後日譚40 三十五区、そして四十二区へ

「よく来たな。歓迎しよう」


 三十五区の領主の館に着くと、ルシアは笑顔で迎え入れてくれた。……俺、以外を。


「さぁ、カタクチイワシ以外は中へ」

「おいコラ」


 従順な給仕を使って、俺だけを外のテントに押し込もうとするルシア。

 こんなもん用意してる暇があったら普通に一部屋あけた方が楽だろう!?


「ちっ……しょうがない。立ち入ることを許可する」

「お招きいただき、ありがとうよ、クソ領主」


 こいつは、ホントに、こいつは……っ。


「友達のヤシロ」


 いい加減、育つ気配の見えない乳でも揉んでやろうかと指の体操を始めた時、ギルベルタが大きな桶を持って庭に出てきた。

 巨大な桶にはなみなみとお湯が張られている。……重そうなものを軽々と、まぁ。


「足湯をしてとるといい、長旅の疲れを」

「わぁ、ありがとうございます。ギルベルタさん」

「当然、労う、友達は。とても大切、友達のジネットは、私にとって」

「……マグダからも感謝の言葉を贈る」

「必要ない思う、私は。当然のこと、このくらい、親友のマグダになら」


 あれ? なんかマグダのグレードが上がってないか?

 いつの間に親友になったんだ?


「ありがとです、ギルベっちゃん!」

「堪能してほしい思う、ロレッタ」

「あたしにもなんかつけてです!?」

「おっぱいのロレッタ」

「それはお兄ちゃんと店長さんです!」

「わたしは違いますよっ!?」


 いや、俺も違うんだが?

 しかし、ギルベルタ……お前は学習が早いな。

 ロレッタともすっかり仲良しじゃないか。


「思いもよらない、大歓迎やー!」

「堪能してほしい思う、ハムマヨ」

「はむまよ?」

「?」

「?」


 あ、そこは覚えてないんだ。

 まぁ、どのみちハム摩呂の反応は同じだし、いいっちゃいいけどな。


 大きなたらいを庭に設置し、たらいの周りに椅子が置かれる。

 たらいを囲むように俺たちは座って、素足をお湯の中へと浸ける。……あぁ、じんわりする。

 俺たち五人が囲んでもまだまだ余裕がある、とにかくデカいたらいだ。十人くらいはいけそうだな。


「お邪魔する、私も」


 ブーツを脱ぎ、素足をさらすギルベルタ。……の素足を獣のような目つきでガン見する変態領主。……誰か通報しろよ、いい加減。


「よし。特別に私も同席してやろう。カタクチイワシ、お前は出ろ」

「混浴してやるから喜べ、ルシア」


 誰が出るか。

 こっちは一日歩き詰め、立ちっぱなしで足 is スティックなんだよ。


「……まったく。領主が婚姻関係にない男と混浴など…………今回だけだからな!」


 いや、俺は望んでねぇし。嫌ならお前が我慢すればいいだろうが。


「こっちを見るな、カタクチイワシ!」


 素足をさらすのが恥ずかしいのか、必要以上に敏感な反応を見せるルシア。

 こいつ、男に免疫ねぇな? まぁ、獣人族の美少女以外に素を見せないんじゃ、そうなるよな。隙がなさ過ぎて、男は寄ってこないだろう。


「……見るなと言っている。目を抉り出すぞ?」


 そういうことを真顔で言うから寄ってこないんだってのに……


「男にカウントされてなさげやー!」

「ハム摩呂は子供だから気にしないでいいんです」

「はむまろ?」


 お前ら姉弟は仲いいな。なんだかんだでさ。

 微笑ましい姉弟のやり取りをよそに、俺の真正面に陣取ったルシアからは物凄く鋭い視線が送られてくる。……なに、この温度差?

