第31話 悩んで、紅(4)

 それから三日間、ヒーローにはにつかわしくないような平凡な日常が流れた。

 安寧の日々。

 <奇機怪械>の機人は三日間、姿を現さなかった。

 その初日、いつものように司令室で待機していた光輝は縁がドジっ子であることを知る。

 縁はバナナの皮で滑ってこけた。

 それでお盆に乗せていたお茶をひっくり返して桃山部長の頭にかけた。

 ただ、この件に関してはきちんとゴミ箱にバナナの皮を捨てなかった伴が全ての原因だったので、伴は減給を言い渡されていた。本人は「グワハハハ!」と笑うだけで反省は見せなかったが。

 一回ならまだしも、その日だけで数回ドジは繰り返された。コーヒーをこぼさずに持ってきたと思ったら砂糖と小麦粉を間違えていたり。「塩ならともかく、なぜ小麦粉を間違えるっ!」という桃山部長の嘆きは印象深い。

 ただ小動物のような顔を歪ませて泣きそうになるので、桃山部長もそこまでは怒れないでいた。

 二日目は「プールに行こう」と次郎花に誘われた。初日に機人が来なかったこともあり光輝は承諾したが、プールはプールでもそれは次郎花の実家、青葉幼稚園のプールだった。次郎花の競泳水着姿が見れたのはある意味眼福だったが、水深が低いプールなので大して泳ぐこともできず、挙句に頼明他保育園児に怪人の役を押しつけられたので、むしろ機人と戦うよりも疲弊してしまった。

 三日目はどこからか次郎花と遊んだという情報を聞きつけて寧色の買い物に付き合わされた。ついでに弟がサッカー部のマネージャーとでかけた云々という愚痴を聞かされて、マネージャーが桜花の妹だと知っている光輝はなにやら嫌な予感がして、案の定、夕方に桜花から妹が男とでかけた云々という愚痴を聞かされるという二重苦にあった。

 けれどそんな小休止のような三日間は嵐の前の静けさに他ならなかった。



「きゃあ!」

 翌朝、悲鳴とともに事件は起こった。

 転んだのは三日間でドジっ子の地位を確立させた縁。たくさんの書類を持って歩いていたのだが、何もないところでけつまづいてしまったのだ。何もないところでけつまづけるのがドジっ子クオリティともいえる。

