追想編13 マグダ

「……マグダ、出陣」


 陽だまり亭を出て、街道を歩く。

 目的地は、大通りを越えた向こうの通りにある溜池前の広場。


 去年の大雨の時、通りに溢れた水を逃がすためにヤシロとロレッタの弟妹たちが作った溜池。

 あの近辺の住民はやたらと妹たちに好意的で、今では移動販売の主要ポイントの一つとなっている。


 最近は、加熱するたこ焼きブームの影響で、二号店ではたこ焼きを売るようになっていた。

 ウェンディたちの結婚式が終わった後、打ち上げでたこ焼き修業をした妹たち。今では商品として通用するたこ焼きを焼けるまでに成長していた。

 しかし、いまだ大量のお客さんは捌けないようで、たまにこうしてマグダにヘルプの声がかかる。

 まったく……まだまだだ。


 たこ焼きの女神とまで言われた(←ウーマロに)マグダには、まだまだ追いつけそうもない。


 それはそうと、ポップコーンの売れ行きが落ちているという現状も問題である。

 ポップコーンの戦乙女と呼ばれた(←ウーマロに)マグダとしては、ポップコーンもしっかりと売っていきたい所存。


 陽だまり亭は変わった。

 けれど、まだまだ改善の余地はある。

 マグダがやるべきことはまだまだ多い。


「……マグダは、やるっ」

「はぁぁあん! おもむろに立ち止まってキリッとした表情を見せるマグダたん、マジ天使ッス!」


 街道で偶然ウーマロを見かけたのでコミュニケーションを取ってみる。

 今日も相変わらずのウーマロ。やや、可愛い。


「あれ? マグダたん、ちょっとお疲れッスか?」


 ぴくっ……と、マグダの耳は動いたに違いない。

 むぅ。ヤシロ以外にマグダの心を読める者が現れるとは……ウーマロ、腕を上げたな。


「……アンニュイな女は、色っぽい」

「はぁぁああん! 『そっちじゃない』方向へ全力疾走していくマグダたん、マジ天使ッス!」


 むむ?

『そっちじゃない』とな?

 失敬な。

 マグダは今年で十三歳。そろそろ大人の色香も漂い始めるお年頃。

 ……証拠を見せる。


「……あっは~ん」

「はぅっ! 心臓がっ! 心臓が二回止まったッス!?」


 心臓が「きゅんっ!」と一回止まって「あ、勘違いかも…………あぁ、やっぱりきゅんっ!」と二回止まったということだろう。

 ふふふ……マグダは、小悪魔にもなれる。


「ウーマロ。今日も仕事に励むように」

「はぁあぁあん! そろそろ日没って時間に応援されたッス! なんならこっからもうひと仕事してくるッス!」


 衛兵のようにビシッと敬礼をして、街道を全速力で駆けていくウーマロ。

 うむ。マグダは今日もいいことをした。


「……相変わらず賑やかなヤツだな、ウーマロは……」


 ぴくり……と、耳が動く。

 この声を聞くと、自然と耳がそちらに向いてしまう。これはもう条件反射のようなもの……

 そして、耳に続いて視線がそちらに向く。体ごと。


「……ヤシロ」

「よう。お使いか」


 今朝出て行ってから、しばらくぶりの再会。


 約半日。

 ヤシロが陽だまり亭を空けるのはよくあること。

 もっと長い時間会えないことも、ままある。


 なのに、もう……随分と会っていなかった気がする。

 久しぶり。そんな感情が湧き上がってくる。


 そして、心の底から、――ほっとする。


「……陽だまり亭へ帰る?」

「いや。散歩中だ」

「……そう。こちらはこれから妹たちの応援に行くところ」


 今のヤシロには、「マグダ」という言葉は言えない。

 ヤシロの心に大きなダメージを与えてしまうらしいから。


 …………寂しい。


「……付いてきても、別にいい」

「そうだな。じゃあ、付いていこうかな」


 むふ……ヤシロはマグダには甘い。

 最近はいろんな女に優しくしているようだが、マグダには最初から甘かった。マグダは特別であるという証左。


 おそらく、マグダに甘くしていたせいで、その甘さが各方面へと拡散されていってしまった。

 故に、ヤシロ近辺の女子たちはこぞってマグダに感謝するべき。


「……カリスマは疲れる」

「なんのだよ? たこ焼きのか?」

「……女子のカリスマ」

「ほぅ、それは初耳だな」


 やはり、男子は最先端の情報に疎い。

 今巷では、マグダのようになりたいマグダ女子が多発しているというのに。

 二号店の妹たちがその好例。

 みなこぞってマグダのマネをしたがる。


「……たこ焼き人気の火付け役でもある」

「そうだな。一気に人気が広がったもんな」


 たこ焼きをひっくり返すマグダが可愛いから。男子はときめき、女子は憧れている。

 ……罪な女である。


「……ヤシロは、好き?」

「たこ焼きか? おう、好きだぞ」


 むぅ!

