83話 約束したから
『本日午後二時。四十二区中央広場に来られたし。 怪盗・イケテール伯爵』
そんな文章が書かれたカードを持って、エステラが中央広場に立っている。
ヤツの位置から、俺の姿は見えない。こちらからは丸見えだがな。
ふふふ……これが、怪盗・イケテール伯爵の実力というものだ。
俺は、口の上にボリュームたっぷりの付け髭をつけ頭にシルクハットを被り、そして仕立てのいいスーツを着ている。誰にもバレないであろう完璧な変装だ。
高校のブレザーを服屋のウクリネスに渡して、縫製やら裁断やらを完全マスターしてもらったのだ。
服をバラしながら「こんなところにまで気を遣って……凄いですよ、これは!?」と、目を爛々とさせながら狂喜乱舞していた。これで、四十二区の衣服関連はさらにグレードが上がるだろう。
……値段も、つり上がるんだろうが…………
とはいえ、そのおかげで、俺はどこからどう見ても立派な紳士だ。
エステラに気付かれることはないだろう。
今のうちに背後に回り込んで……
「ねぇ、ヤシロ。ボクはいつまでここに立っていればいいのかな?」
「なぬっ!?」
バカな!?
こいつ、今俺に向かって「ヤシロ」と言ったか!?
いや違う、そんなはずはない! 今の俺は完璧なジェントルマン。正体がバレることなどあり得ない……
そうか! 「ヤシロ」ではなく「早くしろ」って言ったんだな!? そうに違いない!
……エステラって、初対面の紳士に「早くしろ」とか言うの? え~、なんか怖~い。
「ヤ・シ・ロ! その異常に目立ちまくる格好で変装しているつもりなのかい?」
「なななな、なぬぅ~!?」
めっちゃこっち見て「ヤシロ」って言われた気がした!?
まさか、うっすらと感付き始めてるのか?
マジでバレちゃう五秒前か!?
なら、誤魔化すまでだ!
「オレ、コノ街ノ言葉、分カラナイ。人違イ、違ウあるカ?」
「『強制翻訳魔法』がかかってる街で、そんなことあり得ないだろう!?」
「あリ得ナク、ナイある。有ルあるヨ。無イコト無イある、有ルあるヨ」
「有るのか無いのかどっちなんだい!? もう! そんな変なヒゲ、さっさと取っちゃいなよっ!」
「痛っ!?」
鼻の下の皮膚に張りつけてあった付け髭をはぎ取られる。
敏感な肌が悲鳴を上げる。……なんてヤツだ……
「……もしこれが、本物のヒゲだったら、お前……人を殺めていたかもしれないんだぞ……」
「数日でそこまで立派な口髭は生えないよ! あと、こんなもんで人は死なない!」
すげぇヒリヒリする。
ちょっと涙目だ。
「それで、なんの冗談なんだい? ボクを引っかけてからかうつもりだったんじゃないだろうね?」
「そうじゃねぇよ!」
……ったく、折角考えたオシャレなシチュエーションが台無しだ。
エステラが中央広場で俺を待っているだろ?
そしたら、身なりの立派な、どこからどう見ても素敵なジェントルマンが大きな花束を持ってやって来るわけだ。
で、エステラは「はぁ……立派な紳士だなぁ。きっと名のある貴族に違いない。こんなぺったんこな胸を見せては失礼に当たる。少し身を隠そう」とか思うわけだ。
そうしたら、そのジェントルマンがエステラの目の前に大きな花束を差し出すんだよ。
で、「……え?」ってエステラが驚いているところへ、ジェントルマンが言うわけだよ。
「先ほど、とても爽やかでイケてる少年が、この花束をあなたにと……」
そしたらエステラは気が付くわけだ。「爽やかでイケているのはヤシロしかいない!」って。
で、俺の姿を探して辺りを見渡す。けれど、俺の姿は見つからない。
焦るエステラ。探しに行くか、待つべきか、そう悩み始めたところで種明かしだ。
「じゃーん! 実は俺でした!」
「な、なんだってー!? 全然、気が付かなかったやー!」
シルクハットと付け髭を取ったジェントルマンは俺でした……
「――と、こうなる予定だったんだよ!」
「……とりあえず、貴族に無い胸を見せたところで失礼には当たらないからね……っ?」
だというのに、空気の読めないエステラのせいで台無しだよ、まったく。
しょうがない。普通にいくか。
「エステラ」
「ん? なんだい?」
「ごめ~ん! 待ったぁ~?」
「君は、何か悪い物でも食べたのかな?」
なんだよ!?
