199話 ドニス・ドナーティ

 正午前。

 ほぼ時間通りに二十四区の領主の館にたどり着いた俺たちは、ガタイのいい門兵たちに迎えられ、敷地内へと足を踏み入れた。馬車は、小柄なジイサンによってうまやへと運ばれていった。


「ようこそおいでくださいました、クレアモナ様。お館様がお待ちでございます」


 白髪をきちっとまとめ上げた初老の執事が俺たちを出迎える。

 大きな玄関ドアの前で慇懃な礼を寄越してくる。


「本日はお時間をいただき、感謝します」


 執事に対し、きちんとした礼をもって頭を下げるエステラ。

 執事相手に頭なんか下げないって領主もいるのかもしれないが、エステラはそこら辺を疎かにはしない。ナタリアも、エステラを止めるような真似はしない。

 きっとエステラはこれでいいのだろう――


「――領主が丁寧な分、領民が多少無礼を働いても帳消しになるというものだ」

「何を勝手なこと言ってるのかな? ならないから、礼儀を弁えるようにね」


 さっくりと釘を刺されつつ、俺たちは広い廊下を進む。

 まるで俺たちを出迎えるかのように廊下の両サイドに体格のいい使用人たちが並び立っている。俺たちが通過する度に頭を下げてくれるのだが……なんとも言いがたい威圧感があるんだよな……なんで野郎ばっかりなんだ、この館は。


「こちらでございます」


 初老執事が静かに腰を折り俺たちをある部屋へと導き入れる。

 ひときわ大きな扉の向こうには、高そうな調度品が並ぶ豪奢な部屋が広がっていた。

 デカい。


「よく来たな、ミズ・クレアモナ。そして、供の者たちよ」


 デカい部屋の中央に厳めしい顔つきのジジイが立っていた。

 声音は静かだが、低く迫力があり、思わず身が引き締まるほどの威圧感を放っている。

 すっと伸びた背筋は年齢を思わせない美しいシルエットで、体幹がブレずどっしりとしている。

 長年力のある区の領主を務めているだけあって、一分の隙も見出せないほどの威厳をまとっている。


 真一文字に結ばれた口の横にはほうれい線が深く刻み込まれ、鋭い視線は猛禽類を思わせるような鋭さで、年齢の割には太くしっかりとした眉毛はきりりとつり上がり、ロマンスグレーの白髪は右耳から後頭部を通過して左耳までの頭半周を覆い、まるでオマケのように頭頂部に一本だけちょろっと生えていた。


「ぶふぅーっ!」


 な、波○さんがいる……っ! 加○ちゃんかもしれない……っ!


「ヤシロッ!」

「す、すまん。覚悟はしてたんだが、まさか、加○ちゃんが出てくるとは思わなくて……!」

「誰さ、加○ちゃんって!?」


 袖を引っ張られ、強制的に後ろを向かされ、顔をこれでもかと接近させてきたエステラに小声で叱られる。その際、何発か脇腹を小突かれている。

 だがしかしだ!

 物凄ぇ厳めしい顔をした怖そうなジジイの髪型が波○さんで加○ちゃんだったら、そりゃ笑うだろう!

 ギャップあり過ぎで、もはやわざととしか思えない。あいつ、笑わせにかかってるって、絶対!


