175話 平等に、公平に

 多数決がすべて。

 マーゥルがそう断言した二十九区。


 幼き日より時期領主としてこの街を見つめ続けてきたマーゥルが、その歪な実態を聞かせてくれた。


「ヤシぴっぴの言った通り、この街では同調圧力が強過ぎるの。マイノリティは悪であるかのように意見を封殺される……それは、『BU』という共同体が発足した時から生み出され、今もなお改善されない悪しき習慣なのよ」


『BU』が、この異常なまでの同調現象を引き起こしていると、マーゥルは言う。


「『BU』に加盟している各区は、ご存知の通り領土が狭く、産業もなく、力も弱い。けれどプライドだけは高くて、外周区には負けたくない……ごめんなさいね、こんな言い方失礼よね」

「いえ。続けてください」


 外周区は格下だとも聞こえる表現に、謝罪の意思を示すマーゥルだが、エステラは先を促す。

 今更取り繕う必要もない。事実のみを語ろうぜ。その方が手っ取り早い。


「だから、七つの区で共同体を作り、相互利益を生み出し、力を維持しようとしたの。そのためには、各区が平等であり対等である必要があった。……だから、どこかが抜け駆けをしないように監視し合う睨み合いが各区の間で繰り広げられているの」


 共同体を維持するには、各区が対等でなければいけない。

 それゆえに出し抜こうとする者は徹底的に糾弾され、仮に孤立すればその区は集中攻撃を受けてあっという間に崩壊する。そんなシステムを作り上げたせいで、全区が全区、互いの顔色を窺い牽制し合う関係になってしまった。


「だからこその同調圧力と、その象徴ともいえる多数決……ってわけだな」

「そうね。今の『BU』は、自分の意見を言うのも一苦労なのよ」


 今回のように、「四十二区に制裁を」と声を上げた際、もし賛同が得られなければ、孤立するかもしれない。そうなれば、「やり過ぎだ」と糾弾され、そして、異常なほど強力な同調圧力によって排除、排斥されかねない。


 そこで、多数決だ。

「四十二区、やり過ぎだと思うんですけど~」「あ~、確かにね~」「じゃあ制裁加えたりする~?」「いいかもね~」……という流れで決まったのかもしれん。

 あながち間違ってない気がするのが悲しいところだな。


「領主の館で見た多数決は、確かに少し、物々しさみたいなものを感じたね」


 エステラが思い起こしているのは、『BU』の連中と会談した日の、あの威圧的なまでの多数決のことだろう。

 こちらの意見など気にもかけず、絶対的な正義であるかのように強行された多数決。

 その決定は何者にも侵すことは出来ず、覆すのは不可能……


「そういう街の気質故に、マーゥルは家の者にそっぽを向かれたというわけだな」

「えぇ、そうね。私を次期領主に祭り上げたのも、その権限を奪い去り追放したのも、全部同調圧力によるものだったのかもしれないわね。誰一人、味方にはなってくれなかったもの」

