205話 赤い扉の向こう

 はぁ……来てしまった。


 大失恋をしたフィルマンは、館に帰るなり「……将来について真剣に考えます」と、自室にこもってしまった。

 その絶妙な言い回しと、これまでにない真剣な表情から、ドニスは『俺たちにとって』都合のいい勘違いをしてくれたようで上機嫌だった。

「そなたらに任せて正解だった! フィルマンの答えが出たら、共に宴を開こう」……なんて言っていた。……『答えが出たら』って…………最悪の答えが出ても、一緒に宴開かなきゃいけないのかねぇ、『精霊の審判』的に。


「俺の経験上、初恋に破れた思い込み暴走ピュアボーイは、結構な時間殻に閉じこもり『世界から見放された孤独な自分(僕のことなんか誰も理解してくれないモード)』に浸るものだ。……時間はまだあると言えるだろう」

「それは、経験則かな?」

「俺がそんなセンチメンタルなことすると思うか? 時は金なりだぞ? 何人かの知人を見てきた結果だよ」


 中学の頃、フィルマンと同じような病を患う連中が少なくない人数存在した。

 俺の知る限り、初恋が実ったヤツは一人だけだ。その一人も、付き合い出して数ヶ月後には性格の不一致(勝手に抱いていた理想像との激しい乖離)によって破局していた。

 そうやって破れていった連中は漏れなくずどーんと落ち込んでいた。程度の差はあるにせよ。


「そういう友人を見てきたから、フィルマン君に同情したのかい?」

「バカ言え。あいつのためじゃなく、四十二区の――ひいては俺のために行動するんだよ」

「そうだったね。君の行動原理は『そういうことになっている』んだっけね」


 ……ちっ。

 知った風な口を……


「で、会ってどうするつもりなのさ?」


 エステラが、目の前にそびえる高い塀を見上げて言う。


「さて……どうしたもんかな」

「ノープランなのかい?」


 当たり前だろ。こんな展開は予想だにしていなかった。

 フィルマンがフラれて傷心――ってとこまでは読めても、まさかこの俺がフィルマンを元気づけるために行動を起こすだなんて、どこの世界の神様だって予測出来なかったろうさ。


 俺が一番驚いてるっつうの。


「とにかく、ここにいるんだ。リベカの思い人がな」


 俺たちは、二十四区の教会へと来ていた。

 ナタリアには、フィルマンがバカなことを仕出かしたりしないように見張らせている。

 具体的には……自作の失恋ソングを弾き語りし始めたりしないようにだ。そんな歌が出来ちまったら、確実に聞かされる。目に見えている。阻止せねばっ!――と、ナタリアには伝えてある。

 ……まぁ、命を粗末にすることはないと思うが、念のためな。


「とりあえず入ってみよう」

「……そうだな」


 俺たちが教会の前で立ち止まっていたのは、何もフィルマンごときのために行動しちまっている現在の自分に落胆しているからだけではない。

 物々しいまでに重厚な赤い鉄の門扉が、俺たちの行く手を阻んでいるからだ。


 そびえるような高い塀に、重厚な赤い鉄門扉。


 二十四区の教会は、まるで部外者をシャットアウトするような、なんとも閉鎖的な印象を与える佇まいだった。


「教会ってのは、来るもの拒まず、もらえるもの拒まず、払いそうにないヤツからもお布施をむしり取る社交的な場所じゃなかったっけ?」

「三つの内、最初の一つには賛同出来るね。後ろ二つは保身のためにノーコメントとしておくよ」


 バカだな。後ろ二つが教会の本質なんだろうが。


 しかし、この教会はあまりにも異常だ。

 これじゃまるで……


「牢屋だな」

「小さな町のようだね」


 エステラと意見が分かれた。


「脱走しないように厳重に警備してんじゃないのか?」

「部外者が立ち入らないようにしているんだと思うよ。この中にいるのは犯罪者ではなく、聖職者と、その庇護下にいる者たちなんだから」

「俺なら、半日と待たずに抜け出すけどな」


 教会なんて場所に閉じ込められたら、俺の中の何かが浄化されちまう。

 

「何をそんなに警戒しているんだ?」

「ボクにも分からないよ。父とは違って、この街に来るのは初めてだからね」


 エステラは領主になって日が浅い。

 近隣の区には挨拶回りもしたようだが、遠く離れた区には手紙で領主交代の知らせを送っただけだという。


「あ、でも。王都には行ったよ。直接挨拶しておかないと、いろいろまずいからね」


 と、少々自慢げに語るエステラ。

 王様ってのに会ったのがそんなに誇らしいのか?