「……何か、問題でもあったかな?」

「い、いえ! 彼はたまによく分からない発作を起こすんです。どうか、お気になさらずに!」


 エステラが慌てて言いつくろい、すかさず俺を自身の背に隠す。

 その際、俺のほっぺたを「むにりん!」とつねり、「さっさと笑いを止めろ」と強要してくる。……暴力だ。パワハラだ。場合によってはちょっとセクハラだ。


 俺はエステラの背に隠れるようにして、必死に込み上げてくる笑いを押し殺した。


「改めまして。本日はこちらの要望にお応えいただき誠に感謝いたします、ミスター・ドナーティ。お忙しい中お時間を作っていただいて、ありがとうございました」

「よい。ワシも興味があったのでな。……新進気鋭の女領主には、な」


 ぴりっと、空気が張り詰める。

 景気よく稼いでいるようだが、あまり調子には乗るなよという脅しにも聞こえる言い方だ。

「我々など、まだまだです。ですが、光栄です」

「謙遜する必要はないだろう。噂はいろいろ聞いておるぞ」

「う、噂と言えば」


 意味深な探りをかわすために、エステラは強引に話を変える。

 まずは場の空気作りをしようというのだろう。

 こんなピリピリした空気より、和やかな空気の方が友好関係は築きやすい。


「ミスター・ドナーティのお噂もお聞きしました。なんでも、ボクが懇意にさせていただいているミスター・デミリーとは旧知の仲だとか」

「おぉ、アンブローズと親しいのか」


 共通の知人を持ち出すことで、互いの距離が縮まりやすくなる。

 まぁ、これは非常にベタな手法だな。ベタ故に、かなり有効でもある。

 それを知って、デミリーはエステラに会いに来たんだろう。


「デミリーオジ様から、ミスター・ドナーティのお話をいくつか聞かせていただきました」


 デミリーを「オジ様」と呼び、自分とは特別近しい間柄であると示すことで、ドニス・ドナーティに対しても害のない存在であるということをアピールする。

 取っつきにくい相手には、こういうやり方が無難だろう。


「そうか、アンブローズから話を聞いたか」


 瞼を閉じ、うんうんと静かに首肯した後、ドニスは眉をつり上げる。


「あいつはどうせ、ワシのことをハゲなどと抜かしておったのだろう?」

「ぶふぅーっ!」


 今度吹き出したのはエステラだ。俺はこらえた。


「い……いえ、……決して、そのようなことは……っ!」


 ぷるぷると震えながら、エステラが賢明に言葉を吐き出す。

 顔色が悪い。真っ青だ。心臓に恐ろしいまでの負荷が掛かっているのだろう。ストレスという名の負荷が。


「(思いっきり笑うと楽になるぞ)」

「(そんなこと出来るわけないだろう!?)」


 小声での助言を、小声で拒絶された。

 人間、素直に生きた方が楽だと思うんだがなぁ。


「隠す必要はない。アンブローズのヤツはいつもワシをハゲ仲間に引き込もうとしよるのだ。ワシは、まだふさふさ残っておるというのに、なぁ?」

「えっ!? ……あ、あはは」


 急に同意を求められたエステラは、愛想笑いという手段で明言を避けた。

『精霊の審判』があるからな。賢明な判断だ。


「ヤシロ様」


 困惑するエステラの後ろで、ナタリアが俺に話しかけてくる。


「『五十歩百歩』『類は友を呼ぶ』『隣の頭皮は薄く見える』『抜け毛、毛根に還らず』……どれをお伝えすれば的確に伝わるでしょうか?」

「お前は口をつぐんでろ。特に後ろ二つは宣戦布告ととられても文句が言えんぞ」


 俺だって言いたいさ! 「いや、つるつるじゃん!?」って!

 でも、そこを言わないのが大人のマナーだろ?


 いくら俺といえど、親しくもない相手にケンカを売るような冗談は言わないのだ。

 心ではこれでもかって考えるけどな!


