37話 弟と妹

「ウチの、弟たちです……」


 ロレッタが申し訳なさそうな表情で頭を下げる。

 ロレッタの周りには身長が1メートル程度の巨大なネズミ……いや、小柄な獣人族がいた。


「ほら、あんたたちも謝んなさいです!」

「…………だって」

「…………余所者が侵入してきたから」

「お姉ちゃんがお世話になってる人たちなんですよ!?」

「……………………だって」

「だってじゃないですっ!」


 ふてくされているネズミたち。

 声からして男の子って感じか。

 ロレッタに怒られてぶーたれているのは弟たちなのだろう。


 一方、妹たちは……


「お姉ちゃん、いい匂いするねー!」

「おっぱいおーきーねー!」

「やわらかぁ~い!」

「あ、ああああ、あの、変なところを触らな……ぅきゃあ!? や、やや、やめてくだささささ……っ!」


 ジネットに群がってセクハラ親父さながらのスキンシップを取りまくっていた。

 そしてジネットはわきゃわきゃしている。


「こらーっ! 店長さんから離れなさいです、あんたたち!」


 ロレッタの怒声に、妹たちはクモの子を散らすように四散していく。


「……まったく。すみませんです。店長さん、お怪我はありませんですか?」

「は、はい……ビックリしましたけど、怪我はないですよ」


 フラフラになりながらも、なんとか立ち上がったジネット。髪の毛と服がくちゃくちゃにされていた。


「お兄さ……ヤシロさん」


 いちいち言い直すのはなんなんだろうな?

 何かのこだわりか?


「もう……お詫びの仕様もないです。クビになったあたしを拾ってくれた恩人さんですのに……」


 ロレッタが泣きそうな声を漏らす。

 喉を詰まらせ、クシャッと目を細める。

 あとほんの少し、何か刺激を与えてしまえば涙腺が決壊してしまいそうな雰囲気だ。


「あんたたちっ、ちゃんと謝んなさいですっ!」


 泣きそうな感情を怒りに変換して、ロレッタは弟と妹たちに声を飛ばす。


「……ごめん、なさい」


 小さな女の子が、ジネットの前に立ち、ぺこりと頭を下げる。

 女の子の頭には丸っこい耳が髪の間から顔を出していた。


「ごめんなさい」

「ごめ~ん」

「ごめんなさい」

「申し訳ないです」

「ごめんね」


 次々に、少女と幼女がジネットに頭を下げる。

 妹たちは割かし素直なんだな。


「ほら、あんたたちもです」


 そう言って、ロレッタはネズミ顔の少年の背中を押す。

 三人ほど俺の目の前へと押し出し、謝罪を促す。


「……でも、この兄ちゃん自分で落とし穴に嵌ったんだよな?」

「だよなぁ」

「ボクたち何もしてないよなぁ」


 はっはっはっ……図星過ぎて言い返せない。


「それでも謝るです!」

「あぁ、いいよロレッタ」

「でも……っ」

「男が頭を下げるには、それなりの理由と、納得出来るだけの『何か』が必要なんだよ」


 相手を認めるだとか、自分の愚かさに気が付くだとか、価値観がガラッと変わるような何かがな。


「だから、別に謝罪はいらん」

「…………そう、ですか?」

「ただ……今素直に謝らなかったことを後悔する日が……そう遠くないうちにやって来るとは思うけどな」

「みなさん! 謝ってください! ヤシロさんが本気の目をしています!」


 なんでか、ジネットが焦ってネズミっ子たちに謝罪を促す。

 おいおい、ジネット。俺は『別に無理して謝らなくていい』と言っているんだぞ?

 あくまで『謝らなくていい』だけで、『謝る必要がない』とは言っていないがな。


 別に『やらなくてもいい』けど、『やっておいた方がいい』ことって、世の中たくさんあるよねぇ。


「ご、ごごごごご、ごめんなさい」

「許してください許してください!」

「おねえちゃ~ん! この兄ちゃん、顔が超怖ぇ~っ!」


 ガキどもの何人かが泣き出しやがった。

 そこまで怖い顔はしていないつもりだったのだが……ちょっとイラッてしてただけで。


「ヤシロさん。子供たちもこのように反省していますので、……どうか、穏便に」

「ジネット。お前は俺をどんな人間だと思っているんだ?」

「とても優しくて責任感のある、頼れる方だと思っていますよ」


 ぉう……褒め過ぎだろ。さすがに照れるわ。


「ですが…………ヤシロさんと敵対関係になる方には、お気の毒だなと……同情的にもなります」


 俺は、そんなに酷いことを誰かにしただろうか?