「じゃあ、エステラは王族と顔見知りなんだな。今度紹介してもらおう」

「まぁ、無理だね。聞く耳を持ってもらえないだろうし、今のところ君を王都に近付ける気はない。……四十二区が消滅してしまわないためにもね」


 小憎たらしいウィンクを飛ばしてきやがる。

 なんだよ。俺が王族に会うや否やケンカをふっかけるとでも思ってるのか?

 バカだなぁ、そんなことするわけないだろう?


 ほんのちょっと詐欺にかけてお金を拝借するだけだよ。


「とりあえず、シスターに会ってみよう。門扉は閉ざされていても、教会は信者を拒絶したりはしないだろうからね」


 信者ではない俺はどうなるんだろうな、という問いは言わずに、エステラに続いて赤い鉄門扉へと近付いていく。

 外門のように巨大な門扉ではなく、俺の背丈よりもほんの少し大きい程度なのだが、それでも十分に重そうだ。

 こんなもんを開け閉めして外出するのは面倒くさいだろうな。

 そんなことを俺が考えている間に、エステラは鉄門扉の横にぶら下げられていたドアノッカーを打ち鳴らした。

 金属がぶつかり合う甲高い音が鳴り響く。


「どちら様でしょうか?」


 鉄門扉の上方、ちょうど目線に当たる部分に小さな小窓があり、そこが開いて中から女の瞳が覗いてくる。

 エステラに似た、赤い瞳がこちらを窺うようにじっと見つめる。

 マンションの新聞受けくらいの大きさなので、覗き込まれている感が凄くして……ちょっと不快だ。

 ガッチガチの警戒態勢だな。


「はじめまして。ボクはエステラ・クレアモナといいます。中に入れてもらうことは可能ですか?」


 初対面用の領主スマイルを浮かべて、エステラがスマートに挨拶をする。

 だが、覗き窓の向こうの瞳は怪訝そうに曇り、エステラと俺を順番にチラ見した後で、淡々と拒絶の言葉を寄越してきやがった。


「申し訳ありませんが、外部の方を敷地内に入れるわけには参りません。お引き取りください」

「え……っ?」


 パタンと、覗き窓が閉まる。

 なんともあっけなく、そして冷淡に突き放されてしまった。


 一見さんお断り…………格式高い料亭かよ。

 偉いさんの紹介がないと入れないってのか?


「あ、あの、すみません!」


 再度エステラがドアノッカーを打ち鳴らす。


「……なんでしょうか?」


 再び覗き窓の向こうに怪訝そうな瞳が現れる。

 呼べば出てくるらしい。それも、あと何回通用するかは分からんが。


 エステラもそれを分かっているのか、慎重に説得を試みる。


「あのですね、ボクは四十二区の領主で、現在、二十四区領主ミスター・ドナーティの館にお邪魔しています。話したいことがありましたので」

「では、領主様のお館でお話しください。……では」

「待ってください!」


 隙あらば話を打ち切ろうとする怪訝な瞳に、エステラは早口で捲くし立てるように語り聞かせる。


「ミスター・ドナーティに会う前に、麹工場でリベカ・ホワイトヘッドさんにも会いました。その関連で少し伺いたいことがありまして。これは、ミスター・ドナーティにも関連することですので、なんとかお話を聞いていただけませんか!?」