「領主の意見にあわせ、多数派にも逆らえぬとなれば、弱者に手を差し伸べることすら罪になりかねない……か。哀れだな、この区の民は」


 ばっさりと、この区の制度を切り捨てるルシア。

 ルシアは、弱い立場の者たちに寄り添うような政策をいくつも立ち上げては実行している。

 マーゥルを追い出した者たちの心理が、理解は出来ても認めたくないのだろう。


「物事をすべて多数決で決めるというのは、確かに平等かもしれませんが……」


 エステラも表情を曇らせる。

 多数決は平等……か。そういう認識なんだろうな、この区の連中も、『BU』も。

 あんなもんは、少数派の意見を封殺するための名分でしかないのだが……


「その結果、『BU』はとても歪になってしまったわ。この豆もそう」


 この区の『いびつ』の象徴ともいえる、豆の押しつけ制度。

 これも『BU』が多数決で決めたルールだ。


「『BU』の七区は、それぞれ一つの豆を専門的に生産し、『BU』内で等分し、等しく使用しなくてはいけない…………そんな決まりがあるのよ」


 マーゥルによれば、その各区が生産を担当する豆というのが以下のものになる。


 二十三区『エンドウ豆』

 二十四区『大豆』

 二十五区『落花生』

 二十六区『カカオ豆』

 二十七区『コーヒー豆』

 二十八区『小豆』

 二十九区『ソラマメ』


 そして驚くことに……これらの豆を、同じ量だけ生産しているのだそうだ。


「事の起こりは通行税だったの」


『BU』の中でも、街門を持つ三十区に隣接する二十三区と、港を持つ三十五区に隣接する二十五区は、通行税だけで十分潤っていた。

 だが、共同体は対等でなければいけない。

 そこで、これまで徴収していた通行税は「『BU』を通過した」という名分のもと、各区に分配されることとなったらしい。


「それで、不満は出なかったのですか?」

「出たわよ。だから、豆を作ることになったの」

「通行税が原因で、豆を……?」


 難しい顔をするエステラを見て、マーゥルが少しだけ笑う。

「普通、理解なんて出来ないわよね」と、自嘲気味な笑みを漏らす。


「『BU』に加盟する区は、もともと豆を生産していたの。ただし、売り上げも生産量もバラバラだったわ。ソラマメなんてそんなに売れないし、落花生もエンドウ豆も、高が知れていた。……けれど」

「その中で、爆発的な売り上げを誇る豆があったってわけか」

「えぇ、そうよ」


『BU』で生産される豆の中で多様性があり、且つ、それを使った加工品が存在しているものといえば……


「大豆、だな」

「えぇ。大豆は別格。それだけで、他の六区の売り上げを追い抜いちゃうくらいだったわ」


 この街には、しょうゆと味噌がある。

 当初はその存在に驚いていたが、加工品の発明は、その作物を売りたい一心で各農家やギルドが生み出していると聞かされ、なんとなく納得していた。

 ただ煮て食うだけしか使用用途を見い出せていなければ、大豆の売り上げは現在の十分の一もなかったはずだ。

 まさに、死に物狂いで商品開発に心血をそそいだのだろう。


「大豆には劣るけれど、小豆やカカオもそれなりに人気の豆だったわ」

「しかし、そこに不平等が生じていた。その不平等を撤廃したというわけなのだな、通行税と相殺するように」


 ルシアの言葉に、マーゥルは黙って頷いた。


 通行税を分配する。代わりに、大ヒット商品の大豆の利益も分配する。

 だが、それでも不公平は解消されない。

 例えば二十九区は、今のところ得しかしていない。


「特に特産品のない二十九区なんかは、『BU』の頭数といったところだったわね」

「数は力ともいえる。あながち、不要とも言えまい」

「そうね。仮に、ルシアさんの三十五区と通行税の交渉をする時も、二十五区単体より、『BU』七区で挑んだ方が有利に話を進められるものね」

「……ふふ。苦労をさせられているさ」


 恩恵を受けている区は、数の力として相互扶助の役割を担う。

 そうしてバランスを取っているらしい。


「『BU』では、とにかく平等、公平というものが尊重されるの。だから、大豆農家ばかりに負担が行くのも、利益が行くのも容認されない。だから、『BU』内の豆は、一律で同じ生産量にしようというルールが設けられたのよ」

「…………アホなのか」

「否定は、出来ないわね」


 俺の発言に、エステラとルシアが一瞬だけ視線を寄越したが、諌めるようなことはしなかった。共感したのだろうな、きっと。だって、アホ丸出しなルールだし。


「ってことは、売れ過ぎる大豆の生産量は減らして、売れもしない他の豆の生産量を大豆並みに上げたのか?」

「そう。そしてその結果、大量に発生した在庫を処分するために、『各区は毎月これだけの豆を消費しましょう』というルールが出来て、それに付随するように『お客様に出す料理の六割は豆でなければいけない』みたいなおかしなルールが出来ちゃったのよ」


