163話 早朝の出発

「ヤシロさん。これ、馬車で食べてくださいね」


 早朝。ジネットが俺に大きなバスケットを渡してきた。


「……ビーフカツサンドか?」

「い、いえ! ……あの、昨日は、その……ちょっと、はしゃぎ過ぎてしまって……すみませんでした」


 一晩明けて、ジネットはようやく正常な判断が出来る程度に冷静さを取り戻していた。

 大量生産されたビーフカツレツは、ビーフカツサンドとして四十二区の住民の胃袋に流し込まれていった。まさに流れ作業。多少強引に売りつけて捌き切ったのだ。


 こういう時にロレッタの宣伝力は役に立つ。

 あいつが大通りで告知をしてくれば、かなりの客が店まで足を運んでくれる。

 これまでに陽だまり亭が獲得してきた信頼と実績、そして、胃袋を直接刺激するロレッタの口上が人々の足を陽だまり亭へと向かせる。

 ロレッタの『飯リポ』は、仕事上がりのすきっ腹にクリティカルヒットするのだ。


「パウラさんにまでご迷惑をおかけして……反省しています……」


 揚げ物祭りとなってしまったために、パウラに頼んで冷えたビールを提供してもらったのだ。

 大食い大会での大人様ランチやフードコートがきっかけで、四十二区の飲食ギルドは相互扶助を解禁している。

 つまり、他店舗へ出向いて商品の提供を出来る仕組みを作ったのだ。

 これで、食材不足の際のヘルプや、コラボ企画がやりやすくなった。

 他の区ではあまり見られないことらしいが、四十二区だからな。今のところは上手く回っている。


 しかし、今回のような『緊急処置』はそうそうあることではない。

 ジネットがしゅんとうな垂れているのも頷ける。パウラにはちょっと無理をさせてしまったかもしれない。今度埋め合わせをしなくてはな。


 というわけで、少なからず反省をした様子のジネットは、先ほどからもじもじ照れ照れし続けているわけだ。


 時刻は早朝。

 現在、教会への寄付の下ごしらえの真っ最中。

 ただし、俺はこの飯を食えない。今から出なくてはいけないのだ。


「二十九区は遠いですので、気を付けてくださいね」

「すぐそこにあるのにな」


 意図せず、視線が北側へと向いてしまう。


 二十九区は、四十二区のすぐ北側に位置している。

 ニュータウンに隣接し、大声を出せば声が届くかもしれないような距離だ。


 ただ、30メートル前後の高い崖に阻まれている。


 それ故に、二十九区へ行くには外周区をぐるっと迂回しなければいけない。

 三十八区まで行って、ようやく他の区と同じ高さになるのだ。

 なので、最悪でも三十八区までは北上しなければいけない。実に面倒だ。


「精霊神様……どうか、ヤシロさんやみなさんを災いからお守りください」


 胸の前で手を組み、精霊神に祈りを捧げるジネット。

 今回は留守番なので不安があるようだ。


 そういえば、マグダとロレッタも付いてきたがっていたが、状況を鑑みて聞き分けなく駄々をこねることはなかった。


「ヤシロさん」

「ん?」

「……無茶は、しないでくださいね」


 優しく、諫められる。

 俺がそんな無茶ばかりしているように見えているとでもいうのか…………まぁ、結構無茶してるか。いや、でもな、そういう時ってだいたい向こうからやって来るんだって。いや、マジで。


「……善処する」

「はい。では、安心ですね」


 そう言ってにっこりと笑う。

 ……あんまり俺の言うことを信用し過ぎるな。調子が狂う。


 もっとも、進んで騒ぎを起こすつもりなんか毛頭ないけどな。


「そういえば、結局ルシアさんはどちらに宿泊されたんでしょうか?」

「エステラとギルベルタに言って、領主の館に監禁してもらったよ。全獣人族の安寧のためにな」

「それは……さすがに大袈裟な気がしますけど」


 何を言う。

 施錠だけでは不十分ではないかと思うくらいだ。

 首輪と足枷を付けて初めて安心出来るレベルだぞ、あいつは。


「……ヤシロ」


 そろそろ出かけようという頃合いになって、マグダが起き出してきた。 

 普段はもう少し眠っているはずだが、お見送りのつもりだろうか。


「……今日の夕飯は、マグダ特製のデラックスお好み焼きの予定」

「デラックスってなんだよ?」

「先日、マーシャと勝負をして大きなエビを勝ち取った」

「そんなことしてたのか……何で勝負したんだ?」


 マグダが勝ったってことは、腕相撲とかか?