 我々は二十四区のために行動しているのだ――と、エステラは訴える。

 領主と麹職人の名を出せば、二十四区の住民なら誰でも協力的になるだろう。

 まして、それが教会という平等と慈悲と建前の塊みたいな組織であればなおさらだ。


 ……と、思ったのだが。


「……リベカに何かを言われたのですか…………では、なおのことお会いすることは出来かねます。お帰りください」


 無情にも、覗き窓は閉じられてしまった。


「………………えぇ~……」


 理解出来ないとばかりに、エステラの喉から聞いたこともないような落胆の声が漏れる。

 肩を落として、しばらく閉ざされた覗き窓を凝視していた。


 それにしても……リベカの名を口にした瞬間に歪んだあの瞳……なんとも言い難い感情を感じた。

 ただしそれは、「嫌悪」や「侮蔑」ではなく、――「戸惑い」や「申し訳なさ」のような色合いに見えた。……まぁ、目の色だけじゃ正確に判断するのは難しいけどな。


「……どうしよう?」


 背を丸めた情けない格好でこちらを振り返るエステラ。

 こうなったら、ドニスでも引っ張ってきて領主命令で強行突破するか……


「ミスター・ドナーティに紹介状でも書いてもらえばいけるかな?」

「いや、それならドニスの名前を出した時点でもう少し手応えがあってもいいはずだ。あの反応を見る限り、領主の力では動かせそうにないぞ」

「じゃあ、もっと上の権力を…………王族、とか?」


「確かにお顔は拝見したけれど、顔見知りなんておこがましいことが言えるような仲じゃないし……」などと、エステラがぶつぶつと泣き言を言い始める。

 王族の命令なら聞かざるを得ないかもしれない……が、こんなことのために王族を動かす方が骨だ。

 だとすれば、今俺たちに動かせる権威を考える方が………………あ。


「あるじゃねぇか、紹介状」

「え?」


 すっかり失念していたが、俺はちゃんと紹介状を受け取っていたのだ。

 その紹介状は、今現在もしっかりと俺の懐にしまわれている。


 重要な書類を肌身離さず持ち歩けるように細工を施した俺の上着。

 着心地も重視した改良を施したために懐に手紙を入れても違和感がない。

 おかげですっかり忘れていたぜ。


 懐から手紙を取り出すと、エステラの顔に喜色が浮かぶ。


「あっ、あの時の!」


 そう。こいつは以前、ベルティーナが「懇意にしているシスターがいるんですよ」と、書いてくれた紹介状だ。

 もしかしたら、こうなることを想定してわざわざ紹介状なんてもんを持たせてくれたのかもしれない。


 同じ精霊教会のシスターなら、王族の紹介状より効果があるかもしれない。

 まして、懇意にしているシスターならなおさらだ。

 日本には、古くから伝わるこんな言葉がある。


『友達の友達はみな友達だ』


 友達の輪は世界に広めるべきものなのだ。

 これならいけるはずだ。


 再度、今度はかなり意気込んで、エステラがドアノッカーを打ち鳴らす。

 三度開く覗き窓。

 開く度に、覗き込んでくる瞳は怪訝さを増していく。


「…………まだ何か?」

「実は、ボクたちが懇意にしていただいているシスターからお手紙を預かっているんです。一読願えませんか?」


 蝋で封をしてあるため、俺たちが中を確認することは出来ない。

 だが、ベルティーナなら上手い具合に俺たちに助力するよう促してくれているはずだ。

 まさか、「また美味しいお味噌を送ってください」みたいな内容だけではないだろう。…………ないと信じたい。


 訝しみつつも、覗き窓から手紙を受け取った鉄門扉の向こうの何者かは、一旦覗き窓を閉じた。鉄門扉の向こうで手紙を読んでいるのだろう。

 ……頼むぞ、ベルティーナ。


 そんな祈りが通じたのか、固く閉ざされていた鉄門扉が重々しい音と共にゆっくりと開いた。


「ベルティーナさんのお知り合いとは知らず、失礼な態度をとってしまいました。どうかお許しください」


 人一人分だけ開かれた鉄門扉の向こうで、一人の少女がぺこりと頭を下げる。

 下げられた頭の上には、ぴょこんと、ウサ耳が揺れていた。


「私は、二十四区教会のシスター、ソフィー・ホワイトヘッドと申します」

「ホワイトヘッド……って、まさか?」


 現れた少女を見て、エステラが目を丸くする。

 少女の髪は、その名の通りに美しい白色で、光を浴びて輝いていた。

 そして、どことなくリベカに似ている。


「はい。麹職人リベカ・ホワイトヘッドの姉です」


 恥ずかしげにそう告げたソフィーの頭上で、ウサ耳がぴょこんと揺れる。

 ……その耳の片方は、中程から折れ曲がっていた。


 一見すれば、バニーガールの耳のようで愛嬌があるように見えるが……折れたその耳は持ち上がることはなく、可愛さや愛嬌のためにわざとそうしているようには、とても見えなかった。