 平等を期すために、不必要なまでに豆の生産量を上げ、余った分は『ルール』という名の強権で押しつける。


「平等という言葉のために、この街は歪な制度を受け入れざるを得なかったのよ」


 ざっくりとまとめるなら、『BU』とは――


 外周区に負けないために、七区の領主が結託して権力を誇示し、そのために平等を強要し合う制度を作り上げた。

 富と労働を平等にするため、売れ行きを完全無視して生産量を合わせ、余剰分を消費するために消費量まで規定した。

 さらに言うなら、売り上げ好調な大豆を少しでも作りたいがために、他の豆の生産量も底上げされ、笑えないほどに豆が余りまくっている……という状況ってわけだ。


 なるほどな。

 どうりでピーナッツとかソラマメとか、使用に困る豆ばかり押しつけられるわけだ。

 内部で使いきれない豆を、外部の人間に押しつけようって魂胆なんだな。


「そんな歪な制度になっても、『BU』を抜けるって発想にはならないのか?」

「それは無理ね。だって、私たちの区は弱いもの」


 これといった特産物もなければ産業もなく、領土も狭い。

 仮に二十九区が歪なルールを嫌って『BU』を脱退したら、他の六区と敵対することになり、あっという間に経済的に崩壊する。

 領民は他区へ逃げ、本当の意味で消滅してしまうだろう。


「確かに、恩恵はあるわ。けれど、それ以上に……孤立は出来ないのよ。この世界で生きていくためには」


『BU』に留まる理由は、「生きるため」ということらしい。


 料理は、豆を残して綺麗になくなっていた。

 俺は茹でたソラマメを齧りながら、この歪ながらも結束の固い『BU』という共同体にどう対峙したものかと頭をひねっていた。


 この街で威力を発揮するのは多数決。

 だが、向こうには敵が七人もいる。


 最も簡単な勝利方法は、こちらが八人以上の人間を揃え、多数決を行うことだが……『BU』内での決定に、部外者が口を出せるとはとても思えない。

 八人を引き連れて「多数決に参加させろ」と迫ったところで、「こいつらを多数決に参加させたいと思う者は?」って多数決を採られて、一瞬で否決するだろう。


 一番現実的なのは、七人のうち四人をこちら側に寝返らせることなのだが……


「ヤシロ様」


 そっと、ナタリアが近付いてくる。

 これまでの話をじっと黙って聞き、発言を控えていたナタリア。俺に何か言いたいことがあるようだ。


「もし、『BU』内の他の区へ赴かれる時は、私がお供させていただきます」


 どうやら、ナタリアも同じことを考えていたようだ。

 多数決をひっくり返すには、四人以上をこちらに引き込まなければいけないと。


「『BU』内では、かなり極端な同調現象が起きているとのことです。で、あるならば……私はどこへ行ってもモッテモテです!」

「今だけはね!」


 黒髪を全力で掻き上げるドヤ顔のナタリアに、エステラのツッコミが間髪入れずに突き刺さる。


「一時のブームだよ。あと数週間もすれば、また違う流行が出てくるさ」

「だからこそ、今、私がモッテモテのうちに他区へ赴き、各領主様方と交渉をするべきではないかと思うのです。なにせ、私、モッテモテですから!」

「ヤシロっ! ボクはこの切り札を使うことに反対だ! 効果は見込めるけど、著しく不愉快だからっ!」

「はは、奇遇だなエステラ。……俺もだ」


 確かに、話題の人物を連れて行けば、相手の心証がよくなるかもしれん。

 だが…………ナタリアを見て鼻の下を伸ばしてるヤツとまともな交渉なんぞしたくもない。

 グーで殴りかねないからな、そんなヤロウは。


「もっと普通の手でいくさ」

「へぇ、ヤシロが正攻法を推奨するとはね」

「何言ってんだよ、エステラ」


 お前は、ホント俺のことを分かってねぇなぁ。


「もっと普通の『卑怯な手段』で攻め込むっつってんだよ」

「……どうしよう、全力で止めたくなってきた」


 エステラ。その握り拳は俺ではなく『BU』の領主どもに向けろ。

 俺は何も間違ったことは言っていない。


