第32話 悩んで、紅(5)

「くそっ、なんなのよ。あいつ!」

 基地に戻るなり、寧色は司令室のゴミ箱を蹴飛ばした。司令室のすみに置かれた灰色のそれから黒ずんだバナナの皮や紙くずが零れた。

「腹が立つ、腹が立つ、腹が立つっ!」

「落ち着きなよ」

「落ち着いてられないわよ。なんで今日に限ってあのデブ、拳なんかで戦ってるのよ。いつも通り戦ってれば勝てない相手じゃなかったわ!」

 伴本人がすぐさまどこかに――おそらく階下のジムに行ってしまったため、大声を張り上げた寧色は宥める次郎花にあたる。グレイスは保全部の赤銅に後処理をお願いするため、司令室のある三階ではなく、保全部がある四階にいるため、この場にはいなかった。

「確かに今日の伴は変だった」

「でしょ。なのになんであんたはそんなに平然としてられるのよ」

「と言われてもボクはあまりそういうの気にならないからなあ」

「いや、気にしなさいよ。いっつもと違うとやりにくいったらありゃしない」

「でもパターン化しちゃうと敵もわかっちゃうよ。今日の寧色の必殺技もそれで避けられたのかもしれない」

「それは……」

 それについては寧色も何も言えなかった。ブリッツシュラークは横投げすることもできるが、その場合避けられたら余計な被害が出るかもしれない。それを鑑みていつも空中から放っていた。それを分析されていたら避けられて当然だ。

「でも、伴がハンマーを使わなかったのとそれは関係ない。なんで……あいつ……」

 寧色の納得がいかないのも当然だろう。ここ最近のカンデンヂャーは苦戦もすることなく、スムーズに戦えていた。なのに伴がハンマーを使うのをやめた途端、今までの連携が嘘のように崩れた。

 いわゆる爽快感を覚えていた寧色にとって、それが不快感になったのが嫌なのだ。

「それには……おそらく原因がある」

 成り行きを見ようと今まで黙って見ていた桃山が雲行きが怪しくなったのを見てついに口を出す。

「原因ってなんですか?」

 寧色と次郎花の言い争いに、しどろもどろになっていた光輝が困り顔で尋ねる。

「あれだ」

 桃山は三人のほうに近づいてゴミ箱から散乱したあるものを指さす。

「バナナの皮が原因ってわけ?」

 寧色が黒ずんだバナナの皮を親指とひとさし指だけで抓む。

「いや、待て。あの時はそれで転んでなかったか……」

 記憶を思い出すように桃色はめがねの位置を中指で戻す。

「はあ? どういうことよ!」

「落ち着け、古賀。バナナの皮を投げるな! そして私の白衣で手を拭くな」

「うっさい! いいから原因はなんなのよ!」

「あれは昨日だったか……縁が転んで苦情の資料が撒き散らされた」

 桃山はそう言って昨日起こったことを語り始めた。

 それを聞いて光輝は少なからずショックを受ける。

 伴はそういうものも跳ね除けてしまうと思っていたが、案外脆いメンタルだったようだ。

「伴が見た苦情は主に破壊に関するものだ。とはいえ、壊れた塀や壁はきちんと修繕費を出している。なのに苦情が出たのは、そもそも壊すんじゃないということだ。何も壊さず、何も傷つけず、誰にも迷惑をかけず、機人を倒せということらしい」

「そんなの無理に決まってる」

 光輝の呟きに寧色も次郎花もうなづく。機人が暴れる以上、そもそも被害が出るのだ。被害なく倒せなんてのは無茶すぎる。だからこそクレームではなく苦情で処理されているのだろうが。

「今日の機人に対する戦闘に対しても既に苦情が来ている。どうやら同じ人みたいだ」

 どうしたもんかね、と桃山は愚痴をこぼした。

 あまりにも理不尽すぎる苦情に光輝は拳を握り締め、階段のほうへと走り出した。

「光輝っ!」

 おそらく伴のもとに行ったのだろう光輝を呼び止めようと声をかけた次郎花だが、光輝はとまらない。

 仕方なく次郎花はそのあとを追う。

「そういえば転んだ本人はどこにいるのよ?」

「おいおい、怒るとかはやめてくれよ、本人に悪気はないんだから」

「分かってるわよ。そういえば見当たらないなって思っただけ」

「んっ? そういえば……どこに行った? 仕事もほったらかしで!」

 桃山は司令室を見渡したが、縁の姿はどこにもなかった。



「これか……」

「そうですぅ」

 伴はジムのベンチに座って渡された資料に目を通した。

 そこに書かれた苦情、苦情、苦情の三重苦。見れば見るほど胸に重くのしかかる。

 見てもへこむだけだと分かっていても、伴は昨日、そういうものがあると知ってからついつい見てしまう。

 今日もジムへ行ってから、縁にこっそり連絡して今日の苦情を持ってきてもらった。戦闘が終わってからそんなに時間が経っていないにも関わらず、資料はA4の用紙に六枚ほどあった。

 壊すな、という苦情を守ろうと素手で戦ったにも関わらず、今日は戦闘が長いという苦情があった。破壊を極力減らそうとすればどうしても時間がかかる。

 ――いったい、どうすればいいというのだ!

