19話 ヤシロの善意

 早朝。

 陽だまり亭のドアが激しく連打され、俺たちは叩き起こされた。

 やって来たのは養鶏場のネフェリーだった。酷く興奮した様子で寝ぼけ眼の俺の手を取る。


「産んだ! 産んだのよ! 卵が産まれたのっ!」

「……おめでたか? おめでとう」

「私じゃないよ! セクハラすると突っつくよ!?」


 ニワトリ顔のネフェリーが頬を染めて俺に嘴を向ける。


「熱烈なキスをしてくれるってことか?」

「なっ!? ち、違うもん! んもう! バカバカバカ!」


 大いに照れて、俺をぱかぱか殴ってくる。

 ……あ~、全然萌えねぇ。ニワトリ顔、萌えないわぁ…………


「とにかく来て! ヤシロに見せたいのよ!」


 強引に腕を引かれ、俺は寝間着姿のまま連れ出された。

 ジネットとマグダも寝間着に上着を羽織っただけの格好で付いてくる。


 養鶏場に着くと、ネフェリーの家族がコケコケ言いながら踊り狂っていた。


「……なんの儀式だ? 子供が見たらトラウマで夜トイレに行けなくなりそうな光景だな」

「失敬ね! うちの家族に対して!」


 ニワトリ顔の両親が踊り狂っていたら多かれ少なかれ異常な空気を感じるわ。

 まるで、黒魔術の生贄が自ら進んでその身を捧げようとしているようにしか見えないからな。


 そんな儀式の横を突っ切って、ネフェリーは鶏舎へと入っていく。

 すぐに出てきたネフェリーは、大切なものを運ぶように慎重に俺の目の前へと戻ってくる。


「ほら見て! こんなに立派な卵を産んだのよ!」


 ネフェリーの両手に載せられていたのは、産みたての卵だった。

 大きさも形も申し分ない、立派な卵だ。表面がざらざらしていて新鮮そうである。


「全部ヤシロのおかげ! これであの子たち……もっと生きられるよ…………」


 ネフェリーの目尻に涙が浮かぶ。

 嬉し涙というものは、女性を美しく見せるものだ。

 うっかりときめきそうにな…………ら、ないな。ニワトリ顔だと。


「ありがとう! ヤシロって、いい人ねっ!」


 うわぁ、そのセリフ、中学生くらいの頃に同級生の女の子に言われたかったなぁ……


「ねぇ。この技術、他の養鶏場にも教えてあげたいんだけど……ダメ、かな?」


 革新的な技術はそれだけで価値がある。

 特許があるかどうかは知らんが、権利を主張し……そうだな、例えば『廃鶏再生ギルド』でも作ってその技術の使用に料金を発生させることは可能だろう。

 だが……


「好きにしろ。それで卵が大量に手に入るなら、こっちとしてもありがたい」

「ありがとう、ヤシロッ! 大好きっ!」


 ネフェリーが感極まって俺に抱きついてくる。

 うわぁ、こういうの、中学生くらいの頃に同級生の女の子にやられたかったなぁ……


「あっ! い、今のは、人としてって意味であって、異性としてって意味じゃないんだからねっ!」


 ネフェリーが俺から離れ、慌てて弁解してくるが……うん、大丈夫大丈夫。誤解とかしないから。

 そんな赤い顔しないでくれるか。ボイルされてるみたいで冷や冷やするから。


「とにかく、すぐにみんなに知らせるね。それで、廃鶏になってたニワトリが産んだ卵は優先的に陽だまり亭に販売する。それでいい?」

「おぅ、上出来だ」

「みんな喜ぶだろうなぁ」


 そう言って、ネフェリーはにこにこ笑いながらくるりと体を回転させる。

 そして、両親のやっている不思議な踊りに参加し始めた。……だから、なんの儀式だよ、このニワトリ踊り。


「あぁ、そうそう」


 俺は一つ、『とても重要なこと』を忠告しておく。


「前に来た時も言ったが、生の米を与えるのはやめた方がいい。俺のいた国では、卵を産まなくなると言われていたからな」

「それには驚きだけど、ヤシロが言うなら信じるよ! それもみんなに伝えておく」


 随分と信用されたもんだ。

 …………しめしめ。


「ヤシロさん、なんだかとても嬉しそうですね」


 ジネットが俺を見てぷっくりと頬を膨らませる。

 あれ? ジネットに嬉しさが伝染していない?

 前に卵の話をしていた時はつられてにこにこしていたのにな。

 朝はテンション上がりにくいのだろうか?