 もういいから、さっさと入れよ。


 俺を睨みながらも、あらわになった白い足をそっとたらいのお湯に浸すルシア。

 途端に、野太い声が漏れる。


「んぁぁぁああ……極楽極楽……」

「オッサン臭っ!?」

「誰が臭いオッサンだ!?」

「逆にすんじゃねぇよ!」

「いい匂いのオバハン?」

「そういうこっちゃねぇんだ、逆って!?」


 こいつ、よく今までこの天然が露呈しなかったよな。

 人付き合い、ほとんどしてないんだろうな。だからボロが出ないんだな、きっと。

 寂しいヤツめ。


「それで、どうだ?」

「お湯か? 最高だ」

「そうではない」

「混浴か? 最高だっ!」

「やっぱり貴様は出ろ! 卑猥だっ!」


 なんだよ? 感想を聞かれたから答えてやっただけなのに。


 足湯のせいか、やや赤く染まった頬をして、ルシアが改めて尋ねてくる。


「他区の領主たちは耳を貸しそうか?」

「貸さないヤツは領主失格だな」

「大きく出たな」

「負ける要素がないんでな」

「そうか……」


 満足げな表情を浮かべて、ルシアがお湯を軽く蹴り上げる。

 狙ったかのように、跳ねたお湯が俺の膝を濡らす。……コノヤロウ。


「かかったか? 邪魔になるところにいるから悪いのだぞ」

「三十五区には『謝る』って文化がないようだな。今度広めといてやるよ」


 まったくもって不遜な領主だ。

 ……いや、領主ってそういうもんなのかもしれんけどさ。


「楽しそう、ルシア様は、ここ数年で断トツに」


 ギルベルタが漏らした言葉は、きっと本当なのだろう。

 ルシアは、初めて会った時よりも大分柔らかい表情を見せるようになった。

 俺への敵意だけは相変わらずだが。


「あはぁ……トラっ娘、ハムっ娘と混浴…………にゅふふふふっ!」


 ……あぁいうとこも、相変わらずだけどな。


「ヤシロさん。見てください」


 向かいで変態領主が痴態をさらす中、隣に座るジネットが俺の服を引っ張る。

 そして、指を夜空に向かって掲げる。


「星が綺麗ですよ」


 見上げた空には、満天の星。

 四十二区よりも高い位置にある三十五区では、星が綺麗に見える。

 降ってきそうなほどの星が頭上で輝き、見つめていると吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。


 絶景。


 特別なことは何もしなくても享受出来る、神からのご褒美……なんて言うと大袈裟過ぎるだろうか。

 しかし、そう思ってしまうほどに、今夜の星空は見事だった。


「凄いです。四十二区よりいっぱい見えるです」

「お星さまの、大放出やー!」

「三十五区の方が、空に近いからでしょうか?」

「……ヤシロ。四十二区をここより高くして」

「ムチャ言うな」


 視界に収められないくらいの星空は、それぞれに感動を与えたようだ。みんなはしゃいでいる。

 一日歩きっぱなしで、見知らぬ土地で商売をして、……なんだかんだ、みんなで旅行して。きっと楽しかったのだろう。

 どいつもこいつも、いい笑顔をしていた。


「いい顔をしている、友達のヤシロは」


 斜向かいから、ギルベルタがそんなことを言ってくる。

 ふふん。今頃気付いたのか、俺のイケメンさに。


「淀んだ笑顔、普段は」


 ……ってコラ。


「でも、いい笑顔、今は」


 あぁ、そうかい。

 つまり俺もジネットやマグダ、ロレッタやハム摩呂と同じだってことだな。

 なんだかんだ、楽しかったんだよ、今回の旅行がな。終わっちまうのが、惜しいと思えるくらいにはな。


 大量の湯気を立ち上らせるお湯に足を浸けて、俺たちはもうしばらくの間露店の足湯を楽しんだ。





「ヤシロさん。少しお出かけしませんか?」


 ジネットたちがそんなことを言い出したのは、足湯を終えて男女別の部屋に荷物を置いて一休みをし、眠たそうにしているハム摩呂を置いてトイレに立った時だった。

 時刻は十九時。一部の店はまだ開いてる時間か。


「……ギルベルタ情報によれば、旅人や漁師向けに夜間営業している店が多いらしい」

「お土産とか売ってるそうですよ!」


『行きませんか?』と尋ねておきながら、すでに行く気満々の三人。

 こんなもん、断れるわけないだろうが。


「それじゃ、たまには『客』になってみるか」

「はいっ!」


 いつも『売る側』の陽だまり亭メンバー。

 今日は、存分に『買う側』を堪能すればいい。


「……ふっふっふっ。こつこつ貯めたマグダの貯金が火を吹くぜ」

「あんま無駄遣いすんじゃねぇぞ」


 とはいえ、貯める一方でもつまらんか。


「ほどほどにな」

「……ふふん。心得た」


 豪遊する気満々の笑みを浮かべてマグダが腕まくりをする。


「あぁ……あたしはちょこちょこ使っちゃってるから、そんなにお金ないです……」

「では、わたしと一緒にお買い物しましょう」

