82話 講習会
俺たちは今、四十区に来ている。
かの因縁深き、落第点のケーキ屋の、その厨房にだ。
ジネットの誕生日パーティーには、四十区の領主デミリーも呼んでいた。
砂糖の利権絡みでこちょこちょ話しておきたいこともあったし、何かと便宜を図ってもらいたいこともあった。
砂糖が自領で生産出来るとなれば、それは莫大な利益を生む。そういうこともあって、デミリーは二つ返事で誕生日パーティーに参加してくれた。
下水のこともありほくほく顔だったと、デミリーの対応を一手に引き受けてくれていたエステラが言っていた。
で、今日これから行われるのは、俺からの申し出でもあり、デミリーたっての希望ともいえる、そんな集まりなのだが……
「正直なところ、他人に教わるべきことなど何もないのだがねぇ」
俺は今、猛烈にイライラしている。
もう、ホント止めようかな。教えてやるの。
今日は、俺が直々に、四十区の代表者にショートケーキの作り方を教えてやることになっているのだ。
にもかかわらず、この態度である。
以前エステラと二人で視察に来た自称ケーキ屋には、『ラグジュアリー』なんて御大層な名前が付けられていた。……けっ、何が『ラグジュアリー』だ。
そこのオーナーシェフだというポンペーオという男を紹介されたのだが……こいつがまぁ、鼻につく鼻につく。
広辞苑の『いけすかない』って言葉の例文に書き記したいほどいけすかない男なのだ。
「領主の頼みだから仕方なく時間を作ってやったんだ。感謝するんだね」
「ちょっとあんた。それが物を教わる人間の態度なの?」
俺同様、先ほどからイライラしっぱなしなのがパウラだ。
酒場の『カンタルチカ』がなぜケーキ屋にいるかって?
ジネットの誕生日に参加していた四十二区の飲食関連のヤツらに「四十区にショートケーキを教えに行くことになったから、ついでに教えてほしいヤツ~?」って聞いたら全員手を上げたので、じゃんけんで決めた。どのみち、全店舗にレシピは教えるつもりだ。
ま、そんなわけで、今回は、大じゃんけん大会の優勝者、パウラに教えることになったわけだ。
「ヤシロ。こんなヤツにまでケーキのレシピを教えてやることないんじゃないの?」
パウラがあからさまに嫌そうな顔をする。
そうは言うがな……
「ケーキはなるべく多く広めたいんだ。四十区でも、『ちゃんとした』ケーキが食べられるようになれば、その分需要が増す」
あんなぼったくり黒糖パンなどではなく、適正な価格で、とても美味しいケーキを広めれば、需要は確実に伸びる。
砂糖を可能な限り多く流通させなければいけないからな。
それも早くだ。
ショートケーキに関しては、独占を諦めるしかない。
それよりも、安定して販売出来る方を取る。今回はそう判断したのだ。
「まぁ、感謝と言うほどではないのだが……一応、君たちに敬意を表して、我が店の美しいキッチンを使用する許可をあげよう。感謝するといいよ」
こっちが感謝するのかよ……
とはいえ……ふむ。厨房はそこそこいい感じじゃねぇか。
「使いやすそうな厨房だな」
「はっ! これだから貧乏人は」
あん?
