136話 第一試合 大食いの理由

 会場に、ハンバーグやソーセージの焼けるいい匂いが充満していく。


「会場のみなさ~ん! どうですか、この香り! 辛抱堪らないんじゃないですかー!?」

「「「ぅおおおおおおっ!」」」

「これぞ、四十二区の飲食店が、それぞれの長所を結集して完成させた究極の一皿、大人様ランチですっ!」

「「「ぅおおおおおおっ!」」」

「食べてみたいと思いませんかぁー!?」

「「「ぅおおおおおおっ!」」」

「食いてー!」

「あのソーセージだけでもいい! 寄越せー!」

「ロレッタちゃんかわいいいー!」

「匂いだけじゃ我慢出来ねぇよ!」

「ハンバーグは最高だー!」

「夢の、一皿やー!」

「はい! よく分かったです! みなさんのその思い、ちゃんとあたしに伝わったです! 食べたい人は、大会終了後に四十二区に来てくださいです! 特設レストランで期間限定発売をすることが決定してるでぇーすっ!」

「「「ぅおおおおおおっ!」」」


 ロレッタが客を煽っている。

 あいつ、ああいうの上手いよなぁ。


 ……中に一人、危険なヤツが混ざっていたが……まぁ、ロレッタがスルーしてるから放っておけばいいか。

 あとハム摩呂……来てるんだな。


「お兄ちゃん! 四十二区の応援席は温まったです!」

「おう、よしよし。えらいえらい」

「ほにょ!? な、なんか素直に褒められたです!? え、ホントにお兄ちゃんですか!?」

「これだけ温まってりゃ応援にも熱が入るだろう。お前の盛り上げ術はこういう時に役に立つ。これからも、お前らしく元気な感じでよろしくな」

「……はっ、はいですっ!」


 しばらく呆然としていたロレッタだったが、嬉しそうに顔を輝かせると、百万ドルの笑顔を浮かべて元気いっぱいに頷いた。

 こういう大会では、応援が力になったりするもんだ。ロレッタには、そっち方面で頑張ってもらおう。


「ぅう……人が多いさね……みんなが、アタシを見てるじゃないかい…………い、いやらしい目で見るんじゃないよっ! むきーっ!」


 ……応援団長のノーマはあのザマだしな。

 元気印のパウラも、今は料理番で不在だ。

 ネフェリーはニワトリだし……


 ここはロレッタに盛り上げてもらおう。


 さて、応援はそんな感じでいいとして……そろそろ時間か。


「ベルティーナ。緊張してないか?」

「はい。いつも通りです」


 初戦に参加するベルティーナは、普段通りの落ち着いた雰囲気を纏い、静かに佇んでいた。

 こいつを最初に持ってきたのは正解だったかもしれんな。

 どうしても、こういう大きな大会の初戦ってのは緊張してしまう。ウーマロとかだったら余裕でぺしゃんこになっていたことだろう。


「ウーマロはヘタレだからな」

「なんで関係ない会話で、急に悪口言われたッスか、オイラ!?」


 特に意味はない。

 細かいことを気にするなと言ってやりたいところだ。


「では、私はウォーミングアップに行ってきます」


 ベルティーナがぺこりと頭を下げて、ふらりと移動を開始する。

 ……って、こら


「つまみ食いすんじゃねぇぞ」

「ウォーミングアップです」

「ダメだっつの!」


 いい匂いに、完全にやられてしまっているのだろう。ベルティーナは特設キッチンが気になって仕方ないようだ。

 これは、早く試合を始めてもらわないと、ベルティーナが空腹で暴走してしまいかねない。


「おおおおおっ!」


 突然、四十一区の観客席から歓声が上がった。

 どうやら、向こうの選手が準備を始めたらしい。


「……あれは、狩猟ギルドのイサーク」


 四十一区の待機スペースで柔軟体操を始めた犬顔の男を見て、マグダが言う。


「知ってるのか?」

「……狩りの腕前は上級。けど、それ以上にイサークの名を轟かせたのは、その食い意地と豪快過ぎる食べっぷり。狩猟ギルドの中で、イサークを知らない者はいない」

「そんなに食うのか?」


 ギルド内とはいえ、知らぬ者がいないほどの食いっぷりか……


「……通称、イヌ食いのイサーク。一緒に食事をすると、とても恥ずかしい思いをすると、もっぱらの噂」

「食い方、汚いだけじゃねぇか!?」


 有名って、悪評かよ!?


