第40話 僕が9ボルト(5)

「ひーろー、さん、じょう!!」

 口と目が見えるように穴を開けたゴミ袋をかぶった友人を前に、少年はポーズを取って飛び蹴りを放つ。

「やーらーれーたー!!」

 飛び蹴りは外れたものの、友人は教室の床に倒れる。

「ワッハッハ」わざとらしい笑いの後に「悪いことはこうきマンが許さない!!」

 飛び蹴りを放った少年は言い放つ。

 光輝の幼き日の光景だった。

 その光景は突然フェードアウトし、寝台の上で目を覚ます。

 懐かしい夢だった、と思いつつも光輝は時計の時間を確認する。

 八月三十一日。夏休み最後の日、光輝が目を覚ましたのは午前八時だった。久しぶりにそんな時間に起きた気がする。ヒーローだったときは毎日六時には起きて出勤していたのに。

 光輝のヒーロー生活は呆気なく終わった。

 〈i-am〉の電源をつけると、着信履歴がたくさん溜まっていた。一番多いのは次郎花で次は桜花、寧色、グレイスと続く。伴からの着信はひとつもなかった。

 履歴を確認し終わるのと同時に伴から電話がかかってきた。

 昨日今日合わせて初めての電話だった。

 寝たせいか、少しだけ気持ちが落ち着いた光輝は、そこでようやく<i-am>の通話ボタンを押した。

「もしもし」

『グワハハハハ、吾妻ックス! 昨日ぶりだな!』

 何時だろうと元気に溢れている伴の声は、今の光輝には少し煩わしい。

「何の用ですか?」

『昨日の侵攻作戦は見事に失敗した』

 何のイヤミだ、と思ってしまったが、伴は何も考えずに喋っている可能性のほうが高いと思い直す。

「それがどうかしたんですか?」

『だから、今日も攻めるぞ! 二日連続で攻めるとは相手も思わんだろ? 今日は移動基地を使って、全員に全面的にフォローしてもらうことにした』

 移動基地というお初な言葉に驚きつつも、その驚きをひた隠しにして、光輝は言う。

「そんなこと言われても僕には関係ないことです」

 もう、ヒーローじゃないから、と続けようとしたけれど、なぜだかそれは言いたくなかった。

『どうしてだ?』

 本当に分かってないのか、わざとなのか、伴は尋ねてくる。

「それは僕が……もうヒーローじゃないからです」

 それだけ言って切った。

 伴のことだから自分がヒーローの契約が昨日で切れたことを忘れているのだろう。寧色や次郎花は昨日の今日だから気を利かせて、伴に光輝の契約が切れていることを言ってないのかもしれない。

 だから伴は今日、電話してきたのだろう。

 もう一度、電話がかかってくるかもしれないと少しだけ<i-am>を見つめたが、電話がかかってくる様子はなかった。

 寝台から立ち上がり、習慣のようにテレビをつける。一人暮らしするときに初めて買ってから使い続けている少し型の古いテレビだった。

 ヒーローが見たいという理由だけで買ったものだ。

 テレビをつけるとローカルニュースが流れる。

『この時間は番組の内容を変えてお送りさせていただきます』

 冷蔵庫からジュースを取り出して寝台に腰をかける。

 アナウンサーが変更を詫びてお辞儀し、

『弓山市の悪の組織〈奇機怪械〉が町中に溢れ、カンデンヂャーが対応に追われています。こうなった原因を昨日行われたカンデンヂャーの侵攻作戦にあるとヒーロー評論家である真加教授は分析しておられます』

 そう言った瞬間、光輝の目は釘付けになる。

『ええ、その通りじゃ』

 アナウンサーの右に座る立派な白眉を持ったおじいさんがズームで映る。それがどうやら真加教授らしい。

『彼らが昨日、敵の本拠地を攻めたのは、夕刻から流れ出した映像を見た人はご存知だと思うが……』

 そう言うと画面が切り替わり、昨日、まざまざと見せつけられた動画が流れ、光輝は思わず目をそらす。

『カンデンヂャーの作戦は失敗し彼らは退却したわけだが、それによって悪の組織は報復のように侵攻を始めたのじゃ』

 真加教授は高らかに発言する。

『つまり今、この市に迷惑をかけているのはカンデンヂャーということじゃな。ヒーローともあろうものが、まったくけしからん』

 まるでカンデンヂャーが悪と言わんばかりの口ぶりに、もう無関係のはずなのに

 ――なんなんだ、この真加教授とかいうじいさんは!