「え、えっと……ミスター・ドナーティは、親しいご友人からは『DD』という相性で呼ばれているとか。そういう関係は素敵だと思います」

「む、そうか?」

「はい。ボクも、そのような愛称で呼ばれるような、親しい友に恵まれたいです」

「(愛称ならあるじゃねぇか、『微笑みの領主』)」

「(うるさい、ヤシロ。2メートル離れて)」


 こいつは人によってコロコロ態度を変えやがる。

 そういうのよくないと思うなぁ、俺は。


「ドニス様。お食事の用意が調いました」

「む、そうか」


 初老執事がドニスに耳打ちをし、ドニスが厳めしい表情のまま俺たちに向かって手を広げる。


「ランチの用意が調ったようだ。よければ一緒にいかがかな?」

「もちろん、喜んで」


 営業用の笑みを浮かべてエステラは可愛らしい礼をしてみせる。

 ……にしても、飯の誘いくらい笑顔で出来ないもんかねぇ、このジジイは。ずっと眉間にしわが寄っている。

 長年厳めしい表情をし続けて、顔面がその形で固まってしまったみたいだ。


「そういえば、二十七区のトレーシーさんから伺ったのですが」


 食堂へ移動する道すがら、ドニスの隣を歩きながらエステラが話を持ちかける。

 さりげなくトレーシーとも交友があることを匂わせつつ、さりげなく距離を縮めようとしているわけだ。

 この外交上手め。

 移動しながらだと、身構えず、気取らず、聞き流すくらいの気楽さで話が出来る。

 嫌味なく相手をおだてるには、このタイミングを狙うのがいい。


「四十二区への賠償請求を求める多数決で、ミスター・ドナーティだけが反対票を投じてくださったとか」

「あぁ、そのことか」

「それを聞いた時、素直に嬉しいと思いました。ありがとうございます」

「なに、礼には及ばん」


 厳めしい顔がエステラをちらりと見て、すぐに視線を外す。


「こちらの都合でそうしたまでだ。そなたらの区を思ってのことではない」


 冷たく突き放すような言い方だった。

 思わず息をのんだエステラが、次の言葉を発するタイミングを逸してしまったほどに。


「……そ、そう、なんですか」


 エステラがようやくそう呟いたのは、食堂に着き、ドニスの背中が遠ざかってからだった。

 誰にも流されない『頑固ジジイ』。

 友好的に振る舞うのは、きっとそれが自分にとって都合がいい場合のみなのだろう。


 ヤツの真意を探るのは、少し骨が折れるかもしれない。



 ドニスが奥の席へ腰を下ろし、俺たちも使用人に促されて席へと移動する。

 そんな中で、ナタリアが俺に耳打ちをしてくる。


「ヤシロ様。先ほどのミスター・ドナーティの言葉なのですが……」


 真剣な表情で、ナタリアは己の見解を述べる。


「言い換えれば、『別にあんたのために反対したんじゃないんだからねっ!』……ということになりますね」

「お前はあのジジイに何を求めてんの?」


 ジジイの萌化など、どこにも需要がねぇぞ。

 ナタリアを暇にしておくとろくなことをしないな。適度に仕事を与え続けた方がいいみたいだな、こいつは。


 エステラが椅子の前に立つと、ナタリアは無駄口を止め足早にその背後へと近付く。

 動こうとした使用人を手で制し、ナタリアが椅子を引きエステラを座らせる。

 ドニスの館の使用人が揃いも揃って男ばかりなので、エステラにあまり近付かせないようにしているらしい。


 うっかり忘れそうになるが、エステラは嫁入り前の貴族の娘なのだ。しかも、現在は領主という立場でもある。不特定多数の男と接触させるのは避けるべきなのだろう。

 ……陽だまり亭以外では。


「楽にしてくれて構わない。食事は和やかに食べる方が美味く感じるのでな」


 椅子に座りながらも、姿勢を正していたエステラたちにドニスが楽にするように告げる。

 ……楽にしにくいのは、お前のしかめっ面のせいだっつうの。


 やけに長いテーブルの両サイドに分かれて座る。

 こちらは、エステラ、俺、ナタリアの順で並んで座り、向かいにはドニス一人が座っている。

 ただ、ドニスの隣にはもう一人分、食事の用意がされている。


 グラスに入った水が俺たちの前へと置かれる。


「お若い方だと聞いたのでな、酒よりも水がよいかと思ったのだ。酒がよければ言ってくれ」

「いえ、お水で。お心遣いに感謝します」


 エステラに合わせるように、ドニスも水を飲むようだ。

 ……あ、違うな。確か、デミリーの情報によればドニスは下戸だったはずだ。

 だとすれば、日頃からなんだかんだと理由をつけて、相手に酒を飲ませないようにしているのかもしれない。

 相手が飲むなら、自分も付き合うか、そうでなければ断りの言葉を告げなければいけないからな。

「すみませんが、飲めないので水で勘弁してください」とは、極力口にしたくはないだろう。


「ん……おいしい」


 ドニスに倣い、グラスの水に口をつけたエステラが目を丸くして俺の顔を見る。

 いや、見られても。俺は別に美食家でもなんでもないから、水の味についてあれこれ蘊蓄を垂れたりは出来ないんだが……

 とりあえず、俺たちも水を飲んでみる。


「……お」

「これは……」


 俺もナタリアも、思わず声を漏らした。