俺はこの前お前の寒い演出に乗ってやったろうが!?
「もういい! エステラのKYめ!」
「KYってなにさ!?」
「巨乳の『きょ』だ!」
「絶対ウソだ!? カエルにするよ!?」
ふん! その「カエルにするよ」も嘘なくせに!
まぁ、友人同士のおふざけでは、この一言をつけることで「これでチャラな」という意味になるらしい。心を開いている証拠のようだ。
「まぁ、とにかく。今さらカッコつけても決まらないし、この空気で恥ずかしがるのも変だし」
「だから、なんなのさ、さっきから」
「ほい」
「…………え?」
俺は、手に持っていた大きな花束をエステラに差し出す。
「やる」
「…………これ、紳士に変装するための小道具じゃ、ないの?」
「お前へのプレゼントだよ」
「でも……こんな大きな花……………………え、いいの?」
朝のうちにミリィのところへ行き、花束を作ってもらってきたのだ。
エステラに似合いそうな赤い花を中心に、ミリィのセンスで選んでもらった。
「ぁ……これは、えすてらさんにあげるんだね」なんて、花の雰囲気で言い当てるあたり、あいつもなかなか勘が鋭い。
なんにせよ、エステラのために買ってきた花束なのだから、エステラにプレゼントする以外に使い道がない。
だから、素直に受け取るといい。
「デートの誘いは花束と一緒にって、お前言ってたろ?」
「デ…………デート……あっ!?」
こいつ、ようやく気が付いたのか?
そうだよ。
俺は今日、エステラをデートに誘いに来たのだ。
事前にナタリアに協力をお願いして、時間が取れるように調整してもらった。
朝からさり気なくナタリアがエステラの行動を誘導していたはずだ。
さっきの『怪盗・イケテール伯爵』のカードも、ナタリアに渡しておいたのだ。
いや、実によく働いてくれた。最高の仕事をしてくれたと思う。
……だからこそ、お返しが憂鬱になってきた。
「かしこまりました。ご要望の件、すべて滞りなく遂行いたしましょう。その代わり、今度私にも花束をプレゼントしてください。えぇ、そうですとも、一度ももらったことがないのですよ、結婚していませんし、彼氏もいたためしがありませんので、それが何か法に触れるとでも!? ……失礼。ですので、ステキな花束を所望いたします。お店の方に選んでもらうのではなく、あなたの目で、あなたのチョイスで花を選び、私のための花束を作ってください。よろしいですね?」
……ハードル、高っ。
まぁ、それくらいは頑張ってみるか。…………噛みつきツツジとか、どうだろうか?
「あの……これ…………」
ここへ漕ぎつけるためのあれやこれやを回想している間も、エステラはずっと花束と俺を交互に見ては、戸惑いの表情を浮かべていた。
「……覚えてて、くれたんだ…………」
「当たり前だろう。俺を誰だと思ってやがる」
こいつとの約束を反故にするくらいなら、俺は大通りですれ違う通行人全部にあからさまな嘘を吐く方を選ぶね。
カエルにされるリスクを背負うよりも、エステラを蔑ろにしてしまうことの方が俺にとってはあり得ないことなのだ。
こいつは、色々と奔走してくれているからな。
まっ、たまにはご褒美もあげておかないとな。
「あの……さ」
「ん?」
「折角、こんな綺麗な花束があるんだし……その、アレもちゃんとしてほしいな」
「アレ?」
「だから、……デートの、お誘い」
デートのお誘い?
…………あ、そういうことか。
はいはい。アレね。
よっしゃ、分かった。俺の華麗なる話術を披露してやろう。
「よぉ、ネェちゃん。俺と一緒に、茶ぁしばけへんけ?」
「やり直し」
ですよねぇ。
「ごほん」
では、改めて。
「エステラ。………………………………ちょっと待って」
なんだこれ?
なんか恥ずいぞ……
なんて言うんだ、こういう時?
「デートしない?」
「いい天気だから散歩にでも行こうよ」
「俺と、モーニングコーヒー飲まないか?」
「お願い! マジで何もしないから! 絶対なんんんんんにもしないから! ウチ来ない?」
……なんか、違う気がする。
そもそも、行くべきところは決まっているんだ。
ならば、そこに行こうと誘えばいいはずだ。
……つか、わざわざ誘うような場所じゃねぇよ。
あぁ、もう! 変に考えるから訳分かんなくなるんだよ!
