110話 コラボ企画

 四十区。

 貴族のご婦人たちが連日集まる高級サロン……いやまぁ、喫茶店だが……ご存じ、ラグジュアリーに、俺はジネットと共にやって来ていた。


「ヤシロさん、素敵ですよ」


 俺の首にスカーフを巻きながらジネットがそんなことを言う。……顔が、近い。

 自分で出来ると言ったのだが、「せめてこれくらいは」と、いそいそと嬉しそうに巻いてくれている。

 俺は今、『いかにもシェフ』という衣装を身に纏っている。鉄板焼きなんかでよく目にする感じのシェフをイメージして自分で作ったものだ。


 ポンペーオの隣に並ぶなら、それなりの身なりでいる必要があるのだ。お嬢様方を納得させる説得力も必要だしな。


「なかなか様になっているではないか」


 今日もビシッとシェフ服を着こなしているポンペーオが、俺の格好を見て余裕の笑みを浮かべる。


「しかし、まだまだ衣装に着られている感が否めんな。君も早く、私のように衣装を着こなせる男になりたまえよ」

「「「きゃー! ポンペーオ様、ステキー!」」」


 特設キッチンの向こうから黄色い声が飛んでくる。

 今日の特別なショーにご招待された、ラグジュアリーの常連客たちだ。二十名いるらしい。


 そんな常連客に片手を上げて見せるポンペーオ。その度に飛び交う黄色い声。

 その後「な?」みたいなウィンクを寄越してくるポンペーオ……うっせぇよ。

 ……この男は、ホンット常に居丈高なんだからよぉ。


 今俺たちは、ラグジュアリーの店内に作られた特設キッチンに立っている。

 テーブルを退け、店内の三分の一を使った空間に、簡易的な、それでいて機能的かつ芸術性に富んだ造りのキッチンセットが設けられている。


 俺は今日、ここで、ポンペーオと共に料理共演をするのだ。


 共演。まさに演出、演技だ。デモンストレーションと言った方がいいかもしれんが。

 テレビでたまにやっていた、『見せるための料理』を、ここラグジュアリーにて、ラグジュアリーを贔屓にしているお嬢様方の前でやってやろうという企画だ。


 なんだかんだのゴタゴタの影響もあり、四十二区でケーキを流行らせた店と思われている陽だまり亭。実際、イヤミな客が顔を見せるのもウチだけだし……

 そんな陽だまり亭の代表者が、ケーキの聖域ラグジュアリーにて、ケーキの神たる尊きポンペーオ様と肩を並べてケーキを作るのだ。…………はぁ、持ち上げるのだけで疲れ果てるぜ。


 とにかく、陽だまり亭に代表される四十二区の飲食店は、ラグジュアリーとは友好的な関係にあり、互いに切磋琢磨する間柄だと見せつけることで、お嬢様方の悪意を少しでも和らげてやろうと、そういう計画だ。

 そのためには、こっちが胸を借りるということにしておくくらいがちょうどいい。ポンペーオに教えを請い、ようやくそれなりのケーキが作れるようになった……くらいに思われておけば、お嬢様方は納得するだろう。

 で、ゆくゆくは「あら、あの時の新人君、最近頑張ってるのね」くらいに思われれば応援もされるというものだ。


 謙虚に……謙虚に…………裏で一、二発は殴るかもしれんが……表向きは謙虚な態度で演じきってやる。


「今日はよろしく頼むな」

「なぁに。一流のシェフとして、新人に胸を貸してあげるのは当然のことだよ。まぁ、思い切りぶつかってくるがいい」

「「「きゃー! ポンペーオ様、ステキー!」」」


 あぁ……殴りたい。


「ヤシロさん。顔が怖いですよ」


 そう言って、ジネットが俺の頬をむにゅんと摘まむ。

 え、なに? 「こいつぅ、やったなぁ」とか言ってやり返していい感じ?