 マーシャもかなりパワーがあるらしいが、マグダには敵わないだろうしな。


「……セクシーポーズ対決」

「勝ったの、それで!?」

「……圧勝」

「マジでか!?」


 審査員がウーマロだったとしか思えないような審査結果だな。


「……ちなみに、審査員はマーシャ」

「面白がってただけじゃねぇか、それ」


 単純に、マーシャはマグダと遊びたかっただけだろう。

 大エビはそのお礼か。


「……なので、期待しておくといい」


 ジッと俺の目を見つめて、マグダが言う。

 要するに、「美味しいご飯を作って待っているから、早く帰ってこい」ということらしい。


「分かったよ。それじゃあ、急いで帰ってこなきゃな」


 頭を撫でてやると「……むふー」と鼻を鳴らす。

 マグダもマグダなりに俺を心配してくれているようだ。


「……『BU』には、巨乳が多いと聞く。寄り道せずに帰ってくるように」

「マジでか!? どこ情報、それ!?」

「もう、ヤシロさん。ダメですよ、初めて行く区でそんなこと言っちゃ」


 なんとも耳寄りな情報を手に入れたというのに、詳細を聞くことが出来なかった。

 くそ、早く帰ると言ってしまった以上、現地での調査に時間を割くことが出来ない…………マグダめ、策士だな。


「それじゃ、行ってくる」

「はい。お気を付けて」

「……武運を祈る」


 デカいバスケットをぶら下げて店を出る。

 ドアの前まで来てずっと俺を見送ってくれるジネットとマグダ。

 なんだか俺も、随分と所帯じみたもんだ。ここらでピリッと気合いを入れないと。

 これから、敵の本陣へ踏み込んでいくわけだからな。


 短く息を吐き、俺は集合場所である領主の館を目指した。







「固いパンは嫌だとか、ミリィたんがいなきゃ乗らないとか、そんなしょうもないわがままはDカップになってから言ってください」

「胸は関係ないだろう、ナタリア!?」

「そうだぞ! 少し大きいからといって、調子に乗るでないぞ、給仕長!」

「少しではありません、かなり大きいのです。分かりましたか、乳なき子」

「「あるわっ!」」

「仲良くしろよ、お前ら……」


 領主の館に着くと、庭先で領主と給仕長が二セット、面白おかしく騒いでいた。

 朝っぱらから元気だなぁ、こいつらは。


「おや、ヤシロ様。おはようございます。乳なき子たちも準備は整っておりますよ」

「家なき子みたいに言うなよ」


 まぁ、何があってこうなったかは、悲しいかな、言われなくても想像がつくけどな。


「何かとわがままが多い、領主という人たちは。凄い思う、私は、ナタリアさんの毅然とした態度を。見習いたい思う、給仕長として、私も」

「ギルベルタやめろ。ナタリアが増えると、さすがの俺も対処に困る」


 黙って仕事してさえいてくれれば文句ない人物なんだけどなぁ……黙っていられないんだよな、こいつは。


「ねぇヤシロ、聞いてよ。ナタリアは、こんな固いパンが朝食だって言うんだよ? 馬車の中でこれを食べろって」

「パンが食べられるだけありがたいと思ってください。エステラ様は最近贅沢過ぎます」

「領主なんだから、食事くらい豪勢にいきたいじゃないかっ!」

「お太りください、エステラ様!」

「胸元なら大歓迎さ!」


 ……こいつらは、毎朝こんなにテンションが高いのか?


