135話 開会式
その日は朝から、街中が賑やかだった。
「どこが勝つかな?」
「ウチだウチ! 四十区!」
「バーッカ! 四十一区に決まってんだろ!」
「あ、そうだ! 四十二区のケーキ食べた? チョー美味しいんですけど!」
「フードコートいいよなぁ! ずっと置いといてくれねぇかなぁ」
「さぁさぁ! どの区が優勝するか! 一口100Rbからだ!」
「四十一区に5000Rbだ!」
「四十区に2万!」
「四十二区に500Rbだ!」
「モーマット氏。張り合うのはよくないでござる」
「しかも、微妙にセコイのが致命的ッスよ」
……何やってんだ、あいつら。
ま、とにかく。そんなこんなで、四十区から四十二区まで、区の境を越えて、この付近一帯がお祭り騒ぎである。
「凄いですね」
「はぐれるなよ」
「……平気。店長のことはパウラが面倒見てくれる」
「うん! 任せといて! 絶対迷子にさせないから!」
「パウラさん、よろしくお願いするです。店長さんの手を離さないであげてほしいです」
「あ、あの、あの、みなさん……どうしてわたしが一番子供扱いされているんでしょうか?」
「お前が一番外に出てないからだよ」
人ごみに慣れていないであろうジネットを、俺たちで取り囲むようにしてゆっくりゆっくりと歩いていく。
大食い大会の会場となる四十一区には、夥しい数の人間が集まってきていた。
三区分の人間がすべて一ヶ所に集まるのだ。これは凄まじい。
そんな人波に押されながら、はぐれないように懸命に目的地を目指す。
「凄いですねぇ……こんなにたくさんの人を見たのは生まれて初めてです」
「……おそらく、みんなそう」
「ウチは弟妹多いですけど、さすがにここまではいないです」
当たり前だ。こんなに兄弟がいたら、お前の両親カッサカサになってるぞ。
……ちなみに、まだまだ増える予定らしい。
「俺は久しぶりだな……」
初詣とか、祇園祭とか、コミケとか、日本には人間が一ヶ所に集まるイベントが多いからな。
江戸時代の出雲大社とか伊勢神宮って、こんな感じだったのかなぁ……
「おにーちゃん!」
「ポップコーン、バカ売れ!」
大通りの一角に、陽だまり亭の二号店と七号店が並んで店を出している。
許可を取っての販売なので問題はない。並んでいるのはトラブル対策だ。分散させると一人にかかる責任が重くなるからな。何かあったらみんなで協力して乗り越えろと言ってある。
当然、自分たちでどうにもならない問題が発生した場合は俺たちを呼びに来るようにとも伝えてある。
「ようやく二号七号店のとこまで来たです」
「……もう少しで会場」
「移動も大変なんですね」
妹たちは昨日の夜からここでスタンバイしていたようだ。
俺たちだって夜も明けないうちに四十二区を出発したのだが、四十一区に入ってすぐ渋滞に巻き込まれてしまった。
人の大渋滞だ。
「これで、このあと向かうのが選手用の場所じゃなかったら……俺は帰っていたかもしれん」
「一般観覧の方たちはもっと大変そうですね」
俺たちは選手として、ジネットとパウラは料理番として、専用に設けられたスペースへ入場する。だから、会場に入りさえすれば、もう少し移動が楽になるだろう。
「そういえば、エステラさんはどうされたんでしょうか?」
「……朝から別行動」
「お金持ちっぽいんで、どっかズルっこい、いい席に座ってるんじゃないですかね? むむむ、ズルいです!」
いや……領主だから先に行ってるんだよ。
まぁ、黙っておくけども。
会場に入ると、四十一区の自警団の誘導により関係者通路へと案内された。
……はぁ、これで一息つける。
「凄まじかったな、人込みは」
「……牛歩」
「かたつむりさんの気分でしたね」
「え、え? えーっと、えーっと!」
マグダとジネットがぽんぽんと比喩を出したことでロレッタがテンパっている。いや、いいんだぞ、無理に上手いこと言わなくても。
「し……死にかけのお爺ちゃん!」
「こらっ!」
散々考えて出てきたのがそれか!?
不適切発言によりほっぺたむにむにの刑に処する。
「むぁあぁああ……ごめんなさいですぅ……」
「ダメですよ。言葉は、きちんと考えてから発するようにしないと」
「ジネットの言う通りだぞ」
「……死にかけは、歩行すらままならない」
「そう言うこっちゃねぇよ!」
フォローになってないぞ、マグダ!
「おーい! ヤシロー!」
「遅いぞ、お前らー!」
関係者入り口の前に、ネフェリーとデリアが立っていた。
あ、奥にベルティーナがいる。
「早いな、お前ら」
「前乗りだっ!」
なぜデリアが、そんな業界用語をっ!?