 伴は悩む。ヒーローになって今年で五年。それまで伴は悩んだことはなかった。

 市民を守る、それだけを考えて伴は戦ってきた。

 苦情などというものがあるとは思いもしなかった。それはきっと伴の目に触れないように白香がきちんと対処してきたのだ、と思い知った。白香は本当に縁の下の力持ちだった。

 縁も頑張っているがまだ新任。そういう気配りができなかったに違いない。

 なんであれ伴は知ってしまった。自分の戦いに、信念に苦情があったことを。

 だから悩む。苦情をなくすためにはどうすればいいのか。

「グワハハ……ありがとう。資料を持って帰ってくれ」

 軽く笑って伴は縁に資料を渡す。

 その光景を光輝は見てしまった。

「縁さん、もしかして、その資料……」

「はううぅ。これは……えっとその……」

 それがおそらく苦情の資料だと気づいて光輝は軽く縁を睨みつけていた。

「ええと……その……」

 そこに次郎花が追いつく。

「吾妻ックス。それはオレ様が見せろと言ったのだ。縁はそれを持ってきたに過ぎんよ」

 それは嘘のようには聞こえなかった。光輝が睨みつけるのをやめると縁は気まずそうに目を伏せる。

「なんで、見たんですか?」

「それが問題点だからだ」

「壊さずに、とか、迷惑にならないように、とかそんなの不可能じゃないですか」

「ヒーローとナポレオンの辞書に不可能はない。住民がこれをやめろ、あれをやめろというのなら、それに従うまでだ」

「それは違うと思います。そんなことに従っていたら……」

「従っていたら、なんだ? 市民の平穏を脅かさず機人が倒せるのが一番の理想だろ。この苦情はその理想を求めている。だったらオレ様はそれを追い求めたい」

「僕はここに入るまで職業ヒーローと特撮ヒーローに大差はないと思ってました。けど、こうやって働いてみて大違いだってわかりました」

「だろうな。オレ様だって特撮ヒーローに憧れて入ったクチだ。違いだってわかってる。だからこそ理想に近づけたいと思うのは当然だろう」

 こういう苦情があればなおさらだ、と伴は縁の資料を指す。

 伴は自分の理想に近づけたい、そう思っていた。

 苦情を知るまではその理想に近づいている。そう思っていた。

 でも苦情があることを知ってしまってその理想から随分と遠ざかった。

 理想に近づけるにはどうすればいいか。

 考えた末に苦情の内容をなくす努力をすればいいと思い立った。

 それが拳による戦闘だったが今度は違う苦情が出てきた。

 次はそれをなくなさければならないが、また違う苦情が出てきそうな予感がしてならない。

 理想はどんどん遠のいていく。そもそも自分の理想さえもわからなくなっていく。

「でも……」

 伴に何を言っても通じないような気がした。それでも光輝は引き下がろうとしない。

「光輝」

 それを引き止めたのは次郎花だ。自分や寧色の抱えてきた問題に首を突っ込んできた光輝が伴の問題にも突っ込みたい気持ちがあるのを理解したうえで。

「たぶん、こればっかりは伴しか解決できないんだと思うよ」

「けど……」

「キミらは変なところで似てるよ。ヒーローに理想を求めてる部分とか割り切ろうとしている部分とか、あと頑固な部分とか」

 そんなふたりが言い争っても結論は出ない、と言わんばかりの次郎花。

「だからこの件に光輝は不干渉。伴がひとりで悩んで決めるんだ。悩んだことのない伴にはたまにはそういう時期が必要だよ」

 そう言って次郎花は光輝の腕を引っ張り、階段へと押しやる。

「縁さんも司令室に戻りなよ。桃山さんが困ってるよ」

 怒ってるよ、と言わないところが次郎花の優しさだろうか。

「あわわ……大変ですぅ!」

 縁は転びそうになりながらも、階段を駆け上がる。

「光輝、割り切れないのはわかってるけど、司令室に戻っといて」

 階段から様子を窺っていた光輝の気配を感じて次郎花は言い放つ。

 光輝はその言葉に含まれた怒気を感じ取って、おとなしく司令室へと戻っていった。

「伴」

「なんだ? お前もオレ様にとやかく言うつもりか?」

「とやかくは言うつもりはないよ。言いたいのはたったひとつだけ」

 次郎花は伴の顔を見ていたが、伴は顔を伏せて決して次郎花と視線を合わせようとしない。

「残酷かもしれないけど、少数派の意見は切り捨てるべきだと思うよ」

「どういう意味だ?」

「わからないなら別にいい」

 次郎花は伴と違い理想が叶っている。カッコいいヒーローでありたい、という理想が。

 次郎花はその理想をわかってくれている人たちの理想であり続けるために、自分の理想をわからない人たちの意見は切り捨てることができていた。

 そういうことを伴もすればいい、と次郎花は言っているのだ。

 伴も実はそれをわかっているのかもしれない。けれど割り切れない。伴の理想は大きすぎるのだ。だから答えを見出せずにいる。

 無言で何かを考え出した伴を見て、次郎花は何も言わなかった。

 どうするのかは、伴が決めることだ。

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