後日譚17 『大切』の順番
「とても楽しかった思う、私は、いいものが見られて」
ウクリネスが帰った後、ギルベルタが上機嫌に言う。
軍隊のようなパンツスタイルのギルベルタだが、ナタリアのようなロングスカートの給仕服も似合うかもしれない。一度着せてみたいものだ。
「ヤシロ様。『一度脱がせてみたいものだ』みたいな目で女性を見るのはお控えください」
「その一歩先を考えてたんだよ!」
「……『その一歩先』っ!?」
「違ぁうっ! 着せたいの、お前みたいな給仕服を、ギルベルタに!」
「そして……脱がせたいとっ!?」
「思ってねぇっ!」
取っ捕まえようとしてもするするとあさっての方向へ逃げていくナタリアの妄想は、行く先々で俺への風評被害を撒き散らす。傍迷惑なヤツめっ!
「みなさん。甘い物でもいかがですか?」
「あ、シュークリームだね。もらっていいの?」
「はい。ドレスの試着を頑張ったみなさんへ、ご褒美です」
と、俺を見つめて熱弁するジネット。
言い訳でもしてるつもりか?
ったく……商品を無償提供するなと、口を酸っぱくして言っているのに……
「そ、それに、ギルベルタさんにも、四十二区のケーキを知っていただきたくて……あの、こ、今後の顧客拡大といいますか…………そ、そうです! ギルベルタさんから口コミが広がって三十五区の方が興味を持ってくださるかもしれませんし、それから、あの……っ!」
「分かった分かった。ご褒美、な」
「はいっ!」
俺の許可が下りると、ジネットは嬉しそうにシュークリームを配り始める。
お前が店長なんだから、もっと堂々としていてもいいんだが…………とはいえ、浪費をさせるつもりはないけどな。
今回は特別だ。
「……ヤシロ。コーヒー」
「お、マグダが入れてくれたのか?」
「……むふん」
自信満々に胸を張り、鼻を鳴らすマグダ。
相当自信があるようだが、俺の判定は厳しいぞ?
コーヒーには、こだわりがあるからな。
「どれ……」
マグダが持ってきたコーヒーを一口啜る。
「んっ!? 美味いっ!」
きちんとジネットの味が継承されている。
コーヒーが飲めないマグダがこの味を再現したのだとすれば大したもんだ。
「いつの間にマスターしたんだよ、マグダ。すげぇな、お前は」
「……ふふん。実は…………」
マグダが口の横に手を添え手招きをする。
耳を近付けると、こっそりとこんなことを教えてくれた。
「……マスター、していない」
「…………へ?」
「……このコーヒーは、店長が淹れたもの」
「さっきのドヤ顔はなんだったんだ!?」
「……ヤシロはマグダのドヤ顔好きかなぁと思って。サービス」
えぇ……サービスだったのか、あれ?
一瞬マジで称賛したのに……俺の『スゲェ』を返せ。
まぁ、確かにマグダは『自分で淹れた』とは一言も言っていない。……くそ、騙された。
「とても美味しい、これは! 私の好きな味だ、これはっ!」
少し大袈裟過ぎるくらいに興奮気味にギルベルタが言う。
シュークリームを口いっぱいに詰め込み、一口で平らげてしまった。口の周りにクリームがべったりだ。
一口で食うなよ……
「ギルベルタ……拭け」
「ん? 『ふぅ~』……」
いや、違う違う。
誰が俺に甘い香りの息を吹きかけろと言ったか。
拭くの!
「あぁ、もう。子供か、お前は」
「おやっ、おややっ?」
三歳児並みに口の周りを汚すギルベルタ。
それを指摘しても一向に気付く気配すらない。
つか、下手に教えると服の袖で拭きそうな気すらする。……うん、こいつならそうするだろう。
なので、しょうがなく俺が乾いた布巾で口周りを拭いてやる。
ちゃんと綺麗なヤツだそ? ハンカチ代わりに俺が持ち歩いている物だ。
「な、何をするのだ、友達のヤシロ!?」
「ガキみたいにクリームつけてるからだよ」
「そ、それくらい出来るぞ、私は、自分で」
「信用出来ん」
「こ、これでも、領主の館の給仕長を任されている身だ、私は」
「あ、そうだったっけ?」
まぁ、どうせ。ルシアの好みが色濃く滲み出た人選に違いない。
「遊びに行きたい」って感情を優先させて職務放棄するようなヤツなのだ。ちゃんとしているわけがない。
「じょ、女性の唇付近を突然触るとは……遊び人なのか、友達のヤシロは……?」
女性……?