まぁ、『強制翻訳魔法』のお遊びなんだろうけど。
「ベルティーナも早かったな」
「はい。子供たちを人ごみにさらしたくはありませんでしたので、日が昇る前に来ました」
「ガキどもは?」
「寮母の方たちが見てくださっています」
「そっか」
ウーマロたちの頑張りにより、会場には物凄い数の観客が収容出来るようになっている。
それでも全員は入れないので、一試合ごとに入れ替え制になるのだ。
四十区と四十一区、そして四十二区では所得差があるため、一律の入場チケットという制度は取れなかった。
だから客席を三ブロックに分け、各ブロックをそれぞれの区で管理することになったのだ。
チケットの料金は各区の判断で決めていいことになっている。
チケットの収益はそのまま領主へと行く。
というわけで、四十二区は入場料が50Rbになった。
ぼったくることも出来たのだろうが、みんなが見られるようにと、エステラが領民たちに説明をして、チケットを分配したのだ。
「利益は別のところで取れれば、それでいいよ」
とか言ってたっけな。
甘ちゃんめ。
四十区は座席の一部を、全試合を通して見られるプレミアムチケットとして高額で売り出したらしい。当然のように貴族や金持ちがそのチケットに飛びついた。
それ以外は一試合ごとの入れ替え制で、お値段もお手頃なのだとか。
そうやって、あからさまな格差をつけておくのも、ある意味で公平と言えるのかもしれない。
身分の高い者と平民を差別なく一緒くたに扱う……ってのは平等に見えて実は結構歪な発想だったりする。
頑張って金を稼いだヤツと、遊び呆けてド貧乏になったヤツが平等に扱われるのは、果たして平等と言えるのだろうか……
まぁ、考え方は色々だろう。色々だろうから、色々な『公平』が生まれるのだ。民主主義国と社会主義国で価値観を共有しようってのが難しいようにな。
が、仲良しこよしの四十二区は、全員を一律同じ扱いにしている。
貴族も平民も奴隷も一緒。同じ『人間』だという考え方だ。
もっとも、四十二区にいる貴族はエステラくらいで……まぁ、最近ではイメルダも含まれるが……それくらいだ。
こいつらに関して言えば、むしろ他の連中と隔離されると寂しがるレベルだからな。特別扱いなど願い下げという感じだろう。
「わぁ! 広いですね!」
四十二区に用意された待機スペースに到着する。と、そこからの光景に若干圧倒された。
観客席に囲まれた中央ステージ、その脇に用意された関係者の待機スペース。
そこから観客席を見ると、物凄い威圧感を覚える。これだけの人間に見られていると思うと、胃がキュッと縮み上がる思いだ。舞台に立つ役者やスポーツ選手ってのはこんな気分なのかね。
「わ、わたし……出場しないのに……なんだか、緊張してきました」
「大丈夫……俺もだ」
ジネットも俺も、割とお気楽なポジションであるにも関わらず言い知れない緊張感を味わっている。選手じゃなくてよかった……マジでよかった。
「こっからだと、試合がよく見えるな! へへっ、あたい選手になってよかった!」
「……同意。特等席」
「ここからなら、声援も届きやすそうですね」
当の選手たちは、意外と落ち着いたもんだった。デリアもマグダもベルティーナも……あいつら、緊張とかしないのかね? しないんだろうな……
「待機スペースなんて言うから、あたいはもっとこう……狭い部屋に詰め込まれて全然楽しくないのかと思ってたんだよな」
「待機している人間が見えるのも、なかなか面白いもんなんだよ。こういう大きな大会だとな」
陣営に動きがあると、「お、なんかやってるな?」と気になったりして、それはそれで楽しめる。結構な長丁場になるからな。観客には見るものを数多く提供しておくに限る。
待機スペースも、いわば一種のエンターテイメントのようなものなのだ。
……ってのは、ちょっと盛り過ぎか?
待機スペースといっても、簡単な椅子と机がいくつか置かれているだけで、基本何もないスペースなのだが。
多くの者は立つか地べたに座ることになるだろう。一応、選手には椅子が用意されているわけだ。まぁ、座りたいヤツが座ればいいさ。
縦5メートル横4メートルと結構な広さを用意してある。なにせ、ここには出場者と料理番、それから俺みたいな関係者が待機することになるのだ。相応の広さは必要なわけだ。
料理は観客席からも見える特設キッチンで作るのだが、いつ、どの区が料理をするかは試合が始まる直前に決まるため、各区の料理番は各々のスペースで待機ということになっている。
客席の入れ替えと、次の試合の料理の準備のため、各試合の間には一時間のインターバルが挟まれる。ザックリとだが、準備期間も含めて二時間で一試合を消化する計算だ。
「あら、ヤシロさん、みなさん。ごきげんよう」
「お前は、普通にこっちにいるんだな、イメルダ……」
四十二区の待機スペースにイメルダがいた。
これから各区対抗試合を始めるというのに、実家の四十区ではなく、現住所の四十二区にいていいのかとも思うのだが……
「キツネの人もこちらにいるではないですか」
「お、おおお、オイラは、せ、せせせ、選手、候補ッスかららららっ!」
ウーマロがガチガチに緊張しながら反論をする。
こいつの緊張は大会前のソレではなく、女性に話しかけられないというヘタレ精神によるものだが。
つか、もっと堂々としてろよ。イメルダはお前のことをライバルと認め、相当高く評価してんだぞ? まぁ、本人は絶対口にしないだろうけど。
