後日譚33 よく頑張ったから

「……むふーっ」


 マグダが膝の上に座ってご満悦だ。

 とても機嫌がいいのか、さっきから尻尾が『ピーンッ!』と立ちっぱなしになっている。スカートがめくれてショートパンツが見えているのも気にしない。よほど嬉しいのだろう。


 マグダが乗っているのは俺の膝の上…………では、ない。


「……頭を撫でることを許可する」

「えっ? え……っと」


 不安げな瞳がこちらを見たので、俺はゆっくりと首肯した。


「で、では……失礼します」


 耳の付け根をもふもふされると、マグダは盛大に「むふーっ!」と鳴いた。


「あ、あの……なんだか、恥ずかしいですね。あまり、こういったことはなかったので」

「……今日は特別。…………二日分」

「そうですね。お久しぶりですし、何より、私が留守の間、マグダさんは店長代理として頑張ってくれましたものね」

「……褒めるといい」

「では。いいこいいこ」

「……むふーっ」


 マグダはさっきからずっとこの調子なのだ。



 ジネットと共に三十五区から戻り、陽だまり亭に着いたのは日が沈んだ後だった。

 夕飯のピークも過ぎ、店は落ち着いた雰囲気に満ちていた。


 今日も手伝ってくれていたデリアとノーマ、馬車馬の如くこき使われていたらしいウーマロがテーブルでぐでっとしていた。

 そんな中、ロレッタはテキパキと店内の掃除をし、マグダは…………ジネットに飛びついた。

 すんすんと匂いを嗅ぎ、ぎゅぅぅぅうううっと腰にしがみつく。

 顔を下腹部にぐりぐり押しつけられて、ジネットは困ったような顔をしていたが、……たぶんマグダは泣いていたのだろう。

 ジネットには少し申し訳なかったが、しばらくの間そのままそっとしておいた。


 で、それからずっと、マグダはジネットにべったりなのだ。

 トイレにまで付いていこうとする始末で、こっちはこっちで『もう二度と離れるものか』という強い意志を感じさせる。

 オルキオたちとは、向いているベクトルが違うけどな。


「なんだよ、マグダ。お前って、そんなに甘えん坊だったか?」

「寂しいのを無理していた反動さね。今は好きにさせておやりな」

「はぁぁぁ……甘えん坊なマグダたん、マジ天使ッス!」


 テーブルに片肘をついてマグダを眺めるデリアに、口寂しそうに煙管を指でもてあそぶノーマ。――と、いつもの重症患者。

 確かに、マグダが人目を憚らずに甘えるのは珍しいかもしれないな。それもジネットに。

 俺も、この珍しい光景をもう少し眺めていよう。


「お兄ちゃん、店長さん。何か飲むです? あたし、何か用意するですよ」

「あ、それでしたらわたしが……」

「……ロレッタ、二人に冷たい飲み物を」


 ジネットが腰を浮かせようとするも、マグダが子泣きジジイのようにしがみついて離さない。

 ジネット。今日はもう観念してマグダ専属の付き人になっとけよ。……あ、引っつかれ人か。


「それじゃ、お兄ちゃん。何がいいです? 何飲みたいです?」

「そうだな。じゃあ、コーヒー以外で」

「分かったです! コーヒー淹れてくるですっ!」

「待てっ! お前はまだコーヒーを淹れられる腕を持っていない! 別のにしろっ!」

「じゃあ、ロレッタオリジナルブレンドコーヒーにするですっ!」

「それが最悪のチョイスだよっ!」


 もういい! 俺がやるっ!

 自分で淹れた方が絶対美味い!


「お前は座ってろ」

「でも、お兄ちゃん長旅で疲れてるですから」

「お前も、一日中働いて疲れてるだろ? 少しは休んでろ」

「いいえ、です!」


 むんっと胸を張り、ロレッタは小鼻を膨らませる。


「一日働くのは店員として当然のことです! あたしはこれくらいじゃ全然疲れてないですっ!」


 確かに。

 デリアやノーマに比べて、ロレッタはまだまだ余裕がありそうだ。

 慣れ、ってのもあるんだろうが……


「そうだな。お前はもう一人前のウェイトレスだもんな」

「にょほっ!?」


 素直に褒めると、面白い声を出す。

 それはたぶん、こいつの仕様なのだろう。褒められ慣れろよ、いい加減。……そんなに褒めてないか、俺? 普通に褒めてるだろ? いや……待てよ…………褒めて…………ない、か?


