第27話 黄金色の問題(11)
「ただいま」
「おかえり」
リビングから届く弟の第一声は決して明るいものではなかった。
とはいえ、暗いものでもない。けれどこれからのことを考えてだろう、少しだけトーンを抑えた、そんな声だった。
今はいつも観ている戦隊物の再放送の時間だが、茂伊郎は楽しみにしているはずのそれを見ずに姉の帰りを待っていた。
とはいえ、寧色は小型液晶テレビの下にあるPS8の電源が入っていることに気づいた。おそらくそれで録画でもしてあとで見るつもりなのだ。寧色は弟の用意周到ぶりに感心しつつも呆れたが、それに気づいたことで少し気楽になった。
今から話す内容は決して暗いものではない。
けれど寧色にとっては弟の想いに応えるような内容でなければならない、それほど重要なものだ。
だからこそ緊張する。それを和らげることができたのは寧色にとっては幸運だろう。
「茂伊郎」
寧色が弟の名を呼び、その近くに座布団を敷いて正座する。
「なんだよ?」
茂伊郎は座布団に座ったまま動かない。姉を見ようともしない。
「こっち向いて」
寧色はそうとだけ言う。決して無理に弟の体を捻ろうとはしなかった。
弟が自分のほうを向くまで寧色は見続けるだけで口を開こうともしなかった。
やがて照れくさそうに茂伊郎は寧色のほうを向く。
そうしてふたりは向き合った。
今までの人生のなかで、こうやって面と向かったのは初めてかもしれない。
弟と目線を合わせた寧色はしっかり弟の顔を見ようとするものの、確かに少し照れくさい。
それでも気を引き締めて、真向かいに座る弟へと寧色は言った。
「あたし、もう二度とヒーローを辞めない」
茂伊郎はその言葉をただただ聞いていた。表情に機微の変化もない。
「あんたや母さんがあたしがヒーローでいることを誇ってくれているなんてあたしは全然気づかなかった。あたしはただ、あんたたちに楽をさせたくてお金がいっぱいもらえるならって安易に考えていた。でも、あんたの言葉で気づかされた。あたしはお金のためじゃなくて、家族のために戦ってるってことに」
寧色がカンデンヂャーになる前、高給な職業を探そうと職業安定所を訪れたとき、実はふたつの選択肢があった。
もちろん、そのどちらもヒーロー。ひとつはこの市を守る電池戦隊カンデンヂャー、もうひとつは囲込戦隊エンクロージャー。
エンクロージャーの活動内容はともかく、ふたつの給料を比べると、エンクロージャーのほうが高かった。なのに、寧色はカンデンヂャーを選んでいる。
それはつまり、お金ではない何か別の要因があった。
あのときは意識していなかった寧色だが、今考えてみるとそれが何かよくわかる。
それは家族だ。家族がこの市に住んでいたから、この市を守るカンデンヂャーを選んでいた。
「あたしもあんたたちが大切。だからあたしはこれからずっとヒーローとして戦うから」
全てはその言葉に集約される。
寧色がお金に固執していたのは、弟の進学や母親の入院費などいろいろな出費が重なり、神経質になりすぎていただけだった。
そのせいで寧色は一番大切なことを忘れていた。
けれどこの事件を通して、寧色は再び大切なことに気づいた。
寧色の告白に茂伊郎は黙って、何度もうなづく。
「だからこれからも応援よろしくね」
照れくさそうに寧色は言って立ち上がった。
「じゃ、今からご飯作るから」
茂伊郎は軽くうなづいてテレビのほうへと体を捻る。そしてリモコンを弄りながら一言。
「ご飯は炊いてあるから」
テレビがつき、戦隊物のエンディングテーマが流れ始める。
「宿題はやったの?」
気恥ずかしさを紛らわすように寧色は言った。
「やったって」
茂伊郎の声はどこか明るい。
***
壁に三段ガラスケースが立ち並んでいる。そのガラスケースの二段目と三段目にはスーパー戦隊のゴレンジャーからハイパー戦隊のチャレンジャーまで、全てではないが、ほとんどの特撮ヒーローのフィギュアが立ち並ぶ。
そのなかにはお礼として譲り受けた『火』から『人』になったシンケンジャーフィギュアも存在していた。
一段目、一番高さのあるガラスケースには、ゴレンジャーの空の要塞バリブルーンからチャレンジャーの挑戦兵器ダイチョウセンオーまで巨大ロボがずらりと立ち並んでいる。
その反対側の寝台、そこに光輝は寝そべっていた。寧色がカンデンヂャーに戻ってきたことで気が抜けて、今にも眠りそうだった。
けれど、その眠気は耳もとに置いてあった〈i-am〉の着信アラームで吹き飛ぶ。
着信相手は桜花だった。
「何の用?」
『なんで、そんなに不機嫌そうなのよ!』
「いや、別に不機嫌じゃないけど……」
『そう聞こえるのよ、聞こえるったら聞こえるの!』
なんだよ、その言い草と思いつつも少し眠たい光輝は切り上げるように言い放つ。
「あー、はいはい。だから何の用?」
『えーと、そうそう。あのね、あんた西中で戦ってたでしょ?』
「え、まあそうだけど……」
なんで知っているのか、たずねようとする暇もなく
『花恋があんたの戦う姿見たらしいの』
「花恋ってだれ?」
『私の妹! サッカー部のマネージャーやってたんだけど、見なかった?』
そう言われて光輝は思い出す。あの漂白剤まみれのグランドにいた女の子のことを。自分が助けたサッカー部員(次郎花にあとで寧色の弟、茂伊郎だと教えられた)に守られていた子だ。
「あの子か……」
『そっ。私に似てかわいいでしょ』
「……」
『なんでそこ無言なのよっ!』
「それはともかく」
『ともかく、じゃないわよ』
「いや今、僕はとっても眠いんだよ」
『ああそうなの。だから?』
「だから? ってとりあえず用がないなら切るよ」
『ああ、ちょっと待ってよ。あのね、その妹がね、あんたに言いたいことがあるんだって。ちょっと電話代わるから、いい? きちんと聞くのよ』
電話越しに「お姉ちゃんが伝えてよ、恥ずかしいから」だの「あんたが直接言わなくてどうするの」だの話し声が聞こえてきたが、光輝は何も言わず、眠気を堪えて<i-am>を耳もとにあて続けていた。
しばらくして、
『あの……』
桜花とは違う、それでも可愛らしいとわかる声が光輝の耳もとに届いた。
『助けていただいて、ありがとうございました!』
そして切れた。
いきなり切れたことに唖然としたが、それでもその一言は光輝を嬉しくさせた。
今日は気持ちよく眠れそうだ、そう思った矢先、<i-am>から再び着信。相手は桜花。しばらく無視してみたが、鳴りやむ様子はない。
少し嘆息して電話に出る。
『さっさと取りなさいよ、アホー』
それからしばらく桜花の説教からの他愛もない話が続いた。
話を切り上げて途中で切っても再び電話が鳴る。
光輝は仕方なく、桜花が飽きるまで付き合うことにした。桜花のせいで眠気は吹き飛んでしまっている。
やれやれ、どうやら今日もすぐに眠れそうもない、光輝はいつかの喫茶店での情景を思い浮かべて嘆息した。
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