「ちょいと、ヤシロ!」
イメルダと話をしていると、突然背後から襟首を引っ張られ気管が押し潰された。
……し、死ぬかと思った。
「何しやがる!?」
「それはこっちのセリフさね!」
振り返ると、怒り心頭に発した感満載のノーマが腰に手を当てて立っていた。
ポンポンが、超目立つ。
「おぉっ! 似合うな!」
「似合うなじゃないよっ! なんだいこの格好は!?」
いつもの少々気だるげな大人の色香はどこへやら、今日のノーマは朝からツンケンしている。
服装は、堪らなく色っぽいのに……
「その格好はな……、チアリーダーというヤツだ!」
拳を握り力説する。
と、ポンポンで顔面を「ふぁっさ~」と叩かれた。
「こんな足を出した格好で一日いろってのかい!?」
おぉ、そこかぁ、気になるのは。
確かに、普段はスリットの入ったロングスカートだから、足はさほど露出してないもんな。そうかそうか。ノーマは足が恥ずかしいのか。
俺的には、胸元が殊更強調されてるチア服を作り上げたウクリネスにグッジョブと言わざるを得ない気分なのだが。
今回、ノーマをはじめ、四十二区の有志には『応援団』をお願いしてある。
全試合をいい席で見られるとあり、みんな二つ返事で了承してくれたのだ。その際、「応援団だから、応援団らしい格好をしてくれよ」と言っておいたのだが、どうもノーマは気に入らないらしい。
メチャクチャ可愛いチア服なのに。超ミニスカートで、胸元は谷間ガッツリで、両手に持った『ポンポン』が異世界において容赦なく違和感を発揮していてそういうアンバランスな感じがグッとくる。
「とても素敵ですよ、ノーマさん」
ジネットがキラキラとした瞳でノーマの格好を称賛する。
「そ、そう……かい?」
「あぁ、よく似合っている。それで応援されればみんなやる気も出るだろう」
「こ、こんなもんで喜ぶのはヤシロくらいのもんさね」
ジネットをフォローする形でノーマを褒めてやると、ノーマはちょっとした憎まれ口を叩いた。だが、満更でもなさそうだった。
「ノーマ姐さん、色気炸裂です!」
「……熟れた果実」
「あんたらからは悪意を感じるよ!」
ロレッタとマグダの賛辞は受け入れられなかったようだ。
「ヤシロ~、見て見て! 可愛い?」
「あたし、料理番なんだけど!?」
ノーマと同様、チア服に身を包んだネフェリーとパウラがこちらへ駆けてくる。
……って、お前ら、今さっき俺らと一緒に入ってきたところだろう……仕事が早ぇなウクリネス。
つか、胸の谷間が強調されてるのってノーマだけなんだな。こいつらのは普通のチア服だ。
ウクリネス……お前、やっぱ分かってるよなっ!
ふと見ると、四十二区の待機スペースの後方に木製の衝立が設けられており、どうもあそこが更衣室のようだ。観客席から覗けたりしないだろうか……だったら俺も一般席の方へ……
「残念ながら、覗けない仕様になっていますよ」
ホクホク顔のウクリネスがやって来る。
こいつは最近、女の子に新しい服を着せることに快感を見出しているように見える。性別は女で間違いないが、きっと心はオッサンなのだろう。そうに違いない。
「あぁ……ネフェリーさん、可愛い……」
うわぁ……変質者が紛れ混んでる。
「何やってんだよ、パーシー? お前は完全に部外者だろう?」
「あんちゃんが来ていいっつったんだろ!?」
そうだっけ?
いや、しかし、それにしてもだ。ネフェリー見たさに四十区を裏切って四十二区にやって来るかね?
「謀反だな」
「恐ろしい言い方すんじゃねぇよ! 自分の街のことはもちろん大切だが、あ……愛は、もっと大切だろ?」
照れるなら口にするなよ、気持ち悪い。聞かされるこっちの身にもなれっての。
「ヤシロ様、おはようございます」
賑やかになってきた待機スペースで、ナタリアに声をかけられた。
が、こいつは観戦に来ているわけではない。
「お迎えに参りました」
「おう」
ナタリアは、俺を迎えに来たのだ。
ここよりもさらに厳重に監視・管理された領主たちの控室へと。
「じゃあ、俺、ちょっと行ってくるな」
「はい。開会式は、ヤシロさんは壇上ですよね?」
「まぁ……そうなるな」
なんでか、俺は領主と共に表舞台に出ることになっている。……まぁ、仕事も一つあるからしょうがないっちゃしょうがないんだが…………これも売り上げのため。俺の利益のため……割り切れ、オオバヤシロ。
……あぁ、面倒くさい。
「それでは、ここで応援してますね」
にっこりと、ジネットが笑みをくれる。
……そんな顔をするなよ。ちょっと、頑張っちゃおうかなとか思っちゃうだろ。
「応援って……俺は別に何かをするわけじゃねぇぞ?」
「はい。でも、応援しています。ずっと、見てますからね」
こいつは、俺の憂鬱を感じ取ってそんなことを言ってくれているのかもしれないな。
「じゃあ、行ってくる」
「はい。いてらっしゃい」
ジネットに見送られ、俺はまた移動を開始する。
衆目の元にある関係者待機スペースを離れ、観客席の向かい、大食い大会が行われる部隊の裏側に作られた建物へと入っていく。
ここは領主の待機する建物で、各領主に一部屋ずつ個室が割り振られている。
個室からはいい位置で試合を観戦出来るようになっており、まさにVIPルームってわけだ。
そんな建物の中へと踏み込んでいく。
さすがに、領主の控室付近は人が少ない。厳重に管理されており、特定の人間以外の立ち入りが禁じられているからだ。
そんな場所に、なんで俺が入り込んでんだかなぁ……詐欺師なんだよ、俺?