「お、おぉぉぉおお、お兄ちゃんが、お兄ちゃんがあたしを褒めたですっ!?」

「いや、そんなにか!? それはさすがに大袈裟だろ!?」

「ヤシロ、どうした!? なんか変な鮭でも食ったのか!?」

「天変地異の前触れさね……」

「いやいやっ! 俺、結構ロレッタ褒めてるだろ!?」


 デリアとノーマまでもが驚いた顔をしている。

 そんなに褒めてないことないだろう!? なくもないだろう!?


「ロレッタは、褒められるところなんか一つもないさね」

「それは酷いですよ、ノーマさん!? あたし、褒めるところいっぱいあるですよ!」

「そうだぞ。ロレッタは普通に凄いんだぞ」

「『普通』やめてです、デリアさんっ!」


 まぁ、アレだな。

 ロレッタが誰といてもいじられポジションにいるのが悪いんだな。

 で、こんなにきゃいきゃい騒がしいのに、ウーマロ、お前は一切参加しないんだな。

 マグダしか眼中にないのか? そうなのか? ま、そうなんだろうな。


「こうなったら! 美味しいコーヒーを淹れて、あたしの凄いところをみんなに披露するです! 括目して、そして見直すがいいですっ!」

「ロレッタ……」

「楽しみにしててです、お兄ちゃん!」

「……コーヒー豆一粒でも無駄にしたら、一週間の自宅謹慎を命じる」

「………………みなさん、お水でいいです?」


 努力は買う。

 その向上心も大したものだし、チャレンジ精神は見上げたものだ。

 だが、努力さえすればなんだっていいってわけではない。


 特にロレッタの場合、努力が「そっちじゃないっ!」って方向にフルスロットルで突っ込んでいくことが多い。

 俺は、結果を最も重要視する男なのだ。


「まったく……」

「あっ! お兄ちゃんは座っててですっ!」


 椅子から立ち上がると、ロレッタが慌てて俺の胸に手を押し当てる。

 押し返して座らせようとしているのだろうが……


「触りっこか?」

「にゅおんっ!? ち、違うですよっ!?」


 両手を広げて指をむにむに動かしてみせたら、物凄い速度で遠ざかっていった。

 両腕で胸をがっちりガードして、頬袋をぷくっと膨らませる。

 う~ん、両サイドから押して「ぷしゅっ!」ってさせたい。


「今日はもう、客は来ないだろう。みんなゆっくりしてろ」

「はぅっ! お兄ちゃんが厨房にっ!」


 どうあっても自分でコーヒーを淹れたいのであろうロレッタが焦りを見せる。

 最早コーヒーを淹れる理由が、疲れた俺を労うためじゃなく、自分が出来る娘だと証明したいってのに変わっちまってるようだけどな。


「ロレッタ。付いてこい」

「へ?」

「コーヒーの淹れ方を教えてやる」

「ふぁっ!?」


 いつもよりオクターブ高い声を上げフリーズするロレッタ。

 ハトがハト鉄砲を喰らったような顔だ。

 体に『ズビシッ!』って当たって、「あぁ、これは豆かなぁ……」って見てみたら「えっ!? ハトッ!?」って。もう、豆鉄砲の比じゃない驚き具合だ。


「ジネットのとは少し味が変わるが、俺のコーヒーだってそこそこ美味いんだぞ」

「お…………教えて、くれるです?」

「真面目に覚える気があるならな」

「覚えるですっ! 教えてほしいですっ!」

「じゃ、付いてこい」

「はいですっ!」


 嬉しそうに、ぴょんぴょん弾みながら駆けてくる。

 本当に元気だな。もう、営業時間も終わろうかって時間なのに。


「店長さんとは違う味…………これは、売りになるかもですっ!」

「コーヒーを頼む客はほとんどいないけどな」

「それでも、得意料理が一つあるのはいいことです!」


 料理……か?