「たまに……」


 そっと、ジネットの手が俺の頬に触れる。


「とても怖い顔をなさいますよね。わたしたちには決して向けない、別人のような顔を……」


 俺を覗き込むジネットの顔は……どこか寂しそうだった。


「そして……もっと稀に……とても悲しそうな顔も…………」

「……っ!?」


 言葉に詰まった。

 何も言い返せなかった。


 ……俺、そんな顔してたのか?


「…………あんま、見んな」


 そう言って顔を背けることしか出来なかった。


 頬に触れていた手から逃れるように、体の向きを変える。

 こいつは、いつも一歩退いた場所にいるくせによくモノを見ている。いや、退いたところにいるからこそ、よく見えるのか。


「…………じぃ~」

「…………じぃ~」

「…………じぃ~」

「…………じじぃ~」

「…………じぃ~」

「…………じぃ~」

「ぅおうっ!?」

「ぅきゃあ!?」


 気が付くと、俺たちを取り囲んでいるネズミっ子たちがこちらをジッと見つめていた。

 ロレッタもその中に含まれている。


「な、なんだよ?」


 あまりの熱視線に、乱暴な口調で呟いてしまう。

 すると、一番真ん前で俺たちを見上げていた五歳前後の幼女が穢れなきつぶらな瞳で俺たちを見つめ尋ねてくる。


「……チューするの?」

「ぶふっ!?」

「しししし、しま、しませんよっ!?」


 幼い少女が言い放ったド直球クエスチョンに、思わず気管が逆流した。

 ジネットが慌てて否定すると、ガキどもは不服そうに「えぇ~……」などと抜かしている。

 ……こいつら、マジぶっ飛ばす。


 つか、ロレッタ。お前も一緒になって見てんじゃねぇよ。

 お前はバカな弟どもを諌める立場だろうが。……ったく。


 などと思っているとロレッタがテテテッと駆け寄ってきた。

 そうそう、そうやってちゃんとフォローをしてだな……


「お兄さ……ヤシロさん。顔真っ赤っかですよ?」

「落とし穴に突き落とすぞ、コノヤロウ」


 人の顔をまじまじと覗き込んできやがったロレッタに、小学生の頃に窮めたアイアンクローをお見舞いしてやる。かつて、俺のアイアンクローは学年一と恐れられたものだ。


「ぃっ、ひたたたた! 痛ひ! ひたひれずっ!」


 俺の腕を掴み悶えるロレッタ。そんな柔な力じゃこのアイアンクローは外せないぜ?


 そんな俺たちを、弟どもがやんややんやと囃し立てる。

 やっぱりどこの世界でも、格闘技は少年の心を熱くするものなのだな。


「あの、ヤシロさん……そろそろロレッタさんを解放してあげては……?」

「ん? あぁ、そうだな。そろそろ…………痛っ!?」


 ロレッタの頭を解放した瞬間、俺のケツに鈍痛が走った。

 振り返ると、弟どもの中でも比較的体格のいいヤツが挑発的な笑みを浮かべ、キックボクシングのような構えを取っていやがった。

 ……こいつか、俺のケツを蹴ったのは?


「上等だ、ガキども!」

「全員突撃ー!」

「「「「ぅおおおおおおおっ!」」」」


 キックボクシングネズミに飛びかかるや否や、他の弟どもも参戦してきやがった。

 戦況は、場外乱闘の様相を呈していく。


「あ、あのっ! みなさん! 穏便に! どうか落ち着いてください!」


 ジネットが声を上げるが、一度火が点いた少年心は鎮火しない。

 群がってくる弟どもを、さながら横スクロールアクションゲームのようにバッタバッタと薙ぎ倒していく。いくら俺でも、こんなガキどもに後れをとったりはしない…………スタミナに不安はあるが。


 ギャーギャーと戯れること十数分。

 いつしか、俺の背後に大きく口を開く落とし穴に落とせば勝ちというルールが暗黙のうちに決まっており、俺は向かってくる弟どもを時には背負い投げ、時にはうっちゃりで穴へと落としていく。

 数的脅威はあったが、年長組を排除した後、俺の敵になるような個体は存在しなかった。

 最後に残った体長30センチ程度のぬいぐるみみたいな小童の首を摘まみ上げ、穴の上から落としたところで俺の勝利が確定した。

 たとえ幼くとも、戦いに参加した瞬間情けなどかける必要はないのだ。

 俺は勝利の余韻に浸りながらゆっくりとした足取りでジネットたちのもとへと歩き出した。勝利の花道だ。

 帰還した俺を、ジネットが小走りで迎えてくれる。


「ヤ、ヤシロさん。あの……さっきの子が泣いちゃってるみたいですよ……?」


 ……男には、やらねばいけない時があるのだ。

 だから、そんな不安そうな顔でそわそわするな。俺の中の罪悪感が目を覚ましちまうだろうが……とりあえず、そそそと、落とし穴から更に距離を取ってみる。


「わたし、ちょっと様子を見てきますっ! みなさ~ん! ご無事ですかぁ~!?」


 駆けていくジネットは穴を覗き込んで、落とされた弟たちに声をかけている。


 …………俺、あとで謝るべきかな?