「エステラはいつからこっちにいたんだ?」
「昨日です。今は準備も終えられ、他区領主のお二方と会談中です」
「おいおい。そんなとこに俺が入っていっていいのかよ?」
「えぇ。ミスター・ハビエルとミズ・ロッセルもご一緒ですので」
「……メドラもいるのか」
どうしよう、帰ろうかな……
「着きました」
チィッ!
逃げられないと悟った俺は、腹を決める。
まぁ、いくらメドラでも領主の前でいきなり抱きついてきたりするようなことはないだろう。
ナタリアがノックし、ゆっくりとドアを開く。
「ダ~リィ~ン!」
いきなり抱きついてこられたっ!?
物凄い力でねじ伏せられ、逃げることも出来ないっ!
「テメェは……相変わらず…………物好きだな」
「だから、汚物を見るような目で見んじゃねぇっつってんだろ、リカルド! お前んとこの生き物だろ!? ちゃんと繋いどけよ!」
「こいつに首輪や鎖が通用するかよ」
「お前、それでも飼い主かっ!?」
なんとかメドラを引き剥がし、一命を取り留める……大会前だってのに、一気に体力を奪われてしまった……
「もぅ、ヤシロ。何やってんのさ」
「いやいや、今日も賑やかだね、オオバ君」
災難に遭った俺に、エステラとデミリーが声をかけてきた……の、だが…………
エステラ、おっぱい、ドーン!
デミリー、髪の毛、ふっさぁ~!
「ダウトー!」
「だ、だだだ、誰の胸がダウトなんだい!?」
「じ、じじじ、地毛の可能性を最初から全否定するのはど、どど、どうなのかな!?」
いや、指摘箇所を的確に把握してる時点で、やましいことだらけなんじゃねぇかよ。
今回の大会は、三区が公正かつ平和的に同意し開催されるものだと示すために、開会式で三区の領主が共同で開会宣言をすることになっている。
大勢の人の前に立つことになるわけで……こいつら、見栄を張りまくりやがったな。
エステラは盛大に胸に詰め物をし、デミリーは被りものをしている。
「ってことは、リカルドは身長でも誤魔化してるのか?」
「誤魔化してるか!」
唯一なんの見栄も張っていないリカルド。
それが、逆に怪しい……
「とにかく、もう時間がないからさっさと支度して、さっさと開会式を始めちゃおうよ!」
「うむ! それがいいな! となると、今から何かを変更したり……具体的に衣装を変えたりは出来ないから、現状を維持したまま開会式に臨むことになるだろうね、たとえ、周りが何を言おうとも!」
己を偽る領主二人がそんな言い訳をしつつ、さっさと開会式へ向かおうとしている。
……まぁ、別に止めないけどな…………エステラはそんなことしなくてもいいと思うんだけどなぁ。まぁ、本人がやりたいならやらせておくさ。
胸がないと、正体がバレるかもしれないからな。
「ハビエル。お前んとこの領主が面白いことになってるが、何も言わなくていいのか?」
「ふぁっ!? ん、お、おぉ! ヤシロか! なんだって?」
「え……なに、お前。緊張してんの?」
木こりの大将ハビエルは、ガッチガチに緊張していた。
人前に出るのが苦手なのか? ギルド長なら、何かと人前に出る機会もあるだろうに。
「はっはっはっ。スチュアートは昔から、こういうのが苦手だったよなぁ」
「う、うぅう、うるさいぞ、アンブローズ!」
「あんまり思い詰めると、毛根に悪いぞ」
「お前に言われたくな…………ぅぉおっ!? どうしたその頭っ!?」
どうやら、今気が付いたらしい。
「何を言ってるんだ、スチュアート。地毛だよ、地毛」
その場にいた者全員が一斉にデミリーを指さした。
『『『『『精霊の……』』』』』
「わぁー! 冗談だ! 悪かった! 無かったことにしてはくれないか!?」
思わぬところで四十区領主の弱みを握れた。うんうん。今後何かと活用させてもらおう。
「さて、皆様。そろそろ開会式のお時間です。くだらない毛根いじりはやめて、ご準備を」
「エステラのところのメイドは、さらりと毒を吐くよねぇ……」
デミリーにダメージを与えつつ、ナタリアが準備を促す。
いよいよ開会式だ。
「じゃあ、そろそろ行くか」
年の功というわけでもないだろうが、領主を代表するのはやはりデミリーのようで、行動を起こすのもデミリーが最初、という空気が出来上がっている。
デミリーが最初に部屋を出て、リカルド、エステラがそれに続いていく。
俺やハビエル、メドラは各々の領主の隣に並んで歩いていく。
「緊張するかい?」
道すがら、エステラがそんなことを聞いてきた。
「別に。俺は立ってるだけだからな」
「ふふ……本当にそれだけで済むと思ってるのかい?」
「何をさせるつもりだよ」
「ボクが何かをさせなくても、君は勝手に何かを仕出かす。いつもそうじゃないか」
「うるせ」
くすくすと、声を潜めてエステラが笑う。
ドレスアップしたエステラはやはり綺麗で、こうしていると本当にお嬢様にしか見えない。
不思議なもんだな。化粧ってのはある種の詐欺なのかもしれないな。
綺麗になる云々の前に、纏う雰囲気ががらりと変わる。
「さぁ、いよいよだよ」
「あぁ」
前方に、会場への出口が見えてくる。
「大会が……始まるっ」
一種異様な高揚感に、表情筋がなぜか笑みを形作る。
まぁ、確かに、悪い気はしない。
テンションが上がり、ちょっと張り切っちゃおうかなとか思ってしまったんだろうな、きっと。
俺は、柄にもなく、浮かれていた。
領主たちが壇上に上がると、観客席から割れんばかりの拍手が湧き起った。
「圧巻だな……」
「さすがに……ちょっと、緊張するね」
エステラと一言だけを交わし、俺たちは舞台へと上がった。
領主三人が舞台中央に並び立ち、俺やハビエル、メドラは脇へと避ける。
デミリーが片手を上げると、割れんばかりになっていた拍手がすっと静まる。
「これより、四十区、四十一区、四十二区、三区の合同による大食い大会を開催するっ!」