「あ……この耳ですか」


 恥じるように、「やはり気になりますよね」と、ソフィーが折れた耳を撫でる。


「数年前に高所から転落して、折れてしまったんです。痛みはないのですが、聴力が……」


 えへへと、悲しそうに笑う。

 隣のエステラが、きゅっと胸を押さえていた。


「ベルティーナさんからの手紙を拝見し、あなた方がどのような人物であるかは理解いたしました。私は、あなた方を信用いたします」


 どんなことが書かれていたのか知らないが、随分と信頼されているようだな、ベルティーナは。手紙だけでここまで考えを改めさせることが出来るなんて。


 覗き窓からこちらを覗いていた時の訝しむような色は完全に消えて、ソフィーの瞳には包み込むような優しさが満ちている。

 警戒色のように見えていた赤い瞳が、緩やかな弧を描く。


「それじゃあ、中に入れていただけるんですね」

「はい。何もないところですが、歓迎いたします」


 楚々としたお辞儀をしてソフィーが鉄門扉に手を添える。

 ……そんな細腕で開閉出来るような重さではないと思うのだが…………相変わらずデタラメだな、獣人族の腕力は。


「ですが、お招きする前に一つだけ心に留め置いていただきたいことがございます」


 扉は開いている。

 だが、その前に立つソフィーが鉄門扉に手をついているため、通せんぼしているような状態だ。


 俺たちを真っ直ぐに見つめ、ソフィーは真剣な顔つきで告げる。


「この教会には、傷を負った亜人が多数保護されています。それ故に、許可のない外部の者は誰であろうとこの門をくぐらせてはいけないと決められております」

「傷を負った……」


 エステラの呟きとほぼ同時に、自然と視線がソフィーの耳へと向かう。

 ただでさえ亜人蔑視が染みついている街だ。傷を負った者へ向けられる視線は、どれほどのものなのか……想像するのも嫌になるな。


「皆、心根は優しい子たちですが、他人への警戒心が非常に強く、場合によってはお二方にも失礼を働くかもしれません……ですが、私はきっとその非礼を責めることは出来ないでしょう」


 中で何が起ころうが責任は取れない。

 それでも入るのか? ――と、聞かれているようだ。


「また、お二方に限ってはそのようなことはないと信じておりますが……もし、教会の子供たちに対し不当な扱い、不適切な発言をするようであれば……」


 ソフィーは静かに自身の上着をまくってみせる。

 ソフィーの腰に、片手で持てる小さめのメイスが携えられていた。


「……お二方を、信用いたします」

「そこは、安心してくださって構いませんよ」


 ソフィーの全身を覆うのは、ベルティーナが極まれに見せる警戒心を発揮した際の張り詰めた空気。ベルティーナのものと比べれば迫力は数段落ちるが……それでも、命を賭して身内を守ろうという気迫は十分過ぎるほどに伝わってきた。


 この中には、それほどまでに守りたいものがある。

 ソフィーの決意は、この鉄門扉のごとく堅牢なのだろう。


「では、お入りください。ご不快に思われることは承知の上で……重ね重ね申し訳ございませんでした」

「ボクたちは気にしませんよ。むしろ、あなたのようなシスターを素晴らしいとすら思う。ね、ヤシロ」

「まぁな」

「ふふ……ありがとうございます。さすが、ベルティーナさんがお認めになられた方々ですね」


 ソフィーにとってのベルティーナとは、どういう人物なのだろうか。

 あいつなら、誰であろうと分け隔てなく「いい人です」とか言いそうだけどな。


「門を入ってお待ちください。この門は、あなた方では閉められないでしょうから。それと、お二人だけで先へ進まれると……襲われかねませんので」


 ソフィーの指示通り、門を通り抜けた先で立ち止まる。

 ……襲いかかってくるって、獣化でもしてんのかよ。獣化した時のマグダも、なかなか野性味溢れていたけれど、ここにはあんなのがいっぱいいるってのか?