 封印された魔神の如き深い眠りに就いていたはずの罪悪感が目を覚まし俺の心をそわそわさせ始めた頃、ロレッタがそっと俺に近付いてきた。


「お兄さ……ヤシロさん」


 妹たちはジネットを手伝って弟どもの引き上げを手伝っている。

 故に、少し離れたこの場所には俺とロレッタしかいない。


 ロレッタは誰にも聞かれないようにとの配慮からか、囁くような小さな声で俺に尋ねてくる。


「ヤシロさんは、店長さんとお付き合いをされているんですか?」


 ……この娘は、何を言っているのだろう?


「………………そういう事実はないが?」

「本当ですか?」

「………………証言が必要なら三名ほど出廷させようか?」


 マグダとエステラとベルティーナ辺りなら、その疑惑が謂れのないものであると証言してくれることだろう。


「……そう、ですか………………そうなんですか」


 ほぅっと息を漏らし、ロレッタはふっくらした頬をむにむにと揉んでいる。

 ……どういう感情表現なんだ、それは?


「あの、お兄さ……ヤシロさん!」

「なぁ、それ」

「…………はい?」

「『お兄さん』と言いかけて呼び直しているのはワザとか?」

「いいえいえいえいいえいえ! 滅相もないです!」


 否定の仕方がおかしい。

 こいつの敬語、普通の会話に『です』をくっつけただけだもんな。教養はさほどないのだろう。


「最初に会った時の印象が強くて……」


 最初にロレッタと会った時、俺は通りすがりのお兄さんだったからな。


「……それに、ヤシロさんみたいなお兄ちゃんがいたらよかったのになぁ……って、思って」


 その言葉は、言うとはなく、不意に零れ落ちたようにもたらされた。

 こいつの本心なのだろうか。

 ……お兄ちゃん、ね。


「はっ!? いや、あの! あたし、長女なんで、上に誰もいないんです! ですから、上に頼れるお兄ちゃんがいたらよかったのになぁって、ずっと思っていてですね……でですね、あの、ヤシロさんが割と、結構……理想のお兄ちゃんに近いというか……困った時に助けてくれるところとか……ですので、あの……」


 噛まないロレッタが口籠っている。

 頭を抱え、必死に言葉を選んでいる。

 そして、最終的に出てきた言葉が……これだ。


「あのっ! 『お兄ちゃん』って呼んでもいいですかっ!?」


 …………えっと。

 ………………やっぱり、アホの子なのかな?


「いや、好きにすればいいけど……」


 兄弟でもない女の子に『お兄ちゃん』って呼ばれるって、どこのアニメだよ……

 つか、なんでこんな話になったんだっけ?


「じゃ、じゃあ、呼ぶですね………………お、おに…………」


 何を緊張しているのか、ロレッタは口を開いたまま硬直してしまった。


「あ……あはは、なんだか恥ずかしいですね~…………では、今度こそ………………おに…………おに………………おにぃ…………こういう時は、勢いをつけて…………おに……っ!」


 なんか、すげぇ鬼呼ばわりされてるみたいなんだが…………

 しかしまぁ、呼び慣れない名称というのは照れくさいものだ。

 俺も、親方と女将さんをお父さん、お母さんとは呼べなかったしな……

 特に、ずっと最年長だったロレッタに『お兄ちゃん』は抵抗があるのだろう。


「お、おっ、おぉぉ…………おっおっおっおっ!」


 怖い怖い怖い、なんか怖い!