「私のお話、何かの役に立ったかしら?」

「あぁ。とりあえず謎過ぎた『BU』の実態がおぼろげながら見えたのは収穫だった」

「あら、そ~ぅ? なら、よかったわ」


 まんまるい手をすり合わせ、握り、腹の上にぽふっと載せて、マーゥルは大きな窓から庭を見やる。

 見事な庭園の向こうに広がる空の下には、四十二区がある。


「あんなに綺麗なものが、こんなくだらないことでもう見られなくなるなんて……私、絶対嫌なのよね」


 最初、マーゥルがなんの話をしているのか理解が出来なかった。

 しかし、その直後にマーゥルがセロンとウェンディに向けた優しい微笑みを見て、ようやく合点がいった。


「花火を、ご覧になったんですね」


 俺が言うより早く、エステラが言う。

 ここからなら、あの日の花火が綺麗に見えたかもしれない。


「えぇ。とっても綺麗だったわ。急に大きな音が鳴ったから、最初は何事かと思ったけれど」

「すみません。配慮が足りませんでしたね」

「ううん。自区内でのお祭りごとだもの、盛大にやった方が絶対いいわよ。私は、そういうの大好きだから」


 近隣各区にはあいさつ回りを済ませたつもりでいたのだが、『BU』の方にまでは気が回っていなかった。

 この距離で花火が上がれば、そりゃあ驚くだろうに。


 ま、だからこそ目を付けられたんだろうけどな。


「奥様は、本当にお祭りがお好きなんですよ」


 食事が終わり、紅茶が運ばれてくる。

 マーゥルの隣にワゴンを置いて、オシャレなティーカップに紅茶を注ぎながら、シンディが俺たちに『告げ口』をする。


「精霊神様のお祭りも、こっそり覗きに行かれたくらいですものね」

「もぅ、シンディ。余計なことは言わないで。恥ずかしいわ」


 オバちゃんのような手つきでシンディの肩を叩き、微かに赤く染まった頬を隠すように押さえる。


「セロンさんとウェンディちゃんの光るレンガ……本当に綺麗だったわぁ……それに、光の行進も……あんなに綺麗なお祭りを見たのは生まれて初めてだったわ」


 あの日の光景を思い浮かべているのだろうか、マーゥルは瞼を閉じてうっとりとした表情を見せている。


 街道を誘致するために企画した精霊神の祭り。

 今でも、あの時の光景ははっきりと思い出せる。


 マーゥルはアレを見に来ていたのか。


「あの後、何度も光るレンガを見に四十二区の教会へ通ったのよ。光るレンガね、明るいところで見ても、とっても素敵だった」


 マーゥルが照れながら言う。

 それで、俺と出会った時に教会付近をうろうろしていたのか。


「あぁ、もう恥ずかしい。これは内緒にしておくつもりだったのに」


 セロンとの結婚話はなくなっても、マーゥルはセロンのレンガのファンなのだろう。

 自分が憧れているということを本人に知られるのは、確かに少し恥ずかしいかもしれないな。


「ウェンディちゃん」

「は、はい」


 名を呼ばれ、ウェンディは足早にマーゥルへと歩み寄る。

 椅子に腰かけるマーゥルの前に立ち、気持ち緊張した面持ちでマーゥルの言葉を待つ。


「私、あなたのことも大好きよ。虫人族の中では一番」

「マーゥル……様……」


 はっと息をのみ、口元を押さえる。

 今にも泣きそうな顔で、瞳を潤ませる。


「私の方がもっとウェンたんのことを好きだけどな!」

「いい雰囲気をぶち壊すんじゃねぇよ」


 ルシアがぷりぷり怒り、それを見てウェンディが笑みを零す。涙は、ギリギリのところで零れなかった。


「マーゥルさん、『虫人族』という言葉をご存じなんですね」

「えぇ。セロンさんとウェンディちゃんの結婚式、私も見に行ったもの」

「えっ!?」


 意外な事実に、エステラが目を丸くする。

 セロンに視線を向けると、セロンは照れくさそうにその時のことを説明する。


「実は、ご迷惑かとも思ったのですが、ご連絡を差し上げるのが筋かと思い、マーゥル様に招待状を差し上げたのです」

「披露宴には参加出来なかったけれど、パレードだけは見させてもらったわ。ウェンディちゃん、綺麗だったわぁ」