 腹が立った光輝は、自分が感じたことに何か突っかかりを覚えた。

 しばらくテレビ画面を見つめて、それが何なのか気づく。

 真加という名前だ。確か〈奇機怪械〉の本拠地は真加家ではなかったか。

 ということは、こいつは、その関係者。関係者が率先して自分たちの都合が良いように情報を流布しているのだ。

 ――たぶん、桃山さんたちも抗議してる。

 そう考えてから、ふと思ってしまう。そうだ、もう僕はヒーローじゃない。何もできないじゃないか。

 だから立ち上がろうとしていた腰をもう一度降ろす。

『それでは最後に今の被害状況です』

 アナウンサーがそう言うと弓山市の地図が表示される。

 機人の出現位置が表示される。現在は弓山市の三箇所に機人は出現していた。

 けれどそれを見ても光輝は動かない。

 ――僕はもうヒーローじゃない。

 ――一般人だから出入り規制に従い、家に引きこもっていればいい。

 ――それでいい。

 思うたびに胸がちくりと痛んだが、気のせいだと思い込む。

 ――何もしなくていいんだ。

 ――僕はもう一般人だから。

 ――ずっとここにいればいい。

 光輝はその被害状況を見ながら、思考を放棄してずっと座り込んでいた。

 そんなとき、光輝の〈i-am〉が鳴り響く。

 けれどたぶん、電光基地の誰かだろう。そんなことを思って、誰からか確かめることもなくずっと放置していた。

 いつか鳴りやむ。

 そう思っていた光輝だったが、電話の音は鳴りやまない。

 ――なんだよ、もう。

 鳴りやまない電話に嫌気が差して、誰からのものか確かめることもせずにボタンを押して耳に当てる。

 すると聞こえてきたのは

『あんた、今どこにいんの?』

 桜花の声だった。

「家、だけど?」

『はぁ? なんでよ?』

 信じられないと言わんばかりに声を荒げる桜花。直後、遠くで悲鳴のようなものが聞こえたような気がした。

「なんでってヒーローの契約は昨日で切れたから。僕はもうヒーローじゃない」

『それ、本当?』

「本当だよ。キミにも確かそう説明したよ」

『……そうだっけ?』

「……そうだよ」

 話を聞いてなかったのかよ、と呆れつつも、どことなく桜花が泣き声なのに気づく。

「で、何の用?」

 けれどそれを知らんぷりして、用件を尋ねる。

『<奇機怪械>が学校に来てるから助けて欲しいの』

「にしてはよく電話できたね」

『……友達が助けてくれたのよ。それでこうしてあんたに電話してるわけ』

「けどそれは無理だよ。もう一度言うけど、僕はもうヒーローじゃないんだ。それに僕がヒーローじゃなかったらキミは僕に助けを求めなかっただろ?」

 卑屈のように光輝は言い放つ。

 その言葉で桜花は言葉に詰まる。確かにほとんどその通りだからだ。

『……そんなことはないわ。私はあんたに助けて欲しい』

 桜花はためらいながらも、そう告げた。

「だから、もう僕はヒーローじゃない」

 聞き分けの悪いこどもと会話しているようで光輝は徐々にイラついてくる。

『ヒーローだとかそういうの関係ないの。私はあんたに助けて欲しいのよ』

「……どうして? 僕はヒーローじゃない、もう誰も人を救えない」

『救えるわよ』

「なに、適当なことを言ってんだよ」

 根拠のない言葉に光輝は苛立ちを隠せない。

『適当なことじゃないわ。根拠ならある』

 確かな物言いに光輝は黙ったまま耳を傾ける。

『あんたはカンデンヂャーになる前から私たちのヒーローだったじゃない。悪いことはこうきマンが許さない、んでしょ? 高校になってからなりを潜めちゃったけど』

 今思えば、桜花とは小、中、と同じ学校だった。

 とはいえ桜花は今と比べてとてもおとなしい子で、光輝の印象には残らなかった。

 対して光輝は今よりも活発で、ヒーローごっこをしたりやっかいごとに突っ込んだり、妙な正義感を持っていた。

 今日夢で見たヒーローごっこも光輝の活発ぶりと、正義感を象徴している。あの頃はヒーロー役を決して譲らなかったし、下校途中の家の番犬ポチが吼えるのをみんなから庇ったりしていた。

 そういえば、あの犬に吼えられてよく泣いていたのは――桜花だった。

 桜花が急に大人びてきて高嶺の花だと感じるようになってから距離を置き始めていたが、昔はよく守っていたことを思い出した。

『……だからあんたがカンデンヂャーになってて驚いたし感動したわ。なんだ、私たちのヒーローはまだいるじゃん、って』

「……」

 光輝はいまだ黙って桜花の言葉を聞いていた。

 ――僕は今でも、ヒーローを名乗っていいのか。

 けれど心情は諦念から変わりつつあった。

『それから私の妹を助けてくれたりとか、……そうそう私自身もあんたの戦い見て、ますます嬉しくなったの。私たちが憧れたヒーローに戻ってくれたって思ったから。それにあんたが昔、私たちに言った言葉、覚えてる?』

「僕が言った言葉?」

 しばし考えて、光輝は「あっ」と思い出す。

『「僕が何度だって助けてやる」』

 光輝と桜花が声を合わせて言ったのは、光輝が幼少の頃、口癖のように言っていた言葉。

 それを聞いて、光輝は忘れていた気持ちを思い出す。

 ――僕はヒーローだった。

 ――ヒーローになる前からずっと、ヒーローだった。

『だからさ、助けてよ。ヒーロー!』

 桜花が改めて助けを求める。

「わかった。少し遅れるけど、それまで待ってて」

 言って、光輝はすぐにアパートを飛び出した。

 光輝の走る速度は常人よりも速く、そして早くなっていた。

 それは一ヶ月スーツを着てセミオートによる最適化を見てきた影響だろう。着ていなくても、どう走れば早く走れるかがもう感覚的に分かるようになっていた。

 スーツを着るのをやめて初めて感じた思わぬ恩恵に光輝は驚きつつも、出入り規制によって人気の少なくなった道路をひたすら走った。

 目指すは電光基地だ。

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