「おっ……おっ……!」

「おに~ちゃ~ん!」


 百面相をするロレッタを眺めていた俺の腰に、無数のネズミっ子が飛びついてきた。


「チョ~おもしろかった!」

「またやろう!」

「遊んで遊んでっ!」

「おい、こら! まとわりつくなっ!」

「お兄ちゃん!」

「お兄ちゃん、遊ぼー!」

「おに~ちゃん!」


 物凄い数のお兄ちゃんコールだ。誰一人血の繋がりなどないのだが。


「あんたたちっ! あたしがこんなに苦労してるですのにっ! もう、全員そこに正座するですっ!」

「「「「えぇ~っ!」」」」

「うるさいですっ!」

「姉ちゃん、また怒ってる」

「怒らしてるのは誰ですか!?」

「八つ当たりじゃんねぇ?」

「だよなぁ」

「なんであたしが八つ当たりする必要があるですか! あたしはただあんたたちがお客様に失礼に失礼を重ねる無礼な振る舞いをしていることに怒っているです!」

「え~、そうかなぁ……姉ちゃん本当はお兄ちゃんのこと……」

「それ以上しゃべると舌を引っこ抜くですよ? あと、あんたとあんた、言いたいことが顔に出てるです。正座をやめて今から逆立ちをするです」

「「ふぉぉぉ……ひでぇ……何も言ってないのに…………っ!」」

「あんたたちの言うことなんて聞かなくても分かるです!」


 凄まじい兄弟喧嘩だ。

 つか、長女の勢いがスゲェ。

 ロレッタの声がよく通って、滑舌もよく、瞬時に言葉を組み立てて、おまけに相手の顔色を正確に読み取る能力に長けている理由が、今ので一気に全部分かった気がする。


 実践に勝る練習はないってことだな。


「本当に、すみませんです。騒がしい弟たちで……」

「いえいえ。元気があってとてもいいことだと思いますよ」


 小さく手を振りながら、ジネットがロレッタに笑みを向ける。

 いや、迷惑かけられたの、俺だから。


「それであの…………お……兄ちゃん……も、ごめんなさいです」

「まぁ、後日なんらかの形で請求させてもらうから気にするな」

「ぅぇえっ!?」

「冗談ですよ。ヤシロさんはちょっと意地悪な冗談をよく言うんです」


 おいおい、待てジネット。俺はマジだからな?

 マジでなんらかの形で支払わせてやるつもりだからな?


 つか、さりげなくサラッと言ってごまかそうとしたのだろうが……『お兄ちゃん』で声が上擦っていたな。

 そんなに恥ずかしいんならやめればいいのに。

 年下の女の子に『お兄ちゃん』って言われて喜ぶのは、ごく限られた人種だけだからな。当然、俺はその人種ではない。


「それにしても、凄まじい大家族だな」

「えへへ…………申し訳ないです」


 愛想笑いを浮かべた後で肩を落とす。ロレッタはかなり気にしているようだ。

 これだけの大人数の弟や妹たちを養うためにバイトをしているのだ。そりゃあ必死にもなるわな。

 元気のいいアホの子かと思いきや、なんだ、割と真面目にお姉さんをやっているんじゃないか。


 人種っていうのは、こういうところでも特徴を発揮するものなのだろうか。ほら、ネズミってたくさん増えるっていうし。ネズミ算式に。


「ロレッタたちはネズミ人族なのか?」

「いえ。ハムスター人族です」


 ……オウム人族といい……刻んでくるよな。大きな括りで『鳥』とか『ネズミ』でいいじゃねぇか。


「ロレッタは全然ハムスターっぽいところがないんだな」


 ロレッタは、どこからどう見ても人間そのものだ。

 耳も俺やジネットと同じような形だし。毛深いわけでもない。


「あたしは獣率が少ない方でして……」

「けものりつ?」

「獣人族さんたちの人と獣の割合のことですよ」

「あぁ……じゃあ、ウーマロは獣率が高いんだな」

「男性は女性に比べて獣率が高いと言われていますね。女性は50%から10%くらいが普通でしょうか? マグダさんが10%くらいですね」


 マグダはネコ耳と尻尾だけがネコ……もとい、虎だ。なるほど10%程度ってところか。

 確かに、あまり男でネコ耳なんてヤツは見かけないな。モーマットもウーマロもヤンボルドもみんな獣の顔をしている。


「あれ? 大通りの酒場のマスターはオッサンの頭にイヌ耳だったよな?」

「あぁ、あそこのマスターはちょっと女性っぽい方でしたですね」


 女性っぽい?

 あのヒゲダルマがかっ!?


「お見かけしたことはありませんが、中世的な男性なんですね」


 いやいや、ジネット。

 中性的とは真逆の生き物だったぞ。男性ホルモンが溢れ出過ぎてて液状化していそうな勢いのオッサンだ。

 中性的というのは、ヴィジュアル系バンドのボーカルみたいな感じのことなんじゃないのか? この世界では違うのか?


 ……ん、てことは?


「ネフェリーは男っぽいのか?」


 養鶏場のネフェリーは顔が完全にニワトリだった。


「ダメですよ、ご本人にそんなことを言っては。……きっと気になさっているでしょうから」


 ジネットに優しく諌められてしまった。

 気にしている…………まぁ、気にするか。顔がニワトリなんだもんな。気にするよな。俺なら自室に引きこもるレベルだ。ネフェリーは心の強い女なんだな。


「今度飯でもご馳走してやるか……」

「そ、それは……ネフェリーさんをデートに誘う……と、いうことでしょうか?」


 いや。気分的には飼育だが?