四の五の言わずに行きゃあいいんだよ! そうだ!
「だ、黙って俺に、付いてこい!」
…………
…………
…………プロポーズだ、これっ!?
「いや、あの、エステラ! 今のは……」
取り急ぎ、深い意味がないことを説明しようとしたのだが……
「うん!」
すげぇ眩しい笑顔で言葉を遮られた。
「じゃあ、ヤシロがボクを連れてって」
その表情は、反則的なまでに輝いていて……
「……ボクは、どこまでも付いていくから」
まぁ、いいかな……って、思ってしまった。
「本当に美味いケーキを食わせてくれる店があるんだ。そこへ行くぞ」
「え、今からかい? ……帰り、遅くなるようならナタリアに一言連絡しておかないと……」
と、その時、エステラの足元にナイフが飛んできて、地面に「カッ!」と突き刺さった。
「…………」
「…………」
無言の俺が見守る中、エステラが無言でそのナイフを引き抜く。
ナイフには『ご心配なく。グッドラック Nより』と書かれていた。
「……監視されてる」
「そのようだな」
ナタリアのOKが出たということで、このあとの心配はしなくていいだろう。
別に外泊させるわけでもない。ゆっくりとお茶を嗜むだけだ。
「じゃ、行こうか」
「うん」
俺が歩き出すと、エステラがニコニコと隣に並び、同じ速度で歩き出す。
肩を並べて歩く。
エステラとは、こういう距離感が心地いいなと、改めて思った。
そして、やって来た、美味しいケーキを出すお店。
「まぁ、そうだろうなとは思ったけどね」
「ここのケーキが一番美味い。この店知ってるか? 四十二区で今話題のお店なんだぜ?」
「へぇ~、そうなんだー。なんてお店なのかなー?」
「『陽だまり亭』っていうんだぜ」
「はは、知ってるよ」
「なんだ、この小芝居」
よく分からないままに始まった小芝居に、二人して笑う。
「それじゃ、レディーファーストで……」
「へぇ、そんな気の回し方も出来るんだね。感心感心」
ドアに手をかけ、そっと開く。
エステラを先に中へと入れ、俺はその後ろから続いて入店した。
「「「いらっしゃいませ。ようこそ陽だまり亭へ」」」
落ち着いたデザインのメイド服を着た、可愛い店員が出迎えてくれる。
「あ、新作だね」
「はい。ティータイム用の制服なんです」
今後、陽だまり亭では、朝からランチまでと、ティータイムからディナーまで、ディナー以降の三つの時間帯でそれぞれ別の制服を着ることにしたのだ。
その時々の雰囲気に合うようにという配慮だ。
ランチはガッツリ食いたいし、ティータイムはのんびりと、そしてディナー以降は大人の雰囲気で食事を楽しむ。そのための演出なのだ。
「……予約、承っている。こっちへ」
マグダが俺たちを奥の座席へと誘導してくれる。
店内にはほんのり甘い香りが漂っている。
「お手持ちの花束は、こちらに飾ることが出来るです。どうぞご利用くださいです」
「へぇ。花瓶まで貸し出すんだね」
「水は入ってないけどな」
デートをするなら花束を持って誘いに来てほしい。
エステラが垣間見せた女の子らしい一面。そいつはおそらく、この街に住む多くの女子の憧れなのだろう。
で、あるならば、ケーキという最先端のスウィーツを食べに来る恋人たちは花束を持っている可能性が高い。オシャレなスウィーツに敏感に反応するヤツは、きっと女の子の気持ちを理解出来るヤツに違いなく、そういうヤツはデートのお約束を蔑ろにはしないからだ。
セロンに頼んで、サイズの違う花瓶を数種類用意してもらった。
一輪挿しから、誕生日の時にジネットがもらったくらいの巨大花束まで、どんなサイズでも花の見栄えがよくなるようにサイズを選べるようにしたのだ。
で、持って帰る時に服が濡れないよう、水は入れない。希望すれば入れるけどな。
「お客様」
俺たちが席に着くと、ジネットがメニューを持ってテーブルにやって来た。
ティータイムのメニューは壁に張ったりはしないのだ。
「メニューでございます」
いつもと変わらない柔らかい声で、でもほんの少し高貴な雰囲気を醸し出しつつ、ジネットがメニューを差し出してくる。
こいつも楽しんでいるようだな。口の端が少し緩んでいる。
「えっ!? ……こんなにいっぱいあるの?」
メニューには、七種類のケーキに加え、紅茶の名前が載っている。
紅茶は、ナタリアに頼んで領主御用達の茶園を紹介してもらったのだ。
「見返りは……そうですねぇ…………ケーキが食べたいなぁ……」
……今度、ナタリアにもご馳走してやらなきゃいけないんだろうな…………