「あたしもいつか、マグダっちょみたいに店長代理を任されるような、頼れる店員になりたいです」


 厨房に入ったところで、ロレッタがそんな言葉を口にした。

 マグダにも誰にも聞かせていないであろう決意。

 こいつも、色々考えているんだな。

 なんというか……成長したもんだ。もともと責任感は強い方だったのだろうが。


「よしっ! じゃあ、本格的に教えてやる。その代わり覚悟しろよ? 厳しくいくからな?」

「おぉっ! お兄ちゃんが本気の目をしてるですっ」

「毎日味の確認をして、少しでも味が落ちたらやり直しだ」

「むむむっ、厳しいです……っ」

「味が安定したら免許皆伝だ。やるか?」

「やるですっ!」


 即答だった。

 得意料理が欲しいというのは本当のことだったらしい。

 マグダにはポップコーンやたこ焼きがあるが、ロレッタにはコレというものがない。

 もしかしたら、ちょっと寂しかったりしたのだろうか?


 これが自信に繋がり、その自信が仕事への意欲に繋がるなら、ここはしっかりと面倒を見てやるべきだろうな。


「よし。まずは挽くところから始めるぞ」

「ミルですね! あれ回してる店長さんはちょっとカッコよくて密かに憧れてたです! やるです!」


 陽だまり亭には、爺さんの使っていたミルがある。

 かなり古くなっていたのだが、ノーマがメンテナンスをしてくれたおかげで今でも現役だ。

 その際、ミルの構造を教えてやったら、新しいミルを作ってくれたりもした。

 今回はこの新しいミルを使おう。さすがに、爺さんのミルで練習ってのは気が引けるしな。


「こうやってハンドルを回していると、頭がよくなった気がするです」

「ははっ、頭悪そうな発想だな」

「なんでですか、もうっ!」


 頬をぷっくり膨らませるが、豆を挽く手は止めない。なんだか楽しそうだ。

 こういう単純作業をしながら考え事をするとひらめきが湧いてくることがある。

 あながち、ロレッタの妄想も的外れではないのかもしれない。


「はい、中挽きです!」

「おっ。そんな言葉も知ってるのか?」

「店長さんが言ってたです」


 なるほど……ジネットが中途半端に教えたから、こいつが見よう見まねで悲惨な失敗作を作りやがったんだな。


「他に、ジネットから教わったことはないか?」

「愛情を込めて淹れれば美味しくなるですっ!」

「……愛情だけしか込めなかったから失敗したんだな」

「こ、込めれば美味しくなるですっ! どんなものでも!」


 どんなものでもじゃねぇよ。

 ちゃんと基礎を教えてやるか。


 陽だまり亭のコーヒーは布フィルターを使用したネルドリップ方式だ。

 ガラスが手に入ればサイフォンとか作りたいんだが……残念ながらガラス職人に知り合いがいない。

 まぁ、それはまた今度でいい。


「フィルターに粉を入れたら、一回全体にお湯を染み込ませて二十秒ほど蒸らすんだ」

「なんでです? サクッと淹れちゃダメです?」

「お湯と豆を馴染ませるんだよ。そうすることで美味い成分が引き出せるようになる」

「ほほぅ、なるほどです」


 あとは、ゆっくりとお湯を回し入れ抽出していく。立った泡が沈みきる前に注ぎ足し、雑味が混ざらないように、素早く、そっと、丁寧に。


「フィルターに直接湯を当てるなよ。あと、時間をかけ過ぎるな」

「む、難しいです……ちょっと、静かにしてほしいです」


 布フィルターの先がコーヒーに浸からないように持ち上げ、湯をそっと注いでいくロレッタ。

 凄まじい集中力だ。……スゲェ寄り目になってる。