「そういや、ヤップロックの奥さんの……ウエラーだったか? あいつも全身オコジョだったな」

「種族によって、獣率が100%という人たちもいますね」


 まぁ、100%と言っても、二足歩行だし、雑食だし、よくしゃべるので『獣』とは別なのだろうが。


「あたしは、尻尾くらいしか獣特徴が無いんです」

「けものとくちょう?」

「耳とか、尻尾とか、その人種の特徴的な箇所のことですよ」

「ここの両親がぽこぽこ子供を作るのもか?」

「そ、……そう、ですね。…………あの、ヤシロさん。ぽこぽこという表現は……なんだかちょっと恥ずかしいので遠慮していただけませんか?」


 ジネットが頬を染め、俯いてしまった。

 そんなに悪い表現かな、ぽこぽこ?


「でも、ロレッタの尻尾は全然目立ってないよな?」

「そうですね。あたしたちの尻尾は短いですから」


 あ、そうか。

 ハムスターはネズミと違って尻尾が短いんだった。

 ハツカネズミみたいな尻尾を想像していたが、全然違うものなんだっけな、確か。

 つか、ハムスターの尻尾ってどうなってたっけ? あんまり見た記憶がないなぁ……


「ちょっと見せてくれるか?」

「ふなっ!? む、むむむ、無理ですよっ! 絶対無理です!」

「ヤ、ヤシロさん! 女の子に尻尾を見せろだなんて……ざ、懺悔してくださいっ!」


 なんかめっちゃ怒られた。

 別にケツを見せろと言っているわけでもないのに………………あ、同じようなもんか。


「に~ちゃん! しっぽ尻尾!」


 そう言って、割と年齢の低そうな弟が俺の前でケツを突き出し、ズボンをずり降ろす。ケツがぷりんっと露出して短くて丸っこい尻尾があらわになる。


「キャーッ! あんた何やってるですかっ!? 早くしまいなさいです!」


 大慌てでロレッタが弟のズボンを引き上げる。股上が股間にグイーンと食い込んで痛そうだ。

 子供はケツを出すことに抵抗などないからな。姉的には堪ったものじゃないだろうけど。


 …………今のをロレッタがやったら……………………ふむ。


「ヤシロさん。何か良からぬことを考えていませんか?」


 鋭いジネットから視線を逸らせる。

 なんだか俺の横顔に視線が刺さっているような気がするが、無視だ無視。


 弟のズボンを直し、ついでに脳天に制裁の拳骨を落とした後で、ロレッタは俺たちに向き直りこほんと咳払いをした。


「でですね……その…………ご覧いただいて分かりますように……あたしの家族は、ちょっと人数が多くて……」

「ちょっと?」

「すみませんです。かなり多いです……」


 ロレッタが半泣きになる。

 相当困っているようだ。……そりゃこれだけいれば衣食住全部が大変だろうな。

 スラムにはロレッタの家族しかいないと言っていたが…………この家族だけで十分過ぎる数だ。


「それで、少しご相談に乗ってほしいことがあるです……」

「まずは、お前の両親を別居させろ」


 もうこれ以上増やすな。


「にょほっ!? や、やややや、もう、もう増えてませんですよ!? ウ、ウチの両親も、もうそろそろ歳ですのでっ!」


 ロレッタが顔を真っ赤にして両腕をぶんぶんと振り否定する。

 あぁ、子供が増える工程は理解しているわけか。


「先月生まれた双子で最後だと思います」

「まだ増えてんじゃねぇかっ!?」


 計画性皆無かっ!?


「ところで、弟さんたちのお名前はなんていうんですか?」


 ジネットが、群れを成す弟たちを見ながらそんな言葉を口にする。

 ……え、なに。お前覚える気なの?

 無理だよ?

 仮にこいつらの名前が一郎から百郎だったとしても、どれがどいつか識別するのは不可能だ。

 にもかかわらず、ロレッタは一番近くにいる弟を見て、「えっとですねぇ……」なんて呟いている。

 やめろやめろ。俺は覚えないからな。


「え~っと………………確か…………その………………ここまで出かかっているんですが……」


 覚えてないのかよっ!?

 お前は覚えとけよ、長女!