「そういうことならボクにも言っておいてほしかったな。そうすれば、それなりの対応が出来たのに」

「ごめんなさいね、エステラさん。それは、私が『やめて』ってお願いしたの。『内緒ね』って」


 不満顔のエステラを宥めたのはマーゥルで、俺はその気持ちがなんとなく分かった。

 主役の二人を差し置いて自分をもてなしてほしくはなかったのだろう。あの時は、主賓にルシアもいたしな。

 マーゥルの性格なら、すみっこの方からこっそり眺めている方が楽しいのではないだろうか。なんとなく、そんな気がする。


「でも、素敵な言葉ね、『虫人族』って。『獣人族』も素敵。これまで使われていた言葉よりずっといいわ」


 マーゥルも『亜人』や『亜種』といった呼び名は嫌いだったらしい。


「古い呼び名に反旗を翻し、新しい呼び名を定着させたのも、ヤシぴっぴなんでしょ?」

「たまたまだ」


 俺は見た目で適当に呼び名をつけただけだ。周りの連中が勝手に真似して、気が付いたらちょっと広まってたってだけで、反旗を翻す気も、新しい呼び名を定着させるつもりもなかった。

 たまたま。偶然の産物だ。


「そうだ、ヤシぴっぴ。もしどこかに、変わった、面白い人がいたら是非紹介してくれないかしら? ウチの給仕に雇えそうな人で。ヤシぴっぴの知り合いなら、技術なんかなくても大歓迎よ」

「いや、まぁ……確かに俺の知り合いは軒並み変なヤツばっかりではあるが……」


 そこの真っ平らとか虫マニアとか。


「エステラ、ルシア。バイトをしてみる気はないか?」

「なんでボクたちを勧めようとしてるんだい?」

「貴様がここで働け。そして四十二区から出て行け。ハム摩呂たんとミリィたんは私が面倒を見る!」

「よし、とりあえずルシアはしばらく四十二区出入り禁止だ」


 確かに変な知り合いばかりだが、『給仕として働ける者』という条件を満たせる者がいない。

 どいつもこいつも仕事を持ち、そしてその仕事に誇りを持っているヤツばかりだからな。

 あと、ここの給仕になるってことは、二十九区に住むことになるだろうし……うん、いないな。


「すまんが、心当たりがないな」

「そぅ? 残念ねぇ。まぁいいわ。もしどこかにいい人がいたら、声をかけておいてね」

「どこかに転がってたらな」

「そうね。本当にどこかの道に『転がって』いるような、そういう変わった人がいいわね。面白そうで」


 本当に道端に転がってるようなヤツはやめといた方がいいと思うけどな。

 そいつが、ダンゴムシ人族とかでもない限りは。


「そうだ。一つ頼みたいことがあるんだが」

「弟へのアポイントかしら?」


 う……ドンピシャだ。

 察しがいいというレベルを越えて、こいつは本当に読心術を心得ているんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。


 さすがは、領主になるために生まれ、生きてきた人物……ってとこか。


 もし、弟が生まれなければマーゥルが領主になっていたわけで。そうなればおそらく、今ほど奔放な行動も取れず、ここまで穏やかな雰囲気を纏ってもいなかっただろう。

 ……もしかしたら、ルシア以上に手強い領主が誕生していたかもしれないってわけか。……くわばらくわばら。


 なんとなくだが。マーゥルが領主だったなら、俺は盗んだ香辛料を売ろうとした段階で身柄を拘束されていたんじゃないだろうか、この二十九区で。

 そんな気がする。


「もし、弟がヤシぴっぴと一対一で対峙するようなことがあれば……きっと簡単に言い負かされてしまうでしょうね」


 にっこりと、こちらが考えていたことを見透かしたような言葉を寄越してくる。……敵じゃなくてよかった。とりあえず、今のところは。


「でも、ごめんなさいね。私から弟へのアポイントは取り付けられないの」

「なぜです?」


 エステラも、領主へのアポが欲しいと思っていたのだろう。無理だというマーゥルに詰め寄っている。


「私は与しやすいから」


 …………は?