 つい手元が狂ってほっぺたじゃなくて胸を摘まみそうだけども……


「ところで、陽だまり亭責任者にして一流の料理人であるところのジネットよ」

「わ、わたしが一流だなんて、そんな……」

「一流は新人に胸を貸してくれるものらしいんだが?」

「懺悔してください」


 他人の店だからだろうか、いつもより声は控えめだった。

 その代わり、眉を吊り上げたジネットに鼻の頭をちょんと突かれた。

 え、なに、このご褒美。もう一回お願い。


「今日は、頑張ってくださいね」


 最後に、スカーフの歪みを正して、ジネットは用意された観客席へと戻っていく。

 俺の味方はジネットただ一人か……アウェーだな。

 だが、気にするほどのものじゃない。別に常連のお嬢様方は審査員ではないのだ。

 むしろ、こちらを見下していてくれた方が、後々その感情をひっくり返しやすい。


 今回の目標は、陽だまり亭に向けられた『なんとなく気に入らない』という感情を払拭させることなのだ。


「適当に頑張るさ」


 適当に…………全力でな。


「材料はこちらで一流のものを用意しておいたよ。本当に同じ材料でよかったのかい?」

「あぁ。同じ材料でまったく違うスウィーツを作る。今日来てくれたお客様には、二種類のスウィーツを楽しんでもらおうと思う」


 特設キッチンの前に山と積まれた色とりどりのフルーツの山。

 一流とはいえ、結局のところアッスント経由で仕入れているので陽だまり亭でも入手出来るものばかりなのだが……ポンペーオが「一流だ」と言うだけであのお嬢様たちの舌には極上の甘味として認識されるのだろうから、いちいちツッコミは入れないでおく。


 今回は乗せられやすいポンペーオと、流されやすい自称情報通の特性を大いに利用させてもらうつもりだ。

 ポンペーオをおだて上げて、俺の作るケーキを「素晴らしいものだ」と言わせれば、ポンペーオに心酔しているお嬢様たちは「そうよ、これは素晴らしいのよ」と大合唱してくれることだろう。

 まぁ、テレフォンショッピングみたいなもんだ。ターゲット自身に「なるほど、そういうものなのかぁ」と思い込ませることが出来れば成功だ。


 ○○をつけるだけで痩せやすくなる。

 ○○を食べればガンになりにくい。


 そんな文言を信じてしまった人も多いだろう。

 口コミと思い込みってのは、バカに出来ないものなのだ。


「さて。今日はいつもご贔屓にしてくださっている皆様に、ラグジュアリーの新作ケーキ、その製造工程をご覧に入れたいと思います」

「「「きゃー!」」」

「しかし、ケーキというのは作るのに大変な手間ヒマと時間がかかります。完成までの間、皆様は当店の美味しい紅茶と、簡単なスウィーツを楽しみつつのんびりとお過ごしください」

「「「きゃー!」」」


 仕込みなんじゃないかと思うほど、お嬢様たちはポンペーオに好意的だ。

 おかげでやりやすい。


 俺に対し、決して友好的とは言えないポンペーオだったが、一度その気になればプロとしてのプライドで手を抜くことはない。いいものを作り上げてくれるだろう。


 陽だまり亭に入り込む悪意をどうにかするため、俺は昨日のうちにここへ来てポンペーオに今回の企画を持ちかけた。

 最初は、「料理する姿を客に見せるなど言語道断だ」と、猛反対されたのだが、「特設キッチンをウーマロが、『この日のためだけに』作ってくれることになっている」と言うや、手のひらを返したように「ならやろう!」と承諾してくれたのだ。


「あぁ……調理台の高さも絶妙だし、それにこの見せるためのキッチン……細工が美しくて……最高だ。料理人なら、誰もがこのキッチンで料理をしたくなることだろう……あぁ…………シ・ア・ワ・セ」


 なんか、隣で気持ち悪いくらいにうっとりしてる……今にも調理台に頬摺りしそうな勢いだ。

 これが終わったら取り壊すのだが……こいつ、暴れたりしないだろうな?


 そして、常連のお嬢さんたちなのだが……集めるのはとても簡単だった。

 昨日この店を訪れた客に招待状を渡してもらったのだ。

『特別なお客様へ。ポンペーオからのご招待』という名目で。


 まんまと飛びついたお嬢様たちは、昨日の今日、しかも朝早くだというのに、一人も欠席者を出すことなく全員出席してくれた。


 マグダで釣ったウーマロで釣ったポンペーオで釣ったお嬢様たち。

 世界って、こうやって回っているんだな。


 かくして、料理実演ショー『ケーキの職人 in ラグジュアリー』は開催と相成ったのだ。


 ラグジュアリーの不愛想な店員により、観覧者に紅茶と小さな焼き菓子が振る舞われる。

 ……あ、あの焼き菓子、ケーキのつもりなのか。乾パンかと思ったぞ。


 紅茶を一口飲んで、ジネットの動きがピタリと止まる。困ったように眉を寄せ……そっと、カップをソーサーに戻した。うん、分かる。ここの紅茶、薄いのに渋いんだよな。なんか、そういうのが『高級感』とか思い込んでるみたいだけど……