「グワハハハ! 大丈夫か」

 そう言って、伴は倒れゆく縁を支えた。

「ありがとうございますぅ」

 とはいえ、縁の持っていた資料は無事とはいかず雪崩のように散らばった。

「おいおいおい……」

 桃山がそれに気づき、駆け寄って散らばった資料を拾い始める。続いて伴もしゃがんでその資料を集め始めた。

 桃山はさなか、資料に目を通していたが、内容を見て顔が青ざめ、思わず言ってしまった。

「待て待て、伴は見るんじゃないっ!」

 けれどそれがだめだった。

「どうした?」

 見るなと言われたら見てしまうのが人の心理。

 伴はそのまま資料に目を落とした。

 最近の戦闘、つまりは給湯機人チャチャイレーロと無線機人B・B・トバッスとの戦いにおける苦情を。それもマンガンレッドに対する。つまりは伴の苦情を。

 芸能人が掲示板に書き込まれた自分の芸風に対する評価や悪口を見てしまい、落ち込みつつも最後まで読んでしまうということを聞いたことはないだろうか。

 伴はまさにその状態、書かれていることが苦情だとしてもそのまますらすらと読んでしまった。

 拾った資料を一枚、二枚とお菊が皿を数えるようにめくっていく。

「それ以上見るな」

 今更遅いかもしれないがそれでも桃山は伴の手から資料を奪う。縁は未だに資料を拾っていたが、拾う際に散らばる資料に足を取られ、再び転び、またもや資料を散乱させる。

「気にするな」

 ため息をついた桃山は伴に言った。いやそれしか言えないだろう。

 苦情というのはクレームと違い、よりよくしてほしいがための訴えではない。純粋に自分が不満に思ったから文句を言っているようなものだ。

 人間、それほど満足には動けないのだから、苦情を気にしたってしょうがない。

「こういうのはこの間の戦闘だけではないんだろ?」

 その苦情を見て、鋭い伴は気づいてしまった。苦情が、先の戦いだけではなく今までの戦いでもあっただろうことを。

「答えろっ!!」

 なかなか言い出さない桃山部長の襟元をつかみ、伴は咆える。

「ああ」

 伴の怒声に驚きながら桃山部長は答えてしまう。

「やはり……そうか……」

 先ほどとは違って伴は腰が抜けたようにゆっくりと桃山を下ろした。

「今までは白香さんが整理して運んでいたから、縁に引き継がせたんだが・・・・・・ドジっ子でも大丈夫だと思った私の責任だ。すまない」

 白香が辞めた弊害がこんなところに現れるなどと桃山は思ってもみなかった。八兵衛なみにうっかりしていたと言える。

 白香が完璧すぎたせいで桃山にとって盲点になっていたのだろう。

「いや、いい」

 桃山の詫びに反応した伴の声には明らかに元気がなかった。

「本当に、大丈夫か?」

「ああ。大丈夫だ。問題ない」

 心配する桃山をよそにふらふらと伴は階段をくだっていく。ジムで運動することで忘れようと思っているのかもしれない。

 けれどその姿は桃山の目には大丈夫そうには思えなかった。

「よすがぁああ! なんで細心の注意を払わないんだっ!」

 伴の姿が消えると、やつあたりのように桃山は縁を叱る。

「ふぇえええん、すみませぇええん」

 涙目で謝る縁は資料を集めては転ぶを繰り返している。

「もういい、私がやっておく」

 エンドレスな夏休みのような、終わりそうもない光景を前に桃山は再びため息をついた。



「スタンブレイドっ!」

 L.E.D.から顕現したスタンブレイドをすぐさま振りかぶった9Vスパークだったが、機人は屈んでそれを回避する。

 屈んだ姿勢から機人はラジカセでできた腕を上げ、9Vスパークを叩き上げる。

 9Vスパークは自らの腕を盾にして防御するも、その衝撃で態勢が傾く。その間に機人は間合いを詰め、追撃の重く早い蹴りが右、左と襲いかかる。右蹴りを防御した9Vスパークは左蹴りも避けようとするが、避けきれずマスクを掠めた。

 今までと比べて強い、9Vスパークは素直にそう感じていた。

 おそらく三日間、機人が現れなかったのはこの機人を作り出していたからだろう。

 その光輝の推測は実は正解で、〈奇機怪械〉が作り出したこの機人、音響機人ラジカ・セレコは今までの機人と比べて出来が違った。

『このへんで濃いお茶が一番怖い』

『つまり答えはx=6となるわけです』

『みんなー、ジオメトリック少年ボーイのライブに来てくれてありがとなー!』

『ザーザーザー』

 ラジカ・セレコの四肢であるラジオから異なる番組の音が聞こえてくる。

 落語に、数学に、アイドルヒーローユニットのライブ、周波数の合ってないチャンネルとその音は様々だが、四つ同時に流れているため、かなり耳障りだ。しかもその不協和音は顔にあたるスピーカーに増幅されて騒音と化している。

 夕刻、エマージェンシーコールが鳴り響き出動したカンデンヂャーの四人はそんな騒音のさなか、ラジカ・セレコと対峙していた。

 戦っている場所はマンションの密集地。一刻も早く倒さねばマンションの住民が騒音に苦しむ。そんなことは分かっているのだが、どうにもマンガンレッドが変だ。

「どうして、武器出さないのよ」

 エクレールランスの三連撃でガレージを跳ね除けたイエローがレッドに叫ぶ。

「グワハハ! こんな敵、素手で十分だっ!」

 そんなことを言うレッドにイエローもブルーも違和感を拭えない。

 ガレージだろうが機人だろうがレッドはいつも自慢のハンマーを振り回して敵を倒してきた。だからこそ烏合の衆であれ、数だけは多いガレージを一瞬にして葬れていたわけだが、今回は違う。大勢を数分で倒すはずのレッドがいつもとは違う戦い方をするせいで、ガレージを倒すのに時間がかかってしまう。