デミリーの声は、怒鳴るという風でも張り上げるという風でもなく、落ち着いていて聞きやすい。それでも、会場の隅々にまで響き渡っていた。拡声器なしでも、なんとかなるもんなんだな。
「今大会において、我々はいかなる裏工作も取り引きもせず、正々堂々戦うことを、ここに宣言する!」
デミリーの言葉に、リカルドとエステラが右手を掲げる。同意するという意思表示だ。
「今大会の勝者には、最大の栄誉と褒賞が与えられるだろう!」
褒賞とは、優勝した区が他の区へ一つ要望をのませることが出来るというものだ。
観客たちに詳しい説明はなされていないが、おそらく、誰もがその内容を知っていることだろう。四十二区で俺たちが行ったような、領民に対する説明会のようなことは、他の区でも行われているはずだからな。
「それでは、ここに、大食い大会の開会を宣言する!」
開会宣言に、会場は一気に盛り上がる。
拍手や指笛が盛大に鳴らされ、歓声が上がる。
凄まじい音のうねりが大気を震わせる。
なんか、鬼気迫るものを感じるな。
ワールドカップの熱狂が可愛く見えるぜ。
大歓声と拍手に包まれる中、各領主たちが互いの健闘を称えて握手を交わす。
三者が手を重ねたところで、一回り大きな歓声が上がる。
歴史的な場面に、俺は立ち合っているのかもしれない。
日本だったら明日の朝刊の一面を飾ること間違いなしだろう。
……っとっとっと。
雰囲気にのまれている場合じゃない。
俺には、まだ仕事が残っているんだった。
上手いことぼやかしつつ、ここまで持ってこられた。エステラが気にしていて、何度か質問されたのだが、上手いことはぐらかし続けた。
すべては、今、ここで決めるために。
「それでは、早速第一試合へと移行したいと思う」
「ちょっと待った!」
俺が声を上げると、会場がざわつき、領主の三人が一斉にこちらへ視線を向ける。
「ちょっと、ヤシロ。一体何をする気なんだい?」
エステラが小声で問いかけてくる。
何をするも何も、やらなきゃいけないことがあるだろうが。
もっとも、そのことに気付かれないように、試合の運営には領主を噛ませていないのだが。
領主は代表者ではあるが大会には参加しない。あくまで観戦者だ。
だから知らないだろう? 第一試合の料理をどこが担当するのか、それをどうやって決めるのかってことを。
「二試合目以降は、最下位の区が料理を担当するということになっているが、一試合目はまだどこが担当するのか決まっていない」
「えっ、そうなの!?」
エステラと同様、デミリーとリカルドも驚いているようだった。
うんうん、それでいいんだ。
「……なんで決めておかなかったのさっ!?」
俺の隣へ近付き、小声で責めるエステラ。
バッカ、お前。そんなもん、エンターテイメントのために決まってんだろうが。
俺は、エステラを押し退けて、舞台の中央へと進み出る。
「あ~……、実は、今回。あえて一試合目の料理を事前に決めていない。なぜなら、見えないところで関係者が話し合い、一品目を決めるという行為は不平不満を生むからだ。正当な方法で決めたものにせよ、それが伝聞されただけでは、選ばれなかった区の領民は納得出来ない。そうじゃないか?」
観衆に向かって問いかける。
ざわざわと、観衆がざわめき始める。
そうだろうそうだろう。蚊帳の外はつまらないよな。
なら、お前たちの見ている前で、お前たちの代表者が一試合目の料理を決めれば文句はないだろう。
「今ここで、領主たちにくじ引きで決定してもらおうと思うのだが、どうだろうか!?」
その問いかけには、「ぅぉおおおおおっ!」という、賛同の雄叫びが上げられた。
そうそう。観衆は殊更盛り上がることを好む。
中には、きちんと協議をして公平に話し合いで決めるべきだという意見の者もいるだろう。
だが、この場面において、冷静な判断が出来る者の意見は封殺される。今この瞬間においてだけは多数決ではなく、声のデカい方が勝つのだ。
つまり、煽って乗せれば、俺の思惑通りに事が運ぶというわけだ。
「会場の了承も得られた。で、領主の意見はどうだ?」
振り返り、今度は三人の領主に問いかける。
群衆の意見が出た後なら、こいつらの答えは決まっている。
「私は構わんよ」
「テメェの意見だってのは気に入らねぇが……まぁ、好きにしろよ」
「ボクも、それでいいよ」
こいつらに選択肢などない。
俺の思惑通りだ。
「では、ちょっと待っててくれ。ウーマロ!」
「はいッス!」
俺の合図で、ウーマロが舞台へと駆け寄ってくる。
「悪いな、ウーマロ」
「いやいや。これくらいどうってことないッス。お手伝いするッスよ」
ウーマロの手には、大小二つの箱が抱えられている。
一つは、縦横奥行きがそれぞれ30センチほどの木製の立方体。天辺に直径13センチ程度の穴があいている。
中身が丸見えになることはなく、また、その穴に腕を突っ込めば中にある物を簡単に取ることが出来る、そんなサイズの穴だ。
もう一つの箱は、横幅が20センチ弱、縦と奥行きが5センチ程度の箱で、こいつにはある物が入っている。
蓋を開けると、中には直径5センチの玉が三つ入っている。赤玉が一つに白玉が二つだ。
俺は壇上で、それらを各々観衆に向かって掲げて見せる。
「この箱の中に、三つの玉を入れ、順番に一つずつ引いてもらう。赤い玉が当たりだ。単純で分かりやすいだろ?」
これならば、誰の目にも明らかで、領主たちが不正をすることも出来ない。
これでみんな納得だ。
と、思っていたのだが。
「ちょっと待て!」
空気の読めない、友達の少ない、目つきの悪いリカルドが待ったをかけた。
ま、食いつくとは思ったけどね。
「その箱と玉、調べさせてもらうぞ」
「俺が信用出来ないって言うのか!?」
「当然だっ!」
言い切られたぁーっ!
