、随分と好意的な意見を現段階で持っている。



 ならば、ここからは俺たちの戦いだ。

『BU』との交渉を有利に進めるために、ドニスをこちらへ巻き込む。

 そのためにフィルマンの戦いに協力してやったのだ。


 さぁ、動くぞ。

 一気に畳み掛ける。


 その合図として、エステラに視線を向ける。

 ――と、顔を逸らされた。


 ……おい。


「なんで目を背ける」

「べ、別に……」


『別に』の顔じゃねぇだろ、それは。

 フィアンセとか言われて意識してんじゃねぇよ。

 ドニスはちょっと極端なラブ思考を持ってる一本毛なだけだっつの。


 しょうがねぇな。俺が仕掛けるか。


「ドニス」

「女にだらしない男はしゃべりかけないでくれ。同類と思われる」


 バーリア! ――じゃねぇんだわ!


「お前の悩みを解決したら、こっちに協力するって約束だろうが!」

「ワシの悩みはまだ解決しておらん! フィルマンが身を固め、きちんと跡目を継ぐまでは不安の種は尽きんわ」

「そのきっかけを作ってやったろうが!」


 フィルマンの駄々の元は除去してやった。

 あとは、フィルマンたちが自分で決めるさ。

 何年か経てば、きちんと身を固めて跡目を継ぐことだろう。


 だが、こっちはそこまで待っていられない。

『BU』からの賠償金請求とかいうふざけたもんを撤廃させなきゃいかんのだ。


「ドニス、俺は『BU』の固定観念をぶち壊すぞ」

「それはまた、大胆な宣戦布告だな」


 ドニスは意外とデカい。

 俺よりも数センチほど背が高い。そして、がっしりとした体をしている。

 なので、威圧感も迫力もたっぷりだ。


 そんな大迫力の一本毛を睨みつける。


 お前の価値観をぶち壊して、儲けさせてもらうぜ、ドニス。


「まずは、大豆生産量の制限を解除して、豆腐を流通させてもらうぜ」

「そんなことをすれば、他の区が黙っておらん。各区の豆の生産量は統一されており、故に、我が二十四区で採れる大豆は味噌や醤油と使用用途が決められておる。ワシ一人の意見ではどうしようにもないルールだ」

「それを曲げろっつってんだよ」

「曲げようにも、畑がないのでな」

「他の区に作らせればいい」

「はっはっはっ! 我が区の財産を他区へ流出させろというのか? もしそうなる時は『BU』が崩壊した時。そうなれば、我が区は壊滅だ。到底協力出来る話ではない」

「『BU』は残すさ」

「ん?」


 俺が壊したいのは、『BU』の古臭い固定観念だからな。


「古い世界から一歩踏み出した先にある新しいものを、俺が見せてやる」

「ほぅ……」


 もちろんそいつは、ただ新しいだけではなく、古きを尊び、学び、活用した技術による改革だ。


「四十二区が見てきた景色を、お前にも見せてやる」


 花火だ、結婚式だと、外部から眺めてやっかむのではなく、お前もこの中へと入ってこい。


「ウーマロ!」

「はいはいッスー! 準備万端ッス!」


 大きなシートで覆われていた立ち入り禁止区域に、ウーマロとハムっ子たちがずらりと並ぶ。


「何を始める気だ?」

「お前に見せてやりたいのさ、未来の可能性ってやつを。フィルマンとリベカもしっかり見ておけ。それからソフィーとバーバラもな」


 ハムっ子たちが四十二区、そして二十四区のガキどもを呼び集める。

 シートの前にガキどもが群がる。


 やはり、こう並ぶと……嫌でも目立ってしまうな、二十四区のガキどもの傷付いた体は。

 ドニスの表情を窺うと、やはり、眉間にしわが寄っていた。


「ドニス。お前があのガキどもの将来に何かをしてやるとしたら、どんなことをする?」


 体のどこかにハンデを背負ったガキども。

 そんなガキどもに何かを出来るとすれば、この区の領主はどうする。


「うむ……予算を度外視するのであれば、あの者たちにも歩きやすい街へと作り変えるな。目が見えない者のための手すりや道しるべ、足がない者のための腰掛けを街のいたるところに設置して、それから……」