「『厨房』なんて泥臭い言い方はやめてくれたまえよ。ここは、『キッチン』という名で呼ばれているんだよ」
キッチンも厨房も、結局『台所』じゃねぇかよ。メンドクセェ。
「我が喫茶店の『キッチン』は、かの高名なトルベック工務店の若き棟梁、ウーマロ・トルベック様の設計・デザインなのだよ。使いやすいなど当然であると、そう言わざるを得ないでしょう」
……イラ。
言い回しがイラッとさせるよな、こいつ。
に、しても……
「ウーマロが作ったのかよ。どうりで芸が細かいわけだ」
デッドスペースに収納とか作られている。さすがだ、やるな『匠』め。
「き、貴様っ!? ウーマロ様になんと無礼な口を!? そんなヤツにこの素晴らしいキッチンを使わせるわけにはいかない! 出て行け!」
ウーマロの作った厨房など、毎日使っとるわ。
「領主の命令に背くつもりか? 『俺』にケーキを教わり、四十区に普及させるよう言われてんだろ?」
「領主がなんだというんだ? あんな者、ただの一貴族に過ぎないではないか」
領主を『あんな者』呼ばわりとは……
ここ喫茶ラグジュアリーは、貴族の令嬢や裕福なご婦人方たちを客に持っている。そのため、様々な面で優遇され、一目を置かれる存在になっているのだ。……とはいえ、ここで食えるのは黒糖パンで、紅茶の淹れ方すら知らない三流店だ。
その程度のもんで、こいつの鼻はどこまで高くなっているんだ?
客を根こそぎ奪っちまうぞ、コラ。
「ヤシロさん、準備出来ました」
「おう。サンキュ」
黙々と、俺が持ち込んだ食材を準備してくれていたジネット。
用意が整ったようだ。
「んじゃ、さっさとやって、さっさと帰るか」
「待て。貴様には使わせないと言ったのだ」
「こっちはこっちの都合があるんだよ」
「知らぬ! ウーマロ様を崇拝出来ぬ者に、ケーキを作る資格などない!」
誰があんなもんを崇拝するかよ。
「あの、ヤシロさん……どうしましょう?」
「いいじゃん。もう帰って陽だまり亭で勉強会やろうよ。こんなヤツに教えてやる必要ないって」
そうしたい気持ちも分かるのだが……
現状、『ケーキと言えばラグジュアリー』、というほど認知度が高いのがこの店なのだ。
だから、ここがショートケーキを売り出せば、宣伝効果は抜群なのだ。
とにかく、一般人が普通に砂糖を食べられる状態にまで持っていかなければいけないのだ。それも、あと数週間のうちに。
「しょうがない。あのオッサンを懐柔するか」
完璧で知名度もある自分が、四十二区の聞いたこともない店の男に料理を習う。それが許せないのだろう。最初から全開で敵愾心を向けてきている。
なら、その敵対する心を取っ払ってやるしかない。
「マグダー」
「……はいはい」
店内から、マグダとロレッタがやって来る。
この二人は、店に来るなり、「店員の動きを観察してくる」と客席に行っていたのだが……あまりいい評価は下していないようだ。二人の表情は渋い。
「ウーマロを呼びたいんが、何かいい手はないか?」
マグダにゴスロリ衣装でも着せてやれば、何区にいようと飛んできそうな気がするんだが。
「……それなら、考えるまでもない」
「どういうことだ?」
「……マグダ。ウーマロに会いたい」
「ここにいるッスよー、マグダたーん!」
突然ウーマロが厨房へと飛び込んできた。
……え、なに? お前ってば、ついに次元や空間を越えられる変態にクラスアップしたの?