 そうそう。この前知ったのだが、ここの店員が不愛想なのは『客に媚びへつらうと店が客より立場の低い存在だと思われるから』あえてそうしているのだそうだ。

 ……はぁ、接客の考え方も千差万別なんだなぁ。しかも、この店はそれで成功しているというね……


「さぁ、始めようか」

「んじゃ、やるか」


 このショーが終わるまでラグジュアリーは臨時休業なのだ。

 まぁ、こんな朝早くから来る客は少ないらしいから言うほど支障は出ないだろうが、こっちもこっちでジネットを連れてきてしまっているからな。早く終わらせて帰るに越したことはない。


 ポンペーオが作るのは、この前俺が教えたばかりのフルーツタルトだ。本当は一連のごたごたが終わってからという話だったのだが、しつこくせがまれてあまりにもうざかったもんだから仕方なく教えてやったのだが……何がラグジュアリーの新メニューだ。陽だまり亭ではもう出してるぞ。

 しかし、ポンペーオは口だけの男ではないのだ。

 初めてここで食べた自称『ケーキ』こそアレな感じではあったが、ポンペーオは一流と言われるに相応しい裏打ちされた実力とセンスの持ち主だったのだ。その証拠に、繊細な飾りつけを難なくこなし、見栄えのいい盛りつけまでしてみせた。

 さらには、覚えたものをマスターするための努力を決して怠らない。

 フルーツタルトを教えられてから三日三晩ほとんど寝ずに練習、研究したようで、今では完全に自分のものにしてしまっている。ファンがついているのは伊達じゃないってことか。


 ……なら、もうちょっと紅茶とかそっち方面にも目を向ければいいのに。

「今ある物」を昇華させることに長けてはいるが、「いまだ見ぬもの」を作り出すことはとことん苦手だと見える。俺が色々教えてやれば驚くほど化けるであろう職人だ。……教えないけど。


「それで、君は何を作るのかな?」


 ポンペーオが興味深そうに俺の手元を覗き込んでくる。

 ……なに、技術盗もうとしてんだよ……まだ何も作ってねぇよ。


「今回、俺は……」


 ポンペーオから視線を観客へと移し、俺は宣言する。


「プリンアラモードを作る」


 聞いたこともない名前に、微かにざわめきが起こる。

 が、観客のお嬢さん方の目当てはあくまでポンペーオの新作ケーキだ。俺の話はすぐに意識の外へと追いやられたようだ。


 俺をジッと見つめるのはジネットとポンペーオ。

 ふふふ……知っている人間だけが注目しているという、なんともカッコいい状況になっている。なんか燃えるね、こういう展開は。


 一緒にケーキを作り、関係が良好だと見せつけるのはいいとして、同じものを作ったのではどうしても優劣をつけようという動きが出てしまう。それではダメなのだ。

 かと言って、まったく違うものでは「それはそれ」と、一定以上の興味を持ってもらうことが難しくなる。そうだな……抱き合わせ商品の興味のない方、みたいな扱いか。


 興味を持ってもらい、且つ比べられないもの。

 そう考えた結果、『同じ材料でまるで違うものを作る』という結論に至ったわけだ。

 普通のプリンでは弱いのでプリンアラモードにした。これならフルーツも使えるしな。

 タルト生地と同じもので薄焼きクッキーを作り、ウェハースの代わりに差してやればほぼ同じ材料で作ることが出来る。ウェハースは、ちょっとここでは作れないからな。材料も違うし。

 その代わり、可愛らしいハート形の薄焼きクッキーにするつもりだ。お嬢さん方、好きだろ、そういうの?


「それじゃ、調理開始だ!」


 俺が小麦粉を手に取り、まずは薄焼きクッキーを作ろうかとしたところ……


「じぃ~…………」


 ポンペーオがくっつくくらいの至近距離に詰め寄ってきていた。

 お前も作れよ! 俺の作業見てないでさぁ!