「……しかし、食べる量は凄まじいと聞く」

「まぁ、強敵に違いはないんだな」


 イヌ食いのイサークか。まぁ、ベルティーナにかかれば……


「ウッホッホー!」


 今度は、四十区の待機スペースから、奇妙な鳴き声が聞こえてきた。

 見ると、大胸筋が異様に発達した、ゴリラっぽい男が上半身裸で変な踊りをしている。


「あれは、木こりギルドのオースティンですわ」


 イメルダがあのゴリラを知っているらしい。


「あいつ、飯はどうなんだ?」

「八度、誘われたことがありますわ」

「その情報いらねぇよ!」

「そして、九度、お断り致しましたわ」

「一回多いな!?」

「ダメ押し、ですわ」

「鬼か、お前は!?」


 ちょっと気の毒になって敵視しにくくなっちまったじゃねぇか!


「あまり詳しくは知りませんが、四十区の人選にお父様が助言をしていると考えれば……一回戦は様子見、でしょうね。お父様は好きな食べ物を最後まで取って置くタイプですので」

「なるほどな。まぁ、悪くはない作戦かもしれんな」


 四十一区も、噂の暴食魚人、グスターブを温存している。おそらく、あいつはラストなのだろう。

 それまでに三勝を上げられれば、こっちとしては楽なんだがな。



 ――カンカンカンカン!