「実は、あたしたちが客席で店員を観察していた時、下手な変装をしたウーマロさんが来店してきたです。きっと、マグダっちょを見に来たです」
「いや、見に来たって……陽だまり亭で見りゃいいだろうが」
なにをストーキングしてんだ、こいつは。
暇じゃないはずなんだがな……
「あ、あなたはっ!? 設計の若獅子! 天才、ウーマロ・トルベック様っ!?」
ポンペーオがビシッと背筋を伸ばし、ウーマロに対し、ガチガチに緊張した声で言う。
ウーマロ相手に、滑稽なヤツだ。
「ん? 誰ッスか?」
「私です! オールブルーム一美味しいケーキをご提供するラグジュアリーのオーナーシェフ、ポンペーオです! あなたに最高のキッチンを設計していただいた!」
「う~ん…………覚えてないッスねぇ」
今話題に上っている最高のキッチンとやらがここらしいんだが、こいつはマジで思い出せないようだ。
「けどまぁ、ケーキ屋ならヤシロさんのケーキを教わるといいッスよ。オイラも太鼓判の美味しいケーキッスから」
「もちろんです! まさにこれから教わるところなんです!」
おいおい……綺麗に手のひら返したな……
「さぁ、さっさと教えるがいい、愚図。聞いてもらえることに感謝し、技術のすべてを私に明け渡すのだ」
……殴りたい。
「ウーマロ」
「なんッスか?」
「三日間、マグダ禁止」
「なんでオイラに八つ当たりするッスか!? 酷いッス!」
「……では、そういうことなので」
「あぁっ! マグダたん! 行かないでッス! オイラ、マグダたんがいないと過労死する自信があるッス!」
そんな自信を持つな、バカが。
ウーマロが素でこんなに情けない姿をさらしているにもかかわらず、ポンペーオの瞳には羨望の光が色濃く浮かんでいた。
……信者って怖ぇ。
「では、ヤシロさん。早速ショートケーキを作りましょう」
「そうだな。早く帰って店開けなきゃなんないしな」
今日は昼からの営業ということにしてある。
常連客あたりから多少クレームでも出るかと思ったのだが、「ケーキ普及のため」と理由をつけたら「どうぞどうぞ」と納得してくれた。
どいつもこいつもケーキに夢中なようだ。
ショートケーキは、四十二区と四十区で一斉に売り出すのだ。
それだけで、砂糖の流通は大幅に跳ね上がるだろう。
「あたしも、一回ちゃんと見たいです!」
「……マグダも見学」
「んじゃ、オイラも! いいッスよね、マグダたん!?」
「……ごめんなさい。三日間禁止だから」
「マグダたんっ!?」
あぁ、うるさい。
「禁止を解除するから大人しく見てろ」
「ヤシロさん! 優しいッス! ありがとうッス! このご恩は一生忘れないッス!」
俺が勝手に規制したものを解除しただけで恩が売れてしまった。
なにこの商売。ボロ過ぎ。
「んじゃ、また今度、無料でなんか作ってもらお~っと」
「あっはっはっ。今さら何言ってんッスか? オイラ、ヤシロさんからは1Rbももらったことないッスよ」
…………そうだっけ?
そう言われてみれば、いつも何かにかこつけて…………
「なぁ、ポンペーオ……」
「なんだ?」
「ここのキッチン、作るのにいくらかかった?」
「庶民が聞いたら毛穴が鼻の穴サイズに広がり切るような値段だ」
なにそれ、怖い。
……そっか。物の価値って、人や場所によってここまで大きく変わるもんなんだなぁ。
「……ヤシロ」
「なんだ?」
「……このキッチン……マグダなら『あ~ん』券十枚綴りで買えそうな気がする」
「いや、三枚でお釣りが来るぜ、たぶん」
ちょっとだけ、ポンペーオが気の毒になってきた。
せめて、美味しいケーキの作り方を教えてやろう。
ショートケーキ講習会を終え、俺たちは揃って四十二区へと帰ってきた。
講師役の礼と言って、デミリーが馬車を出してくれたので思ったよりも早く到着することが出来た。
店の手伝いがあるというパウラとは、ここでお別れだ。
「ありがとね、ヤシロ! あたし、絶対あのいけ好かない男より美味しいショートケーキ作るから! あと、ケーキに合うお酒も見つけて、ウチの看板メニューにするから! じゃね!」