あ、ごめん。お前のこと、その視点で見るの忘れてたわ。
おっぱいデカいのに、なんとなく女性っていう感じがしなくて……女性っていうより………………妹?
「……ヤシロは、ある一定の女性に対しお兄ちゃん的立場を取りたがる性癖を持っている」
「おいこら、性癖とか言うな、マグダ!」
なんだ、その妹萌えをこじらせたようなキャラ設定は。俺にそんな属性はない。
「なるほど、ヤシロ様の性癖ですか……では。おにぃ~ちゃ~ん。私のお口もふきふきしてぇ~」
「あ、この店、そういうサービスやってないんで」
「そう言わずに」
「食い下がるな」
「よいではないか、よいではないか」
「エステラぁ」
「ごめん。ボクの手には負えないんだ、もう」
諦めんなよ、飼い主。
ちゃんと自分とこの給仕長を躾けとけ。な?
「まったく。意気地の無い……『さっきので布巾が汚れちまったから、お前のクリームは俺が舐め取ってやるよ、ナタリアたんぺろぺろ』くらい言えないものでしょうか」
「でも俺がそれ言ったら引くだろ?」
「当然、ドン引きですね」
「お前は怖いヤツだなぁ。なにその食虫植物みたいなイヤラシイ罠」
美味しそうなものにつられて近寄るとパックリいかれる。
口周りを拭いて、犯罪者を見るような目で見られるのは御免だ。
「……あぁ、クリームが」
「今日のシュークリームは凄く活きがいいです」
「食べ物で遊ぶな、二人とも」
これまたわざとらしく口周りにクリームをつけたマグダとロレッタが近付いてくる。
普通に食えんのか、お前らは。
「そうですよ、お二人とも。食べ物を粗末にしてはダメですよ?」
諭すような口調で、ジネットが二人を叱る。……ほっぺたにクリームをつけて。
「……捨て身のギャグ」
「店長さん、いつの間にそこまでの域にたどり着いたです……?」
「へ? あの、なんのことでしょうか?」
ジネットのヤツ……あれ、天然だな?
「説得力が皆無だよ」
「ほぇっ!?」
頬についたクリームを親指で拭ってやると、素っ頓狂な声が上がる。
こんなベタなボケを素で繰り出してくるんだから……天然ってすげぇなぁ。
「……店長は拭ってもらえた」
「絶対おっぱい差別です。ギルベッちゃんもおっぱい大きいですし。きっとE以上限定なんです」
こら、ロレッタ。変な誤情報を流すな。
そんな差別はしてねぇよ。……今のとこは。
あと、ギルベッちゃんって。
「けど、実際難しいよね。齧りつくとお尻からクリームがはみ出したりするしさ」
「えっ!? 食べてすぐっ!?」
「ボクのじゃないよっ! シュークリームのお尻からっ! ……お尻を見るなっ!」
エステラの小ぶりなお尻をガン見していたら体の向きを変えられてしまった。
だって、クリームがはみ出すとか言うからさぁ。
「俺のいた街では、膨らんでる方を下にして食べるとクリームがはみ出さないって言われてたな」
「そうなのかい? やってみるよ」
ネットでそんな情報を目にしたことがある。
言われた通りに膨らんだ方を下にして、エステラがシュークリームにかぶりつく。
と、同時に溢れ出すクリーム。
「だが、検証してみた結果、そうでもなかった」
「先に言ってよ、そういうことはっ!」
アゴにクリームをつけて、エステラが声を荒らげる。
膨らんだところの生地が薄くなっていたのだろう。そこに力がかかって溢れ出したのだ。
「そう怒んなよ。クリームがはみ出すのも、シュークリームの醍醐味なんだよ」
「……どんな醍醐味だよ」
「ほら、動くな」
「へ…………っ!?」
エステラのアゴを摘まむような形で、親指でクリームを拭ってやる。
「ヤ、ヤシ……ッ!」
…………うん。
なんかこれ、『アゴくい』みたいだな……ほら、キスをする前にアゴをくいっと持ち上げる、アレ…………決してそんなつもりはないのだが……
「なるほど。『俺のデザートは、オ・マ・エ・だぜ』ということですね」
「ち、ちち、違うよっ!? 違うよね、ヤシロ!?」
赤い顔をして勢いよく後方へ逃げていく様は、さながら伊勢海老のようだった。
……照れるなよ、ウツるから。