「ドニスおじ様。過ごしやすさも必要ですが、彼らの自立を促すことも大切だと思います」


 バリアフリー方面へ思考が傾いていたドニスに、フィルマンから意見がもたらされる。


「職業訓練などを行い、可能な限りの自立を促すべきです。彼らはいつまでも庇護下にいられるわけではないのですから」

「しかしのぅ……あまりに好待遇過ぎるのもどうなんじゃろうか?」

「え……それは、どういう?」


 フィルマンの意見に異を唱えたのは、リベカだった。


「あの者たちに庇護が必要なのは分かるのじゃが、この街の住人はあの者たちだけではないのじゃ。もし、街全体をあの者たちに合わせて作り変えてしまうとすれば、他の住民たちは住みにくくなってしまいはせんじゃろうか?」

「いえ、でも、普通の者たちは彼らに合わせて……」


 リベカに反論されて慌てたのであろう、フィルマン。

 思わず口をついた言葉に、ソフィーが反応する。


「普通です!」


 耳を逆立て、これ以上もない大きな声で。


「あの子たちは、普通ですっ!」


 そう。

 そういうことだ。


 自分の失言に気が付いたのだろう、フィルマンは顔を青くして慌てて頭を下げた。


「そういうつもりではなかったのですが……不適切な言葉でした。すみません!」

「いえ……私も、大きな声を出してしまいまして……申し訳ありませんでした」


 普通かどうかと言われれば、普通では、ないのかもしれない。

 けれど、決して劣っているわけではない。

 ドニスの言葉を借りれば、それは『個性』だ。

 少々個性的な、普通のガキどもだ。


「なるほど……この問題はなかなか難しいようだ」


 ドニスが挙げた案は、自分でも言っていたように予算を度外視した理想論だ。

 なかなか実現させるのは難しい。

 その上、二十四区にそういった設備を充実させてしまうことは、「お前たちはここにいろ」と、閉じ込めておくことになりかねない。


「では、逆に尋ねよう。ヤシぴっぴ。そなたなら、あの者たちの未来のために何をしてやれる?」


 ドニスが俺に尋ねてくる。

 そうだな。

 あえて正解を挙げるのだとすれば……


「ソフィーの言っていたことが一番近いかな」


 合図を送ると、ハムっ子たちが巨大なシートを剥ぎ取っていく。

 中から現れたのは、大きな二つの、木製の遊具。


 一つは、クローブジャングルという、丸いジャングルジムがクルクル回転するヤツ――を改造したもう少し安全な遊具。

 座面に背もたれを取り付け、踏ん張りの利かないガキでも安全に座れるようにしたものだ。

 クローブジャングルとコーヒーカップを合体させたような仕上がりになっている。


 もう一つは、箱型シーソー――の、デカいヤツだ。

 遊園地にあるバイキングという乗り物の小さいヤツ、とも言える。


 横回転手と縦揺れ(回転まではいかない)、その代表的な遊具だ。幼い日に遊んだ記憶があるヤツも多いだろう。


「さぁ、ガキども! ウーマロお兄さんの言うことを聞いて、順番に仲良く遊ぶんだ!」

「「「「ぅわっはぁ~い!」」」」

「ちょっ、ちょっと待つッス! 勢いがあり過ぎぶべぁっ!?」


 ガキの群れが全力でウーマロに突進していく。

 あれだけ元気があれば存分に楽しめるだろう。


「それじゃあ、最初のグループは中に座ってしっかり掴まるッスよ! 絶対立ち上がっちゃダメッスからね!」

「「「「ぅははーい!」」」」


 ウーマロお兄さんの言うことをよく聞いて、ガキどもが遊具を初体験だ。

 ハムっ子四人が外からクローブジャングルを掴み、一斉に駆け出す。

 途端に、中から悲鳴と歓声が聞こえ始めた。


「随分と早く回るのだな」

「あの主軸に秘密があるんだよ」


 あの主軸と胴体を繋いでいるのは、ノーマたち金物ギルドの力作、コロベアリングだ。

 本体と軸の摩擦を限りなく少なくして、少ない力で回転させることが出来、なおかつ安定感も増す。

 大量にガキが乗って満席になったって、余裕で回すことが出来る。


 同様に、箱型シーソーもベアリングの力でスムーズに動き出す。

「きゃーきゃー!」と楽しそうな声がして、順番待ちのガキどもがキラキラした目でそれを見守っている。


「なるほどな……普通、か」


 ドニスが騒ぐガキどもを見て呟く。


「こうして眺めていると、どちらの子たちも変わりなどないように見えるな」

「そうですね。あの子たちの笑顔……どちらも変わらず、素敵だと思います」


 ドニスとフィルマンが、はしゃぐガキどもを見てそんな感想を漏らす。


 ガキどもはどいつもこいつも、同じような顔をして笑っている。