「……(あとで教えるから!)」

「(絶対だぞっ! 嘘吐いたらカエル千匹のますからなっ!)」

「(怖ぇ! 怖ぇよ!)」


 不吉な言葉を残し、ポンペーオは自分のスペースへと戻っていく。

 特設キッチンは角度の広い『八』の字型のキッチンで、隣に並んで調理するような造りになっている。

 お嬢さんたちは邪魔にならない範囲でなら、俺たちの作業を間近で見ることが出来る。

 ……まぁ、お嬢さん方はポンペーオに夢中なようだが。


「ヤシロさん。頑張ってくださいね」


 俺の前にはジネットが一人。

 いいんだ。俺は、量より質だから。

 何より、この中で一番ジネットがおっぱい大きいし。


「最高のプリンを作ると、ぷりんぷりんなお前に誓うよ」

「誰がぷりんぷりんですかっ、もう!」


 胸を押さえ、ジネットは頬を膨らませる。

 あぁ、落ち着く。…………セクハラが、じゃないぞ? ジネットとのこの空気感が、だからな?


「包丁さばきが芸術的ですわぁ」

「まぁ、ご覧になって、カットされたフルーツの美しいこと」

「あぁ、とてもいい香り……堪りませんわ」


 向こうではお嬢さん方がキャッキャとおしゃべりをしている。

 ファンには堪らない企画だろう。定期的に開催すれば固定客が増えるんじゃないか。くれてやってもいいぞ、この企画。面倒くさいから俺はやらないけど。


「なるほど……三度、目の細かいザルで漉すわけですね……」


 俺の作業を見つめ、ジネットがブツブツとその工程を解説している。

 いや……帰ったらちゃんと教えてやるから。


 俺はもちろん、ポンペーオも滞りなく作業を進めていく。へぇ。手際がいいな。さすが一流店のオーナーシェフだ。技術だけで言えば、俺よりも上なんじゃないだろうか。うん、あれには敵わんわ。

 ただし、俺ではなくジネットなら、引けを取らないだろうがな。


「あ、ヤシロさん。オレンジのその白い筋は綺麗にとっておいた方が、食べた時の口当たりがよくなりますよ」

「え? あ、これか。分かった」


 ジネットの指摘を受け、俺はオレンジの房に残っていた白い筋をナイフで綺麗に除去する。口当たりまで考慮するあたり、ジネットはさすがだな。


 焼いたり寝かせたりという時間が結構かかるものの、終始和やかな時間が流れていた。

 ポンペーオのウンチクにお嬢さん方が聞き惚れていたり、俺が横から挟み込んだギャグでお嬢さんが思わず笑ってしまい、その後でキッと睨まれたり……そんなことをしつつ、双方のスウィーツは完成に近付いていく。


「まぁ……」


 そんな声を漏らしたのは、俺の作業台を覗きに来ていた一人のお嬢さんだった。

 ちょうど、プリンを型から出したところだった。


「ぷるぷるして……なんだか可愛らしいケーキですわね」


『ケーキ』では、ないのだが。まぁ、下手に否定するのは悪印象にしかならない。このお嬢さんがケーキだと言うなら、ケーキでいいじゃないか。俺は別にプリンに対してどうしても譲れない強い信念など持っていないのだから。


「これがプリンだ。分かりやすい名前だろ?」

「えぇ、確かに」


 くすくすと笑いを零すお嬢さん。

 数時間同じ空間にいたことで、俺に対する警戒心も薄らいできているのだろう。


 これが、俺の狙いだったのだ。



『なんとなく気に入らない』という、正体の見えない悪意を消すには、『自分を知ってもらう』のが最も効果的なのだ。

 自分をさらけ出す。

 格好つけることなく、言い訳することなく、悪い部分、至らない部分をさらすことで、相手はこちらに対する警戒心を薄くする。


 とはいえ、へりくだる必要はない。……まぁ、最初は下から行った方が受け入れられやすいことは確かだが。へりくだり過ぎると変な上下関係が出来てしまって、それはそれでよろしくない。