「ヤ、ヤシロは、自分の発言の責任を取って、クリームを拭いてくれただけだよ!」
「……ズルい」
「ズルいです!」
マグダとロレッタが、追い込み漁のようにエステラに詰め寄る。
「……乳もないくせに、順番抜かし」
「エステラさんはこちら側のはずです! 乳がないのでっ!」
「君たち……しまいに怒るよ?」
おっぱい差別で拭いてもらえなった説の支持者がイレギュラーな無乳優遇を糾弾している。
……だから、してねぇんだって、おっぱい差別。今のとこは。
「天然娘優遇処置でしょうか?」
「……マグダは天然で可愛いところもある」
「マグダっちょが天然だったら、だいたいの人が天然になっちゃうですよ!?」
「その前に……ボクは天然じゃないから」
「あ、あのっ、わたしも違います……よ?」
「「「黙れ、天然のツートップ」」」
「酷い言われようだっ!?」
「もう、酷いですよ、みなさん!」
ついにエステラがジネットと同類認定されてしまった。
出会った頃は、頭の切れる油断ならないヤツだと思ったのに…………俺の人を見る目もまだまだだな。
だが、一言だけ、これだけは言っておきたい。
「お前ら、天然はおっぱいだけにしろよ」
「断るっ!」
「……エステラが潔い」
「養殖出来ればいいのですが……」
「世の中には、不可能なことがいくらでもあるですよ」
「うるさいよ、マグダ、ナタリア、ロレッタ!」
天然ものの尊さを理解しないエステラが吠える。
まったくもって、嘆かわしい。天然ものを蔑ろにするとは……
「エステラにおっぱいの祟りがありますように」
「やめてくれるかな!?」
「ヤシロ様。さすがにこれ以上は酷です」
「既に祟られている可能性もあるですのに!?」
「……抉れ気味のぺったんこ…………恐ろしい」
「うるさいよ、ナタリア、ロレッタ、マグダ! そしてマグダ、大差ないからっ!」
ぎゃーすぎゃーすと、エステラが吠える。いや、その様は最早エステラではない。つるすとん怪獣ペタゴンだ!
こいつ、領主なんだよなぁ…………平和だな、四十二区って。
「凄い思う、四十二区は」
賑やかな連中を見つめて、ギルベルタがポツリと漏らす。
「いつもこんなに盛り上がっているのだな、おっぱいの話で」
「他区の方に誤解を与えてますよ!? みなさん、自重してくださいっ!」
危機感を持ってジネットが叫ぶ。
間もなくかもしれないな、四十二区が『おっぱいの街』認定されるのも。
「ところで、ギルベルタ」
「なんだろうか、おにぃちゃんのヤシロ?」
「……やめてくれるか、割とマジで」
こいつはなんでもかんでも吸収し過ぎる。高野豆腐か、お前は。
「馬車はどこに停めてるんだ?」
「馬車?」
「帰りの時間もあるだろうし、暗くなる前に馬車に向かった方がいいんじゃないのか?」
ここに来てから、ギルベルタは一度も「帰る」と言い出さなかった。
しかし、あまり遅くなるのはマズいだろう。そろそろ日も傾き始める頃だ。
今から馬車を使えば夜には三十五区に着くだろう。
「ないぞ、馬車は」
「…………ん?」
「歩いてきた、今日は」
「徒歩っ!?」
「少しだけ走った、本当は」
「いや、そんなとこはどうでもいいんだよ! え、なに? お前、歩いて帰るの?」
「その予定でいる、私は。というより、手立てがない、それ以外に、私には」
……今から徒歩で三十五区へ帰る………………あぁ、無理だ。真夜中どころか、最悪夜が明ける可能性もある。
「ちなみにだが……メチャクチャ早く走れるとか……?」
「馬車以上にか? あはは、面白いな、友達のヤシロは」
あはは。こっちは全然笑えねぇ~。
「じゃあ、なにか? お前は、今日……泊まるつもりでいるのか?」
「まさか。そこまで迷惑はかけられない、この店には。大丈夫だ、私なら。少し嗜みもある、武術には」
いや……それはそうなんだろうけどさ……
夜中に一人で帰すってのがどうもなぁ……ほら、ギルベルタってちょっと小柄だし。背丈だけで言えば砂糖工場の最高責任者モリーくらいしかないんだよな。
……え? モリーが最高責任者だろ?