手を振りながら駆けていくパウラ。
……ケーキに合う酒って……あるのかねぇ。
「あんなに走らんでもいいだろうに」
「早く帰って作ってみたいのかもしれませんよ。その気持ちは分かります」
全速力で駆けていくパウラの背中を見つめ、ジネットが微笑ましそうに言う。
まぁ、俺も若い頃は、覚えたての詐欺テクニックをすぐ誰かで試したくなったもんだ。
「んじゃ、俺たちも陽だまり亭に戻るとするか」
「はい。ランチに間に合ってよかったです」
デミリーの馬車様々だな。
「で、どうだった? 実際見てみた四十区の『高級喫茶店』は?」
「……論外」
「同感です。あんなのは接客じゃないです! 客を見下してるです!」
ラグジュアリーの接客態度は、この二人には受け入れられなかったようだ。
まぁ、あんな態度じゃしょうがない。
挨拶はしない、愛想は無い、注文は聞きに来ない、料理の説明もないでは、気分がいいわけがない。
「……マグダ、サービス過多で頑張る」
「あたしも、出血大サービスです!」
意気込み、メラメラと燃え上がる二人のウェイトレス魂。
出来ていない接客を見たことで逆に気合いが入ったのはいいけど、怪我だけはしないでくれよ。
さて。
本当は、陽だまり亭とラグジュアリーが代表となり、各区にケーキを広める手筈だったのだが……
「参加希望者があまりに多かったので、『やむなく』追加募集をかけた次第だ」
「どうして『やむなく』をそんなに力強く言ったんですか?」
まぁ、気にするな。
今日明日の二日間で、合計六ヶ所。俺はケーキの講習会を開催することになっている。
厨房の大きな店を選び、そこへ各店舗の代表者を集めケーキの作り方を教えていく。
一度に全員は無理なので、六ヶ所場所を設け、各々好きな会場に来てもらうようにしたのだ。
そして、その日訪れた最初の会場で……
「ヤ、ヤシロさん!? こ、これは一体!?」
そこで俺が作ったケーキを見て、ジネットが、そして講習会に参加していた他の連中が目を丸く見開いた。
それもそのはず。ショートケーキが出てくるものだとばかり思っていたら、まるで別のケーキが出てきたのだから。
「こいつは、ショートケーキのライバル……俺の国ではこいつの専門店すらあったというケーキ界の一大派閥。チーズケーキだっ!」
「「「「「チーズケーキッ!?」」」」」
ショートケーキに比べ、見栄えこそ多少地味だが、味は文句なし。レア、ベイクド、スフレと、調理方法を変えるだけで様々な味が楽しめるスーパースター。それがチーズケーキだ。
今回は、スフレチーズケーキを焼いてみた。表面に塗ったあんずジャムがキラキラと煌めいている。
「おいひぃ~れすっ!」
ジネットが感涙する。
堪らず身悶え、フォークを握った手をぶんぶんと振り回す。
「こんなケーキもあるんですね」
じっくりと味わってから、ジネットがほふぅとため息を漏らす。
そんなジネットに近付き、俺はこそっと耳打ちする。
「まだまだあるぞ」
「……え?」
俺の浮かべた笑みを見て、ジネットの表情が一瞬硬直する。
驚きがその目に表れている。
これまでの常識をぶち壊したケーキというスウィーツ。
これ一つあれば、この世界では一生食っていけるのではないかとすら思える強力なメニュー。
だがそいつは、数多あるケーキの中の、ほんの一部でしかないのだ。
「これから回る会場、すべてで違うケーキを教える」
「え、えっ!?」
「そうすれば、色んな種類のケーキが四十二区内に溢れることになる」
そうなれば、休日に「何食べようかな」「どこ行こうかな」という楽しみが増える。
仮にショートケーキしか教えなかったならば、「今日はケーキを食べよう!」という日がたまにあるだけになってしまうだろう。
だが、何種類ものケーキがあれば、アレもこれも食べたくなるのが人情!
知らず知らずのうちに、ケーキを食べる頻度が増すのだ。
そうして、「一周したから、もう一回ショートケーキ!」なんて具合に、ケーキを食べることが習慣になっていくのだ!