「けど、名前だけじゃどんなものなのか想像出来ないよ……」
「でしたら、こちらを……マグダさん」
「……了解」
ジネットに呼ばれて、マグダがトレーを持ってやって来る。
トレーにはベッコ作のケーキの食品サンプルが、色彩鮮やかに並んでいる。まるで本物のようだ。間違えて口にしても不思議じゃない。
「ど……どうしよう…………余計に決められなくなっちゃったよ…………」
これだ。これこそが狙いなのだ。
ハーフサイズのケーキをセットで提供……というのもいいのだが、ケーキが完全に浸透するまでは出し惜しみすることにした。
こうして、「どれにしよう」と悩み、悩みに悩んで、切り捨ててしまった他のケーキを、「すぐまた食べに来なきゃ!」と思わせる作戦だ。
「ねぇ、ヤシロ。どれがいいと思う?」
こいつ、決められなくて丸投げしてきやがったな。
「ショートケーキは前に食べたよな?」
「うん! 美味しかったぁ……」
「じゃあ違うのにするか」
「え、でも……あの時は人数が多くて一人分は凄く少なかったし…………」
「じゃあショートケーキにするか?」
「でもでも! 他の物も食べてみたいしっ!」
「じゃあどれにするんだよ?」
「………………おすすめは?」
結局丸投げか。
「チーズケーキかな」
「……美味しい?」
「当然だ」
「じゃあ……うん、それにする」
「かしこまりました」
悩むエステラを微笑ましそうに見つめ、ずっと待っていたジネット。
今度は俺に視線を向けてくる。
「ヤシロさ…………お客様はどうなさいますか?」
一応、これはデートでもあり、陽だまり亭にとってのデモンストレーションでもあるのだ。本番を想定して、一連の流れを確認する意味合いがある。
なので、ジネットも必要以上にかしこまっているのだろう。
「じゃ、モンブランで」
「なんで!? チーズケーキがおすすめなんだよね!?」
「いや、だって。お前がチーズケーキ食うんだろ?」
「はっ!? ……本当はそのモンブランが一番美味しいんじゃ……」
こいつは、俺のことをそういう目でしか見られなくなっているんじゃないだろうな?
「……お客様」
猜疑心にまみれた視線で俺を見つめるエステラに、マグダがそっと耳打ちをする。
「……二人で別の物を食べれば……『ねぇ、そっちも食べてみたい』『じゃあ、一口交換な』『うん』『はい、あ~ん』『あ~ん…………美味しい!』『おいおい、ほっぺたにクリームがついてるぞ』……が、出来る」
「ヤシロ。モンブランにするといいよ」
この娘……企みが透けて見え過ぎなんじゃない?
「では、少々お待ちください」
ジネットとマグダが厨房へ引っ込み、しばらくすると、ロレッタがティーセットを持って出てきた。
やはり、ケーキは紅茶とセットで食べたいものだ。
「セット価格なんだね」
「お得感あるだろ?」
「でも、単品もあるんだ?」
「基本、セットで注文されるだろうが、単品でいいってヤツもいるだろうから、一応な」
彼女がケーキセットで俺はお茶だけで、ってヤツもいるだろう。
ラグジュアリーのように、単品しかなく、しかもお高いなんてのは落第点だ。
「しかも、紅茶の一杯目は店員が入れてくれる」
「どうして?」
「お嬢様気分に浸れるだろう?」
「…………? ボクは、別に」
そりゃ、お前は普段がそうだからだよ。
「こ、紅茶を、お入れしますです!」
「ロレッタ、緊張し過ぎだよ。もっとリラックスして」
カチャカチャと音を立てるティーセット。ロレッタは力み過ぎだ。
「そう。高いところから落とすように。よく空気を含ませて……うん、上手だよ」
エステラが紅茶の入れ方をレクチャーしている。
そこはさすがというか、慣れたものだ。
「出来たです! ヘイ、お待ちっ!」
「うん。最後で台無しだね」
ロレッタ。再教育決定。
「あ、美味しい。ウチのと同じ味だ」
「ナタリアに教えてもらった茶園のお茶だからな」
……ケーキ奢りと引き換えに。
「淹れ方も教わったのかい? 香りがいいね」
「淹れ方は俺流だ。悪くないだろ?」
「うん、今度ウチでも淹れてほしいくらいだよ」
「タダ働きは御免だね」
くすくすと笑い、紅茶を嗜むエステラ。
こうしていると、本当にお嬢様なんだよなぁと思う。
「お待たせしました。スフレチーズケーキです」
「ふぉぉぉぉぉ……っ! 素敵過ぎる……」
目の前に置かれたケーキを、とろけそうな瞳で見つめるエステラ。
「お待たせしました。モンブランです」
「…………じゅるり」
俺の前に置かれたケーキを、獲物を見つめるような瞳で見つめるエステラ。
……取るなよ?