 確かに美味い。

 アルプスの岩清水を飲んでいるような清々しい味わいだ。癖もなく飲みやすい。


「そういえば、三十三区では清酒を製造しているんだったな。この水を使っているのなら、さぞ美味い酒が出来るだろうよ」


 それは、ナタリアに向けた言葉だった。

 だが、反応を返してきたのは向かいのドニスだった。


「ほう、若いの。よく知っておるな。そなた、酒はやる方か?」

「あ、いや……」


 一応エステラとナタリアに目配せをするが……「無難に」と言いたげな視線を返されただけだった。

 相手の真意が分からん以上、「無難に」以外の選択肢はないか。


「飲むよりも、製法に興味がある……って感じですかね」

「ほぅ、そうか。いや、若いのに感心だな」


 何に感心されたのかは分からん。

 だが、たいていこういう物言いをする場合は……


「それに比べて……」


 ……誰かと比較して、その誰かを咎めたい時だ。

 ドニスの視線が、隣の空席へと向けられる。


 麹を使った製品に興味を持たない誰かが、その席に座る予定なのだろう。

 今このタイミングで紹介するってことは、後継者か……しかし、ドニスは未婚だという話だ。息子などいないはず。


「時に……気を悪くしないでもらいたいのだが……その若い男は、ミズ・クレアモナのフィアンセなのかな?」

「ごふっ!」


 隣で水しぶきが上がる。……ちょっとだけ虹が架かった。


「ごほっ、ごほっ! げーっふげふっ!」


 ちょっと、むせ過ぎじゃないか? 死ぬなよ。


「その反応……どうやら、違うようだな」

「は、はい……ヤシ……彼とは、そういった関係ではありません。公私共に、友好的な関係を築いていることは確かですが……こほっこほっ」

「ふむ……」


 ちらりと、ドニスが俺を見る。

 値踏みするような嫌な視線だ。ちょっと癪に障ったので、セクシーなウィンクを飛ばしておいた。


「どふっ!」


 ごふごふと、ドニスがむせ始める。

 年寄りのしわがれた心臓には、ちょ~っと刺激的過ぎたかな。


「し、……死に神のような笑みだな……」


 失敬だな、死に神みたいな顔してるくせに。


「しかし、そうか……そういう関係ではないのか」

「はい。彼は、ソラマメを使った新しい調味料を考案した者でして、麹工場へ同行してもらったんです」

「おぉ、聞いているぞ。確か、豆板醤だったか……バーサが期待の持てる物だと言っておった」


 リベカではなく、バーサから情報を得たらしい。

 まぁ、ガキんちょよりはババアの方が話しやすいだろうしな。


「しかし、その若い男は、以前二十九区での会合にも顔を出しておったようだが?」

「それは、その……」

「花火を提案したのも、俺だからですよ。ミスター」


 エステラが言いにくそうだったので、俺が自ら名乗り出ておく。

 なんとなく、責任をなすりつけてしまうような気持ちにでもなるのだろう。気にしなくていいのに。


「なるほど。では、ここ最近の四十二区の躍進の裏には、常にそなたが関わっておると考えて、間違いなさそうだな」

「きっかけはそうかもしれませんね。ですが、四十二区が躍進を遂げ、今もなお伸び続けているのは、そこに住む住民たちの努力によるところがほとんどですよ」

「ほほぅ……見た目で判断して申し訳ないが、そなたは謙遜などしない男に見えたのだが……なるほど、礼も弁えているという訳か」


 ドニスが俺に興味を示し始めた。

 眉間のしわが幾分薄らぎ、瞳に光が宿っている。


「ならばなおのこと、ミズ・クレアモナよ。その男を手放さないようにしておいた方がいい。身分の違いがあるとはいえ、失うには惜しい男だ」

「え……っと、あの…………か、考えておき、ます……」


 一瞬だけ俺を見て、すぐに目を逸らす。

 やめろエステラ。そういう仕草をすると、女の子に見える。


「それとも、アレか……」


 ドニスがかさかさに乾いた唇を薄く開き、目をすがめる。


「その男にはすでに心に決めた女がおるのかな?」

「ごふっ!」


 むせた。

 今度は俺だ。


「なんだ? やはりおるのか? どんな娘だ? まさか娘という年齢ではない女に焦がれておるのか? ババア好きか? 物好きも大概にせねば、婚期を逃すぞ、少年よ」


 はっはっはっと豪快に笑い、己のしわしわの頬とあごをざらりと撫でる。

 誰がババア好きだ。バーサを見てからまだ時間がそう経ってないうちに縁起でもない言葉を吐くな。……いろいろ想像しちゃって鳥肌が収まらねぇじゃねぇか。


「それで、どこのババアに惚れておるのだ?」

「ババアに限定すんな、ジジイ」

「ヤシロ……!」


 遠慮気味ながらも、一応叱ってくるエステラ。

 だが、語気が弱いのは「まぁ、そう言われても仕方ない部分はあるよね」と、向こうの非も認めているからだろう。


「ふん! ワシに向かって『ジジイ』とは、いい度胸だな、小童! そんなデカい口を叩くのは、オールブルームの中でも貴様くらいのもんだぞ!」

「いや、あんた裏で『頑固ジジイ』って呼ばれてるそうだぞ」

「マジでっ!?」


 なんだろう……思ってたよりもファンキーなジジイだな。

 もう、ジジイ呼びでいいんじゃないだろうか?