「で、出来たですっ!」


 息が詰まるような緊張感の中、二杯分のコーヒーを抽出し終える。

 ロレッタの額には汗が浮かび、キラキラと輝いていた。


「の、飲んでみてほしいですっ」

「どれ……」


 ジネットに出す前に、まずは味見だ。

 …………ふむ。


「まぁ、及第点だな」


 基本を押さえりゃ、これくらいの味は出せるだろう。……という味だ。

 悪くはない。

 まずはこの味をキープして、後々ステップアップしていけばいいだろう。


「頑張ったな。飲ませてもらうよ」

「やっ……やったですっ! お兄ちゃんの合格がもらえたですっ!」


 諸手を挙げてはしゃぐロレッタ。

 厨房で暴れるなよ。危ないぞ。



「ジネットに持っていってやれ」

「はいですっ!」


 淹れたてのコーヒーをトレーに載せ、うきうきした足取りでロレッタが厨房を出て行く。

 ……カウンターの段差で転ぶなよ。


「お待ちどうさまです!」


 どうやら無事たどり着いたようだ。

 俺も自分の分を持ってフロアへと戻る。


「これ、ロレッタさんが淹れてくれたんですか?」

「はいです! ちゃんと豆から挽いたですっ!」

「へぇ、すげぇな」

「あとは味がどうかが問題さね」

「ちゃんと美味しいですよ! お兄ちゃんに合格をもらったですっ!」


 ロレッタのコーヒーにデリアとノーマも興味をそそられ近寄ってくる。

 で、ウーマロ。お前はずっとマグダだけ見てるんだな。もうその病気治らないだろうから何も言わないけどな。


「では、いただきますね」

「どうぞです!」


 ジネットが嬉しそうにカップに手を伸ばす。

 と、それより早くマグダがカップを手に取った。


 コーヒーを持って、ジッとジネットを見つめるマグダ。

 そしておもむろに――


「……店長。あ~ん」

「いえ……それはさすがに…………」


 自分も何かをしたくなったのだろうが……うん、やめとけな。危険だから。


 マグダからアツアツのコーヒーを受け取り、ふーふーと二度湯気を吹き飛ばし、改めて「いただきます」と言って、ジネットがコーヒーに口をつける。


「………………うん。美味しいです」


 ゆっくりと味わった後で、ジネットが笑みを浮かべる。

 瞬間、前傾姿勢でジネットの反応を窺っていたロレッタが握った両手を引いてガッツポーズを作る。


「やったですっ!」


 甘々の評価だろうけどな。

 それでも、ロレッタは嬉しそうにジネットの周りを跳ね回っている。

 そんなロレッタを視線で追い、ジネットはおかしそうに笑っている。

 普段はしてあげるばかりで、こうやって何かをやってもらうなんて滅多にないからな。

 あぁ、これはあれか…………母の日みたいなもんか。


「よかったね、お母さん」

「な、なんですか、急に!? ビックリするじゃないですか!?」


 母の自覚はないようだ。

 まぁ、ないか。


「どれくらい美味しかったです? わっしょいわっしょいしたです? 店長さんの中のわっしょい魂に火がついたですっ!?」

「えっと……わたし、そんなにわっしょいわっしょい言ってますか?」


 というか、お前はそれしか言ってないくらいだ。


「あの……『わいわい』、くらいでしょうか?」


 残念。わっしょいわっしょいほどの盛り上がりはなかったようだ。


「ぬぉぉおん……じゃあ、次こそ! 次こそですっ!」


 ポジティブなのはいいんだが……そもそもコーヒーでそこまでの感動ってなかなかないぞ?