 物々しい音を立てて、鉄門扉が閉じられる。

 そして、鉄骨のような巨大な閂(かんぬき)で厳重にロックされた。

 なるほど。こりゃあ、ちょっとやそっとじゃ侵入出来ないな。俺やエステラじゃどうしようもねぇわ。


「さぁ、こちらへ。美味しい果実の紅茶をお出ししますね」


 サバンナを丸腰で歩かされるような緊張感の中、穏やかな微笑を浮かべるソフィーの後について歩く。

 教会の敷地はかなり広いらしく、門から先には細い小道が結構な長さで続いていた。

 両側を生い茂る木々が覆い、ちょっとした林のようになっている。


 この先に教会があり、そこには野性味溢れる獣人族が群れをなして生息している…………フィルマンの初恋のために、なんで俺が命の危機にさらされなきゃいかんのか…………

 とにかく、十分に気を引き締めていこう。


 そうして、俺たちは林を抜けた。







 傷を負った幼い獣人族が群れをなして襲いかかってくる。

 遠慮のない、全力の襲撃だ。


「いい加減にしろよ、クソガキどもぉー!」

「「「「「ぅははーい!」」」」」


 引き剥がしても引き剥がしても、次から次へと別のガキが抱きついてくる。

 中には、鼻に指を突っ込んでくるガキや、カンチョーをしてくるガキ、とってもデリケートな部分を鷲づかみにするガキまでいやがった。


 そういう躾のなっていないガキには、遠慮のないお仕置きが必要不可欠であり、刑の執行に一切の躊躇いなど持つ必要がないのだ。


「うがーっ!」

「やちろがおこったー!」

「やちろー! ふりまわしてー!」

「ほうりなげてー!」

「もうめちゃくちゃにしてー!」


 ……どっちが刑を執行されてんだよ…………タフ過ぎるぞ、ガキども!

 くっそ……四十二区教会のガキども以上のスタミナだ……全員獣人族だからか。向こうは、何人か人間だったもんなぁ。


 ガキ×獣人族=無尽蔵のスタミナ&パワー。


 人間の太刀打ち出来る相手じゃない。

 それが、十六人もいやがるとは……


「凄いです……あの子たちがあんなに懐くなんて。それも、こんな短時間で」

「ヤシロは、どこに行っても子供に大人気なんですよ」


 庭に出されたテーブルで、優雅に紅茶なんぞをすすりながらソフィーとエステラが話をしている。……手伝えや、エステラ。そしてここのシスター。お前、こいつらのお守り役だろうが。


「やちろー!」

「やちろー!」

「やーちろー!」

「やちーろ!」

「やしろさん」

「やししー!」

「ぬぁぁああっ! 群がるな! あと、中に一人、物凄く落ち着いた子がいるな。どいつだ? 随分礼儀正しいな」


 群がってくるガキどもは、どいつもこいつも満点の笑顔を浮かべて、遊びに飢えた獣と化している。


 腕のないヤツ、義足のヤツ、片目が真っ白に濁っているヤツ……

 どいつもこいつも、痛々しい傷を負っている。顔に大きなやけどの痕が残る女の子もいる。

 けれど、どいつもこいつも楽しそうに笑っている。

 きっと、この教会の中は、こいつらにとって平和な空間なのだろう。


「ここの子たちは、各区からここへ集められた子たちなのです」


 ガキどもの襲撃をいなしながら、ソフィーの話に耳を傾ける。


「深い傷を負った子供たちは、各区の教会へ預けられます。お金を稼ぐ術を失った子を、生涯面倒見きれる親は、そう多くありませんので」

「両親を責めることは出来ないけれど……あの子たちは寂しいでしょうね」

「えぇ……みんな、毎日寂しそうな顔をしています……」


 いやいや、ソフィー。こいつら見て。

 ものすっごい笑顔だから。つか、元気過ぎて困り果ててるんだけど?

 全然説得力ないぞ。


「五十年前、ここのシスターをしていたのが、亜人――あなたたちの言葉では獣人族でしたね――の、女性だったのです。よその区で行き場を失った傷付いた獣人族を彼女が引き取ったことが始まりで、それから、どの区でもそのような獣人族の子が預けられたらここへ引き渡しに来るようになったのです」