 舞台上で鐘が打ち鳴らされる。

 スタンバイの合図だ。


「ベルティーナ」

「はい。準備は出来ていますよ」


 見た感じ、一切の気負いも緊張も見て取れないが……


「マイペースで、楽しい食事をしてきてくれ」

「まぁ……。お気遣い、痛み入ります」


 表情をほころばせ、深々と頭を下げる。

 そして、頭を上げると、そっと俺の頭に手を載せる。


「優しいですね、ヤシロさんは」


 なでなでと、子供にするように髪を撫でる。


「他の誰でもない、あなたのために、私は少しだけ頑張ってきますね」

「あ、あぁ…………つか、なんか恥ずかしいんだが」

「うふふ。もう少しだけ」


 まるで、俺を撫でることで力が出るからと言わんばかりに、ベルティーナは俺の頭を撫で続ける。

 ご利益なんかねぇぞ、こんな頭に。


「では、いってきます」


 もう一度礼をして、ベルティーナが舞台へと向かう。


「しっかり頼むぞ、ベルティーナ」


 遠ざかっていく背中に言葉をかける。

 大丈夫。ベルティーナなら、手堅く一勝を勝ち取ってくれるはずだ。


 選手一同が舞台上に整列する。

 他の区の選手がガチムチで、ベルティーナが殊更小さく見える。

 見た目からは不安しか感じないが……、大丈夫、俺たちはベルティーナの底力を知っている。


 選手が握手を交わし、それぞれの席へと座る。


 机は、四人掛け用の大きな机が各選手に一つずつ与えられる。

 机がデカいのは食い終わった皿を机の上に積み上げていくためだ。その方が盛り上がるしな。

 個別にしてあるのは、おかわりを選手のすぐ目の前にさっと置けるようにとの配慮だ。


 一皿を完食してからおかわりを頼み、最終的に積み上げた皿の枚数で勝負を競う。

 枚数が同じ場合は、皿の重さを量って勝敗を決める。単純に天秤にかけて、軽かった方が勝ちだ。


 試合開始を前に、食事の前のお祈りの時間が設けられている。

 この街は、ほとんどの者が精霊教会の信者、アルヴィスタンだからな。

 今も、ベルティーナたちが祈りを捧げている。


「ヤシロ。お待たせ」


 息を切らせてエステラがやって来る。

 全力疾走でもしたのだろうか。……揺れもしないのに、無駄な努力を。


「遅かったな。あの偽乳、そんなに強力に張りつけてたのか?」

「引き剥がすのに手間取ってたわけじゃないよ!」

「あの偽乳は、儚いくらい一瞬で取り外せてしまうものです」

「表現に悪意を感じるんだけど、ナタリア!?」


 エステラの後ろに、ナタリアが付き従っている。こいつもこっちで見るのか。

 ってことは、今領主の部屋はもぬけの殻か。もったいねぇの。VIP席なのによ。


「それから、ヤシロ様」

「ん?」


 ナタリアに呼ばれてそちらを見ると……


「てんとうむしさん、みりぃもきたよ」


 ミリィがいた。


「ミリィ、今来たのか?」

「ぅん。……ちょっと、連れてくるのに手間取っちゃって……」


 と、ミリィが手を引いているのは――


「……あぁ……アカン。この人口密度でもう死にそうや……人の匂いがする…………人間臭いわぁ……」

「お前は、どこのもののけの姫だよ」


 ――人間の匂いに酔いそうになっているレジーナだった。


「てんとうむしさんが、れじーなさんは絶対必要って、言ってたから」

「それで連れてきてくれたのか。悪かったな」

「ぅうん。みりぃも、みんなで応援したかったし」

「だ、そうだ。ミリィのためにもしゃんとしろ」

「せやかて…………あぁ、男どものいやらしい視線がウチの胸元に……」

「あ、それ自意識過剰だから」


 お前の胸元に視線送ってる暇があったらノーマの谷間に注ぎ込むわ。


「はぁ……ホンマ、どこにこんだけの人が隠れとったんやろうな……」


 大量発生した虫でも見るかのように、レジーナが観客席を恨めしげに見つめる。

 いやいや、まだまだこんなもんじゃないからな。


「あぁ、あそこに個室あるやん……ウチ、あそこ行ってくるわ……」

「あそこは更衣室だよ、バカタレめ」


 なんとか引きこもろうとするレジーナを引き留めていると、その更衣室から物凄い勢いでウクリネスが飛び出してきた。


「ミリィちゃん! 待ってた! 私、あなたを待ってました!」

「ぇ、ぇっ!? な、なに!?」

「さぁさぁ! お着替えお着替え! と~っても可愛くしてあげますから!」

「ぇっ、ぁの……て、てんとうむしさん!?」


 俺に助けを求めたミリィだったが、俺が何かを言うより早く、ウクリネスの手によって連れ去られてしまった。

 助けてやりたいのは山々なんだが……すまん、ミリィ。正直、お前のチア姿、見てみたいんだ。


「試合が始まるようですよ」


 ナタリアの声に、視線を舞台へと移す。

 調理された大人様ランチが各選手の目の前へと置かれる。


 四十区のゴリラ、オースティンは、立ち上る肉の香りに表情筋をほころばせる。

 四十一区のイヌ食いのイサークは、耳を立てて舌を出しハァハァしている。


 そして、我らが四十二区のベルティーナは……冷静だ。

 山奥の清らかな泉のように穏やかで美しく、静かで涼やかだ。慈愛に満ちた優しい目元は、ただじっと大人様ランチを眺め…………口からは大量のよだれを垂れ流していた。

 おぉう…………最後で台無し。


「あ……なんか勝てそうな気がしてきた」


 エステラの呟きにも、頷くしかなかった。

 まぁいい。今は頼もしいばかりだ。


 さぁ、頼むぜ、ベルティーナ!

 まずは四十二区に、俺たちに一勝をプレゼントしてくれ!



 ――ッカーン!