そこまで行けば「あの店とこの店のチーズケーキを食べ比べ」なんてことをする者も出てくるだろう。
そうなることが、俺の目的だ。
そこまで根付いてくれれば、もう誰も砂糖に規制をかけることなど出来なくなる。
そこまで行って、ようやく今回の作戦は完成する。
「ヤシロさん、凄いです!」
『七種類のケーキ』という衝撃に表情をなくしていたジネットだったが、その衝撃が体内へと浸透していくと、今度は眩いばかりの笑顔を浮かべた。
「ヤシロさんは、人を幸せにする天才ですねっ!」
「あの…………やめてくれるかな? 恥ずいんで……」
人を幸せにって……俺はただ、お前の誕生日を盛大に祝ってやりたかっただけだっつぅの。
………………いや、違うっ! 違うぞ!
あ、そうそう! そうだ!
俺は、午後三時の、客足が途絶える魔の時間帯をなくすためにケーキを普及させたかったんだよ。そうだよ、すっかり忘れてたぜ。あははは!
……ジネットの誕生日は、ケーキ普及のための大掛かりな宣伝だ。
だから別に、抱きつかれた時の温もりや感触、鼻腔をくすぐったあの匂いとか……あんなのどうだって…………
「ごふっ!」
「ヤシロさん!? どうしたんですか!?」
「……す、すまん。思い出し興奮だ……」
「何してるんですかっ!?」
えぇい! 俺は今、ムラムラしている場合ではないのだ!
ケーキを焼くのは時間がかかる! 巻きで行くぞ!
「よし、ジネット! 次の会場に向かうぞ!」
「はいっ!」
最後の講習会が終わった時、空は真っ暗になっており、月も少し傾きかけていた。
「すっかり遅くなったな」
「さすがに疲れましたね」
俺に付いて走り回っていたジネットは、疲労困憊な様子だ。
「でも、みなさん。幸せそうな顔していましたね」
「……だな」
ショートケーキではないことに不満を漏らす者もいたのだが……そんなヤツも、完成したケーキを食べて「こっちの方が美味い……いや、これこそが最高のケーキだ!」と、最終的には肯定していた。
いい感じで「ウチのケーキが一番」と思ってくれれば、競争も激化し、クオリティもどんどん上がっていくだろう。
「でも、少しは残念なんじゃないですか?」
「何がだ?」
疲れ切った体で、とぼとぼと陽だまり亭を目指す。
その道中、ジネットが含みのある笑みを浮かべて俺を見つめてきた。
こいつがたまに見せる、「いじわるしちゃおうっかなぁ」な表情だ。
受けて立とうじゃねぇか。
「本当は、あのケーキを独占したいと思っていたんじゃないですか? ヤシロさんはいい人ですけど、無償で自分の技術を教えて回るなんて、そんなことまではされませんでしたよね」
「必要なところになら、技術を落とすさ。それがゆくゆく俺の利益になる」
エステラに下水の権利を、ウーマロに下水工事のノウハウを、ヤップロックたちにポップコーンの真実を……俺は、必要な場所になら惜しみなく俺の知識を与えている。
確かに、今回みたいに大安売りしたことはないが……これは布石なのだ。
種蒔きと言ってもいい。
今日蒔いた種が、いつか……それもそう遠くない未来に芽を出し、大輪の花を咲かせ、やがて密林になるくらいに成長する。
その土壌を作ったのだ。
そして、その恩恵は、確実に俺のもとへと集まってくる。
なぜなら…………いや、待てよ。
「答えは、明日、教えてやる」
「え、どうして明日なんですか? 今ではダメなんですか?」
「さぁさ、帰ろうぜ」
「はぅ、ヤシロさん~!?」
そう。明日。
明日、答えを教えてやる。
で、翌日。
「そういうことだったんですね」
食堂に広がる光景を見て、ジネットは大きく頷いた。
「……これは、圧巻」
「あたしの知らないものが、こんなにあったですか……」
陽だまり亭のテーブルに、色とりどりのケーキが並んでいる。
ショートケーキ、チーズスフレ、ガトーショコラ、モンブラン、ミルクレープ、シフォンケーキにアップルパイ。そして、これはどこにも教えていない……シュークリーム。