ま、そうなるように、あえてリカルドたちに内緒で進めてたんだけどな。
さぁさぁ、疑ってかかれ。そうそう、そうやって、執拗に中を調べればいい。
それでお前がなんの仕掛けもないって証明すれば、観客も不正がないと心底思えるだろう。
「もういいか?」
「もう少しだ!」
「そんな、女子のスカートの中を必死に覗き込むみたいにねっとり観察したって、なんも見つかりゃしねぇぞ」
「なっ!? テメェ! 公衆の面前で侮辱すると、統括裁判所に訴えを起こすぞ!」
「分かったよ。じゃあ、あとで……二人っきりで侮辱してやるな」
「いらんわ、ボケェ!」
リカルドが乱暴に箱を投げ返してくる。
なんてヤツだ!? これから使う大事な箱を!?
「何か怪しい仕掛けはあったか?」
「なんもねぇよ!」
「だ、そうだ。デミリーも調べるか?」
「いや、私はいいよ。リカルドが十分調べてくれたしな」
「そうか」
まぁ、俺は『デミリーの』気になる部分をちょっと調べてみたいけどな、公衆の面前で。
「オ、オオバ君……生え際を凝視するのはやめてくれるかな? 調べさせないからね?」
そうか。残念だ。
「じゃあ、ウーマロ。箱を持っててくれ」
「はいッス!」
すっかり俺のアシスタントが板についたウーマロに箱を持たせ、俺は観衆に向かって玉の入った箱を掲げて見せる。
「それじゃあ、入れていくぞー!」
軽く声が上がり、適度に盛り上がっていると実感する。
では……と、三つの玉を箱から取り出す。
玉を三つ右手に持ち、左手で空になった箱を床へと置く。
そして、右手にまとめて持った三つの玉から、白玉一つを左手で取り、ゆっくりと箱の中へと入れる。
一つ……
そして、左手でもう一つの白玉を取り、ゆっくりと……箱の中へ入れる……
二つ…………
「さぁ、これで最後だ!」
言いながら、右手をゆっくりと箱へと入れ、玉を落とす。
コトン――と、硬い音がして三つの玉が箱の中へと入れられた。
ウーマロに指示を出し、箱をシェイクさせる。
「順番はそうだな……俺が用意して四十二区の領主が一番に引くといかにも胡散臭いからな……ここはどうだろう。毛根の少ない順というのは?」
「年齢順でどうかな、オオバ君!?」
デミリーから物言いがつくが、どっちにしてもお前が一番なんじゃねぇか。
「リカルド、それでいいか?」
「好きにしろよ」
顔を顰め、リカルドは相変わらずつれない態度を取る。
んじゃ、デミリー、リカルド、エステラの順番で行く。
特に台座もないので、ウーマロに箱を持たせたまま領主に引いてもらうことにしよう。
まずはデミリーがやって来る。
「赤玉が当たりだね」
「おう。玉を引いたら、観客に見やすいように高く掲げてくれ」
「分かった」
そう言って、少しだけ楽しそうに、デミリーは箱へ腕を突っ込む。
「なんだか、私も大会に参加している気分になってきたよ。責任重大だね」
デミリーはなんとか当たりを引こうと、箱の中で玉をあれこれ弄り倒しているようだ。ガタゴトと木箱が音を鳴らす。
早く引けよ。
「よし、これだっ!」
箱から玉を引き抜いて、頭上に掲げるデミリー。
その瞬間、四十区の観覧スペースからはため息が、他のスペースからは歓喜の声が上がった。
すなわち、デミリーは……
「白……か」
残念そうに、引いた玉を見つめるデミリー。
「まぁ、しょうがないか」
諦めがついたようでリカルドに場所を譲る。
リカルドは箱の前に立つと、まだ諦めきれないように猜疑心にまみれた視線を向けてくる。
「諦めの悪いヤツだな……早く引けよ」
「うるっせぇ! ……俺はこの先一生、テメェだけは信用しねぇからな」
「お前、あんまりそういうことばっかり言ってると、レジーナに薄い本書かれるぞ……」
「なんの話だよ?」
「知らないことがいいことは、世の中にたくさんある……いいから引けよ」
「ふん……っ!」
箱を差し出すと、リカルドは不満そうな顔で腕を突っ込んだ。
箱の中で玉の確認をしている。それから、箱の中をペタペタと触り、どこかに『第四の玉』が隠されていないかを調べているようだ。
「……なんもねぇか」
「お前、ホント嫌な性格してるよな」
「テメェにだけは言われたくねぇよ」
言いながら、リカルドが引き抜いた玉は……白色だった。
四十一区のスペースからため息が漏れる。
「『まぁ、あの領主なら仕方ないか』『運、なさそうな顔してるもんね』『だから目つき悪いんだよ』みたいなため息だな」
「勝手な解釈つけてんじゃねぇ! あと、目つきが悪くて悪かったな!?」
と、目つきの悪い目で睨まれる。
怖~い。目つき悪~い。
「んじゃま、残りは……っと」
言いながら、俺はさっさと箱に手を突っ込む。
「あっ!? ボクもやりたかったのに!」
「結果が分かっているのに時間をかけるのも馬鹿らしいだろ?」
「まぁ、それはそうだけど」
「ほいよ」
箱から腕を引き抜き、手に持った赤玉をエステラへと投げて渡す。
「わぁっと!」
慌てながらも、両手で赤玉をキャッチするエステラ。
赤玉を手にすると、軽く見つめてから……ちょっとこすりやがった。
……お前も俺を疑ってんのかよ?