「ご、ごほん……『ねぇ、そっちも食べてみたい』」
「早ぇよ! まずは自分のを食えよ」
「そ、それもそうだね。では……いただきまうむん!」
我慢が出来なかったのか、いただきますと言い切る前に口にケーキを放り込んでいた。
……こいつ、本当にお嬢様なのか?
「ん~~~~~~~~~~~~~っ! …………幸せ」
口の中に広がる甘美な味を堪能するエステラ。
頬に手を当て、口をぽか~んと開けて宙を眺める。
惜しい。ここにポップコーンがあれば、口に放り込んで遊ぶのに。
「これ、絶対流行るよ」
「そうさせるつもりだ」
「そっちは、どんな味なの?」
さっきの大根芝居などもうすっかり忘れて、素で催促してくるエステラ。
いつものように、純粋な好奇心に満ちた瞳だ。下心など皆無な、キラキラした目をしている。
「一口だけだぞ」
「えへへ。悪いね、催促したみたいで」
「したっつの」
フォークで一口分取り、それをエステラに向かって差し出す。
「ほい、あ~ん」
「あ~ん………………あぁ、こっちも美味しいっ!」
と、身悶えた次の瞬間。
「――っ!?」
エステラの身体がビクンッと震えた。
え、骨でものどに刺さった? 種噛んだ?
そんなことを思わせるような、急激な感情の変化に少し戸惑ってしまう。
「は…………はぅわぅ…………」
エステラの顔が真っ赤に染まり、つむじから軽く湯気が立ち上る。
「か、か、かかかかか、間接…………キ、キキキキキ…………」
今更、自分が何をしたのかに気が付いたらしい。さっきのは、本当に無意識の行動だったのだろう。
「落ち着け。俺はまだ口を付けていない。だから大丈夫だ」
たぶんこうなるだろうなと思って、俺は口を付けずに待っていたのだ。
まぁ、俺はこのフォークを使わせてもらうけどな。
「……お客様」
と、マグダが俺の隣にやって来る。
そして……
「……『ねぇ、そっちも食べてみたい』」
「お前な……」
「……あ~ん」
「…………他の客にはすんなよ」
「……当然」
「やれやれ」
まぁ、マグダなら、エステラも照れたりしないだろう。
モンブランを一口分取り、マグダに食べさせてやる。
「…………マグダは、これが一番好き。覚えておいて」
「なんだ、その遠回しな催促は」
「お兄ちゃん!」
マグダの後ろから、再教育確定のロレッタが身を乗り出してくる。
「えっと、なんでしたっけ? とにかく、『あ~ん』です!」
こいつは、大根芝居をするつもりもないようだ。
デモンストレーションは見る影もないな、これは。
「ほらよ」
「あ~ん………………むふふぅ! 美味しいですっ!」
「お客様」
そしてジネットが俺に微笑みを向ける。
……お前もか、ジネット。
しょうがねぇな……
俺はモンブランを一口分取り、フォークをジネットに向ける。
「ほら、あ~ん」
「えっ!? いえ、あの……わたしは、新しいフォークをお渡ししようかと……っ」
焦りながらも頬を染めるジネット。その手には、新しいフォークが握られている。
…………俺の、勘違い…………?
どっは!?
恥ずっ!? 超恥ずいっ!
どうしよう!? この差し出したモンブラン、どーしよー!?