「まぁ、なんにせよ。迷っておるなら決断は早い方がいいぞ。人生に、やり直しは利かんのだからな」


 グラスの水を飲み干し、使用人におかわりを要求する。

 そんな動作の後に、ドニスはエステラへと言葉を向ける。


「ミズ・クレアモナ。そなたもだ。なまじ、領主などという立場になってしまった以上、様々なしがらみにとらわれることは仕方がない。だが、後悔だけは絶対しないようにな」


 その言葉は、ドニス自身が己の人生を後悔していると言っているようなものだ。

 この歳まで未婚を貫き、領主としての責務を果たしてきた一人の男。

 その男が胸に抱く後悔というのは、いったいどんなものなのだろうか。

 少し、聞いてみたい気がする。


 ……俺も、結婚なんてもんはピンとこねぇもんなぁ。


「遅い」


 水のおかわりが目の前に置かれたところで、ドニスが低い声でうなる。

 明らかに不快感をあらわにし、眉間のしわが一層深くなっている。


「フィルマンはまだ来んのか?」

「はっ」


 そばに控える使用人に怒りを向けるドニス。

 鋭い声に使用人が肩を震わせる。


「実は……その、準備に手間取っているとおっしゃっておりまして……」

「客人を待たせてまでするような準備があるか! 今すぐに連れてこい! 下着姿でも真っ裸でも構わん! これ以上客人を待たせてワシに恥をかかせるなっ!」

「か、かしこまりましたっ!」


 怒号に押され、使用人たちが八人ほど慌てて食堂を飛び出していく。

 現当主と次期当主の間に挟まれた、可哀想な使用人たちなのだろう。


「ミスター・ドナーティ。フィルマンさんというのは?」

「ん? あぁ、すまない。ワシの甥の息子でな。ワシの後継者として、現在勉強をさせている男だ」


 ドニスには子供がいない。

 ならば、後継者はその血縁者から選出される。

 しかし、それが甥の息子とは……随分と遠いな。


 ドニスの兄弟は、……ドニスの年齢を見る限り次期当主には向かないだろう。

 ドニスはどう見ても六十から七十歳というところだ。その弟なら、若く見積もっても五十代後半というところだ。そんな歳から領主を引き継いでも、すぐにまた交代しなければいけない。


 普通に考えれば、その甥という男が引き継げばいいと思うのだが……


「才覚のない者には任せられんのでな。甥や姪の婿どもは、どいつもこいつも農業に夢中な大豆農家に成り果てておる。貴族の振る舞いを忘れた者に、領主は務まらん」


 何も聞いていないのにぺらぺらと親族の、それも恥ともとれる部分を話し出した。

 話し終わった後で、「そう聞きたかったのだろう?」と、しわを深くして頬を歪める。

 このジジイ……これくらいの弱みを話したところで、俺たちは脅威にもならないと、そういうことなのだろう。


 ほんの少しだけ、マーゥルを相手にしているようなやりにくさを感じる。

 だてに、何十年と『BU』の主導権を握る二十四区の領主はやってないってことか。


「フィルマンは、アレが六歳の頃からワシが引き取り、次期領主となるべくワシ自らがしつけを施しておるのだ。あいつは将来化けるぞ。ワシの目に狂いはない」


 六歳だったフィルマン少年に何かを見出したのか、はたまた、無色透明だった純真な少年を自分色に染め上げたという自負があるのか。

 ドニスの自信は相当なものだ。


「だというのに……」


 そんな自信に満ちた表情がくしゃっと歪む。


「あのバカたれは、最近何かとワシに反抗するようになりおって……ここまで育ててやった恩を忘れ、このワシに口答えなどをするようになりおった! たわけ者が……このワシを誰だと思っておるのだ、まったく!」