 たこ焼きを焼くマグダが好きかを聞いたというのに。


 そんなにたこ焼きが好きならば、熱々を口いっぱいに詰め込んでやる。

 はふはふ言えばいい。


「……そういえば、覚えているの?」

「ん?」

「……ウーマロ」

「あぁ、名前な」


 先ほどヤシロは『相変わらず賑やかなヤツだな、ウーマロは』と言った。

 ウーマロの名前を、覚えている。


「おっぱいより大事じゃないからな、あいつは」

「……なるほど」


 確か、レジーナが言うには、あの寄生型魔草は、大切な記憶に寄生するらしい。

 それ故に、さほど大切ではないウーマロの記憶は無事だった………………むぅ、なんだか釈然としない。


「……ウーマロは、今後ご飯大盛り禁止」

「地味な制裁はやめてやれな」


 マグダは、ヤシロにとってとても大切。

 だから、寄生型魔草も真っ先に狙ったはず。

 マグダの名前を思い出させるのは至難の業……


「……思い出せ」

「ものすげぇ命令口調だな、おい」

「……代わりにウーマロを忘れてもいいから」

「そこには同意しなくもないが……まぁ、落ち着け」

「……ウーマロのくせに生意気」

「敵意がおかしな方向に向いてるぞ」


 いつもなら、もうそろそろ名前を呼ばれる頃合い。

 ヤシロは、マグダを気にかけて、ことあるごとに名前を呼んでくれる。

 その度に、マグダは安心感を得て……


 ……ギュッと、ヤシロの手を握る。

 これはマグダの特権。ヤシロに拒否権はない。


 マグダは、寂しくなったらいつだってヤシロに甘えてもいい唯一の存在。

 ヤシロがそれを許可してくれる。


 そして、マグダがこうすれば……


「大丈夫だよ。すぐに思い出してやるから」


 そう言って、しっかりとマグダの不安を取り去ってくれる。

 それが、ヤシロという男。

 マグダが唯一認めた、頼れる男。


 あまりにおっぱい好き過ぎるきらいはあるが……まぁ、ヤシロだからしょうがない。

 あと二年もすれば、マグダの胸も店長並み……最低でもノーマレベルには育つ予定。

 なんの心配もいらない。


 ヤシロがそばにいてさえくれれば、マグダの人生に狂いは生じない。


 ……ヤシロが、マグダのそばにずっといてさえくれれば。



 ――すぐに帰ってくるから、いい子にして待ってんだぞ!