 ロレッタがやる気になってるならそれでいいんだけどな。


 一方のマグダは……


「……まぐれ」

「そんなことないですよ!? もうちゃんと淹れられるようになったですよ!?」


 ロレッタが褒められて少し拗ねてしまったようだ。

 今日はとことんジネットに甘えたいらしい。

 ジネットのいなかった二晩が、相当寂しかったのだろう。


「それじゃあ、マグダはたこ焼きでも焼いてやったらどうだ?」


 今回、ジネットはたこ焼きを食べていないしな。きっと喜んでわっしょいわっしょいしてくれることだろう。

 ……なの、だが。

 俺とジネットを除く、その場にいる全員がどんよりと澱んだ表情になった。


「…………ソースの香りは、もういい」

「あたしも、しばらくは嗅ぎたくないです……」

「食べちゃいないのに、もう腹いっぱいさね…………」

「オ、オイラ、マグダたんが焼いたものなら…………し、死ぬ気で食うッス……」


 ウーマロをしても、死ぬ気にならなければ食えないのか……丸二日、あの濃厚な甘辛いソースの香りを嗅ぎ続けた一同は、もううんざりだと言わんばかりに顔を背けている。


 そして、デリアが口癖のように嘆く。


「あたい、鮭が食いてぇよぉ!」

「いいですね、それ! あたしも食べたいです!」

「初めてデリアの鮭好きに共感出来たさねぇ。いいんじゃないかい、鮭?」

「…………デリア。採用」

「マグダたんがそう言うなら、オイラも鮭を食べるッスっ!」


 いつもはスルーされるデリアの「鮭がいい」発言が、今日は称賛を浴びている。

 お前ら……ホントに粉物嫌なんだな……悪かったよ、マジで。


「それでしたら、わたしが焼き鮭定食を作ってき……」

「店長さんは座っててです!」

「で、でも……」

「……マグダは店長の膝の上から退かない所存」

「あ、あのマグダさん……お気持ちは嬉しいんですけど、準備をしないと鮭が……」


 今日は疑似母の日だ。

 ……俺も日頃世話になってるしな。


「しゃあねぇ。俺がここでちゃんちゃん焼きを作ってやるよ」

「賛成だっ、ヤシロ! 食いたい! あたい、ちゃんちゃん焼き食いたいぞっ!」


 物凄い勢いでクマが釣れた。

 陽だまり亭がリフォームしていた頃、川漁ギルドと懇意になる目的で河原でバーベキューまがいのことをしたのだが、そこで作ったことがあるのだ。

 デリアはそれが甚くお気に召したようで、ことあるごとに「またやろう!」と言っていた。

 普段なら、準備と後片付けが面倒くさいのだが……

 お好み焼き用の鉄板も出ているし、いいタイミングだろう。


「ですが、ヤシロさんも三十五区から戻ったばかりでお疲れでしょうし……」

「大丈夫だ! ヤシロは無敵だから! な!?」

「いや、無敵ではないけど」


 どうしてもちゃんちゃん焼きが食いたいデリアは俺の隣に陣取り、どんな反対意見もひねり潰す構えだ。


「……なら、マグダが作る」

「マグダは店長の膝に乗ってろ! 錘が無くなると、店長はふわふわどっかに飛んでっちまうぞ!」

「……それは困る。ここは退けない」

「そんなに軽くないですよ、わたし!?」


 鮭が食いたくて、デリアが必死になっている。

 俺を休ませようとする陽だまり亭の三人に目配せをする。

 大丈夫だ。それくらいわけはないから。


「デリア、ノーマ。悪いが手伝ってくれないか?」

「おう! 任せとけ!」

「魚を捌くくらいしか出来ないさよ?」

「それが出来れば十分だ」

「あ、あの、ヤシロさん! オイラは!? オイラは何かしなくていいんッスか?」

「ん? なに言ってんだ。ダメに決まってんだろ。言われなくてもきびきび働けよ」

「あぁ……オイラには『悪いけど』って感情が湧かないからさっき名前が出てこなかったんッスね……ヤシロさんらしいッス……」


 食材の下ごしらえは俺たちでやって、ウーマロには鉄板の番をしてもらおう。

 デリアとノーマを伴って再び厨房へ向かう。


 鮭を捌いて切り身にし、キャベツや玉ねぎ、ピーマンに人参をそれぞれ刻み、もやしの豆としめじの石突を取っておく。

 味噌に酒と醤油と砂糖を混ぜて味噌ダレを作る。軽くゴマとか振ってみる。


「よし、あとは焼くだけだ」


 ノーマが手馴れていたおかげで思ったよりスムーズに準備が出来た。

 俺が野菜を切り、ノーマが鮭を捌いている間、デリアはこの鮭がいかに元気よく川を泳ぎ活きがよかったかを切々と語っていた。……手伝えよ。


「鉄板、温まってるッスよ」

「おう、ご苦労。蓋あるか?」

「あるッス」


 保温だの、ホコリ避けだの、色々活用出来るだろうと、鉄板を作る時に同じサイズの蓋も発注しておいて正解だったな。ちゃんちゃん焼きは蒸し焼きにするのだ。


「ご飯を作ってもらうのって、なんだかわくわくしますね」


 マグダを膝の上に乗せて、ジネットがにこにこと俺たちを眺めている。

 いつもは作る方だからな。

 今日は腹いっぱい食ってもらおう。作ってるうちに腹いっぱい、ってことも、今日はないだろう。


「ウーマロ。鉄板に油」

「はいッス!」

「そしたらデリア。鮭を、皮を上にして鉄板の真ん中に並べてくれ」

「ほいよっ!」

「油が跳ねるから気を付けろよ」

「大丈夫だ! 避ける!」


 いや、無理だろう。


 バチバチと豪快な音と共に、鮭の身が焼かれていく。

 いい音だ。聞いてるだけで美味いと分かる。


「ノーマ。鮭をひっくり返したら、周りに野菜を敷き詰めてくれ」

「アタシの仕事が一番難易度高いさね」

「しょうがないだろう。こん中で一番料理が出来るんだから」


 ジネットを除けば、ノーマが一番の料理上手だ。

 伊達に長く花嫁修業をやり続けてはいない。

 ノーマは几帳面な性格だから。料理での失敗が少ない。おまけに手際がいいのだから頼りになる。


「まぁ…………なら、しょうがないさね」


 心持ち嬉しそうに、鼻歌なんかを交えて鮭をひっくり返していくノーマ。

 野菜も、バランスよく鮭の周りに並べていく。


「なんかさぁ。こういう何気ないところに料理の上手さって出るよなぁ」

「なんだい、デリアまで。褒めたってなんも出ないさよ」

「なんで嫁のもらい手がないんだ?」

「うるさいよっ!? ないわけじゃないさね、別に! 今ちょっといないだけでっ!」


 けど、予定は未定なんだろ?