「……ヤシロがまた、お兄ちゃん属性を発揮している」
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんをやらずにはいられない性分なんです。あたしはよく知ってるです」
「ロレッタまで混ざって何言ってやがんだ。俺にはそんな性分も属性もねぇよ」
ただ、その……ほんのちょっと気になるだけだっつの。
「しょうがねぇな。俺が送っていってやるよ」
「え!? ……平気なのかい、ヤシロ?」
エステラが難色を含んだ顔で俺を覗き込んでくる。
「四十二区を出たら、道は真っ暗だよ? それに、帰りは一人になるわけだけど……?」
「…………」
容易に想像がつく。
不可能だ。
とっても頼もしい誰かが一緒にいてくれないと、俺、泣いちゃう。
マグダ…………は、確実に途中で寝てしまうな。
エステラとナタリアを連れて行くのは……さすがにマズいか。
デリアに頼んで…………関係ないヤツを巻き込むのもなぁ……
「あの、ヤシロさん。ギルベルタさんさえよろしければ、お泊まりしていただいてはいかがでしょうか?」
固まる俺を見兼ねたのか、ジネットがそんな提案を口にする。
『お泊まり』というワードに、ギルベルタの顔が分かりやすく明るくなる。……が。
「それは無理だな」
「ボクもそう思うよ、ジネットちゃん」
それは現実的ではない。
「ギルベルタは三十五区の領主、ルシアお気に入りの給仕長で、しかも今日は無断でここまで来てしまっているんだぞ。無暗に引き留めることは出来ない」
つか、さっさと送り返さないと後々ルシアが怒り狂いそうで怖い。
俺に一切の非がなくとも、完全無欠に俺のせいにされる気がする。いやきっとそうなる。
なんとか今日中に送り返さなければ……
「友達のヤシロ……」
どうやってギルベルタを送り返そうかと、こっちの世界にバイク便とかないのかと、なんだったらそういうサービスを始めりゃ一財産築けんじゃね? と、そんなことを考えていると、当のギルベルタが真面目な表情で俺の名を呼んだ。
「いざとなったら…………やる」
小さな手をキュッと握り、ギルベルタは俺の目を真っ直ぐ見つめて呟く。
「……ルシア様を」
「滅多なことを口にするんじゃねぇよ!」
さっきの「やる」って、『殺虫剤』の『さっ』って書くんじゃないよね!? 違うよね!?
それらが全部まとめて俺に降りかかってくるんだから、発言には気を付けろよ、マジで!
つか、こいつの『友達は何より大切に』って信念は少し危険だな……少しだけ手を加えておくか……
「ギルベルタ。俺はお前の友達で、お前は友達を何より大切にしてくれてるんだよな?」
「そうしているつもり、私は」
「だったら、お前の母親よりも、俺の言うことを聞いてくれるよな?」
「無論と思う、私は」
「んじゃあ、『友達は、領主の次に大切に』してくれ」
「領主……ルシア様の次に……?」
「そうだ」
これで、職務を忠実にこなしつつ、こちらと友好関係を保ってくれることだろう。
「だが、それでは……」
自分の人差し指を唇に這わせ、少し考え込む素振りを見せる。
そして、眉根を寄せて、深刻そうな顔でこちらを見つめる。
「血祭りに上げることになる、友達のヤシロを、私は、一両日中に」
「……うん。たぶん、ルシアはそういう命令下しそうだけどさ……そこはほら、なんとか融通利かせてさ……」
「ゆーずー?」
「いや、その言葉は知ってるだろ? つか、知っててくれ。今覚えろ」
『強制翻訳魔法』が翻訳出来ない言葉ではないはずだ。
『融通』と『ぱいおつ』が同列なわけがない。
「では、こういうことにしてみてはいかがですか?」
ぽんと手を打って、ジネットが満面の笑みを浮かべる。
妙案があります、って顔をしているが……まぁ、ジネットなら「みなさんを同じくらい大切にするというのはどうでしょうか?」とか言うのだろう。
だが、それだと甲乙をつけられなくなって、ギルベルタがどっちの方向に暴走してしまうか予測が立たない。危険な指示だと言える。