「……ヤシロ」

「なんだ、マグダ?」

「……マグダ、可愛い?」

「……なんでこのタイミングで?」

「…………もう、いい」


 分からん。

 こいつは俺に何を言わせたいのだ…………なんか怖ぇよ。言質取られるみたいで。

 言わないようにしよう。


 そんなわけで、謎のニワトリ踊りを披露する不気味な養鶏場を後にし、俺たちは陽だまり亭へと戻った。

 徐々に空が白み始める。……教会の寄付の準備をしなければ。


 俺たちの朝はお大忙しなのだ。



「あぁー! マグダお姉ちゃんだー!」

「お姉ちゃーん!」


 教会に着くと、ガキどもが一斉にマグダに群がった。

 この数日で、マグダはすっかりガキどもの人気者になっていた。


「またアレやってー!」

「……了解」


 マグダは手近にいたガキんちょを掴むとぽーんと空へ放り上げた。

 そして、そばにいるガキどもを次々に高く放り投げていく。

 円を描くようにして放り投げては落下してきたガキをキャッチ、そしてまたポーンと放り投げる……という、お手玉のようなことをし始める。

 見ているこっちは冷や冷やものなのだが、これがなんとガキどもに大人気なのだ。

 マグダはマグダで、この程度の芸当は文字通り朝飯前らしく、また「お姉ちゃん」と呼ばれることがまんざらでもない様子で、ガキどもと率先して遊んでやっている。

 俺が相手せずに済んでホッとしたぜ。……毎朝、飯の前にガキどもの相手するのはマジで苦行以外の何ものでもないからな。


「やれやれ。すっかり子供たちを取られてしまったな」


 肩をすくめながら、エステラが俺の隣へやって来る。

 毎朝、こいつとはここで合流するのだ。


「少し前までは『エステラお姉ちゃん、エステラお姉ちゃん』と大人気だったんだけどね」

「あのぐらいのガキどもはパワフルな遊びが好きだからな。マグダのパワーには誰も敵わねぇよ」

「確かにね。それで、何か進展はあったのかい?」

「卵か?」

「そう。ジネットちゃんが嬉しそうにしていたからさ」

「お前の判断基準はいつもジネットだな」

「当然だろ。ボクはジネットちゃんの親友であり、ファンなんだから」

「なら、俺がジネットグッズでも作るから、お前買ってくれ」

「本人の許可がない非公式グッズはお断りだよ」

「スケスケのパンツでもか?」

「……それで喜ぶのは君だけだよ」


 朝から思いっきり渋い顔をされてしまった。


「ヤシロさん、エステラさん。おはようございます」


 教会のシスター、超絶美形のエルフ、ベルティーナだ。

 今日も神々しいぐらいに美しい。……ただし、怒らせると超怖い。


「ヤシロさん。今朝、何かあったのですか?」

「と、言いますと?」

「いえ……ジネットが……」


 ベルティーナは眉根を寄せ、不安そうな表情で息を漏らす。


「さっき厨房で『コケコケ』言いながら不思議な踊りを踊っていましたもので……」

「……あいつは何をやっているんだ?」

「それを、伺いたかったのですが……心当たりがないようですね」

「いや、心当たりはあるんですが……」


 おそらく、ネフェリー両親のニワトリ踊りだろう。

 あいつ何やってんだ? そんなに感銘を受けていたのか?


「なんでも、ヤシロさんは、ああいうのがお好きだとか……?」

「酷い誤解です、いや最早侮辱です。名誉棄損で訴えたい気分ですね」


 なんなのだろうか、ジネットによる俺へのこの鳥好きキャラの押しつけは。


「たぶん、さっき見たニワトリにでも影響されたんでしょう」


 あの儀式に魅入られて、何かよくないものが感染したとかじゃないことを切に願う。


 そして、ジネットお手製の朝食を教会の談話室で食う。

 食いながら、今朝養鶏場であったことをかいつまんでエステラに話してやった。


「しかし、上手くやったもんだね。卵の販売額は、きっと行商ギルドよりも安くしてくれるだろね」

「はっはっはっ! 受けた恩は盛大に返すがいい」

「しかも、行商ギルドに卸す卵の量が減らないとなれば、行商ギルドも強くは言ってこられない。相手をねじ伏せるような発想ばかりよく考えつくよね、まったく」

「『人を笑顔にする妙案』と言ってくれ」

「物は言いようだね」


 憎まれ口を叩きながらも、エステラは少し嬉しそうだった。


「なんにせよ、よかったじゃないか。君もたまには善行を積むんだってことが分かって、ボクは嬉しいよ」


 お前は俺の担任か何かか?