 初めて経験する速度や動きに、心の底から声を出している。

 結局は、一緒なのだ。

 楽しければ笑うし、悲しければ泣く。感動したら、思わず声を出してしまう。


「あいつらは、自分が他人と違うなんてこと、重々分かってんだよ。その上で、自分の生き方を探している」


 誰に「あれしなさい」「これなら出来るよ」「あなたの人生を示してあげる」なんて言われなくても、あいつらは自分で生きていける。

 ただ、そのためにはいろいろ不便なことがあるのは事実。だから。


「俺たちは、あいつらが何かをやりたくなった時に支えてやれるような、受け皿を作っておいてやればいいのさ」


 前例がないから出来ない。

 自信がないから難しい。

 そんなことがなくて済むように。


 少なくとも、今日以降、この教会が以前のように重い鉄門扉を固く閉ざすことはなくなるだろう。

 あのはしゃぎ回るガキどもを見て、誰が哀れに思うだろうか。誰が蔑んだりするだろうか。誰が、あいつらを傷付けようと思うだろうか。


「ミスター・ドナーティ」


 エステラが、領主の顔つきで俺たちの前へとやって来る。

 そして、笑顔の絶えないガキどもを見て、しっとりと微笑む。


「あれが、ボクたちの目指す未来です」


 最貧区と言われていた四十二区の、明日の飯すら危うかったガキどもと、スラムの住人として忌避されていたハムっ子たちと、深い傷を負った二十四区のガキども。

 そんなガキどもが入り乱れて、一緒になって、同じ物で同じ笑顔を見せている。


「可能性は無限大です。その可能性の幅を広げるために、ボクたちは、今出来ることに全力で取り組んできたんです。未来を切り拓くために」


 四十二区の躍進は、そうしてもたらされたのだと、エステラは力強い瞳で訴える。

 そして、白くしなやかな指を揃えて、ドニスの前に手を差し出す。


「協力してください。ボクたちと、あなたたちのために。そして、――未来ある彼らのために」

「……うむ。そうだな」


 うっすらと笑みを浮かべて、ドニスが、エステラの手を取った。


「ワシも、少し興味が湧いたよ。そなたらの言う未来の姿に」

「光栄です」


 手に力を込め、しっかりと握手を交わす。


 はぁ……なんとかドニスを丸め込むことが出来た。

 いろんな連中の力を借りて……つか、無理矢理巻き込んでようやくだ。


 そんなあれやこれやの過程の後で、ここ一番のおいしいところを掻っ攫っていったエステラだが、やはり最終的な決定は領主の仕事だからな。よくやった。


「では、この握手を祝して、もう一騒ぎといきませんか?」

「もう一騒ぎとな?」


 エステラがこちらへ視線を寄越す。

 まぁ、準備は整っているだろう。


 ジネットとエステラ以外の面々は、それぞれこっそり、順番にこの場を離れていたし……


「あれ? そういえば、みなさんはどこに行ったんでしょうか?」


 ガキどもが遊ぶ遊具を夢中で眺めていたジネットだったが、ここにきてようやく人が減っていることに気が付いたようだ。

 不安そうな顔で俺を見るジネット。

 思わず、エステラと笑みを交わしてしまった。

 ふっふっふっ。盛大に驚くがいい。


 懐から取り出した竹笛を高らかに吹き鳴らすと――


「……わぁっ!」


 ジネットがその光景に感嘆の声を漏らす。


 教会から、マグダたちがぞろぞろと出てきたのだ。

 全員、浴衣姿で。華やかに。


 浴衣姿の美女たちが、ウーマロの用意した屋台へと向かい、開店準備を始める。

 その中にはベルティーナの姿もある。

 ジネットに、自分の作った料理を食べさせたいと、さっき名乗りを挙げたのだ。

 絶対食う側に回ると思って、声を掛けないでおいたんだが……張り切ってるな。


 そして、初めて見るベルティーナの浴衣姿だが……いいな。大人の女性の慎ましやかな色香がそそる。

 甘酒でほろ酔いなところも高得点だ。


「あ、あの、ヤシロさん。これは?」


 おろおろしながらも、わくわくするジネット。

 うんうん。いい表情だ。

 あ~、悪巧みって面白い。


 ドニスやフィルマンも何が始まるのかと興味津々だ。

 リベカは、屋台と遊具、どちらに行くべきかを悩んでいる様子だ。


 やるべきことはやった。

 あとやるべきことは……、盛大な打ち上げ、だな。


「それじゃあ、ヤロウども! 祭りの始まりだ!」

「「「「おぉー!」」」」



 高らかに叫んで、『宴』は最高潮を迎える。






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