 不意に……懐かしい声を思い出した。

 力強い、大きな手が頭を撫でる感触と、優しい瞳に見つめられるくすぐったくて温かい感覚……


 マグダの両親は、共に狩猟ギルドに属する狩人だった。

 腕前はそこそこ良かったはずなのだが、あまりに優し過ぎたために成果はイマイチだったそうだ。


 子を連れた魔獣を、狩猟ギルドのメンバーから守ったこともあったそうだ。

 当然、そんなことをしたら相当なペナルティが科されるのだが……パパもママも、そんなペナルティを誇らしげに甘受していた。


 そんな両親が、マグダは堪らなく好きだった。


「……ヤシロ」

「ん?」

「………………呼んでみただけ」

「なんだ、それ?」


 くつくつと、ヤシロが笑う。

 微かに、その振動が伝わってくる。


 呼べば返事をもらえる。

 それは決して、当たり前のことでは、ない。


 あの日、マグダは必死に叫んだ。

 パパとママを、必死に呼んだ。

 幼かったマグダは、街門を出ることが許されず、探しに行くことすら叶わなかった。

 だから、叫んだ。


 分厚い門の向こうへ。

 遥か遠い、バオクリエアに向かって。



 マグダの両親は、バオクリエアで消息を断った。


 要人の護衛だったと記憶している。

 少々厄介なことに巻き込まれていた要人を、バオクリエアまで送り届ける。

 複数のギルドから数名ずつ、腕に覚えのある者が狩り出され、護衛チームが結成された。

 遥か南方に位置するバオクリエア。そこへたどり着くまでに魔獣が棲むエリアをいくつも通過しなければいけないからと、パパとママが指名された。


 豪雪期に入り、連日続く吹雪のような天候の中、パパとママは家を出て行った。

 暗い空と、恐ろしく白い冷たい結晶が、パパとママを奪い去っていく――そんな気がしていた。


 ――すぐに戻る。


 パパとママは出掛ける直前にそう言ってマグダの鼻をかぷっと噛んでくれた。

 いい子にしていれば、すぐに戻ってくると、約束してくれた。



 けれど、どれだけ待っても、パパとママは戻ってはこなかった。



 共にバオクリエアに向かったギルドの人間が、たった一人、満身創痍でオールブルームに戻ってきた。

 抗争に巻き込まれたと、そのギルド員は言った。

 そして、共にバオクリエアに向かったメンバーは全員、行方が知れなくなったと。


 すぐに新たなチームが結成され状況を確認しに向かったが……結局、パパとママの行方は分からなかった。

 共に行動していたチームのメンバーも、誰ひとり、見つけ出すことが出来なかった。


 そんなことをしているうちに、季節は一周して……この街はまた雪にのみ込まれていた。

 一年前はパパとママが追い払ってくれたどす黒い恐怖が、再び雪と共にもたらされた。


 マグダは街門の前で叫び続けた。

 どんどん降ってくる雪に負けないように、大きな声で。

 すべてを埋め尽くそうとする雪に抗うように何度も何度も……


 けれど、どんなに抵抗しても、雪はマグダを巻き込んで……すべてを埋め尽くしてしまった。


 すぐに戻るという約束は……嘘になった。



 ウッセ・ダマレの父も、そのメンバーに名を連ねていて……生存が絶望的だと分かったその日のうちに、ウッセ・ダマレは支部の代表になった。

 いまだに、支部長という肩書は使わない。

 ウッセも待っているのかもしれない。父の帰還を。

 その時になれば、いつでも役職に復帰出来るように、空けているのだと、マグダは思っている。


 当然、マグダも絶望などしていない。諦めてなどいない。


 パパとママは、きっと今もどこかにいて、何か厄介なことに巻き込まれながらも、ちゃんと生きている。

 そして、毎晩寝る前にマグダのことを思い出してくれている。

 マグダがそうしているのと、同じように。


「…………ヤシロは、どうしても許せない嘘を吐かれたことはある?」

「嘘?」

「……そう」


 すぐに戻るなんて――大嘘だった。


「ある、な……」


 ヤシロの表情が少しかげる。

 ヤシロにも、あるんだ。


「……許せない時は、どうした? カエルに、した?」


 聞きたかった。

 とても大好きな人に嘘を吐かれた時、どうするのが正解なのか。

 どうすれば、この苦しいもやもやが晴れるのか。


 許せない。

 けれど、怒れない。


 そんな時は……


「俺の意見は参考にならないぞ。故郷での話だし、俺は全力で間違った方向へ突っ走っちまったしな」

「……間違った、方向?」

「あ。って言うと、ちょっと語弊があるな」


 それから、ヤシロは少しだけ考えて……


「俺は間違っちゃいないと思ってるし、自分の選択を悔やんだりはしない。……けど、両親はきっと望んでなかっただろうな」


 両親……


 ヤシロも、両親に許せないような嘘を吐かれていた……?