「そういう役割を持った教会だから、ここの敷地はこんなに広いんですね」

「はい。各区の教会から幾ばくかの寄付が集まり、三十年前に敷地が拡大されたのだと聞いています」


 厄介者を押しつける代わりに金を出した……いや、逆だな。

 金を払ったんだから、厄介者を引き取れよ――って、ところだろう。


 この街では、獣人族が重要な役職に就いていることが多い。

 その多くが、獣人族特有の優れた技能を武器に頭角を現した者たちだ。


 だが、深い傷を負った獣人族は、そのような力を発揮出来ない。

 そうなった時に、やはりまた顔を覗かせてしまうのだろう。古びた『亜人蔑視』なる忌まわしい風習が。


「あの子たちは、この先どうなるのですか?」

「ここでは、教育の他に職業訓練なども行っておりますので、適正のある職業への斡旋も可能なんです」

「それは素晴らしいですね」


 計算が出来れば、片腕がなくとも仕事はあるだろう。

 手先が器用なら、義足でも仕事にありつけるはずだ。

 料理の腕があれば、片目が見えなくとも、顔にやけどの痕があろうとも、立派に独り立ち出来るだろう。


 受け入れる先さえあれば、な。


「それでも、ここに残る人も多くて……やはり、外の世界は怖いという思いがあるのでしょうね」


 一度自分を拒絶した世界。

 そこへの復帰は、少々ハードルが高いかもしれない。


「この教会の敷地内には、畑と果樹園があるんです。そこで働く道を選んだ者たちもいるんです。そして、私のようにシスターを目指す子たちも」


 リベカが言っていたな。ここの野菜は美味いと。

 そして、あわよくば会うことは出来ないかと、理由をつけてはここに来ていると。

 だが、リベカはその思い人に会えないでいる。


 これだけ厳重に外の世界と隔絶された教会だから、それも仕方のないことなのかもしれないが。


「ソフィー」


 この教会の意義は分かった。

 だから、今度は俺たちの目的を果たさせてもらう。


「ここの畑で……っ!」

「やちろー! 待て待てー!」

「おはなしより、あそぼー!」

「もうしわけございませんが、おあいてねがいます」

「あそべー!」


 ソフィーに話しかける前に、ガキどもに押し潰された。

 ……だから、飛びかかってくんなってのに!

 そして、礼儀正しいなぁ、この中の一人だけ!


「よぉし! 分かった! じゃあ、これから『かくれないんぼ』を行う!」

「「「「それなーにー!?」」」」

「俺が十数えるから、その間にお前たちはそこら辺に散って、隠れるな」

「「「「かくれないのー?」」」」

「あぁ、俺がいいと言うまで、隠れずにぼへーっとしている遊びだ! やるか!?」

「「「「やるー!」」」」

「よぉ~し、じゃあ数えるぞー! いーち、にーぃ……」

「「「「わぁー!」」」」


 そうして、俺が十まで数え終わると、ガキどもはぽかぽかと日の当たる庭に寝転んだり座ったりしてぼへーっとし始めた。

 よし、そのまま待機。


「ヤシロ。あれは単純に『ひなたぼっこ』と言わないかい?」

「いいんだよ、なんだって」


 実際、ガキどもは楽しんでんだから。


「それよりソフィー。頼みがある」

「はい、なんでしょうか?」

「ここの畑で働いているヤツに会わせてくれないか?」

「畑で、ですか?」

「あぁ。ダメか?」

「構いませんが……」


 と、言い切る前にソフィーの耳がぴくっと動く。


「あ、ちょうど来ましたね。彼が、畑で働く者の一人です」


 ソフィーが指さす先には、ちょうど畑から帰ってきたばかりとおぼしき青年がいた。

 こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。


「彼は、重い病を患って、スタミナが他の人の三分の一程度しかないのです」

「三分の一? そんな体で、畑仕事を?」

「えぇ。自分の出来るペースで。でも、決して怠けず、甘えず、弱音を吐かず。故郷に残してきた妹さんに仕送りをしたいからと、毎日毎日、限界がくるまで働いて……尊敬出来る方です」


 エステラの視線がそっとこちらを向く。

 おそらく俺と同じことを思っているのだろう。


 もしかしたら、あの男がリベカの思い人なのではないか……と。


「ミケルさ~ん! 少しお時間よろしいですか~?」


 ソフィーが手を振ると、ミケルと呼ばれた男が手を振り返してくる。

 スタミナが限界なのか、腕が全然上がっていなかった。


「……それで、ヤシロ。彼は、何人族だと思う? ボク、ちょっとピンとこないんだけど」

「まぁ、虫……なんだろうけどな」


 こちらに近付いてくるミケルの顔は昆虫のソレだった。

 触覚があり、大きな目と、つるっとした頭。


 ただ、昆虫は顔だけで見分けるのは難しい。

 一体何人族なのか……


「おぅ、シスター。オレに何か用なんだぜ? ちょっと疲れちまってるけど、話くらいなら聞いてやるだぜ!」


 ん?

 この口調……どこかで…………


「ご紹介しますね。彼は、アブラムシ人族のミケルさんです」

「おぅ、客人か! よろしくだぜ!」


 ……あっ!?


「お前、モコカの兄貴か!?」

「な、なんで知ってるんだぜ!?」


 二十九区のソラマメ畑で出会った、少々ワイルドな敬語を使うアブラムシ駆除係のアブラムシ人族、モコカ。

 その兄と、まさかこんな場所で出会うとは…………世の中って、狭いなぁ。






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