 9Vスパークをラジカ・セレコのもとに先行させたのはいいものの、ラジカ・セレコは以前の機人よりも機敏で、電流の刃がなかなか当たらない。ふたりがかり、三人がかりとなればもう少し楽かもしれないが、レッドが戦い方を変えたせいで、なかなかコンビネーションが合わず、ブルーやイエローがラジカ・セレコのもとにたどり着くにはもう少し時間がかかりそうだった。

『黄身』『た』『血では』『僕は』『た』『押せない』

 ラジカセのチャンネルが切り替わり言葉を紡ぐ。

 ラジカ・セレコが伝えたいことを伝えると、再び騒音となった番組の音が流れ始める。

「倒してみせるさ」

 9Vスパークは反発して答え、スタンブレイドを強く握り締めた。

 ラジカ・セレコの手前で跳躍した9Vスパークは勢いで間合いを詰め、そのまま振り上げたスタンブレイドを勢いよく斬り下ろす。

 しかしその刃は空気を切りつけるだけだった。

 空中からの一撃を横に避けたラジカ・セレコは9Vスパークの顎を蹴り上げる。鈍い音。その蹴りはスーツを着ていなければ下顎骨が折れるほどの威力を持っていた。

 その強烈な蹴り上げで着地したばかりの9Vスパークは宙に浮く。

 そして何もできぬままラジカ・セレコのラジオの連撃の餌食となる。

 ラジカ・セレコの攻撃は止まらない。連撃による連撃。とはいえ9Vスパークも腕を交差して防御していた。もっとも連撃によって防御が崩され、ほとんど防御の意味をなしていない。

「くそっ!」

 隙を見て、適当にスタンブレイドを振り回すが、狙いの定まらない斬撃はラジカ・セレコによっていとも簡単にかわされてしまう。

 そこに大蛇のごとく鞭が振るわれた。ブルーによる不意の一撃。しかし、それすらもラジカ・セレコは見切った。

 さらにラジカ・セレコは身を捩る。状況が分からない人が見ればラジカ・セレコが何をしたか分からないだろう。

 瞬間、ラジカ・セレコが身を捩った場所をエクレールランスが通り過ぎ、地面に突き刺さる。

 ライトニングウィップがどうなるかを様子見ての投擲だったが、ラジカ・セレコには見切られていた。

「なんで分かるのよ」

 空中落下しながらぼやくイエロー。ラジカ・セレコはイエローの姿を見てないにも関わらず、先読みしたようにイエローの必殺の一撃、ブリッツシュラークを避けていた。

 必中の一撃だと思っていたから悔しくて仕方がない。

 イエローが無事着地できるようにブルーが鞭を振るい、9Vスパークが突進。ラジカ・セレコの間合いの内側へと無理やり入り、斬撃を叩き込む。

 それをラジカ・セレコは右腕のラジオを盾にして防ぐ。

「よしっ!」

 直撃とともに9Vスパークは電流を流す。スタンブレイドから流れた電流はラジカ・セレコの全身を流れ……るはずだった。

 直後、ラジカ・セレコの右腕が分離した。電流を流すと分かっていたラジカ・セレコは右腕を盾にすると決めていたときから分離していた。分離した右腕がショートし地面に転がるも爆発はしない。挙句、ラジカ・セレコ本体はいまだ健在。9Vスパークへと跳ね上がる右足。見事な中段蹴りが9Vスパークへと直撃。

 直後、イエローが落下してくる。そのイエローめがけてラジカ・セレコは左腕を叩きつける。イエローは空中で回転し、回避。突き刺さった槍を軸にして回転。ラジカ・セレコに二連蹴りを叩き込む。

『や』『パリ』『三人』『あいて』『だ』『時』『つい』『で』『脛』

 三つに減ったラジオから音が流れ、ラジカ・セレコは急速反転。

『鉄』『しゅう』

 ラジカ・セレコは全速力で逃げていく。

『それでは今週はここまで、また次回お会いしましょう~♪』

 ラジオのひとつから番組終了の音声が流れると同時にラジカ・セレコは消え、ガレージたちが走り去る姿が見えた。

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