「はいです!」


 ロレッタは、普段から弟妹たちのためにあれやこれやと金を使っている。

 たまには自分のために使わせてやりたいもんだよなぁ。

 ジネットも、自分のものなんか全然買わない。だいたいが店に飾る花だったり、生活必需品だったりだ。


 節約とケチは違う。

 使う時は使った方が経済は回るのだ。


「よし! 俺も今日は豪遊するぜ!」

「ぅぇええっ!? ヤ、ヤシロさん、どうされたんですか!?」

「お兄ちゃん、具合悪いですか!? 死んじゃダメです!」

「……ヤシロが、浪費………………世界が、滅ぶの?」

「……お前ら、俺をどんな人間だと思ってんだよ……」


 ったく、人が折角何か奢ってやろうかと思ってるのに。


「とにかく、大通りまで繰り出すとするか」

「……じゃすとあもーめんと」

「そうです! ちょっと待ってほしいです!」

「あの……わたしも」


 なんだ?

 出かけようとしたら三人娘に止められてしまった。


「少し、準備がありますので」

「お兄ちゃん、十分ほど待っててです! ……やっぱり二十分かもです!」

「えぇ……なんでだよ」

「……負けられない戦いが、ある」


 マグダが燃えている。

 小さな手で握り拳を作り、耳をピーンと立てて臨戦態勢だ。


「……都会の女に、後れはとらない」


 謎の宣戦布告を残し、ジネットたちは自分たちの部屋へと戻ってしまった。

 ルシアが用意してくれたのは男二人が一部屋に、女子がそれぞれ一部屋ずつの計四部屋だったが、ジネットをはじめマグダとロレッタが一部屋でいいと同室を希望した。

 広い部屋に一人でいるのは落ち着かないらしい。

 まったく。どいつもこいつも貧乏性…………はっ!? しまった。俺も「一緒がいい」と訴えておけば、みんなと同じ部屋で眠れたんじゃないのか?

 悔やまれるっ! なぜもっと早くそこに思い至らなかったんだ、俺!?

 こうなったらルシアに直談判をして……っ!


「館内で不埒な行為を行えば、直ちに叩き出すぞ。三十五区からな」


 通りすがりのルシアに釘を刺されてしまった。

 なんてタイミングで通りかかるんだ、お前は。分かったよ。大人しくしとくよ……ったく。

 一度部屋に戻り、ハム摩呂に声をかけるか。


「ハム摩呂。お前はどうす………………寝てる」

「むにゃむにゃと、寝言を言うハムっ子やー…………むにゃむにゃ」

「……なんの夢見てんだよ?」


 ハム摩呂はまだ子供だからな。さすがに疲れたんだろう。

 こいつは寝かせておいてやるか。


 部屋で待つこと二十分。ロレッタの宣言した時刻通りに、三人娘は俺の部屋へとやって来た。

 意外な格好で。


「お前ら……どうしたんだ、それ?」

「あの……実はこっそりと持ってきていたんです」

「……都会娘に目に物を見せてやる」

「あたしたちの本気ですっ!」


 ジネットとマグダとロレッタは、懐かしの浴衣姿だった。


 これが、準備……

 大通りにいるであろう、垢抜けた都会の女に見劣りしないための、こいつらの精一杯のオシャレ…………


「あ、あの……どう、でしょうか?」


 不安げに尋ねてくるジネット。

 ……いや、どうもなにも…………お前ら、滅茶苦茶可愛いわ。

 オシャレがしたいって、そんなもんをいそいそ準備してたのかと思うと、尚更な。


「い……いいんじゃないか? に、似合ってる、ぞ」


 うっは! ダメだ、恥ずかしい!

 なんだよ、揃いも揃って俺のやった髪飾りとかつけちゃってさぁ!

 言っとけよ、そういうの! そしたら俺も何か準備したのに!


「……ヤシロから『絶世の美女』との言葉をいただいた」


 いや、それは言ってねぇけど。


「よかったです。これで、お兄ちゃんが他の美女たちに目を奪われる心配もないです」

「そんな心配してたのかよ……」

「うふふ。みんな、ヤシロさんとのお出かけが楽しみだったんですよ」


 楽しそうに笑うジネット。

 みんな……ね。


「お前は?」

「はい?」

「楽しみじゃなかったのか?」


 少しだけ、意地の悪いことを聞いてみる。

 なんだか、俺も浮かれているのかもしれないな。

 だが――


「ですから、『みんな』、楽しみにしてたんですよ」


 ――ジネットの方がもっと浮かれているようだ。

 ……恥ずいわ、そんなはっきり言われると。


「……これで、おっぱいを放り出して練り歩く爆乳でもいない限り、マグダたちに負けはないっ」


 そんなありがたいド変態がいるかよ……


「あ、出掛けるのか、私の友達たちは?」


 ギルベルタがやって来て、「仕事があるからお供は出来ない、私は」と残念そうに漏らし、そして、こんな注意をしてくる。


「気を付けるといい。大通りには、たまにいるから、おっぱいを放り出して練り歩く爆乳が」

「いるのかよっ!?」


 カモーン! ヘイ、カモーン! 