 高らかに鐘が鳴り響き、四十五分間の戦いが、今、始まった。

 制限時間は舞台上に設置された巨大砂時計で確認することが出来る。


「ふぉぉおおおおっとぉ! 我らが四十二区代表、シスターベルティーナ! 凄まじい勢いで大人様ランチを掻き込んでいくです! これは凄い! 凄まじいです! みるみる料理がなくなり……えっ!? えぇっ!? もう、一皿目を…………完食したですっ!?」

「「「ぅおおおおおおっ!」」」


 ロレッタが実況をし、観客が盛大に盛り上がる。

 凄まじい勢いで一皿目を平らげ、綺麗な所作で手を上げる。


「おかわりを、お願いします」


 すぐさま二枚目の皿がベルティーナの目の前に置かれる。


 隣にいたイサークも、その向こうにいたオースティンも、ベルティーナの勢いに目を丸くするばかりだ。


 しかし、当のベルティーナはそんなことはお構いなしに、『マイペース』で食料を口へ、そして胃へと放り込んでいく。


 バズズズッ! バズズズズッ!


 いや、音おかしい、音おかしい!

 だが、今日だけはそれでいい!


「いけぇ、ベルティーナ! 他の二人をぶっちぎれぇ!」


 なんて、思わず声が出てしまった。

 ははっ、なんだよ。俺もなんだかんだ楽しんでんだな。


「おかわりを、お願いします」


 まったくペースが落ちることなく、二皿、三皿と皿を積み上げていくベルティーナ。

 オースティンとイサークもようやく我に返り、負けじと大人様ランチに食らいつく。


「ガウガウガウッ! ガルルルルッ!」


 皿に口をつけ、まさに『食い散らかす』といった描写がピッタリくるイヌ食いを披露するイサーク。……確かに、こいつと飯は食いたくないな。

 ちなみに、テーブルに零した量が一定量を超えると減点される。

 机に落としたものを食べる行為は美しくないということで、一度でも机に落とすと『食べ散らかし』として、量りの上の器に入れられる。

 そして、大会が規定した錘より重くなり、天秤が釣り合うと減点となる。

 錘の重さは、料理の総重量の四分の一となっている。


「おかわりだっ!」

「ウッホ! ウッホホ!」


 ……オースティン、言葉しゃべれないのか?


「あ、間違えました。おかわりをお願いいたします」


 間違え過ぎだろっ!? で、普段は意外と丁寧な口調なんだね!?

 なんにせよ、イサークもオースティンも二皿目に突入だ。

 その間に、ベルティーナは八皿目に取りかかっていた。


 うんうん。これは勝ったな。


 砂時計の砂がどんどんと零れ落ちていく。

 四十区と四十一区の観客は、次第に大人しくなり、随分と静かになってしまった。


「イーケイッケ、ベルティーナ! ハイ!」

「「「イーケイッケ、ベルティーナ! ハイ!」」」

「『ハイ!』はいらないですよ!?」

「「「『ハイ!』はいらないですよ!?」」」

「違うですっ!?」

「「「ちがうですっ!」」」

「もぉーぅ!」

「「「もぉーぅ!」」」


 四十二区の観客だけが大盛り上がりだ。……まぁ、バカばっかりなのが玉に瑕だが……


「チッキショォオオオオオオオオ! ガウガウガウッ! ガウガウガウッ!」


 イヌ食いのイサークの速度が上がる。

 狩人魂とでもいうべきか、凄い根性だ。

 すでに十皿以上の差をつけられてもなお折れないその精神は大したものだ。

 おそらく、『勝つための戦いをする』と言っていたリカルドの言葉からも、こいつは二番手か三番手の、『勝ちを狙える』選手だったに違いない。俺たち四十二区や四十区が様子見の選手を投入すると踏み、その中で手堅く一勝をもぎ取ろうとしていたようだ。考えることはどこも一緒か……


 だが、相手が悪かったな!


 こっちはド本命のベルティーナだ!

 四次元胃袋の持ち主にして、食べることが大好きな、大食いの神様みたいなシスターだ!

 見ろ! もうすでに四十八皿も平らげているのに、あの美味そうな顔。

 食事を愛し、楽しむことが出来るベルティーナだからこそ、あそこまでの高みにたどり着けたのだ!