 折角綺麗に並べられていた野菜が、それ以降豪快に投げ込まれていった。

 ダイナミックなのもいいけどな、こういう料理は。


「ここで、この味噌ダレを回し入れる……っ」


 水分が跳ねる音がして、フロア中に味噌の焦げる香りが立ち込める。


「うはぁぁっ! 堪んねぇなぁ!」

「味噌と酒は、香りがいいさね」

「あぁ、オイラ……お腹空いてきたッス」


 作り手チームがもろに湯気を被り悶絶している。

 もう少し香りを楽しみたいところではあるが、ここで鉄板に蓋をしてしばらくの間蒸し焼きにする。


「美味しそうですね。楽しみです」

「……食べさせてあげる」

「なら、あたしは食べさせてもらうです!」

「あの……自分で食べましょうね、みなさん」


 陽だまり亭チームもテンションが上がり始めたようだ。

 しまった……米を炊いておけばよかった。

 なくてもいいのだが、あった方がより一層よかった。……悔やまれるな。


「もう仕事は終わりかぃ? なら、アタシは酒をいただきたいねぇ。バイト代から天引き頼むさね」

「じゃああたいは鮭をっ!」


 いや、鮭をおかずに鮭食うのかよ……


「どうする?」


 ほんの少しだけ早いが、もう店を閉めてもいい時間だ。

 ここは責任者の意見を仰がねばいけないだろう。


「そうですね……」


 と、「もう閉めちゃいましょうか」と顔に書きつつ、ジネットがアゴを押さえる。一応は考えているようだ。

 だが。


「ジネット。お前じゃない」

「へ?」

「今日の責任者は、そこの店長代理だ」


 膝の上で丸くなっているマグダ。

 昨日と今日はマグダがこの店の最高責任者だと言ってある。

 本日に限り、ジネットの意見よりもマグダの意見が優先されるのだ。


「あ。そうでしたね。うっかりです」


 嬉しそうに舌を出し、そしてマグダの顔を覗き込みつつジネットが改めて尋ねる。


「どうしますか、店長代理さん?」

「……ふむ…………」


 尊大に腕を組み、アゴを指で押さえ鷹揚に考え込んでみせる。

 ……もう答え出てるくせに。


「……みなの気持ち、相分かった。普段よりも三十六分十七秒早いが……本日はこれをもって閉店とするっ」


 また時計も見ずに適当なことを……と砂時計を見ると、だいたいそれくらいの時間だった。

 ……マグダの体内時計、ものすげぇ正確なのか?