 放り出された爆乳カモーン!


「……店長、ロレッタ。ヤシロを取り押さえて」

「はい! しっかりと手を繋いで歩きましょうね!」

「野放しにすると危険です! 三十五区が!」


 三人娘に両腕と腰をがっしりと拘束されてしまった。

 えぇい、離せ! 爆乳が! 爆乳がぁぁあ!


「みんなで、お買い物しましょうね。ねっ!」


 少しだけ強い口調で、ジネットに諭された。

 ……分かってるよ。

 折角の機会だもんな。存分に楽しませてもらうさ。


「んじゃ、行くか!」

「はい!」

「……準備万端」

「待ち詫びたです!」


 見送りのギルベルタに、何か土産でも買ってきてやると約束し、俺たちは大通りへと繰り出した。





 松明が煌々と灯され、大きな通りが赤く染め上げられている。

 揺らめく陰影が建物や行き交う人々を照らして幻想的な世界を演出している。

 こんな時間だってのに人が多く、酒場はどこも賑わっていた。


「飯を少し控えればよかったな」


 三十六区で夕飯を食った上に、ルシアのところでも少し食ったのだ。

 なんか、すげぇ美味そうな海産物が並んでたからよぉ。ウェルカム海産物だな、あれは。

 しかし、そんなもんをたらふく食ったせいで、もう何も入る余地がない。

 目と鼻が欲しても、胃袋が断固拒否している。こりゃ、目に毒だ。


「……『赤いモヤモヤしたなんか光るヤツ』を使えば……」

「ズルいですよ、マグダっちょ!? ここのご飯は、また今度来た時にみんなで食べるです!」

「……むぅ。それも一理ある」

「では、またみんなで来ましょうね」


 また来ましょう、と、ジネットは話をまとめる。

 また、こんな風に旅行がしたいという意思表示だ。


 ジネットの中に、陽だまり亭以外の大切なものが増えていく。

 決して陽だまり亭を蔑ろにはせず、どんどんと新しい世界を切り拓いている。

 それは、とてもいいことのように思えた。


「あっちに雑貨屋さんがありますよ。覗いてみませんか?」

「……マグダの部屋を可愛く飾るアイテムを探す」

「あたしは弟妹たちに何かお土産買うです!」

「じゃあ俺は……」

「「「爆乳探しは禁止」ですよ」」

「……なんも言ってねぇだろうが」


 なんだ、そのお前らのその分かり合ってる感。息ぴったりじゃねぇか。

 両サイドをがっちりと固められ、俺は雑貨屋へと連行されていく。

 俺も雑貨見るつもりだったっつの。


 浴衣姿の三人に、街の男たちは思わず振り返る。興味やら下心やら、色んなものが混ざった視線が三人に注がれている。

 こんな危険な場所に、お前らを放っておけるかってんだよ。


 カラコロと下駄を響かせ店内を見て回る。

 店主らしきおばさんが、「その服可愛いわねぇ。どこで仕入れたの?」なんて聞いてくるから、ウクリネスの店を教えておいてやった。

 そのうち、四十二区まで買いつけに来るかもしれないな。


 あれやこれやとかしましく、三人娘が大通りの店を巡る。

 服屋に入って上着を見たり、ハマグリの入れ物に入った口紅を物色したり、店に飾れそうな置き物を眺めたり。長旅の疲れなど微塵も見せず、ジネットたちは歩き回り、はしゃぎまくった。

 俺はというと、途中疲れて店の前で待っていたりしたのだが……女子のパワーは凄いな。女子の買い物好きって、全世界共通なのかね。

 俺には真似出来そうもない……と、ふと見た先に猛烈ぅ~なビキニアーマーが展示してあったので、「少々高いがこれは投資だろう!?」と、財布を取り出そうとしたところを三人掛かりで取り押さえられた。

 いや、似合うって!