「でも、やるとこまでやりきって、最後にきちんと言いたいこと言えたから……今はすっきりしてる」

「……言いたいことを、言えたから?」


 珍しく、ヤシロが照れた表情を見せる。

 店長やエステラが不意な無自覚お色気テロを行使した時のような照れではなく、もっと深いところの……心を覗き見られた時のような、気恥ずかしそうな照れ方。


「文句言ってやろうってずっと思ってたんだけどな。顔を見たら分かっちまってさ」

「……分かった?」

「ちゃんと、俺のことを思っていてくれたんだなってことがよ」


 子供のような、無邪気な笑みが浮かぶ。


「ひでぇ嘘だったんだけど……まぁ、こんなに愛されてたんだから、それくらいいいか……って、思えた」


 愛されていたから…………許せた。


「お前も、いつか分かる時が来るさ」


 頭に、手を載せられる。


「どんな嘘かは知らないけどさ……きっと、事情があったんだろ」


 事情……


「いつか、きちんと話が出来るといいな」

「…………する。意地でも。是が非でも。何がなんでも……話す」

「おう。そうしろ」


 いつか、マグダはパパとママにもう一度会う。

 会って、問い質す。



『マグダのこと、どれくらい愛しているのか』



 マグダと同じか、それ以上でないと……許さない。


「それまでは、俺がそばにいてやるよ」

「…………」


 ……あ。

 なんだろう。

 ちょっと……泣きそう。


 今の言葉は…………すごく、嬉しかった。


「……言質を取った。嘘だったらお尻百叩き」

「お前が叩くのか? 尻がもげ落ちちまうな」

「……店長のお尻を」

「なんで!?」

「……生のお尻を」

「エロスが追加された!?」

「……ヤシロの目の前でっ」

「くっそ、ちょっと見てみたいと思ってしまう自分が恨めしい!」


 ……これくらいふざければ、涙は自然と引っ込んでいく。


「……ヤシロ」

「ん?」

「……もう、悲しいことは、しちゃ、ダメ」


 一人で悩んで、一人で決めて、一人で出て行こうなんて……もう二度と、しちゃダメ。

 ヤシロはもう二度とマグダを悲しませるようなことをしてはいけない。

 これはもう、約束の域を超えた――ヤシロの義務。

 破ることは許されない。



 ……だから、早くマグダの名前を思い出して。


「……あ」


 大通りの手前、金物通りの前へと差しかかる。


「……ここは以前、ヤシロが『裸の幼女が見たい! ぺろぺろしたい!』と喚き散らしながら闊歩した場所」

「お前の記憶がえらく改ざんされているようだな!?」


 陽だまり亭に受け入れられたいと、必要とされたいと、マグダが張り切り過ぎてドジを踏んだあの時。

 大怪我を負い、幼児化したマグダを、ヤシロはずっと守ってくれた。

 そばにいて、名前を呼んでくれた。


 幼児化して、きちんと理解など出来ていなかったはずなのに、それだけははっきりと分かった。

 無知故に周りがすべて恐ろしい敵に見えてしまっていても、ヤシロが名前を呼んでくれる度に、心が穏やかになった。


 ヤシロの声は、パパやママに匹敵するくらいに……マグダの心に刻み込まれている。

 あの声で名を呼ばれると、どんな不安も一瞬で解消される。


 怖い雪の記憶も、ヤシロがいたから、乗り越えられた。


 ヤシロの声は、落ち着く……だから、好き。


 こういう、過去の記憶に紛れて、ふと思い出したりはしないものだろうか。

 なにか……ヤシロの記憶に揺さぶりをかけられるような、そんな強烈な思い出は……


「……ヤシロ」

「ん?」

「……心を奪うから逮捕してほしい」

「ぶふっ!?」


 マグダには、ヤシロの心を奪って逮捕されたという、前科がある。


「……それ、もう忘れてくれ。頼むから」


 むむ……思い出させるつもりが、忘れてほしいと言われるとは……意地でも忘れない。そして、忘れさせない。


 しかし、ふむ……それ以外となると…………あ。アレか。

 名前は言えないから、多少の改編は致し方なしとして……


「……ヤシロ」

「ん~?」

「……パンツ、いる?」

「懐かしっ!? それ、めっちゃ懐かしいな!?」

「……二人のメモリー」

「そんなろくでもねぇメモリーしかないのかよ、俺ら……」


 マグダが陽だまり亭へ行くことになった時に交わした会話。

 マグダは忘れない。そして、忘れさせない。

 ヤシロが望めば、いつでも贈呈する所存。


「……ふむ」


 ゆっくりと話したくても、歩いていれば目的地は近付いてくる。

 ヤシロもそれに気が付いているのだろう、こちらに視線を向けてきた。

 あの角を曲がれば、陽だまり亭二号店が店を開く広場が見える。


 ヤシロともっと話がしたい。

 けれど、マグダは陽だまり亭の店員だから。

 お客さんを待たせるわけには、いかない。


「……ふむ。戦場は間もなく」

「しっかり捌いてくれよ」

「……当然」


 握った手をぎゅっとしてくれる。

 頑張れという合図――もしくは愛してるのサイン。

 ……たぶん、後者。


 熱っぽい、魅惑的な視線をジッと送ってみる……これでヤシロはマグダにぞっこん……