「塗装とか、剥げないからな?」
「えっ!? あ、いや、そういうことじゃなくて……あはは。なんかヤシロがやることって、何か裏があるような気がしちゃうんだよね。ごめんごめん」
「ま、日頃の行いが悪いからな、俺が」
「あはは。悪かったって。とにかく、ウチが当たりだよ。やったね!」
えへへと、取り繕うような笑みを俺に向けるエステラ。
「おい。もう一回調べさせてもらっていいか?」
もう結果が出たというのに、空気を読まない『目つき悪男』ことリカルドが待ったをかける。
……だから友達が出来ないんだよ。
「しつこいな、目つき悪男」
「誰が目つき悪男だ!? 念のためにだよ。ここで不正があったんじゃ、この後の大会が気持ちよく進行出来ないからな!」
こいつは……本当にバカだな。
「へいへい……ウーマロ、箱を渡してやれ。ついでに、そいつの処分も任せちまえ」
「え? いいんッスかね? 領主様にゴミの処分なんかお願いしちゃって」
「破壊して中までたっぷり調べれば気が済むだろう」
「そうッスか……? じゃあ、お渡しするッス」
ウーマロが恭しく空の木箱をリカルドへと差し出す。
それを受け取り、中を覗き込むリカルド。
うむ。傍から見ていると、なんとも感じが悪い男である。好感度駄々下がりだな。
女子にも嫌われるがいい。
「ふん……どうやら、イカサマはしていなかったようだな」
ようやく、納得してくれたらしい。
「だが、念のためにこれはもらっていくぞ。あとで解体してもう一度調べる」
「……好きにしろよ」
使い終わったら、薪にでもしてくれ。
「では、改めて!」
くじ引きの結果を受け、デミリーが再び声を上げる。
「第一試合、四十二区の料理で試合を行う! 試合開始はこれより三十分後とする!」
会場から歓声が上がる。
開会式は、これにて終了だ。
デミリーたちは、先ほどの通路へと戻っていく。個室でゆっくり試合を観戦するのだろう。
だが俺は四十二区関係者待機スペースへ戻るため、領主たちとは反対方向へ向かって歩き出す。
いちいち回り道をするのも面倒くさいので、このまま舞台を降りて待機スペースへ向かうのだ。
「ヤシロ」
そんな俺に、エステラが駆け寄ってくる。
「また、あとでね」
耳元に顔を近付け、そんな言葉を耳打ちしてくる。
会場からどよめきが起こる。
「ヤ、ヤシロさん……あ、あんた…………領主代行様にまで、手を…………とんでもないお人ッスね……」
なんか、勘違いされているっぽいな。
そういや、エステラは偽乳を装着して領主代行に変身してる時は、みんなからは『高嶺の花』と見られているんだっけな…………
「……エステラ」
「……ごめん」
他のヤツに聞こえない声の大きさでエステラを非難しておく。
両手を顔の前で合わせ、謝るジェスチャーをした後、エステラは逃げるように領主の個室側通路へと駆けていった。
……ったく。迂闊なヤツだ。
ま、俺もか。
「ヤシロさん……パネェッスわぁ……」
「アホなこと言ってないで、俺らも戻るぞ」
「はいッス」
ウーマロを引き連れて、俺たちは舞台を降り四十二区の待機スペースへと戻る。
「お帰りなさい、ヤシロさん」
真っ先にジネットが出迎えてくれる。
「最初の料理はウチになった。しっかり頼むぞ」
「はい。美味しい大人様ランチを作ってきますね」
まぁ、美味しさはどうでもいいんだがな。
「何皿くらい出るかな? たくさん出てくれるとありがたいんだけどね。ほら、お店の旗とかあるしさ」
チア服のパウラも気合い十分なようだ。
「大丈夫だ。かなりの数が出ることはもう約束されている」
「そうなの?」
「あぁ、なにせ……」
俺は得意満面な顔で言ってやる。
「ウチからはベルティーナを出すからな」
「えっ!? いきなり!?」
事情を知らなかったパウラは驚きを隠すこともせず声を上げる。
ベルティーナは大将として最後に持ってくるとでも思っていたのだろう。
「まずは最初に一勝を手堅くもらっておく。これで、あとの選手が随分楽になる」
「あぁ……なるほどねぇ。さすがヤシロ、考えてるね」
この作戦は、ベルティーナ本人やエステラ、ジネットたちには伝えてある。
だからこそ、ベルティーナは今朝早くに教会のガキどもを連れて会場入りしたのだ。
ベルティーナの勇姿を見たいというガキどもの願いを叶えるために。
それに、大人様ランチをたくさん出したいという思惑にも合致するからな。ベルティーナがいれば、それだけで五十枚は行くだろう。