「ふむ。なるほどでござる。つまり、四十二区のあちらこちらで食べられるようになったケーキが、この陽だまり亭に来ればすべて食べられるというわけでござるな!」
「ま、そういうことだ」
やはり、ケーキはいろんな種類が揃ってこそ美しい。
おまけにここは紛れもなく本店なのだ。四十二区内に溢れたケーキの本流。ここが元祖。
これで客が来ないわけがない。
ということはだぞ、ウチが新作を発表すれば、それが街のトレンドとなるのだ。
ケーキの文化を広めた先にあるのは、激化する競争。
その中で、俺たちは得難いステイタスを手に入れたのだ。
『元祖』『本店』『最新トレンド』
どれもこれも、スウィーツに冠するのに適した言葉だ。
あの盛大なジネットの誕生日パーティーは、人々の心に印象深く焼きついていることだろう。
そのイメージが消えない限り、陽だまり亭のケーキは『他所とは一味違う、本場の味』で居続けられるのだ。
「というわけで、ベッコ」
「相分かった! 食品サンプルを作ればいいのでござるな!」
そういうこと。
そのために呼んだんだよ。
「はぁぁあ……こんな綺麗なものを陽だまり亭で取り扱えるなんて…………わたし、幸せです」
これが上手くいけば、ジネットとの約束も果たせるかもしれない。
ずっと前に交わした約束……
『食堂を立て直すぞ』
『……え?』
『もっと客を呼べる、人気の食堂にするんだ』
『陽だまり亭を、ですか?』
『そうだ。毎日大勢の人が集まる、そんな場所にするんだ』
『お爺さんが……いた頃のように、ですか?』
爺さんがいた頃の陽だまり亭が、どれほど賑わっていたのかは知らんが、それにだって負けはしないだろう。
それを、爺さんの力ではなく、ジネットの力で成し遂げるのだ。
そうすれば俺は…………俺は…………あれ?
もしそうなったら、俺、どうするんだ?
「ヤシロさん?」
「…………」
「ヤシロさんっ」
「ん!? あ、あぁ……悪い。なんだ?」
「いえ、どうかされたんですか?」
「いや……なんでもない」
……何考えてんだよ、俺は。
今は、やるべきことをやるべきだ。…………って、当たり前か。はは。
「よし! じゃあ、本日の三時より、ケーキの販売を開始する!」
「「「「おぉー!」」」」
陽だまり亭の店員となんでかベッコまでもが拳を振り上げている。
ついに、ケーキの販売開始だ。
と、いうわけで。
「すまんが、三時から三十分ほど貸し切りにしてくれないか?」
「え? ここをですか?」
「とりあえず、テーブル一つだけでもいいんだが」
「いえ。ヤシロさんが何かをされるおつもりなら、そちらを優先させてください」
「んじゃ、お前らにも協力頼んでいいか?」
「はい。よろこんで」
「あ、あたしも手伝うです!」
「……ぜひもない」
「拙者は、何をすればいいでござるか?」
「あ、ベッコはいいや。食品サンプル作っといて、大至急急ぎ型で」
「だ、大至急急ぎ型!? あ、相分かった! 大至急急ぎ型で完成させてくるでござるっ! では、御免!」
……と、準備はこんなところか。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるな」
最後にもう一つ準備するものがある。
それを手に入れるために、俺はある場所へ向かう。
「あの、ヤシロさん」
食堂を出ようとした時、ジネットに呼び止められた。
「どちらへ?」
素朴な疑問だ。
だから、気軽に答えておく。
「ミリィのところだよ」
「ミリィさんの?」
「事情はあとで説明する。じゃ、行ってくるな」
「はい。お気を付けて」
ジネットに見送られ、俺は陽だまり亭を出る。
約束は、守らなきゃいけないからな。うん。
俺ってば、約束は守る詐欺師なんだよな。
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