「ジネットからの差し入れがあるぞ。それで機嫌を直せ」

「ホントにっ!? やったぁ!」


 デカいバスケットを見せると、エステラが残像が残るくらいの速度でこちらに急接近してきた。

 人智を超えんじゃねぇよ、軽々しく。


「……ビーフカツ、かな?」


 喜色に満ちていたエステラの顔が、一瞬だけ曇る。

 さすがに、昨日嫌というほど食い続けたビーフカツは御免らしい。


「朝になって反省の色が見えていたから、中身は普通の弁当だと思うぞ」

「でかしたよ、ヤシロ!」


 バスケットを持つ俺の手を両手で握りしめ、ぐぐっと身を寄せてくるエステラ。

 何がでかしただ。えらそうに。


「朝食をダシに、いちゃいちゃしないでください」

「そっ、そんなつもりじゃないよっ!」


 ナタリアの指摘に、エステラの顔が瞬間沸騰する。

 手も離し、必要以上に俺との距離をとる。


「しかし、店長さんのお弁当があるのでしたら、パンは置いていった方がよさそうですね」


 そう言って、馬車に積んであったカゴを持ち出すナタリア。

 カチコチのパンがカゴの中で音を鳴らす。


「わざわざ降ろさなくても、置いとけばいいだろ。途中で食うかもしれないし」

「いえ。馬車で向かう以上、疑わしい物は持ち込まない方が賢明かと思いますので」

「疑わしいもの?」


 なんだ? パンが爆弾にでも見えるってのか?


「もう忘れたのか、カタクチイワシよ。『BU』の収入源を」


 そう言われて、ようやく思い出す。

 あぁ、なるほどな。


「パンを大量に持ち込むと、関税がかけられかねないってわけだな」

「そうだ。特に、今回のように、目の敵にされている状態では、どんな嫌がらせをされるか分かったものではない」


 俺たちをやり込めようとわざわざ呼びつけた連中だ。

 馬車の中の荷を調べてちまちまと関税をかけるくらいはやりかねない。


「関税をかけられる程度なら可愛いものだが、あえて関税をかけずに後から『脱税だ』などと騒がれては厄介だからな」

「脱税?」

「『BU』を通過した物品で、『BU』の関税がかけられていない物を売買すると脱税になって、後から高額な罰金を請求されるんだ」


 エステラの説明に、背筋が寒くなる。


 俺……以前、街の外から持ち込んだ香辛料を二十九区と、その周辺の区で売りさばこうとしたことがある。

 あの時は、『強制翻訳魔法』のせいで、その香辛料が盗品だとバレて誰も買い取ってはくれなかったのだが……もし売買が成立していたら後から脱税とか言われて多額の罰金を払わされていたかもしれないのか……

 盗品を売りさばいて脱税で罰金…………詰んでたな、こりゃ。よかった、誰も買ってくれなくて。

 思いがけず、精霊神に救われていたってわけか。……なんか悔しいな、くそ。


「売買の意思がなくとも、まとまった数を持ち運べば『嫌疑』をかけられてしまう。まったく、面倒くさい街だ、『BU』は」


 腰に手を当て、ルシアが嘆息する。

 領主として、何かと『BU』と関わりがあるのだろう。その顔には『BU』に対する面倒くささが染みついていた。


「ともかく、全員が揃いましたので出発いたしましょう。ルシア様、本日はエステラ様以下、我々まで同乗させていただきありがとうございます。謹んで、お礼申し上げます」


 慇懃な態度で、ナタリアが深々と礼をする。

 すげぇ。まるで偉い人に仕える責任者のようだ。

 ……うん、領主のところの給仕長なんだけどな。


 ルシアも、その想いは汲み取りつつも、整った顔を軽く歪ませる。


「よせ、給仕長。今更形式ばった付き合いなど求めたりはせん。普通にしていろ」

「ルシア様……」


 心持ち砕けた表情を見せるルシアと、それを見つめるナタリア。

 四十二区と三十五区は、いい意味で近付いたのだろう。


「私、普段家に居る時は全裸で……」

「さぁ、馬車に乗ろうか!」


 ナタリアとルシアの間を通り、俺は馬車へと乗り込む。

 この会話はここで終了! 強制終了だ!

 誰がそこまで普段通りにしろと言ったか!


「おい、カタクチイワシ! 貴様はきちんと礼を尽くせ! 私は領主だぞ!」


 なら、領主らしい振る舞いを心がけろと言いたい。

 ここ最近は、俺の前では痴態しかさらしていねぇじゃねぇか。


「よし、俺が上座に座ってやろう」

「貴様! 領主を差し置いて!」

「ヤシロ、ボクも一応領主なんだよ。断りもなく上座に座るのはどうなのかな!」

「やかましい、胸の順だ!」

「「負けてないわっ!」」


 狭い馬車の入り口に俺とアホの領主二人が殺到してつっかえる。

 くそっ、なんて品の無い貴族共だ! 教会のガキと同レベルじゃねぇか!