「ま、まぁ、些末なことです! 名前なんて、本人が理解していればそれでいいのですっ!」


 いや、家族は理解してなきゃダメだろうよ……

 まぁいい。俺は「弟」「妹」と呼ぶことにする。


「さぁあんたたち。お兄ちゃんと店長さんに改めてご挨拶しなさいです!」

「「「「お兄ちゃん、お姉ちゃん、よろしく~!」」」」

「……なんか、大家族に強制編入させられた気分だな…………」

「教会で暮らしていた頃も、こんな感じでしたよ」


 ジネットは、陽だまり亭で暮らすようになる前はベルティーナのもとで暮らしていたのだ。

 血の繋がらない兄妹に囲まれることに、違和感はないのだろう。


「血縁関係よりも、お互いがお互いを大切に思い合う……それが、家族にとって大切な絆になるのだと思います」


 ジネットの言葉は、経験者が発する一種独特な雰囲気を纏い、妙な説得力があった。


「ふふ……」


 そして、不意に漏れた笑いは、なんだかとても優しげで。


「だとしたら、わたしたちももう家族なのかもしれませんね。『お兄~ちゃん』」


 少し甘えたような声と、悪戯っ子のような口調に……少しだけドキッとさせられた。

 ……けどまぁ、お兄ちゃんじゃな…………


「じゃあ今度、兄妹仲良く風呂にでも入るか」

「にょっ!?」


 俺の反撃にジネットは顔を赤く染め、大きな目をまんまるに見開いた。

 そして、少し怒った風に眉を歪め……それでも、どこか楽しそうな口調でいつものセリフを口にした。


「もうっ! 懺悔してください!」


 まぁ、これくらいの意趣返しはありだろう。


「兄ちゃんと風呂入るー!」

「僕もー!」

「あたしもー!」


 弟、妹たちが群がってくる。

 こんな大人数で入ったらお湯がなくなるわ。

 ちなみに、この世界の風呂は、沸かしたお湯を巨大なタライに溜めて軽く体を拭く程度のものだ。こっちのヤツらがそれを『風呂』と呼んでいるかは知らん。『強制翻訳魔法』が『風呂』で通じるようにしてくれているだけだろうからな。


「川あるよー!」

「いっつも川で水浴びしてるんだよー!」

「川?」


 ロレッタに視線を向けると、こくりと頷きを返してくる。


「この地区は、北側に大きな崖があってですね、その上の二十九区から川が続いているですよ」


 俺が降りてきた三十区からの崖はかなりの高低差があった。二十九との境も同じ程度の崖なのだとしたら、それは立派な滝だろう。


「デリアが仕事してる川って、ここと繋がってるのか?」

「はい。四十二区に川は一つですので」


 その問いにはジネットが答えてくれた。


「でも、今は増水していて近付けないです。危険です。だからあたしたちもここ数日水浴びが出来ずに…………ぅああっ!? い、今のは忘れてくださいですっ!」


 ロレッタが盛大に自爆している。

 ……風呂、貸してやろうか?

 いや、でも、この人数はキャパシティオーバーだな。


「で、相談ってのは、こいつらの衣食住に関することか?」

「は、はいです!」


 盛大な自爆の後、俺たちに気付かれないようさり気なく腕のにおいを確認していたロレッタだったが、俺に声をかけられて慌てて姿勢を正す。……まぁ、バレてるけどな、におい嗅いでたの。


「先ほど言いましたですが、ウチの両親はもう歳ですので働くことが出来ないんです……」

「こんだけ足腰しっかりしてりゃまだまだ肉体労働でもなんでも出来んじゃねぇの?」


 数多いる弟たちを見渡して言う。


「あ、あのっ、それに関してはもう、触れないでほしいです!」

「ヤシロさん! デリカシーがないですよ!」


 女子二人が顔を赤く染める。

 恥ずべきは俺の発言ではなく、ロレッタの両親の無計画な行為だと思うのだが……仕事が出来なくて家にいるからまたどんどん増えていく……なんてことはないだろうな?