 陽だまり亭ビキニアーマーフェア、絶対ウケるって! じゃなかったら、寝間着にとか、どう?


 そんなことをしているうちに、大通りの松明が一つ、また一つと消えていく。

 気が付けば、もう店が閉まる時間だった。二時間近く買い物をしたらしい。

 ジネットたちはそれぞれ、抱えきれないほどの荷物を両手に持っていた。


「陽だまり亭が盛況なおかげで、たくさん買うことが出来ました」

「……商売繁盛はいいこと」

「頑張った甲斐があったです」


 さすがに買い過ぎだろうとは思ったが……

 日頃頑張っている自分へのご褒美くらいは、あったっていいだろう。


「じゃ、そろそろ戻るか」

「はい!」

「……うむ」

「はいです!」


 四人揃って来た道を引き返していく。

 聞いたところ、四人全員が個別にハム摩呂へのお土産を買っていたらしい。

 考えることは一緒だな。

 これで、明日の朝ハム摩呂が拗ねることはないだろう。


 そんな風にして、俺たちの初めての社員旅行は幕を閉じた。





 翌日。

 朝から物凄く忙しかった。

 他の区同様、まずはガキを取り込み、次いでお好み焼きで大人を取り込んだ……まではよかったのだが…………ちょっと取り込み過ぎた。

 思いもよらぬ大繁盛で、俺たちは全員目も回るような忙しさに見舞われた。

 さらに、時間の都合で昼過ぎには店を畳むと言ったら、そこからさらに鬼のように客が押し寄せてきやがった。

 よく見たらシラハやニッカなんかも食いに来てて……ニッカとカールに手伝わせたりした。


「なんでお前にアゴで使われなきゃならないデスカ!?」

「そうダゾ! 納得いかないダゾ!」

「ほらほら! 口動かしてる暇があったら手を動かす!」

「分かったデスヨッ!」

「やってやるダゾ!」


 ルシアに用意してもらった食材は、正午過ぎに完売した。

 それでも客が引かないので、少しだけ買い足して、店を畳んだのは十五時頃だった。

 予定よりも押していたため、俺たちは急ぎ足で来た道を順々に引き返し四十二区を目指した。……なのだが。


「今日は売ってくれないの!?」

「次いつ来るの!?」

「一枚だけ! お願い! 一枚だけ!」


 と、行く先々で昨日の客たちに呼び止められ、しまいには――


「我が主様がお会いになられたいと……」

「領主様が出店に関して聞きたいことがあると……」

「マイマスターの館に、YOUたち来ちゃいなよ」


 などなど。各区の領主たちが俺たちに接触を試みてきたもんだから余計に時間を食ってしまった。


 領主関係者には、「詳しい説明は四十二区の領主が説明会を行うからそれに出席するように!」とだけ伝え、逃げるようにして俺たちは帰路を急いだ。


 ここまで反響があるとは、正直思わなかったな。

 ジネットなんか、ポップコーンが食べられないと悲しそうな顔をする子供たちを見る度に振り返り、足を止め、「……あの、ヤシロさん」と俺の名を呼んでいた。


 だからな、ジネット。

 それをいちいち相手にしてたら、陽だまり亭に帰るのが三日後くらいになるからな?