 四十区のオースティンは現在、三十一皿完食。三十二皿目にして、完全に手が止まってしまっている。

 四十一区のイサークは現在、三十七皿完食。根性を見せるイサークは、大盛りの大人様ランチに対し、果敢に挑み続けている。

 そしてベルティーナは現在、四十九皿完食。五十皿目も、もうほとんど残っていない。


 砂時計を見やる。

 残り時間は、あと十五分。

 試合開始から三十分が、……今、経過した!

 それと同時に、ベルティーナが五十皿目を平らげた!


 そして、ベルティーナがまたも美しい所作で手を……………………上げない?


「ごちそうさまでした」

「えぇぇえっ!?」


 あいつっ、今っ、なんて言ったっ!?

 ご馳走さまだとっ!?


「おい、ベルティーナ! まだ時間は十五分も残ってるんだぞ!? 食わなくてもいいからとにかくおかわりを頼んでおけ! 少し休んでいいから、時間いっぱいまで頑張るんだ!」

「けれど、ヤシロさん」


 俺が叫ぶと、ベルティーナが舞台の上でこちらに視線を向ける。


「残すと、もったいないです」

「あとでスタッフが美味しくいただくから気にすんなぁっ!」


 大会だぞ!? 

 何を悠長なことを言ってやがんだ!


 俺の言葉を聞き、ベルティーナはこくりと頷いた。

 そして、美しい所作で手を上げる。


「おかわりを、お願いします」


 ベルティーナの目の前に五十一枚目の皿が運ばれてきた。

 しかし、ベルティーナは一切動こうとしない。


 くっ!

 隣を見ると……


「なんだか知らねぇが、チャンスだ! 今のうちにっ! ガーウガウガウッ! ガーァァァァウガウガウッ!」

「私も、負けていられませんねっ! ウーッホウッホウッホ!」


 ベルティーナの手が止まったことで、他の二人がペースを上げやがった。

 目標の背中が見えると、人は実力以上の力を出せることがある。


 今のイサークにオースティンがまさにその状態だ。

 絶対強者であるベルティーナに追いつけるかもしれない。

 その高揚感と使命感が、ヤツらの胃を限界以上に押し広げているのだ。


 砂時計の砂は、なんだかさっきより落下速度が落ちたような気がする。

 残り八分……


「おかわりだっ!」


 イサークが四十二皿目に入る。


「こちらも、おかわりをお願いいたします!」


 オースティンは、さっきまで休んでいたのが功を奏したのか、イサークよりも伸び率が高い。

 あっという間に枚数を重ね、これで四十皿目だ。イサークに追いつきそうな勢いが出ている。


 そんな中、ベルティーナは一切食べ物を口にしようとしない。

 どうしたベルティーナ!? まさか、俺が『五十皿は固い』とか言ってたのを変に解釈して、『五十皿以上食べちゃダメだ』とでも思っているのか!?


 砂時計の砂は、止まっているんじゃないかと思えるほど、全然減らない。

 くそっ! 早く! 早く落ちてしまえ!

 このまま逃げ切るしか、俺たちに道はなさそうなんだ!

 だったら早く! 砂よ、落ちろ!


「あたしも応援するです!」


 と、ロレッタがぴょんぴょんとジャンプを始める。

 どうやら、震動で砂の落下を早めようとしているらしいが……そんなんじゃなんの影響も出ない。むしろ、この程度で影響が出るようでは困ってしまう。

 だから、ロレッタの行動はまるっきり無駄なのだが……


「よし! 俺も跳ぶ!」

「えっ! じゃ、じゃあ、ボクも!」

「……よしきた」


 早く落ちろ! 

 それだけを願い俺たちはジャンプを続けた。

 無駄なことだとは知りつつも!


「べ、べるてぃーなさぁ~ん! が、がんばって~!」


 細い声を精一杯張り上げて、ミリィが声援を飛ばす。

 って、おぉっ!? 

 ミリィがチアガールに変身している! しかも、決して長くはない髪をムリヤリ束ねたツインテールではないか!?

 大きなテントウムシの髪飾りはツインテールの邪魔にならないように、チア服の腰につけられている。


「私たちが応援していますよ! さぁ、ベルティーナさん! あなたの本当の力を今こそ見せてください!」


 よく通る声でナタリアが声援を飛ばす……って、えぇぇええっ!?

