偽りの狂人と怪奇の変人
くるい
殺人逢魔編
プロローグ
一 失ったのは
その者は人を殺した感触を、覚えている。二つの生き物が背を押されて階段から転げ落ち、生を失ったその姿を、知っている。
その背はどちらも温かかった。人の身体が生を帯びていたことを実感させる、確かな体温だった。
「これで終わり」
その死体を見下し、ぴくりとも動かない首筋を撫でる。まだ生暖かく、それはもうただの物質に成り下がっている。
「君は確かに上手くやっていた。その仮面に張り付けられた笑顔は世の中を渡る方法としては充分過ぎた。――でも、ツメが甘かったんだ」
無感情な人差し指は首筋から背中へ、そこから地に流れる赤い液体へ移動する。びちゃり。そちらはもう冷たく、アスファルトにこびりついている。
「裏の顔を多用し過ぎて、遂に僕は我慢が出来なくなってしまった。君は道を踏み外したんだよ」
血溜まりの中央。赤黒く変色した茶髪。それに隠れる蒼白の顔面は、死んでも尚美少年と呼べる顔付きだ。それを小突き、一度眉をしかめる。
人を殺した。
その喪失感も、達成感も、何もない。あるのはただ、人が死んだという事実のみだ。
「オ、マエ、は――」
蚊の泣く声がして、そちらに視線を預ける。死に物狂いで声を上げたその人物は、血まみれで大地に伏していた。こっちは女だ。無機質なその者を見やる目に生気は感じられず、虚ろな瞳は今にも崩れ落ちそうで。
そちらの半死体に興味などなかった。
「さようなら」
だから、次に喋ることができないように、後頭部に踵を振り落とす。ぐちゃりと顔面が潰れ、次に言葉を発する人は居なくなった。
「そうか、そんなことで、人は死ぬのか」
天から降った桜の花弁が、赤い血で彩られていく。
季節は春。今日はとある中学の卒業式の帰り道。めでたい日だ。心の膿が二つも取れた、めでたい日であった。
「ふむ」
思案げに首を傾げたその者は、それ以上の反応を示さずにそこから消えて行く。
これが、その者――とある中学で卒業を迎えた村雲翼の、一日だった。
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