「あ、あの……では、折角ですので…………失礼します」
長い髪を手で押さえ、ジネットがゆっくりと体を屈める。
口がそっとフォークに近付き、パクリ――と、モンブランを口に含む。
「とっても美味しいです」
口元を押さえ、ふわりと微笑む。
モンブラン……あげてよかった。
もう一口いる?
って、あれ? なんか、もうほとんど残ってないんだけど、モンブラン……
「……店長…………手強い」
「全部掻っ攫われていったです……」
「ジネットちゃん……無意識が生み出す破壊力……凄まじいよ」
テーブルの向かいで三人娘がごにょごにょ言っている。が、まぁ無視しても構わんだろう。
つか、今下手に弄られると、赤面してしまいそうだ。
そうならないためにも、俺は総括を発表する。
「こ、今後、このような感じで、ちょっとおしゃれなティータイムを提供しようと思う。当然、常連客を締め出すような真似はしなくてもいい。ウーマロとか、バカ丸出しだが、この雰囲気では自重もするだろう」
よく来る連中が息苦しくなく、且つ、こんな雰囲気を楽しみたい新規顧客を満足させる。難しいが両立させてやる。
禁煙喫煙みたいに席を離すとかな。
「← 普通の客」「アホ子の客 →」
「アホの子二名様ご来店で~す」……みたいなな。
「ところで、エステラ」
「えっ!? な、なに?」
突然話を振られて、エステラが目を丸くする。
「今日のデートはどうだった? この店の雰囲気や対応、サービスに関して、客観的な意見を聞かせてほしいな」
「なるほどね……今日のデートはそういう裏があったのか」
「お前との約束を守りたかったってのも本当だからな」
「はいはい。分かってるよ」
本当に分かっているのだろうか。
あっさりと流されてしまった感じだ。
「そうだね。いいと思うよ」
背筋を伸ばし、デートに来た女の子から、馴染みのあるいつものエステラへと雰囲気が変わる。
「どれほどの反響があるかは分からないけれど、上手くいくと思う。味もいいしね」
「エステラさんのお墨付きですね」
「まぁ、ボクのお墨付きにどれほどの価値があるかは、分からないけどね」
ようやく動き出す。
これで、陽だまり亭はまた一つ大きな武器を手に入れた。
あとは、街門が完成して、陽だまり亭の前を街道が通れば……
この店は、冗談ではなく、四十二区随一の食堂になるだろう。
ジネットの爺さんが切り盛りしていた頃よりも、もっと多くの客がやって来るかもしれない。
そうなれば、ジネットはきっと喜ぶだろう。
そうなれば、俺は…………
「おっと、支払いを忘れるところだった」
「え? いえ、結構ですよ。デモンストレーションですし」
「今回はエステラとのデートでもあったんだ。俺が払わないと格好がつかん」
「そうですか? では、お会計はカウンターでお願いします」
「エステラ。奢ってやるから感謝しろな」
「それを言わなければ、もっとスマートだったのにね。残念君だね、君は」
「ほっとけ」
軽口を叩いてから、カウンターで支払いを済ませる。
「なぁ、ジネット」
「はい、なんですか?」
俺は財布の中から20Rbを取り出し…………
「いや、なんでもない」
「そうですか。あ、そうでした。ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」
「んじゃ、一旦外に出ておくか」
「え、いえ、そこまでは」
「ノリだよ、ノリ」
「だったらボクを置いていくのはどうなのかなぁ?」
冗談めかしたエステラの声を耳に、俺は一度陽だまり亭を出た。
ドアを閉める……
「…………まだ、返してないんだよな」
握った20Rbを、財布へと戻す。
チャリンと音がして、他の硬貨に紛れ込む。
20Rb。
陽だまり亭のクズ野菜の炒めものの値段。
俺が食い逃げをして……いまだ返済していない代金だ。
「返すタイミング、完全に失っちまったなぁ、これ」
グッと伸びをして見上げた空は、抜けるような快晴だった。
まぁ、いつだっていいだろう。
まだまだ、時間はあるんだしな。
それよりも、どうやってケーキを売り込むかを考えなきゃな。
待っていれば客が舞い込んでくるなんて、そんな甘い話はないのだ。
ライバルは四十二区内のあちこちにいる。負けてられるか!
「よし! ナンバーワンになるぞー!」
そんな意気込みを空に向かって吐き出し、俺は店員の顔へと戻って、陽だまり亭へと入っていった。
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