「ほら、私って、ぽ~っとして、ほけ~っとして、おっとりさんでしょ? 口の上手い人にまんまと丸め込まれて、領主の身内という権限を利用されかねないじゃない? だから、私から領主への干渉は出来ないの。意見を言っても、きっと多数決で却下されるわ。そういう家なのよ、ウチは」


 …………ここの領主、アホだ。


「ありがとう、マーゥル。すげぇいいヒントをもらったよ」

「あら、そ~ぅ? うふふ」


 マーゥルがぽや~っとしていて与しやすい?

 こいつは、自分の利益になるところでは大いに協力してくれるだろうが、不利益になると思えば抵抗してくる厄介な相手だ。

 話していればそれくらい分かる。

 なにせマーゥルは、これまでの人生で、手に入れたいと思ったものはすべて手に入れてきているのだ。


 ここの領主は、こんな辺鄙な場所に館を建ててマーゥルを追いやったつもりにでもなっているのだろうか。

 滝の監視なんて言葉で、自分には決定権がないようなことを口にしていたが、とんでもない。ここの滝は、完全にマーゥルに掌握されている。


 館の裏庭から、崖に向かって広がる広大な庭園。

 これだけ立派な庭園だ。花屋や造園業の連中には知れ渡っているだろう。近隣の者も、その存在くらいは知っているに違いない。


 もし、あの滝を何かに利用しようとした場合、マーゥルのこの館が確実に邪魔になる。あの庭園も壊すことになるだろう。


 そんなことをしたら、住民がどう思うか。

「領主は、利権のために姉を追い出し、美しい庭園を破壊した」

 そんな噂を立てられでもすれば、異常なまでに同調圧力が強いこの街では致命的な悪評となり、最悪――領主を続けられなくなる可能性だってある。


 セロンにしたってそうだ。

 マーゥルが欲しかったのはセロンではない。

 マーゥルが欲したのは、セロンのレンガ――もっと言えば、セロンが思う存分レンガを作れる環境を整えたいと思ったのだ。

 そして、それはウェンディという存在が現れたことで守られ、さらなる副産物を与えてくれた。


 もしかしたら、精霊教会へ寄付したのだって、教会が存続出来なくなることで四十二区が衰退するのを防ぎたかったから、かもしれない。

 セロンとウェンディ……光るレンガを守るために。


「けれど、弟にはいつか会えると思うわ。そう遠くないうちに、必ず」


 まるで予言めいた言葉を口にして、マーゥルは紅茶に口を付けた。

 話は終わり、ということらしい。


 マーゥルは変えたがっている。この二十九区を。

『BU』という共同体に縛られた、不自由なこの街を。

 そのために、俺たちを利用しようとしていやがるのだ。


 この街の実態を見せ、聞かせ、そして匂わせる……一対一なら、今の領主は俺の敵ではない……なんてことを。

『BU』を突き崩せば、この街は生まれ変わる。


 マーゥルは、それを俺にやれと言っているのだ。


「報酬は高くつくぞ」

「あら? なんの話かしら?」


 ……こいつ。


 そんなとぼけた返事を聞いて、俺は確信する。

 マーゥルは侮ってはいけない女だということを。


「ヤシぴっぴは頭がいいから、きっといろいろ考えちゃうんでしょうけれど、これだけは忘れないでね」


 これまで、自分は椅子に座ったまま周りの者を呼び寄せていたマーゥルが立ち上がり、自分の足で俺へと近付いてくる。

 そして、俺の目の前に来るや、両手で俺の右手をそっと握りしめる。


「私は、ヤシぴっぴが大好きよ」


 ……その言葉、今のところは信じておいてやるよ。


「『BU』のボスは後回しにするとして、他の領主で会えるヤツがいるなら会いに行ってみるか」


 エステラに言葉を向けると、マーゥルの手がそっと離れていった。

 仮契約ってところかな、さっきの握手は。


 出来ればよし。出来なくてもそれはそれで仕方ない。

 だが、最善は尽くしてほしい。