『ポンペーオに胸を借りに来ましたよ。俺はそんな大したことないんですよ』くらいの感じで始めるのがいいだろう。


 言い訳をしない相手に対し、人は反感を持ちにくい。

 正々堂々とした人間を非難し続けるのは、自分の方が浅ましく見えてしまうからな。


 あとは、会話を交わせば交わした分だけわだかまりは薄れていく。


 ビジネスの場面ではよく、『苦手な上司ほど率先して挨拶するようにしろ』と言われる。挨拶だけでも、声をかけ続けることでわだかまりが薄れるのだ。

 例えば、何かミスをして上司にこっぴどく叱責されたとする。そんな時は、一時間くらい時間をあけた後で再度自分から謝りに行くのが効果的だ。

 イライラオーラを振りまき、近寄るのが怖くとも、自分から近付き「先ほどはすみませんでした。今後はこういうところに気を付けます。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」と、……まぁここまでする必要はないが、「これから頑張る」という意思くらいは伝えるといい。

 そうすれば、上司の機嫌はがらりとよくなる。その日に変化がなくとも、翌日以降、確実に心象はよくなっている。


 人間とは実に単純なものなのだ。


 要するに『なんか気に入らない』の正体は、『自分の思い通りになっていないことに対する不満』なのだ。そして、その中心にいる者は『自分に刃向う憎むべき敵である』と認識されてしまう。

 だが、その『自分に刃向う憎むべき敵である』者が、自分に友好的な態度を示したら……?

 確かに『自分の思い通りになっていない』かもしれないが、それには理由があると、誠意を持って説明を、向こうからわざわざしに来てくれたら?


 そうされてまで『なんとなく気に入らない』という感情を維持し続けるのは、逆に難しい。


 乱暴に一言にまとめるならば、『よく知らないから嫌い』なのだ。

 隣人が立てる同じ騒音でも、日頃から挨拶を交わす仲の隣人と、顔も名前も知らないような隣人とでは、我慢出来る度合いがまったく異なってくるという。

 赤の他人の欠点は目について不快にしか思えなくても、友達の欠点であれば多少は目を瞑れ、そこが魅力だとすら思えることもある。


 短所を長所に変えるのは、案外何気ない一言だったりする。「どん臭い」と「おおらか」は紙一重だからな。「節約家」と「貧乏くさい」、「友達が多い」と「八方美人」、「スレンダー」と「ぺったん娘」……


 今の状況で言えば、『ラグジュアリーのマネをしてケーキを売り出すパクリケーキ職人』が、『ラグジュアリーに憧れ懸命に努力している駆け出しのケーキ職人』に変われば、陽だまり亭への悪意はなくなるだろう。

 認識の正否は、この際どうでもいい。元祖がウチだと主張しても、現状では反感を買うだけだ。ならば、実力で納得させてやるまでだ。

 後々「え、ショートケーキの元祖って陽だまり亭なの?」と知られれば、それでいい。


 なにせ、ウチの店長は、ナンバーワンになることなんか目指していないのだから。

 そんな称号よりも、みんながくつろげる平穏を、求めているのだから。

 何に価値があり、何が最も尊いか、そんなもんは個人が決めればいいことだ。


 俺は、ジネットが笑っていられる陽だまり亭を取り戻す。

 ナンバーワンが欲しけりゃ、いくらでもくれてやるぜ。


「完成です!」

「「「きゃー!」」」


 ポンペーオの周りで歓声が上がる。

 フルーツタルトが完成したようだ。


「ほぉ……キレーなもんだな」


 その出来栄えに、思わず息が漏れた。うん、綺麗だ。

 正直、ビックリだ。


「ま、まぁ。プロだからね」


 そう言ったポンペーオは、どこか、物凄く嬉しそうだった。

 小鼻はぴくぴく膨らんでいる。……俺に褒められて、そんなに嬉しかったのか?


「こっちも完成だ」

「「……まぁ」」


 出来上がったプリンアラモードを見て、数人のお嬢さんが感嘆の言葉を漏らす。

 頬に手を添え、うっとりとした目で見つめる。


 細長い器に盛られたぷるぷるのプリン。その周りには宝石のようなフルーツが美しく飾られ、純白の生クリームが存在感たっぷりに盛られている。そしてそこへ、ハートの形をした可愛らしい薄焼きクッキーが差し込まれている。


「かわいい……」

「……ですわねぇ」


 俺が作ったということを度外視して、お嬢さんが好意的な感想を述べる。

 いや、最早俺に対する敵対心はなくなっているのかもしれない。


「ヤシロ君。教えてくれたまえよ。絶対!」

「……分かったつってんだろ」


 ポンペーオがズズイっと急接近してくる。

 近い!