 おぉう……完全無欠の愚痴だ。

 それも、ジジイの「最近の若い者は」的な、お決まりの愚痴だ。


「来年には成人を迎えるというのに、最近は夜中に館を抜け出して夜遊びなんぞを覚えおって! 最近の若いもんはたるんどるっ!」


 あぁ……ついに言っちゃった。

 異世界でもジジイの言うことって同じなんだな。


 テーブルにヒジを突き、両手を組んでそこに額を載せる。

 そして、長く重々しいため息を漏らした。


「……やはり、血の繋がりが薄いのがいかんのだろうか……」


 それは、ドニスが初めて見せた弱気な顔だった。

 血の繋がり。

 自分の息子であったなら、ここまで反抗はされなかったと、そう思っているのだろう。


 しかし、来年成人ということは、今年十四歳ということだ。

 それくらいの年齢になれば、誰だって反抗期くらい迎える。血気盛んな男子ならなおのことだ。

 おそらくドニスは子育てを経験したことがないのだろう。自身はもちろん、兄弟や親族の子供の面倒すら見たことがないのだ。

 親族も、ここまであからさまに見下してくるジジイに我が子を見せようとは思うまい。


 だから知らないのだろう。反抗期というものを。


「ミズ・クレアモナ。結婚はした方がいいぞ。それも、出来る限り若いうちにだ。年寄りからの助言だ」

「ご進言、ありがとうございます。心にとめておきます。……ですが」


 エステラの瞳が真っ直ぐ前を向き、ドニスを明確にとらえる。睨み合っても決して引けをとらない迫力がこもっている。

 胸の前で軽く拳を握り、言いにくい言葉を慎重に吐き出していく。


「今は、領主としての責務を全うしたいと考えています。ボクは四十二区を愛しています。愛する者たちの幸せを、今は何よりも優先させたいのです」


 領主としての誇りと意地。

 それはエステラの偽らざる本心なのだろう。


「ボクの幸せは、その後でもいいかなと思っています」

「ミズ・クレアモナ……」


 エステラの真っ直ぐな瞳と真っ直ぐな言葉を受け取り、ドニスがゆっくりとエステラを指さす。


「はい、行き遅れ決定ー!」

「そんなことないですよ!?」

「はい、残念! はい、終了!」

「ミスター・ドナーティ! 相応の年齢になればきちんと考えますから! だから大丈夫です!」

「ワシもそう思ってたんだよなぁー、若い頃は! けどこの有様だ! はい、同類! はい、道連れ決定!」

「ボクはいい頃合いで嫁に行きますっ!」

「その頃にもらい手が残っていればな!」

「むぁぁあああ、ムカつくなぁ、このジジイ!」

「エステラ様。本音がダダ漏れ過ぎます」

「まぁ、そっとしといてやれよナタリア。今のはジジイの自業自得だろう」


 ジジイ呼ばわり、致し方なしだ。

 あぁ、ちなみに、行き遅れとかもらい手とか、ジジイの個人的な意見だから、俺たちは全然そんなことは思ってないからな。大人女子、すっげぇ素敵。

 ――と、どこ向けだか分からんが、一応フォローしておく。


「では聞くが、ミズ・クレアモナよ! そなた、チューはしたことあるか!?」

「セクハラが過ぎますよ、ミスター・ドナーティ!」

「じゃあ、そっちの給仕の娘でも、そこの男でも構わん! 初チューのエピソードを語れ!」

「どんだけ恋バナ好きなんだ、このクソジジイ!?」


 もはや、俺も遠慮はしない。

 暴走を始めたヤツは、地位や権力に関係なく均等にツッコミを入れなくてはいけない。

 これが世の理だ。


 そのしわの一本一本にもらってきた豆板醤を塗り込んでいってやろうかと思い始めた頃、複数の使用人を従えて一人の男が食堂へと姿を現した。


「別に待っていなくてもよかったのに」


 不遜な態度でそんな言葉を吐き捨てた男の顔を見て、俺は思わず声を上げる。


「あっ!?」

「ん? …………あっ!?」


 向こうも俺たちに気が付いたようで、目をくりっくりに見開き声を上げた。


「なぜ、あなたたちがここに?」


 間の抜けた顔でそこに立っていたのは、早朝の麹工場の門前に張りついてリベカのストーキングをしていたパーシー予備軍(ハビエル成分微含)の、あの少年だった。






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