 こうなったら、意地でも上座に座ってやる!

 一番奥の、進行方向を向いた方の、窓際に!


「ギルベルタさん」

「何かと問う、私は。ナタリアさんに」

「引っ張り出してください」

「了解した私は」

「強めに」

「心得ている、私は」

「「「ぅぉおおっ!?」」」


 俺たちの服が割と強めに引っ張られる。

 遠慮も手加減も無しだ。


 俺は地面へと倒され、その上にエステラ、ルシアが覆い被さってくる。

 退け! 重い!


「まったく……嘆かわしいですよ、皆様」

「まったく思う」


 倒れる俺たちを給仕長二人が見下ろしている。


「男女がもつれ合って転倒したというのに、なぜ顔がおっぱいに埋まらないのですか!?」

「そこなのかい、君が嘆いているポイントは!?」

「仕方ない思う。領主二人の大きさでは起こり得ない、『埋まる』という現象は」

「やかましいぞ、ギルベルタ!」


 それぞれの給仕長に怒鳴り散らす領主。

 ちゃんと躾けていないからそういうことになるのだ。

 ……くそ、どっちもまともじゃない。まともな人間が一人もない。


「俺がしっかりしなきゃ、『BU』との交渉で酷い目に遭いそうだ……っ!」

「もともとは貴様がふざけたからだろうが! その結果がこれなのだぞ、カタクチイワシ!」

「まったく……出発前からこれじゃあ、先が思いやられるよ」


 立ち上がり、服の砂を払い、改めて馬車へと乗り込む。

 やれやれ。ようやく出発だ。


 一応、馬車の持ち主に気を遣い、上手にルシア、二番目にエステラ、そして、俺の順で座った。

 ナタリアとギルベルタは俺たちの向かいの席、進行方向とは逆向きの席へと腰を下ろす。こいつらはいつも下座だ。

 ルシアが上座にいるからか、ギルベルタが下座へと座っている。


「ドアの開閉を行う、私が。所有者の給仕として」


 そこには、一種の誇りのようなものがあるらしい。

 この世界の給仕長は決して偉ぶらない。実に忠実だ。


「図らずも、上座下座で乳格差が生まれてしまいましたね」

「優位に立って申し訳ない思う、私は」

「「余計なことは言わなくていい!」」


 まぁ……俺の思い描く『忠実』とは、ちょっと種類が違うようではあるが。


「それにしても、随分と出発が早いよな」


 いくら二十九区が遠いからといっても、こんなに早く出る必要があったのだろうか。

 呼び出しは、今日の午後ということだったと思うが。


「『午後』という表現は実にあいまいだからな。正午を過ぎた瞬間に『遅刻だ、非礼だ』と騒ぎ立てる腹積もりかもしれん」

「酷い場合は、時間に遅れたとして、一方的に交渉破棄だと決めつけられることもあるんだよ」

「……子供じみた嫌がらせだな」

「貴族……、だからね」


 わずかな自嘲を含み、エステラが肩をすくめる。

 こいつは、自分が貴族であるという事実をどう受け止めているのだろうか。


 少なからず、その他大勢の嫌な貴族と同じような振る舞いはすまいと思っているようだが。

 貴族に対する付き合い方ってのは、やっぱり貴族にしか分からないものなのだろうな。


 労働もしないで金を得ているから、暇な時間にそういうイヤミなことをねちねち考えちまうんだろうな。少しはエステラを見習ってもらいたいもんだな。


「それよりヤシロ! お腹空いた! ご飯食べようご飯食べようご飯食べよう!」

「……教会のガキか、お前は」


 あいつらは、ジネットの顔を見ると「お腹空いたお腹空いた」と大合唱しやがって。

 ……良くも悪くも、エステラは貴族っぽくないんだよな。


「それでは、店長さんのご厚意を召し上がるとしましょう」


 バスケットはナタリアに渡しておいたので、飯の準備はナタリアが主導で行ってくれる。

 から揚げや、サケフレーク混ぜご飯のおにぎり、分厚い卵焼きに白身魚のフリッターなんかが綺麗に並んでいる。

 ……ビーフカツレツはなかった。さすがに自粛したか。


「ナタリア。みんなに取り分けてあげて」


 エステラが指示を出す。

 他の人間を優先させるあたり、こいつも少しは成長したのだろう。

 昔は、ジネットの料理となると「自分が、自分が」とがっついていたもんだが。


「取り分けたら、残りは全部ボクにちょうだい!」


 おぉっと、何一つ成長してなかった!?