誰に教わらなくても適度にいい感じの優劣をつけられる、そんな指示をしなければ……
と、そんな不安を抱える俺を他所に、ジネットはとても自然な口調でさらりと発言する。
「ギルベルタさんが大切だなと思われる順番で大切にしてみては?」
「……大切? 私にとってかと聞きたい、私は」
「はい」
大切な順で大切にする……物凄く当たり前のことなのだが、ギルベルタは目からうろこが落ちたかのような、革命を目撃した小市民のような、価値観をひっくり返された者の表情を見せた。
大切な者の順番なんて、自分で決めればいい――
そんな当たり前のことに、こいつはたった今気が付いたのだ。
「そ、それは素晴らしい思う、私は! それなら、大切な人を後回しにして心を痛めることもなくなるはず、私も! 天才、友達のジネットは!」
ジネットの両手を握り、ぶんぶんと上下に振るギルベルタ。
ギルベルタがあまりに大はしゃぎで喜ぶから、ジネットは少し困った顔をしている。
「友達のジネットの意見を最大限優先する、私は!」
「あ、あの……はい。適度に、お願いします」
「今日は一緒に寝よう、友達のジネット! 私とっ!」
「はい…………えっ!?」
ジネットがギルベルタの言葉を理解して固まるのと同時に、俺の思考も停止した。
……え? 一緒に寝る?
「わくわくしている、初めてのお泊まりに、私は!」
「いや、待て、ギルベルタ!?」
大切な者を大切にするなら、お前は即刻三十五区へ帰るべきだろう?
大切だよな、ルシア!? お前が身命を賭して尽くすべき相手だよな!?
「一番大切なのは、私、私にとっては。そう言ってくれていた、母もルシア様も」
「いや、それはそうなんだけどさ……」
「だから、優先させる、私は! 私のやりたいと思うことを!」
「周りの迷惑は考えろよ、なっ!?」
「無論、考えている、私は」
「どこかがだっ!?」
「申し訳ない思う、私は。今も思っている」
「思うだけじゃなくてさぁっ!?」
いかん……とんでもないものを目覚めさせてしまったかもしれない。
なんだこの低姿勢な頑固者は……
こいつの前で下手なことを言うわけにはいかない。どんどん面倒くさい方向へアップデートされていってしまう。
しかも、バージョンアップしたらもう元には戻せない仕様っぽいし。
「川の字で寝たい、私は! 友達のヤシロと、友達のジネットと、三人で!」
「ぅぇええっ!?」
ジネットが奇声を上げる。
が、しかし、そこだけ見れば、それは素晴らしい提案のように思える。
ジネットとギルベルタ。二人の巨乳に挟まれて、全方位低反発マットレスみたいな寝心地が……
「真ん中で眠りたい、私は!」
お前が真ん中かよ!?
「……ギルベルタ。それは不許可」
「そうです!」
マグダとロレッタが抗議の声を上げる。
「……まずはマグダがやるべき」
「あたしもしたことないですのに! 順番は守るです!」
いや、お前らも狙ってたのかよ……どうせなら俺を挟めよ。
「あ、あぁあ、あの……っ、わ、わたしはアルヴィスタンですので……そ、そのようなことは……」
と、チラリと俺を見るジネット。
視線がぶつかると同時に耳が真っ赤に染まる。
「ぅあ……っ、あの…………きょ、今日は……ダメ、です…………」
「それは残念思う、私は……」
しょんぼりするギルベルタに、勝ち誇ったようにうんうんと頷くマグダにロレッタ。
……いや、それより、「今日は」ってなんだよ…………期待しちゃうだろうが。
ま、だからといって羽目を外したり喜んだりするわけではないがな。
こいつはあれだ。いわゆる「大人な対応」というやつだ。口約束など、真に受けるような俺ではない。
「ぎゅ、ぎゅるべりたっ?」
「君は分かりやすいね、ヤシロ……」
何が分かりやすいのか、まったく分かりかねるね。今のはちょっと噛んだだけだ。言い難いもんな、ギルベルタ。咄嗟には出てこないもん。
「はっくしょん、ギルベルタ!」とか、絶対言わないもん。口に馴染みにくいフレーズなんだよ。だから噛んだって仕方なくね?