「なんだ? 腹でも減ったのか? しょうがねぇな。合間に一船食っていいぞ。俺が奢ってやるから」


 …………おかしい。

 まったく伝わっていない。


 まぁ、折角だからたこ焼きは食べるけども。


「しかし、すっかり一人前だな」

「……一人前?」

「陽だまり亭じゃ、頼られる存在になったんだもんな。大したもんだよ」


 そう言って、頭を撫でてくれる。


 一人前……

 マグダは早くそうなれるように日々研鑚を積んだ。


 だから、一人前と呼ばれれば嬉しいはず。

 嬉しいはず……なのに。


「……まだまだ」


 どうしてか、悲しい気持ちと、不安な気持ちと…………寂しい気持ちで心が満たされていく。

 少しだけ、不機嫌になる。

 ヤシロに対し、八つ当たりをしたくなる。


「……ヤシロはいささか人を見る目がないきらいがある」

「そんなことねぇだろう?」

「……乙女心が分かっていないこともしばしば」

「そっちは……まぁ、あんま自信ないけどよ」

「……幼女心にも精通するべき」

「それはそれで別の問題が出てくるだろう……?」


 ヤシロはもっとマグダのことをちゃんと見ているべき。

 一人前だなどと、突き放すようなことを言ってはいけない。たとえ、マグダが他の追随を許さないような完璧な一人前であったとしても。


「……こう見えて、まだ子供」

「いや、見た目はどっからどう見ても子供にしか見えないんだが……」

「……見た目は子供、中身も子供」

「そりゃあもう、完璧に子供だな」

「……でも、脱いだらアダルティ」

「そこも子供でいてくれ。今はまだ」


 ふむ……今はまだ、か。

 ならばよし。それはいつかのために取っておくとして……


「……もう少し、甘えたい年頃」


 ヤシロのお腹に頭をこすりつける。


 それがくすぐったいのかヤシロが体をよじる。

 ヤシロはもっと、マグダを理解するべき。


「……じぃ~」

「なんだよ」

「……じぃ~」


 無言の催促をする。


 これは罰なのだ。

 一人前などと、マグダを甘やかす義務を放棄しようとした。


 ヤシロはまだまだマグダを甘やかさなければいけない。

 そう、マグダはまだ成人していないのだから。


 とはいえ、マグダは大人な女性でもあるわけで、一人前のウェイトレスでもあったりする非常に難しいお年頃なのだ。


 マグダのこの無言の催促を的確に読み取り、今マグダが一番求めている言葉をちゃんと口にすること。

 それが出来なければ、マグダは…………拗ねる。


「…………ぷくぅぅう」

「あぁ、はいはい。言いたいことはだいたい分かってるから、拗ねるな拗ねるな」


 やれやれと、肩をすくませて、そしてマグダの頭に手を置く。

 ふふん。そんなことで誤魔化されるようなマグダではない。


「……これから頑張ってたこ焼きを作ろうという勤労少女に、一言激励を」


 これでもし、「一人前」などと言うのであれば、マグダを蔑ろにしていると判断し、ギルティ。

 もし、「子供」と言うなら、マグダを過小評価しているとしてギルティ。


 さぁ、ヤシロ。

 マグダをどう激励する?


「それじゃ、頑張ってこいよ」


 ふん。その程度の応援など……


「期待してるぞ、マグダ」


 ぴくっ……


「マグダは一人前の子供だもんな」


 ……む、むぅ…………

 そんな、どっちつかずな……ただ混ぜただけとか…………でも……



『マグダ』って、今マグダが一番言ってほしかった言葉をくれたので、よしとする。



 やはり、ヤシロに名前を呼ばれるのはいい。

 これはクセになる。


「お、種が取れたな」


 魔草の種が取れたらしい。

 取れた種を自慢げにマグダへと見せるヤシロ。


 そんなことはどうでもいい。

 ヤシロなら、遅かれ早かれ思い出すと思っていた。

 ヤシロがマグダを忘れるはずがないと、分かっていた。


 それよりも、何か忘れているのではないだろうか?

 ほら、よく見て見るといい。


 マグダの耳が、さっきからぴこぴこと動いている。

 こういう些細な反応を見逃さない男でいてほしいと、マグダは切に願う。


「はいはい。分かったよ」


 そう言って、ヤシロはマグダの耳をもふもふっと揉む。


 むふー!


 さすがヤシロ。

 よく分かっている。

 マグダのことならなんでもお見通し。


 前言を撤回する必要があるかもしれない。


 ヤシロは人を見る目があると言える。

 乙女心も分かっているようである。

 そして――


「……ヤシロは、幼女に精通している」

「だから、そういう風評被害撒き散らすのやめてくんない?」


 言いながらも、絶妙なもふもふ加減でマグダの耳を揉む。


 マグダが今日一日不安と寂しさに耐え続けたことへのご褒美。

 ようやく、マグダの日常が戻ってきた。


 きっと他の面々も大丈夫。

 ヤシロなら、きっと大丈夫。


 なのでマグダは、自分のことだけを考えて、素直に「むふー!」と喜んでおくことにする。





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