 そんなところだろう。


「それじゃあ、アポイントが取れ次第、他の領主に会いに行くとしようか」


 エステラがナタリアに目配せをする。アポイントを取れという意思表示なのだろうが、マーゥルがそれに待ったをかける。


「それならまず、二十七区の領主に会うといいと思うわ」


 二十七区は、俺たちがここへ来る際、必ず通る区だ。

 高低差の激しい外周区と『BU』。その両者の高さが同じになるのが三十八区と二十七区が接するポイントなのだ。


「彼女になら、私からアポイントを取りやすいから紹介状を書いてあげるわね」

「二十七区の領主と面識があるんですか?」

「えぇ。ちょっとね。彼女とは、趣味が似ているのよ」


 にこにこ顔でシンディに手紙の用意をさせるマーゥル。

 エステラはマーゥルが手紙を書く様をすぐそばで見守っている。


 なので、俺はルシアに尋ねる。


「二十七区の領主って、どんなヤツなんだ? 『彼女』ってことは、あの時いた唯一の女領主だとは思うんだが」


『BU』の面々と会談した際、その中に一人女領主がいた。

 そいつは、多数決で反論を封殺されかけた俺たちの意見を聞くべきだと進言してくれたヤツでもあり、もしかしたら、こちらにとって都合のいいように動いてくれる人材なのかもしれない。


「二十七区の領主は、トレーシー・マッカリーという若い娘だ。二年前、十七の頃に領主になったばかりでな、周りからの『新米領主』というイメージを払拭するためにかなり強引な政策を取り続けている人物だな」


 若い女。それだけで、風当たりは相当に強そうだ。

 そんな周りの意見を押さえつけるために、我武者羅に働いているというのであれば、少々厄介な相手になるかもしれない。我武者羅と意固地は、時に錯覚されがちだからな。

「舐められたくない」という一心で、有益な話にすら耳を塞いでしまうことがある。


 だが、そういうヤツだからこそ、仲間に引き込みやすいという側面は、確かにある。


 マーゥルがわざわざ勧める人物だ。何かある。

 俺に付け入る隙があるのか……最も厄介な相手なのか……とにかく、真っ先に攻略しておくべき相手なのだろう。


 マーゥルはアッスントと同じで、厄介な相手だが利害が一致している時は信用出来る、そういう人間だ。

 なら、まんまと思惑に乗ってやるさ。


「二十七区へは同行出来ぬぞ」


 突然、ルシアがそんなことを言う。


「私も、ずっと暇というわけではないのでな」


 至極当然なことを口にしたその表情は、見ようによっては、心配してくれているようにも見えた。


「そんなに寂しがるなよ、ルシア」

「ほざけ。貴様が、だろう」


 互いに不敵な笑みを交わし、真意を有耶無耶にする。

 慣れ合うような関係じゃないだろう、俺らは。……ま、そう心配すんな。上手くやるさ。


「ヤシロ。紹介状をもらったよ」


 そして、こっちはこっちでやる気満々の表情を浮かべている。

 エステラは切れ者ではあるが、ルシアやマーゥルのような経験値がまだ少し足りない。

 今回の件でいろいろな領主とやり合えば、そこも補えるだろう。


 ……最も厄介な『敵』を育てる感覚に似ているな。

 エステラが鋭くなればなるほど、俺は悪事を働きにくくなるんだけどなぁ。


「どうしたんだい、面白い顔をして? ……元からだけど」

「やかましい。用が済んだなら、さっさと帰るぞ」

「あ、うん」


 改めてマーゥルに礼を述べ、俺たちは二十九区を後にした。

 と、その前に、『ちょっとしたお願いごと』をしておいた。これが実現すれば、何かと楽になるだろう。



 そして馬車に揺られること数時間。

 四十二区へとたどり着いた時には、とっぷりと日が暮れていた






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