…………こほん。
そんなことをしている場合ではない。
ギルベルタを早く帰さなくては、最悪外交問題になりかねない。
真面目に説得してみるか。
「いいかギルベルタ。冷静に考えてみろ……」
「…………怒っている、のか? 友達のヤシロは」
「……うっ、いや…………怒ってるわけじゃ……」
ダメだ。
こういう雰囲気とああいう表情は苦手だ。なんだか、虐めている気分になる。
しかし、だからといって甘やかすわけにはいかず……
「……ヤシロ。ここは任せて」
「お兄ちゃんはお兄ちゃん属性が強過ぎてこういうのには向いてないです。なんだかんだ甘々ですから」
「う……そ、そうか。じゃ、頼む」
なんだか言われ放題だが……
マグダとロレッタが上手く説得してくれるならそれはありがたいことだ。
女子同士の方が上手くいくかもしれんし、任せてみるか。
「……ギルベルタ」
「トラの娘」
「ちょっと話を聞いてほしいです」
「あ…………え~っと……」
「ロレッタですよっ!? 百歩譲ってハムスターの娘でもいいですから覚えてです!」
さすが、高野豆腐を超える吸収力を持つギルベルタだ。
もうロレッタに対する正しい対応を身に付けている。侮りがたし。
「……ギルベルタ。楽しいことを優先したい気持ちは分かる」
「そうです。よく分かるです。あたしなんか、出来ることなら毎日魔獣ソーセージ片手にお仕事したいです。あと、お客さんとのお話が盛り上がった時は業務を放り投げてもいい権利も欲しいです」
「……ロレッタ、黙って」
「はぅっ!? 怒られたです!?」
「……そして、仕事はちゃんとして」
「はうぅっ!? こっちはさっきよりマジなトーンです!? 視線がちょっと怖いです! 怒鳴るだけのパウラさんの比じゃないですっ!」
仕事に関して、マグダは厳しいからな。
とはいえ、ロレッタも決してサボったりはしない。ただちょっと職務中に羽目を外し過ぎる傾向があるだけだ。俺やマグダが軽くキレるくらいのはしゃぎっぷりで…………うん。一回シメとけ、マグダ。
「……楽しいことをしたいという気持ちは否定しない。けれど、世の中には遵守しなければいけないルールというものがある」
そう。
人間は働かなければいけないのだ。
一時の快楽に溺れてやるべきことを投げ出してしまっては、人間はダメになる。
そういうことを、マグダは教えようとしているのだ。
「……川の字は、マグダが一番。これは譲れない」
「推すね、それ!?」
なに? お前が教えたかったのって、序列とかそういうこと!?
「そして、あたしは『皮』の字で寝たいですっ!」
「とりあえず三人じゃ無理だな!?」
つか、どういう翻訳してんだよ『強制翻訳魔法』!? 元はなんて言ってんだよ、それ!?
「そして、その後に続くのは私で……」
「ナタリア、君は黙って」
輪の向こうでの自分勝手なボケは飼い主がちゃんと処理してくれた。
偉いぞエステラ。そうやってちゃんと躾け直しといてくれよ。
「守るべきであると思う、順番は、私は」
「……ギルベルタなら、分かってくれると思っていた」
「偉いです、ギルベっちゃん! 時に我慢も重要です」
「なら、三泊する」
…………ん?
「…………」
「…………」
きりっとした顔で「言い切った!」感満載のギルベルタと、それとは対照的に「どうしよう、なんか悪化しちゃったけど……?」みたいな顔でこちらを振り返るマグダとロレッタ。
……ギルベルタ。お前の思考はどこに向かってぶっ飛んでいってるんだ?