「話を戻すですけど……あたし一人の稼ぎでは、この子たちを満足に食べさせてやることも出来ないです」

「川があるなら魚でも捕りゃいいだろう」

「ダメですよ、ヤシロさん。それではデリアさんのお仕事を妨害することになります」


 確かエステラが、海漁ギルド以外が海で漁をするには許可証が必要だとか言っていたな。

 川漁もそうなのか。

 勝手に川釣りとかしちゃいけないんだな。


「じゃあ、家庭菜園はどうなんだよ?」

「ある程度の作物は黙認されています。販売は禁止ですが」


 陽だまり亭には、家庭菜園とニワトリがいる。それはセーフらしい。


「生態系に影響を及ぼす危険があるため、漁と猟には制限がかけられているんですよ」


 なるほど。

 家でどんなに野菜を作ろうが、モーマットの畑が枯れるわけではない。

 だが、川や海で乱獲をすれば、デリアたちが捕る魚が減ってしまう。そういう直接的な被害を避けるために許可制なのか。


「ですので、お兄ちゃんっ! 店長さんっ!」


 ロレッタは大きな声を出して、ガバッと頭を下げる。


「この子たちを、陽だまり亭で雇ってはいただけないですか!?」

「無理だな」


 即刻拒否だ。

 ふざけるなと言ってやろう。

 こんな大人数を養えるほどの余裕、陽だまり亭にはない。現状でもカツカツなのだ。


「仕事なら、どこかのギルドにでも加入しろよ。でなきゃ領主にでも頼め」


 この世界のリクルートがどういう形態なのかは知らんが、求人くらいはしているだろう。


「そうしたいんですが…………この地区の住民には仕事をさせたくないという人が多いんです……その、スラムの者は信用出来ない…………と」


 スラムと言っても、ただの貧乏大家族なだけで暴力的なものや破壊的なものは一切見当たらないがなぁ。

 何がそんな差別意識を植えつけているのだろうか。


「かつてスラムは罪人が隠れ住む場所だったです。もっとも、各区の領主様が対策を立てて、今ではみんな裁かれて、スラムに罪人は存在していませんです。ですが、やはり『スラム』という名称には悪い印象が付き纏って……住民のみなさんはどうしても受け入れ難いようなんです」


 一度根付いたイメージというのは、なかなか払拭出来ないものだからな。


「ですので、あたしはここを出て仕事を探していたです」

「じゃあ、今は一人暮らしなのか?」

「はいです」

「もったいねぇ。部屋なんか引き払ってこっち戻っとけよ。ウチはそういうの気にしないから。なぁ?」

「はい。ロレッタさんはとても優秀な方ですので、大歓迎ですよ」

「お兄ちゃん……店長さん…………ありがとうございますです!」


 深々と頭を下げ、しばらくその姿勢を維持するロレッタ。肩が震えているのは、泣いているのかもしれない。……相当つらい目に遭ってきたんだろうな。


 イメージを払拭しなければ、弟たちも同じ目に遭うことになるだろう。

 イメージの払拭か…………日本でも、一度悪いイメージがついたばかりに経営に支障をきたした企業は少なくなかった。倒産するところも多かった。

 イメージというのはとても重要で、そして、とても恐ろしいものだ。


 弟たち総出で慈善事業でもやって善良さをアピールするとか…………いや、急にこいつらが街に溢れ出したら街の人間は余計警戒してしまうだろう。

 イメージ戦略は慎重に進め、大胆に改革しなければいけない。一歩間違えば取り返しがつかなくなる。

 とはいえ、時間をかけている余裕もなさそうだが……


「あ、あの……ヤシロさん」

「それ以上言うな。俺にも出来ることと出来ないことがある」


 何かを言いかけたジネットの言葉を封じる。

 いくらなんでも、この人数の働き口など俺に紹介することなど出来ん。こいつらを食わせてやることも不可能だ。

 店の余り物で飯を? 余り物で足りる数じゃない。教会への寄付を切り捨てても足りはしないだろう。何より、それに割く時間と人員が決定的に不足している。


 俺たちにはどうすることも出来ない案件だ。


「……です、よね…………やっぱり」


 ロレッタが肩を落とし、それでも弱々しい笑みを浮かべる。


「分かってはいましたです。あたしを雇ってくれただけでも感謝してるです……無理なことを言ってすみませんです」


 ジネットが切なそうにロレッタを見つめる。

 力になれない。それが堪らないのだろう。


「あ、あのっ! せめて一度だけでも料理を作らせていただけませんか? 今日の夕飯だけでも。みなさんが普段食べていらっしゃるものに、軽く手を加えるだけになるかもしれませんがっ!」


 食料を提供出来ない今、ジネットに出来るのは技術の提供だけだ。 

 せめてそれで役に立てないかと思ったのだろう。一度きりと限定したのも、百人分の食事を用意するのにかかる時間を考えて、毎回は無理だと思ってのことだ。


 それでも、自分に出来る最大限のことをやりたいと、ジネットは思っているのだろう。


 でもな、ジネット。

 料理を作るのは結構ギャンブルなんだぞ?

 その時は確かに喜んでもらえる。だが、その味に慣れてしまえばこれまでの食生活に戻った時にわびしさが増す。

 ヤップロック一家が陽だまり亭に来たのだって、『これで最後だ』と思ったからで、美味いものを食った後に貧しい生活に戻るのはかなりきついのだ。


 それに、火を通せば食材は縮むしな。

 こいつらなら生野菜を齧っている方が腹の足しになるかもしれん。

 調理することによって量が増える料理でもあれば話は別だ……が………………ヤップロック…………増える…………


「そうだっ!」


 人手を欲しているヤツがいるじゃねぇか!

 俺だ!