そんなわけで、何がなんでも一試合目の料理は四十二区がいただきたかったわけだ。
「つーわけで、スゲェ数が出るから、今すぐ下準備をよろしく!」
「これは……調理場が戦場になるわね……ジネット! 行くわよ!」
「はい、パウラさん! では、ヤシロさん。行ってきます」
「おう! しっかり頼むぞ!」
特設キッチンへと駆けていくパウラとジネットを見送り、俺は一息つく。
あぁ、上手くいった。
ホント、リカルドがバカでよかった。
「あれ? どうしたッスか、ヤシロさん? なんかニヤニヤしてるッスよ」
「いや。リカルドがすげぇ箱を調べてたなぁって思ってな」
「あぁ……ちょっとしつこかったッスね。何もあそこまで調べなくてもいいと思うッス、オイラも」
「まったくだ。そもそも、『箱には』なんの仕掛けもしてないのにな」
「…………………………………………え?」
俺は、軽く右手を振る。
と、俺の服の袖から「ストン」と――白玉が落ちてきた。
「きょぼっ!? えっ!? ぅぇえええええっ!?」
「バカ、しっ! ……声がデケェよ」
「あ、す、すいませんッス……でも、……えぇ!?」
ウーマロが目を剥いている。
まぁ、そうだろうな。
一番近くで見ていたこいつもまったく気付いていないようだったし。
「いやぁ、ウーマロ。ホント悪かったなぁ……なんか、悪事の片棒を担がせちまったみたいで」
「ののっ!? ぅののののののののっ!? のぉ!?」
頭がこんがらがり過ぎて、不思議な音しか発せなくなっているウーマロの右手に、そっと白玉を握らせる。
「ウーマロ。この玉……誰にも悟られないように上手く処分しといてくれな」
「ヤ、ヤヤやヤ、ヤシロさん!? あ、あんた、やっぱ……っ!?」
「シッ! 『誰にも悟られないように』速やかに処分しないと……色々困ったことになっちまうぞ…………『相棒』」
「お……鬼ッス……ヤシロさんは鬼ッス……」
青い顔をして、ウーマロは握らされた白玉を大慌てでポケットへとしまい込む。
「チ、チラッと見たッスけど、やっぱり白かったッス……どういうことッス? この白玉はどこから出てきたッスか?」
トリックを教えないと納得しないようなので、教えておいてやる。
とてもとても簡単なトリックを。
「袖の中に白い玉を隠しておいた。で、箱に玉を入れる時に赤玉と入れ替えた」
以前、仕込みナイフを袖に隠せるように作ったギミックを改良し、袖の中に玉を隠せるようにしておいたのだ。
右で持った三つの玉を、左手に持ち替えて箱に入れるというのを二回繰り返し、観衆の目が白玉を入れる左手に注がれている間に、赤玉と袖の中の白玉をすり替えて、そして白玉を箱の中へと入れたのだ。玉の色を見せられない代わりに、ワザと箱の中で音をさせて『入れましたよ』というアピールをしてな。
「だから、デミリーとリカルドは何を引いても白になるってわけだ」
「で、でも、最後、箱は空になってたッスよ?」
「だから、俺が最後の一個を取る時に、箱の中の白玉を袖に隠して、袖の中の赤玉をさも箱から出したかのように見せかけたんじゃねぇか」
「……全然気付かなかったッス……」
ウーマロは知らないかもしれないが、実は俺はマジックが大の得意なのだ。特に、カードやコイン、こういう玉を使ったテーブルマジックがな。
木箱を、わざわざ開会式の途中でウーマロに持ってこさせたのも、仕掛けがあるなら箱の方だと思わせるための演技だ。
それ以前に会い、会話し、一緒に出てきた俺の体に仕掛けが施されているなんて、普通は考えないからな。
マジックとは、舞台に上がる前から始まっているものなんだよ。
「……よくもまぁ、こんな、そこそこ大きな玉を袖に隠して、普通に振る舞っていられたッスね」
「俺、ちょっとばっかり器用なんだよな」
「…………オイラはもう、二度とヤシロさんを信用しないッス…………いい意味で」
最後の一言は一切フォローになっていないが、まぁ、お前の気持ちは分かるよ。
「あぁ……オイラ、なんか心臓が痛いッス…………大食いとか、出来る気がしないッス……」
そんな弱音を吐くウーマロ。
とか言って、マグダが応援すればすぐ元気になるくせに。
こうして、大食い大会は始まった。
いや、実はもうすでに始まっていたんだ。
とりあえず、最初の一勝はいただくぜ。
俺は、俺のやり方で戦わせてもらうとしようか。
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