 この次の楽しみにしてもらえと説得し、なんとかかんとかジネットを引っ張って四十区に逃げ込んだ。

 通い慣れた四十区。不思議なもので、陽だまり亭はまだ先なのに、ここまで来ると「帰ってきた」みたいな、ほっとした気持ちになる。

 この付近の連中は、ケーキもポップコーンも、祭りの出店も経験済みだから、俺たちに群がるようなこともない。


 ようやく安心して歩けるようになった頃には、俺たちは全員疲弊しきっていた。


「もう少しで四十二区だぞー!」

「まだ、四十一区があるです……邪魔です、四十一区」

「……しょーもない領主が治めているから、こういう時に邪魔になる」


 疲れから、ロレッタとマグダが八つ当たりを始める。

 まぁ、確かにリカルドはしょーもないけどよ。そう言ってやるなよ。


「四十一区は、裏道を通ってショートカットするぞ」


 かつて、砂糖やら木こりやらの一件で何度も往復したショートカットコースを進む。

 峠道で、多少のアップダウンはあるが、遠回りするよりも楽だ。

 空は既に夕闇を超え、夜の帳がおり始めている。


「……すんすん。四十二区の匂いがする」

「くんくん……あ、ホントです! 懐かしい匂いです!」

「え? え? そんな香りしますか? くんか! くんか! ……分かりません」


 獣人族二人には、四十二区の匂いというものが分かるらしい。

 俺やジネットにはよく分からんが……だが、なんとなくホッとする空気ってのは分かる。


 ジネットも、四十二区に入った途端表情をほころばせていた。


「あぁ……やっぱりいいですね。この感じ、落ち着きます」

「そういうのは我が家に着いてから言うもんだろ?」

「うふふ……そうでしたね。少し気が早かったですね」


 くすくすと笑いながら、馴染みのある道を歩く。

 確かに、ここまで来たらもう家も同然ではあるけどな。目をつぶってたって歩けそうだ。


「懐かしの、風景やー!」


 屋台の中で眠っていたハム摩呂が四十二区の空気を感じて目を覚ます。


「英雄像の、広場やー!」

「余計なことを思い出させるな」


 確かに、今歩いてる広場は、昔ベッコがしょーもない蝋像を建て続けていた場所だけども!

 ……なんか、思い出したらムカついてきたな。明日にでも嫌がらせしに行ってやろう。


「あたし、今日はさすがにもう限界です」

「……マグダも。帰ったら寝る」

「そうですね。みなさんお疲れですもんね」


 俺もくたくただ。

 ベッドに転がれば二秒で眠れる自信がある。


 今日は早々と寝て、また明日に備えないと……


「あっ……」


 光るレンガに照らされる四十二区の街道を歩いていると、不意にジネットが声を漏らした。

 それは、ちょうど陽だまり亭が見えてきたタイミングで……


「…………お客さんが、います」


 陽だまり亭の前にたむろする、複数の人影を視認したタイミングでもあった。

 ……なんだあいつら。嫌な予感しかしないんだが。


「お~い! 遅かったなぁ~!」

「おかえり~!」

「待ってたよ~!」


 どいつもこいつも馴染みの客ばかりで、なんとも嫌な感じでワクテカした顔をしてやがる。


「いやぁ、今日帰ってくるって聞いたからよ」

「やっぱ一日空くと恋しくなっちゃってさ」

「オレ、もうお腹ぺこぺこだよぉ……」


 口々に、思い思いに、好き勝手なことを抜かしやがる。


 つまり、こいつらは……ジネットの言う通り、客、なのだ。


「……あの、みなさん」


 そして、いつものジネットのあの顔だ。


「……これが、ヤシロキラーの破壊力」

「あたし、今初めて店長さんの本気を垣間見たです……」

「拒絶は、不可能やー!」


 俺以外の連中にも分かったらしい。


『あ、これ、断れないヤツだ』って。


「みなさんは、休み休みで構いませんので、お店を……」

「……店長が働いている時に休むのは不許可」

「あたし、まだもうちょっと頑張れるですよ!」

「陽だまり亭での労働は、別腹やー!」


 まったく。どいつもこいつもジネットに毒されやがって……


 俺は盛大に頭をかきむしり、ここぞとばかりにドデカいため息を吐く。

 ……これくらいしなきゃ、やってらんねぇんだっての。


「しょうがねぇなぁ! ただしテメェら! 面倒くさい料理を注文しやがったヤツは、向こう一週間出禁だからな!」

「じゃあオレ、パスタ!」

「私、ケーキが食べたい!」

「焼きおにぎりー!」

「お好み焼きだよ、お好み焼き! 今ブームなんだから!」

「オイラ、マグダたんがいればなんだっていいッス!」

「鮭食いてぇー!」

「では、みなさん。もうしばらくお待ちください! 開店準備を始めますので!」


 自分勝手に喚く客どもを制し、ジネットが陽だまり亭のドアを開ける。

 ドアを開けると同時に、懐かしい匂いがした。これは、俺にもはっきりと分かる、落ち着く匂いだ。


「……順番に入って、席に着くこと」

「お水も順番にお持ちするです!」

「ウーマロ、手伝えー!」

「呼び捨てにするなッス、ハム摩呂!」

「はむまろ?」


 どやどやとなだれ込む客を、マグダとロレッタが上手く捌いていく。

 仕込みなんかまったくしてないが、満員になるほどの入り数ではないので、まぁ、なんとかなるだろう。


「ではみなさん。改めまして」


 ジネットの声に、従業員一同が横一列に整列し、客に向かって笑顔を向ける。


「「「陽だまり亭へようこそ!」」」


 あぁ、懐かしき、いつもの風景。

 いつもの、社畜店長のいる風景だ……




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