 ナタリアまでもがチアガールに!?


「ナタリア……いつの間に?」

「先ほどです。気が付きませんでしたか、お嬢様?」


 エステラもちょっと引いている。

 そりゃ、自分とこのメイド長が超ミニスカートのチアガールになってりゃ驚くわな。


「ガンバレ、ガンバレ、シ~ス~タ~!」


 ポンポンをバタバタ振りながら、ネフェリーがジャンプをしている。

 諦めろ、お前は空を飛べない鳥なんだ!


「チアガールリーダー!」


 ナタリアがノーマを呼ぶ。

 ……チアガールリーダーって…………


「あなたも応援をしてください!」

「ア、アタシは……だって、こんな格好で……」

「今、ベルティーナさんが四十二区のために一人で戦っているのですよ! それを応援しないで、何がチアガールですか!? 同じ区の仲間ではないですか!」


 なんということだ!?

 ナタリアがなんか正論っぽいことを言っている!?


「あなたのお乳はなんのために大きいんですか!? 今揺らさないで、いつ揺らすというのですか!?」


 あ、うん。やっぱりナタリアはナタリアだ。


「……アタシのお乳が、大きいのは………………今、ここで揺らすためっ!?」


 なんかよく分かんない説得が、功を奏してしまったようだ。

 大丈夫か、ノーマ? それでいいのか、お前の人生!?


「シスターベルティーナに、勝ってもらわなきゃあ、アタシらみ~んな、困っちまうんさねぇ……よござんす! アタシの応援、とくと見るがいいさッ!」


 言うや否や、ノーマがポンポンを振り乱してぴょんぴょんとジャンプをし始めた!

 ばいんばいんばいん!

 波打つように、そしてリズミカルに、ノーマのGカップおっぱいが盛大に跳ね、大暴れする。

 なんかもう……ホント、ありがとうございますっ!


「シスターベルティーナ~! あんた、ここで頑張らなきゃ、女が廃るさね! 同じ四十二区の女として、根性見せとくれよぉ!」

「ベルティーナさん! ファイトです!」

「ガンバレー! シスター!」

「ぁ、ぁのっ! がんばってくださぁ~い!」


 チアガールリーダーのノーマをはじめ、ナタリア、ネフェリー、ミリィが声を上げる。

 観客席も一体となりベルティーナに声援を送る。


 砂時計は…………あと、一分!

 と、ここでベルティーナがフォークに手をかけた。

 いくかっ!?


「ガーウガウガウッ! ガウガウガウッ!」

「ウーッホウッホウッホ! ウッホホウッホ!」


 イサークは現在四十九皿目をほぼ完食している。

 オースティンも四十九皿目に入った。


 マズい……追いつかれる…………っ!


「おかわりだ!」

「ウッホホ! ウホホッホ! ウホッ! お、おかわりを……お、お願いいたし、おぅ……っぷ、ます!」


 ついに五十皿……

 こいつを完食されると……並ぶっ!


「……すぅぅ……………………はぁぁぁ……」


 ベルティーナが、ゆっくりと深呼吸をする。 

 そして、小さく頷いた。


 ……あれ? あいつ、もしかして…………


「ガウッ…………ガ、ガウッ……!」

「ウ……ップ…………ホホ、ウッホ…………」


 イサークはあとハンバーグ半分。

 オースティンはソーセージとナポリタンを残している。


「負け……る…………かぁ!」

「私も…………まだ、食べられま…………」



 ――カンカンカンカーン!