 お前はジネットの料理好き過ぎるだろう!?


「ったく……成長しないな、お前は」

「胸の話は関係ないだろう!?」

「胸の話じゃねぇよ!」

「「「「『精霊の……』」」」」

「全員に信用されてないだとっ!?」


 俺以外の全員が、腕を真っ直ぐ伸ばして俺を指さしている。

 なんだ、俺は胸の話しかしないとでも思われているのか!?


「心外だ! こうなったら胸の話ばっかりしてやる!」

「いつも胸の話ばかりしてるじゃないか、君は……」

「あ~ぁ、どこかに落ちてないかなぁ!」

「それ、胸の話なのかい!?」


 バカモノ、異世界だぞ?

 何が起きても変じゃないだろうが!


「そういえば、オッパイ人族っていないのか?」

「いるわけないだろう!?」


 ちっ! つまんねぇの。小さくまとまりやがって!


「給仕長よ、カタクチイワシの分は取り分けなくてよい。あいつは道端で草でも食わせておけば十分だ」


 などと、ルシアが失礼なことを言いやがる。

 ナタリア、あまりにも度が過ぎる暴言には注意をしてやってくれ。


「ルシア様。そんなことをすれば、本当に落ちているおっぱいを見つけかねませんよ。ヤシロ様とは、そういう人なのですから」

「お前が一番失礼だったわ、そういえば! 失念失念!」


 領主との会食とは思えないくらいの賑やかさで、俺たちは朝食を食った。

 ジネットの料理は相変わらず好評で、ルシアも舌を巻くほどだった。

 四十二区では普通になりつつある『弁当』だが、他の区ではやはりまだ「冷えた食事は美味しくない」という先入観が強いらしく、ルシアとギルベルタは弁当の味に驚きを隠せないようだった。