「全員とまではいかんが、何人かなら雇えるかもしれんぞ」

「「ホントですか!?」」


 意気消沈していた二人が揃って声を上げる。


「いや、まだなんとも言えんが……手伝ってほしいことがあってな」

「なんでもするです! いや、させるです! 何をすればいいですか!? 教えてほしいです!」

「近いっ! 話す、話すから、ちょっと離れろ!」


 グイグイ食いついてくるロレッタを落ち着かせ、俺は咳払いを挟んだ後に話を始める。


「ポップコーンの移動販売を行おうと思う」

「ポップコーン……って、マグダっちょがお客さんにあげてたやつですか?」

「あぁ、そうだ。……で、その『マグダっちょ』ってなんだ?」

「あの娘、可愛いですから。なんだかそんな感じで呼びたくなったです」


 お兄ちゃんとかマグダっちょとか、変な呼び方を好むヤツだ。

 じゃあジネットのことも『ボインちゃん』とか呼べばいい。


「ですがヤシロさん。移動販売となると……」

「あぁ。おそらく領主の許可が必要になるはずだ」


 詳しくはエステラにでも聞かないと分からんが、出来そうなら是非やりたい。

 いや、多少強引な手段を使ってでもやらなければいけない。

 ポップコーンの移動販売は子供たちに人気だからな。アメリカのポップコーンワゴンや、ゲームセンターのポップコーンマシーンの前には常に子供が群がっていたものだ。

 そして、認知度が上がれば確実にヒットする自信がある。


 そいつが出来るかどうかが一番のネックなのだが……


「なんとかエステラに許可を取ってきてもらって、一日でもいいから大通り辺りで売り捌きたい。そうすれば、リピーターが陽だまり亭にやって来てくれる。その数が増えれば話題となりポップコーンの売れ行きが上がり、そうしたら生産量を増やす必要があるから、そこまで行けば何人かは雇えるかもしれない」


 自分で言っていてなんだが……すげぇ遠い道のりだな。


「それでもいいです! 可能性があるなら。あたしたち姉弟はどんなことだってやるです!」


 ロレッタはマジだ。

 もちろん俺だってマジだ。

 今現在、活かしきれていない手札を最大限活用して陽だまり亭を一流に伸し上げるのだ。

 そういうことになればジネットもマジになるだろう。


 大マジな人間が徒党を組めば、出来ないことなどほとんどない。


 微かにだが希望が見えて、ロレッタの表情に明るさが戻る。

 弟たちは無邪気なもんで、姉の心配など知る由もなく遊び回っている。


 あ~ぁ、これはもう完全にアレなんだろうな。

 ジネットの「守りたいフォルダー」に収納されちゃったんだろうな。


 遊び回る弟たちを見つめるジネットの横顔を見て、そんなことを思った。

 そして、ジネットがそう思った以上……俺も何かしら力を貸す羽目になるんだろうな…………



 ……そう。

 例えば、こんな状況になった時に――



「まったく、相変わらず騒がしいところだな……」


 突然現れたそいつは、真正面に向いた大きな鼻から無遠慮に息を吐き出し、しかめた表情で俺たちをじろりと睨みつけた。

 短い手足に肥え太った腹。

 特徴的な鼻の下には短い牙が前方へ突き出し、焦げ茶色の体毛に覆われた顔面では眇めた瞳がいやらしい光を放っている。


 どこからどう見てもイノシシそのものの顔をした男が一人、落とし穴を避けるようにして俺たちのもとへと歩いてきた。


「……ゾルタル…………」


 ロレッタの口から漏れたのが、このイノシシ男の名なのだろう。


「なんだ、長女もいるのかよ。テメェはチビどもを見捨てて逃げ出したって聞いてたのによ」

「誰が逃げたりするもんですか!」

「まぁ、どうでもいい。どっちみち、スラムは取り壊しになるんだ。……ちっ。それにしても相変わらずスゲェ数だな…………」


 イノシシ顔の男ゾルタルは、醜く顔を歪めて地面に唾を吐き捨てる。


 突然現れては幼い弟たちを威嚇するように睨んで怯えさえ、元気と笑顔が取り柄のロレッタの表情をここまで歪ませた。それだけで、こいつがどういうヤツなのか察しがつく。


「こんなところに群がってねぇで、さっさと出て行けっつってんだろ!? 何遍言わせる気だ、ネズミ共!」



 あ~ぁ……と、思う。

 やはり不可避だったのだ。

 嫌な予感は的中してしまうものなのだ。


 おそらくこの後、俺は何かしら力を貸す羽目になるのだ。俺の予想通りに。

 そう、例えば――この醜悪な顔をしたイノシシヤロウを、追っ払う……とかな。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る