 そこで、終了の鐘が打ち鳴らされた。

 結果は――


「勝者、四十二区っ!」

「「「「「ぅおおおおおおっ!」」」」」


 イサークもオースティンも、どちらも五十皿目を食べきることは出来なかった。

 ……ギリッギリの勝利。辛勝だ。


 ………………心臓が、痛い。


 辛くも勝利を収めたベルティーナが静々と俺たちの元へと戻ってくる。


「なんだよ、ベルティーナ! 冷や冷やさせんなよぁ!」

「ホントだよ~。私、負けちゃうんじゃないかって冷や冷やしちゃったもん!」


 デリアとネフェリーがベルティーナに文句を言う。

 そんな言葉をベルティーナはにこやかに受け止める。


「ですが、勝てましたのでよかったではないですか」

「まぁ、それもそうよね。お疲れさま、シスター」

「とにかくでかしたぞ! みんな、シスターベルティーナに万歳だ!」

「「「バンザーイ! バンザーイ!」」」


 初戦勝利に、大いに盛り上がる応援団。

 その様をにこにこと眺めてから、ベルティーナはふらりと移動を始める。


「少し、日陰で休んできますね」

「そうさね。人の前に出るっていうのは、想像以上に体力を消耗するもんだからねぇ」

「ノーマさん、それはご自身の経験談でしょうか?」

「うっさいね、ナタリア! 黙ってな!」


 わきゃわきゃと戯れる四十二区の面々。そんな声を背に、ベルティーナは一人、更衣室の方へと向かう。


「ベルティーナ」


 ゆっくりと近付き、並んで歩きながら、俺は声をかける。


「うふふ……心配しましたか?」

「まぁ、多少はな」

「でも、約束が守れてよかったです。ホッとしました」

「…………すまな………………ありがとうな」

「……はい」


 頷いて、足を止めるベルティーナ。

 俺の言葉の意味を、正しく理解したようだ。


「こちらこそ、ありがとうございます。でも、心配いりませんからね」


 ゆっくりと礼をして、ベルティーナは俺に背を向け、再び歩き出した。

 その背中は、「付いてこないでくださいね」と言っているようだった。


 更衣室に入っていくベルティーナを見送る。


「こらこら、自分。いくらなんでも更衣室を堂々と覗きに行くんはアカンのとちゃうか?」


 アホなことを言いながら、レジーナが俺を追いかけてきてくれた。

 うん……こいつもやっぱ、気が遣えるよな。

 ベルティーナのことは気が付いてないようだけど、俺の異変には気が付いてくれた。


 だから、こうして軽口を叩きながらも、そばに来てくれたんだろう。

 話が早くて助かる。


「……レジーナ」

「ん~? なんやの?」

「胃薬を用意してやってくれ」

「え? ………………あ、そうなんか?」

「あぁ。あと、頼むな。女子更衣室には、さすがに入れん」

「はいはい。ほなら任しとき。ウチが自分の代わりに、シスターはんの生唾ごっくん生着替えを覗いてきたるわ」


 俺の背中をバシッと叩き、レジーナは更衣室へと入っていった。

 これで、大丈夫だろう。


「ヤシロさん」


 聞き慣れた声に振り返ると、不安そうな顔をしたジネットが立っていた。

 調理場の片付けを終え、急いで戻ってきたのだろう。息が乱れている。


 こいつも、ベルティーナの変化には気が付いているはずだ。


「すまん。ちょっと、無理をさせ過ぎた」

「いいえ。たとえこのような状況にならなくても、ヤシロさんが何も言わなくても、何も望んでなくても……シスターは、同じ行動を取ったと思います」


 確かな自信を滲ませて、ジネットは言う。

 ほんの少しだけ、寂しそうな笑顔で。


「大切な人のために、ほんのちょっと無理をし過ぎてしまう……、困った母親なんですよ、シスターは」


 ベルティーナは、五十皿目ですでに限界を超えていたのだろう。

 あと一口でも食べていれば、きっと以前のように寝込むほどの腹痛に襲われていたに違いない。

 あの時、一度腹痛で寝込んだ時に、自分の限界を正確に悟ったのだろう。


「以前、シスターが寝込まれた時……回復されてからしばらくの間、ずっと元気がなかったんです。わたしたちに迷惑をかけてしまったと、自責の念に囚われていたのだと思います」