 あと、なんでお前まで俺に対する敵対心なくしてんだよ?

 なんだよ「ヤシロ君」って……初めて名前で呼びやがって。


「さぁ、召し上がってください」


 ポンペーオの言葉に、お嬢さん方から歓声が上がる。

 テーブルに着き、ケーキが運ばれてくると早速ポンペーオのフルーツタルトを口に運ぶ。


「美味しいっ!」

「コクのある甘さが……」

「それでいてフルーツのさっぱりとした甘みが……」


 カスタードクリーム初体験のお嬢さん方は、その味わい深い甘みに感動しているようだ。


 そんな中、ジネットだけは真っ先に俺のプリンを口に運んでいた。


「…………わっしょい…………わっしょい、です……」


 ……やっぱり、感想はそれなんだな。

 だが、いつものテンションが上がる感じではなく、少し瞳を潤ませるような感動の仕方だ。どうもジネットのツボに嵌ったようだ。


「今までにない、新感覚の甘さです……」


 ジネットはシュークリームとか、カスタードクリーム系の物をいくつか知ってるはずだが、プリンはまた別格だったようだ。


 ジネットの言葉を聞き、お嬢さんたちもプリンへと興味を移す。


「…………まぁ」

「……これは」

「………………おいしい」


 まだどこかに『しょせん四十二区』という思いが見え隠れするものの、こちらを認める発言を引き出せたのは大きい。

 一度認めてしまえば「私が認めたものだから」という思いが少なからず働く。そうなれば、誰かが悪く言うとムッとしたり、誰かが褒めているとちょっと嬉しくなったり……そんな小さな変化を繰り返すうちに気が付けばファンになっていたり……なんてことも無いとは言えない。


「まぁ、ポンペーオ様がお認めになった職人さんですものね」

「そうですわね。これくらいのクオリティは、むしろ当然ですわね」

「逆に安心しましたわ。あまりに酷いものですと、ポンペーオ様のお名前に傷が付きますもの」

「そうですわね。これくらいは当然」

「えぇ、美味しくて当たり前ですわ」


 と、そんな感じでお嬢さん方の中で陽だまり亭――四十二区のケーキの評価が組み替えられていく。

『美味しくて当然』

 上から目線ではあるが、最大級の褒め言葉だと言えるだろう。『当然』であるということは、それはもう一流だということなのだから。


「実はワタクシ、以前陽だまり亭さんへお邪魔したことがあるんですのよ」

「まぁ、あなたも?」

「ワタクシもですわ」


 なんと。

 陽だまり亭で悪意を撒き散らしていた張本人が紛れ込んでいたのか……唾でも入れておいてやればよかったか。


「その時のケーキも、そこそこ美味しかったですわ」

「確かに、あのミルクレープというケーキは食感も面白くて……あれでしたら、また食べに行ってもよろしいですわね」


 そんな言葉に、ジネットの表情がぱぁっと明るくなった。

 真意が見えなかった客たちが、実はケーキを美味しいと思っていた。その事実が、ジネットの心を軽くさせたのだ。

 連れてきてよかった。


「ワタクシが伺った時は、なんだか怖い方たちがお店を埋め尽くしていて……怖くて入れませんでしたわよ?」


 ゴロツキどもに占領された時に来たヤツもいたのか。気の毒だったな。わざわざ遠いところをやって来たのに。


「ですから、そういう方が行くお店なのかと思いましたわ」

「ワタクシが行った時は、落ち着いた、雰囲気のいいお店でしたわよ?」

「ウーマロ様の設計されたお店なんですって」

「まぁ、トルベック工務店様の? どうりで……」


 へぇ、ウーマロってこういう層に人気なんだ…………利用しよう。


「でしたら、あの怖い方たちは、場違いと言わざるを得ませんわね」

「どこにでも現れるんですのよ、あぁいう手合いは。気にしてもいいことはありませんわ」

「そうそう。関わらないのが一番ですわよ」

「ですわよねぇ」


 と、思いっきり聞こえるひそひそ話を繰り返すお嬢さんたち。

 どこの世界も、女子の噂話は怖ぇなぁ……聞きたくない聞きたくない。


 ………………あれ?