「先生、お前のこと信じてたぞ」って結果が出てからしか言わない、信用ならない教師みたいな発言をしやがる。

 俺の隣で爽やかに笑うな。対比で、まるで俺が爽やかじゃないように見えるだろうが。


 よし決めた。今日は意味もなく、必要以上に髪の毛を掻き上げ、存分に爽やかさをアピールしまくることにしよう。


「ヤシロさん。お食事中に髪の毛をいじっちゃ……ダ・メ・で・す・よ?」

「……はい。すみません」


 シスターベルティーナが笑顔で俺を窘める。

 ……凍りつくような冷たい笑顔で。


 この人、躾に関してはマジうるさいんだよな……




 教会への寄付を終えた俺たちは、俺の意向で少し遠回りをして帰ることにした。

『なんとなく』そうしたい気分だったのだ。


「朝のお散歩、楽しいですね。食堂がオープンすると、なかなか出来なくなりますからね」


 ジネットが満面の笑みを浮かべている。

 養鶏場ではちょっとご機嫌ななめのようだったが、すっかり機嫌が直ったようだ。

 マグダもいつものようにボーっとしてフラフラとした足取りながらも先頭を歩いているあたり、朝の散歩を楽しんでいるのかもしれない。


 と――

 特に当てもなく歩いていた俺たちは、とある農家の前で言い争いの声を耳にした。


「あれれぇ~? なんだか騒がしいぞぉ~? 何かあったのかなぁ?」

「……なんだい、そのわざとらしいセリフは?」


 エステラが俺のナチュラルな演技に眉を寄せる。

 まったく、これだから貧乳は……


 何か事件が起こりそうな時は、主人公が関係者をそちらに誘導するものだろうが。「殺人鬼と一緒になんかいられるか!」って言って出て行ったヤツが次の犠牲者になるのと同じくらい決まりきったことだろうに。


 ともあれ、俺の巧みな誘導に、俺たちは揃ってそちらに向かうことになった。

 そして、目撃する。


「ちょっ、待てくれよ! そりゃねぇだろ、旦那ぁ! なぁ! それじゃあ、これから俺らは……どうやって生きていけばいいんだよぉ!? なぁ、待ってくれってばよぉ!」


 爽やかな朝の時間に、悲痛な声を上げていたのは米農家のカモ人族・ホメロスだった。

 地面に四肢をつきうな垂れるホメロス。そんな彼を無視するように遠ざかっていくのは行商ギルドの人間と思われる。

 おそらく、『急に舞い込んだ異常事態に関連した決定事項』でも伝えに来たのだろう。


「何があったんでしょうか? お話を伺ってみましょう」


 心配そうにジネットがホメロスに駆け寄る。

 そして、蹲るホメロスに手を貸し、立たせてやっている。

 ホメロスは生まれたての小鹿のように足をふらつかせて辛うじて立ち上がった。

 ま、顔はカモなんだけどな。


「どうされたんですか? 顔が真っ青ですよ」


 俺には真っ茶色に見えるけどなぁ。


「あ……あんたは、確か……」

「陽だまり亭のジネットです。先日お邪魔させていただいた」

「あ、あぁ……そうか……いや、すまねぇな……こんな、無様なところを見せちまって…………」

「そんなこと……それより、何か問題でもあったんですか?」

「うぅ…………っ!」

「ホメロスさん!?」


 ジネットの言葉に、ホメロスは顔を覆い、泣き始めてしまった。

 おろおろとするジネット。

 マグダもジッとホメロスを見つめている。


「……実は…………さっき行商ギルドの商人がやって来て……もう、うちの米は買えないと……」

「えぇっ!?」


 ななな、なんだってー!

 ――という表情を、ジネットはしている。


「どうしてですか? だって、先日までは品薄なくらいだと……」

「それが……ウチの米は、主に鳥のエサ用に買い取られていたんだが……養鶏場の連中が全員、今後米は買わないと言い出したって…………」

「え………………」


 ジネットの顔色が急速に悪くなっていく。

 そして、錆付いたカラクリ人形のようなぎこちない動きで、ゆ~っくりと俺の方へ視線を向ける。

 マグダとエステラも、俺をジッと見つめる。


 あんまり見ちゃ、いやん。


「だから、今後は、食糧担当の商人に売る分だけでいいって…………けど、米を食べる人間なんてほとんどいねぇし…………これじゃあ稲作ギルドは崩壊……いや、壊滅……いやいや、消滅しちまう…………身の破滅だ……俺ぁ……もう、おしまいだぁ…………」


 膝の力が限界に達したのか、ホメロスは再び地面へとくずおれた。

 今回は、ジネットも助け起こさなかった。そんな余力が、ジネットにもないのだろう。


 しょうがないなぁ、まったく。


「ミスターホメロス」


 俺は、地面に蹲り背を丸めるホメロスの肩に手を載せる。

 そして、慈悲の心をもって救済の手を差し伸べる。


「大量に余ったその米……俺たちゴミ回収ギルドが引き受けてやってもいいぞ?」

「……え…………あんた……」

「『ゴミ』という呼び名を採用しているが、他のギルドから仕入れている物も商品としてなんら見劣りのしない一級品ばかりだ。お前の米の名が汚されることなんかない。むしろ、ここの米ならウチで一番のブランド品になるかもしれない。『やっぱりホメロスの米は凄い』と、世間が認識するんだ」