「見守るべき自分が、守られてしまった……ベルティーナが考えそうなことだ」


 それでこう思ったのだろう。

「もう二度と、心配などかけたりはしない」と。


「ヤシロさん」

「ん?」


 ジネットの目が、いつもよりも少しだけ淡く見えた。

 どことなくノスタルジックな……懐かしい雰囲気のする色合いだった。


「シスターが、どうしてあんなにたくさん食べるか……分かりますか?」

「え? ……単なる大食いなんじゃないのか?」

「いいえ」


 おかしそうに笑って、ジネットは首を横に振る。


「わたしが教会に住むようになったばかりの頃は、どちらかと言えば小食な方だったんですよ」

「はぁ!? ベルティーナが少食!?」


 あり得ない。

 ジネット、お前はカエルになりたい願望でもあるのか?


「ですが、……わたしもそうだったのですが、他にもたくさん……ご飯を食べない子供たちがいたんです」

「それは……なんつうか…………教会への、反発心……とかか?」

「いいえ。そうではなくて…………」


「はぁ……」と短く息を吐いて、唇をキュッとすぼめて、ジネットは思い切ったような表情で言う。


「わたしたちは、捨てられた子供……でしたので」


 あの教会には、行き場のない子供たちが生活している。

 事故や病気で両親を亡くした者も、中にはいるのかもしれないが……多くは、捨て子だったのだろう。


「ですから、その子たちの心には、こんなことが刻み込まれていたんです……『自分たちは要らない子なんだ……いいこにしていないと、また捨てられる』……」


 俺は、その言葉に、なんと返していいのか見当もつかなかった。


「だからですね、なんとなく……感覚でなんですけども……遠慮をしてしまうんです。ご飯を食べると、捨てられるんじゃないかと……不安になって…………無意識のうちに、我慢を」

「それで……なのか?」

「……はい。それで、です」


 子供たちが飯を食うように、まずはシスターが率先して飯を食うようになった……

 元は小食だったシスターが、無意識のうちに我慢をしてしまうガキどもに行動で示すために……


「何回もおかわりをして、『ほら、ご飯はこうやってたくさん食べるんですよ』って……『遠慮しなくていいんですよ』って…………相当、無理をなさっていたんだと、思います」


 そして、胃がどんどんと鍛えられて…………


「今では、シスターの大食いを子供たちが『しょうがないなぁ』って、笑って見守っているんです。おかげ様で、もう変な我慢をする子供は一人もいません。だって……シスターが誰よりも美味しそうに、何より、楽しそうにご飯を食べるんですから……」


 ベルティーナの大食いは、ガキどものため……だったのか。


「もっとも、食べることに目覚めて、今ではすっかり食道楽になってしまいましたけど……」


 くすくすと、ジネットが笑いを零す。


「けれど、そんなシスターを、わたしたちはどうしても嫌いにはなれないんです」


 それも、確信を持って断言された言葉だった。


「この先、たとえどんなことがあろうとも、わたしは……わたしたちは……シスターベルティーナお母さんのことが、ずっとずっと大好きなままなんです」


 誇らしげに胸を張り、満面の笑みで言う。

「どうですか? いいでしょう?」とでも、言いたげな顔で。


「自慢かよ」

「はい。自慢の母親です」

「ま、母親にしたいいいおっぱいランキングの上位であることは、確かだな」

「もう、ヤシロさん。またシスターに怒られますよ」


 頬を膨らませながらも、ジネットは嬉しそうに笑った。


「じゃ、あとはレジーナに任せて、俺たちは二戦目に備えるか」

「はいっ!」


 踵を返し、舞台へ向かって歩き出す。

 チアガールリーダーとして覚醒したノーマが、合流したパウラに応援の手ほどきをしている。

 なんだか賑々しい光景だ。


 そんな中、俺はふと立ち止まり、もう一度後方へと振り返る。


 ベルティーナが入っていった更衣室。

 今頃、レジーナに小言を言われながら薬を処方されているのだろうか…………まぁ、ゆっくり休めよ。


 でもまぁ、一言だけ。




「サンキュな、ベルティーナ」




 さすがに、「お母さん」とは、恥ずかし過ぎて言えなかった。






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