 どこぞの武将のように言って、ウーマロに表の『OPEN』を『CLOSED』にひっくり返してくるよう指示を出す。

 マグダからの指示に、喜び勇んで表に出るウーマロ。


「よし! 今のうちに食っちまおうぜ!」

「ちょっと待ってッス! すぐ戻るッスから!? っていうか、もう終わったッス!」


 大慌てで引き返してくる。

 こいつは本当にいじり甲斐のある、いいリアクションをする。


「……ヤシロさんの場合、冗談じゃなくやりそうなんで怖いッス」


 さすがにこの量をそんな一瞬では食えねぇよ。


 蓋を開けると、少し焦げた味噌の香りが広がる。

 そこへバターを落として溶かす。


「わぁ、香りに深みが出ますね」

「……早く食べたい」

「あたし、取り皿持ってくるです!」


 ロレッタが戻るまでの間で、鮭の身を解し、野菜とまんべんなく混ぜ合わせる。

 かき混ぜる度に味噌の香りが立ち上り、その度に胃袋がきゅいきゅいと鳴く。


「じゃあ、食うかっ!」

「「「「「ぅおおおおおおっ!」」」」」


 デリア、ノーマ、ウーマロ。それにマグダとロレッタが雄叫びを上げる。


「いただきます」


 ジネットは行儀よく手を合わせ、精霊神に祈りを捧げる。

 俺も一応手を合わせておく。祈りとかはしないけどな。


 各々が好き勝手に取り分けて適当なテーブルでむさぼり始める。

 うん。味噌ダレがいい味を出している。


「おかわりー!」


 デリアが早速一皿平らげ、鉄板へと駆けていく。

 好きなだけ食えよ。いっぱいあるから。


 マグダとロレッタも、鉄板のそばまで行っておかわりをよそっている。

 腹減ってたんだな。すげぇ勢いでなくなっていく。


 マグダが膝の上から退き、一息ついたジネット。

 慣れないことで少し緊張でもしていたようだ。


「ここ、いいか?」

「はい。どうぞ」


 許可を得て、ジネットの向かいに腰を下ろす。

 鮭と野菜を同時に口へと運び、「ん~」と、頬を押さえて身悶えるジネット。

 そんなに美味いか?

 すげぇにやにやしてるぞ。


「みんなで一緒に夕飯なんて、久しぶりですね」

「そうだな」


 どうやら、そっちの理由でにやにやしていたようだ。

 店がある時も、こうやって全員で飯を食える時間を作った方がいいかもな。毎日は無理でも、月一くらいでさ。


「ヤシロ! あたい、今日泊まっていっていいか!?」

「は?」

「鮭食べたら、もう動きたくなくなった!」


 どんな感情だよ、それ?


「アタシもぉ……今日は断固泊まっていくんさねぇ……」

「おい、ノーマ。酔ってないか?」

「れんれん酔ってないさねっ!」


 あぁ、ダメだ。ろれつが回っていない。

 ノーマがこんなに早く酔うなんて……相当疲れてたんだろうな。


「分かったよ。泊まっていけよ」

「あたしも泊まりたいですっ!」

「なんでだよ!? 部屋数考えろよ!」

「や~です! もう歩きたくないです!」

「まぁまぁ、ヤシロさん。いいじゃないですか。わたしの部屋と空き部屋に分かれて泊まってもらえば……」

「……ストップ・ザ・店長」


 マグダがジネットの唇をぷにゅんと摘まむ。

 わぁ、やわらかそ~ぅ。つまみた~い。


「……マグダは今日店長と一緒に寝るから、マグダの部屋を使うといい」

「へ? でも、いいんですか? 自分の部屋の方が落ち着くんじゃ……」

「…………一緒に、寝る」


 むぎゅぅううと、ジネットにしがみつくマグダ。

 大きな胸に顔を埋める。

 わぁ、やわらかそ~ぅ。うずまりた~い。


「はい。では、ご一緒しましょう」

「…………むふっ」


 俺もジネットの胸に顔を埋めて「むふっ!」ってしたいなぁ……


「マグダ。ロレッタも一緒でいいか?」

「……ロレッタも?」

「デリアとノーマを同じベッドで寝かせるのは可哀想だろ?」

「……ふむ」


 ちらりとデリアを見て、そしてノーマを見て、マグダはこくりと頷く。


「……乳がデカいと寝るのも窮屈」

「そこまで邪魔にはならないさよっ!?」


 そんなむっぎゅむぎゅのベッドがあったら一緒に寝たいわ。

 むろん、真ん中で。


「……よろしい。許可する」

「やったですっ! みんなで一緒ですっ!」


 ロレッタもこの二日頑張ったからな。

 お前も盛大に甘えておくといい。


 そして、ジネットもそういうの、好きだろ?


「よしっ。じゃあ、ウーマロ」

「はいッス」

「気を付けて帰れ」

「……まぁ、オイラもヤシロさんと同じベッドで寝るのは御免ッスけど…………わざわざそう言われるとちょっと傷付くッスね」


 お前が頑張ってくれていたのは知っている。

 だが、だからといって一緒のベッドなど言語道断だ。帰れ。


 残ったちゃんちゃん焼きを綺麗に完食して、その日は終了した。

 なんだか、長い一日だった気がする。

 ウクリネスの触角カチューシャから始まって、三十五区での愛の劇場、そしてちゃんちゃん焼き。もうお腹いっぱいだ。


 明日は明日で、やることがあるし。今日は早く寝てしまおう。



 ちなみに、ちゃんちゃん焼きをしたにもかかわらずベルティーナが顔を出さなかったのは、今の陽だまり亭にはお好み焼きしかないと思っていたかららしい。

 ベルティーナでもソースの香りを丸二日嗅ぎ続けると飽きるんだなぁ……新発見だ。




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