「……俺の米を…………認めてくれるのか?」


 地面についていた泥だらけの手で、すがりつくように俺の左手を握ってくる。両手で包み込むように、しっかりと。

 俺はその両手の上に、右手を載せ包み込んでやる。


「俺は、『最初から』あんたの米が欲しいと言っていただろ?」

「あ…………あぁ…………っ……す、すまなかった……この前は、酷い態度を……なのに、あんたは………………俺は、恥ずかしい……」

「気にすんなよ。誰だって自分の大切なものを得体の知れないヤツに預けるのは躊躇うものさ。それに、信用ってのは一朝一夕で得られるものじゃないってことも、俺たちは理解している。あんたを責めるつもりはねぇよ」

「……あんた………………いい人だな」


 むふ。

 そう思う?

 本当にそう思うの?

 むふふふ……


「じゃあ、ここの米を俺たちに売ってくれるか?」

「あぁ! もちろんだ! 行商ギルドに一度いらねぇと言われちまった米だ。あんたになら格安で譲ってやるぜ!」

「それは助かる。今後とも、末永くよろしくな」

「こちらこそだ!」


 俺とホメロスは握り合った手を、もう一度ギュッと握りしめ、それをもって契約の握手とした。


 こうして、陽だまり亭には安定して米が供給されることになったのだ。

 新米、食べ放題だ!

 わっほ~い!


 物語はハッピーエンドを迎え、俺たちは意気揚々と帰路についた。


 ホメロスの農園を離れ、陽だまり亭が近くなったところでエステラが俺に声をかけてきた。


「これを狙っていたね?」


 振り返ると、なんともジトッとした目が俺を見ていた。


「なんの話だ?」

「養鶏場に親切に相談に乗ったのも、技術を無償提供したのも、みんなこのための伏線だったんだね!」

「何を怒っているんだ? ネフェリーたちは愛するニワトリを処分せずに済み、卵の生産量が上がった。ホメロスにしたって、売却先が行商ギルドからゴミ回収ギルドに変更になっただけだ。それも、自分の作る米の名も汚されず、自尊心も傷付かない平和的な幕引きだったじゃないか。誰かが不利益を被っているか?」

「……確かに、誰も不利益は被っていないけれど…………君が得をしている」

「そこはほら……日頃の行いがいいから?」

「……今の発言、精霊神はどう判断するだろうね?」


 きっと諸手を挙げて「そうだそうだ」と賛同するさ。

 幸運は、人徳の高い人間のもとへ自然と舞い込んでくるものだからな。


「えっと……確認なんですが……」


 控えめに挙手をして、ジネットが不安げな表情で尋ねてくる。


「今回の一件は…………誰も不幸にはなっていない……ん、です、よね?」

「もちろんだ」


 ニワトリの飯を俺が取り上げただけだからな。

 まぁしいて言えば、ホメロスの収入がほんの少しだけ減ったかな。

 でもまぁ、ゼロになるところを救われたのだ。万々歳だろう。


 しかもだ。

 現状では主に『鳥のエサ』としてしか出回っていない米だが、その認識がいかに愚かなことか、俺の力をもってすれば必ずや思い知らせてやれる。

 米の可能性と有用性をアピールし、このオールブルーム内でなくてはならない代物に成り上がらせるのだ。現在主役の座を独占しているパンを脅かすほどの存在にな。

 需要が増せば価値が上がる。そうなれば、一度落ち込んだ収入分などあっという間に取り戻せる。

 何事も、長期的な視野を持つことが重要だ。故に、今は莫大な利益を得るための潜伏期間だと捉えればいい。

 そして、耐え忍んだ先に待っているのは、輝かしい未来。

 それを思えば、ホメロスが不満を述べる余地など何一つない。


「……では、めでたしめでたし……ということで……?」

「問題ない」


 俺はきっぱりと言い切り、そのタイミングでたどり着いた陽だまり亭へと入っていく。

 うむ。実にいい商談だった。

 米に卵。

 当初の予定通り確保完了だ。


「……どうしてだろうね。ヤシロを素直に褒めたくない気分なのは……」

「不思議ですが…………でも、ヤシロさんはみなさんのために頑張ってくださったんですよね?」

「……自分のため」


 ドアの向こうで三人娘のそんな会話が聞こえてきたが、俺はそれらをさらりと無視することにした。






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