「あ、あの、ヤシロさん。外が……」
そっと近寄ってきたジネットが、窓の外へと視線を向ける。
空は、もう随分と暗くなっていた。……あぁ、もう無理か。
「……エステラ」
「まぁ……なんとなく、そんな気はしていたけどさ」
俺とエステラはほぼ同時に肩を落とし、困り果てた表情で視線を交わした。
まぁ、なんだな。こういう感情を共有出来るのって、きっとお前とだけなんだろうな。
四十二区は良くも悪くものどか過ぎるもんな。
苦労人気質な俺たちは気苦労が絶えないよなぁ……
「よろしく頼めるか」
「とりあえず、ナタリアにもう一度手紙を出してもらって、あとは明日会った時に誠心誠意…………って、感じだね」
「はぁ……俺が許される可能性、20%くらいしかないよな、それ」
「ははっ。二桁もあると思っているのかい?」
受難は避けられないだろう。
だが、もうここまで来たら帰す方が無理だろう。ド深夜になっちまう。
それはさすがに看過出来ない。いくらギルベルタが強いと言ってもだ。
「じゃあ、今晩だけだぞ」
「ありがとう、友達のヤシロ! やった! 許可が下りた、友達のヤシロの!」
「よかったですね、ギルベルタさん」
「よかった思う、私は! 友達のジネットの発案があったからこそ! 感謝する、私は!」
手を取り合って、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねるジネットとギルベルタ。
……あ~ぁ。明日は波乱の一日になりそうだ。ルシアに呼ばれている日だし、逃げるわけにもいかないしなぁ……
「ただし、川の字はなしだ」
「それは了解している、私は。きちんと守る、順番を、私は」
「……では、今日はマグダが」
「それも今度な」
「…………むぅ」
ギルベルタが泊まっている時に、こっち三人で仲良く川の字とか出来るかよ。
「ジネット。ギルベルタのベッドを用意してやってくれ」
「はい。任せてください」
「……ギルベルタは、空き部屋を使う?」
「そうですね。そうしてもらいましょうか」
「……では、マグダが用意をしてくる」
「そうですか? では、お願いしますね」
ギルベルタの宿泊が決まるや、マグダは部屋の用意を始め、ロレッタは隣で「いいなぁ、あたしも今日も泊まろうかなぁ」みたいな表情を見せる。
「待ってほしい、友達のジネットと、その仲間たち」
しかし、動き出そうとしたマグダをギルベルタが止める。
そして、ジネットの手を取ったまま、ジッとジネットを見つめる。
まるでおねだりでもするかのように……
「一緒がいい、私は、友達のジネットと」
というか、まんまおねだりだったようだ。
そんな視線を向けられて、ジネットが断るはずもなく……
「分かりました。では、わたしのベッドを使ってください」
特に考える素振りも見せずにそう答えた。
……俺もおねだりしてみようかな……と、そんなことを考えていると。
「…………ジネットのベッド…………使っていいのか、私は?」
ギルベルタが、ジネットの胸に熱い視線を注いだ。
ジネットのベッド。……うん、低反発で物凄く気持ちよさそう。
「はぅっ!? こ、これはベッドではありませんよっ!?」
「とても良さそう、寝心地が」
「そんなことないですよっ!?」
「ジネット! 俺もジネットのベッドを使いたい!」
「ヤシロさんは懺悔してくださいっ!」
なんで俺だけ!?
いい加減理不尽だ! 泣くぞ!? 泣いちゃうんだぞ!?
「い、いい、一緒のベッドで寝ましょうね」
「分かった、私は! そういうのをしてみたかった、幼い頃から!」
俺もしてみたかったさっ! 思春期の頃から!
「それじゃ、ボクたちは帰るよ。手紙を書かなきゃいけないからね」
「今夜中に届けられるように手配しておきます」
「おう。頼むな、二人とも」
席を立つエステラたちを出口まで送る。
「色々苦労を背負い込むよね、君は」
「向こうから勝手に飛び乗ってくるんだよ」
どこぞの江戸村のマスコットじゃねぇんだぞ。
飛びついてくんじゃねぇよ、ったく。
「なんにせよ、これ以上厄介ごとが舞い込んでこないことを切に願うよ……」
明日は朝一で三十五区へ向かうのだ……今晩くらいは心穏やかに休ませてほしい。
――と、そんなささやかな願いすら聞き届けてくれないのが神様ってヤツで…………
遠くから荒々しい蹄と車輪の音を響かせて、今夜最大級の厄介な客が陽だまり亭にやって来た。
「ギルベルタを帰してもらおうかっ!」
鬼の形相でドアを開け放ったのは……三十五区の領主、ルシアだった。
……お前ら、もうちょっと自分の立場を弁えろよ。な?
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