 保存を意識しない携帯食っていうのが、この世界には珍しいものらしい。

 弁当の概念が広まれば、ちょっとした革命が起こるかもしれないな。


「まず、午前中に二十九区の領主の館へ赴き、到着した旨を伝えておく」


 弁当をつつきながら、ルシアがこの後の予定を説明する。

 ……ほっぺたに米粒ついてんぞ。


「おそらく、『早過ぎる』だとか『時間も守れない』だとかと、イヤミを言われるだろうが全力で無視をするように」


 それは、俺に向けての注意のようだ。

 貴族連中の中では常識なのだろうな。めんどくせ……


「それから、馬車を置いて少し街の中を見て回ろうと思う」

「街の状況を実際に見て、水不足がどの程度深刻なのかを調べるんだよ」


 ルシアの言葉を継いで、エステラが補足をする。


「おそらく水不足はポーズで、街の中はいたって平穏だと思うけどね」


 それを実際見ておくということに意味がある。

「きっとそうだろう」と、「実際そうだった」では、説得力に雲泥の差があるからな。


「ついでに、水門も見ておくか」

「そうですね」

「それから、昼食も取っておきましょう。『午後』というのがいつだと明確に分からない以上、食事は出来る時にしておいた方がいいでしょうから」

「賛成する、私も、ナタリアさんの意見に」


 最悪、昼から拘束されて夜中まで待たされるなんてこともあり得るかもしれないわけで、そうなったら飯は食っておいた方がいい。

 いちいち予防策を取らなきゃいけないってのは、本当に面倒くさい。


「……『BU』でご飯かぁ」

「まぁ、そう嫌そうな顔をするな、エステラよ。そういうものだと諦めてしまえば、食えないものでもないではないか」

「なんだ? 『BU』の飯はそんなに不味いのか?」


 エステラがあからさまに肩を落とし、隠すことなく落胆の表情を見せる。

 自称食通の、単なるジネットファンであるエステラは飯の味にはそこそこうるさい。

 四十一区の黒糖パンレベルの『ケーキ(笑)』をありがたがっていたりもしたけれど、一丁前に食通気取りなのだ。ぷぷっ。食通(笑)。


「ヤシロ……無言でボクを咎めるのをやめてくれないかな?」

「なんで分かるんだよ」

「そんなニヤニヤした顔で見られたら、嫌でも分かるよ!」


 まぁ、食通といっても所詮はエステラだ。

 ハンバーグに目玉焼きを載せてやるだけで「……か、革命が起こったっ!?」と大騒ぎしていたレベルなので、こちらは扱いやすくていい。


 で、そんなエステラがあからさまに嫌な顔をするってことは、その料理が救いようのない味だということだ。

『BU』……外周区よりも身分が一個高いくせに、飯が不味いのか……まぁ、四十一区も四十区も、ちょっと前までは陽だまり亭の味に遠く及ばない飯しかなかったもんな。


「まぁ……君も食べてみれば分かるよ。ボクがこんな顔になる理由が」


 シートに身を預け、魂でも抜け出したかのように脱力するエステラ。

 好き嫌いがはっきりしているところは実に子供っぽいな。


 子供っぽいと言えば。……いつまでほっぺたに米粒付けてんだよ、ルシア。


「とにかく、向こうに付け入る隙をなるべく与えないように行動しようと思っている。いいな、カタクチイワシ。トラの尾を踏むような行為は慎むのだぞ」


 今の説明は、俺に「余計なことはするなよ」と釘を刺すために行われたものらしい。

 ……付け入る隙を与えないってんなら、その米粒をさっさと取れってのに…………ったく。


「そんな顔で言われても説得力ねぇよ」

「んなっ!?」


 しょうがないから、腕を伸ばしてほっぺたの米粒を取ってやる。

 突然頬に触れられて、ルシアが目を丸くするが、米粒をつけっぱなしにするよりかはマシだろう。我慢しろ。


 そうして、俺は食い物をとても大切にするタイプの人間だ。

 故に、指で摘まんだ米粒を捨てるなど言語道断。かといって、これを誰かに「あ~ん」とか出来るはずもなく、消去法で、俺はその米粒を口へと放り込んだ。


「――っ!?」


 衝撃映像でも見たかのように、ルシアの顔が驚愕の色に染まる。

 驚愕の色……と、いうより、真っ赤に染まる。


「か…………か………………」


 ぷるぷると震える指で、俺を指さし、馬車の壁に背を押し当てるように俺から少しでも距離を取ろうとする。


「か…………間接キッスだ!?」

「どこがだ!?」


 間接キスは、口に付いた物を口に運ぶ行為だろうが!

 つか『キス』に小さい「ツ」を入れるな! 余計恥ずかしい!


「間接『ほっぺチュー』だ!」

「だから、それも逆だろう!?」


 俺の口に付いた物をルシアの頬に付けたのならまだしも!


「け、穢された!」

「人聞き悪いな、お前は!?」

「き、貴様は人として悪いだろうが! この悪人! よ、よくも、領主に対してそのような不埒な行為をっ!?」

「親切心だっつうの!」

「私がモテないから、親切心でイチャイチャしてやったとでも言うのか!」

「そうじゃねぇよ!」

「ちょっとドキドキしたわ! ありがとうな!」

「落ち着けルシア! お礼言っちゃってるから!」

「むぁあああっ! こっちを見るな! 向こうを向いておけ!」


 最終的に、両手で顔を覆い、取り皿を投げつけ、ルシアは俺に背を向けた。

 ……その隣に座るエステラからの視線の冷たいこと冷たいこと……俺、そんな悪いことしてないだろうに。


 言われた通り、なるべくルシアを見ないようにしていると、俺の斜向かいでギルベルタがほっぺたに鮭フレークおにぎりを「ぎゅむ!」とくっつけた。


「ほっぺたに付いている、私も、お米粒が」

「いや、デカいよ……ギルベルタ」

「またおっぱいの話、友達のヤシロは」

「いや、デカいけど! そうじゃないから!」

「ヤシロ様。今日もフルスロットルですね」

「そんなつもりもねぇっての!」


 つかナタリア、「フルスロットル」って、何が翻訳された言葉なんだよ。ないよな、車とかそういう乗り物!?

 例によって、分かりやすい言葉を選んでくれる『強制翻訳魔法』に嘆息しながら、俺は二十九区までの長い長い道のりを、なんとも居心地の悪い思いで過ごした。






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