「美味しいよ、ヤシロ君! どうすればこんな面白い食感のケーキを思いつくんだい!?」


 何か、引っかかるものを感じ、それが何かを手繰り寄せようとしたのだが……暑苦しいポンペーオが俺の肩を掴んでわっしゃわっしゃ揺らしてきたもんだから、脳みそがシェイクされて思考が止まってしまった。


「そういえば、ヤシロ君は女性の胸が大好きだと耳にしたが…………そうか! これはそれをモチーフにしているんだね!?」

「してねぇわ!」


 確かにおっぱいプリンとかあるけども!

 って! ほらぁ! お嬢さん方の視線が物凄く冷たくなってんじゃねぇか!?

 折角いい感じでイメージアップしてたってのによぉ!


 アホのポンペーオのせいでその後俺は非常に居心地の悪い思いを強要された。

 レシピを教えるのはもっとずっと先に延期だな。反省しろ。


「また、ケーキをいただきに伺いますわ」

「はい。是非いらしてください。お待ちしています!」


 帰る間際、お嬢さんがジネットにそんなことを言ってきた。

 ジネットはいつものような弾ける笑顔で深々と頭を下げる。


 あのおしゃべりなお嬢さんたちのことだ。ここから発せられる悪意は、次第に薄らいでいくだろう。


 ポンペーオの用意してくれた馬車に乗り、俺とジネットは四十二区へ戻る。

 帰りの車内で、俺は先ほど感じた引っかかりについて思いを巡らせる。


 俺はこれまで、貴族のお嬢さん方が『なんとなく気に入らない』相手に嫌がらせをしようと、ゴロツキに仕事を依頼したのではないかと推測していたのだが…………


『怖くて入れませんでしたわ』

『気にしてもいいことはありませんわ』

『関わらないのが一番ですわよ』


 これが、お嬢さんたちのゴロツキどもに対する評価だ。

 好意的でないのは当然として……あそこまで毛嫌いする相手に、あのお嬢さん方が仕事を依頼などするだろうか?

『なんとなく気に入らない』店の営業を妨害する、ただそれだけのために……?


 何より、ゴロツキに妨害を依頼したなら、なぜわざわざ自らがイヤミを言いに陽だまり亭にやって来たんだ?


 誰かが勝手にゴロツキに依頼して、他のお嬢さんは知らなかった?

 あの噂好きの、ケーキで一つにまとまった、そこそこ団結力のあるお嬢さんたちが?

 中には、まさに当日やって来て入店せずに帰った者までいるという…………


 どうも引っかかる。


 本当に、ゴロツキを差し向けたのはあのお嬢さんたちなのか?

 そもそも……ラグジュアリー関連の人間なのか……?


 けど、他にケーキの流通を邪魔することでメリットを得られるようなヤツは…………


「……ロさん。ヤシロさん!」

「えっ!?」


 肩を揺すられ、俺は思考の海から帰ってくる。

 ジネットが不安そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。


「あの、エステラさんが……」

「エステラ?」


 気が付くと、馬車は四十二区の領主の館の前に停車していた。

 馬車の外にエステラが立っていて、焦った様子で窓にしがみついている。


「なんだよ、エステラ?」


 こいつはここで俺たちの帰りを待っていたのか?

 ナタリア率いるメイド集団が大勢外に出ているところを見ると、道を塞いで馬車を止めたようだが。


「ヤシロ、大変なんだ!」


 また、嫌な予感がする。

 ここ最近、ずっと燻っている姿の見えない悪意が再燃するような、嫌な予感が。


「狩猟ギルドが協力を断ってきた」

「はぁ!?」

「今後一切、街門の建設に関わることには協力出来ないって!」


 空の高い位置にいた太陽が分厚い雲に覆われ、一雨きそうな空模様になる。

 時刻は昼前。

 ジネットはともかく、俺はまだ陽だまり亭に帰るわけにはいかないようだな……


「エステラ、乗れ。陽だまり亭でジネットを降ろして、その足でウッセに会いに行くぞ」

「うん!」


 馬車の御者に行き先を告げ、俺たちは狩猟ギルド四十二区支部へと向かった。






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